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38 神の力としての福音

 福音は、ユダヤ人をはじめギリシア人にも、すべて信じる者を救いに至らせる神の力です。

(ローマ書 一章一六節 私訳)


 この使徒パウロの言葉は、福音とは何かという問いに対する最も重要な答えです。この言葉についてはこれまでに幾度も語ってきました。今回はそれが神の力であるという点に焦点をあてて取り上げてみます。
 福音はキリストの出来事を世界に告知する言葉です。しかし、それはキリストとしてのイエスの出来事、その言葉や働き、十字架の死などの出来事を報告する言葉、なにかについて伝える単なる情報の言葉ではありません。そのような情報を伝えることは歴史家のすることです。福音は、キリスト復活の証人が、復活されたイエスをキリストとして、そして十字架・復活のキリストの出来事において神が人間の救いのために成し遂げられた働きを世界に告知する言葉です。その神の働きを、パウロはここで「神の力」と呼んでいます。
 なんらかの力が働くとき、変化が生じます。物理的な力が物体に働くとき、物体の位置とか速度が変わります。熱などのエネルギーも力として物質の形状を変えます。人間の世界では、愛情や憎悪、尊敬や侮蔑などが、それを受ける人に働きかけて、その人を変えていきます。相手の人格に対するそのような働きかけは言葉によってなされますので、魂に語りかける言葉は人間を変える力となります。道元は「愛語、回天の力あるを学すべきなり」と言って、愛の言葉が人間を変え、人間を変えることによって世界を変えるような力があることを習得すべきことを説きました。
 福音は人間に対する神の愛語、愛の言葉です。それは情報の言葉ではなく、人格から人格に語りかける愛の言葉です。その言葉は、それを聴く者を変えます。その変化の全体が救いと呼ばれます。この神の愛語を全存在をもって聴くことが信仰ですから、「福音はすべて信じる者を救いに至らせる神の力である」と言われるのです。
 福音は神の存在を証明したり、神の本質や性質について議論はしません。福音は、復活者キリストの証人によって神の働きを告知します。終わりの日に成し遂げられた神の救いの働きを世界に告知します。わたしたちはその働き受け、その働きの主語として神に出会うのです。人間は神を見ること、理解することはできません。神の働きを身に受けて、その働きの主体としての神に感謝し賛美することができるだけです。