市川喜一著作集 > 第2巻 キリスト信仰の諸相 > 第4講

第一部キリストの諸相 

     第三講 受肉した神イエス

            ― ヨハネのキリスト証言 ―

はじめに

 ペトロとパウロによって土台を据えられたイエス・キリストの信仰、すなわち、十字架につけられたナザレのイエスが復活者キリストであり、そのキリストは聖霊によって信じる者の中に霊なるキリストとして生きるという「キリスト信仰」は、パウロ以後それぞれの時代と状況の中で、独自の内容を加えて展開していきます。
 その中でもっとも特色ある展開の実例としてヨハネ福音書を取り上げ、この新約聖書の中でもっとも謎に満ちた文書において証言されているキリストの像に迫っていきたいと思います。

ヨハネ宗団のキリスト体験

洗礼者ヨハネの弟子

 ペトロやパウロの場合は、復活者キリストに出会うという個人のキリスト体験を語ることができましたが、ヨハネの場合はそれができません。ヨハネ福音書の著者が誰であるかが分からないからです。しかし、この福音書を生み出した信徒集団(以後この集団をヨハネ宗団と呼びます)の性格は、この福音書自体からかなりの程度推定できますので、この福音書を生み出したヨハネ宗団のキリスト体験を見てみましょう。
 まず、ヨハネ宗団は洗礼者ヨハネの弟子を中核として形成された集団であることが推定できます。イエスが最初の弟子たちを召された時のことが一章(一九節以下)に詳しく伝えられていますが、それによると最初の弟子たちは洗礼者ヨハネの運動の中でイエスに出会い、イエスに従うようになっています。その中の二人(アンデレと無名の弟子ーこの弟子がゼベダイの子ヨハネではないかという推定が有力です)は明確に洗礼者ヨハネの弟子であったとされています(一・三七)。イエスご自身もバプテスマを授け、ヨハネよりも多くの弟子をつくられたとも報告されています(三・二二〜四・一)。福音書の前半では、イエスについての最も重要な証言者は洗礼者ヨハネです。このような他の福音書に見られない書き方から、この福音書を生み出した宗団は洗礼者ヨハネと深い関わりがあることが分かります。
 洗礼者ヨハネはイエスを見て、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」と叫び、この方こそ「聖霊によってバプテスマする方」であると証言したと伝えられています。これは、イエスに従うようになったヨハネの弟子が、後に復活されたイエスから聖霊のバプテスマを受けて、復活者キリストがその十字架によって人を罪の支配から解放してくださる方であるとの秘義を体験したことの表現であると理解できます。ヨハネ宗団は、イエスを「聖霊によってバプテスマする方」として体験し、洗礼者ヨハネを超える救済者として告白したヨハネの弟子たちを中核として形成された、ユダヤ人キリスト信徒の群れであると言えます。その後異邦人が宗団に加わったかどうかは分かりませんが、全体としてはユダヤ人キリスト者の宗団と見ることができます。

ヨハネ宗団の伝承

 次に、この宗団が拠り所としたイエス伝承は、主流であったペトロの権威のもとに伝えられた伝承とは別の独自の伝承でした。ヨハネ福音書の後半に「イエスが愛された弟子」が登場します。この弟子はいつもペトロと対抗的な、あるいはペトロにまさる立場の者として描かれています。この弟子がイエスの出来事の目撃証人として、伝承の源とされています(二一・二四)。この弟子が理想の教会の象徴であるのか、実在の人物であるのか、そうであればそれは誰かという問題は、議論が続いていて決着がついていません。古代教会の伝承は、この弟子を十二弟子の中の一人「ゼベダイの子ヨハネ」としました。それでこの福音書は正典に入れられて「ヨハネによる福音書」と呼ばれるようになったのですが、イエスの直弟子が著者であることは困難で、著者が誰かは分かないと言うほかありません。
 パレスチナ・シリア地域には、ペトロ、トマス、主の兄弟ヤコブなどを権威と仰ぐ伝承の流れがあったことが知られていますが、それとは別の独自の伝承(おそらく使徒ヨハネから出たとされる伝承)を継承する宗団が、この地域のどこかの都市に成立し活動していたと考えられます。その宗団が危機に直面したとき、宗団の指導的人物が、信徒を励まして危機を乗り越えるために、この福音書を書いたと見られます。

ヨハネ福音書執筆の状況

 その危機とはユダヤ人社会の中で、イエスをキリストと告白する信徒と会堂を支配する長老会議(ゲルーシア)との対立が深まり、信徒が会堂から追放され、イエスをキリストと宣べ伝える活動が「民を惑わす者」として探索、裁判、処刑の対象とされるにいたったという事情です(J・L・マーティン)。ユダヤ人にとって会堂から追放されることはユダヤ人社会そのものから追放されることを意味し、きわめて深刻な事態であったわけです。
 このようなキリスト信徒ユダヤ人の会堂からの追放はいつごろ起こったのかという問題は諸説があって決着していませんが、おそらく七〇年のエルサレム陥落後、ヤムニアで活動したファリサイ派律法学者たちの学院の主導の下でユダヤ教が再建された時代のことであろうと推定されます。ヤムニアの学院は異端を排除するために、会堂での礼拝の中心であった十八祈願の中の第十二祈願に、異端者を呪う言葉を入れます。そして、その祈りを踏み絵として、イエスをメシアと告白する「ナゾレ派異端」を摘発し、追放しようとしたと伝えられています。この異端摘発の活動がヨハネ宗団の都市にも及んできて、この危機が起こったと見られます。そうすると、ヨハネ福音書の成立は八十年代のことになります。
 このように、ヨハネ宗団は、洗礼者ヨハネの運動の中でイエスに出会い、イエスの霊的権威に惹かれ、あるいはイエスの力ある業を見てイエスを信じてイエスに従い、後に聖霊のバプテスマを受けて復活者キリストを体験し、さらにユダヤ教会堂との厳しい対決の中で、自分たちの中にいますキリストの現実を深め、独自のキリスト告白を形成した、洗礼者の弟子を中核とするユダヤ人宗団であることが分かります。それでは、この宗団のキリスト証言として成立したヨハネ福音書が示す独特のキリスト像を、以下の数点に絞って見ていきましょう。

遣わされた方

光と闇の二元論

 ヨハネ福音書は厳しい二元論に貫かれています。ヨハネ福音書では二つの領域が、混じることなく、妥協することなく、橋渡しするものなく対立しています。その二つの領域は、光と闇、命と死、真理と虚偽、上と下、天と地、そして神と悪魔の対立として描かれています。この二元論は、洗礼者ヨハネの背後に想定できるクムラン宗団の、光の子と闇の子の強烈な二元論から来ていると推定することも可能ですし、また当時の黙示思想の二つのアイオーンの二元論、またはギリシャ宗教思想の霊界と物質界の二元論、さらに宇宙(コスモス)そのものを霊なるまことの神に敵対するものとするグノーシス主義の宇宙的二元論の影響を受けているとする説もあります。このような他の宗教思想の直接間接の影響も考えられますが、何よりもヨハネ宗団が現実に体験しているユダヤ教会堂との厳しい対決が根底にあると思われます。
 ヨハネ福音書において「ユダヤ人」という表現は、多くの場合、イエスに敵対する宗教勢力を指すのに用いられています。イエスご自身もこの福音書の著者もユダヤ人であるのに、「ユダヤ人」という名称を神に敵対する勢力を指すのに用いていることは、奇妙な印象を与えます。しかし、ユダヤ人会堂と決定的に訣別したヨハネ宗団の状況から見ると、イエスとイエスを神の子と告白する宗団の敵対者を「ユダヤ人」と呼んで、闇と偽りの領域に属する者として徹底的に断罪する姿勢は理解できます。
 イエスを拒否し、イエスを告白する者を迫害する「ユダヤ人」と、イエスを信じる者たちの宗団との間には、もはや通路がありません。イエスを拒否する「世」も「ユダヤ人」と同じです(「世」の方はなお神の救済と愛の対象としての面を残していますが)。人はイエスを受け入れるか拒むか(すなわちイエスを信じるか信じないか)によって、どちらかの領域に属する者になるほかはないのです。
 自分が本来所属する社会から排除され孤立して戦う集団は、二元論的傾向を強めざるをえません。ヨハネ福音書の著者は、ヨハネ宗団が属する光の領域と、敵対者が属する闇の領域を厳しく対立するものとして、その対立を当時の宗教思想の用語と象徴を用いて描くのです。

天から来られた方

 このように厳しい二元論に立つヨハネ福音書においては、キリストの姿も当然その二元論の枠組みの中で描かれることになります。まず何よりも、キリストはこの世に属する者ではなく、別の領域から「遣わされた」方です。洗礼者あるいはヨハネ宗団は、イエスについて「上から来られる方、天から来られる方」と証言し(三・三一)、イエスご自身も、「わたしは神のもとから来て、ここにいるのだ。わたしは自分勝手に来たのではなく、神がわたしをお遣わしになったのである」(八・四二)と語り、繰り返してご自分が神から「遣わされた者」であることを言い表しておられます(四・三四、五・二四、六・三八、七・一六、一一・四二、一二・四四など)。
 それで、イエスは上なる領域からこの世に「降って来た方」(三・一三、六・三三)、また天に「上る」者(三・一三、六・六二)と表現されることになります。イエスは天から降ってきて、しばらく地上で働き、やがて世を「去って行く」方(八・二一)、天に「帰る」方として描かれます(七・三三、一三・三)。ヨハネ福音書は、前半(一〜一二章)で神から遣わされて天から降ってこられた方の、闇と偽りの世での働きを語り、後半(一三〜二一章)でその方の天の栄光への帰還を語るという構成をとります。
 このように、イエスは天から降って来て再び天に帰って行く方ですから、十字架の出来事も、ヨハネ福音書では共観福音書と違って、イエスが世を去って天に帰って行かれる出来事として描かれることになります。それで十字架については、背後の復活と一体と見られて、イエスが「上げられる」ことと表現されます(三・一四、一二・三二〜三四)。この表現は十字架にかけられる者は地上から高い位置につり上げられるという実際の姿に重ねて、その出来事がイエスの天の栄光への帰還をも意味することを表現しているのです。この決定的な出来事を、イエスは「わたしの時」と言っておられるのです(一二・二七、一三・一など)。総じて、ヨハネ福音書の受難物語は、別の領域から降って来た方が地上での働きを終えて、勝利者として天に帰還するという雰囲気で語られています。
 二つの領域がその間にまったく通路がない状態で対立するという二元論の世界で、イエスだけが上なる真理の領域からこの世に遣わされて降って来られた方ですから、イエスをそのような方として受け入れること、すなわちイエスを信じることだけが、人がかの上なる領域に所属する者となり、命に入る道となります。ヨハネ福音書はこのことだけを世に呼びかけることになります。「神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である」(六・二九)。地上にある人間が神の領域を知ることができるのは、イエスを通してだけです。「わたしが道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない」(一四・六)。

神 の 子

子を遣わす父

 自分が「遣わされた者」であることを言い表されたイエスは、自分を遣わした方のことをいつも「父」と呼んでおられます(五・三六〜三八、六・五七、八・一八など)。イエスが神を「父」と呼ばれたことは、共観福音書伝承でも最も重要な伝承の一つですが、ヨハネ福音書ではいつも遣わした者と遣わされた者の関係の中で、「遣わした方」を指す名として用いられています。遣わした方が「父」であるということは、遣わされた者は「子」であることを意味します。ヨハネ福音書ではいつも「父が子を遣わした」と表現されています(五・二三など)。
 「神の子」という称号は、すでにイスラエルにおいてメシアの称号として用いられていましたし、この福音書でもその意味で用いられている場合もあります(一・四九、一一・二七)。しかしヨハネ福音書においては、神から遣わされた者の称号として(一〇・三六)、さらに深い内容を含んでいます。ヨハネ福音書ではほとんどの場合、「子」とか「御子」という単独の形で用いられていますが、「子」は父から遣わされた者として、地上で父を現す唯一の啓示者なのです。子が語り行われることは、父が語り行われることなのです(一二・四九など)。子は自分からは何事もなされず、父がされる通りにしておられるからです(五・一九)。子を見た者は父を見たのです(一二・四五、一四・九)。さらに、イエスだけが父を啓示する方であるということを強調するために、「独り子」という表現が用いられます(一・一四、一・一八)。

御子を信じる者

 イエスがこのような意味で「子」であるので、イエスに対する態度が神との関わりを決定することになります。イエスを御子として敬うことが、父を敬うことなのです(五・二三)。御子を信じるか信じないかによって、命か滅びかが決まるのです。「御子を信じる人は永遠の命を得ているが、御子に従わない者は、命にあずかることがないばかりか、神の怒りがその上にとどまる」(三・三六)のです。ヨハネ福音書は繰り返し繰り返し、力をこめてこのことを宣言します。それは、まさにこの一点がヨハネ宗団とユダヤ人会堂との対決点だったからです。
 ヨハネ福音書はイエスの御子としての栄光を証言する書です(一・一四)。御子は地上で父を啓示するだけでなく、欲する者に命を与える方、また最終的な審判を執行する方でもあります(五・一九〜二七)。御子は父からすべての裁きを一任されているのです。御子は地上で神の権能をもって語り行動されます。裁くことも命を与えて復活させることも、まさに神の権能に属することです。イエスは言われます、「わたしの父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、わたしがその人を終わりの日に復活させることである」(六・四〇)。普通のイエス・キリストの福音の告知においては、イエスは神によって死者の中から復活させられて御子とされたと言われていますが(たとえばローマ一・四)、ヨハネ福音書では、むしろイエスが死者を復活させる方として告知されています。イエスが死んでから四日もたつラザロを生き返らせた記事(一一章)は、御子として栄光を語るこの福音書の頂点をなす記事となるわけです。これは、「命を与える霊」となられた復活者キリストが地上のイエスと重ねて語られるという、福音書の性格の一つの表れです。

受肉した神

「エゴー・エイミ」

 ご自分を父から遣わされた子であると言い表されたイエスは、父と子という関係が意味している事柄を明確に表現してこう言われました、「わたしと父とは一つである」(一〇・三〇)。子は父の業をするだけでなく、父と等しい、父と一つの神的存在であるというのです。このことは、この福音書では他の形でも繰り返し強調されています。
 まず、ヨハネ福音書ではイエスが「エゴー・エイミ」(新共同訳では「わたしはある」)という言葉を何回も口にしておられるという事実が目立ちます(四・二六、六・二〇、八・二四、二八、五四、一三・一九、一八・六)。この表現は旧約聖書のギリシャ語訳において、ヤハウェがご自身を現される時に用いられている定式的な表現です(出エジプト記三・一四、イザヤ四一・四、四三・一〇など)。共観福音書では、最高法院の法廷で「お前はほむべき方の子、メシアなのか」という大祭司の問いに、イエスがこの言葉で答えられたことが伝えられているだけです(マルコ一四・六二)。ユダヤ人は、この言葉を口にする者は自分を神とする者だということをよく理解していました。この言葉を聞いて、マルコ福音書の大祭司と議会はイエスを?神の罪に定め、ヨハネ福音書の「ユダヤ人」はイエスを石で撃ち殺そうとします(八・五八〜五九)。
 ヨハネ福音書では、イエスがこの言葉を口にし、ご自分を父と等しい者とされたことがユダヤ人の殺意の理由であったことが繰り返し語られています(五・一八、八・五九、一〇・三一)。これは、イエスを神と告白するヨハネ宗団が、現にユダヤ人会堂から受けている激しい敵意と迫害の体験(一六・二)を反映している記事です。ヨハネ宗団はイエスを神の子と告白するだけでなく、一歩進めて、イエスを神と告白するところまで来ていました。

地上を歩む神

 ヨハネ宗団は、聖霊によりイエスを復活された方として体験し、その復活者を神と告白したのです。復活されたイエスに出会ったトマスは、復活者に向かって、「わたしの主、わたしの神よ」と叫んでひれ伏しています(二〇・二八)。これはヨハネ宗団の告白を代表するものです。宗団が神として拝む復活者は、地上でイエスとして現れた方に他ならないのですから、地上のイエスの働きを語るという仕方で復活者キリストを宣べ伝えようとする「福音書」の著者は、地上のイエスをも神として告白し、イエスもご自分を神として言い表す方として描くことになります。ヨハネ福音書のイエスは、共観福音書の場合と違って、「神の国」について語ることは少なく、ほとんど自分は何者であるかという問題ばかり語っておられますが、これはヨハネ宗団のキリスト告白に他ならないのです。
 地上のイエスを神と告白するために、ヨハネ福音書の著者は独特の表現を用います。すなわち、イエスは「ロゴス」が受肉した方であるというのです(一・一四)。著者が用いる「ロゴス」という用語の思想内容とか宗教史的背景については議論があります。ここでその問題に立ち入ることはできませんが、おそらくヘレニズムユダヤ教の知恵思想の流れを汲むものでしょう。著者が言う「ロゴス」は、創造よりも先に神と共にあり、それによって万物が成った神的な存在です(一・一〜三)。その「ロゴス」が肉となって、人間の世界に宿った方がイエスだというのです。著者は序詩(一・一〜一八)において、この福音書全体を通して言おうとすること、すなわち、イエスは受肉した神であることを、独自の表現で提示するのです。
 ヨハネ福音書においては、イエスは地上を歩む神です。たしかにこの福音書においても、イエスは疲れ、渇き、飢え、涙を流す普通の人間として描かれています。しかし以上に見たように、その一人の地上の人間が神であると、この福音書は証言し、そのことを信じることが命であると宣言するのです。

現臨する「人の子」

現在終末論

 厳しい二元論と並んで、ヨハネ福音書のもう一つの重要な特徴は現在終末論です。すなわち、終末の事態が現在すでに到来して現実になっているという主張です。このことは、「人の子」の扱い方に典型的に現れています。
 ヨハネ福音書は、「人の子」という表象を読者も批判者もよく知っているものとして繰り返して使っています。このことは、この福音書が著者も読者もユダヤ人であることを示していると言えます。ところで、ヨハネ福音書が描く「人の子」の姿は、共観福音書における「人の子」と決定的に違っています。共観福音書では、「人の子」はイエスがご自分の地上の姿を語るのに用いられたり、「受難する人の子」というような全く新しい要素も入って来てはいますが、なお本来の黙示思想的な「人の子」像が中心に保持されています。すなわち、「人の子」は将来、地上の大いなる患難の時のあと、雲に乗って天から現れて神の支配をもたらす、終末的な審判者であり救済者なのです。それに対してヨハネ福音書では、そのような黙示思想的な待望はなく、「人の子」はすでに自分たちの間に来ておられる方として語られています。
 ヨハネ福音書も、「人の子」が終末的な審判者であるという認識を前提にしています。五章一九節から二九節で、イエスはご自分が「子」として、自分の中に命を持ち、欲する者に命を与え、また裁きを行う権能を持つ者であることを語られた後(一九〜二七節)、子が現在すでにそのような権能を持つ理由を、「子は人の子だからである」(二七節後半)と説明しておられます。そしてすぐに続けて、「人の子」の本来の終末的権能を、「時が来ると、墓の中にいる者は皆、人の子の声を聞き、善を行った者は復活して命を受けるために、悪を行った者は復活して裁きを受けるために出て来るのだ」という言葉で語っておられます(二八〜二九節)。このような権能を持つ「人の子」が、現在すでに天から遣わされた「子」として地上に来ているのだから、「わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている。はっきり言っておく。死んだ者が神の子の声を聞く時が来る。今やその時である。その声を聞いた者は生きる」(二四〜二五節)と言うことができるのです。

「人の子」の現在と将来

 普通は将来にその来臨が待望されている「人の子」も、ヨハネ福音書ではその独自の「天から降って来て、天に上り帰る」救済者の像に組み入れられています。「天から降って来た者、すなわち人の子のほかには、天に上った者はだれもいない」(三・一三)と言われるのです。「人の子」はすでに天から降って来て地上に現臨しているのです。この「人の子」が「上げられる」、すなわち十字架につけられ後、復活して天に上ることによって、救済の業は成し遂げられ、それを信じる者が救われて永遠の命を持つようになるのです。

「モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである」。(三・一四〜一五)

 イエスの十字架は「人の子」が栄光を受ける時であり、「人の子」によって神が栄光を受けられる時です(一二・二三、一三・三一〜三二)。ヨハネ福音書では、イエスをこのような「人の子」と信じることが求められています。「人の子」は現に目の前に来ているのです(九・三五〜三七)。信じる者は現在すでに永遠の命を持ち、終わりの日には「人の子」が死者の中から復活させてくださるのです。そのことはイエスご自身が繰り返して確言されています。

「わたしが天から降って来たのは、自分の意志を行うためではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行うためである。わたしをお遣わしになった方の御心とは、わたしに与えてくださった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させることである。わたしの父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、わたしがその人を終わりの日に復活させることだからである」。(六・三八〜四〇)

 ここで、信じる者が現在すでに永遠の命を持つことと、終わりの日に復活することが一息に語られています。そして、「わたしが復活させる」と言われているのは、イエスが「人の子」として語っておられることの表れです。「人の子」こそ終わりの日にすべての人を裁き、死者を復活させる方に他ならないからです(五・二八〜二九)。
 ヨハネ福音書の現在終末論を強調するあまり、未来の復活を語る「わたしがその人を終わりの日に復活させる」という言葉を、後から編集者によって付け加えられた部分として、本文から削除すべきであるという説があります。しかし、ここで見たように、「人の子」がすでに地上に現臨しているとの主張は、あくまで「人の子」の本来の終末的権能を保持した上での宣言です。「人の子」の現在と将来という二つの面は、ヨハネ福音書において切り離せない仕方で結びついています。編集という推定で、簡単にこの言葉を切り捨てることは許されないと思います。逆に、黙示思想的終末待望をすべて放棄したこの福音書が、なお「死者の復活」だけは将来に待ち望んだという事実が注目されます。これは、終末待望を「死者の復活」に集中させたパウロと相通じるものがあるようです。

内住のキリスト

別の助け主

 ヨハネ宗団はすでに聖霊のバプテスマを受けて、神の霊が自分たちの中に働いておられることを体験していました。さらに、自分たちの中に働かれる御霊が、復活されたキリストに他ならないことを自覚するようになっていました。そして、自分たちの中に復活者キリストが御霊として宿り、働いてくださっているのだという自覚を、イエスが地上におられる時に弟子たちに語られた言葉として表現しました。それは、イエスがこの世を去って行かれる最後の夜に語られた「訣別説教」(一三〜一六章)の形でまとめられています。
 イエスはこの世を去るにあたって弟子たちに、「わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る」(一四・一八)と約束されました。それと同時に、イエスはご自分が去って行った後、「別のパラクレートス(弁護者、助け主)」を遣わすことを約束しておられます(一四・一五)。この「パラクレートス(原意は側にいて助ける者)」とは、弟子たちの内にとどまる「真理の霊」であり(一四・一七)、父がイエス・キリストの名によって遣わされる聖霊のことです(一四・二六)。そうすると、弟子たちの内に宿る聖霊は、再び弟子たちのところに戻って来られたイエス、すなわち復活のキリストに他ならないことになります。「別の」という語は、別の方という意味ではなく、同じ方が別の姿で来られることを指していると理解できます。すなわち、われわれと同じ肉体をとって一緒にいてくださったイエスは去って行かれましたが、聖霊という別の姿で信じる者たちの中に戻って来てくださっているのです。その現実が復活された主に出会う体験です(一四・一九)。ヨハネ福音書では、復活顕現(イースター)、聖霊降臨(ペンテコステ)、再臨(パルーシア)が一つの事態として語られています。

イエスの業の継承

 こうして、信徒は聖霊により復活されたイエスを内に宿すことによって、イエスが地上でしておられた業を継承することになります(一四・一二)。ヨハネ宗団は、自分たちがイエスから継承して行っていると自覚している業を証言するのに、地上のイエスの言葉と働きを語るという仕方で行いました。それがヨハネ福音書です。ですから、ヨハネ福音書では、イエスの言葉の中にヨハネ宗団の証言が重なり溶け込んでいます。イエスが語られる「わたし」と、ヨハネ宗団が語る「わたしたち」が重なっています。イエスが宗教当局から受けた反対と迫害を語る物語に、ヨハネ宗団がその時代にユダヤ人会堂から受けている迫害の物語が重なっています。たとえば、九章の生まれながらの盲目を癒された人が会堂で審問され追放される物語は、イエスの時代の出来事よりは、イエスを告白するヨハネ宗団がユダヤ人会堂から迫害されている出来事の描写として、より自然にかつ正確に解釈できます。
 「福音書」という類型の文書が、地上のイエスを語ることによって復活者キリストを宣べ伝えようとする性格のものであるかぎり、地上のイエスと復活者キリストとの緊張に満ちた二重構造は不可避の構造になります。とくに、このヨハネ福音書ではその二重構造が劇的な構成をとり、その中でのイエスの姿はほとんどそのままヨハネ宗団のキリスト証言となっていると言えます。わたしたちはヨハネ福音書によって、内なる聖霊の力によって、ユダヤ教という固い殻を打ち破ってイエス・キリストを証言した、初代のユダヤ人教団の声を聞いているのです。これはパウロとは別の形で、福音をユダヤ教の枠から解き放って万民のものとする神の声であったわけです。

おわりに

 以上三回にわたって「キリストの諸相」を講じてきましたが、これらの「諸相」は同じ復活者キリストの様々な現れにほかならないのです。現れるキリストの姿の違いは、復活者キリストを証言する者が置かれている歴史的状況の違いから来ています。これらの諸相は、理論的に統合されるのではなく、われわれの現実のキリスト体験とキリスト証言において統合されなければなりません。すなわち、われわれも聖霊によって復活者キリストを体験し、そのキリストをわれわれが現に置かれている歴史的状況の中で証言していかなければならないのですが、そのさい、新約聖書に証言されているこれらのキリストの諸相が持つ意義が規準となってわれわれのキリスト証言が導かれること、言い換えれば、新約聖書のキリスト証言の諸相がわれわれのキリスト体験の中で規準としてそれぞれ固有の位置を持つこと、それが新約聖書がわれわれの信仰にとって規準であるということの意味です。こういう意味で新約聖書を規準として、聖霊による根源的なキリスト告白を回復することが現代の急務であると言えます。