20 多くの病人をいやす(4章38〜41節)
シモンの家での出来事
イエスは会堂を立ち去り、シモンの家にお入りになった。シモンのしゅうとめが高い熱に苦しんでいたので、人々は彼女のことをイエスに頼んだ。(四・三八)
ルカ福音書では、ここで初めてシモンの名が出て来ます。ペトロという呼び名は、十二弟子の名が列挙されるところ(六・一四)で、イエスが「ペトロと名付けられたシモン」という形で出てくるところから始まります。それよりも先にイエスがシモンを弟子とされた記事(五・八)に「シモン・ペトロ」という形で出てきていますが、この記事をどのような性格の記事として理解するかは問題がありますので(当該箇所の講解を参照)、この段落を別にしますと、シモンという名で出てくるのは、ここと最後の晩餐の記事(二二・三一〜三三)、および復活後の弟子仲間の会話(二四・三四)だけで、他はすべてペトロという名で呼ばれています。「ペトロの家」 カファルナウムは、近年の考古学的発掘調査によると、直交する道で区画され、各区画には数家族が住む集合住宅が建てられていました。多くの場合、一つの住宅は中庭を囲むように数家族の住居が配置され、道路に面した入口は一つで、外壁は窓がなく、部屋はみな中庭に面していました。住民は中庭で日常の生活や作業をしたり、交流したようです。中庭には屋上に出るための階段があり、部屋の屋根は木の梁に押し固めた泥土が用いられていました。一九六八年の発掘で、湖岸近くで会堂にも接している住居跡が発見され、「ペトロの家」と呼ばれるようになっています。それは、ヘレニズム期に建てられたもので、カファルナウムに移住したペトロ一家が住んだ可能性があり、使徒時代には「家の教会堂」として用いられ、後年さらに改築されて巡礼たちの家となり、壁にキリスト教徒による各種古代語の落書きが残されているということです。
先に見たように、シモンが洗礼者ヨハネのところでイエスに出会い弟子となっていたのであれば、彼はバプテスマを受けた後、カファルナウムに帰り、生業である漁業の生活に戻っていたときに、再びイエスに会ったことになります。しかしルカは、ここで初めてシモンを登場させ、このような形でイエスに出会い、その後で弟子として召された(五・一〜一一)としています。イエスが枕もとに立って熱を叱りつけられると、熱は去り、彼女はすぐに起き上がって一同をもてなした。(四・三九)
ここでも高熱を伴う病気が「病気の霊」の仕業とされ、イエスがその霊を叱りつけて命じられると、病気の霊が出て行って熱が去ったとされています。彼女はすぐに起き上がって「彼らに仕えた」とされていますが、この「彼ら」はイエスを含む招かれた知人たちや縁者を指すのでしょう。夕暮れのいやし
日が暮れると、いろいろな病気で苦しむ者を抱えている人が皆、病人たちをイエスのもとに連れて来た。イエスはその一人一人に手を置いていやされた。(四・四〇)
イエスが会堂で悪霊に取りつかれた男から悪霊を追い出し、続きに入られたシモンの家で彼のしうとめの熱病をいやされたのは安息日でした。「日が暮れると」安息日が終わります。安息日には病人を運んだり、病気をいやす行為は律法によって禁じられていましたから、日が暮れて安息日が終わると、すでにイエスの評判を聞きつけていたカファルナウムの人々は、大挙して病人を連れてきます。シモンの家の中庭は病人を連れてきた人々で一杯になったことでしょう。悪霊もわめき立て、「お前は神の子だ」と言いながら、多くの人々から出て行った。イエスは悪霊を戒めて、ものを言うことをお許しにならなかった。悪霊は、イエスをメシアだと知っていたからである。(四・四一)
イエスのもとに連れてこられた病人の中には、現代では精神病とされている人たちも多くいました。イエスのもとに連れてこられた病人の中に巣くう悪霊どもは、イエスの前に出るとわめきだし、「お前は神の子だ」と叫びながら、取りついている人から出て行きます。これは、先に会堂で起こったことと同じですが、そこでは「神の聖者」と表現されていましたが、ここでは「神の子」と言われています。両方とも、神から遣わされた方、神に属する方を指しますが、「神の子」はさらにその人物と神との同質性を指す方向にあります。