市川喜一著作集 > 第22巻 続・聖書百話 > 第67講

67 愛の崩壊と再建

 愛はすべてを包み、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを担う。

(コリントT 一三章七節 私訳)


 最近のニュースでもっとも心が痛むのは、子が親を殺したり、親が幼児のわが子を殺したという事件が相次ぐことです。事件は極端な場合ですが、その相次ぐ発生は親子の間の愛情という人間の最も基本的な愛の関係が、この国で広く崩壊していることを指し示すしるしです。それは人間のもっとも自然な情愛の崩壊ですから、人間性そのものの崩壊を意味することになります。幼い子供に対する犯罪事件の多発も同じです。
 このような人間性自体の崩壊は、この国の長年の歩みに原因があるのですから、一朝一夕に改善できるものではありません。人間性自体の崩壊には、制度や教育の改革では対処できません。人間の霊性そのものの変革が必要です。そして霊性を涵養するのは宗教ですから、この国の霊性を再建するためには、霊性を変革する真実の力がある宗教が求められます。外から道徳的行為を要求するだけの律法宗教ではなく、また、外に現れる霊的現象を追い求めるオカルト宗教でもなく、内から人間の霊性を変革する真の霊的宗教が求められます。
 ここでわたしたちは改めてキリストにおいて賜っている神の愛を思い起こします。それは、美しくても脆くて壊れやすい人間の情愛とは違い、どのような状況においても壊れることのない確固とした愛です。それは、わたしたちが敵であったときにわたしたちを愛し、わたしたちがどのような状態であっても無条件に受け入れ、わたしたちを生かすために御自身の命を献げてくださった愛です。このような神の愛を受けて、わたしたちは人間として存在し生きることの喜びを体験しました。
 この愛の姿をパウロは、「愛はすべてを包み、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを担う」と描きました。ここの「すべて」は万人という意味ではなく、いかなる相手、いかなる状況においてもという意味ですから、わたしはこの聖句を「愛は海のように包み、太陽のように信じ、星のように望み、大地のよう担う」と訳して愛唱しています。大きなことはできなくても、この愛をもって一人ひとりに接することが、そしてそれだけが、長い目で見たとき、崩壊した人間の愛を包み込み、人間性の回復を望み、将来の社会を担う力になると信じています。

                              (天旅 二〇〇六年4号)