87 曙を呼び覚まそう
目覚めよ、わたしの誉れよ。目覚めよ、竪琴よ、琴よ。
わたしは曙(あけぼの)を呼び覚まそう。
(詩編 五七編 九節)
これは詩編五七編の中の一節です。この詩編には、「ダビデがサウルを逃れて洞窟にいたとき」という前書きがついています。暗い洞窟の他に逃れるところがない者が、ただ神の憐れみだけにすがって助けを呼び求めている詩編です。彼は、主が「翼を広げた鳥のように」エルサレムを守り、助け、かばって救われると言った預言者(イザヤ三一・五)の言葉を思い起こしているのでしょうか、「あなたの翼の陰を避けどころとします」と叫んでいます。この詩編は、「御翼の陰に」という標題がふさわしいでしょう。
この詩編には、「わたしの魂は伏しています」とか「わたしの魂は屈み込んでいました」という、苦しみに押さえつけられた魂の呻きが繰り返されています。光が差さない洞窟の暗闇の中に閉じこめられているような、漆黒の夜に伏しているような状況に置かれている魂が、「わたしのために何事も成し遂げてくださる神」に助けを呼び求めています。彼が神に送ってくださるように求めているのは、援軍とか資金ではなく、御自身の「慈しみとまこと」です。倒れ伏している魂を立ち上がらせるのは、神の慈愛と信実です。
魂が神の慈愛と信実を少しでも理解したり感じたりするとき、魂は自分を支える確かな土台を実感します。神の慈愛は、恩恵として自分がどのように資格のない者であっても受け入れてくださっていることを確かにします。神の信実は、聞いてきた神の約束の言葉がすでに成っているのと同じ確かな現実として、魂を岩より堅い土台に置きます。この神の慈愛と信実に自分を委ねるとき、自分の内面の状態も含めて、状況がどうであろうと「心は定まりました」(協会訳)と言うことができます。
この確かな心が、夜の暗闇の中に伏す魂に曙を呼び覚まします。曙とか黎明は、夜が一番更けたとき、まだ昇っていない太陽の光を受けて、漆黒の空に射す明るさです。まだ太陽が昇りきった朝ではありません。しかし、夜の暗闇の中に伏す魂は、すでに昇り出る日の光を見ています。その光を見て、心は自分の奥底の魂に呼びかけます、「目覚めよ、わが魂よ(英訳)。目覚めて賛美を歌え。その賛美の歌で、この暗闇の世界に曙を呼び覚まそうではないか」と。
(天旅 二〇一〇年1号)