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見えないものに目を注ぐ            2021年4月11日
     

わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです」。

(コリントの信徒への手紙二 4章18節)


T 復活信仰の具体相

 コリントの集会の一部の人たちが「死者の復活などない」と言って、キリストに属する民の復活を否定していることを伝え聞いたパウロは、コリントの信徒に宛てた第一の手紙で、長い一章(15章)をあてて、死者の復活を否定することはキリストの復活を否定することであり、福音を否定し、わたしたちの信仰を空虚なものにするのだと激しく反論しました。そして、キリストはわたしたちキリストに属する民の初穂として復活されたのであり、キリストにあってはすべての人は復活するのだと、キリストの復活に含まれる福音の基本的な内容(死者の復活)をあらためて明らかにしました。

この手紙を受け取ったコリントの信徒たちが、この手紙にどのように反応したのかは確認できませんが、その後のキリストの民の歴史では、使徒たちの教えを継承すると自認する正統派の教会が制定した「使徒信条」では、この「死者の復活」の信仰が受け入れられて、「我は身体(からだ)のよみがえり、永遠の生命(いのち)を信ず」と明記されるに至ります。正統派の教会というのは、当時形成されつつあった普遍的(カトリック)教会のことで、使徒信条はラテン語で書かれました。そのラテン語の「使徒信条」で、パウロの死者の復活が「我は《カルニス》の復活を信ず」と表現されたのです。《カルニス》というラテン語は普通「肉体」を意味する語の所有格ですから、このラテン語の使徒信条を聞いた人々が、地上のこの肉体が復活するのだと理解しても仕方がない表現であったのです。

事実、それ以後のラテン語を公用語とする西方ローマカトリック教会の歴史では、「死者の復活」は肉体の復活と理解されて、その不合理な信条に対する嘲笑と、その不合理性を信仰によって擁護する議論が真面目に行われました。ラテン教父を代表するアウグスティヌスも「《カルニス》の復活」(肉体の復活)を擁護する議論を長々と展開しています。このような教父の議論を見ますと、パウロの復活論がいかに不正確に理解されていたのかに、唖然とします。パウロは決して「肉体の復活」というようなことを言っていません。むしろパウロは、肉体を意味する《サルクス》というギリシア語を用いて、「肉《サルクス》と血は神の国を継ぐことはない」と言って、この肉体《サルクス》は復活と何の関わりもないことを強調しています(コリント一15:50)。

【注】 ヘレニズム世界において「死者の復活」がどのように理解されたかについては、拙著「パウロによるキリストの福音U」339頁の第六章第八節「補論ー霊魂不滅と死者の復活」を参照してください。


 「死者の復活」の信仰が実際の人生においてどのような姿で現れるのか、実はパウロ自身が自分の生涯の事実をもって示している箇所が、彼のコリント宛の第二書簡にあるのです。それはその書簡の4章1節から5章10節までの箇所です。この箇所にわたしは「復活信仰の具体相」という表題をつけて、やや詳しい講解を書いています(「パウロによるキリストの福音V」88〜112頁)。今回はその箇所の要約をたどりながら、わたしたちの信仰生活、信仰生涯において、「死者の復活」を信じて生きるとはどういう姿になるのかを語ってみたいと思います。


U イスラエルにおける「死者の復活」

 もともとイスラエルの宗教は死後の世界を問題にしませんでした。ユダヤ教の基本的な聖典である「モーセ五書」(創世記から申命記までの五書)は、イスラエルの民がモーセに率いられて奴隷の家エジプトから解放され、約束の地に入ることを主題とした物語りであり、その中でイスラエルの民を解放された神とどのように関わるべきかを定めた諸規定を「律法」として詳しく定めています。砂漠を放浪していた時期には、粗末な天幕で神を礼拝していたイスラエルの民も、約束の地パレスチナに入って定住するようになって、近隣の古代国家と同様の国家を形成し、王権のもとに富を蓄え、壮大な神殿を建て、そこで神を礼拝するようになります。ところが当時勃興してきたアッシリアとかバビロンの強大な帝国に滅ぼされて、神殿は破壊され、民は離散や捕囚の悲運をたどることになります。そのような歴史の中に現れた預言者たち、すなわち、神からの言葉を受けて民に伝えた預言者たちの活躍によって、イスラエルの宗教は変わっていきます。

 バビロン捕囚から帰還した第二神殿時代には、イスラエルの民の宗教も大きく変わっていきます。エルサレムに神殿を再建して、そこでモーセ五書に規定されている祭儀を以前のように執り行うことは変わりませんでしたが、イスラエルの民の生存環境は激変します。イスラエルの民は、しばらくはバビロン捕囚から解放してくれたペルシャ帝国の支配下で暮らしますが、やがて前333年にアレキサンダーがそのペルシャを滅ぼして東地中海地域の全域を支配します。その死後アレキサンダーの帝国は分裂し、パレスチナはセレウコス王朝の支配下に置かれます。こうして時代はギリシアの文化が支配的となるヘレニズム時代に入ります。その滔滔たるギリシア化の流れの中で、イスラエルの宗教もギリシア思想を取り込んで変化していきます。その変化を担った先進的な宗教運動がファリサイ派です。

 セレウコス朝の王の一人がイスラエルの民に、割礼などユダヤ教の儀礼を廃してギリシア風の儀礼と習慣を強要した時(前170年頃)、イスラエル古来の宗教を擁護して戦った「敬虔な人々」《ハシディーム》が分かれて、ファリサイ派とエッセネ派を形成します。エッセネ派は古来のモーセ律法と預言の書の厳格な実行を求めて修道院的な教団を形成しますが、ファリサイ派はギリシア思想の優れた面を取り入れて、古来のイスラエル宗教をより普遍的なものに高めようとします。旧約聖書後期の智恵文学も、そのような努力の産物でしょう。このギリシア宗教や思想との遭遇から、イスラエルという民の救済だけでなく、個人の救済を求めるようになり、霊魂とか死後の世界、死者の復活という信仰が生まれてきます。こうして、イスラエル古来の宗教性に、ギリシア伝来の新しい人間理解を取り入れる作業をしたのが、ファリサイ派のラビたちだったのです。

 愛する兄弟のラザロが死んだのを悲しみ嘆くマルタに、イエスが「あなたの兄弟は復活するのだ」と言われたとき、マルタは「終わりの日の復活の時に復活することは存じております」と答えています(ヨハネ11:23~24)。これはファリサイ派のラビたちの復活の教えが一般のユダヤ教徒によく行き渡っていたことを示しています。サドカイ派として知られる祭司たちは、復活ということはないと主張して、ファリサイ派と対立していました(ルカ20:27)。神殿での祭儀を司る祭司階級のサドカイ派は、モーセ五書の律法には死者の復活は出てこないという理由で、ファリサイ派の復活信仰に反対していました。イエスは地上で教えを説かれたときには、ファリサイ派のラビと同じく、死者の復活を当然の信仰として語り(ルカ14:14)、またそのしるしとして実際に死者を生き返らせておられます(会堂司ヤイロの娘 ルカ8:49〜、ナインの寡婦の息子 ルカ7:11〜、ラザロ ヨハネ11)。サドカイ派の者たちは死者の復活を説かれるイエスに公衆の面前で難問をふっかけます。「ある人が妻をめとり、子がなくて死んだ場合、その弟が兄嫁と結婚して、兄の跡継ぎをもうけなければならない」という律法の規定に従って、ある女が子なしで亡くなった複数の兄弟男性と次々に結婚した場合、復活を認めると一人の女が複数の男の妻となり、律法の基本原理である一夫一婦と矛盾するのだから、死者の復活を認めることはできないという議論です(ルカ20:27〜33)。

 それに対してイエスは答えられます。まず死者の復活を否定するサドカイ派の誤りを、「あなたたちは聖書も神の力も知らないから、そんな思い違いをしているのではないか」と厳しく指摘し(マルコ12:24)、その上で、この世では命をつなぐために「めとったり嫁いだり」するが、来るべき世で復活の命に生きる者たちは、もはや「めとることも嫁ぐこともなく、もはや死ぬこともない」天使に等しい者であり、「復活にあずかる者として神の子である」と断言されます(ルカ20:34~36)。そして出エジプト記三章で燃え尽きない柴の中からモーセに語りかけられた主が、「私はあなたの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」と名乗られた記事を指して、アブラハム、イサク、ヤコブは死んだ者ではなく生きているのだと断定されます。地上の生存のための神信仰で始まったイスラエルの宗教は、イエスに至って死者の復活を現在に生きる信仰にまで進んでいたのです。イエスはご自身の受難と死を予告された時も、その後に復活を語ることができたのです。

【注】イスラエルにおける死者の復活については、拙著「ルカ福音書講解V」49頁の「116復活についての問答」の項を参照してください。


 イエスと同時代のパウロも、ファリサイ派の新進気鋭のラビとして、「死者の復活」を篤く信じる一人でした。その生涯の最後にはユダヤ教を覆す異端者として追求されますが、パウロは逮捕された直後、ユダヤ教の最高法院で取り調べを受け、その席でこう言っています、「兄弟たち、わたしは生まれながらのファリサイ派です。死者(複数形)が復活するという望みを抱いていることで、わたしは裁判にかけられているのです」(使徒23:6)。その結果、最高法院は分裂します。サドカイ派は復活も天使も霊もないと言い、ファリサイ派はそのいずれをも認めていたのです。両派の論争と分裂は激しくなり、議場が混乱したので、兵士たちが力ずくでパウロを連れ出すという騒ぎになります(使徒23:1~10)。このようにイエスとパウロの時代には、ユダヤ教の中にも「死者の復活」を信じる者とそれを否定する者たちが対立していました。福音を信じて形成されたエクレシアにも、死者の復活を否定する者たちがいて、パウロは手紙の長い一章を使って、「死者の復活」を再確認しなければなりませんでした(コリント第一15章)。神から選ばれた民であるイスラエルにおいても、「死者の復活」の信仰がその地歩を得るには2000年もかかったのです。


V パウロの復活信仰

 イエスは十字架上で絶命され、その日のうちに墓に葬られました。翌日の安息日には遺体は墓の遺体安置室に横たわっていました。ところが安息日が終わった翌日、日曜日の早朝、女性たちが遺体に添えるために香料を携えて墓に向かったところ、墓に遺体はなく、墓が空であることを見出します。その女性たちの報告を、ペトロをはじめ弟子たちは信じることができませんでした。ところがその後、復活されたイエスは弟子たちに現れて、ご自分が生きていることをお示しになります。その出来事の報告は福音書によって異なっており、マルコとマタイではガリラヤで、ルカとヨハネではエルサレムで、復活されたイエスは弟子たちに現れたことが報告されております。復活されたイエスに出会う体験は、神の霊の働き、聖霊の働きによるのです。それはどこであっても、またいつでも起こり得ます。聖霊によって復活されたイエスとの出会いを体験した弟子たちは、その事実の証人として、聖霊の力によって大胆にユダヤ人たちに語り始めます、「あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は復活させて、キリスト(救済者)とされた」と(使徒2:36)。

 この復活されたイエスを終わりの日に現れる救済者キリストと信じたユダヤ人たちが、ユダヤ教の儀礼や諸規定をないがしろにするような動きを見せた時、ユダヤ教のもっとも熱心な信奉者であり実行者であるタルソのサウロが、イエスの信者を聖なる宗教ユダヤ教に背く者として探索し逮捕、ユダヤ教会堂の裁判に訴え、刑罰を課すなどの迫害を加えます。そのサウロが、エルサレムだけでなく近隣の都市のイエスの信徒も迫害するためにダマスコに向かっていたときに、復活されたイエスがサウロに現れたのです。この迫害者サウロを熱烈なキリスト・イエスの使徒パウロに変えたこの決定的な「ダマスコ体験」について、後のパウロ自身はあまり多くを語っていません。パウロ自身はその時の体験を神のご計画の出来事として、ごく控えめにこう語っています。「わたしを母の胎内にあるときから選び分け、恵みによって召し出してくださった神が、御心のままに、御子をわたしに啓示して、その福音を異邦人に告げ知らせるようにされた」(ガラテヤ1:15~16) と語るだけですが、パウロの使徒性を問題にした者たちには「わたしは使徒ではないか。わたしたちの主イエスを見たではないか」と叫んでいます(コリント第一 9:1)。これはサウロが復活されたイエスに出会った体験を指しています。

 それに対してルカは、このパウロのダマスコ体験を詳しく報告しています。その出来事そのものを報告する(使徒9:1~22)だけでなく、その伝道生涯の最後にエルサレムで逮捕された時に民衆に行ったパウロの弁明(使徒21:37~22:21)や、ローマに護送される前にアグリッパ王が臨席する裁判における陳述(使徒26章)で、パウロ自身がこの体験を詳しく語ったと報告しています。それによると、サウロがダマスコに向かう途上で、突然天からの光が彼を打ち、彼は地に倒れ伏し、「サウル、サウル、なぜわたしを迫害するのか」という声を聞きます。サウロが「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、彼を打ち倒した光が「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」と告げます。この真昼の日光よりも輝く光に打ち倒されたサウロは、目が見えなくなり、手を引かれてダマスコの街に入り、三日の間、目も見えず食べることもできず、暗闇の中に伏してしまいます。

 主はダマスコ在住の弟子アナニアに語りかけサウロのもとに遣わし、手を置いて祈らされます。するとたちまちサウロは見えるようになり、聖霊に満たされます。その時、サウロはイスラエルの民だけでなく異邦人にもイエスの名を宣べ伝えるために召されていることを知ります(使徒9:10~19)。この時からサウロはイエスの僕(奴隷)となり、パウロという名で、イスラエルの民と異邦の諸国民に、自分が出会ったイエス、復活して現に生きておられるイエスをキリスト、万民の救済者として宣べ伝え始めます。この時からパウロは生涯の終わりに至るまで、あらゆる種類の苦難と迫害の中で、ただ自分が出会った復活のイエスをキリストとして宣べ伝えます。パウロが宣べ伝える神の救済の働きは、復活が土台となり、その上に築かれることになります。

 パウロが告知する福音は、パウロの復活信仰がその土台になっています。パウロが宣べ伝えるキリストは復活者キリストです。その復活者キリストが十字架された姿でわたしたちに現れるのです。それは人間の神への背き、自分の存在の根源からの離反という罪を背負った死です。パウロはコリントの人たちに、「わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていた」と言っています(コリント第一 2:2)。キリストとは復活者です。その復活者キリストが、わたしの神への背きという罪を背負って死んでおられるのです。イエスは十字架の上で「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ(わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか)」(マルコ15:34) と叫ばれたとき、イエスはわたしたち神に叛く人間の死を死んでおられるのです。

 わたしたちがこの十字架されたキリストの現実に直面して、自分の存在の根源である神に立ち帰るとき、神はわたしたちを無条件に赦して受け入れ、わたしたちとの交わりを回復してくださるのです。わたしたちをご自身の子として、神の命、永遠の命に与らせてくださるのです。神は死よりも大いなる方です。神の力は死の力よりも力強くあります。十字架されたキリストに自分を委ねて、そのキリストに合わせられて生きる者は、復活者キリストに顕された死者を復活させる神の力を信じて、パウロと共に叫びます、「わたしは、キリストとその復活の力とを知り、その苦しみにあずかって、その死の姿に合わせられて、何とかして死者の中からの復活に達したいのです」(フィリピ3:10~11)。


W パウロにおける復活の希望

 パウロは復活信仰に生きた生涯をその手紙の中で告白しています。たとえば、最初に申し上げたように、コリントの信徒に宛てた第二の手紙の4章1節から5章10節までの部分は、そのようなパウロの復活信仰に生きる生涯を語っています。わたしはその箇所に「復活信仰の具体相」という題名をつけて、やや詳しく講解しました。今回はその中で復活信仰がもたらす希望の面を語る4章16節から5章10節までを取り上げます。復活信仰に生きたパウロにおいても、死者の復活は将来のことであり、ここ(フィリピ書)で見たように、その人生のすべてをかけた最も重い希望です。

 最初にパウロは、「だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの外なる人は衰えていくとしても、わたしたちの内なる人は日々新たにされていきます」と言います(4:16)。この「だから」と言える理由は、直前に述べた「主イエスを復活させた神が、イエスと共にわたしたちをも復活させ、あなたがたと一緒に御前に立たせてくださると、わたしたちは知っています」という箇所(4:14)を指しています。「主イエスを復活させた神が、イエスと共にわたしたちをも復活させてくださる」ことを知っているので、自分が置かれている状況がどのように困難に見えても、「わたしたちは落胆しない」と言えるのです。この「知っている」は、イエスの十字架と復活を告知する福音を神の言葉であると信じている者の「知っている」です。

 生まれながらのわたしたち「外なる人」は、過ぎ去るものにすぎない「見えるもの」だけを見て生きていますので、永遠に存続する「見えないもの」の領域を知りません。しかし福音を神の言葉として受け入れて、新しく上より生まれた「内なる人」は、永遠に存続する世界を知っていますので、この過ぎ去る世界でどのように患難があっても、それを「一時の軽い患難」とすることができるのです。キリスト者は「死者の復活」という「比べものにならないほど重みのある栄光」があることを知っているので(4:17)、この地上の「見えるもの」の世界でどのような患難があっても、死に直面しても、落胆しないのです。

 わたしたちキリストにある者、キリスト者は「見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます」。わたしたちが「見えないものに目を注ぐ」のは、見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続することを知っているからです(4:18)。「見えないものに目を注ぐ」というのは奇妙な表現です。イエスの復活は歴史の中で実際に起こった出来事です。イエスを葬った墓は空になっていました。歴史はその事実を見ています。しかし「死者の復活」は未来のことです。誰にとっても死は未来のことです。人は死後どうなるのか、自分は死後はどのような姿で存在するのか、誰も知りません。それは「見えないもの」です。しかしキリスト者はその死者の復活という「見えないもの」に目を注ぐのです。すなわち、死者の復活を自分の生涯の目標として、それを目指して生きていくのです。パウロはそのような目標を目指して生きる生涯とか、そのような意識を「目を注ぐ」と言っているのです。

 パウロが珍しく死後の世界のことを語っている箇所が、新約聖書の中にあります。それはコリント宛の第二の手紙の五章(1〜10節)です。わたしたちキリストにある者は、「地上の住みかである幕屋が滅びても、神によって建物が備えられていることを知っています」(5:1)。パウロはこの地上の体を幕屋(天幕、テント)にたとえています。この地上の生においては、わたしたち自身はやがては必ず死滅する定めのこの身体の中で生きています。「外なる人」は見えるものだけに目を注いできました。この見える身体が死んで無くなってしまうと、その向こうに何も見えていないので、死を怖れます。しかし、わたしたちキリストにあって生きている「内なる人」は、「見えないもの」に目を注ぎ、福音という見えない世界のことを語る神の言葉を信じて生きてきました。それでわたしたちは、「わたしたちの地上の住みかである幕屋が滅びても(すなわち身体が死滅しても)、神によって建物が備えられていることを、わたしたちは知っています」と言うことができるのです。この「建物」はやがて折りたたまれる臨時のテントではなく、永続する煉瓦とかコンクリートの建造物です。「人の手で造られたものではない天にある永遠の住みか」です。

 天とは見えない世界です。神は天におられます。神は見えません。しかし、現実にこの見える世界で働いておられます。わたしたちはその働きを体験して知りましたから、神がいますことを知っています。その神が天に「永遠の住みか」を造って、わたしたちに用意していてくださるのです。わたしたちの地上の身体はやがて無くなります。そのことが、やがては折りたたまれて住まいではなくなる幕屋(テント)にたとえられています。それに対して、神が天に用意してくださる住まいは、無くなることのない永遠の住まいです。これはもはや人の手が造り出すことができないものです。現代の人類は、「ホモ・デウス」を目指して、その富と技術をもって死滅しない身体を作り出そうとしていますが、それはできません。地上に生きるわたしたちは、「天から与えられる住みかを上に着たいと切に願って、この地上の幕屋にあって苦しみもだえている」のです(5:2)。

 ここでパウロは「住まいを着る」と言って、住まいの比喩と着衣の比喩が重なってきます。わたしたちの命はそれを表現する体を必要とします。そのことをわたしたちが纏う衣類にたとえて、この滅びに定められた体を脱ぎ捨てて、もはや滅びることのない体を纏って生きたいと「切に願って」いるのです。この地上ではその切なる願いは叶わないのですから、わたしたちは「苦しみもだえる」ことになるのです。と言っても、わたしたちは地上の身体を早くを脱ぎ捨てたいと願うのではありません。早く死にたいと願っているのではありません。そうではなく、「天から与えられる住みかを上に着たい」と切に願っているのです。パウロは自分が生きている間にキリストの来臨《パルーシア》があると信じていたので、このような表現をしたのでしょう。「住みかを着る」というのは奇妙な表現ですが、「その中で生きたい」という切なる願いを表現するのに、住まいの比喩と着衣の比喩が重なってきているのです。

 この着衣の比喩から、「それを脱いでも、わたしたちは裸のままではおりません」という表現が出てきます(5:3)。わたしたちのこの体が死滅して無くなるとき、わたしたちの死後の存在は自分を表現する体のない姿、纏う着衣のない「裸」の姿になってしまうのではないかと心配する必要はない、とパウロは断言します。この死に定められた体をもって生きるわたしたちは、自分の死後の存在を望み信じながら、その保証がない矛盾に苦しみ、この解決できない謎と不安という重荷を負って呻いています。パウロの場合はこの人生の謎だけでなく、神から与えられた福音の証言活動に伴う迫害などの患難という重荷を負って呻いています(5:4)。だからと言ってパウロは、早くこの重荷から解放されるために、この地上の幕屋を脱ぎ捨てたい、すなわち早く死にたいと願っているのではありません。パウロは「天から与えられる住かを上に着たい」と願っているのです。自分に永遠の住みかが与えられて、神が備えてくださった、もやは朽ちることのない住みかを自分の身に纏い、この死に定められたものが命に飲み込まれる現実を見たいのだと、パウロは切に願っているのです(5:4)。


X 保証としての聖霊 ー 死生を相対化する力

 わたしはこの箇所(5:1~4)に語られているパウロの願いに深く共感します。この箇所で珍しく、パウロは「見えないもの」である死後の世界について語っています。わたしたち人間には死後のことは分かりません。パウロも死後の世界を見て体験したから語っているのではなく、聖霊によって現在復活の命に生きているから、その命の質から「見えないもの」を比喩で語り出さないでおれなかったのでしょう。ここでパウロが語っている住まいと着衣の比喩に、わたしは深く共感します。この共感は、パウロが生きている命の質にわたしたちが深く共感するところからくるのだと思います。その共感の源をパウロは5節でこのように語っています。「わたしたちを、このようになるのにふさわしい者としてくださったのは、神です。神は、その保証として御霊を与えてくださったのです」(5:5)。

 生まれながらの人間は、「このようになるのにふさわしい者」ではありません。あまりにも長く「見えるもの」だけに目を注いで生きてきたために、「見えないもの」を知覚する感覚を失ってしまっているのでしょうか。「体を住みかとしているかぎり、主から離れていることも知っています」と自覚せざるをえません。このような人間に神は救済者キリストを送り、十字架されて復活したキリストを告知する福音を信じる者に聖霊を与えて、「見えないものに目を注ぐ」生き方、すなわち信仰による生き方を与えてくださったのです。わたしたちは「目に見えるものによらず、信仰によって歩んでいるから」心強いのです(5:6〜7)。

 このようにわたしたちキリストにある者は、「目に見えるものによらず、信仰によって歩んでいる」ので心強いのです。わたしたちは「体を住みかとしているかぎり、主から離れていることも知っている」のですから、「体を離れて、主のもとに住むことをむしろ望んでいます」ということになります(5:8)。キリストに属する者は、体を住みかとしていても、体を離れているにしても、「ひたすら主に喜ばれる者でありたい」ということを自分の存在の至高の価値とします。その生涯の願いは「ひたすら主に喜ばれる者でありたい」となります(5:9)。この唯一至高の願いの前では、「生きるもよし、死ぬるも益なり」という形で生と死が相対化されます。わたしたち人間にとって、キリストによって示された神の愛に応える生き方が、生と死よりも絶対的な価値であり、その存在の意義となるからです。そのことをパウロは、ユダヤ教徒らしく「裁き」という語で表現して、「わたしたちは皆、キリストの裁きの座の前に立ち、善であれ悪であれ、めいめい体を住みかとしていたときに行ったことに応じて、報いを受けねばならないからです」と言っています(5:10)。

 神は世界をキリストによって裁かれます。世界を創造し、キリストの十字架と復活で世界を救う働きを成し遂げられた神は、そのキリストを判断の基準として世界を裁かれます。各人は「善であれ悪であれ、めいめい体を住みかとしていたときに行ったことに応じて、報いを受ける」ことになるのです。わたしたちはその時に「キリストにあって」喜ぶことができるように、その生涯を送ることを願います。

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