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69 十字架の言葉

 十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。

(コリントT 一章一八節)


 キリスト信仰は十字架信仰です。「十字架された姿の復活者キリスト」の信仰です。使徒パウロは、「十字架されたままのキリスト」以外何も知るまいと心に決め、そのキリストを福音として宣べ伝えました。この十字架は、「キリストがわたしたちの罪のために死なれた」出来事ですが、このわたしのために十字架されたキリストに合わせられることによってわたしが死に、キリストを復活させた神の命、復活の命に生きることがわたしの救いです。
 わたしたちの信仰がこのような十字架信仰ですから、この信仰を指し示す象徴として、本来凄惨なローマの処刑具である十字架が教会堂の上に掲げられ、信徒の胸にその形のペンダントが下がることになります。ところで、十字架は縦木と横木が組み合わされて「十」の字の形をしていますので、古来その形が何を象徴するのか、多くの象徴解釈を生み出してきました。
 わたしも十字架信仰に生きる者の一人として、十字の形を見る度に、その形が指し示す霊的現実に思いをひそめてきました。今のわたしには、その形は「罪が増したところには、恵みはなおいっそう満ちあふれた」(ローマ五・二〇)という恩恵の場を指し示す象徴です。
 「十」の字の横線は罪を象徴しています。その横線は上にいます神と下にいるわたしたち人間を隔てる境界線です。それを乗り越えて下から上に行くことができない高い壁です。その横線は左右に限りなく延びていて、神とわたしたちを隔てています。わたしたちは自分を支配している罪の支配力を打ち破って神の栄光に達することはできません。
 ところが、一本の縦線がその横線を貫いています。それは神の恩恵を象徴する縦線です。その縦線は至高の天から発して地のどん底にまで達しています。人間の罪を突き抜けて、神の栄光を下の世界の隅々までもたらしています。横線がどのように太くなっても、縦線もますます太く強くなって横線を貫きます。この神の絶対恩恵が支配する場、恩恵の場は十字の形をしています。この縦線が横線と交差するところにキリストの十字架があります。十字架の言葉は恩恵の言葉であり、わたしたちを救う神の力です。

                              (天旅 二〇〇六年6号)