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途上の章




46 イエスの姿が変わる 9章 2〜13節

 2 六日の後、イエスはペテロ、ヤコブ、ヨハネを連れて、高い山に登り、彼らだけになられた。ところが、彼らの目の前で姿が変わり、 3 その衣は真っ白に輝き、地上のどんな布さらし職人もそれほど白くすることはできないほどになった。 4 すると、エリヤがモーセと共に彼らに現われ、イエスと語り合っていた。 5 そこで、ペテロはイエスに答えて言った、「先生、わたしたちはここにいるのがいいです。それで、小屋を三つ建てましょう。一つはあなたに、一つはモーセに、一つはエリヤに」。 6 彼らはたいへん怯えていたので、ペテロはどう答えてよいのか、分からなかったのである。 7 すると、雲が出てきて彼らを覆い、雲の中から声があった、「これはわたしの愛する子である。彼に聴け」。 8 彼らは急いで見回したが、もはや誰も見えず、イエスだけが彼らと一緒におられた。
 9 一行が山からおりてくる時、イエスは彼らに、人の子が死者の中から復活するまでは見たことを誰にも語ってはならないと命じられた。 10 彼らはその言葉をかたく守ったが、お互いの間では死者の中から復活するとはどういうことかと論じ合った。 11 そして、イエスに尋ねて言った、「なぜ律法学者たちは、まず最初にエリヤが来なければならない、と言っているのですか」。 12 イエスは彼らに言われた、「たしかに、まずエリヤが来て万事を改める。では、人の子について、彼は多くの苦しみを受け辱められる、と書いてあるのはなぜか。 13 しかしあなたがたに言っておくが、エリヤはすでに来たのだ。そして、彼について書いてあるように、人々は自分たちがしたいように彼にしたのだ」。

イエスの変容

 高い山でイエスの姿が変わったというこの「変容」の記事は、その内容があまりにも日常の経験とはかけ離れているので、その歴史性が疑われ、様々な解釈が試みられている。その中で有力なのは、これを本来は復活物語であったとする見方である。たしかに、復活されたイエスは「高い山」で弟子たちに現われたし(マタイ二八・一六)、復活者の顕現を報告する時によく用いられる「現われた《オーフテー》」(ルカ二四・三四、使徒行伝一三・三一、二六・一六、コリントT一五・五〜八)がここでも用いられていて、復活物語との関連をうかがわせるものがある。九節が示唆しているように、この物語はイエスの復活後は、復活されたイエスの栄光を語るために大いに用いられたことであろう。しかし、それだからと言って、この出来事がイエスの地上での活動の期間に実際に起こったことを否定する根拠にはならない。むしろ、この記事の言葉遣いには、これが弟子たちが実際に体験した事を語る伝承から来ていることをうかがわせるものが多い。
 「六日の後」というのは、現在のマルコ福音書の文脈では、ペトロのメシア告白から六日後という意味になる。しかし、この日付はもともと変容物語の一部として伝承されていた可能性がある。そうであれば、この日付は「仮庵の祭になって六日後」のことであったと推測される。この出来事が仮庵の祭の時期のことであったことは、「小屋を三つ建てましょう」と言ったペトロの言葉からも十分推測できる。この祭りは当時のユダヤ人にとっては最大の祭りであり、メシア待望とイスラエル復興の国民的希望が燃え上がる時期であった。その祭りの第七日目の「終りの大事な日」を、イエスはエルサレムではなく、ひとり神と対面して過ごすために、六日目に「高い山」に登られたのであろう(六日と七日目という日数については出エジプト記二四・一五〜一六参照)。この仮庵祭との関連が脱落して「六日の後」だけが伝えられたのは、異邦人世界への宣教において仮庵祭との関連が不必要となったことと、後で触れるようにこの変容物語がキリスト再臨の予表として語られるようになって、六日の業の後に来る七日目の安息の類比から、再臨前の世界史の時代を象徴する日数として保存され伝えられたのであろう。
 「イエスはペトロ、ヤコブ、ヨハネを連れて、高い山に登り、彼らだけになられた」。この「高い山」は二七〇〇メートルもあるヘルモン山そのものではなく、ヘルモン山系の中の比較的高い一つの山であろう。山に入られたのは「彼らだけになる」ため、すなわち人を避けて祈りに没入するためであった(ルカ九・二八)。その祈りは、受難の地エルサレムへ向かう最後の旅に踏みだす前に、苦しみを受ける「主の僕」としての使命を確認する祈りであろう。その祈りは、ゲッセマネの祈りと同じく、イエスにとって苦しく厳しい霊の戦いであった。その戦いを共にするために、ゲッセマネの時と同じく、最も信頼する三人の弟子を伴われた。その三人が結果として、イエスの「人の子」としての栄光を目撃する証人となる(この三人の組合せは復活物語には出てこないことが注目される)。
 イエスは祈っておられるうちに(ルカ九・二九)「彼らの目の前で姿が変わり、その衣は真っ白に輝き、地上のどんな布さらし職人もそれほど白くすることはできないほどになった」。「姿が変わる」というところは《メタモルフォー》という動詞が用いられている。《メタモルフォーシス》(変容)という語はヘレニズム世界の宗教特愛の用語である。ギリシア・ローマ神話の世界では、神々が人間に近づくために人間の姿に「変容して」現われる。ヘレニズム密儀宗教では、人間が密儀によって再生し、神々の姿に「変容する」。パウロもヘレニズム世界に生きる信徒に福音の消息を語る時、この語を用いて、御霊の働きによって「主と同じ姿に変えられる」(コリントU三・一八)とか、「心を新たにして自分を変えていただき」(ロマ一二・二)と言っている。
 しかし、用語は同じではないが、旧約・ユダヤ教世界にも「変容」が語られ、イエスの時代には終末的な希望として聖徒の「変容」が待ち望まれていた。すでにモーセが律法を受けてシナイ山から下って来た時、彼の顔が光を放っていたと伝えられている(出エジプト記三四・二九〜三五)。イエスの時代に広く流布していた多くの黙示文書では、終末時には義人たちの姿はこの世のものならぬ光輝に変容することが説かれていた。「彼らの顔の様は輝く美しさに変えられる」(シリヤ語バルク黙示録五一)とか、復活後の生命を描写するため「新しい白い衣を着る」という表現が用いられていた(エノク書、ヨハネ黙示録参照)。福音も終末におけるキリストの来臨の時には信徒は変容を体験することを確言している(コリントT一五・五一、フィリピ三・二一)。ここでイエスの「姿が変わり、その衣が真っ白に輝いた」と言われているのは、この終末時に待ち望まれていたことがいまイエスの身に起こったことを伝えているのである。
 白は天上の世界を示す色である。「白い衣」はイエスが天上の世界に属する方であることを示し、その衣の輝きは「人の子」の栄光を指し示している。地上の卑しい姿の《メタ》(背後に)隠されていたイエスの《モルフェー》(容、像、本質)が、いま一瞬ではあるが地上の人間の前に輝き出たのである。衣の白さを強調するのに「地上のどんな布さらし職人もそれほど白くすることはできないほどになった」という言葉が用いられているのは、この出来事を体験した人々、ないしこの伝承を担った人々が素朴な農民や漁師の階層であったことを示している。マタイとルカはこの言葉を省いている。
 なお、ルカ(九・二九)が《メタモルフォー》という語を用いないで、「顔の様子が変わり」という表現にしているのは、この出来事がヘレニズム宗教的な意味に受け取られるのを避け、黙示録的用語を用いることでユダヤ的終末的意義を強調しようとしたからか、そのような傾向の伝承を用いたからであろう。

モーセとエリヤの出現

 「すると、エリヤがモーセと共に彼らに現われ、イエスと語り合っていた」。エリヤは終りの日が来る直前に再来すると期待されていた(マラキ三・二三)。そのエリヤが現われたことで、このイエスの変容が終末の出来事であると意義づけられているのである。そのエリヤが「すべてを元どおりにする」というのは、モーセによって結ばれたシナイ契約の回復のことを指している(マラキ三・二二)ので、モーセが一緒に現われたのであろう。さらに山を下りる時の会話からも分かるように、ここではエリヤが主役であるが、一度モーセの名が出ると、両者の重要性から「モーセとエリヤ」という順になり(マタイとルカ)、「律法と預言」を代表する人物の出現と理解されるようになる。
 ルカ(九・三一)によると、この二人がイエスと語り合っていたのは、エルサレムで成し遂げられようとしているイエスの《エクソドス》のことであった。このギリシア語は「出ていくこと」という意味であり、ヘブル一一・二二ではイスラエルの出エジプトの出来事を指し、出エジプト記の書名としても用いられている。今イエスがエルサレムで成し遂げようとされている《エクソドス》とは、十字架上の死と復活とによってイエスがこの世から出ていかれる出来事を指している。このようにルカは、他の箇所でもしばしばしている(ルカ二四・二七、四四以下)ように、ここでもモーセとエリヤの出現を、「律法と預言者」の全体がイエスの十字架と復活を神の終末的救済の業であると証ししている、と意義づけているのである。
 このような天上の人物三人の出現に、地上の三人の弟子たちは驚き怯えてしまう。ここで「ペトロはイエスに答えて言った」とある。このように怯えている弟子が天上の人物の会話に積極的に口を挿んだとは考えられない。むしろ、ここには伝えられてはいないが、天上の姿のイエスから何らかの語りかけがあって、それに対して動転しているペトロは「どう答えてよいか分からない」まま、後で考えると実に場違いな答えをしてしまった、ということであろう。このペトロの答えは、先の「布さらし職人」への言及と共に、実際に出来事を体験した者の素朴な姿を刻印している。
 「先生、わたしたちはここにいるのがいいです。それで、小屋を三つ建てましょう。一つはあなたに、一つはモーセに、一つはエリヤに」。
 仮庵祭はユダヤの三大祭りの中で秋の収穫期に行なわれる最後で最大の祭りである。その祭りにはユダヤの各地から巡礼者がエルサレムに上って来て、木の枝で造った仮小屋に七日間住んで神殿の祭儀に参加した。これはイスラエルがエジプトから救い出されて荒野で幕屋に住んだことを記念するものであった(レビ二三・三九〜四三)ので、この祭りはイスラエルの民族的回復の希望が熱く燃え上がる時期であった。この時期には、敬虔なユダヤ人の心はエルサレムの仮庵祭の盛大な祭儀と木の枝の仮小屋にあったので、動転したペトロが思わずこう言ったことが理解できる。もちろん、この時期以外でもペトロの言葉はユダヤ人の言葉として十分理解できるが、仮庵祭を背景とする時、もっとも自然に理解できる。ペトロはその場の栄光に圧倒されて、もうエルサレムへは上らないで、ずっとここにいる方がよいと思ったのかもしれない。ペトロがどういう意味でこのようなことを言ったのか確定することはできないが、福音書はそれが「自分でも何を言っているのか分からない」(ルカ)、場違いで見当はずれの言葉であったとしている(マタイはこのような判断を加えていない)。

雲の中からの声

 「すると、雲が出てきて彼らを覆い、雲の中から声があった」。雲は神の臨在の徴である。イスラエルがエジプトから救い出された時、主は火の柱、雲の柱をもって民を導かれ、モーセはシナイ山の雲の中から語りかける主より律法を受け、完成した臨在の幕屋は雲に覆われた(出エジプト記一三・二一、二四・一五〜一七、四〇・三四〜三八)。予言者が見た異象でも神の臨在は雲と関係しているし(エゼキエル一・四、一・二八)、多くの黙示文書でも「人の子」は雲に乗って現われる。ここでも、雲が出てくることによって、この場面が神の臨在の場であることが示され、同時に、雲に覆われて弟子たちはもはや何も見えなくなり、神の言葉だけを聴く場に置かれていることが示される。
 弟子たちは雲の中から声を聴いた、「これはわたしの愛する子である。彼に聴け」。この声は、イエスがヨルダン川でバプテスマを受けられた時、聖霊によって聴かれた声と内容は同じである。その時はイエスに向かって「あなたは…」と二人称で語られたが、ここでは弟子たちに向かって、イエスが神の子であるという啓示が三人称で語られる。そしてここでは、「あなたがたは彼に聴け」という世界に対する神の呼びかけが続く。このナザレ人イエスに聴き従うことが、神に聴き従うことになるのである。これはこの福音書の主題である。マルコは世界にこの一言を言いたいのである。この啓示と呼びかけは、今はまだ三人の弟子たちの中に秘められているが、イエスにおける神の業の完成の後には、すなわちイエスの復活後には、全世界に宣べ伝えられねばならない質のものである。 
この声を聞いた時、「彼らは急いで見回したが、もはや誰も見えず、イエスだけが彼らと一緒におられた」。「これはわたしの愛する子」という声はイエスの上にだけ響きわたっているのである。この時のイエスは元のいつもの姿のイエスである。変容はイエスの「人の子」としての栄光を一瞬垣間見させ、イエスが神の本質を宿し、神を啓示する方であることを保証する出来事であった。しかし、そのような栄光を直接見なくても、イエスをそのような方として聴き従うことが「イエスを信じる」ことである。変容の出来事は三人の弟子の体験を通してこの信仰を世界に呼びかけるのである。

人の子が復活するまで

 「一行が山からおりてくる時、イエスは彼らに、人の子が死者の中から復活するまでは見たことを誰にも語ってはならないと命じられた」。

 イエスはこれまでにもしばしば、イエスの隠された栄光を見た者に、それを人に語らないで秘密にしておくように命じられた。ここで初めてその動機を示唆する表現が出てくる。イエスは「人の子が死者の中から復活するまでは」誰にも語らないように求めておられる。それは、イエスが死者の中から復活されて初めて、キリストとしての本来の栄光が顕現するのであるから、イエスの栄光に関する復活以前の人間の体験や理解はいかなるものも、それだけが復活との関連なしで単独に宣べ伝えられる時は、キリストとしての本質が誤解されることになるからである。復活はこれまでのあらゆる人間の経験と理解を超える終末の出来事であるから、信じる者が聖霊によって復活者と出会うことができる時が来るまでは、人間のいかなる理解や解説も的外れにならざるをえないのである。イエスが会堂司の娘を生き返らせた業も、苦しみを受けて復活する人の子としての奥義も、ここでの変容の出来事も、イエスを復活されたキリストとして宣べ伝える福音の中で初めて、「しるし」ないし「奥義の啓示」としてその本来の意義を全うすることができるのである。
 イエスがメシアであることを示唆する出来事や言葉を誰にも語らないようにイエスが命じられたのは、イエスご自身から出たものではなくマルコの神学理念から出たものだとする、いわゆる「メシアの秘密」の学説は、イエス自身は「死人の中から復活する」という信仰を持っておられなかったことを前提にしている(ここは「マルコの神学」を検討する場ではないから、この学説についてはこれ以上触れない)。しかし、いかなる文献批判もイエスはこのような復活の信仰を持っておられなかったと決めつけることはできない。たしかに、自分が死者の中から復活するということを信じることは、聖霊によって終末の到来を確信している者だけが持ち得る信仰であって、普通の人間の宗教心から出るものではない。けれどもすでに見てきたように、イエスは聖霊によって終末の次元に生きておられる方である。ここでも、イエスがこのような復活の信仰に生きておられたとするならば、誰にも語らないようにという命令も、ここに述べたような意味で、イエスご自身から出たものと自然に理解できることになる。

 「彼らはその言葉をかたく守ったが、お互いの間では死者の中から復活するとはどういうことかと論じ合った」。

 しかし、イエスが将来の出来事として語られた「人の子が死者の中から復活する」とはどういうことか、弟子たちは理解できず、お互いの間で議論が続いた。神が死者を復活させてくださるという信仰は、当時のユダヤ教の一致した信条ではなかったが、主流を占めるファリサイ派では、神は終りの時に律法を守る敬虔なイスラエルの民を復活させると信じられていた。弟子たちもこの信条を受け入れていたのであろう。そうであれば、復活は終りの日の到来を意味するわけで、復活への問いは必然的に終りの日への問いになる。
そこで弟子たちはイエスにこの終りの日の到来について尋ねた。「なぜ律法学者たちは、まず最初にエリヤが来なければならない、と言っているのですか」。当時のユダヤ教の神学者たちが言っている通りだとすれば、死者の復活という終りの日の出来事が起こる前に、まずエリヤが来なければならない。もしイエスの身に死者からの復活が起こるとすれば、すでにエリヤが来ていなければならないはずだが、これはどう理解すればよいのかという質問である。
イエスもエリヤに関する聖書の予言を認め、彼らに言われた、「たしかに、まずエリヤが来て万事を改める」。そして、ご自分とエリヤの関係を質問の形で表明される。「では、人の子について、彼は多くの苦しみを受け辱められる、と書いてあるのはなぜか」。ここで初めて、「人の子は多くの苦しみを受け辱められる」のは聖書に書かれていることの成就であることが、明白な言葉で主張されている(コリントT一五・三参照)。ただ、現在のマルコの文脈ではこの質問の意味は理解困難である。マタイもこの困難を感じていたのであろう、この句を次の句の後に置くことで、非常に分かりやすいものにしている。すなわち、洗礼者ヨハネこそ再来のエリヤであり、人々は彼を認めず、好きなようにあしらったが、人の子も同じように苦しみを受けることになる、という流れにしている(マタイ一七・一〇〜一三)。われわれはこのマタイの理解に従ってよいであろう。ルカはこのエリヤについての問答を一切省いている。
イエスは続けて言われた、「しかしあなたがたに言っておくが、エリヤはすでに来たのだ。そして、彼について書いてあるように、人々は自分たちがしたいように彼にしたのだ」。エリヤについては、権力者から命を狙われたことが書かれている(列王記上一九・二、一〇)。そのように、名前はあげられていないが、ヘロデによって処刑された洗礼者ヨハネが再来のエリヤであり、彼の苦難は「人の子」の受難の先駆であるとされている。

 山上での変容は、山を下りる時の対話が示唆しているように、「人の子」としてのイエスの栄光の啓示であった。すでに明白な言葉で語り出された「地上で苦しみを受ける人の子」が、じつに終末的な神の支配をもたらす天上の栄光の主であるという秘密が、特別に選ばれた三人の弟子たちに直接神から啓示される出来事であった。その秘密はイエスの復活の宣教によって世界に公示されるようになる。けれども、「人の子」という表現は本来神の終末的支配の体現者を指すものであるから、変容はイエスが栄光の中に世界に来臨される主、再臨のキリストであることを予告する出来事という意義を持つことになる。マルコは先に彼の福音の中心的使信として「苦しみを受け復活する人の子」のことを語り(八・二七〜三三)、その後この人の子イエスに従う弟子たちのことを置き(八・三四〜九・一)、続いてここで「六日後」の栄光の人の子の来臨を語る。これはマルコが、十字架・復活のキリストの出来事の後、世界史の中で十字架を担うエクレシアの時代を経て、「六日後」に栄光のキリストの来臨を迎えることになるという救済史を提示しているのではなかろうか。このような救済史の構造は、(学界で主張されているようにルカに特有の思想ではなく)パウロを含めて使徒時代の福音に共通の構造であったように思われる。