25 「成長する種」の譬 4章 26〜29節
26 また言われた、「神の国はこのようなものである。人が地に種をまいて、 27 夜昼寝起きしている間に、その種は芽を出して成長していくが、どうしてそうなるのか、その人自身は知らない。 28 地はおのずから実を結ばせるもので、初めに芽、つぎに穂、つぎに穂の中に穀物が実る。 29 実がいると、彼はすぐ鎌を送りこむ。刈り入れの時が来たからである」。
刈り入れの時
「種まき」の譬と同様、ここでも「神の国」が蒔かれた種と収穫を対比する譬で語られている。先の「種まき」の譬では、種がまかれる時の徒労に見えるような状況と豊かな収穫が対照されていたが、この譬では収穫に至る過程が人間の理解や努力を超えたものであることが焦点となっている。農夫は種をまいた後、作物が自然に成長して実を結ぶ時をひたすら待つ。農夫は作物が成長する仕組みを理解しているわけではない。土地に作物を成長させる力があることを信じて、夜昼寝起きして収穫の時が来るのをひたすら待つだけである。農夫は直接作物に働きかけて、芽を出させ、つぎに穂を出させ、実を実らせることができるわけではない。ただ「夜昼寝起きして」いるだけで、何をすることもできない。けれども種がまかれた以上、時が来ればかならず実は実り、刈り入れができるようになる。農夫は土の力を信じて、忍耐強く時を待っている。