市川喜一著作集 > 第7巻 マタイによるメシア・イエスの物語 > 第10講

第三節 ガリラヤでの福音告知開始

異邦人のガリラヤ(4・12〜17)

 イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた。そして、ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町カファルナウムに来て住まわれた。それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。
 「ゼブルンの地とナフタリの地、
  湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、
    異邦人のガリラヤ、
  暗闇に住む民は大きな光を見、
  死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。」
 そのときから、イエスは、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って、宣べ伝え始められた。(四・一二〜一七)

 領主ヘロデ・アンティパスは、洗礼者ヨハネの運動が拡大してメシア的な運動となり、領地に騒乱が起こるのを怖れ、ヨハネを逮捕しマケラスの要塞に閉じ込めます。この報せを聞いて、イエスはユダヤを去り、ガリラヤに退かれます。これは身の安全を図るためではありません。ガリラヤも同じヘロデ・アンティパスの領地だからです。イエスは、ヨハネの逮捕に自分が福音告知に立つべき時が来たことを知り、それを「異邦人のガリラヤ」で始められるのです。
 イエスはユダヤの荒野で神の召しを受けて、別人としてガリラヤに帰って来られます。両親や兄弟が住む「ナザレを離れ」たことは、イエスの生涯が別の時期に入ったことを示しています。イエスは湖畔の町カファルナウムに住まいを定められます(イエスの家がカファルナウムにあったことはマルコ二・一も示唆しています)。この町がイエスのガリラヤ福音告知の拠点になります。
 このカファルナウムに「ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町」という説明がつくのは、マタイの筆によります。マタイはこの説明文をつけることで、イエスがカファルナウムに住まれたことをイザヤ預言の成就であると、強く印象づけるのです。むしろ、この段落全体は、イエスがカファルナウムに住まれたことを、イザヤの預言からマタイが構成した物語であると見てよいでしょう。

引用されているイザヤ書は、新共同訳では八・二三〜九・一です。マタイの引用文は、ほぼ七十人訳に従っていますが、マタイの編集の手が加わり、ところどころ用語も変わっています。とくに最後の「光が射し込んだ」は、七十人訳の「光が昇るであろう」という未来形を過去形にしています(もっともヘブライ語原典では完了形ですが)。「ゼブルン」と「ナフタリ」は、イスラエル十二部族の中でガリラヤ地方に住んだ部族の名です。「海沿いの道」は地中海沿岸地方、「ヨルダン川のかなた」はエルサレムから見て「かなた」、すなわちヨルダン川東岸地方を指します。そして、これらの地方や「諸国民」が入り交じったガリラヤ地方は「辱めを受けた」、すなわち、イザヤの時代にアッシリアに征服され、その属州にされたのです(前七三二年)。イザヤの預言はそれらの地方の回復を預言するものです。なお、マタイがカファルナウムにつけた説明文における「湖畔」の「湖」と、イザヤ預言の「海沿い」の「海」は、ギリシャ語では同じです。

 この引用で中心に来るのは「異邦人のガリラヤ」という表現です。マタイは、イエスがガリラヤで福音告知を開始されたことを、「異邦人のガリラヤ」という預言の言葉で意義づけるのです。「異邦人」と訳されている語は、「民族」の複数形です。すなわち、イエスの福音告知はユダヤ人だけでなく、諸々の民族に向かってなされているのだと宣言しているのです。すでに繰り返し見てきたように、マタイは、イエスの福音をユダヤ人の中だけに限ろうとする体質に対抗して、福音をユダヤ人以外の諸民族に伝えなければならないという主張をかかげて、この福音書を書いているのです。この段落の構成にも、マタイの意図がよく示されています。

ガリラヤはダビデ王国の領域に含まれ、分裂後は北王国の一部として、イスラエル十二部族の一部が住んだ地方でした。しかし、北王国がアッシリアに滅ぼされる前後からアッシリアの属州となり、民族の混淆が進み、「失われた地」になりました。南王国のヨシア王が一時この地方を支配下に収め、ダビデ王国の領域を回復した時期がありましたが、これも短いエピソードに終わり、やがて南王国もバビロニアに滅ぼされます。捕囚後のペルシャ支配とセレウコス朝支配の時代には、他民族の入植が続き、ガリラヤの人種、宗教、文化の混淆は進みます。それで、エルサレムに再建されたユダヤ教団からは軽蔑の意味を込めて「異邦人(異教徒)のガリラヤ」と呼ばれることになります。ガリラヤが再びユダヤ教の土地になるのは、ハスモン王朝がガリラヤまで支配を及ぼし(前一〇〇年頃)、住民にユダヤ教を強制し、シナゴーグを建てるなどして教化活動を続けた結果です。また、ユダヤからの入植者を送り込みます(イエスの家族もこの時期のユダヤからの入植者であると見られます)。このユダヤ教化はかなり成功し、一世紀前半には「ガリラヤのユダ」を初めとするユダヤ教過激派「熱心党」の地盤となります。しかし、イエスの時代においては、ガリラヤは異教と接するユダヤ教の辺境・周辺地帯という意味で「異邦人のガリラヤ」であったと言えます。

 ガリラヤでイエスが宣べ伝えられた福音は、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と要約されています。この福音告知の言葉は、洗礼者ヨハネの言葉(三・二)と同じです。先に見たように、マタイはイエスとヨハネが一体であることを強調します。イエスはヨハネと同じ内容をもって告知を開始されるのです。たしかに、イエスはヨハネを超えておられます。しかし、イエスの告知にはヨハネと同じく、終末的な審判の迫りと悔い改めを説く一面もあります。イエスの「恩恵の支配の福音」は終末的な場で語られているのです。

ガリラヤの漁師を弟子にする(4・18〜22)

 イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、二人の兄弟、ペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが、湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。そこから進んで、別の二人の兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父親のゼベダイと一緒に、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、彼らをお呼びになった。この二人もすぐに、舟と父親とを残してイエスに従った。(四・一八〜二二)

 この段落はマルコ(一・一六〜二〇)と同じです。強いて違いを探せば、シモンの名に「ペトロと呼ばれる」という句がついているだけです。先に触れたように、ペトロやアンデレはすでにユダヤでイエスの弟子となっているのですから、この記事は、復活されたイエスがガリラヤ湖畔でペトロたちに現れ、ガリラヤに逃げ帰っていた弟子たちを福音告知に召された出来事を、イエスの在世時の出来事として語っていると理解する方が自然です。とにかく、マタイはマルコの記事をそのままここに置いて、イエスのガリラヤ伝道に最初に従った弟子の存在を語るのです。

この記事を復活後の顕現とする理解については、『マルコ福音書講解U』の終章「復活者の顕現」で詳しく論じましたので、ここでは省略します。なお、この記事そのものの解釈については、『マルコ福音書講解T』73頁「四人の漁師の召命」の段落を見てください。

ガリラヤでの福音告知活動(4・23〜25)

 イエスはガリラヤ中を回って、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、また、民衆のありとあらゆる病気や患いをいやされた。そこで、イエスの評判がシリア中に広まった。人々がイエスのところへ、いろいろな病気や苦しみに悩む者、悪霊に取りつかれた者、てんかんの者、中風の者など、あらゆる病人を連れて来たので、これらの人々をいやされた。こうして、ガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤ、ヨルダン川の向こう側から、大勢の群衆が来てイエスに従った。
(四・二三〜二五)

 イエスがガリラヤを巡り歩いてなされた働きを、マタイは二つの働きにまとめています。すなわち、「諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え」という言葉による教えの働きと、「民衆のありとあらゆる病気や患いをいやされた」という癒しの働きです。そして、イエスが宣べ伝えられた「御国の福音」の言葉を五章から七章にまとめ、イエスの癒しの働きを代表的な事例を伝えて八章から九章にまとめるのです。その上で、この二三節と同じまとめの言葉で締め括っています(九・三五)。
 こうして、イエスのガリラヤにおける働きが要約され、さらに、イエスの言葉に耳を傾ける二つのグループ、すなわちイエスに従う弟子たちと大勢の群衆の存在が語られて、「山上の説教」の舞台が整うのです。

この段落は、「山上の説教」を講解するときに聴衆の問題として扱っていますので(拙著『マタイによる御国の福音』36頁「第二節 聴衆」を参照)、ここでは簡単にしておきます。なお、「御国の福音」という表現については、同書33頁の《バシレイア》の項を参照してください。