市川喜一著作集 > 第1巻 聖書百話 > 第79講

79 人を生かす言葉

軽率なひと言が剣のように刺すこともある。
知恵ある人の舌は癒やす。

(箴言 一二章一八節)


 人を殺すのは言葉です。そして、人を生かすのも言葉です。軽率に発せられたひと言が心を深く傷つけ、魂を呻かせ、絶望に追いやり、自殺させることさえあることを、わたしたちは人生で多少とも体験しています。それに対して、理解と思いやりから発せられる言葉が、心の傷を癒やし、希望をもたせ、生きる勇気を与えることがあることも知っています。
 書店に入ると、言葉が洪水のように溢れているのを実感します。しかし、情報を伝えるだけの言葉は、人を殺しも生かしもしません。わたしたちはそのような言葉を第三者の立場で観察し理解するだけですから。人を傷つけたり癒やしたり、殺したり生かしたりするのは、人の心から心に向かって発せられる言葉です。そのような言葉は、それを受ける者の全存在をひっくり返すほどの力さえあります。道元も「愛語、よく回天の力あるを学すべきなり」と言っています。
 愛は口先だけではなく実行しなければならない、と言われます。たしかにその通りです。しかし、困窮している人を親切な行為で助けることよりも、苦しみ絶望している人の心に語りかけて、その人を慰め力づけ、生きる希望と勇気を与える言葉を発することのほうが、わたしにはずっと難しいように思われます。言葉がそのような力をもつためには、状況を理解する知恵と、相手に対する深い愛情が必要だからです。路上で死ぬ貧しい人々に対するマザーテレサの援助の行為が尊いのは、そのような人の言葉だからこそ、彼女の言葉が希望なき人々を慰め希望を与える力があるからです。
 わたしは若いときに、「わたしはあなたのために死んだ」という十字架の言、神の愛語を聴きました。そのひと言がわたしの生涯をひっくり返し決定しました。その後は、失敗やつまずき、懐疑や失望、ほんとうに傷だらけの歩みでした。しかし、わたしはこの言葉をわたしに語りかけた方から離れることはできませんでした。わたしもペトロと共にこう言わないではおれないのです。
 「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。永遠の命の言葉を持っておられるのは、あなたです」(ヨハネ六・六八)。

                              (一九九八年三号)