市川喜一著作集 > 第7巻 マタイによるメシア・イエスの物語 > 第11講

第三章 御国の福音

       マタイ福音書 五〜七章


 マタイはガリラヤに出現されたメシア・イエスの働きを、「諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え」という言葉による教えの働きと、「民衆のありとあらゆる病気や患いをいやされた」という癒しの働きの二つにまとめました(四・二三)。マタイはメシア・イエスの働きを描くにさいして、まずメシア・イエスが宣べ伝えられた「御国の福音」を提示します。それが五〜七章にまとめられたイエスの言葉の集成です。
 この集成は、普通「山上の垂訓」とか「山上の説教」と呼ばれていますが、決して倫理訓ではなく、イエスが宣べ伝えられた「神の国(バシレイア)」の告知そのものなのです。マタイは当時のユダヤ人の慣例に従い、「神」という用語を避けて、代わりに「天」を用いますから、マルコでは「神の国(バシレイア)の福音」と言われていたところは「天の国(バシレイア)の福音」と言い換えられています。そして、場合によっては「天の」を略して、単に「国(バシレイア)の福音」と言っています(四・二三もそうです)。《バシレイア》とは王の支配を意味します。「国(バシレイア)の福音」とは、神が王として支配される事態の告知という意味になります。そして、イエスが告知されたその「神の支配(バシレイア)」とはどのような事態であるのか、マタイは独自の視点でまとめ上げています。それが五〜七章の「山上の説教」です。
 このイエスの「御国の福音」をマタイがまとめた「山上の説教」は、マタイ福音書の核心であり、マタイ福音書の中でもっともマタイの特色がよく出ているところであり、マタイ福音書理解にとってもっとも重要な箇所になります。それで、前著『マタイによる御国の福音―「山上の説教」講解』で詳しく取扱いました。それを簡単に要約することは困難ですし、内容の豊かさと重要性からして不適切と思われますので、前著をじっくりお読み下さるようにお願いして、本書では、この位置にその「御国の福音」が来るという位置を示すだけにとどめます。