市川喜一著作集 > 第1巻 聖書百話 > 第73講

73 同伴者

 「わたしは父にお願いしよう。父は別の同伴者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる」。

(ヨハネ福音書 一四章一六節 私訳)


 これは、イエスが苦しみをお受けになる前の夜、弟子たちに語られた言葉です。イエスは、地上におられた間、弟子たちといつも一緒にいて、教え、導き、助けられました。イエスは弟子たちの「同伴者」でした。いま世を去って弟子たちだけを地上に残すにあたって、「別の同伴者」を約束されます。
 この「別の同伴者」がだれであるかは、この文のすぐ後に、「この方は真理の御霊である」という言葉で説明されています。復活されたイエス・キリストを通して父が遣わされる御霊が、いつまでも一緒にいてくださるのです。御霊は、地上のイエスのように、いつかは去って行かれることのない「同伴者」なのです。 
 ヨハネはここで御霊を《パラクレートス》と呼んでいます。このギリシャ語は、「呼ばれて側にいる者」という意味の語ですから、法廷では「弁護士」という意味になります。しかし、ここでは法廷とは関係はなく、「永遠に一緒にいる」方としての称号ですから、あえて「同伴者」と訳しました。遠藤周作はその作品群で「同伴者イエス」というイエス像を描きました。苦しみ悩む人間の側に寄り添って、何も奇跡はできないが、ただその苦しみをじっと聴いて共に苦しまれる同伴者という、氏のイエス像には同意できない部分がありますが、そういう同伴者を求める人間の魂の呻きには深く共感できます。
 イエスは「別の同伴者」を約束された直後に、「わたしはあなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻ってくる」と言っておられます。そうすると、「別の同伴者」というのは、御霊という別の形で一緒にいてくださるイエス御自身に他ならないことになります。御霊は、イエスが語られた言葉を思い起こさせるという形で、イエスが一緒にいてくださるという霊的現実にわたしたちを導き入れるてくださるのです。
 わたしたちの魂が慕い求めてやまない「同伴者イエス」は、御霊において来てくださっているのです。この同伴者は、病床や老年の孤独など、人生のいかなる状況においても、いつまでもわたしたちと一緒にいてくださいます。わたしたちは孤児ではないのです。イエスが一緒にいてくださり、父の家に包み込まれているのです。

                              (一九九七年三号)