市川喜一著作集 > 第16巻 対話編・永遠の命U > 第24講

第二節 ペトロと愛弟子

70 ペトロと愛弟子(21章 15〜25節)

 15 ところで、彼らが食事をした時、イエスはシモン・ペトロに言われる、「ヨハネの子シモンよ、あなたはこの者たち以上にわたしを愛するか」。ペトロは言う、「はい、主よ。わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」。イエスが言われる、「わたしの小羊たちを養いなさい」。 16 イエスはまた、二度目にシモンに言われる、「ヨハネの子シモンよ、あなたはわたしを愛するか」。シモンは言う、「はい、主よ。わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」。イエスは彼に言われる、「わたしの群れを牧しなさい」。 17 三度目にイエスは彼に言われる、「ヨハネの子シモンよ、あなたはわたしを愛するか」。イエスが三度まで「わたしを愛するか」と言われたので、ペトロは悲しくなり、イエスに言う、「主よ、あなたはすべてをご存じです。あなたは、わたしがあなたを愛していることを知っておられます」。イエスは彼に言われる、「わたしの群れを養いなさい。 18 アーメン、アーメン、わたしはあなたに言う。あなたが若かったときには、あなたは自分の帯を締めて、自分が望むままに歩き回っていた。しかし、年をとると、あなたは両手を広げ、他の人があなたの帯を締め、あなたが望まないところに連れて行く」。 19 イエスがこのように言われたのは、彼がどのような死に方で神の栄光を現すようになるかを示すためであった。このように話してから、イエスは彼に言われる、「わたしに従って来なさい」。
 20 ペトロが振り向くと、イエスが愛しておられたあの弟子が従って来るのが見えた。この弟子は、食事のときイエスの胸に寄りかかって、「主よ、あなたを引き渡す者はだれですか」と言った弟子である。 21 この人を見て、ペトロはイエスに言う、「主よ、この人はどうなるのでしょうか」。 22 イエスは彼に言われる、「わたしが来るときまで、彼が生きていることをわたしが望んだとしても、それがあなたと何の関わりがあろうか。あなたはわたしに従って来なさい」。 23 それで、この弟子は死なないといううわさが兄弟たちの間に広まった。しかし、イエスは、彼が死なないと言われたのではなく、「わたしが来るときまで彼が生きていることを、もしわたしが望んだとしても、それがあなたと何の関わりがあるか」と言われたのである。
 24 以上のことを証しした者、そしてそれを書いた者は、この弟子である。わたしたちは、彼の証しが真実であることを知っている。 25 イエスがなさったことは、ほかにも多くある。その一つ一つが書きしるされるならば、世界もそれが書かれた書物を収めきれないであろう、とわたしは思う。

ペトロへの委託

 ところで、彼らが食事をした時、イエスはシモン・ペトロに言われる、「ヨハネの子シモンよ、あなたはこの者たち以上にわたしを愛するか」。(一五節前半)

 弟子たちは、自分たちと食事をしておられる方がこの世の方ではなく異次元の存在であることを知っており、語るべき言葉を失って、深い畏怖の念の中で食事をしたのでしょう。その沈黙を破って、その方から声がかかります。
 その方は、「ヨハネの子シモンよ」と、ペトロに呼びかけられます。イエスがシモンに「ペトロ」という呼び名をつけられた記事(一・四二)では、「ヨハネの子シモン」というユダヤ人社会でのフルネームが出てきますが、それ以外で新約聖書にこのフルネームが出てくるのはここ(二一・一五〜一七)の三回だけです。

マタイ(一六・一七)の「シモン・バルヨナ」の「バルヨナ」は、「ヨハネの子」のアラム語短縮形と見られます(「バル」は「ベン(息子)」というヘブライ語に相当するアラム語です)。

 ここでシモン・ペトロが、「ペトロ」というギリシア語のニックネームを用いないで、「ヨハネの子シモン」というヘブライ語のフルネームで呼ばれていることの意味が問題になります。これはおそらく、マタイ福音書(一六・一六〜一九)で彼がキリストの民《エクレーシア》の土台となることが「ペトロ」という名で意義づけられたいたのに対して、ヨハネ福音書は別の根拠で彼の立場を説明しようとしたからだと考えられます。すなわち、マタイのように「ペトロ」というギリシア語の呼び名が示唆する「岩」としてではなく、ヨハネ福音書(一〇章)が語る「良き羊飼い」の継承者として意義づけるために、「ペトロ」という名を避けて、牧畜に親しんでいるユダヤ人社会の呼び名を用いたと見られます。
 イエスはシモンに、「あなたはこの者たち以上にわたしを愛するか」と問われます。原文は「これらのこと以上にわたしを愛するか」とも読めますが、やはりここは「この者たち以上に」と他の人物と比較していると理解して訳しています。他の者たちよりも大きな使命を委ねるにあたって、イエスはシモンにより強い覚悟を求められます。「より多くわたしを愛するか」という問いは、より一層強いイエスへの献身の覚悟を促す問いかけです。

 ペトロは言う、「はい、主よ。わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」。イエスが言われる、「わたしの小羊たちを養いなさい」。(一五節後半)

 ペトロは最後の食事の席で、あなたのためなら命を捨てます」と決意を述べています(一三・三七)。ところがそのすぐ後で、そのような人は知らないと三度までイエスを否認します。自分の決意とか勇気が何の役にも立たないことを思い知ったペトロは、ここでは自分の思いを言い立てることはせず、「わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と、イエスの側の理解と自分への扱いに委ねます。この姿勢は、イエスと自分の関わりの根拠を自分の側に求めず、ただイエスの側に委ねる姿勢を示しています。ペトロのイエスとの関わり方は、三度の否認と顕現体験を境として、コペルニクス的転換をなしています。
 このペトロにイエスは、「わたしの小羊たちを養いなさい」と、ご自分の民をお委ねになります。信じる者たちと指導者を羊の群れと羊飼いのイメージで語ることは、牧畜を生業とするイスラエルでは自然なことであり、旧約の信仰者や預言者たちもこの比喩を多く用いています(詩編二三編、イザヤ四〇・一一、エゼキエル三四章など)。ヨハネ福音書も一〇章でイエスを「良い羊飼い」という比喩で語っています。以下、「わたしの群れ(羊の群れ)」とか「牧する」という牧畜用語を用いて、ペトロへの委任が語られます。
 ここで、復活者イエスはペトロに、イエスを信じる者たちの指導を委ねられます。これは、ヨハネ共同体も、ペトロは直弟子たちの筆頭として、イエスから信徒集団の指導を委ねられた立場にいることを認めていることを示しています。本体部分では、ペトロよりも「イエスが愛された弟子」の方が重視されていましたが、この補遺(二一章)では、ヨハネ共同体独自の表現の仕方で、そのようなペトロの立場が承認されています。

 イエスはまた、二度目にシモンに言われる、「ヨハネの子シモンよ、あなたはわたしを愛するか」。シモンは言う、「はい、主よ。わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」。イエスは彼に言われる、「わたしの群れを牧しなさい」。(一六節)

 「わたしを愛するか」という質問を、イエスは三回繰り返しておられますが、「愛する」というところで、初めの二回は動詞《アガパオー》が用いられ、三回目は《フィレオー》が用いられています。ここでは両者は厳密に区別されないで用いられていると見てよいでしょう。
 イエスの問いに対する、「わたしはあなたを愛しています」というペトロの答えでは三回とも、身近な者への情愛を示す《フィレオー》が用いられていますこれも、《アガパオー》との違いを強いて意義づける必要はないでしょう。

 三度目にイエスは彼に言われる、「ヨハネの子シモンよ、あなたはわたしを愛するか」。イエスが三度まで「わたしを愛するか」と言われたので、ペトロは悲しくなり、イエスに言う、「主よ、あなたはすべてをご存じです。あなた は、わたしがあなたを愛していることを知っておられます」。イエスは彼に言われる、「わたしの群れを養いなさい。(一七節)

 このイエスの問いかけとペトロの答えは三度繰り返されます。この「三度」は、ペトロが三度までイエスを否認したことに対応していると見られます。イエスは、三度まで否認したペトロに、同じ回数だけイエスへの愛を告白させて立ち直らせ、他の弟子よりもイエスに身近な弟子として、ご自分の民《エクレーシア》の指導を委ねられます。
 三度の繰り返しは、その動作とか事柄が徹底的になされたことを象徴しています。三度まで主を否認したペトロが、いま主の民の牧者として立てられているのは、主の徹底的な恩恵の働きの結果であることが、この物語によって語られています。ヨハネ共同体は、すぐ後に見るように、「イエスが愛された弟子」の証言の重要性を主張していますが、この記事によって、主の民全体に対するペトロの特別な地位も認めています。

ペトロ殉教の予告

 アーメン、アーメン、わたしはあなたに言う。あなたが若かったときには、あなたは自分の帯を締めて、自分が望むままに歩き回っていた。しかし、年をとると、あなたは両手を広げ、他の人があなたの帯を締め、あなたが望まないところに連れて行く」。(一八節)

 ここで、「アーメン」を繰り返すこの福音書独特の荘重な形式で、ペトロの将来を予告するイエスの言葉が導入されます。「自分の帯を締め」は、他人の世話にならず、自分で自分の身の回りのことをすることで、次の「他の人があなたの帯を締め」と対句になっています。ここのイエスのお言葉は、若いときは他人の世話になることなく、自分の思いに従って歩めるが、年をとると他人の世話になり、自分の思い通りにはならなくなるという意味の諺の表現が背後にあると見られます。
 他人に帯を締めてもらうときには両手を広げます。この当然の動作が、ペトロが両手を広げて十字架につけられたことを示唆するために、本来の諺の文言にとくに書き加えられた可能性があります。この補遺を書いた編集者はペトロの殉教の死を知っています。伝承によれば、ペトロは主と同じ姿で十字架につけられるのは畏れ多いとして、逆向けに(頭を下にして)十字架につけられたとされています。ペトロが十字架につけられて殉教したという伝承を知っている著者が、それはイエスが予告しておられたところだとして、それを伝える記事を、自分たちの師である「イエスが愛しておられた弟子」の最後についてイエスが語られたことを伝える機縁とします。

 イエスがこのように言われたのは、彼がどのような死に方で神の栄光を現すようになるかを示すためであった。このように話してから、イエスは彼に言われる、「わたしに従って来なさい」。(一九節)

 ヨハネ福音書は、イエスの十字架の死は子が神の栄光を現す出来事としています(一三・三二など)。ペトロもその殉教の死によって神の栄光を現すとされます。イエスは、ペトロがどのような死に方で神の栄光を現すようになるかをお示しになった上で、「わたしに従って来なさい」と言われます。ここでの「わたしに従って来なさい」は、最初に弟子として召された時の言葉と違って、イエスはすでに十字架の死を遂げておられます。そのイエスが「わたしに従って来なさい」と言われるとき、それはイエスと同じく神の栄光のために命を捧げる覚悟を求めておられることになります。

「愛弟子」の最後

 ペトロが振り向くと、イエスが愛しておられたあの弟子が従って来るのが見えた。この弟子は、食事のときイエスの胸に寄りかかって、「主よ、あなたを引き渡す者はだれですか」と言った弟子である。この人を見て、ペトロはイエスに言う、「主よ、この人はどうなるのでしょうか」。(二〇〜二一節)

 イエスの厳粛なお言葉に対してペトロがどう応えたのかは書かれていません。この補遺を書いた編集者にとって、ペトロの殉教はすでに起こった事実であり、改めてこの時のペトロの態度を描く必要を感じなかったのでしょう。むしろ、ペトロの殉教の死と対比して、自分たちの共同体の指導者である「イエスが愛しておられたあの弟子」の最後を語ることになります。
 ここで「あの弟子」とは、最後の食事の席でイエスの胸に寄りかかって、「主よ、あなたを引き渡す者はだれですか」と言った弟子(一三・二三〜二六)であると確認されます。「ペトロが振り向くと、あの弟子が従って来るのが見えた」という記述は、この対話がもはや食事の場ではなく、ペトロがイエスに従って歩いている時、「あの弟子」もイエスとペトロの後についてくるのが見えたという、途上の出来事とされています。
 このペトロと「あの弟子」の前後関係は、イエスによって最初に共同体全体の牧者として立てられたペトロと、ペトロの活動から少し遅れてイエスの証人として活躍した「あの弟子」の関係を指し示しています。ペトロはイエスとほぼ同じ年代か、少し若い年代と推察され、イエスに召されたときは三〇歳代、六〇年代前半に殉教したときは六〇歳代と見られます。それに対して「あの弟子」は、一〇歳代半ばで弟子となり、その若さのために十二使徒の中には入りませんでしたが、「イエスが愛された弟子」として、イエスの身近にいました。このような年代の差から、ペトロの殉教後もかなりの期間、この弟子は証言活動を続けることになります。おそらく、ペトロが殉教した六〇年代前半に、この弟子はエフェソに移住して活動し、エフェソ周辺に彼の証言を拠り所とする共同体(ヨハネ共同体)を形成したと考えられます。

この「イエスが愛しておられたあの弟子」については、拙著『「もう一人の弟子」の物語―ヨハネ文書の成立について』を参照してください。

 ペトロが召された後、「この人はどうなるのか」はヨハネ共同体だけでなく、周囲の人たちの関心事となったことでしょう。その関心を、著者はペトロのイエスへの質問という形で取り上げます。そして、その弟子に関わる主の御心を、ペトロに対するイエスの答えの言葉として語ります。

 イエスは彼に言われる、「わたしが来るときまで、彼が生きていることをわたしが望んだとしても、それがあなたと何の関わりがあろうか。あなたはわたしに従って来なさい」。(二二節)

 「生きている」と訳した原語ば、ヨハネ福音書特愛の「とどまる」という意味の動詞です。死なないで地上にとどまることを意味するので、ここでは「生きている」と訳しています。
 イエスはそれぞれの弟子に、その弟子でなければ果たせない使命を与えておられます。ペトロには、民の牧者としての使命を果たした後、イエスと同じような姿で神の栄光を現す道を備えられました。それに対して、ペトロの後に活動を続ける「あの弟子」には別の道を用意しておられます。それがたとえイエスの来臨《パルーシア》の時まで、地上にとどまってその役割を果たすことであったとしても、それはペトロには関係のないことです。「あの弟子」のことを決めるのは、ペトロではなく主イエスです。ペトロには自分に与えられた使命を果たすことだけを求めて言われます。「あなた(強調されています)は、彼のことに関わらず、わたしに従って来なさい」。
 ここで「わたしが来るとき」、すなわち「キリストの来臨」《パルーシア》が言及されています。ヨハネ福音書は、その二〇章までの本体部分で主の「来臨」《パルーシア》に言及することはありません。この補遺の部分で始めて言及されます。それで、この補遺を加えた編集者と、「御子が現れるとき」に言及する「ヨハネの手紙T」(三・二)の著者との関係が問題になります。これだけで両者が同一人物であるとすることはできませんが、そうであることを示唆する材料の一つではあります。

ヨハネ福音書とヨハネ書簡の成立事情と両者の関係については、別著『「もう一人の弟子」の物語―ヨハネ文書の成立について』で詳しく見ることになります。

 それで、この弟子は死なないといううわさが兄弟たちの間に広まった。しかし、イエスは、彼が死なないと言われたのではなく、「わたしが来るときまで彼が生きていることを、もしわたしが望んだとしても、それがあなたと何の関わりがあるか」と言われたのである。(二三節)

 最初期の教団では、死なないで主の《パルーシア》を迎える者がいる、すなわち自分たちの世代に主の来臨があるという待望が燃えていたことは、パウロ書簡からもうかがえます(テサロニケT4章、コリントT一五・五一)。とくにマルコ福音書(九・一)に伝えられているイエスの語録には、「よく言っておくが、ここに立っている者たちのうちに、神の国が力をもって来るのを見るまで、死を味わない者がいる」(私訳)とあります。
 この言葉を聞いたペトロを初め多くの弟子たちはほとんど世を去りました。それ以後の時代では、ペトロたちよりも一世代若い「イエスが愛しておられたあの弟子」だけが地上にとどまって証言を続けています。この弟子こそ、イエスが言われた「神の国が力をもって来るのを見るまで死を味わない者」ではなかろうかという思いが「兄弟たちの間に」、すなわちヨハネ共同体に起こり、それがイエスが来られるまでは「この弟子は死なない」という噂になって広まっていたようです。
 その噂は、イエスはこの弟子が《パルーシア》の時まで地上にとどまることを望んでおられるのだ、という形で語り伝えられていました。ところが、この弟子もかなり高齢になって世を去りました。この補遺を書き加えた編集者は、師である「愛弟子」の死を知っています。兄弟たちの間に広まっているこの噂を、主の言葉を誤解した根拠のないものとして訂正し、「イエスは彼が死なないと言われたのではない」と断言します。著者は、イエスの言葉の真意を説明するこの一段を書き加え、彼の死が信仰の動揺にならないように配慮しています。
 このような噂が広まっていた事実は、ヨハネ共同体にも差し迫った「主の来臨」《パルーシア》待望があったことを指し示しています。ヨハネ福音書は、救いとか永遠の命を将来の《パルーシア》の時に待ち望むのではなく、現に来ていることを強調してきました。しかし、この「補遺」の存在は、ヨハネ福音書を生み出したヨハネ共同体にも、周囲の一般の共同体と同じく、《パルーシア》待望の底流があったことをうかがわせます。このことは、ヨハネ黙示録との関係で興味深い事実です。

ヨハネ共同体とヨハネ黙示録の関係については、拙著『パウロ以後のキリストの福音』183頁「第一節 ヨハネ黙示録の成立」、とくにその中の
187頁「ヨハネ黙示録とヨハネ共同体」の項を参照してください。

むすび

 以上のことを証した者、そしてそれを書いた者は、この弟子である。わたしたちは、彼の証が真実であることを知っている。(二四節)

 最後に、この福音書の著者がこの「イエスが愛された弟子」であることが明言されます。「以上のこと」とは、この補遺の部分の内容だけではなく、この福音書全体の内容を指すことは当然です。この弟子と長年働きを共にした人物が、この福音書全体を書いた者が「この弟子である」と証言します。
 しかし、「証した者」という表現が並記されていることから、また、「書いた」という動詞には「書かせた」という使役の用法もあることから、この弟子がすべてを書いたと受け取る必要はなく、この弟子がイエスの出来事と言葉の証人として語ったことを、他の人が書いた可能性も残されることになります。この福音書の著者と成立の事情については複雑な問題があり、別に取り扱わなければなりません(別著『「もう一人の弟子」の物語―ヨハネ文書の成立について』で取り扱います)。
 この弟子の証が真実であることを「わたしたちは知っている」とありますが、この「わたしたち」は、この「イエスが愛された弟子」の証言を聴いてイエスの弟子となった者たち、すなわちヨハネ共同体を指します。彼らが「イエスが愛された弟子」の証言を真実とし、書きとどめて編集し、福音書として世に出したのです。ヨハネ福音書は、ヨハネ共同体が世界に遺した遺産です。
 この節の証言は、ヨハネ福音書の成立に関して、直接の後継者によってなされた最も古い証言として、きわめて重要です。ヨハネ福音書の成立に関する議論は、この証言から出発することになります。

 イエスがなさったことは、ほかにも多くある。その一つ一つが書きしるされるならば、世界もそれが書かれた書物を収めきれないであろう、とわたしは思う。(二五節)

 最後の「わたしは思う」の「わたし」は、この補遺の部分を書き加えた編集者です。編集者は、この福音書に書きとどめられているイエスの働きと教えの言葉は、「イエスがなさったこと」のごく一部であって、そのすべてを書き尽くすことはできないことを強調します。そのことを強調するために、「その一つ一つが書きしるされるならば、世界もそれが書かれた書物を収めきれないであろう」と、古代の著作によく見られる誇張した表現を用います。この言葉をもって、イエスが世界にもたらされたものが、表現し尽くせない、伝え尽くせない豊かなものであることを語って結びとします。

補遺の意図

 福音書は明らかに二〇章で終わっています。二一章は後に書き加えられた「補遺」であることは、先に本章の初めに見たとおりです。では、これを書き加えた編集者は、なぜ、何のためにこの補遺を書き加えたのでしょうか。どういう事情が、この補遺を加える必要を感じさせたのでしょうか。
 この補遺での主要な登場人物は(復活者イエスを別にすれば)ペトロです。前半では、ペトロを代表とする弟子たちへのガリラヤでの顕現が語られています。後半では、ペトロの最後と、ヨハネ共同体の創設者である「愛弟子」の最後がペトロとの関係で語られています。このようにペトロを前面に出して語るのは、ペトロについてはごく僅かしか語らず、しかもペトロに対する「愛弟子」の優位を示唆する形で語る本体部分と較べると目立ちます。
 この事実は、「愛弟子」が世を去ってから時が経ち、独自の歩みを続けてきたヨハネ共同体も、ペトロを代表とする周辺の主流共同体との関係を再検討し、調整しなければならない状況になってきたことを示唆しているのではないかと考えられます。
 この福音書を生み出した母体であるヨハネ共同体は、福音書の本体部分では「愛弟子」をいつもペトロと一組で登場させ、しかもペトロよりも主に身近な弟子として描き、自分たちの信仰の源流がペトロに較べて勝るとも劣ることのないイエスの弟子、イエスの出来事の目撃証人の証言に基づいていることを主張してきました。しかし、今やペトロも「愛弟子」も世を去り、ヨハネ共同体はもはやペトロに代表される周囲の一般の共同体との違いを強調して独自の歩みを続けることよりも、周囲のキリストの民と協調して、不信仰の世界と戦い、健全な信仰の確立に努めなければならないと感じるようになっていたのではないかと推察されます。
 そのために、ガリラヤで復活されたイエスがペトロたちに現れたという、広く知られていた伝承を取り入れて、自分たちが(ペトロたちへの顕現伝承に立つ)周囲の一般の共同体と同じ土台に立つものであることを印象づけ、周囲の共同体からも受け入れられ、自分たちの間でもペトロの権威が正当に認められるようにしようとしたのではないかと考えられます。
 また、三つのヨハネ書簡、とくに第一書簡に見られるように、ヨハネ共同体も分裂の危機を経験していました。分裂して出て行く者たちの信仰を間違ったものとして批判し、「愛弟子」の伝統に忠実に従うことを標榜して共同体をまとめようとした人たちが、そのために周囲の一般の共同体との一致を必要としたという事情もあったのかもしれません。
 正確なことは分かりませんが、この「補遺」全体は、「愛弟子」亡き後、ヨハネ共同体がペトロを代表とする周囲の一般の共同体と協調する方向に向かおうとしていることを印象づけます。周囲の共同体と主の来臨の待望を共にしながら(これは本体部分の傾向とは違ってきています)、「愛弟子」がその時まで死なないという噂は根拠のないものとして否定しつつも、彼の証言は(ペトロと関係なく)そのときまで「とどまる」ことを主張して、この共同体の独自の存在意義を確保しようとしています。
 ヨハネ共同体も、二世紀には周囲の主流の共同体に溶けこんでいったようです。しかし、ヨハネ福音書を生み出して、キリストの福音の展開に決定的な貢献をしたことが、この共同体の存在意義の最大のものであると言えます。