市川喜一著作集 > 第7巻 マタイによるメシア・イエスの物語 > 第33講

第十一章 人の子の来臨

       マタイ福音書 二四〜二五章

はじめに

 誕生物語(一〜二章)と受難物語(二六〜二八章)に囲まれたメシア物語の本体部分(三〜二五章)を、マタイは五つの説教集で区切って構成しました。その五つの大きな区切り(ブロック)は、それぞれイエスの働きを語る物語部分と、特定の主題でまとめられた説教集から成り立っていることを見てきました。今や、最後の第五ブロックの物語部分(一九〜二三章)で、エルサレムに現れたメシア・イエスとユダヤ教指導者層との対決を描いた後、マタイは最後の大きな説教集(二四〜二五章)を置きます。それは、神殿崩壊の予言をきっかけとして語られた、「人の子の来臨」を主題とするイエスの終末預言の集成です。前半(二四章)は「マルコの小黙示録」と呼ばれるマルコ福音書一三章とほぼ同じ内容ですが、後半(二五章)にはマタイ独自の(あるいはマタイ流に編集した)三つのたとえによる終末的講話を置いています。「マルコの小黙示録」を継承する二四章にもマタイ独自の立場が滲み出ていますので、ここで二四〜二五章全体の終末説教の特色を通して見ておきたいと思います。ただしここでも、二四章については、詳しい講解は『マルコ福音書講解U』の中の一三章の部分(109頁〜159頁)に委ねて、ここではマタイの特色に限定して取り上げることにします。



第一節 黙示録的終末説教

神殿崩壊の予言(24・1〜2)

 エルサレムに現れたメシア・イエスの活動の舞台は神殿です。神殿の崩壊を指し示す激しい象徴行為をされ、敵対する勢力と論戦を展開されたのも神殿の境内です。そして今、「神殿の境内から出て行かれる」とき、弟子たちに「これらすべての物を見ないのか。はっきり言っておく。一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない」という明白な言葉で神殿の崩壊を予告されるのです(二四・一〜二)。
 イエスが神殿の崩壊について預言者的な発言をされたのはここだけではありません。鞭で商人を追い出すという象徴行為をされたとき、「この神殿を壊してみよ。三日で立て直してみせる」という意味の発言をされたことは、ヨハネ(二・一九)が伝え、マルコも最高法院での裁判でそれを聞いたという証人が現れたことを語り(マルコ一四・五八)、さらに通りすがりの者が十字架につけられているイエスを嘲笑した言葉として伝えています(マルコ一五・二九)。預言者を殺すエルサレムに対して、イエスは深く嘆いて「お前たちの家は見捨てられて荒れ果てる」と予言されました。ルカ(一三・三四〜三五)はそれをエルサレムに入られる前の出来事としていますが、マタイは律法学者たちに対する激しい弾劾の語録集の最後に置いて(二三・三七〜三八)、二四章の神殿崩壊予言への導入としています。
 昔ソロモンの神殿がバビロニアの軍勢によって破壊されたとき、主は多くの預言者を送って警告されました。今、神殿の崩壊というイスラエルの歴史にとって決定的な出来事を前にして、主が一人の預言者も遣わされないことはありません(アモス三・七)。ここでイエスは、この決定的なカイロスに神から遣わされた預言者として、神殿を拠り所とするユダヤ教宗教体制の壊滅を預言されるのです。

終末のしるし(24・3〜14)

 神殿が崩壊して存在しなくなるということは、ユダヤ人にとっては世の終わりであり、天が落ち地が崩れるような衝撃です。神殿が崩壊するとき、「この世(アイオーン)」は終わり、宇宙的な破局を経て「来るべき世(アイオーン)」が到来するのです。弟子たちは、そのような恐るべきことが「いつ起こるのか」と、「どのような前兆があるのか」と尋ねないではおれません。マルコが伝える弟子たちの質問(一三・四)を、ルカ(二一・七)はほぼそのまま踏襲していますが、マタイは前兆についての質問の表現を変えて、「そのことはいつ起こるのですか。また、あなたが来られて世の終わるときには、どんな徴があるのですか」としています(二四・三)。
 マルコ(あるいはマルコ以前の伝承)ではまだ、「前兆」は神殿崩壊という出来事が起こるときの前兆という意味でありえますが、マタイがこの福音書を書いた時には、すでに神殿が崩壊して十年以上経っており、神殿崩壊の前兆という意味ではありえなくなっています。それで、マタイはこの質問を「あなたが来られて世の終わるとき」の前兆についての質問にします。この句を直訳しますと、「あなたの来臨《パルーシア》と世《アイオーン》の終わりの徴」となります。マタイの時代の教団はキリストの来臨《パルーシア》が近いことを確信し、「来るべきアイオーン」が栄光をもって現れるのを待望していたのです。そして、イエスの終末に関する発言に、《パルーシア》の前兆についての教えを聴き取ろうとしたのです。
 この弟子たちの質問に対するイエスのお答え(二四・四〜一四)は、マルコ(一三・五〜一三)の場合とほぼ同じです。マルコでは偽メシアの出現、戦争の噂や戦場の叫び声、飢饉や地震などの災害、人間関係の冷却、信仰に対する迫害など、当時の黙示思想が終末の前兆として語っていたものが上げられていました。マルコの時代はユダヤ戦争の時代であり、偽メシアの出現、戦争の噂や戦場の叫び声はごく身近な現実的体験であったのです。このような時代の状況を見て、世の終わりは近いと考えた信徒たちもいたことでしょうが、マルコは「そのようなことは必ず起こるが、まだ終わりではない」と戒め(七節)、それは新しいアイオーンが産み出されるための産みの苦しみの「始まり」であるとします(八節)。この警告については、マタイはマルコをほとんどそのまま引き継いでいます。マタイの時代は、すでにエルサレム神殿は破壊されていますが、世の終わりを実感させるような世界の混乱は同じように続いており、マタイはマルコと同じように「まだ終わりではない」と警告し、「産みの苦しみの始まり」にあたって、義人が受ける苦難に耐えるように励ます必要を感じていたのです。

大いなる患難の時(24・15〜28)

 次のエルサレム神殿崩壊にともなう「大いなる患難の時」の予言も、マタイ(二四・一五〜二八)はマルコ(一三・一四〜二三)をほとんどそのまま用いています。この予言はもともと、ローマの軍勢によるエルサレムの陥落が避けられない情勢になってきたとき、教団の中で霊感を受けた預言者によって主イエスの名によって語られたものと考えられます。この予言により、ユダヤにいたイエスの民はゼーロータイ(熱心党)の者たちと一緒にエルサレムに立てこもることなく、ヨルダン川東岸のペラに脱出します。

 ローマ軍によるパレスチナ侵攻が「憎むべき破壊者が聖なる場所に立つのを見たら」という謎めいた表現で言及されています。マルコは触れていませんが、マタイはこの表現がダニエル書(九・二七、一一・三一、一二・一一)からの引用であることを明示しています。ダニエル書では、前一六八年にシリアの王アンティオコス四世エピファネスがエルサレム神殿の祭壇を除いて、代わりに異教の祭壇をおいた事件(マカバイT一・五四〜五九)が事後預言として述べられていますが、この出来事は以後終末を語る黙示思想に大きな影響を及ぼすことになります。新約時代においてもすでに四一年に、ローマ皇帝カリグラが支配下にある諸民族の神殿で自分が神として崇められることを求め、エルサレムの神殿にも自分の立像を建立することを要求しました。カリグラの時はなんとか阻止できましたが、六六年から始まる今回の戦争(ユダヤ戦争)では、このような事態に至ることは避けられないと予言され、一刻もためらうことなく、安全な場所に逃れるように促されるのです。

 マタイの時代ではエルサレム神殿の崩壊とそれにともなうユダヤ人の苦難はすでに起こった事実ですが、マタイはマルコの予言をそのまま残しています。マルコはエルサレム陥落にともなうユダヤ人の苦難を世界的な終末的苦難としていますが、ユダヤ人に向かって書いているマタイはそれをそのまま用いて、ユダヤ人の苦難の時代を意義づけ、「憎むべき破壊者」に象徴される「反キリスト」の到来と、その前兆としての偽メシア、偽預言者の出現に対する警告を、なお重要な意味をもつものとするのです。このマタイの立場は、異邦人に向かって書いているルカ(二一・二二〜二四)がまったく違った視点からこの出来事(エルサレムの陥落とユダヤ人の苦難)を見ていることと対照的です。
 ところで、マタイは偽メシアや偽預言者に対する警告を語るところで、マルコにない重要な言葉を加えています。「だから、人が『見よ、メシアは荒野にいる』と言っても、行ってはならない。また、『見よ、奥の部屋にいる』と言っても、信じてはならない。稲妻が東から西へひらめき渡るように、人の子も来るからである。死体のある所には、はげ鷹が集まるものだ」(二四・二六〜二八)という箇所です。この「稲妻が東から西へひらめき渡るように、人の子も来る」という語録は、用語は少し違いますがルカ(一七・二四)にもあり、「語録資料Q」から取られていると見られます。
 「語録資料Q」に保存されているこの語録が、「神の国」到来についてのイエスの本来の言葉ではないかと考えられます。ルカ(一七・二〇〜三七)はこの語録を、「神の国はいつ来るのか」というファリサイ派の人々の質問に対するイエスの答えの中で用いています。イエスの答えは、イエスが宣べ伝えておられる「神の支配」が、ファリサイ派や黙示思想などのユダヤ教諸派が考えている「神の国」とは根本的に性格の異なるものであることを示しています。イエスの中に到来している「神の支配」とは、「ここにある」とか「あそこにある」というように見える形で来るものではないのです。ユダヤ教各派は、「神の国」とか「人の子の日」は見える形で地上に来ると考えているので、「見よ、あそこだ」とか「見よ、ここだ」と言って、自称メシアとか偽預言者が人々を地上の集団に糾合しようとします。そのような人たちの後を追いかけて行ってはならないと、イエスは警告されます。「稲妻が東から西へひらめき渡るように、人の子も来る」のです。このお言葉は、「神の国」とか「人の子の日」とは場所や日付を問題にすることができるような歴史的出来事ではなく、「稲妻がひらめいて、大空の端から端へと輝くよう」(ルカ)な性質の出来事であり、いつ起こるのか、どのような形で起こるのかを問題にすることができない性格のものであることを示しています。
 マタイは、この語録をマルコから継承した黙示録的な語録集に用いることによって、キリスト来臨の待望が地上的・歴史的な性質のものにならないようにしていると言えます。その日がいつ、どのような形で現れるのか誰にも分からないのですから、わたしたちはその日がいつ来てもよいように、現在すでにイエス・キリストにあって聖霊により賜っている恩恵の支配の場にしっかりとどまることだけが求められるのです。それが「目を覚ましている」ことなのです。ルカはこの勧告を「稲妻」の語録のすぐ後に続けていますが、マタイは少し離して置いています(二四・三六〜四四)。
 マタイがここに置いている「死体のある所には、はげ鷹が集まるものだ」という語録は、正確な理解が難しい語録の一つです。ルカ(一七・二七)は、「それはどこで起こるのですか」という弟子の質問に対するイエスの答えとしています。マタイがここに置いたのは、はげ鷹が集まるのを見てその下に死体があることが分かるように、偽メシアや偽預言者が輩出する時代こそ、「人の子」が現れる日が近いしるしであるとして、次の「人の子の到来」を語る段落との結び目としたと見られます。

人の子の到来(24・29〜31)

 ここで、「稲妻が東から西へひらめき渡るように、人の子の到来《パルーシア》もそのようであろう」(二七節直訳)と言われたことが、黙示録的な用語で描かれます(二九〜三一節)。「その苦難の日々の後、たちまち太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は空から落ち、天体は揺り動かされる」(二九節)という箇所は、このアイオーンが終わり、新しいアイオーンが始まるときに起こる宇宙的な大変動と破局を描く典型的な黙示録的表現です。このような表現は、すでに旧約聖書のもっとも後期の部分にも見られますが(イザヤ一三・九〜一〇)、新約聖書時代の前後に輩出した黙示文書に数多く見られるようになります。このような宇宙的変動を通して現れるのは、預言書では神の審判であり、黙示文書では新しいアイオーンでした。福音書では「人の子」の顕現に集中しています(三〇〜三一節)。
 マルコは「そのとき人々は、人の子が大いなる力と栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見る」と言っていますが、この表現がダニエル書(七・一三〜一四)から来ていることは広く認められています。しかし、たとえこれが初期の教団がキリスト来臨の希望をダニエル書の言葉で表現したものであったとしても、「人の子」という黙示思想的用語を用いて終末の到来を語られたイエスの言葉があったからこそ、それを核として形成されることができたと考えられます。そして、その核となったイエスの言葉は、信仰のゆえに苦しみを受ける弟子たちに語られた「稲妻」の語録であったと見られます。
 こうして形成された初代教団の共通の《パルーシア》待望を語るマルコの告白文を、マタイもそのまま継承していますが、マタイは前に「人の子の徴が天に現れ」を加え、「人々は見る」を「地上のすべての民族は悲しみ、(人の子が来るのを)見る」と変えて(三〇節)、黙示思想的な色彩をさらに強くしています。黙示文書では、ここに上げられたような天界の異変が「人の子の徴」とされ、そのような異変の前に、神の奥義を知らされている義人以外の諸国民は不安におののき、自分たちにふりかかる審判と滅びを嘆き悲しむのです(ルカ二一・二五〜二六参照)。しかし、主の民にとっては、この時こそ主のみもとに集められて、神の子として栄光の中に現れる解放の時、救済の時なのです。それは、死に定められた現在の「自然の命の体」が栄光の「霊の体」に変えられる時です(コリントT一五章)。そのことが、「人の子は、大きなラッパの音を合図にその天使たちを遣わす。天使たちは、天の果てから果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める」(三一節)という表現で語られます(ここでもマタイはマルコにはない「ラッパの音を合図に」という黙示思想的な表現を加えています)。福音における終末待望は、黙示録的な用語を用いながらも、黙示思想の枠組みから抜け出て、復活の希望に集中していることを見落としてはなりません。

目を覚ましていなさい(24・32〜51)

 エルサレム神殿崩壊の予言をきっかけにして始まった終末預言は、「人の子の到来」の預言でクライマックスに達します。それ以上のこと、あるいはそれ以後のことは、もはや人の言葉で表現できる次元のことではありません。後は、その時に備える心構えを諭すことだけが課題になります。その心構えを諭すのに、マタイは三つの比喩(広い意味での比喩)を並べます。まず最初に、マルコの順に従い、いちじくの木の比喩を置きます。
 マタイのいちじくの木の比喩(二四・三二〜三五)は、マルコのもの(一三・二八〜三一)と同じです。パレスチナでは周囲がまだ冬の様相を見せているのに、その中でいちじく木の裸の枝が柔らかくなり小さな若葉を出し始めます。それは夏の姿が何も見えない所で、夏が近いことを指し示すしるしです。そのように、ここで語られたような苦難の出来事が起こるとき、それは「人の子」がもう戸口まで来ていることを指し示しているのです。そして、「これらのことがすべて起こるまでは、この世代は決して過ぎ去ることはない」(二四節私訳)のです。イエスを殺し、預言者殺しの升目を満たす今の世代が責任を問われ、神殿の崩壊とそれに伴う大いなる患難の時代を迎えることになるのです(二三・三六)。マタイの教団はすでにそれが起こるのを見て、現在その患難のただ中にいるのです。それだけに「人の子が戸口に近づいていると悟る」ことは切実な必要であったはずです。そして「人の子」到来の確かさが、神の言葉の確かさによって保証されます(三五節)。
 マルコはいちじくの木の比喩の後に、「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。ただ、父だけがご存じである」という言葉を置いて、天使などの啓示によるとして「人の子」の来臨の時を議論する者たちの誤りを警告し、それに続けて「(その時は分からないのだから)目を覚ましているように」という教訓を「門番のたとえ」で語っています(マルコ一三・三二〜三七)。ところが、マタイは「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。ただ、父だけがご存じである」という言葉の後に、「人の子が来るのは、ノアの時と同じだ」という句を置いて、ノアの洪水を範例として「目を覚ましているように」という訓戒を語ります(二四・三六〜四四)。このノアを範例とした訓戒は、ルカ(一七・二六〜三五)では「稲妻」の語録の直後に置かれています。おそらく、これが「語録資料Q」の構成であったのでしょうが、マタイは「稲妻」の語録を「人の子顕現」の預言の前に用いたので、ノアのことを少し離れた位置に用いることになったと見られます。
 ルカでは、ノアの場合だけでなくロトの場合も取り上げられていますが、マタイはロトの場合には触れないで、結論を急ぎます。マタイはここで「そのとき、畑に二人の男がいれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。二人の女が臼をひいていれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される」(四〇〜四一節)という「語録資料Q」からの言葉を引用しますが、これは、外見ではまったく同じように生活していても、終わりの日に対して備えができている者とできていない者では、突如やって来るその日に神からまったく別の扱いを受けることになると言おうとしています。マタイは、この語録を用いて、「だから、目を覚ましていなさい。いつの日、自分の主が帰って来られるのか、あなたがたには分からないからである」という訓戒を続けます(四二節)。そして、この訓戒を泥棒の侵入に備える「家の主人のたとえ」でさらに補強します(四三〜四四節)。このノアの洪水を比喩とする訓戒が第二の比喩です。
 第三に、「忠実な僕と悪い僕」の比喩(四五〜五一節)が来ます。この比喩は、ノアの範例によってなされた訓戒と同じく、「いつの日、自分の主が帰って来られるのか、あなたがたには分からないのだから、目を覚ましていなさい」という訓戒の続きですが、マルコの「門番の比喩」(一三・三二〜三七)と較べますと、重点の置き所が変わっています。マルコでは旅に出る主人の比喩と夜中に突然婚礼の宴から帰宅する主人の比喩が混じり合って、門番は目を覚まし眠らないで待っているようにという教えになっていますが、マタイでは(旅に出た)主人の帰りを待っている間の僕の忠実さと仕事ぶりと、その仕事ぶりに対する報酬が問題にされています。使用人たちをよく管理して主人の資産を忠実に守った賢い執事(管理人)には、「全財産を管理させる」という報酬が与えられますが、自分の役目に不忠実で自分の好き勝手に振舞っていた執事(管理人)は、報酬を受けることなく、もはや神の民として扱われず、「偽善者たち」と同じに扱われて罰せられ、外の暗闇に追い出されて「泣きわめいて歯ぎしりする」ことになると警告されます。
 このような重点の推移は、マルコとマタイの状況の違いから理解できます。マルコはエルサレム陥落とそれに続く大患難の時代を目の前に見ているという緊迫した状況ですから、彼の関心は目を覚ましていて突然の来臨に備えることに集中しています。それに対して、マタイはエルサレム陥落から十数年後に書いています。主の来臨がいつあるか分からないという待望は保持されていますが、一方《パルーシア》が遅れている状況で、教団は主から与えられた責任と課題を忠実に果たしながら、これから地上の歴史を歩んでいかなければならないという意識が強くなってきています。この状況と意識の違いが、マルコの「門番のたとえ」を「忠実な僕と悪い僕のたとえ」に変えさせ、さらに「タラントンのたとえ」(二五・一四〜三〇)を加えさせることになります。この傾向はルカにおいてさらに強くなります。

 ここまで(マルコと比べながら)マタイの時代の状況に即して、二四章の黙示録的終末説教(語録集)を理解するように努めてきました。しかし、現代のわたしたちにとってこの黙示録的な章がどのような意味を持つのかが重要です。この課題はすでに、『マルコ福音書講解U』155頁「現在におけるパルーシア待望」で取り上げていますが、その理解と重要性はここでも変わりませんので、その文章をそのままここに再録しておきます(用語と文体を統一するために一部書き換えています)。マタイも、「マルコの小黙示録」をほぼそのまま継承しながら、自分の時代に即した理解と勧告を二五章で続けています。本書も「現在におけるパルーシア待望」の項を置いて、二四章の「黙示録的終末説教」の締め括りとします。

現在におけるパルーシア待望(24章)

 これまでこの黙示録的な章をそれが書かれた状況に身を置いて理解しようと努めてきましたが、最後にこのような黙示録的な終末予言を現代のわれわれはどのように受け止めればよいのかを考えてみましょう。
 まず基本的なことは、福音書が書かれた時代も現代のわれわれもキリストの来臨を待望して生きているという信仰の質は全く同じであることを確認することです。たしかに福音書はその待望を当時のユダヤ教黙示録の用語を用いて表現しています。当時の信徒たちにとっては黙示録的用語はごく身近な信仰の用語であったからです。それに対して現代のわれわれにとっては、このような黙示録的用語や表象は遠い別世界のことのように感じられます。しかし、もし現代のわれわれがこのような黙示録的な世界に入って行けないからといってキリストの来臨を否定するならば、それはたらいの湯と一緒に赤ん坊も流して捨てる(容器と一緒に中身まで捨てる)間違いを犯すことになります。われわれがキリストの将来の来臨を信じるのは、黙示録的思想を認めるからではなく、それが福音の本質に属することがら、すなわちそれがなければ福音が福音でなくなることがらであるからです。
 たしかに福音の核心はキリストの十字架と復活です。それはすでに成し遂げられた神の救いの業です。そしてそれを信じる者は現在すでに聖霊を受けて終末の生命に与っています。この点において、福音は救済をすべて未来に期待する黙示録的信仰と決定的に異なっています。しかし、聖霊によって現在すでに新しい終末の生命に生きる者も、地上に生きる限り時間の中にいるのであり、将来を持っています。その将来とは現在の生命が完全な姿で顕現することです。すなわち、現在はなお朽ちるべき体をもって生きているために被っている不完全さが克服されて、もはや朽ちることのない体をもって生きる完全な生命が顕現することです。福音は、時間の中に生きる者に宿るとき、必然的に将来の希望の相を含むことになります。福音は時間の中では必然的に約束の面を持つことになるのです。この約束と希望の表現が「キリストの来臨」です。
 聖霊によって現在すでに終末の生命に生きる者が、この生命の内的必然として将来現されるはずの栄光を切にうめきながら待ち望まざるをえないという消息は、パウロのローマ書八章にもっともよく表現されています。これがパルーシア待望の原動力です。パウロもユダヤ教の中で育った人ですから、その希望を語るのにユダヤ教黙示録の用語を用いているところもありますが、キリストにあって現在すでに聖霊の生命に生きるという彼の信仰の質は、ユダヤ教黙示思想におけるこのアイオーンと来るべきアイオーンの二元論的枠組みを完全に打ち破っています。
 ユダヤ教黙示思想はなお律法主義の枠内にあり、この世の苦難の中で神の律法を守る義人が来るべき世ではじめて永遠の命と栄光に与ることになります。それに対してパウロにおいては、信じる者は現在すでにキリストにあって終末の現実に生きているのです。ただ時間の中にいる限り、この死に定められた体が解放されて朽ちることのない霊の体に変えられることをうめき待ち望まざるをえないのです(ローマ八・二三)。この死者の復活にあずかることを内容とする将来の希望を表現するのがパルーシア信仰です。
 ところで、初期にこの福音を宣べ伝えた使徒たちはユダヤ人であり、福音の伝承を担い新約の諸文書を生み出したのもほとんどがユダヤ人であったので、この希望を語るのにユダヤ教黙示思想の用語が用いられたのは自然の流れでした。その結果、教団の中にはユダヤ教黙示文学に親しみ、それらの文書を熱心に学ぶ流れも生じてきたと考えられます。
 キリスト教会側がユダヤ教黙示文書を論拠としたので、対立するファリサイ派ユダヤ教側は黙示録的文書を排除し破棄しました。その結果、ユダヤ教黙示文書はおもにキリスト教会において保存され伝えられることになりました。「マルコの小黙示録」や「ヨハネ黙示録」はそのような流れの中から生み出されたものですが、これらの文書も決して黙示録的信仰を手放しで認めているのではなく、『マルコ福音書講解』で見たように、マルコは福音をユダヤ教黙示思想の枠内で理解しようとする傾向を戒めているのです(H・ケスターはヨハネ黙示録を「黙示思想的待望の批判」という標題で扱っています)。
 一方、新約聖書の中には、現在の霊的現実を強調して、黙示録的表現を用いない傾向もあります。その傾向の代表的文書がヨハネ福音書です。この福音書では、信じる者は現在すでに聖霊により永遠の生命を得ていることが強調され、黙示録的用語で未来のことを語ることはほとんどありません。ここで注意すべきは、黙示録的表現がないということは、その信仰が終末的でないということを意味しないことです。ヨハネ福音書は独特の意味できわめて終末論的です。
 黙示思想は終末論的信仰の一つの形態であって、そのすべてではありません。福音は終末的現実の到来を告知するものであり、キリスト信仰はその終末的現実に生きます。ただその終末性は、パウロに見られるように、ユダヤ教黙示思想の枠組みを打ち破り、乗り超えてしまっているのです。
 福音書の時代の信徒たちも、このような聖霊による内的な必然としてキリストの来臨を待望していたのです。ただそれを表現するにさいして当時の身近な宗教用語である黙示録的表象が用いられることになりました。それはイエスご自身が「人の子」という黙示録的表象を用いられたことから生じる自然の帰結でもあります。もし現代のわれわれがもはや黙示録的表象の世界に留まることができないのであれば、現代にふさわしい別の表現を取ればよいのです。しかし、キリストのパルーシアというような歴史を超える出来事は、もはや時間と空間の枠の中で生きる人間の通常の言葉では語りえず、なんらかの意味で象徴を用いて指し示さざるをえません。初代の教団は当時のユダヤ教黙示文学にこの希望を語るにふさわしい象徴言語を見いだしました。現代の神学はどのような象徴言語を持ちうるのでしょうか。それを見いだすことが現代神学の一つの課題でもあると思います。
 その際、ユダヤ教黙示思想の限界だけに目をとめて、それを廃棄するだけであってはなりません。ユダヤ教黙示思想はわれわれに貴重な遺産を残してくれています。それはイスラエルの預言者たちから受け継がれたもので、宇宙論的な終末信仰です。キリストの来臨によって創造者はその業を完成されるのですが、その対象は全被造物を含みます。すなわち、宇宙的な救済の完成です。それは新天新地の創造です。黙示思想によって、初めの創造に対する終りの創造の信仰が明確になりました。福音的な終末論はこの黙示思想の終末的創造信仰の枠組みを継承しています。先にローマ書八章をあげて、福音における終末待望は現在聖霊によって生きている生命の内的必然であることを示しましたが、そこでの内的必然としての待望は、宇宙の完成をうめきながら待ち望むことになります(ローマ八・一八〜二五)。
 福音書は「目を覚ましていなさい」というイエスの呼びかけをこの黙示録的な遺訓の結論としました。この呼びかけは今日ますます切実になってきています。世界の矛盾と苦悩は福音書の時代以上に深刻で、地球規模の大きなものになってきています。黙示思想がしたように、世界の出来事を一つ一つ終末の予定表に当てはめて、一喜一憂したり右往左往するのではなく、われわれはキリストにあって現在賜っている御霊の現実にしっかり立って、キリストがいつ来られてもよいように生きることが大切です。外の出来事に信仰と希望の拠り所を求めるのではなく、内なる御霊の事態を明確に自覚してそこから生きること、それが「目を覚ましている」ことです。