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第二節 永遠の命の告知 ― ヨハネ福音書

       ( 本章で書名のない引用箇所はヨハネ福音書の章節です。)

はじめに

 前節において、ヨハネ福音書を生み出した共同体(ヨハネ共同体)の歩みを概観しました。そこで見たように、イエスの働きを直接目撃した長老の証言と、その証言に基づいて形成された信仰共同体において体験された復活者イエスとの交わりを証しする文書として、ヨハネ福音書が成立します。本節においてこうして成立したヨハネ福音書の内容を見ることになりますが、その豊かな霊的内容と議論を呼ぶ諸問題の詳細については、すでに刊行したヨハネ福音書の講解に委ね、ここでは福音の展開の歴史においてこの福音書がもつ意義と位置に焦点を合わせ、その視点からその内容と特色をまとめることになります。

本稿におけるヨハネ福音書からの引用は私訳を用います。ヨハネ福音書以外の引用は原則として新共同訳からです。
 ヨハネ福音書に関する議論、およびその個々の内容について詳しくは、拙著『対話編・永遠の命 ― ヨハネ福音書講解』(TとU)を参照してください。

T ヨハネ福音書のキリスト告知

地上のイエスと復活者イエスの重なり

 前章「福音告知におけるイエス伝承」で見たように、マルコ福音書とマタイ福音書はパレスチナ・シリア地方に伝えられていたイエス伝承を素材にして復活者イエス・キリストの福音を告知し、共同体にイエスの教えを伝えていました。そのさい用いられた伝承は、おもに「十二人」の弟子団から出た伝承でした。彼らはイエスがガリラヤで活動されたとき、イエスによって選ばれて弟子となったガリラヤ人でした。この「十二人」の代表はペトロですから、この「十二人」から発する伝承はペトロ系伝承と呼んでよいでしょう。
 それに対してヨハネ福音書は、前節で見たように、その「十二人」とは別の「もう一人の弟子」の証言によって生み出された福音書です。この「もう一人の弟子」はガリラヤ人ではなく、エルサレムの祭司階級出身の人物と考えられ、イエスがエルサレムに来られたとき、まだ少年のような年代ながら、弟子としてつき従ってイエスの活動を目撃しています。その若さのゆえでしょうか、この弟子はいつもイエスの身近にいて、「イエスが愛された弟子」とされています。
 この 「もう一人の弟子」は、ヨハネ福音書ではいつもペトロと一組で登場し、ペトロと対比して描かれています。その描き方は、この「もう一人の弟子」の証言がペトロ系伝承に勝るとも劣らない確かなものであることを印象づけようとしています。この弟子はエルサレムの住民ですから、イエスのエルサレムでの働きの記事が詳しくて多くなるのは自然です。これは、ペトロ系伝承がもっぱらガリラヤでのイエスの働きについて伝えるのと対照的です。ガリラヤでのイエスの働きについては、「もう一人の弟子」は伝承を用いることが多くなります。
 ペトロ系伝承を用いてキリストの福音を告知するマルコ・マタイ福音書と、「もう一人の弟子」の証言に基づいてキリストを証言するヨハネ福音書では、地上のイエスの働きの報告の仕方が違うだけでなく(その違いについては前節の「Wヨハネ福音書の成立」の中の「イエスの活動の証言として」の項を参照してください)、そのキリスト告知の仕方が大きく違う点が重要です。イエス伝承を用いて地上のイエスの働きや言葉を伝える中で、復活されたイエスをキリストとして告知するには、地上のイエスと復活されたイエスの姿が重なるのは必然です。しかし、この重なり方が、マルコ・マタイ福音書とヨハネ福音書では大きく違っているのです。
 マルコ・マタイ福音書では、自分たちが告知している復活者イエス・キリストは、地上ではナザレのイエスとしてこのように語り、このように働かれたのだとして、地上のイエスの姿を伝承を用いて伝えています。そのさい、ガリラヤ湖畔での顕現や湖上での顕現など、復活者キリストの顕現の出来事が地上のイエスの姿に重なって語られる場合も例外的にありますが、原則として両福音書はあくまで地上の一人の人ナザレのイエスの言動を伝えようとしています。このイエスが復活してキリストとして立てられたのだという使信です。
 それに対してヨハネ福音書は、地上のイエスの働きと言葉を証言するとして、地上のイエスの働きを順を追って語っていますが、そのイエスの姿がいつのまにか復活されたイエスの姿に移行して、どこまでが地上のイエスが語られた言葉を伝えているのか、どこから復活者イエスが語られ、共同体が御霊の交わりにおいて聴いた言葉なのか、区別がつけられないような仕方で重なっています。この「福音書の二重性」における違いが、マルコ・マタイ福音書とヨハネ福音書の性格を違ったものにしています。
 このヨハネ福音書独自の重なり方から生じる重大な結果を一つあげておきます。マルコ・マタイ福音書におけるイエスはあくまで一人の人間です。神の霊によって不思議な力を現しておられますが、ペトロたちと同じその時代の一人のユダヤ人として描かれています。それに対して、ヨハネ福音書は地上のイエスの働きを証言しながら、そのイエスがいつのまにか復活者イエスに移行しているので、地上の人間イエスに神としての様相が出てくることになります。復活者イエスは、序詩が宣言しているように、「はじめに神と共にいまし、神であった」方ですから、地上のイエスを描きながら、そのイエスに神としての復活者イエスの姿が重なることになります。ヨハネ福音書のイエスは「地上を歩む神」(ケーゼマン)の姿をとることになります。地上のイエスは、まさに「はじめに神と共にいまし、神であった」方が「肉と成って、わたしたちの間に幕屋を張った」(一・一四)出来事です。福音書の冒頭で序詩(一・一〜一八)がこの出来事を高らかに宣言します。
 福音書の本体部分では、繰り返しイエスが「神から来られた」方であることが強調されています。「神からの方」とか「天からの方」、あるいは「神に属する方」とか「天に属する方」という呼び方で、イエスが神的な存在であることが繰り返し告知されています。

ロゴス・キリスト論への道のり

 イエス・キリストは神か人か、神であって人でないのか、人であって神でないのか、両方であるならば(本来相容れない)神性と人性はイエス・キリストにおいてどのような形あるいは意味で共存しているのか、これはキリスト教神学の根本問題として激しく議論されてきました。創造者なる神と被造者である人間はその本質が決定的に異なり、いかなる人間も人間である以上神ではありえないとするユダヤ教の立場からは、イエス・キリストを神とすることは絶対に認められません。これが、ユダヤ教側がイエス・キリストを神の子の受肉とし神的な方として言い表すヨハネ共同体に激しく反発する根本的な理由です。
 ヨハネ共同体がこのようにイエス・キリストを「はじめに神と共にいまし、神であった」方が人間の姿で現れた方である(これは神学用語では「受肉」と呼ばれます)と言い表すようになるまでの経緯を振り返ってみましょう。最初期共同体の告知は、十字架につけられて殺されたナザレのイエスを神は復活させてキリストまた主《キュリオス》としてお立てになったという告知でした。復活して天に昇り神の右に座したキリストは、永遠なる神と共にいます方、神的な方と成られました。この方を最初期共同体は「神の子」と呼び、イエスの十字架・復活の出来事を次のように言い表しました。

 御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、聖なる御霊によれば死者たちの復活によって大能の座にある神の子と公示された方、すなわち、わたしたちの主(キュリオス)であるイエス・キリストです。(ローマ一・三〜四私訳)

 ナザレのイエスはダビデの家系から生まれた一人のユダヤ人です。その一人の人間を神はその霊の働きによって死者の中から復活させて「大能の座にある神の子」とされました。「大能の座にある神の子」とは、神と等しい地位にあり、神と命と本質と権威を同じくする者という意味ですから、復活者キリストは「はじめに神と共にいまし、神であった」方ということになります。このように神と等しい神の子という称号は、復活者キリストについて語られる称号であり、神としての栄光と権能は復活者キリストに対して言い表される賛美であり告白です。
 したがって、イエス・キリストという名は、一人のユダヤ人であるナザレのイエスが復活によってキリストとされたということを告白する名です。イエス・キリストの名を信じるとは、まさにこの出来事を受け入れて、イエスをキリストと言い表すことに他なりません。この場合のキリストは個人名ではなく、復活者の称号です。イエスがキリストです。
 イエスが永遠に神と共にいますキリストと成られたのであれば、そのイエスは永遠に神と共にいますキリストが人間の姿をとって地上に現れた方となります。このように、イエスの復活を信じる信仰は、かなり早い時期にすでに、イエスは永遠に神と共にいますキリストが地上に降ってこられた姿であるという理解を生み出していました。それは次のように言い表されています。

 キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。
 このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、父である神をたたえるのです。(フィリピ二・六〜一一)

 このキリスト賛歌はパウロがその書簡で引用しているのですから、四〇年代には成立していたことになります。パウロ自身も、イエスの出現を神が永遠に共にいます御子を世界に遣わされた出来事としています(ガラテヤ四・四)。パウロにおいてすでに、復活者キリストは永遠に神と共にいます御子であるとの信仰が確立していたことがうかがわれます。ところが、聖書の救済史的背景のない異邦人の共同体では、「キリスト」が終末的な救済者の称号であるという理解が薄れ、「イエス・キリスト」という呼称が一人の人の呼び名となっていったので、一人の人であるイエスが同時に「神の身分であり、神と等しい者」であるという困難な問題をキリスト教神学にもたらすことになります。
 復活されたイエスはキリストとして永遠に神と共にいます御子であるという信仰は、パウロ以後のパウロ名書簡に受け継がれ、ギリシアの思想のコスモロジー(宇宙論)によって拡大深化されて、コロサイ書(一・一五〜二〇)の壮大な宇宙論的キリスト賛歌を生み出します。

 この方は見えない神の像、
 すべての造られたものに先だって生まれた方。
万物はこの方において造られた、
  天にあるものも地にあるものも、
  見えるものも見えないものも、
  王座も主権も、支配も権勢も。
 万物はこの方により、この方へと造られた。
そして、この方は万物に先だっていまし、
  万物はこの方の中で存立している。(一五〜一七節)

 パウロが引用しているフィリピ書のキリスト賛歌はキリストの十字架・復活の出来事をもっぱら救済史上の出来事として賛美していましたが、コロサイ書はキリストを宇宙《コスモス》存立の根源であり、天と地を仲介して《コスモス》の完成をもたらす救済者として賛美しています。エフェソ書もそのキリスト賛歌を継承し、その宇宙論的キリストがキリストの民《エクレーシア》を満たし完成されることを中心思想としています。
 ヨハネ共同体は、(後で見るように)パレスチナ・ユダヤ教の伝統を強く残しながら、活動の場であるヘレニズム世界の代表的都市(エフェソ)という環境において、そこで成立していたコロサイ・エフェソ書のヘレニズム的なキリスト理解や救済理解を共有しています。ヨハネ共同体が同じエフェソ近辺に展開していたパウロ系諸集会とどのような関わり方をしていたのかは分かりませんが、そのキリスト理解は序詩(一・一六)の「恩恵」や「充満」という語の用い方からも、パウロとパウロ以後のパウロ名書簡と同一線上にあったことがうかがわれます。

「恩恵」《カリス》は福音書本体には出てきませんが、序詩に4回用いられています。「充満」《プレーローマ》の用例については、コロサイ一・一九、二・九、エフェソ一・一〇、一・二三、三・一九、四・一三を参照してください。

 ヨハネはこの宇宙論的キリストを「ロゴス」(言葉)と呼びます(一・一)。ヨハネがここで用いているギリシア語《ロゴス》は、もともと「言葉」を意味するギリシア語ですが、ギリシア哲学では(とくにストア学派で)すでに古くから《コスモス》(全存在)の根底にある理法を意味する重要な語になっていました。そして、ギリシア文化が地中海世界に拡大してヘレニズム世界を形成した時、その中でユダヤ教徒も自分たちの宗教と思想をギリシア語で表現するようになります。そのさい、イスラエルの宗教的伝統の中で核心的な位置を占める神の「ことば」《ダーバール》がこの《ロゴス》というギリシア語で訳されたのです。「神は、光あれと言われた。すると光があった」という創造の「ことば」は、造られた世界よりも先にありました。世界はこの「ことば」によって成り、保たれています。この信仰の消息を、ギリシア思想との遭遇の中で形成されたイスラエルの知恵思想は、それを「知恵」《ソフィア》の働きとして表現するようになります(箴言八章、知恵の書、シラ書二四章、バルク書)。そこでは、「知恵」は創造の「ことば」とほとんど同じ資格で登場します。「知恵」は、世界が造られる前に神から生まれ、神と共に働いて世界を創造し、世界を保持し支配します。しかも、「知恵」は「わたし」と称して、ほとんど人格的主体として人間に語りかけます。しかし、ヘレニズム期のユダヤ人聖書解釈者や思想家(たとえばアレクサンドリアのフィロン)は、自分たちの信仰と知恵をギリシア語で語るとき、《ロゴス》の方を多く用いるようになります。ヨハネもこの流れの中で、全存在の根源であるキリストを言(ロゴス)と呼んでうたいあげます。

 はじめに言(ロゴス)が在(いま)し、言(ロゴス)は神と共に在(いま)し、言(ロゴス)は神であった。
 この方は、はじめに神と共に在(いま)し、すべてのことは彼によって成り、彼によらずに成ったものは何一つなかった。
(一・一〜三)

ヨハネ福音書の序詩(一・一〜一八)は、もともと洗礼者ヨハネに関する部分はなく、最初に万物に先立って存在するロゴスを賛美した後(一〜四節)、そのロゴスが本来自分に属する民であるイスラエルに来たのに拒否されたことを語り(九〜一一節)、最後にロゴスが「肉となって、わたしたちの間に幕屋を張り」信じる者がその方から恩恵と真理を授けられたことを賛美する(一四、一六、一七節)という三部構成を取っていたと見られます。
ところで、序詩で中心的な位置を占める《ロゴス》という用語は、本体部では一度も現れず、その思想が展開されることもありません。また序詩に繰り返し現れる「恩恵」という用語や「恩恵と真理」という組み合わせ、また「充満」という用語は、コロサイ書やエフェソ書などのパウロ系文書に頻出しますが、ヨハネ福音書の本体部には出てきません。このような事実は、元の形の序詩は、パウロ系の共同体で用いられていたキリスト賛歌をヨハネ共同体が継承して用いていたのではないかという推察を促します。エフェソを中心とする小アジアに展開していたパウロ系諸集会と、同じくエフェソを中心に活動したヨハネ共同体がどのような関わり方をしたのかは、資料が乏しくて確実なことは分かりませんが、地理的な事情からして、なんらかの関わりとか重なりがあったと推察されます。この序詩はその重なりを示唆する資料となります。キリストを《ロゴス》と呼ぶことはヨハネの思想の特色とされていますが、それはヘレニズム世界に進展するパウロ系の共同体で始まっていた可能性があります。

《ロゴス》の受肉

 このように「はじめに神と共にいまし、神であった」《ロゴス》が人間となってわたしたちの中に現れた出来事を、序詩は次のようにうたいます。

 そして、言(ロゴス)は肉と成って、わたしたちの間に幕屋を張った。
 わたしたちは彼の栄光を見た。父からのひとり子としての栄光であって、恩恵と真理に満ちていた。(一・一四)

 そして、序詩の終わりの方でその方の名を「イエス・キリスト」と呼んで(一・一七)、この方こそ「はじめに神と共にいまし、神であった」《ロゴス》が人となって世界に現れた出来事であることを宣言します。序詩でこのように宣言した上で、以下の本文において、「わたしたちの間に」現れたこの方がどのように歩まれ、どのように語られたかを、それを見た者、聴いた者として証言します。それがヨハネ福音書の本体部分を形成します。
 ヨハネが証言するイエスは、このように神がいます天から人の姿をとってこの世に来られた方ですから、ヨハネがイエスについて語るときには「天から降ってきた者」(三・一三)とか「上から来られる方」、「天から来られる方」(三・三一)と表現し、イエスがご自分のことを語られるときには、「わたしが天から降って来たのは・・・・」(六・三八)とか、「わたしは天から降ってきたパンである」(六・四一、五一、五八)と言われます。また、天から来た者であることを「父から世に遣わされたわたし」(一〇・三六)とも表現されます。こうして地上のイエスは、天において父のもとで見られたこと、聞かれたことを世の人々に伝える方となります(五・三〇、八・三八、一五・一五)。
 ところで、《ロゴス》は「はじめに神と共にいまし、神であった」方ですから、その受肉体であるイエスは神としての本質を示す方となります。イエスの働きを見、イエスの教えの言葉を聞いたヨハネは、「わたしたちは彼の栄光を見た。父からのひとり子としての栄光であって、恩恵と真理に満ちていた」(一・一四)と語ります。そしてさらに、「いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである」(一・一八)と語るにいたります。

ヨハネ福音書の構成

 こうしてヨハネ福音書のイエスは、神としての《ロゴス》の受肉態として「地上を歩く神」の様相を示すことになります。その結果、イエスが死んで復活し、この世を去られる十字架・復活の出来事は、天から来られた神の独り子イエスが元の居場所、すなわち父がいます天に帰られこととして描かれるようになります。ヨハネ福音書はイエスの十字架・復活の出来事を、天から来られたイエスが再び天に帰られる出来事として詳しく描くことになります。
 本来のヨハネ福音書は序詩(一・一〜一八)で始まり、結びの言葉(二〇・三〇〜三一)で完結しています。この本体部分が完成した後、二一章が補遺として加えられた事情については先に見たとおりです。序詩と結びによって囲まれた本体部分は二つの大きな部分に分けることができます。すなわち、天から来られた神の独り子であるイエスが地上でなされた働きを描く第一部(一〜一二章)と、そのイエスが元の居場所である天に帰られる出来事として描かれる十字架・復活を語る第二部(一三〜二〇章)です。
 ヨハネ福音書は、共観福音書とは異なり、イエスの十字架・復活の出来事を、イエスが「上げられる」こととして描いています。この「上げられる」は、イエスが十字架につけられて地から上げられることと、復活によって高く上げられ神の右に座すにいたることの両方を指しています。復活によって高く上げられことについて「上げられる」という表現が用いられるのは、フィリピ書(二・九)に引用されているキリスト賛歌に見られるように、最初期共同体の一般的な用法ですが、十字架につけられて地から上げられることについて用いられるのはヨハネ福音書の特異な用法です。それは、ユダヤ人に対して「あなたたちは人の子を上げたときに初めて・・」(八・二八)と語られた場合や、ニコデモに「モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない」(三・一四)と語られた場合に用いられています。また、「わたしが地から上げられるならば、すべての人をわたしのもとに引き寄せるであろう」(一二・三二)という言葉に、「イエスは、自分がどのような死を遂げようとしているかを、しるしとして示そうとしてこう言われたのである」(一二・三三)という説明が添えられて、高いところから突き落とされて石を投げられるユダヤ教の処刑法である石打ではなく、十字架につけられて地から引き上げられるローマ式の処刑であることを予告された言葉とされています。
 イエスはこのことが起こる時、すなわちご自分が「上げられる」時を、ご自身にとって決定的な時とされ、「わたしの時」と呼んでその時が来ることを予告され(二・四、七・六〜八)、またその出来事が迫ったときには「わたしはこの時のために来たのだ」と言われました(一二・二七)。「この時」は、「父よ、わたしをこの時から救ってください」(一二・二七)と祈らざるをえない苦悩の時ですが、同時にそれを通して「人の子が栄光を受ける時」(一二・二三)でもあります(「人の子」については後述)。十字架の苦しみと復活の栄光が起こる「この時」こそ、イエスが世に来られた目的が全うされる時です。ヨハネ福音書は「この時」を構成原理として、その時に至るまでのイエスの地上の働きを伝える第一部(一〜一二章)と、「この時」の出来事を描く第二部(一三〜二〇章)で構成されることになります。このような原理で構成されるため、マルコに従う共観福音書に見られるガリラヤ、旅、エルサレムという地理的な三部構成は見られません。

「神の子」イエス ― 洗礼者ヨハネの証言

 以上に見たように、ヨハネ福音書では地上のイエスの働きを語りながら、そのイエスに復活者イエスの姿が重なっていますので、イエスが神から来られた方、神的な方として言い表されることになります。このような神としての質をもって現れる人を、ヨハネ福音書は「神の子」と呼びます。「子」は出自(神から出た人)と命の同質性(神と同じ命に生きる人)を指します。そして、このイエスだけがそのような意味での神の子であるとして「ひとり子」という呼び方も用います(一・一四、一・一八、三・一六、三・一八)。
 最初に洗礼者ヨハネがイエスを神の子であると証言します。彼は「わたしは見たので、この方こそ神の子であると証ししたのである」と言っています。「わたしは見た」というのは、「御霊が降って、イエスの上に留まるのを見た」ことを指しています(一・三三〜三四)。ヨハネは神から遣わされて悔い改めのバプテスマを宣べ伝えていました。イエスはヨハネのバプテスマが神からのものであることを認めて、彼からバプテスマを受け、彼と共にバプテスマを授ける活動をしておられました(三・二二)。イエスがヨハネと一緒におられた期間中に、イエスは一人荒野に退き、祈りに没入される中で、聖霊がご自分に降り、聖霊に満たされる体験をされます。マルコ(一・九〜一一)はこのイエスの体験を「天が裂けて、御霊が鳩のように降った」と劇的に描き、天からの声が「あなたはわたしの愛する子」と宣言したとしています。ヨハネ福音書はイエスの体験そのものは描くことなく、聖霊をお受けになったイエスがヨハネの前に来られたとき、ヨハネは「イエスの上に聖霊が降り留まっている」という事実を聖霊によって「見た」ので、(天からの声ではなく)ヨハネが「この方こそ神の子である」と証しします。
 ヨハネのイエスは神の子であるという証言には、神の子としてイエスの働きについての証言が二つ伴っています。一つは「世の罪を負う神の小羊」であるという証言であり(一・二九)、もう一つは「聖霊でバプテスマする方」であるという証言です(一・三三)。
 「神の小羊」という句は洗礼者ヨハネの証言(一・二九と三六)に出てくるだけで、福音書の他の本体部には出てきません。この福音書では、イエスの十字架は天から降って来られたイエスが再び天に帰られる出来事として描かれています。ここの「神の小羊」という表現だけがイエスの十字架の死を、ユダヤ教の祭儀を象徴として用いて、罪のための贖いとして告知しています。この福音書によると、イエスは過越祭で用いられる小羊が屠られる日に十字架につけられました。イエスご自身も過越祭を「わたしの時」としてエルサレムを目指しておられ、過越の食事の時にご自分の死の意義を語っておられます。最初期の共同体も、「キリストはわたしたちの過越の小羊として屠られた」と言い表していました(コリントT五・七)。この過越の小羊に、「世の罪を負う」という表現がついて、大贖罪日に民の罪を背負って荒野に追いやられる山羊(レビ記一六章)の姿が重なっています。そして、アブラハムがわが子イサクを祭壇に献げようとしたとき、神御自身が代わりのいけにえとして羊を備えられた出来事(創世記二二章)を背景にして、十字架の上にご自身を献げられたイエスの出来事は、神御自身が備えられた贖いの小羊であるという意味で「神の」小羊とされます。
 復活して神の子として生きておられる方は、「神の小羊」として十字架につけられた方ですから、福音が告知する復活者キリストには十字架につけられた姿が重なってきます。神の子を「神の小羊」と言い表すことは、パウロが告知した「十字架につけられた姿のキリスト」の別表現となります。ヨハネ福音書が「神の小羊」というユダヤ教祭儀を背景とした表現をあまり用いないのは、異邦人にイエスを神の子と告知するための配慮でしょう。対照的に、手放しでユダヤ教黙示思想を用いて語るヨハネ黙示録は、キリストを告知するのに「小羊」を繰り返し用い(二九回)、キリストは「屠られたような小羊」(黙示録五・六)であり、しかも神と玉座を共にされる小羊です(黙示録二二・一)。御民の救済は「小羊の婚宴」という表象で語られ、「小羊の書」と呼ばれることになります。
 神の子の働きについてなされる洗礼者ヨハネのもう一つの証言は、神の子は聖霊によってバプテスマする方であるということです。すでにパウロは、福音を信じる者に聖霊の賜物を与える神の恵みを告知しています(ガラテヤ三・一〜二)。しかしまだ「聖霊のバプテスマ」という表現は用いていません(コリントT一二・一三にその端緒が見られますが)。信仰に入ったときに聖霊を受けるという最初期共同体の一般的な体験(使徒一九・一〜七)は、福音書が書かれるようになる後期には、復活者キリストが与えてくださる聖霊の賜物は、ヨハネによる水のバプテスマと対比されて「聖霊のバプテスマ」呼ばれるようになります。すでにマルコ福音書(一・八)がキリストを「聖霊によってバプテスマする方」と告知しています。ヨハネ福音書においてもこのことが洗礼者ヨハネ自身の証言として書き記されます。
 ヨハネ福音書においては洗礼者ヨハネは理想の証人です。洗礼者ヨハネの告知の実際の内容は、「語録資料Q」を用いたマタイとルカにやや詳しく伝えられていますが、ヨハネはそれを無視して、あるいは洗礼者ヨハネの実際の告知には関心がなく、自分たちが体験し告知しようとすることを洗礼者ヨハネに語らせます。洗礼者ヨハネは、聖霊によってイエスを神の子と告白するヨハネ共同体の証言を代弁する理想化された証人となります。

弟子たちの証し

 イエスが洗礼者ヨハネのもとにおられたとき、ヨハネの弟子たちの中で、ヨハネの証言によってイエスの弟子となった者が数人います。彼らがイエスと出会い、イエスに従うようになった経緯については福音書の一章(三五〜五一節)に伝えられています。そこで名があげられているのは、アンデレ、その兄弟のシモン(=ペトロ)、フィリポ、ナタナエルの四人ですが、アンデレと一緒にイエスについていった、名があげられていない「もう一人の弟子」は、後にヨハネ共同体を指導し長老と呼ばれるようになるヨハネではないかと推察されます。イエスの弟子団の中核は洗礼者ヨハネの弟子であったことが、この記事から分かります。マルコは弟子団の形成をガリラヤでの出来事として語っていますが、その前にこのような出会いがあったことは重要です。
 彼らはイエスに出会ったとき、聖霊に満たされて語られるイエスの霊的権威に圧倒されて、イエスを「メシア(神から油を注がれた方)」、「神の子」、「イスラエルの王」と告白しています。これは、イエスの活動の終わりの頃になってようやく「あなたはメシアです」と言い表すようになり、しかもイエスからそのメシア観の誤りを厳しく叱責されたマルコ(八・二七〜三三)の記事と大きく違っています。おそらく実際は、弟子たちは復活されたイエスの顕現を体験してはじめて、イエスを神の子と告白するようになったものと考えられますが、ヨハネ福音書は復活されたイエスを神の子とするヨハネ共同体の告白を、(それを洗礼者ヨハネにさせたように)最初の弟子たちにさせていると見られます。
 以下に続く福音書の本体部では、弟子たちが見たり聴いたりしたこととしてイエスの働きや言葉が伝えられますが、前述したように、そこでは実際にイエスが地上でされた働きと語られた言葉に、復活されたイエスとの交わりの中でヨハネ共同体が聖霊によって体験した出来事や、聴いている言葉、理解した言葉が重なってきています。全体として見ると、この福音書が証言するイエスは、ヨハネ共同体が体験している復活者イエスを指し示しています。たしかにこの福音書は地上のイエスの出来事について、目撃証人としての正確な情報を伝えていますが、それが目的ではなく、イエスを復活された神の子と証言することによって、それを信じる者が(ヨハネ共同体が体験しているように)永遠の命を得るようになるために書かれています。この著作の意図は、福音書本体部の最後に明言されています。

 これらのことを書いたのは、イエスが神の子キリストであると、あなたたちが信じるようになるためであり、そう信じて、彼の名によっていのち《ゾーエー》を持つようになるためである。(二〇・三一)

 このような形でヨハネ共同体は世界に向かってイエスを証しします。その目的は、この証しを信じる者が《ゾーエー》を得るためであるとされています。この《ゾーエー》(いのち)は、この福音書の主題であり、人間が生まれながらに生きている命、この死に定められた命とは別のいのちであり、それと区別して「永遠の命」と呼ばれるいのちです。この永遠の命が次項(U 永遠の命)の主題となりますが、それに入る前になお少し、それを与えてくださる「神の子イエス」についてこの福音書が語るところを聴いておかなければなりません。

ヨハネ福音書における「キリスト」の用例
パウロは、復活して今も生きて働いておられる救済者を「キリスト」と呼び、この方との関わりにおいて体験している御霊の現実を「キリストにあって」という表現で語っていました。それに対して、ヨハネはこのような現実を指すときに「キリスト」を用いることは少なく(パウロが「キリスト」というところを「神の子」という表現で語る傾向は、コロサイ書やエフェソ書などのパウロ名書簡にも見られます)、ヨハネが《クリストス》(キリスト)という語を用いるのはほとんどユダヤ人が来たるべき方として待望しているメシアを指す場合です。こういう場合の《クリストス》を新共同訳は「メシア」と訳しているので、新共同訳のヨハネ福音書では「キリスト」が出てくるのは、「イエス・キリスト」という形で共同体の一般的な信仰告白で用いられている二回(一・一七、一七・三)だけとなります。しかし、ここに引用した二〇・三一ではユダヤ教の「メシア」ではなく、神の子と同格の復活者キリストを指しているので、私訳では「神の子キリスト」と訳しています。
なお、異邦人の共同体で復活されたイエスを《ホ・キュリオス》(主)と呼んでいましたが、この用例はヨハネ福音書では、二〇〜二一章の復活されたイエスの顕現物語ではそう理解できる場合もありますが、それ以外では「主」という呼称は、師に対する敬意の呼びかけとか、神を指す旧約聖書的な用例だけです。
 このような《クリストス》とか《キュリオス》の用例を見ると、ヨハネ共同体は同じエフェソを中心として展開しているパウロ系の共同体と地理的には重なりながらも、違った性格の共同体であったことがうかがわれます。その違いは、ヨハネ福音書における「人の子」という用語の使い方からも明らかになります(次項)。

「人の子」イエス

 イエスがご自分のことを「人の子」という語で指して語られたことは、イエスの語録伝承、とくに代表的な語録集である「語録資料Q」から明らかです。イエス伝承を用いて福音を語るマルコ福音書やマタイ福音書が「人の子」という称号を用いてイエスのことを物語るのは当然です。それに対して、異邦人に福音を告知したパウロは、もはや「人の子」という用語をいっさい用いていません。「人の子」という用語はユダヤ教黙示思想の用語であって、それは異邦人には無縁の世界です。パウロはイエス伝承に依存することなく、《ケリュグマ》に基づき、聖霊によって自分に直接啓示されたキリストを告知します。そこにはユダヤ教黙示思想の「人の子」は入ってきません。パウロが書いた書簡にも、パウロ以後にパウロの名で書かれた書簡(コロサイ書、エフェソ書)にも「人の子」という用語は出てきません。
 ヨハネ福音書も、パウロと同じく異邦人にイエス・キリストを証ししようとしています。しかし、ヨハネ福音書には、パウロと違って「人の子」という称号がしばしば登場します。まず、ヨハネが「人の子」という称号をどのように用いているのか、代表的な事例を見ておきましょう。最初に出てくるのはナタナエルに対するイエスの言葉です。

 「アーメン、アーメン、わたしはあなたがたに言う。あなたがたは、天が開け、神の御使いたちが人の子の上に昇り降りするのを見るであろう」。(一・五一)

 これはナタナエルがイエスに「ラビ、あなたは神の子です。イスラエルの王です」と言い表したのに対してイエスが言われた言葉です。ここで「あなたがたに言う」と複数形が用いられていることからも、これはナタナエル一人に向かって言われたのではなく、広くイエスを神の子と信じる者たちに言われた言葉であることが分かります。このイエスの言葉は、創世記二八章(一〇節以下)のヤコブの夢の物語が下敷きになっています。ヤコブは夢で「先端が天にまで達する梯子が地に向かって伸びており、神の御使いがそれを昇り降りしている」のを見たとされています。そのように、イエスを信じる者たちは、イエスという地上の一人の人において、「天が開け、神の御使いたちがその上に昇り降りするのを見る」ことになると言われるのです。すなわち、この方において天の奥義が地上の人間に啓示されることになる、と言われます。そして、そのような人物を、ユダヤ教黙示思想で終わりの日に天から現れる「人の子」という称号を用いて指し示されます。
 さらにイエスは三章のニコデモとの対話でこのように語っておられます。

 「天から降ってきた者、すなわち人の子のほかに、天に昇った者はない。そして、モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられなければならない。それは、彼を信じる者がすべて永遠の命をもつようになるためである」。(三・一三〜一五)

 ユダヤ教ではエノクやエリヤは天に昇って天界の奥義を見て地上の人々に伝えたとして、彼らの名で黙示文書が書かれます。それに対してヨハネ福音書は、初めから天にいてそこから地に降ってこられたイエスだけが、黙示思想でいう「人の子」であって、この方の他に天に昇って天界の奥義を授けられた者はない、すなわちイエスだけが天界の奥義を地上に伝える「人の子」だと主張します。
 その上で、(ここがユダヤ教黙示思想と決定的に異なる点ですが)その「人の子」は「上げられる」ことが神の定めであり(それは「ねばならない」《デイ》という語で指し示されています)、そのことによって、「彼を信じる者がすべて永遠の命をもつようになる」のだとされます。
 「上げられる」は、先に見たようにイエスが十字架につけられて地から上げられることと、復活によって天に上げられることの両方を指しています。それで、この「人の子は上げられなければならない」という言葉は、マルコ(八・三一)を初めとする共観福音書に伝えられている受難予告の言葉と同じになります。そこでは「人の子」を主語にして、イエスが苦しみを受けて死に、その後復活することが神の定めとして、同じく《デイ》を用いて語られていました。ヨハネ福音書はそれを「モーセが荒れ野で蛇を上げた」故事を予型として「人の子も上げられなければならない」という一文で指し示します。
 「モーセが荒れ野で蛇を上げた」ことは民数記(二一・四〜九)に記されていて、ユダヤ人であれば誰でも知っている物語です。モーセに率いられてエジプトを脱出したイスラエルの民は、荒野の旅の苦労に耐えかねてモーセを非難し、神とモーセに逆らいます。それで主は炎の蛇を送り、その蛇にかまれて多くの民が死にます。モーセは主に祈り、主の指示に従い青銅で蛇を作り杖の上に掲げます。その蛇を仰ぎ見た者は助かったという物語です。
 そのように、十字架の上に上げられて、民に対する神の裁きを一身に受けた「人の子」であるイエスによって、彼を信じる者が滅びの力から解放されて「永遠の命をもつようになる」のです。この箇所は、「神の小羊」の箇所と並んで、(ヨハネ福音書では数少ない)イエスの十字架の贖罪的な意義を告知する重要な箇所です。
 次ぎに五章で、イエスがベトザタの池で安息日に足の萎えた人を立たせて床を担いで歩かせたことを律法違反として、またイエスが神を父と呼んで自分を神と等しい者としたとして、ユダヤ人はイエスを殺そうとします(五・一〜一八)。そのとき彼らに対してイエスが語られた言葉の中に「人の子」が出てきます。イエスはユダヤ人に対して、自分が父と一つであることを宣言し、「父がご自分の内に命を持っておられるように、子にもまた命を与えて、子が自分の内に命を持つようにされ、子を命を与える者とされた」ことを語り出されます(五・一九〜二六)。その後、子である自分に終末的な裁きを行う権能が与えられていることを「人の子」という称号を用いて根拠づけられます。

 「そして、裁きを行う権能を子に与えた。彼は人の子だからである」。(五・二七)

 そして、「人の子」による終末審判がユダヤ教黙示思想の表現を用いて、「このことを驚いてはならない。墓にいるすべての者が彼の声を聞く時が来る。その時には、善いことをした者たちは命の復活へと、悪いことをした者は裁きの復活へと出て来ることになる」(五・二八〜二九)と語られます。このような黙示思想的な表現を使いながら、同時にこの福音書は「アーメン、アーメン、わたしはあなたがたに言う。死んでいる者たちが神の子の声を聞く時が来る。いや今がその時である。そして、聞いた者は生きる」(五・二五)と、その終末が現在すでに来ていると徹底的に現在化しています。
 さらに六章の「命のパン」をめぐる対話において、イエスはこのように言っておられます。

 「朽ちる食べ物ではなく、いつまでもなくならないで永遠の命に至らせる食べ物のために励みなさい。それは人の子があなたがたに与える食べ物である。父である神が人の子を(それを与える者と)認められたからである」。(六・二七)

 その対話において、イエスは「わたしが命のパンである」(六・三五)と宣言し、ご自分を信じて一つに結ばれて生きることを「人の子の肉を食べ、その血を飲む」(六・五三)という激しい表現を用いて語っておられます。
 その他、ユダヤ人が自分を殺すことを「あなたたちが人の子を上げたとき」(八・二八)と表現され、生まれながら目の不自由な人がいやされたとき、彼に「あなたは人の子を信じるか」(九・三五)と言っておられます。そして、地上の働きを終えて「上げられる」時が来たとき、「人の子が栄光を受けるときが来た」(一二・二三、)と言われます(一二・三四節も参照)。また、最後の食事の席でなされた「訣別説教」でも、「今や人の子は栄光を受けた。また、神も人の子によって栄光をお受けになった 。神が人の子によって栄光をお受けになったのであれば、神も御自身によって人の子に栄光をお与えになる。しかも、すぐに栄光をお与えになる」と言っておられます(一三・三一〜三二)。
 このように、ヨハネ福音書は異邦人には馴染みのない「人の子」という称号を、当然読者はよく知っているものとして多用しています。それで、この福音書はユダヤ人に向けて書かれたものであるという主張が出てきます。たしかにこの福音書はユダヤ人を対象としていると理解すべき面があります。しかし、ヨハネ共同体がもともと洗礼者ヨハネの弟子を中核とする共同体であり、長老自身もエルサレムの祭司階級の出身であるという共同体のユダヤ教的体質を考慮するとき、この福音書の書き方がこのようになるのは当然の結果です。それにもかかわらず、先に見たように、この福音書はヘレニズム的環境にあって異邦人にキリストを証ししようとする姿勢で書かれていることも事実です。この点では、ユダヤ人信者の共同体が生み出したマタイ福音書が、異邦人世界に福音を告知しようとする状況で書かれたのと共通しています。ただマタイがあくまで地上のイエスの言動を伝えるイエス伝承に基づいてイエスを伝えようとしたのに対して、ヨハネは大胆に(あるいは「素朴に」と言うべきかもしれません)聖霊によって体験している復活者イエスを証言しているために、両福音書はまったく違った性格の福音書となっています。

ヨハネ福音書における《エゴー・エイミ》

 もう一つヨハネ福音書のキリスト証言に重要な特色があります。それは、この福音書のイエスはご自分のことを証しするのに《エゴー・エイミ》(強いて日本語に訳すと「わたしはある」)という表現をよく用いておられるという事実です。この表現がよく用いられる事実は、先にヨハネ福音書の成立を扱った箇所(前節の項目W、とくに
313頁)で、地上のイエスを語る形で復活者イエスの証しが重なっていることを示す実例として触れました。ここでその用例と意義をもう少し詳しく見ておきましょう。以下に挙げる用例は、原語のギリシア語本文に《エゴー・エイミ》が出てくる箇所であって、翻訳では必ずしも明らかでない場合があります。
 最初の用例は四章のサマリア教徒の女になされた宣言です。一連の対話の後、彼女が「わたしは、『油を注がれた者』と呼ばれるメシアが来ることは知っています。その方が来られるときには、一切のことを告げてくださいます」と言います。するとイエスは女に言われます、「《エゴー・エイミ》。あなたと話している者がそれである」(四・二六)。
 次ぎに出てくるのは、ガリラヤ湖で突風に遭い漕ぎ悩んでいる弟子たちの小舟に、イエスが水の上を歩いて近づいて来られたときです。それを見て恐れる弟子たちにイエスは、「《エゴー・エイミ》。恐れるな」と言われます(六・二〇)。これはマルコ(六・五〇)と同じです。湖上の顕現の物語は、復活されたイエスの顕現の伝承を用いていることから、この《エゴー・エイミ》という宣言は、わたしたちが復活されたイエスに出会うときに、イエスから聴く復活者イエスの自己宣言の言葉であることが分かります。
 六章の「命のパン」についての対話においても《エゴー・エイミ》はよく出てきますが、みな《エゴー・エイミ》の後に「命のパン」とか「生きたパン」であるという補語がつく場合ですので(他に八章の「世の光」とか一〇章の「よい羊飼い」などの場合も)、次項(U)で扱うことにします。イエスが発せられる《エゴー・エイミ》は神を冒?する自己宣言であるとしてユダヤ人たちが厳しく追及し、イエスがそれに答えられる重要な対話が八章にありますので、それを見てみましょう。
 イエスが仮庵祭でエルサレムに上り、神殿で民衆に向かって「わたしは世の光である」と証しされたので、イエスの自己証言に対して疑問や批判を投げかけたユダヤ人との論戦で、イエスは「《エゴー・エイミ》を信じないならば、あなたたちは自分の罪の中に死ぬことになる」(八・二四)と語り、さらに「あなたたちは人の子を上げたとき初めて、《エゴー・エイミ》が分かるであろう」(八・二八)と言っておられます。そして、最後に「アブラハムが生まれるまえから、《エゴー・エイミ》」と宣言されます(八・五八)。ユダヤ人たちはこの宣言の重大さをよく理解しました。それは自分を神とすることです(後述)。「ユダヤ人たちは、石を取り上げ、イエスに投げつけよう」とします(八・五九)。このように自分を神として神を汚す者を生かしておくことはできないとしたのです。
 しかし、弟子たちには最後の食事の席で、イエスは自分が弟子の一人に裏切られて十字架につけられることがつまずきにならないように語られるところでこの宣言が用いられています。「事が起こる前に、今言っておく。それは、事が起こったときに、《エゴー・エイミ》をあなたたちが信じるようになるためである」(一三・一九)。
 なおマルコ福音書では、逮捕された後の最高法院の法廷で、大祭司の「お前はほむべき方の子、メシアなのか」という尋問に、この《エゴー・エイミ》という自己宣言をもってお答えになっています。この記事は、ヨハネ福音書にはありません。八章でこの自己宣言をされるイエスをユダヤ人が石打刑で殺そうとしたことで、ユダヤ教がこの自己宣言によってイエスを死に定めたことは十分示しているとしたからでしょうか、またゲツセマネで逮捕されるときすでに《エゴー・エイミ》と宣言しておられることを伝えたからでしょうか(一八・四〜九)、ヨハネ福音書の最高法院の裁判の記事(一八・一九〜二四)は、このことに触れていません。

聖書とユダヤ教における《エゴー・エイミ》

 《エゴー・エイミ》は翻訳が困難な表現です。《エゴー・エイミ》は、英語の I AM に相当するギリシア語の語法です。直訳すれば「わたしはある」ということになります。しかし主語は人格ですから、「ある」は不適切で、「わたしはいる」とすべきかもしれません。しかし、「ある」にしても「いる」にしても、たんに「存在している」という意味ではなく、この表現の聖書的背景からすると、語り手が「成る」とか「働く」の主体としての自己を現すときに使われる表現です。
 これは、本来旧約聖書で神の自己啓示の言葉です。すでにモーセが燃える柴の中に現れた方にその名を尋ねた時、こう答えられています。

 神はモーセに、「わたしはある。わたしはあるという者だ」と言われ、また、「イスラエルの人々にこう言うがよい。『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと」。(新共同訳 出エジプト記三・一四)

 ここで神がモーセにご自分の名を啓示された言葉(ヘブライ語)は、《エヒエー・アシェル・エヒエー》というものです。《エヒエー》という語は、「ある、いる、成る」という意味の動詞の一人称単数未完了形です。その動詞が《アシェル》という不変化詞(接続詞か関係詞)で結ばれています。この句は七十人訳ギリシア語聖書で「わたしは存在する者である」と訳され、神を究極の存在とする理解に道を開きました。しかし、ヘブライ語の《エヒエー》は「存在する」ではなく、むしろ「成る」という動きとか働きを示す動詞です。翻訳は困難ですが、強いてこの動きとか働きの面を出そうとすると、次の岩波版の訳が近いかもしれません。

 神はモーセに言った、「わたしはなる、わたしがなるものに」。彼は言った、「あなたはイスラエルの子らにこう言いなさい、『「わたしはなる」が私をあなたたちに遣わした』と」。(岩波版 出エジプト記三・一四)

 「これこそ、とこしえにわたしの名」とされたことに応えて、イスラエルはこの名を自分たちの神の名として告白し賛美してきました。それは様々な形で詩篇の中で証言されています。そしてこの名は、捕囚期の大預言者第二イザヤにおいて神の啓示の中心に据えられて重要な役割を果たすようになります。
 たとえば、イザヤ書四三章(一〜一五節)で主がイスラエルに語りかけてご自身を啓示される時、「アニー」(強調の「わたしは」)が、「わたしはヤハウェである」、「わたしは神である」、「わたしはそれである」というような形で繰り返し用いられています。その中で「アニー・フー(わたしはそれである)」の定式は(ヘブライ語では「フー(彼)」が繋辞「である」の意味でも用いられることから)ギリシア語訳では「エゴー・エイミ(わたしはある)」と訳されることになります(一〇節など)。捕囚後のユダヤ教団では、この「アニー」とか「アニー・フー」という定式が神の自己啓示の定式として確立し、イエスの時代にはとくに過越と仮庵の大巡礼祭によく唱えられたのでした。
 この旧約聖書およびユダヤ教の背景から、新約聖書では復活者イエスがその神的臨在を現されるときの定式として用いられるようになります。共観福音書では最高法院での裁判(マルコ一四・六二)とか、また湖上に顕現された時(マルコ六・五〇)など、イエスがご自分の栄光の本質を啓示される特別の場合に出てきます。決定的な場面は最高法院でのイエスの宣言です。「お前はほむべき方の子、メシアなのか」という大祭司の質問に対して、イエスはこの宣言をもって答えておられます。「『エゴー・エイミ』。あなたたちは、人の子が全能の神の右に座り、天の雲に囲まれて来るのを見る」(一四・六二)。大祭司はこれを聞いて、衣を引き裂きながら言います、「これでもまだ証人が必要だろうか。諸君は冒?の言葉を聞いた」。当時のユダヤ教における「アニー・フー」定式の使用の背景からすれば、「人の子」宣言の句がなくても、この「エゴー・エイミ」の宣言だけで大祭司が衣を引き裂くに十分です。
 イエスが最も決定的な瞬間に口にされたとされるこの一語が、湖上での顕現のようなイエスが御自身の神的栄光を啓示されるときの言葉として用いられるようになります。あるいは逆かもしれません。すなわち、復活者イエスの顕現にさいして、神的な臨在に圧倒された弟子たちが、その臨在を「アニー・フー」という言葉で聞き(普段その神的臨在の定式を唱えているユダヤ教徒には自然なことです)、それを最高法院での裁判でのイエスの宣言に用いたのかもしれません。いずれにせよ、最初期の共同体はイエスを神の臨在として告白するときにこの「エゴー・エイミ」の定式を用いるようになります。
 そうすると、ヨハネ福音書がイエスをほとんど「地上を歩く神」として描くとき、この《エゴー・エイミ》がイエスの自己宣言としてもっともふさわしい表現になります。ヨハネ福音書においては、信じる者はイエスを《エゴー・エイミ》、すなわちそこに神が現臨される方として信じ、言い表していることになります。これは、この《エゴー・エイミ》を(最後の法廷の場面を別にすれば)湖上の顕現の場だけで用いている共観福音書と違う点です。共観福音書ではそこだけが復活者イエスの顕現を示唆していましたが、ヨハネ福音書では福音書全体に復活者イエスが重なっていて、本来復活者イエスの自己宣言である《エゴー・エイミ》が、福音書のいたるところに現れることになります。

U 永遠の命

福音書執筆の目的としての「永遠の命」

 先に引用したように、この福音書が書かれた目的はこの福音書自体が明言しています。すなわち、この福音書が書かれたのは、「イエスが神の子キリストであると、あなたたちが信じるようになるためであり、そう信じて、彼の名によっていのち《ゾーエー》を持つようになるため」です(二〇・三一)。「イエスが神の子キリストである」ことについては、前項(T)で述べました。この項(U)では、わたしたちが「そう信じて、彼の名によっていのち《ゾーエー》を持つようになる」とはどういうことかを見ていきます。
 神の子であるイエスが、彼を信じる者に「いのち《ゾーエー》」をもたらす方であることは、福音書の冒頭の序詩においてうたわれ(一・四)、本来の本体部の最後で本書の目的を述べる文で明言されて、全体がこの「いのち《ゾーエー》」で囲まれています。この神の子キリストが与える「いのち」が、わたしたちが生まれながらに生きている命とは別の「いのち」であることを示すために、この福音書はいつもこれを《ゾーエー》という語で指し、生まれながらの命や生活・生涯を指す《プシュケー》や《ビオス》と区別し、さらに「永遠の命《ゾーエー・アイオーニオス》」と呼んで違いを明確にしています。

ギリシア語には「いのち」を意味する単語が三つあります。《ビオス》biosは身体的な生命を指し、また生活とか生涯という意味で用いられます。このギリシア語は現代の biology(生物学)とbiography(伝記)という系統の語に用いられています。《プシュケー》psycheという語はもともと気とか息を意味する語で、霊魂的生命を広く指します。創世記(一・二四)では「人は生きた《プシュケー》になった」とされています。現代では(この語が人間の内面の魂を指す用例から)psychology(心理学)に名残をとどめています。《ゾーエー》zoeは広く生き物一般の命を指す語で、現代ではzoology(動物学)などに用いられています。新約聖書でキリストから与えられる御霊による新しい「いのち」を指すのに《ゾーエー》を用いるようになったのは、すでにパウロにおいて見られますが、ヨハネにいたってその用例が際だつようになります。なお、ヨハネ福音書(原語)において、生まれながらの命とは別種のいのちを指すのに、《ゾーエー・アイオーニオス》(永遠の命)が使われているのは一六回で、たんに《ゾーエー》(いのち)だけで指している場合が一九回あります。

ユダヤ教における「永遠の命」

 「永遠の命」という呼び方はすでにユダヤ教において行われていました。イエスの時代のユダヤ教では「永遠の命」は来たるべき世での命を指していました。「善い師よ、永遠の命を受け継ぐには、何を為すべきでしょうか」(マルコ一〇・一七)という質問は、当時のユダヤ教徒の究極の関心事をよく示しています。もともとヘブライの宗教は死後の魂の問題にはあまり関心がなく、イスラエルの民が地上で神との交わりに生きて栄光を受けることを主題とするものでした。しかし、捕囚以後、とくにアレクサンドロスの東征以後とうとうと流れ込んできたギリシア思想との遭遇の過程で形成されたヘレニズム期のユダヤ教(とくに新しい状況に即して律法を解釈したファリサイ派ユダヤ教)では、ギリシアの人間観とか死後観の影響を受けて、個人が死後とか来世で永遠の命を受けることが中心的な主題となります。先に引用したイエスへの質問も、「わたしが(来たるべき世で)永遠の命を受け継ぐには、わたしは(今この世で)何を為すべきでしょうか」という意味です。イエスご自身も、すべてを捨てて従ってきた者は何を受けるかという弟子の問いに、「今この世では迫害と共に、家、兄弟、姉妹、母、子供、畑を百倍も受け、来るべき世では永遠の生命を受ける」(マルコ一〇・三〇)と答えておられます。
 イエスが告知された福音の主題は「神の国」でした。ここで見たように、イエスも当時のユダヤ教徒の関心事であった「永遠の命」について語っておられます。しかし、イエスが告知された福音は「神の国、神の支配」を標語にしていました。イエスは、「神の国、神の支配」とはどういう事態なのかを指し示すために多くのたとえを語られました。なされた多くの力ある業(奇跡)も、それを「神の支配」が来ていることのしるしとされました。イエスの活動を要約するとき、福音書記者はそれを「神の国」告知の働きとしました(マルコ一・一五、マタイ四・一七、ルカ四・四三)。
 イエスの復活後、復活されたイエスをメシア・キリストと告知した使徒たちの福音告知は、初めはユダヤ教の中で行われました。彼らは復活して高く上げられたイエスがすぐに世界に来臨されて神の支配を完成されることを告知し、イエスの言葉に従うように説きました。このような使徒たちのユダヤ教内での福音告知には「永遠の命」は出てきません。来臨のときに起こる裁きにおいて栄光に入る(神の国に入る)か滅びるかは重大問題でしたし、栄光に入ることは「永遠の命」を受け継ぐという表現で語られたかもしれませんが、彼らの告知の主題としては「永遠の命」は出てきません。たとえばパレスチナ・シリア地域で展開したユダヤ教内の信仰運動が生み出したとされる「語録資料Q」には、「永遠の命」という語は出てきません。そこでは「人の子」の現れるに日に備えて、イエスの言葉に聴き従うことが主題となっています。

共観福音書に伝えられているイエスの語録において「命」《ゾーエー》が用いられているのは、先に引用した金持ちの人の質問とイエスの答え(マルコ一〇・一七と三〇、およびマタイとルカにおける並行箇所)で「永遠の命」という形で用いられている箇所以外では、「両手、両足がそろったまま地獄の消えない火に落ちるよりは、片手、片足で命《ゾーエー》に入る方がよい」という箇所(マルコ九・四三〜四五、マタイ一八・八〜九)が主要な箇所になります。他には、「命《ゾーエー》に通じる門は狭い」(マタイ七・一四)と「正しい人は永遠の命にあずかる」(マタイ二五・四六)と、マタイで二箇所に出てきます。「自分の命を救いたいと思う者はそれを失うが、わたしのために命を失う者はそれを救う」と語られた箇所(マルコ八・三五〜三六)や、イエスが「人の子は多くの人の身代金として自分の命を献げる」と語られた箇所(マルコ一〇・四五)では《プシュケー》が用いられています。これらの場合は地上の命を指しているからです。

パウロにおける「いのち」《ゾーエー》の現在化

 「いのち《ゾーエー》」とか「永遠の命」が福音告知の主題の位置を占めるようになるのは、福音がユダヤ教の枠を超えて異邦の諸国民に伝えられるようになってから、すなわち「ユダヤ教の外での福音活動」においてであると見られます。福音を異邦人に告知する活動の代表格であるパウロにおいて、この過程を見ることができます。
 すでにパウロにおいて、イエスの働きでは中心主題であった「神の国」はほとんど現れなくなります。パウロの全書簡で「神の国」という用語が出てくるのは、ローマ書で一回(一四・一七)、ガラテヤ書で一回(五・二一)、コリント第一書簡で四回(四・二〇、六・九、六・一〇、一五・五〇)の計六回だけです。「神の国」という主題は、日頃の宗教生活で「神の国」の到来を待望することを基調としているユダヤ教徒の間でこそインパクトがありますが、そのような思想の枠組みをもたない非ユダヤ教徒の異邦諸国民の間では訴える力をもちえません。パウロがその福音告知の活動において「神の国」について語ることが少なく、もっぱらキリストの出来事を個人の救いの出来事として語るのもうなずけます。
 先に見たように、すでにユダヤ教において個人の救済が視野に入ってきており、それが来るべき世で受け継ぐ命として「永遠の命」という用語で指し示されていました。パウロもそのような意味で「永遠の命」という語を用いています。パウロ書簡で「永遠の命」という用語が出てくるのは、ガラテヤ書の一箇所(六・八)とローマ書の四箇所(二・七、五・二一、六・二二と二三)です。これらの五箇所に出てくる「永遠の命」は、いずれも将来のこととして語られています。パウロが「永遠の命」という用語を用いるときには、まだユダヤ教における「来るべき世で受け継ぐ命」という終末的な意味合いが残っています。
 パウロはその福音告知においてキリストの来臨《パルーシア》を福音の基本的な内容として告知しており、キリストにおいて与えられる個人の救済に将来の面があることは当然です。パウロはそれを聖霊による希望として語りました。しかし、パウロの福音告知において重要な特色は、十字架・復活のキリストによって成し遂げられた神の救済の働きは、、このキリストを信じる者に賜る聖霊によって、現在すでに体験する現実となっているという告知です。パウロはこの現実を「キリストにあって」という句で豊かに指し示しています。
 十字架につけられた姿の復活者キリストを信じて、このキリストに合わせられる者は、このキリストからの賜物として聖霊を受けます(ガラテヤ三・一〜六)。その聖霊はわたしたちの内に新しいいのちの現実をもたらしてくださいます。生まれながらの生命とは別のいのちがわたしたちの内に始まります。この現実をパウロは「いのち《ゾーエー》の新しい次元」と呼んでいます(ローマ六・四)。パウロは、キリストにあって受ける新しい「いのち」を《ゾーエー》と呼んで、その姿を手紙の中で展開しています。
 このキリストにあって賜る新しい「いのち」《ゾーエー》は、わたしたちが生まれながらに生きている生命《プシュケー》とは違う質の「いのち」です。生まれながらの生命は死に定められた生命です。それに対して、それとは別の新しい「いのち」《ゾーエー》は、キリストを死者の中から復活させた命であり、死に打ち勝っている命です。キリストを復活させた命が今わたしたちの内に働いているのです。そのことをパウロは「キリストが父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちもまた命の新しい次元に歩むようになる」(ローマ六・四)と表現しています。また、「キリスト・イエスにあるいのち《ゾーエー》の御霊」の現実がわたしたちを「罪と死の支配から解放した」と言っています(ローマ八・二)。
 パウロにおいてはキリストにあって賜る新しい「いのち」《ゾーエー》に生きることは現在すでに始まっています。しかしその「いのち」は、死に定められた体の中に隠された姿で生きていて、その「いのち」が「栄光の体」(コリントT一五・四二〜四三)を与えられて十全に顕れる時を呻き待ち望んでいます(ローマ八・二三)。こうして、将来に来るべき世で与えられる「永遠の命」は、パウロにおいては現在始まっている御霊の「いのち」の十全な顕れとして待ち望まれるようになります。
 パウロ以後にパウロの名で書かれた書簡になると、「いのち」の現在化は一段と進みます。現在死ぬべき体の中に隠されている「いのち」は、キリストの顕現にさいして栄光の中に現れるという将来の面は保持されていますが(コロサイ三・一〜四)、パウロにおいてはなお将来の希望として語られていた「復活」はすでに起こったこととして過去形で語られるようになり(コロサイ三・一、エフェソ二・六)、「永遠の命」という表現は用いられなくなっています。
 同じパウロ名書簡ですが、ずっと遅く二世紀に入ってからの成立と見られる牧会書簡では、ユダヤ教的な将来の「永遠の命」が再び前面に出てきています(テトス一・二、、三・七、テモテT一・一六、六・一二)。そのようになった理由については、二世紀初頭の状況を見なければなりませんが、それは別の機会に譲り、ここではパウロ以後のパウロ系共同体では、コロサイ書やエフェソ書に見られるように、新し「いのち」《ゾーエー》を現在の体験とする自覚が一段と進んだことを指摘するにとどめます。

ヨハネ福音書における「永遠の命」の現在化

 この「いのち」の現在化の流れの延長上にヨハネ福音書が現れ、新約聖書の中では「いのち」の現在化をもっとも明確に宣言する文書となります。まずヨハネ福音書で「いのち」《ゾーエー》あるいは「永遠の命」が現在すでに与えられていることを語る箇所を見てみましょう。この福音書はこう宣言しています。

 「御子を信じる者は永遠の命を持っている」(三・三六)


 「アーメン、アーメン、わたしはあなたがたに言う。わたしの言葉を聞いて、わたしを遣わされた方を信じる者は永遠の命を持っており、裁きに到ることなく、死から命に移っている」。(五・二四) 

 「アーメン、アーメン、わたしはあなたがたに言う。信じる者は永遠の命を持っている」。(六・四七)
 他にも多くありますが、代表的な箇所だけをあげました。これらの箇所に用いられている「持っている」という動詞はみな現在形です。「アーメン、アーメン、わたしはあなたがたに言う」という前置きは、以下の言葉が復活者イエスが宣言され重大な啓示の言葉であることを指し示しています。
 この福音書は(先に見たように)ユダヤ教的な体質を強く残していますが、この「永遠の命」については、それを「来るべき世」とか、それをもたらす終わりの日の裁きに関連づけることはありません。この福音書では裁きもすでに来ているのです(三・一八)。御子を信じる者は「裁きに到ることなく、(すでに)死から命に移っている」のです(五・二四)。総じてこの福音書は、ユダヤ教黙示思想が待望する「来るべき世《アイオーン》」とか「終わりの日」について語ることはなく、御子を信じる者はすでにその現実に入っているのだということを強く前面に出しています。それで、この福音書は「実現された終末論」の代表的文書とされますが、この点については次項(V)で扱うことにして、ここでは「永遠の命」に関して問題になる一つの点だけについて触れておきます。
 六章の「命のパン」についての対話の中で、御子を信じる者は現に永遠の命を持っているのだと宣言する文の直後に、終わりの日の復活の約束が加えられている箇所があります。

 「わたしの父の意志は、子を見て信じる者が皆、永遠の命を持ち、わたしがその人を終わりの日に復活させることである」。(六・四〇)

的な性格に合わないとして、終わりの日の復活についての章句を編集者による後からの挿入と見る説が行われています(後からの挿入という理由で、福音書から削除する人もいます)。たしかにヨハネ福音書は一人の著者が一気に書き上げた著作ではなく、ヨハネ共同体の中で数次にわたる編集を経て成立した文書ですから、ある段階で挿入された章句である可能性は否定できません。しかしそうであっても、現在の形で正典として受け入れられ、代々のキリスト者共同体で信仰の拠り所として用いられてきたという事実が重要です。その事実が意味するところをどう受けとるかが問われます。
 たしかにこの福音書の基本的性格は「実現された終末論」です。しかし、前節「イエスが愛した弟子とその共同体」の最後でヨハネ第一書簡を扱った中の「ヨハネ共同体における終末待望」の項(335頁)で見たように、ヨハネ共同体にも来るべき終わりの日の完成を信じて待ち望む終末待望はありました。その待望が、何らかの状況に促されて、どれかの段階で、このような形で挿入されたのかもしれません。しかし、永遠の命の現在化と復活を待ち望む終末待望は矛盾するものではなく、むしろ補強し合うものです。すでに永遠の命を与えられているという聖霊による体験と確信が、その命が終わりの日には完成された形で現れるという希望を確かなものにします。それはパウロに見られる通りです(たとえばローマ書八章)。ヨハネ福音書は永遠の命の現在化を基本的な告知としていますが、その中にその命の完成として終末的な復活という待望が入ってきても不思議ではありません。

「永遠の命」を与える復活者イエス

 ヨハネ福音書は、イエスこそ「永遠の命」を与える方であることを世界に告知する福音書です。そして、この福音書が告知するイエスは天から降ってきて、ナザレのイエスとして現れ、十字架と復活を通って天に帰るイエス、すなわち復活者イエス、神の子であるイエスです。このイエスを信じる者は永遠の命を得ることを告知することがこの福音書の目的であり(二〇・三一)、先に引用したようにこの福音書では繰り返し、このイエスを信じる者はすでに永遠の命を持っていることが強調されます。さらに代表的なところをあげておきます。

 神は世を愛して、そのひとり子を与えてくださった。それは、すべて彼を信じる者が滅びることなく、永遠の命をもつようになるためである。(三・一六)

 このイエスが永遠の命を与える方であることが、この福音書では独特の定式で告知されます。それは、「わたしは〜である。わたしを信じる者は・・・・するであろう」という定式です。この福音書独特のイエスの神的自己宣言の定式である《エゴー・エイミ》の後に、どのような者として「わたしはある」のかを説明する補語として象徴的な語句がきて、復活者イエスの自己宣言が行われ、その後にこのイエスを信じる者(またはそれに相当する表現)が受ける救いの現実が(多くの場合比喩的な表現で)「・・・・するであろう」と未来形で語られます。

 「わたしは命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがないであろう」。(六・三五)

 「わたしが世の光である。わたしに従ってくる者は闇の中を歩むことなく、命の光を持つであろう」。(八・一二)

 「わたしは門である。わたしを通って入る者は救われ、入ったり出たりして、牧草を見つけるであろう」(一〇・九)

 「わたしは良い羊飼いである。・・・・わたしは、羊たちのために自分の命を捨てる」。(一〇・一四〜一五)

 「わたしは復活であり、いのちである。わたしを信じる者は、死んでも生きるであろう。また、生きていてわたしを信じる者は誰でも、いつまでも死ぬことはないであろう」。(一一・二五〜二六)

 「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、誰も父のもとに行くことはできない。もしあなたたちがわたしを知ったら、わたしの父をも知るようになるであろう」。(一四・六〜七)

 「わたしはぶどうの木であり、あなたたちは枝である。わたしの内にとどまる者は、わたしもその人の内にとどまっていて、多くの実を結ぶのである」。(一五・五)

 なお、イエスがサマリアの女に最後に「わたしである《エゴー・エイミ》」と宣言されている(四・二六)ことを考慮に入れると、イエスが彼女に言われた次の言葉も、この救済論定式に入れてよいでしょう。

 「わたしが与える水を飲む者はいつまでも渇くことなく、わたしが与える水はその人の中で湧き出る水の泉となって、永遠の命に至らせるであろう」。(四・一四)

 復活者イエスは「わたしがいのち《ゾーエー》である」と宣言しておられます(一一・二五、一四・六)。したがって、このイエスに「とどまる」ことが「いのち」《ゾーエー》にとどまることであり、その「いのち」が結ぶ実を享受することになります。わたしたちが「いのち」を全うするためには、わたしたち一人ひとりがイエスに結びつき、復活者イエスとの交わりの中に「とどまる」ことが必要であると、「ぶどう樹とその枝」の比喩(一五・一〜一〇)で美しく語られています。ヨハネ福音書の「わたしにとどまる」は、パウロの「キリストにあって」のヨハネ的表現です。

「永遠の命」の道

 先にヨハネ福音書の構成を二部構成として説明しました。ヨハネ福音書のイエスは天から降ってきて再び天に帰る神の子ですから、このイエスを告知する福音書は、まず序詩(一・一〜一八)でイエスがこのような方であることを提示した後、第一部(一〜一二章)で天から降り地上で天の奥義を啓示する働きをなされるイエスを描き、第二部(一三〜二〇章)で十字架・復活によって天に帰られる出来事を描きます。第一部ではその全体で、イエスが啓示される「永遠の命」に至る道が説かれていると見ることができます。
 最初にこの新しい「いのち」《ゾーエー》が始まる様子が描かれます。まず、「いのち」の始まり、すなわち誕生が語られます。三章でイエスはニコデモにこの新しい「いのち」の誕生を語っておられます(三・一〜一五)。

 「アーメン、アーメン、わたしはあなたに言う。人は新しく生まれなければ、神の国を見ることはできない」。(三・三)

 「新しく生まれる」は「上から生まれる」とも訳せます。上から与えられる御霊の働き(それは風のように自由な働きです)によって、わたしたちの内に生まれながらの生命とは別種の「新しいいのち」が始まります。そしてここで重要なことは、まさにこの新しい「いのち」の出発点で、イエスの十字架の死の意義が語られていることです。イエスはニコデモに「モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられなければならない。それは、彼を信じる者がすべて永遠の命をもつようになるためである」と語られます(三・一四〜一五)。荒れ野で上げられた青銅の蛇は、わたしたちの罪を負って十字架の上に神の裁きを受けたイエスの死を予表しています。あの蛇のように上げられる「人の子」イエスを信じる者が新しい上からの「いのち」、「永遠の命」を受けるのです。
 その上から賜る新しい「いのち」はわたしたちに新しい歩みをさせるようになります。この新しい「いのち」による歩みを旅にたとえるならば、三章の新生は旅の出発点です。では、その旅はどこに向かうのでしょうか。その旅の目的地が一一章で指し示されます。イエスは地上の働きの最後に死んだラザロを生き返らせて、その「いのち」が復活に至る「いのち」であることを示されます。「復活」こそこの旅の目的地です。先に六章の「命のパン」をめぐる対話で、この福音書はイエスを信じる者は現に永遠の命を持っているということを宣言すると同時に、イエスがその人を終わりの日に復活させることを父の意志として約束していることを見ました。イエスが死んだラザロを生き返らせたのは、終わりの日に復活者イエスが彼に属する者を復活させることを指し示す「しるし」です。ヨハネ福音書は、信じる者が現に生きている「いのち」が復活に至るいのち、「復活の命」であることを指し示しています。「永遠の命」は「復活の命」です。
 新生から始まり復活に至る「新しいいのち」の歩みは、その旅の途上で復活者イエスによって歩く力を与えられます。灼熱の地でも渇くことはありません。復活者イエスが「わたしが与える水を飲む者はいつまでも渇くことなく、わたしが与える水はその人の中で湧き出る水の泉となって、永遠の命に至らせるであろう」(四・一四)と約束しておられます。不毛の地でも飢えることはありません。復活者イエスが「わたしは命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがないであろう」(六・三五)と言っておられます。暗闇でも道に迷うことはありません。復活者イエスは「わたしが世の光である。わたしに従ってくる者は闇の中を歩むことなく、命の光を持つであろう」(八・一二)と言っておられます。危害を加えようとする敵を恐れることはありません。復活者イエスが「わたしは良い羊飼いである。・・・・わたしは、羊たちのために自分の命を捨てる」(一〇・一四〜一五)と言っておられます。神の右に座す神の子が、わたしのために命まで捨ててくださるわたしの味方であれば、誰を恐れることがありましょうか(ローマ八・三一〜三九)。わたしたちは復活者イエスの働きに支えられて「いのちの道」を歩み、栄光の地に達します。この道は十字架に始まり復活に至る道です。
 イエスこそ「復活であり、いのちである」方です。復活者イエスこそ「道であり、真理であり、命である」方です。ヨハネ福音書はイエスをこのような救済者として世界に提示します。

V 「同伴者」聖霊 

聖霊のことを語り出されるイエス

 以上に見たところからも、ヨハネ福音書は他の共観三福音書とかなり性格が違った福音書であることが分かります。他の共観三福音書(マルコ、マタイ、ルカの福音書)がイエスの働きと教えの言葉を語り伝える「イエス伝承」を用いて、あくまで地上のイエスの姿を伝えることを目指しているのに対して、ヨハネ福音書は目撃証人として(時には共観福音書よりも正確に)そのことも果たしながら、自分たちが体験している復活者キリストを、大胆に(あるいは素朴に)「イエス」に重ねて証言しています。この福音書は現在自分たちに働きかける復活者キリストを「イエス」という名で語り、ほとんど「キリスト」という称号を用いません。この福音書に出てくる《クリストス》はほとんどユダヤ教での「メシア」を指す用法です。それで、この福音書の「イエス」は、多くの場合パウロが用いる「キリスト」と同じ方を指していることになります。
 このことから、ヨハネ福音書には他の共観三福音書とは違う際だった特色が出てきます。それは、現在の聖霊の働きを詳しく語るという特色です。共観福音書では、地上のイエスは聖霊の働きについて語られることは僅かです。共観福音書でも洗礼者ヨハネはイエスを「聖霊によってバプテスマする方」と証言していますが、これは最初期共同体が告知する福音を洗礼者ヨハネに語らせている言葉であって、イエスが語られた言葉ではありません。共観福音書でイエスが聖霊について語られた言葉として伝えられているのは、弟子たちが受ける迫害を予告された言葉の中で、裁判にかけられたとき「何を言おうかと心配するな。言うべきことは、聖霊がそのときに教えてくださる」と言われたところ(ルカ一二・一二、マタイの並行箇所では「父の霊」)と、イエスが悪霊を追い出されるのを悪霊の頭ベルゼブルによるとした律法学者たちに、「聖霊を冒?する者は永遠に赦されない」と言って、ご自身の中に働く方を聖霊とされたところ(マルコ三・二九と並行箇所)ぐらいです。
 それに対してヨハネ福音書では聖霊に関するイエスの言葉がかなり詳しく伝えられています。ヨハネ共同体が体験している聖霊の注ぎを、「この方こそ聖霊によってバプテスマする方」(一・三三)であると、洗礼者ヨハネの証言として語っているのは共観福音書と同じです。しかしこの福音書では洗礼者ヨハネの証言はさらに詳しく、「神が遣わされた方は、神の言葉を語る。神は聖霊を限りなく賜うからである」(三・三四)となっています。
 この福音書では、イエスご自身も聖霊について語り出されます。先に見たニコデモとの対話で、新しい命が始まることを御霊の働きとして語っておられます(三・五、六、八)。サマリアの女との対話で、サマリア教とかユダヤ教という宗教の枠を超えて父を礼拝することを「御霊と真理によって礼拝する」時と呼んでおられます(四・二三)。六章の「命のパン」についての対話の後で、「御霊こそが命を与えるものであって、肉は何の役にも立たない。わたしがあなたたちに語ってきた言葉は霊であり、命である」(六・六三)と言って、ご自身が語られた言葉の質を明らかにしておられます。
 七章では、仮庵祭の最後の日にイエスは立ち上がって、祭りの群衆に「誰でも渇く者は、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているように、その人の腹から生きた水の川が流れ出るであろう」と叫んでおられますが、この福音書は「これは、イエスを信じた者が受けることになる御霊のことを言われたのである。イエスがまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだなかったのである」という説明をつけています(七・三七〜三九)。イエスが栄光をお受けになった後では、すなわちイエスの十字架・復活という救いの出来事が成し遂げられたときには、このイエスを信じる者は聖霊を受けることを、イエスご自身が世に向かって叫ばれた、とこの福音書はしています。この説明は、イエスがサマリアの女に「わたしが与える水を飲む者はいつまでも渇くことなく、わたしが与える水はその人の中で湧き出る水の泉となって、永遠の命に至らせるであろう」(四・一四)と言われたときの「水」にも適用されます。この福音書は、イエスを信じる者は聖霊を受けることを、イエスご自身が保証しておられると語っています。

同伴者《パラクレートス》としての聖霊

 このように、ヨハネ福音書では地上で働かれる時期のイエスも聖霊について語っておられますが、イエスが弟子たちに聖霊の働きについて詳しく語られるのは、天から来られた神の子イエスが天に戻られることを語る第二部においてです。イエスは世を去る直前の最後の食事の席で、弟子たちの足を洗い、ご自分が去って行った後のことについて訓戒をお与えになります(一三〜一七章)。この最後の夜の訓話は「訣別遺訓」とも呼ばれ、ヨハネ福音書が伝えるイエスの言葉の中でもっとも大きなまとまりであり、重要なものです。その中でイエスは、去って行く自分に代わって別の「同伴者」が来られることを約束し、弟子たちを励まされます。
 最後の夜の食事の席で、イエスは弟子たちの足を洗った後、ユダの裏切りとペトロの離反を予告し、イエスが去られたあと弟子たちが互いに愛し合うようにという誡めをお与えになります(一三章)。その後、イエスこそが父に至る唯一の道であることを語り(一四・一〜一四)、イエスが去られた後に「別の同伴者」が与えられることを語り出されます(一四・一五〜三一)。

 「あなたたちは、わたしを愛しているならば、わたしの命令を守るであろう。わたしは父にお願いしよう。父は別の同伴者をあなたたちに与え、その方がいつまでもあなたたちと一緒にいるようにしてくださる。その方とは真理の霊である。世はその霊を受けることができない。世はその霊を見ることもないし知ることもないからである。あなたたちはその霊を知っている。その霊はあなたたちのもとに留まり、あなたたちの中におられることになるからである」。(一四・一五〜一七)

 イエスはここで、父が「別の《パラクレートス》」を与えてくださることを予告しておられます(一四・一六)。《パラクレートス》というギリシア語は、《パラ》(側に)と《クレートス》(呼ばれた者)から成る語で、「同情をもって弁明してくれる人」という意味合いの名詞です(織田『新約聖書ギリシア語小辞典』)。この語が法廷で用いられるときは「弁護人」を指します。慣例的に「助け主」とも訳されています。
 「別の」というのは、今まではイエスが《パラクレートス》であったので、イエスが世を去られた後に来られる、イエスに代わる「別の《パラクレートス》」ということになります。そうするとこの《パラクレートス》は、イエスがいつも弟子たちと一緒にいて教えたり導いたりしてくださったように、これからはイエスに代わってその「別の《パラクレートス》」が一緒にいて教えたり導いたりしてくださることを語っておられることになります。そうであれば、「弁護人」という特定の働き(ヨハネT二・一などそういう用例もありますが)に限定することなく、広くいつも一緒にいて教え助ける働きをする人を指すことができる訳語がふさわしいと考え、わたしはこの《パラクレートス》を「同伴者」と訳しています。この「別の同伴者」は、イエスのようにしばらくの間一緒にいて去って行かれる「同伴者」ではなく、「いつまでも一緒にいる」同伴者です。
 すぐに続いて、この「別の同伴者」とは「真理の霊」のことであると説明されます(一四・一七)。これは神の霊、すなわち聖霊を指します。そのことは、すぐ後で「かの同伴者、すなわち父がわたしの名によって遣わされる聖霊であるが、その方があなたたちにすべてのことを教え、わたしがあなたたちに話したことを思い起こさせてくださる」(一四・二六)とされていることからも明らかです。なお、この《パラクレートス》の働きの説明からも、《パラクレートス》の訳語としては「弁護者」よりも「同伴者」の方が適切ではないかと思います。

ヨハネ福音書は「聖霊」という表現を使うことは少なく(一・三三、一四・二六、二〇・二二の三回だけ)、たんに「御霊」とするか「真理の霊」というような独自の表現を多く用います。

 父がイエスを通して送ってくださるこの「別の同伴者」聖霊は、「あなたたち」すなわちイエスの弟子たちのもとに留まり、その交わりの中におられることになると、イエスは言っておられます。これはヨハネ共同体の現在の体験であり、告白です。それがイエスが地上におられた時の言葉として、未来形で語られています。ヨハネ共同体は、自分たちと「世」の違いは、この聖霊が内にいまし、その霊によって形成される共同体か、この霊を知らない共同体かの違いであると自覚しています。イエスを信じる者たちの共同体を世のいかなる共同体とも異なる独自の共同体とするのは、その内に神の霊がいまして、その霊が交わりを形成しているという事実です。この霊がいまさないところでは、人間がどれだけ宗教的であろうが文化的に優れていようが、神の民ではありえません。「世」とは、神の霊をもたず、人間が人間の力で形成している共同体の総称です。ヨハネ共同体は自分たちに敵対して迫害するユダヤ教会堂勢力を、神の民と自称していながら聖霊を知ることがないゆえに神の民ではありえず、聖霊によって形成された真の神の民に敵対する「世」の典型として見ています。

ヨハネ福音書における「世」《コスモス》の用例については、拙著『対話編・永遠の命―ヨハネ福音書講解U』124頁の「特注―ヨハネ福音書における『世』」を参照してください。

 この「別の同伴者」が来ることを予告された言葉の直後に、イエスはこう言っておられます。

 「わたしはあなたたちを孤児とはしない。わたしはあなたたちのところに戻って来る」。(一四・一八)

 同伴者がだれもない状況が「孤児」と言われています。去って行かれるイエスは「わたしはあなたたちのところに戻って来る」と言って、弟子たちを同伴者なしの孤児とはしないと約束しておられます。そうすると、さきに約束された「別の同伴者」は、復活して御霊として弟子たちの内に来られて働かれるイエス、すなわち復活者イエスその方になるわけです。このヨハネ福音書の復活者イエスは、御霊として信じる者の内に働かれる方を「キリスト」と呼ぶパウロの「キリスト」と同じです。復活者イエスは永遠に神と共にいます御子です。その御子が天から地に降り、ナザレのイエスとしてしばらくの間人の世で働いたあと天に戻られますが、再び聖霊として信じる者たちのもとに来て、その中で働かれます。ヨハネ福音書の「神の子」イエスは、すでに聖霊として信じる者たちの共同体の内に来ておられる方です。ヨハネ福音書では、雲に乗って来臨される(黙示思想的な)「キリストの来臨《パルーシア》」は語られなくなります。そのようなキリストを待ち望むのではなく、現に内にいて働かれる復活者イエスに「とどまる」ことが信仰の課題になります。

聖霊による終末の現臨

 本来の「訣別遺訓」は一四章で終わり、その末尾は一八章に自然に続きます。しかし、さらに必要が感じられて拡大され、一五章から一七章が加えられたものと考えられます。その中で聖霊の働きもさらに詳しく語られることになります(一六・五〜一五)。そこでは、《パラクレートス》の働きが「罪について、義について、裁きについて、世を糾弾する」というような法廷的な場面で語られているので、ここでは《パラクレートス》は「弁護者」と訳してもよい場合になるでしょう。世の法廷(とくにユダヤ教会堂での裁判)に訴えられるキリスト者が弁証するとき、その中に聖霊が働き、イエスを信じることを罪として訴追する側が、神が遣わされた方を拒否するという最大の罪を犯していること、イエスが復活しておられるという現実が(律法違反で訴えられている)イエスとイエスを信じる者の方が義であること、そしてイエスを裁き十字架にかけて殺した世の支配者《アルコーン》が実はその十字架において神に裁かれたという霊界の奥義を明らかにし、裁く側を糾弾するであろう、とヨハネ共同体は自分たちの体験をイエスの予告の言葉の形で語っています。
 イエスが地上におられたときにも、弟子たちにはたとえなどを用い、様々な形で教えられました。しかし最後の夜、「あなたたちに話しておくべきことはまだ多くあるが、今あなたたちはそれに耐えることができない」(一六・一二)と前置きして、こう言われます。

 「しかし、その方、すなわち真理の霊が来るときには、あなたたちをすべての真理に導き入れるであろう」。(一六・一三)

 イエスが去られた後、父のもとから遣わされる「別の同伴者」は、すでに「真理の霊」と呼ばれていましたが(一四・一七、一五・二六)、ここでそう呼ばれる理由が説明されます。すなわち、その「同伴者」は人を「すべての真理に導き入れる霊」であるからです。ヨハネ福音書における「真理」《アレーセイア》とは、御子イエス・キリストを知って、キリストにあって霊なる父との交わりに生きる霊的リアリティー(現実)を意味します。聖霊だけが人間をこのリアリティーに導き入れるのです。その意味で聖霊は「真理の霊」と呼ばれます。聖霊の働きなしでは、福音は霊的現実をもたない空疎な人間の観念の領域に留まります。
 ヨハネ福音書が「真理」をこのような意味で用いていることは、すでに序詩において「律法はモーセを通して与えられ、恩恵と真理はイエス・キリストを通して成った」(一・一七)とうたわれています。この福音書は、モーセによって与えられた律法と対比して、イエス・キリストによって与えられた現実を「恩恵と真理」と要約しています。モーセは律法によって神の要求と裁きを明らかにしました。それに対してイエス・キリストは無条件に与えられる恩恵の場を備えてくださり、律法が影として予告していたことの実体(リアリティー)をもたらされたとします。そして、「まことの礼拝をする者たちが御霊と真理によって父を礼拝する時が来るであろう。いや今がその時である」(四・二三)と言って、御霊と真理を一体として扱っています。

ヨハネ福音書は《アレーセイア》(真理)という語を二五回用いています。ヨハネの三書簡では二〇回出て来ます。合わせると四五回になりますが、これは新約聖書全体で一〇九回の用例の半分近くになり、ヨハネ共同体がいかにこの用語をよく使ったかがうかがわれます。《アレーセイア》がよく用いられるもう一つのグループは牧会三書簡(計一四回)ですが、そこでの用法はヨハネ文書での意味とはすこし違ってきているようです。

 この聖霊がもたらす現実が、それを体験し証言する書としてのヨハネ福音書を「実現された終末論」の書とします。共観福音書が差し迫った「キリストの来臨」を救いの出来事として語る面が強いのに対して、ヨハネ福音書はそのような黙示思想的な待望については語ることなく、復活されたイエスは聖霊という形で「別の同伴者」としてすでに来ておられるとし、聖霊がもたらされる現実を「永遠の命」と呼び、それが現在すでに与えられていること、イエスを信じる者は現にその「いのち」に生きていることを強調します。イエスこそ「復活」であり、「いのち」であるのです(一一・二五)。このイエスを信じてイエスに結ばれている者は、すでに「死から命に移っている」のです(五・二四)。
 イエスの時代のユダヤ教は黙示思想的な待望に燃えていました。クムラン共同体が代表するエッセネ派は、死海文書に証言されているように、間近な神の介入による終末の到来に備えて厳格な律法生活による準備を整えていました。主流のファリサイ派も、その中の過激派である「熱心党」に見られるように、メシア待望に生きていました。イエスをメシア・キリストと告白する最初期のエルサレム共同体も、このようなユダヤ教の中の終末待望の一派と見られていました。そのような黙示思想的ユダヤ教の枠を打ち破って、イエス・キリストによる救いを聖霊による現在の体験として自覚し、それを福音として告知したのはパウロです。
 パウロは、人が義とされる(=救われる)のはユダヤ教の律法を行うこととは関係なく、キリスト信仰によってであるという原理、「信仰による義」の原理を確立し、割礼を受けてユダヤ教徒にならなくても、キリストにあるならば異邦人のままで救われ、神の民となるという「無割礼の福音」を告知したことで、福音の展開の歴史において最大級の貢献をしました。しかし、パウロの功績はそれだけでなく、キリストにある者は聖霊によってすでに終末の現実に生きているという自覚を明確にして、黙示思想の二元論的枠組みを克服したこと、少なくともその克服への道のために突破口を開いたことにあります。
 黙示思想の二元論的枠組みというのは、「今のこの世《アイオーン》」と「来たるべき世《アイオーン》」の対立という形で神の救済を見る思想です。黙示思想的枠組みの中でなされた福音告知においては、イエス・キリストの十字架と復活の出来事において終わりの日になされると約束されていた救いのための出来事は成し遂げられた(メシアは来た)のですが、その出来事による人間の救済、または神の支配の到来は「キリストの来臨」によるものとされ、その時に「来たるべき世」が始まるとされていました。最初期のユダヤ人からなる共同体はこのような黙示思想的な枠組みで救済を理解していましたが、その中でパウロは、一面ではそのような枠組みを保持しつつ、他面では聖霊による現在のキリスト体験、言い換えれば「キリストにあって」現在体験している聖霊の現実を深く自覚し、それを明確な言葉で語り出していました。この「終末の現在化」の自覚が、終末待望を健全な形で維持する土台となり、周囲の黙示思想的待望だけのユダヤ教諸派とキリストの民を区別する標識となっていきます。
 パウロの「無割礼の福音」によって、ヘレニズム世界の異邦諸国民の間に進出した福音は、もはやユダヤ教黙示思想の枠組みに無縁な世界で、その救済理解は聖霊による現在の「いのち」の現実に集中していきます。その傾向はパウロ以後に書かれたコロサイ書やエフェソ書というパウロ名書簡に表れています。これらの書簡では、もはや「キリストの来臨《パルーシア》」とか終わりの日の死者の復活《アナスタシス》は語られず、キリストに属する者は「もろもろの違反によって死んでいるわたしたちさえもキリストと共に生かし、キリスト・イエスにあって共に復活させ、共に天上の座に着かせてくださった」(エフェソ二・五)と過去形で語られ、現在の「いのち」の姿に焦点が結ばれてきます。
 ヨハネ福音書はこの傾向をさらに推し進めたところに成立します。ヨハネ福音書とこれらのパウロ名書簡との親近性については先に触れました。ヨハネ福音書は、「人の子」というようなユダヤ教黙示思想の用語を用いていることからも分かるように、ユダヤ教的背景を強く残しています。それはヨハネ共同体の成り立ちからすれば当然の体質です。それにもかかわらず、黙示思想の二元論的枠組みを克服して、聖霊による現在の「いのち」のリアリティーを前面に立てて福音を語っています。その事実に、福音の歴史的展開の流れにおけるこの福音書の重要な位置と意義を見ることができます。最初期の福音の歴史的展開におけるこの福音書の位置については、次項(W)で見ることになります。

「永遠の命」の諸相

 以上に見たように、聖霊が働いておられる現実が「永遠の命」です。従って、「永遠の命」がわたしたちの人生に実際どのように現れるのかは、信じる者の内に現れる聖霊の働きの問題となります。パウロは現実の人生における聖霊の現れを「信仰と愛と希望」という三つの相で語りました。これは、人間存在が神との関わりという垂直軸、隣人との関わりという水平軸、時間の中の存在という時間軸という三つの軸をもつ存在、あるいはこの三つの次元の交点にある存在であるという事実に対応する聖霊の働きの現れでした。
 神との関わりにおいては、聖霊はわたしたちの中にあって「アッバ、父よ」と呼ばせて、神の子として生きる現実を与えてくださっています(ローマ八・一五〜一六)。この御霊により神の子として生きる現実を、パウロは「信仰」と呼んでいます。ここでの「信仰」は、「信仰によって義とされる」というときの「信仰」とは別の視点から見られています。隣人との関わりにおいては、聖霊によって賜っている無条件の神の愛を受けて、その愛によって敵をも愛する無条件の隣人愛として現れます(ローマ一二・九〜二一)。そして、現在すでに来ている「いのち」の現実が将来栄光として現れるという確信の形で、希望という姿をとって現れます(ローマ八・一八〜二五)。パウロは人生における聖霊の現れをこのように語りましたが、ヨハネはどのように語っているのでしょうか。

1 ヨハネ福音書における「信仰」の特色は、「信じる」ことが「知る」(または「悟る」とか「分かる」)ことと組み合わされて出てくることです。ヨハネの手紙も含め、典型的な場合をあげておきます。

 「わたしたちは、あなたが神の聖者であることを信じ、また知っています」。(六・六九)


 「もしわたしが父の業をしていないのであれば、わたしを信じるな。しかし、もしわたしがしているのであれば、わたしを信じなくても、業を信じなさい。そうすれば、父がわたしの内におられ、わたしが父の内にいることがわかり、悟るにいたるであろう」。(一〇・三七〜三八)

 「今や彼らは、あなたがわたしに与えてくださったものはみな、あなたから来たものであることを悟りました。それは、あなたがわたしに与えてくださった言葉を、わたしは彼らに与え、彼らは受け入れて、わたしがあなたのもとから来たのであることを本当に知り、また、あなたがわたしを遣わされたことを信じたからです」。(一七・七〜八)

 「わたしたちは、わたしたちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます」。 (ヨハネT四・一六)
 先に見たように、去って行かれるイエスは、「別の同伴者」として弟子たちのところに戻ってこられることを約束されました。そして、その「別の同伴者」である聖霊が来られるときに起こることを次のように語られました。

 「その日には、わたしがわたしの父の内におり、あなたたちがわたしの内に、そしてわたしがあなたたちの内にいることが分かるであろう」。(一四・二〇)

 聖霊が来てわたしたちの内に働かれるようになるとき、わたしたちは「真理」《アレーセイア》に導き入れられ、「真理」を「知る」、あるいは「悟る」に至ります。ここで「分かるであろう」と訳した動詞のギリシア語原語は《ギノースコー》であり、その名詞形が《グノーシス》(知識、悟り)です。その日にわたしたちが体験して悟る「真理」(霊的リアリティー)の内容がここで、「わたしがわたしの父の内におり、あなたたちがわたしの内に、そしてわたしがあなたたちの内にいること」と明確に語り出されています。
 ここでは、イエスと父との関わりが「わたしがわたしの父の内にいる」こととされていますが、これは先に宣言しておられたように(一〇・三八、一四・一一)、「父がわたしの内にいます」ことと一体です。イエスが父と一つなる交わりにある方であることが「真理」の第一です。それと同時に、そのイエスが「わたしたちの内にいてくださる」ことと、「わたしたちが(父と一つである)イエスの内にいる」ことが「真理」の第二の面です。こうして、父とイエス、イエスとわたしたちの相互内住こそ、聖霊が導き入れてくださる「真理」、霊的リアリティーの内実です。こうしてヨハネにおいては、わたしたちがイエスの内にとどまることによって、父との交わりに生きる現実に入ることになります。それはこの霊的リアリティーを悟ることと一体です。これが「信仰」であり、これが「永遠の命」の一つの相です(一七・三)。その事態をヨハネは「信じ、また知っています」と告白し、時には「知り、かつ信じています」と言い表します。これは、パウロがキリストにあって子とする御霊により「アッバ、父よ」と呼んで、神の子の現実に生きることを語ったのと同じ事態です。

2 「永遠の命」の第二の相は「愛」《アガペー》です。前節「イエスが愛した弟子とその共同体」で見たように、ヨハネ共同体を率いた弟子ヨハネは、晩年共同体に残した最後の遺言とも言える「ヨハネの第一の手紙」において、とくに「愛《アガペー》」を賛美称揚しています。ヨハネが言う「愛」は、わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛してくださった愛です(ヨハネT四・七〜一二)。その愛そのものにいます神の愛を受けて生きている者として、イエスにとどまる弟子は互いに愛し合うことだけが繰り返し求められます。このような長老ヨハネの説教が文書になった「ヨハネ福音書」が「愛の福音書」になるのは当然です。その典型的な箇所は、新約聖書でもっとも有名な次の箇所です。

 神は世を愛して、そのひとり子を与えてくださった。それは、すべて彼を信じる者が滅びることなく、永遠の命をもつようになるためである。(三・一六)

 同じくイエス・キリストにおいて示された神の愛による救いの出来事を、パウロは「恩恵《カリス》」と呼びます。新約聖書での「恩恵」の用例は、パウロが圧倒的多数を占めています。ところがヨハネは「恩恵《カリス》」という語を用いません。この用語が出てくるのは序詩の四回だけで、本体部分には一度も出てきません。パウロが「恩恵」を語るところで、ヨハネはいつも「愛《アガペー》」という語を用いて語ります。パウロを「恩恵の使徒」と呼ぶとすれば、ヨハネは「愛の使徒」ということになります。同じ救いの出来事を、パウロは受ける資格のない者への神の働きかけ方に注目して「恩恵」と呼び、ヨハネはそのような働きかけが出てくる源に注目して「愛」と呼んでいる、と理解してよいでしょう。
 そのひとり子を十字架の死に渡してまでわたしたちを救い、永遠の命を与えてくださった神の愛を受けている者として、わたしたちにはそのような質の愛をもって「互いに愛し合う」ことだけが求められます。これは、「あなたたちの父が慈愛深いのだから、あなたたちも慈愛深い者でありなさい」(ルカ六・三六)と言われたイエスの言葉と同じです。この構造はパウロもヨハネも同じです。
 問題は、ヨハネにおいては弟子たちに向かって「互いに愛し合う」ことが求められていて、共観福音書のイエスのように敵をも含む隣人への愛について語られていないことです。イエスの弟子の間だけの愛として、これは仲間内だけの愛、世から隔絶した「壁の中の愛」ではないか、という疑問が出されます。たしかに、イエスが弟子たちに語りかけられるところでは、「互いに愛し合う」ことが語られていますが、イエスが人を愛される愛の質は、いかなる立場の相手にも向けられる無条件絶対の愛であり、弟子たちにも同じ質の愛をもって愛し合うように求めておられます。イエスは最後の食事の席で、弟子たちの足を洗い、「主であり師であるわたしがあなたたちの足を洗ったのであれば、あなたたちもまたお互いの足を洗わなければならない。わたしがあなたたちにしたように、あなたたちも同じようにするようにと、わたしはあなたたちに模範を示したのである」と言っておられます(一三・一四〜一五)。そのような質の愛は、必然的に仲間の枠を超え、すべての隣人に向かっていくことになります。
 ヨハネ福音書には、マタイの「山上の説教」やルカの「平地の説教」のような弟子の生き方に関する倫理的訓話集はありません。あるのは「わたしがあなたたちを愛したように、あなたたちも互いに愛し合いなさい」という遺訓だけです。その愛が「別の同伴者」である聖霊の約束と共に語られることによって、その愛が聖霊による愛であることが指し示されています。わたしたちは聖霊によらなければ、イエスが愛されたように愛することはできません。聖霊が働かれる場においてはじめて、わたしたちは敵をも愛する質の愛《アガペー》に生きることができます。パウロが言うように、愛《アガペー》は聖霊の賜物(現れ)の一つです(コリントT一三章)。こうして、聖霊により「愛」《アガペー》は「永遠の命」の一つの相(現れる姿)となります。

3 信仰と愛と希望の中で、ヨハネ福音書は希望について語ることが少ないように見受けられます。それは、すでに救いを得ている、現に「いのち」を持っているとする救いの現在性の強調の自然な結果です。しかし、ヨハネ福音書にも将来への希望がないわけではありません。その希望はこの福音書独自の形で語られています。
 イエスが「訣別遺訓」で「別の同伴者」聖霊が来ることを約束された中で、聖霊の働きの一つとして「その方は・・・・来るべきことをあなたたちに告げることになる」と言っておられます(一六・一三)。わたしたちは地上に生きている限り時間の中にいるのであって、過去があるのと同じく将来があります。わたしたち人間は時間の中で、過去を回顧したり反省したり、また将来を待望したり恐れたりしながら現在を生きています。そのような生の中で、聖霊は将来の方向に向かうわたしたちの生の在り方を、「来たるべきことを告げる」ことによって希望で満たしてくださいます。
 聖霊が「来たるべきことを告げる」働きをされるのは、いつどこでどのようなことが起こるという予言をすることではありません(例外的にそのようなこともありますが)。最初期の共同体には、預言者運動の面があったことは事実です。霊感を受けた預言者たちが世界の成り行きについて主の言葉を告げて共同体を励ますということがありました(典型的な例はヨハネ黙示録です)。それが伝統的なユダヤ教黙示思想の形で語られ、共観福音書に入れられている黙示録的な終末預言となっていました(マルコ一三章とその並行箇所)。ヨハネ福音書にはそのような黙示録的終末預言はありません。「来臨」《パルーシア》について語られることはありません。聖霊は迫害を「来たるべきこと」として予告されますが、同時にすでに勝利されたイエスによって平安と勝利が与えられることが告げられます(一六章)。こうして、聖霊による「永遠の命」は、苦難の現実の中で将来の勝利を確かなものにする力となり、希望の源泉となります。
 新約聖書において「救い」は通常、現在すでに始まっているがその完成はまだ将来のことであるという、「すでに・まだ」の構造で語られています。ヨハネ共同体もそのような構造で「救い」を理解している面があることは、先に「ヨハネの第一の手紙」の講解で見たとおりです(335頁「ヨハネ共同体における終末待望」の項を参照)。ところが、ヨハネ福音書ではその「すでに・まだ」の構造が少し違った内容を見せています。
 ヨハネ福音書において「時」は特別な構造をとっています。「・・・するであろう時が来る」と将来の出来事が未来形の動詞で語られるのと同時に、「いや今がその時である」という宣言が続きます。

 「まことの礼拝をする者たちが霊と真理によって父を礼拝する時が来るであろう。いや今がその時である」(四・二三)


「死んでいる者たちが神の子の声を聞くようになり、聞く者が生きるようになる時が来る。いや今がその時である」。(五・二五 直訳)
 救済の時、完成の時が未来形で語られていますが、これは終末待望の表現形式です。それは終末待望の世界に生きていることの告白でもあります。ところが、ヨハネ福音書はその時が今来ていると宣言します。これは典型的な「実現された終末論」の表現とされています。しかし、終末が実現して、待望する必要がなくなったのではありません。終末待望がなくなったのではありません。待望している終末を現在に引き寄せて生きているのです。この構造がヨハネ福音書の終末論を独特のものにしています。これは「終末待望の現在化」という方が正確でしょう。
 ところで、パウロは将来の希望を語るところで、現在の「御霊《プニューマ》と肉《サルクス》」の相克が克服される終末を待望しています。それは朽ちるべき卑しい「肉の体」が朽ちることのない栄光の「霊の体」に変えられるときへの待望として告白されています(コリントT一五・四二〜四四)。それに対して、ヨハネでは「御霊《プニューマ》と肉《サルクス》」の対立とか相克は見られません。だいたいヨハネ福音書では御霊と対立する「肉」という用例は、(その起源が問題視される段落に出てくる)六章六三節の一回だけです。ヨハネ福音書では、克服されるべき対立は御霊によって生きる共同体と「世」との対立であり相克です。ヨハネ福音書は、「訣別遺訓」で聖霊の到来を約束し、その聖霊が「あなたたちの内に」働くことによって世との対立を克服して勝利を与えることを約束します(一六章)。「訣別遺訓」は「世にあってあなたたちは苦しみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは世に打ち勝っている」という言葉で結ばれます(一六・三三)。

W ヨハネ福音書の位置

ユダヤ教との関係における位置

 ヨハネ共同体の中核メンバーは、長老自身を含めもとは洗礼者ヨハネの弟子であった人たちですから、ユダヤ教の体質が深く刻み込まれていることは当然です。また、初めはパレスチナで活動したのですから、パレスチナ・シリア地域の宗教的伝統が強く影響していることも当然です。しかし、当初からイエスを認めないユダヤ教会堂勢力とは対立して迫害され、とくに七〇年以後の時期に行われたと見られる会堂からの追放決議により対立は決定的となり、ヨハネ共同体はユダヤ教会堂に向かって神の裁きを宣言するに至っています(三・一八)。七〇年以前のパウロにおいては、まだユダヤ人の救いのために労し祈る姿勢が強くありましたが、追放決議以後においてはもはやそのような姿勢はなく、互いに断罪を投げつけ合う関係になっています。
 この点では、ほぼ同じような時期(一世紀末)に成立したと見られるマタイ福音書と同じです。両者とも強くユダヤ教的体質を示していますが、それだけにユダヤ教会堂との対立は厳しく、ユダヤ人を突き放した書き方になっています。両者ともユダヤ教から立ち去り、異邦世界に出て行こうとしています。ただ、マタイはマルコ福音書を基本的な枠として受け入れ、パレスチナ・シリア地域で形成されたパレスチナ・ユダヤ人の伝承(たとえば「語録資料Q」)を主要な内容としていますから、著者のユダヤ教律法学者的な体質もあって、「ユダヤ教内キリスト信仰」の延長上にある福音書となっています。マタイ福音書は、もはや異邦人に割礼を求めることはないので、厳密には「ユダヤ教内キリスト信仰」の福音書とは言えませんが、その内容は「ユダヤ教内キリスト信仰」の質をよく示しているという意味で、「延長上にある」と言えます。
 それに対してヨハネ福音書は、マルコ福音書やパレスチナ・ユダヤ人のイエス伝承に依存することなく、目撃証人である弟子の証言と伝承に基づいて書かれています。そして、ヘレニズム文化の中心地であるエフェソで活動した共同体において成立した福音書として、ギリシア文化と思想を十分に吸収して、ギリシア世界に語りかける内容となっています。それに同じエフェソを中心として展開しているパウロ系共同体の影響(したがってパウロの影響)も見られ(後述)、「ユダヤ教の外でのキリスト信仰」を示す福音書となっています。この点ではマタイ福音書とは違ってきています。

ヨハネとペトロ

 ヨハネ福音書には、共観福音書にある「十二人」の弟子のリストはありません。この「十二人」は名前があげられているだけで彼らの言動はほとんど伝えられていません。いつもペトロが行動しています。ペトロは「十二人」を代表する弟子です。「十二人」に触れないヨハネ福音書は、(補遺の二一章を除く本体では)ペトロについても触れることは少なく、ペトロが弟子団を代表して行動しているところは、ペトロがイエスに向かって、「わたしたちは誰のところに行きましょうか。あなたには永遠の命の言葉があります」と言ったところぐらいです(六・六八)。もっとも、最後の食事の席で足を洗ってもらったペトロがイエスに向かって発言し重要な対話がなされています(一三・六〜一一)。また、ペトロが三度までイエスを知らないと言ったことは、共観福音書と同じように大きく扱われています(一三・三六〜三八、一八・一五〜一八、一八・二五〜二七)。
 ヨハネ福音書におけるペトロの扱い方で目立つのは、ペトロが「イエスが愛された弟子」と一組で登場する場面です(一三・二四、一八・一五、二〇・二〜一〇)。このような場面では、ペトロの他に「もう一人の弟子」がいたこと、そしてむしろこの「もう一人の弟子」の方がペトロ以上に重要な働きをしていることを示唆するような書き方になっていることが注目されます。これは、ペトロが代表する十二人の「使徒たち」に率いられる主流の共同体とは別に、自分たちが「もう一人の弟子」に代表される「もう一つの別の共同体」であり、その共同体はペトロ以上に確かな証言と伝承に基づいて形成されている共同体であるという自覚から出た表現であると考えられます。また、その自覚の表れの一つでしょう、この福音書には「使徒」という呼び方は出てきません。ペトロもこの共同体の代表者も共に「弟子」と呼ばれています。ヨハネは、イエスと共にあった時はまだ若くて、「十二人」のように「神の国」の告知のために「遣わされた者(使徒)」ではなかったからです。
 ただ、二一章の補遺ではペトロが大きく扱われています。これは(前節で触れた)ヨハネ共同体の分裂後、長老ヨハネのもとに残った人たちが(長老が亡くなった後で)ペトロに代表される主流の共同体に合流するようになった時期に、主流の共同体との関係を調整するために書き加えられたものと推察されます。

ヨハネとパウロ

 これまでにヨハネ福音書の内容を検討する過程で見られたように、ヨハネはパウロの路線の延長上に位置すると見ることができます。とくに、パウロ以後の時期(最初期後期)に成立したコロサイ書やエフェソ書などのパウロ名書簡に見られる信仰理解に近いところにいると見られます。もっとも、パウロとパウロの後継者のキリスト信仰は、イエス伝承を用いることなく「書簡」という形で表現されており、ヨハネのキリスト信仰はイエスの教えや働きを伝える「福音書」という形で語られているので、違ったジャンルの文書を単純に並べて比較できませんが、そのような表現を生み出す源となるキリスト信仰の質は同じ路線上にあると言えるでしょう。
 その同質性で印象深い第一の点は、救いを現在の体験として強調する「終末待望の現在化」ともいうべき信仰理解です。最初の福音告知はエルサレム共同体の福音告知、すなわち十字架につけられたイエスは復活してメシア・キリストとして立てられ、このイエス・キリストはすぐに来臨して世界を裁く方であるから、悔い改めてイエス・キリストを信じるようにという告知でした。最初のキリスト信仰共同体は、当時のユダヤ教世界で燃えていた終末待望の一派として出発しました。そのような中から、ユダヤ教黙示思想的な終末待望の枠を突き破って、キリストによる救いを現在の霊的体験として自覚し、それを福音告知の中心に据えたのはパウロでした。福音の史的展開におけるパウロの最大の功績は、救われて神の民となるのはキリスト信仰によるのであって、割礼を受けてユダヤ教に改宗する必要はないという原理を確立したことです。すなわち、ユダヤ教の外での救いを確立したことです。そのパウロは同時に、ユダヤ教の外で信仰により受ける聖霊の現実を深く自覚し、それを中心に据えることで、キリスト信仰をユダヤ教黙示思想の枠組みから解き放つ突破口を切り開きました。
 パウロはなお使徒時代の福音告知を共有しており、一面で《パルーシア》(来臨)という黙示思想的終末待望を保持していますが、七〇年以後の後期のパウロ名書簡になると、ユダヤ教から離れてギリシア世界に定着したキリスト信仰の表現として、もはやユダヤ教律法との関係は解決済みとして「律法」という用語も出てこなくなり、ユダヤ教の黙示思想的な《パルーシア》は語られず、信仰の視線はもっぱら現在の霊的現実に注がれるようになります。ユダヤ教からの離脱は一段と進みます。
 先にも見たように、ヨハネ共同体はもともと熱心なユダヤ教徒の集団であり、その歩みの前半はパレスチナ・シリア地域でなされたのですから、ユダヤ教的体質を色濃く残していることは当然です。しかし、それにもかかわらずヨハネ福音書のようなユダヤ教の律法主義と黙示思想的枠組みを克服した福音書、パウロの路線を徹底したような福音書を生み出すようになるのは、どのようにして起こったのでしょうか。イエスの愛弟子としてのヨハネの霊的直感とか宗教的天才、とくに深い聖霊体験がそうさせたのでしょうか。それとも何らかの形でパウロの影響があったのでしょうか。
 わたしは両方だと思います。パウロの影響という面では、エフェソで活動した事実が重要だと考えられます。パウロがエーゲ海地域で活動し、ここに述べたような質の福音を告知していた時期には、ヨハネ共同体はパレスチナ・シリア地域で活動していたのですから、直接の関わりはなかったと見なければなりません。しかし、ヨハネ共同体が(おそらく六〇年代に)エフェソに移住して、エフェソで異邦人社会に向かって活動するようになった時期には、同じくエフェソを中心とするアジア州に展開していたパウロ系の諸集会に保持されているパウロの信仰伝承と様々な形で接することになり、影響を受けたと推察されます。ヨハネ共同体はパウロ系諸集会とは別の交わりを形成し、別の活動をしていたと考えられますが、この地域の重なりは無視できません。
 その影響の程度とか具体的な形はともかく、ヨハネ共同体はイエスの出来事の直接の目撃証人である弟子の証言と、共同体における力強い聖霊の働きの中で体験する復活者イエスとの交わりにより、結果としてパウロの福音理解を継承するような「福音書」を生み出すことになります。

ヨハネ福音書とグノーシス主義

 福音の歴史的展開の流れにおけるこの福音書の位置といえば、二世紀以後に勢力を伸ばしてくるグノーシス派との関係に触れないで済ますことができません。この福音書が後にグノーシス派に影響を与えたことは十分にありえますし、事実ヴァレンティノス派はヨハネ福音書をよく用いたようです。また、このヨハネ福音書自体を「素朴な形ながらすでにグノーシス主義化しつつある文書」とする見方(ケーゼマン)もあり、ヨハネ福音書とグノーシス主義との関係は問題の一つであることは確かです。しかし、グノーシス主義とは何であるのかが決められないこの段階で、ヨハネ福音書とグノーシス主義との関係を論じることはできません。この問題は、グノーシス主義がその姿を現す二世紀以後の問題として、本書では「終章」で取り上げることにします。

ヨハネ福音書とグノーシス主義との関係、とくにケーゼマンの主張に関しては、大貫隆『ロゴスとソフィア―ヨハネ福音書からグノーシスと初期教父への道』(教文館)の「U ヨハネ福音書とグノーシス主義」が詳しく解説していますので、それを参照してください。