市川喜一著作集 > 第14巻 パウロ以後のキリストの福音 > 第1講

序章 使徒名書簡




第一節 エーゲ海地域における福音の進展

パウロの福音活動の地域

 パウロがアンティオキア集会を離れて独立の福音活動を始めてからエルサレムで逮捕されるまでの僅か七年ほどの間に、パウロはエーゲ海を巡る地域の主要な都市に福音を伝え、キリストを信じる民の集会を形成しました。その前半では、ガラテヤなど小アジアの内陸部から、マケドニア州のフィリピ、州都テサロニケ、ベレア、さらにアカイア州の州都コリントに至るまで、エーゲ海の北岸から西岸を巡り歩いて、福音を宣べ伝えました(いわゆる「第二次伝道旅行」)。コリントから一度エルサレムの聖徒たちを訪問してアンティオキアに戻りましたが、この短期のエルサレム・アンティオキア滞在を挟んで、後半では小アジア内陸部の高地を通ってアジア州の州都エフェソに到着、このアジア州の州都に二年余り滞在し、そこを拠点としてアジア州の諸都市に福音を伝える活動をしました(いわゆる「第三次伝道旅行」)。
 このパウロの福音活動の舞台は、エーゲ海を巡る広い地域にわたっています。アジア州はエーゲ海の東側、マケドニア州はエーゲ海の北側、アカイア州はエーゲ海の西側となり、これらの三州はエーゲ海を取り囲んでいます。このようにエーゲ海を取り囲む地域を「エーゲ海地域」と呼ぶならば、パウロの福音活動の舞台、そして、パウロが形成したキリストの民の共同体の分布地域は、「エーゲ海地域」であると言うことができます。この「エーゲ海地域」は、以後の福音の展開にとってきわめて重要な意義を担う地域となります。
 この「エーゲ海地域」の交通の要の位置を占めるのがアジア州の州都エフェソです。パウロはその福音活動の後半、エフェソを拠点として活動し、後背地の小アジアの諸都市と、エーゲ海対岸の諸都市(とくにコリント)と密接な接触を保ち、書簡を送り、弟子たちを派遣し、使節を受け、ときには自分で訪問したりして、この地域の諸集会を指導します。こうして、このエーゲ海地域が「パウロによるキリストの福音」が確立される地域となります。

 エフェソの歴史とパウロの時代の状況については、拙著『パウロによるキリストの福音V』24頁の「エフェソの歴史と宗教」の項を参照してください。

パウロ以後のアジア州諸集会の展開

 パウロがその宣教活動の最後の時期に、二年数ヶ月もエフェソを拠点としてアジア州に伝道をしたことにより、州都エフェソ周辺のアジア州各都市にキリストの民の集会が形成されました。パウロなき後も、パウロによって設立された集会と弟子たちの活動により、一世紀後半にはアジア州におけるキリストの民の交わりは拡大し、多くの都市にキリストの民の群れが存在するようになります。パウロ文書(パウロ書簡とパウロの名による書簡)と、一世紀末に書かれたとされるヨハネ黙示録と、二世紀初頭に書かれたイグナティオスの書簡に出てくる都市名を合わせると、一世紀末のアジア州(およびその近隣)には以下の諸都市にキリストの集会があったことが分かります。先ず州都エフェソ、その近辺のマグネシアとトラレス、リュコス渓谷に沿って東に入ったラオデキア、コロサイ、ヒエラポリス、東北の山地に入ったサルデス、フィラデルフィア、ティアティラ、エーゲ海に沿って北にあるスミルナ、ペルガモン、トロアスなどです。名前が挙げられていない都市も多くあったことでしょう。
 こうして、アジア州、とくに州都エフェソは、一世紀後半から二世紀にかけて福音活動の一大中心地になります。それまではエルサレムとアンティオキアが中心地でした。66年から70年にいたるユダヤ戦争によってパレスチナが荒廃したこともあって、福音活動の中心地は、エルサレム・アンティオキアからエフェソに移り、それに帝国の首都ローマを中心とする活動がだんだんと勢力を加えるようになります。福音の展開の歴史は、エフェソ・ローマを中心とする時代を迎えることになります。
 先に『パウロによるキリストの福音 V』で見たように、エフェソはパウロ書簡の大部分が執筆された地であり、パウロの教えの口伝の伝承も多く、パウロの福音がもっとも深く刻印されている地域です。この地域で「パウロの名による」文書が生み出され、「パウロ書簡集」の結集が行われたのも自然の流れと言えるでしょう。本書で扱う文書はみな、エフェソを中心とする「エーゲ海地域」で成立したか、宛てられたか、何らかの形でこの地域と関わる文書です。これらの文書によって、わたしたちはパウロ以後の時代に、この地域でキリストの福音がどのような形をとっていたのかを知ることができます。