市川喜一著作集 > 第1巻 聖書百話 > 第63講

63 五十年

神である方、天を創造し、地を形づくり、造り上げて、固く据えられた方、
混沌として創造されたのではなく、人の住む所として形づくられた方、
主は、こう言われる。わたしが主、ほかにはいない。

(イザヤ書 四五章一八節)


 今年の八月は敗戦から五十年目に当たり、あの大戦の体験と意義が様々な観点から論じられています。侵略行為、植民地支配、残虐行為、原爆体験、空襲体験などなど、どれも五十年たっても忘れることができない、また忘れてはならないことです。あの敗戦体験を原点として、日本は戦後の五十年を生きてきました。
 その議論の中でほとんど触れられなくなった問題が一つあります。それは、わたしたちキリストに属する者にとって忘れることができない歴史であり、日本の将来のためにも忘れてはならない課題です。すなわち、政治宗教としての天皇制の崩壊の意義です。
 敗戦までの日本においては、天皇は現人神でした。天皇の命令は絶対でした。天皇の命令に反して生きていくことはできませんでした。戦争は天皇の名によって始められ、戦場で青年は天皇のために命を捧げました。天皇は神ですから、日本人以外の民族も天皇の支配に服すべきであるとして、近隣諸外国に支配を広げました。
 敗戦前の日本では、天皇を神とする宗教以外は、非国民とされて弾圧されました。キリスト者も多数殉教しました。戦争指導者たちは、この天皇を神とする政治宗教体制を「国体」と呼び、一億の国民を犠牲にしても「国体護持」を貫こうとしました。その体制が敗戦によって崩壊し、天皇は自ら神ではなく人間であると宣言したのです。
 明治以降、天皇は政治的な主権者でした。その天皇が宗教的な崇拝を要求する神とされるという極端な政治宗教体制は、一部軍部指導者による一時期の現象であるという指摘もあります。しかし、そのような体制が現にこの国に成立し、そのために国民と近隣諸国の人々が耐えがたい悲惨に陥った歴史的事実の意義を忘れてはならないのです。
 この敗戦五十年の年にオウム事件が起こったことは、痛烈な歴史の皮肉と感じられます。健全な常識の一般社会の人々は、オウム集団と行動を妄想か狂気の沙汰として一蹴しています。しかし、敗戦前の日本は、民主と人権の健全な感覚の中に生きている世界の常識からすれば、同じような妄想か狂気の閉鎖集団に見えたのではないでしょうか。わたしたちの社会は、この五十年で狂気の根を完全に抜き取ることができたでしょうか。キリストにある者はこれからもなお目を覚ましていなければならないと痛感します。

                              (一九九五年四号)