市川喜一著作集 > 第3巻 マルコ福音書講解T > 第17講

17 十二人を選ぶ  3章 13〜19節

13 さて、イエスは山に登り、ご自分が望んでおられた者たちを呼び寄せられたので、その人たちはみもとに来た。 14 そこでイエスは「十二人」を創設された。[そして彼らを使徒と名付けられた。] それは彼らをご自分と一緒におらせるためであり、また宣教に遣わし、 15 悪霊を追い出す権威を持たせるためであった。 16 すなわち、この「十二人」を創設されたのである。まずシモンにはペテロという名をつけ、 17 ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、この二人にはボアネルゲ、すなわち「雷の子」という名をつけられた。 18 さらに、アンデレ、ピリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、アルパヨの子ヤコブ、タダイ、カナン人シモン、 19 それにイスカリオテのユダである。このユダがイエスを引き渡したのである。

「十二人」の創設

 「さて、イエスは山に登り、ご自分が望んでおられた者たちを呼び寄せられたので、その人たちはみもとに来た」。
 イエスは海辺の群衆を避けて山に登り、ひとり夜を徹して祈られる(ルカ六・一二)。このことから、イエスがこれからなそうとしておられること、すなわち十二人の選任がいかに重大なことであるかがうかがわれる。夜明けになって、お心にかなう者を呼び寄せられる。早朝の山の霊気の中で、徹夜の祈りから立ち上がられたイエスの周りに、選ばれた十二人の弟子たちが集う。これはシナイ山から下りてきたモーセをイスラエルの民が迎えた時以上に厳粛な時である。
 そこでイエスは「十二人」を創設された。この文で用いられている動詞は、このような場合に期待される「任命する」とか「選任する」という動詞ではなく、「造る」という動詞である。ここで行われたことは、十二人という数の弟子が何か既存の役職に任命されたということではなく、新しい共同体が創造されたのである。ちょうど新しい事業を行うために新会社が設立されるように、新しい使命を担う新しい共同体が創設されたのである。この新しい共同体は「十二人」と呼び慣わされるようになる。
 写本によっては、[そして彼らを使徒と名付けられた。]という句が続くが、これはマルコの原本にはなく、ルカ(六・一三)の影響による補筆である可能性が大きい。たしかにこの「十二人」は初期の教団で「使徒」と呼ばれるようになるのであるが、教団で「使徒」と呼ばれる人たちの範囲は一定せず、その概念もそれほど明確ではないから、ここでは「十二人」を名称として用いるほうが適当であると考えられる。たしかに、マルコも「アポストロイ」という語を用いている(六・三〇)が、これは教団での役職名としての「使徒たち」ではなく、「遣わされた者たち」とか「使者たち」の意であろう。

「十二人」の使命

 「それは彼らをご自分と一緒におらせるためであり、また宣教に遣わし、悪霊を追い出す権威を持たせるためであった」。
 すぐ続いてここに、何のためにこの「十二人」が創設されたのか、新しく創設された共同体の使命が語られる。まず第一は、彼らをいつも一緒におらせて、イエスのすべての業と言葉との目撃証人とし、その伝達者とするためである。「海辺の群衆」の光景からしても、イエスの中に来ている「神の支配」の事態はユダヤ人の枠を越えて、ひろく異教徒にも伝えられなければならない。ガリラヤ湖畔に集う群衆の背後には世界の諸民族がいる。彼らすべてに「神の国」を宣べ伝えるためには、イエスの地上の短いご生涯を越えて活動する共同体が必要である。彼らはまず、いつもイエスと一緒にいてイエスの中に到来している「神の国」の現実の目撃者でなければならない。事実、この「十二人」は後に、また直接目撃したイエスの業と言葉を人々に伝え、彼らでなければできない重要な使命を果たした。彼らが伝えた内容が伝承され結集されて四つの福音書となり、今日のわれわれもイエスの言葉と業とに接することができるのである。
 このことから必然的に、彼らの使命は、遣わされて「神の国を宣べ伝える」ことになる。何を宣べ伝えるのか目的語は明示されず、ただ「宣べ伝えるために」遣わすと書かれているが、マルコの用法ではこれはいつも「神の国を宣べ伝える」ことである。彼らがイエスの中に来ているのを目撃した「神の国」、後には彼ら自身が身に宿すようになる「神の国」を証言し、宣べ伝えることである。
 そしてイエスは彼らを遣わすにあたって、空手で送り出されない。「悪霊を追い出す権威」を与えて、彼らが宣べ伝える「神の支配」が現実のものであることを証明される。当時の人々は病気も悪霊の働きの結果であると考えていたのであるから、「悪霊を追い出す」ことは病気を癒すことも含んでいる。悪霊が直接人の霊を支配したり(悪霊に憑かれた状態)、身体の不調(病気)を足場にして人の霊を圧迫したりしている。そのような悪霊の支配を神の力によって覆し、人の霊を神との喜ばしい交わりに入れることが「神の支配」の到来である(マタイ一二・二八)。
 イエスが弟子たちにどのような形で「悪霊を追い出す権威」を授けられたのかについては、宣教に遣わされた七十二人の弟子たちが帰ってきて報告したことを伝える段落(ルカ一〇・一七〜二〇)が参考になる。彼らは「主よ、あなたの名によっていたしますと、悪霊までがわたしたちに服従します」と言っている。すなわち、「イエスの名によって」命じると、悪霊も服従して出ていくのである。それは、イエスがすでに悪霊のかしらサタンに打ち勝ち、彼の支配権を打ち破っておられるからである。このように、イエスは「十二人」にも霊界の支配者としてのご自分の名を用いることを許すことによって、「悪霊を追い出す権威」を授けられたと考えられる。
 ところで、「神の国を宣べ伝える」ことと「悪霊を追い出す」ことの二つは、イエスの働きを要約して述べる時には、いつも一対で用いられる表現である。このことから、イエスが「十二人を創設された」のは、彼らをいつも一緒におらせてご自身の業の目撃証人とするだけでなく、ご自身がされているのと同じ業を彼らにもさせ、彼らをご自分の働きの継承者とするためであったことがわかる。

「十二人」の名簿

 さて、イエスは「この『十二人』を創設されたのである」と繰り返されて、十二人の名があげられる。この十二人の一人一人について詳しく述べることはできないので、ここでは名前とそれまでの経歴についてごく簡単に触れるにとどめる。
 「まずシモンにはペトロという名をつけ」とある。いつも「十二人」の筆頭にくるのがこのシモンである。ヘブル名は「シメオン」であるが、ギリシア音読みで「シモン」と呼ばれていた。「バルヨナ」と呼ばれている(マタイ一六・一七)ことから、ヨナの子(あるいはヨハネの子)であることがわかる。「十二人」のひとりアンデレの兄弟である。ガリラヤ湖の東北岸ベトサイダの人で漁師であり、すでに結婚していて妻があり、おそらく子供もいたのであろう。バプテスマのヨハネが宣教を開始した時、アンデレと一緒に馳せ参じてヨハネの弟子になった。そしてヨハネのもとにいる時、アンデレに紹介されてイエスに出会っている。その時すでに、イエスは彼に「ケパ」という名(アラム語で岩の意)を与えておられる(ヨハネ一・三五〜四二)。このアラム語にあたるギリシア語が「ペトロ(岩)」であり、これが後に彼の呼び名として最もよく用いられるようになる。その後ガリラヤに帰って漁師をしていた彼をアンデレと共にイエスが弟子として召されたことは、本講においてもすでに見たとおりである(マルコ一・一六〜一八)。
ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、この二人にはボアネルゲ、すなわち「雷の子」という名をつけられた。この二人の兄弟もシモンとアンデレと同じくガリラヤ湖の漁師であり、同じように召された(マルコ一・一九〜二〇)。彼らの父ゼベダイは雇い人もいるかなりの資産のある家であったらしい。彼らの母は「ゼベダイの子らの母」としてイエスの十字架のもとに立っていた数人の女性の中にいるが、その記事(マルコ一五・四〇、マタイ二七・五六、ヨハネ一九・二五)の比較から、彼女はイエスの母マリヤの姉妹であって、この二人がイエスの従兄弟になる可能性がある。また、彼らがペトロやアンデレと一緒にバプテスマのヨハネの弟子になっていた可能性はあるがその記録はない。この二人には「ボアネルゲ」という呼び名が与えられている。この名はアラム語の崩れた形で正確な意味はわからない。マルコはこれを「雷の子」と解して伝えている。これはおそらく彼らの気性の激しさから来たものであろう。しかしこれをゼロテ的傾向を示す呼び名であるとする説もある。この二人はペトロと共に、イエスの生涯の重要な場面に立ち会うイエスに最も身近な三人のグループを形成する。
 アンデレはペトロの兄弟であり、ペトロと一緒に召されている。彼は先にイエスを知り、ペトロをイエスのもとに導いた重要な人物であるが、マルコはペトロ・ヤコブ・ヨハネの三人のグループを初めに挙げるためであろうか、アンデレの名を四番目に置いている。しかしマタイとルカはペトロのすぐ次に置いている。
 フィリポはペトロとアンデレの同郷のベトサイダの人で、彼らと同じくバプテスマのヨハネの弟子となっていた時、イエスに出会っている。それ以上のことはわからない。
 バルトロマイの名は「トロマイの子」の意味であり、このリストに名があげられているだけである。ナタナエルと同一人物であるとする試みもあるが確証はない。
 マタイは取税人であったという伝承は確かなようである。マタイ福音書(一〇・三)では「取税人マタイ」と明記されている。この人物がマルコ(二・一三〜一四)が伝える取税人レビと同一人物であるという説もあるが、その箇所で述べたように無理であろう。
 トマスは共観福音書ではこのリストに名前が出てくるだけであるが、ヨハネ福音書(一一・一六)では「ディディモ(ギリシア語では《ディデュモス》、双子)と呼ばれているトマス」と言われており、数回登場している。これまでの経歴はわからない。
 アルファイの子ヤコブはゼベダイの子のヤコブと区別するために「小ヤコブ」とも呼ばれている。経歴など詳しいことは何もわからない。マルコ二・一四の取税人「アルファイの子レビ」と同一視しようとする試みがあるが、これも無理であろう。
 タダイの名はルカのリストにはなく、かわりに「ヤコブの子ユダ」があげられている(ルカ六・一六)。「十二人」の中に二人のユダがいたことは確かであると考えられる(ヨハネ一四・二二)。同名の者がいる場合には副名を用いて区別するのが通例であるので、ルカは本名を伝え、マルコとマタイは副名のタダイを伝えたと考えられる。
 カナン人シモン。マルコとマタイは「カナン人」と呼んでいるが、これは「カンナー(熱心党)」というアラム語を民族名と誤解したのであろう。これを「熱心党と呼ばれたシモン」と訳したルカの方が正しいと考えられる(ルカ六・一六)。このシモンについても、元熱心党員であったこと以外は何もわからない。
 それにイスカリオテのユダである。このユダがイエスを引き渡したのである。「イスカリオテ」という語は「ケリオテの人」の意味であろう。彼はイスカリオテのシモンの子であって、「十二人」の中でただ一人、ガリラヤではなく南のユダヤの地の出身者である。ユダがイエスを裏切ったことについては、その該当箇所で触れることにする。
 さて、この「十二人」の名前を見ると、ギリシア名やギリシア読みにされた名が多くあり、当時のガリラヤがヘレニズム的異教世界と深い交流の中にあったことがうかがえる。また彼らの出身や経歴を見ると、漁師や取税人や熱心党員というようにさまざまの職業や違った立場の人たちが混じっている。その中に律法学者はいない。イエスは「無学のただ人」、「地の民」を選んで新しいイスラエル、まことの神の民を創設される。この「十二人」の意義についてはなお述べなければならないことがあるが、「十二人の派遣」(六・七〜一三)のところで改めて取り上げることにする。