市川喜一著作集 > 第3巻 マルコ福音書講解T > 第50講

50 反対しない者は味方  9章 38〜40節

 38 ヨハネがイエスに言った、「先生、わたしたちはある者があなたの名によって霊を追い出しているのを見かけましたが、彼がわたしたちの仲間にならないので、やめさせております」。 39 ところが、イエスは言われた、「その者をやめさせないがよい。誰でもわたしの名によって力ある業を行いながら、すぐ後でわたしをそしることはできない。 40 誰でもわたしたちに反対しない者は、わたしたちの味方である。

一致の土台

 このヨハネの発言は、「わたしたちの仲間にならない」とか「わたしたちはやめさせております」という表現が示しているように、イエスの地上の活動の時期のものではなく、初代の教団が自分たちのグループに所属しない者たちの霊的活動を問題にした時の状況を反映している。自分たちに所属しないという理由で、他の人々のイエスの名による霊的活動を禁じようとする動きに対して、霊に感じた一人の預言者が、四〇節の「誰でもわたしたちに反対しない者は、わたしたちの味方である」という言葉を、天に上げられたイエスの言葉として語り出し、それに三九節の「誰でもわたしの名によって力ある業を行いながら、すぐ後でわたしをそしることはできない」という言葉が説明として付け加えられたものであるとされる(NTD)。
 そうすると、この段落はきわめて現代的な意義を持つものになる。振り返ってみると、キリスト教の歴史は教派・教団の対立抗争の歴史であった。お互いに、イエスの名による他の人々の活動を、自分たちに所属しないという理由で異端のレッテルを貼り、禁圧しようとしてきた。もう十分である。今や、真剣にこのみ言葉の精神に立ち帰らなければならない時である。イエスの名によって行なわれるそれぞれの活動を、自分たちに所属しないゆえに敵視するのではなく、お互いに自分たちの味方であるとする態度で受け入れ合うことが求められている。諸教派・諸教団を制度的に統一することはきわめて困難であるが、この精神が土台にあれば、キリストの民としての霊的な一致と協力が可能となり、現代の世界に対して大きな力となりうるであろう。