市川喜一著作集 > 第14巻 パウロ以後のキリストの福音 > 第11講

第三節 テサロニケ第二書簡における来臨待望

キリスト来臨と裁き(一・三〜一二)

 テサロニケ第二書簡については、この書簡の位置と意義を確認するために、この書簡の主要内容である来臨待望を概観するにとどめ、(エフェソ書でしたような)私訳を用いた一節ごとの詳しい講解は省略します。聖書本文には新共同訳を用い、新共同訳の段落区分に従って、段落毎の内容を概観します。
 著者は第一書簡と同じように、手紙としての挨拶(一・一〜二)を書いた後に、宛先の人たちについての賞賛と感謝の言葉(一・三〜一二)を置きます。第二書簡では、その感謝の部分が直ちに来臨問題についての著者の思想の表明となっています。なお、その三節から一〇節にいたる文は、(原文では)延々と続く一つの文章で書かれていて、(パウロとは違う)著者の文体の特色を見せています。
 テサロニケの信徒たちの信仰と愛について神に感謝する文(三節)は、彼らが迫害と苦難の中で示している「忍耐と信仰」への賞賛となり(四節)、そこから直ちに書簡の本題である来臨待望の問題に入っていきます(五節以下)。著者は、テサロニケの信徒たちが「あらゆる迫害と苦難の中で忍耐と信仰を示している」(四節)ことを、「あなたがたを神の国にふさわしい者とする神の判定が正しいということの証拠」だとします(五節前半)。そうすることで、現在受けている苦難が「神の国のために受けている苦しみ」であると意義づけます(五節後半)。その上で、そう判断する根拠を述べます(六〜一〇節)。著者がそう判断する根拠は、神の正しい報いです。
 「神は正しいことを行われます。あなたがたを苦しめている者には、苦しみをもって報い、また、苦しみを受けているあなたがたには、わたしたちと共に休息をもって報いてくださるのです。主イエスが力強い天使たちを率いて天から来られるとき、神はこの報いを実現なさいます」(六〜七節)。
 これは典型的な黙示思想です。強大な諸帝国の支配に苦しめられてきたユダヤ教団は、現在の苦難の時代の後に、神御自身が支配される時代が到来し、その時には律法を守った義人たちは栄光の報いを受け、義人たちを迫害した悪しき者たちは裁かれて苦悩に陥れられるというユダヤ教黙示思想を発展させました。ダニエル書以降の黙示文書は、このような希望をもって迫害されているユダヤ教団を励ましてきました。著者は、その黙示思想的な希望の原理をキリストの民に適用して、迫害の下にあるキリストの民を励まします。
 人を苦しめる者に苦しみをもって報い、苦しめられている者に休息(苦しみからの解放)をもって報いるのが、神の正しさです。神が神である以上、必ずこのような正しい裁きをして、正当な報いを与えてくださるのであるから、現在の迫害による苦しみは、将来の休息と栄光を保証することになります。迫害で苦しめられている信徒たちが神の国の栄光にふさわしい者であるとする神の判定が正しいのは、神の正しさそのものが根拠ですから、これほど確かな根拠はありません。このような根拠に基づく確かな希望が、これから数世紀にわたって続く迫害の時代にキリスト教徒を勝利させた原動力の一つとなります。
 この裁きは、「主イエスが力強い天使たちを率いて天から来られるとき」に実現します。「主イエス」は、復活によって高く上げられて「主《キュリオス》」という称号を受けられたイエスに対する尊称です。「復活者イエス」と言ってもよいでしょう。初期の来臨待望においては、主イエスが天からこの世界に来られるときには、天使たちと共に来られると信じられていました。

 テサロニケ第一書簡(三・一三)では、「御自身に属するすべての聖なる者たちと共に来られるとき」となっています。この表現や第二書簡のここの表現は、キリストが天使たちの群れと一緒に来臨されるという初期の《パルーシア》待望の定型的な表現であったと見られます。このような表現は、ゼカリヤ書の黙示録的部分にある「わが神なる主は、聖なる御使いたちと共にあなたのもとに来られる」以来、ダニエル書(七・一八〜)など黙示文書によく出てきます。そして、この表現はマルコ八・三八やマタイ二五・三一などのイエスの語録伝承にも現れ、「人の子が雲に乗って来る」(マルコ一三・二六)と言うときの「雲」も、天使の群れを指すと理解されることになります。

 続いて、主イエスの来臨のときに行われる神の裁きが具体的に描かれます。
 「主イエスは、燃え盛る火の中を来られます。そして神を認めない者や、わたしたちの主イエスの福音に聞き従わない者に、罰をお与えになります。彼らは、主の面前から退けられ、その栄光に輝く力から切り離されて、永遠の破滅という刑罰を受けるでしょう」(八〜九節)。
 パウロも「かの日が火の中に現れ」と言っています(コリントT三・一三直訳)。終わりの日が火の中に現れるというのも典型的な黙示思想的表象であり、初期の来臨待望を語る表現の中によく出て来ます。その表象がここで主イエスの来臨に用いられて、「主イエスは、燃え盛る火の中を来られます」となります。そして、主イエス御自身が裁きを執行されることになります。

 「かの日が火の中に現れ」という表象については、拙著『パウロによるキリストの福音U』100頁の注記を参照してください。なお、パウロがこの「かの日は火の中に現れる」という表現を用いるのは、その箇所の一回だけです。そのことの意義について同書の101頁を参照してください。

 パウロも終わりの日を神の怒りが現れる日としていますが、その時に来臨されるイエスは、その神の怒り(裁き)からイエスを信じる者を救い出すために来られます(テサロニケT一・一〇)。来臨される主イエスが「神を認めない者や、わたしたちの主イエスの福音に聞き従わない者に、罰をお与えになります」というように、主イエス御自身が反対者に報復されるという面はないか、希薄です。この点でも第二書簡の来臨待望は、パウロと違ってきています。これは、迫害によって黙示思想的な傾向が刺激された結果だとも考えられます。

 パウロにもキリストが裁きの座に着かれるという表現がありますが(コリントU五・一〇、テサロニケT四・六)、これはおもに主の民の働きに対する賞罰であって、民を苦しめた者、不信仰者への報復ではありません。

 「かの日、主が来られるとき、主は御自分の聖なる者たちの間であがめられ、また、すべて信じる者たちの間でほめたたえられるのです。それは、あなたがたがわたしたちのもたらした証しを信じたからです」(一〇節)。
 主イエスの福音に聴き従わず、「永遠の破滅という刑罰を受ける」者たちと対照的に、パウロがもたらした主イエスの福音を信じた者たちは、来臨される主イエスの栄光をあがめ、その栄光にあずかることが語られます。ここにあげられている「御自分の聖なる者たち」は、主イエスが来臨されるときに引き連れてこられる天使たちのことを指しているのか、「信じる者たち」のことが並行表現で述べられているのかは議論がありますが、いずれにしても滅ぼされる者たち(八〜九節)と対照して、主イエスに属する者たちの勝利が謳われています。
 このように、来臨のときに成し遂げられる主の報復を根拠にして、迫害の中にある兄弟たちを励ました後、宛先の人々に対する祈りの言葉で、手紙の前置きの部分を締めくくります(一一〜一二節)。

不法の者についての警告(二・一〜一二)

 ここ(二章)から手紙は本題に入ります。その主題は、「わたしたちの主イエス・キリストの来臨と、その方のみもとにわたしたちが集められることについて」です(二・一直訳)。このことについて、テサロニケの集会に動揺があることを知った著者は、正しい(と著者が確信する)来臨待望を確立するためにこの手紙を書きます。テサロニケの人たちの動揺は、次のように描かれます。
 「霊や言葉によって、あるいは、わたしたちから書き送られたという手紙によって、主の日は既に来てしまったかのように言う者がいても、すぐ動揺して分別を無くしたり、慌てふためいたりしないでほしい」(二・二)。
 原文では「霊や言葉《ロゴス》や手紙によって」の後ろに「あたかもわたしたちによるかのように」という説明の句がついています。この句が三つの項目すべてを説明しているのか、最後の手紙だけを説明しているのかについては議論があります。「霊によって」は、御霊の賜物としての預言の霊によって(エクスタシー状態で)語ることを指していると見られます。「言葉《ロゴス》によって」というのは、通常の説教を指すのでしょう。この二つの場合は、本人がそこにいて語るのですから、「あたかもわたしたちによるかのように」という説明は、(協会訳、新共同訳などのように)手紙の場合だけを説明していると理解してよいでしょう。
 そうすると、著者の時代は「パウロから出た」と称する手紙、すなわちパウロの名による手紙が流布していた状況であったことがうかがわれます。このテサロニケ第二書簡が「使徒名書簡」であると見る立場では、一つの「使徒名書簡」が他の「使徒名書簡」を反駁していることになります。この事実は、パウロ以後の時期に、パウロ系諸集会の間において違った傾向の潮流が競合し、それぞれがパウロの権威を用いて自分の主張を根拠づけていたことを示しています。それぞれの潮流の内容とその競合や統合の問題は、使徒以後の時期におけるキリストの福音の在り方に重要な問題を投げかけています。
 テサロニケの集会がキリスト来臨の問題で動揺したのは、ある人々が「霊や言葉によって」、あるいはパウロから出たと称する手紙によって、「主の日は既に来た」と唱えたからです。先に見たように、パウロまでの初期のエクレシアは、キリストの来臨を間近なものとして熱心に待ち望んでいました。その待望がキリストの福音を急速に広める原動力の一つでした。しかしパウロ以後の時代には、来臨が遅れているという事実に直面して混乱が生じ、様々な形でこの問題(来臨の遅延、来臨待望の崩壊)を克服しようとする努力がなされました。その努力は、大別すると二つの方向があったと見られます。
 一つは、この待望の根拠となっていた黙示思想を用いて、黙示思想の枠の中で問題を克服しようとする方向です。その方向は、このテサロニケ第二書簡やヨハネ黙示録に見られます。もう一つは、キリストにあって賜っている現在の霊的事実に集中することによって、この問題を克服しようとする方向です。この方向は、コロサイ・エフェソ書やヨハネ福音書に見られます。この方向では、黙示思想そのものを放棄する傾向が出て来ます。
 この第二の方向の人たちを、彼らは「主の日は既に来てしまっている」と主張していると、著者は批判しているようです。おそらく、第二の方向で来臨遅延の問題を克服しようとした人たちは、現在われわれがキリストにあって生きている霊的現実において、キリストがこの世に来られた目的が成就していることを強調し、その事実を終末的約束の成就としたと考えられます。その主張は、黙示思想の枠の中だけで考える人たちには、「主の日は既に来てしまっている」と唱えていると聞こえます。主の日が既に来てしまっているのであれば、現在まだ地上にいる自分たちは主の日の栄光にあずかることができなかったのであろうかとか考えて、「動揺して分別を無くしたり、慌てふためいたり」することになります。信仰が崩壊します。
 ここで言う「わたしたちから書き送られたという手紙」にコロサイ書やエフェソ書が含まれるのかどうかは、第二書簡とこの両書簡の前後関係が分かりませんので確認できませんが、たしかにコロサイ書やエフェソ書は、先に見たように、終末に起こるはずの「死者の復活」に触れることなく、復活を過去形で語るなど、終末の事態がすでに来ているような語り方をしています。しかしそれは、キリストの福音を理解する枠組みそのものが変わった結果です。それを、黙示思想の枠組みの中で聞くと、主の来臨がまだないのに、「主の日は既に来てしまっている」と誤ったことを唱えていると聞こえてきます。また、霊感を受けた預言として、主の日の到来と終末の成就を説く説教が行われていたのでしょう。このような主張を聞いて、それを黙示思想の枠の中で理解して混乱している信徒たちを、著者は黙示思想の枠を用いて正しい来臨待望に立たせようとします。著者自身も、黙示思想を深く身に着けた人物(おそらくユダヤ人)であると考えられます。
 著者は、「主の日は既に来てしまっている」という主張を、以下のような黙示思想の論理を用いて反駁します。すなわち、主が来臨される前に、まず「背教」が起こり、「不法の者」が出現しなければならないが、今は彼を「抑えているもの」があるので、彼はまだ出現していない。したがって、主の来臨はまだ将来のことである。定められた時が来て、その「抑えているもの」が取り除かれると「不法の者」が出現する。その出現した「不法の者」を、栄光の中に来臨される主イエスが滅ぼされる。この時はじめて「主の日が来た」と言えるのだ(二・三〜八)。
 この箇所(三〜八節)は、その論理も表現も典型的な黙示思想そのものです。この箇所の一つひとつの表現に、旧約聖書と黙示文書の背景があることは専門の注解書に委ねざるをえませんが、ここではこのような黙示思想的な論理の内容だけを確認しておきたいと思います。
 ユダヤ教黙示思想では、アンテオコス・エピファネスの迫害時に多くの背教者を出したというような体験から、終末が到来する前には厳しい選別が起こるという思想が生まれ、それがその後の黙示文書に繰り返されて、終末前の「背教」の預言となります(たとえばラテン語エズラ記五・一〜一二)。その預言はキリスト教の終末待望の中に受け継がれ、主が来臨される前には、惑わす者たちが出現し、多くの民が神に背くようになるという預言になります(マタイ二四・一〇〜一二)。
 そのような終末前の「背教」の中から、その背教を一身に体現するような「不法の者」が出現します。この「不法の者」は、神の法《ノモス》に対するトータルな反逆により、神の裁きに定められた者、「滅びの子」とも呼ばれます。この神への最終的な反逆者は、「すべて神と呼ばれたり拝まれたりするものに反抗して、傲慢にふるまい、ついには、神殿に座り込み、自分こそは神であると宣言」します(四節)。自分を神とすることこそが、「不法の者」の本質です。
 黙示思想がこのような最終的な神への反逆者の出現を予想したのには、歴史的な背景がありました。前一六八年にシリアの王アンティオコス四世エピファネスがエルサレム神殿の祭壇を除いて、代わりに異教の祭壇をおいた事件(マカバイT一・五四〜五九)が、ダニエル書(九・二七、一一・三一、一二・一一)において「憎むべき破壊者が聖なる場所に立つ」ことと語られます。それ以後、この出来事は終末を語る黙示思想に大きな影響を及ぼすことになります。新約時代においてもすでに41年に、ローマ皇帝カリグラが支配下にある諸民族の神殿で自分が神として崇められることを求め、エルサレムの神殿にも自分の立像を建立することを要求しました。このような出来事が時代の黙示思想の中に、ここに描かれているような「不法の者」のイメージを形成したと見られます。マタイ福音書(二四・一五)も、「憎むべき破壊者が聖なる場所に立つのを見たら」と、ダニエルの預言を引用しています。このような「不法の者」の出現は、初期の教団の来臨待望において共通の伝承であったと見られます。

 四節の表現は、当時の黙示思想の伝統的な表現として定型化していたと見られるので、これをエルサレム神殿の存在を前提とする文として、第二書簡の成立を70年より前とする必要はないと考えられます。

 「まだわたしがあなたがたのもとにいたとき、これらのことを繰り返し語っていたのを思い出しませんか」(五節)という文は、著者がテサロニケにおけるパウロの宣教が黙示思想的な表現を用いてなされていたことをよく知っていることを示しています。著者がシルワノやテモテ(テモテ一・二)のような同労者であれば当然ですが、同労者でなくてもテサロニケでのパウロの活動と第一書簡をよく知っている者であれば言えることです。パウロがその福音宣教において、黙示思想の用語と枠組みを用いて語ったことは第一書簡の講解で見たとおりですが、同時にパウロの福音は黙示思想を超えて、聖霊による現在のキリスト体験に終末の成就を見ている面があること、むしろそれこそがパウロの福音の核心であることを「パウロによるキリストの福音」シリーズの全体で見てきました。著者は、自分の黙示思想の枠の中での説得を根拠づけるために、読者にテサロニケにおけるパウロの宣教の黙示思想的な表現を思い起こさせます。
 この「不法の者」がまだ出現しないのは、「彼を抑えているもの」があるからです。この「彼を抑えているもの」が何であるかは、テサロニケの人々はよく知っているものとして、著者は何の説明を加えないで用いています(六節前半)。今「抑えるもの」が彼を抑えているのは、その「不法の者」が神の定められた時に出現するためです(六節後半)。「不法の者」はまだ現れていませんが、すでに「不法の秘密」が働いています。すなわち、「不法の者」の働きがこの世界の中で秘かに進められています。しかし、このような秘かな、隠された形での彼の働きも、「抑えている者が取り除かれるまで」のことであって、その時が来ると「不法の者」は顕わな姿で出現します(七節と八節前半)。こうして、定められた時に出現した「不法の者」を、主イエスが御自分の口の息(または霊)によって殺し、「彼の来臨の光輝」(直訳)によって滅ぼされます(八節後半)。

 七節で「不法の《ミュステーリオン》」がすでに働いていると言われていますが、パウロは《ミュステーリオン》という語をいつも「隠された神の救済計画」という意味で用いており、ここのように現在働いている「不法の秘密の力」を指す用例はありません。

 ここで問題になるのは、「不法の者」の出現を「抑えているもの」とは何かです。六節では中性単数名詞で「抑えているもの」と訳されていますが、七節では男性単数名詞で「抑えている者」と訳されています(新共同訳)。伝統的に、これはローマ帝国とかローマ皇帝と理解されてきましたが、最近はこの解釈に疑問が提起され、実に様々な解釈が提案されています。しかし、どれも困難を抱えていて、当時の人たち(著者と読者)がこれをどう理解していたのかを知ることはほとんど不可能です。

 この「抑えているもの」については、ヨハネ黙示録二〇・一〜三との関連が問題になります。

 キリストの来臨が遅れており、世界がこのままの状況で進むという現実を、当時の黙示思想の枠組みで考える人たちは、この「抑えているもの」の理論で説明したのではないかと考えられます。パウロが第一書簡を書いたときには、キリストの来臨は切迫したものとして待望されており、このような説明の余地も必要もありませんでした。ここにも、第二書簡の状況がパウロの時とは違ったものであることが示されています。
 続いて、神に敵対し、神の民を滅ぼそうとするサタンの働きも、終末が近づくにつれてますます顕わに神の働きと対抗し、メシアと使徒たちの働きを模倣して進められることが指摘されます。
 「不法の者は、サタンの働きによって現れ、あらゆる偽りの奇跡としるしと不思議な業とを行い、そして、あらゆる不義を用いて、滅びていく人々を欺くのです」(九節〜一〇節前半)。
 これも黙示思想的終末図式の一つです。この図式は、共観福音書の黙示思想的終末待望(マルコ福音書一三章とその並行箇所)にも繰り返し現れます。そのようなサタンの働きに惑わされて、偽りを信じ、「自分たちの救いとなる真理」、すなわちキリストの福音を信じなかった人たちの滅びが描かれて、この段落が締め括られます(一〇節後半〜一二節)。

救いに選ばれた者たちの生き方(二・一三〜一七)

 サタンの働きに惑わされて「自分たちの救いとなる真理」を拒否して滅びていく世の人々に対して、テサロニケの兄弟たちは次のように、「救われるべき者の初穂」と呼びかけられます。
 「しかし、主に愛されている兄弟たち、あなたがたのことについて、わたしたちはいつも神に感謝せずにはいられません。なぜなら、あなたがたを聖なる者とする御霊の力と、真理に対するあなたがたの信仰とによって、神はあなたがたを、救われるべき者の初穂としてお選びになったからです」(一三節)。
 ここで救いが「御霊の清めと真理の信仰によって」(直訳)とされていることが注目されます。人を汚れた世から聖別して神に属する者にする(それが清めです)のは神の御霊の働きであることは、初期の宣教において共通の認識でした。それに加えられている「真理の信仰」の方は、信仰の中身とか対象が「真理」と呼ばれている点で、独自のものがあります。
 福音の内容を「真理《アレーセイア》」という語で指すことはパウロから始まっており(ガラテヤ二・五、一四)、パウロは「真理《アレーセイア》」という用語をかなり多く用いています。しかし「パウロの名による書簡」になると、この語は福音や信仰の内容を指す用語として、さらに愛用されるようになります。この第二書簡でも、福音の告知の内容が「真理」と等置され、「真理」の拒否が滅びであり、「真理の信仰」、すなわち「真理」を受け入れ、身を委ねることが救いであるとされます(一〇〜一三節)。そしてヨハネ福音書になると、この「真理」が福音告知において中心的な位置を占めるようになることは顕著な事実です(共観福音書での用例は、ほとんどないと言えるほどごく僅かです)。
 この第二書簡では、黙示思想の視点から、滅びも救いも終末時の裁きにおける出来事とされています。それで、現在は「滅びに向かっている人たち」と「救いに向かって初穂として選ばれた」者たちとの対比として描かれます。「初穂」という用語も、パウロは復活者キリストと信じる者に与えられる聖霊について用いていますが、エクレシアについて用いることはありませんでした。しかし、ある地域の最初の回心者をそう呼ぶことはありました。その用法が拡大されて、この第二書簡では、現在信じてキリストに属するようになった民が、終末時に救われて完成される神の民全体の「初穂」と呼ばれています。
 さらに、このように「救いに向かって」選ばれた者たちが、どのような目標に向かって招かれているのかが付け加えられます。
 「神は、このことのために、すなわち、わたしたちの主イエス・キリストの栄光にあずからせるために、わたしたちの福音を通して、あなたがたを招かれたのです」(一四節)。
 使徒パウロが宣べ伝えた福音によってわたしたちが信仰へと招かれたのは、実に「わたしたちの主イエス・キリストの栄光にあずからせるため」であるというのです。パウロも、キリストにおける救いは神の栄光にあずかること(ローマ五・二)、あるいは神の子の栄光が顕現すること(ローマ八・一八以下)を希望としていると強調しています。この第二書簡では、それが「キリストの栄光にあずかる」となり、キリストの来臨にさいして、来臨されるキリストの輝かしい栄光にあずかることが、救いの内容であり、福音によって招かれた目標であるとされます。
 このような目標に招かれている者として重要なことは、現在の生を信仰に堅く立って歩むことです。そのことが、次のように簡潔に表現されます。
 「ですから、兄弟たち、しっかり立って、わたしたちが説教や手紙で伝えた教えを固く守り続けなさい」(一五節)。
 ここの「わたしたちが説教や手紙で伝えた教え」は、直訳すると「わたしたちが説教や、あるいは手紙によって教えた《パラドシス》(言い伝え)」となります。「説教《ロゴス》」とは、パウロや協力者たちがテサロニケで活動したときに語った言葉でしょう。「手紙」は単数形で、第一書簡を指していると見てよいでしょう。この表現から、使徒の説教や手紙の内容が《パラドシス》(言い伝え、伝承)として、集会に定着していた様子がうかがえます。この《パラドシス》(言い伝え、伝承)という語の使用は、使徒自身の時代よりも、ある程度時間が経った状況を指し示していると見られます。
 終わりに、この目標に向かっての歩みが、祈りの形で勧告されます。
「わたしたちの主イエス・キリスト御自身、ならびに、わたしたちを愛して、永遠の慰めと確かな希望とを恵みによって与えてくださる、わたしたちの父である神が、どうか、あなたがたの心を励まし、また強め、いつも善い働きをし、善い言葉を語る者としてくださるように」(一六〜一七節)。
 父がキリストにあって与えてくださっている「永遠の慰めと確かな希望」を根拠にして、「いつも善い働きをし、善い言葉を語る」ように励まされます。希望はいつも、キリストにある者にとって現在を生きるための原動力です。現在の歩みを「善い働きをし、善い言葉を語る」ものとする力です。

わたしたちのために祈ってください(三・一〜五)

 「わたしたちの主イエス・キリストの来臨と、その方のみもとにわたしたちが集められることについて」語る本体部分(二章)を終えて、「終わりに」と言って、著者は結びの勧告に入ります。
 その勧告の最初の言葉は、「わたしたちのために祈ってください」(一節前半)ですが、その祈りは二つの目標をもっています。一つは、福音の速やかな進展のために祈るようにという求めです(一節後半)。もう一つは、「わたしたちが道に外れた悪人どもから逃れられるように」祈ることです(二節前半)。著者は、パウロから始まったこの地域の福音宣教活動が、テサロニケでそうであったように速やかに広がるように、皆が心を合わせて祈り、協力するように求め、そのために、福音のために働く「わたしたち」が「道に外れた悪人ども」から妨げられることなく福音のために働けるように祈ってほしいと願っています。
 福音の進展にいつも妨害があること、また信じる者には圧迫や迫害があるという現実は、「すべての人に、信仰があるわけではない」からだと理由づけられ(二節後半)、その信仰のない者たちを通して働く「悪い者」(サタン)から、主御自身が信じる者を強めて守ってくださることが、「主は真実な方です」からと保証されます(三節)。人間には「信仰・真実がない」が「主は真実です」と対照されて、最後の勝利は主の真実(または信実)に基づくことが指摘されます。
 著者は、「わたしたちが命令することを、あなたがたは現に実行しており、また、これからもきっと実行してくれることと、主によって確信しています」(四節)と言って、最後にもう一度、テサロニケの兄弟たちが「わたしたちが説教や、あるいは手紙によって教えた《パラドシス》(言い伝え)」を守るように促します。先に見たように、パウロが「勧告した」のに対して、ここでは「命令した」ことと言われていることが目立ちます。
 最後に、「どうか、主が、あなたがたに神の愛とキリストの忍耐とを深く悟らせてくださるように」(五節)という祈りが添えられます。迫害と苦難に耐えて信仰を貫くための力は、「神の愛とキリストの忍耐とを深く悟る」ところから出て来ます。神がどれほど深くわたしを愛してくださっているか、またキリストが復活の勝利に至るために地上ではどれほど大きな忍耐をもって歩まれたか、わたしたちは到底それをすべて理解することはできませんが、主がその一端を理解させてくださり、苦難に耐える力を与えてくださるように祈ります。

怠惰な生活を戒める(三・六〜一五)

 結びの勧告の最後に、著者は改まった口調で命令します。
 「兄弟たち、わたしたちは、わたしたちの主イエス・キリストの名によって命じます。怠惰な生活をして、わたしたちから受けた教えに従わないでいるすべての兄弟を避けなさい」。
 ここの「教え」の原語も「言い伝え・伝承」《パラドシス》です。ある程度定型化した「伝承」を守ることが「主イエス・キリストの名によって命じ」られている状況は、使徒の時代からやや時が経っていることを示唆します。
 著者は最後に、怠惰な生活を戒めます。そのためにパウロの実例を模範としてあげます(七〜九節)。パウロはテサロニケで福音のための活動をしたとき、天幕造りの手仕事をして生活を支え、新しく形成された集会の人たちに負担をかけませんでした(テサロニケT二・九)。それは、第一書簡(二・一〜一二)によると、自分の福音宣教の働きの動機が純粋であることを証明するためでした。それに対して、第二書簡では信徒の中の怠惰な者を戒めるための模範とされています。
 パウロがテサロニケで活動していた時に語ったとされる「働きたくない者は、食べてはならない」という言葉(一〇節)は、実際パウロがそう語った可能性は十分にありますが、確認はできません。「怠惰は盗みである」とするユダヤ教倫理からすると、パウロがそう教えたことは自然です。
 このようにパウロが模範を示して教えたにもかかわらず、テサロニケの兄弟たちの中に「怠惰な生活をし、少しも働かず、余計なことをしている者がいる」ということを、著者は伝え聞きます(一一節)。そのような兄弟たちに、パウロと同じく「主イエス・キリストにあって」、すなわち主イエス・キリストの名代として、「自分で得たパンを食べるように、落ち着いて仕事をしなさい」と命じます(一二節)。
 第一書簡(四・一一)でも、パウロは「わたしが命じておいたように、落ち着いた生活をし、自分の仕事に励み、自分の手で働くように努めなさい」と言っています。このように、来臨待望を扱う書簡に限って怠惰な生活を戒める命令が出てくることは、来臨待望と怠惰な生活との間に何らかの関係があったことを示唆しています。どのような関係があったのでしょうか。
 第一書簡では、いつ来臨があるかもしれないという差し迫った待望の中で、もう地上の生活はどうでもよいという気分から、日々の仕事や職業を放棄して「伝道」に駆け回る人が出たということも想像できます。しかし第二書簡では、一方では来臨がないことに対する落胆と、他方では「主の日はすでに来た」という異質な教えから、異常な興奮や来臨待望そのものの動揺が起こっている可能性もあり、怠惰な生活との関係も複雑です。あるいは、迫害が迫っている状況で来臨待望が激しく復興して、地上の生活に対する関心がなくなったことも考えられます。あるいは逆に、来臨待望の崩壊から信仰そのものが動揺し、生活が無気力に陥ったことも考えられます。いずれにしても、推察の域を出ません。
 兄弟たちに「たゆまず善いことをしなさい」という勧めが続く(一三節)のは、怠惰な生活をする者たちと対照して、彼らとは違って「あなたがたは」(強調)善いことをするのにうみ疲れることなく、勤勉に働いて人を助けなさいという意味でしょう。
 最後に、来臨信仰の問題でも生活態度でも、「この手紙でわたしたちの言うことに従わない者」に対する対処の仕方が述べられます。そのような者には「特に気をつけて、かかわりを持たないようにしなさい」(一四節)というのは、すぐに続いて「その人を敵とは見なさず、兄弟として警告しなさい」(一五節)と言われていることから、共同の食卓の交わりから追放(破門)せよということではなく、何らかの程度の交際拒否によって、反省を求める警告とせよということでしょう。

結びの言葉(三・一六〜一八)

 著者は最後に、当時の手紙に通例の平安と恵みを祈る祝福の言葉(一六節と一八節)を置いて、この書簡を結びます。その間にある「自分の手で挨拶を記します」という箇所(一七節)は、先に見たように、パウロ以外の著者がこの書簡をパウロからのものと強調するために挿入したものと見られます。

来臨待望の位置づけ 

 以上、テサロニケ第二書簡の成立事情とその内容の概略を見ました。この書簡を扱うさいに重要なことは、著者問題でもなく、また個々のテキストの正確な解釈でもありません。それは、この書簡が主題としているキリストの来臨を現代のわたしたちがどのように受けとめるかという問題です。
 そのためにはまず、この書簡を新約聖書の時代における福音の展開の歴史の中に正しく位置づけ、この書簡の存在の意義を確認しなければなりません。本稿は、新約聖書の時代における来臨待望の変遷の中で、テサロニケ第二書簡がどのような位置を占めているかを見ました。それをまとめると、パウロ以後の時代、来臨の遅延が問題になっていた状況で、パウロ系集会に底流として流れていた来臨待望が迫害などの状況で復興したとき、その待望を黙示思想の枠を用いて正しく導こうとした文書であるということになります。この文書が黙示思想の枠内に留まっているのは、コロサイ書やエフェソ書が黙示思想を脱却して、ヘレニズム世界の宇宙論的キリスト像に達しているのと対照的です。
 この時期には、黙示思想の枠内で来臨待望を語るもう一つの重要な文書、「ヨハネ黙示録」も現れています。新約聖書には、この他にも共観福音書に「マルコの小黙示録」(マルコ一三章と並行箇所)と呼ばれる来臨待望の伝承があります。このような新約聖書の来臨待望を現代のわたしたちがどのように受けとめればよいのかという重大な問題は、このテサロニケ書簡だけの問題ではなく、新約聖書理解の基本的な問題になります。この問題については、すでに『マルコ福音書講解U』155頁の「現代におけるパルーシア待望」で論じましたが、次に「ヨハネ黙示録」を検討した後で、改めて取り上げたいと思います。