市川喜一著作集 > 第1巻 聖書百話 > 第66講

66 存在と救済

ヤコブよ、あなたを創造された主は、
イスラエルよ、あなたを造られた主は
  今、こう言われる。
恐れるな、わたしはあなたを贖う。
あなたはわたしのもの。
わたしはあなたの名を呼ぶ。

(イザヤ書 四三章一節)


 昔、預言者はイスラエルの民に向かってこう語りました。イスラエルを神の民として造られた方が、民がいま負っている軛から救い出してくださるというのです。預言者は将来の救済をイスラエルを創造された方の呼び声として聴いたのです。イスラエルにとって、存在と救済は同じ根拠に立っているのです。
 今、わたしたちはキリストにあって、将来の救済、すなわち復活の栄光にあずかる希望を、自分を人間として存在させてくださっている方の呼び声として聴いています。わたしたちが「父よ」と祈るとき、父とはわたしを造られた方、わたしの存在の根底である方のことです。その方がわたしに向かって、「わたしはあなたを復活させる」と語りかけてくださっているのです。ですから、復活の希望は、現在わたしが人間として存在しているのと同じ確かさで、魂の奥底に響き渡るのです。わたしにとって「神を信じる」とは、自分の存在の根底に死に打ち勝つ命の呼び声を聴くことにほかなりません。
 このように存在と救済が一つになって、死の中にいながら存在そのものを喜ぶことができる境地は、厳しい修行の結果えられる悟りや、高貴な聖人君子の生涯だけが到達できるものではありません。わたしのような傷だらけの破れ果てた凡夫の魂にも宿ることができるのです。それは、わたしのために死んでくださったキリストの十字架にひれ伏す場で賜る聖霊によって、資格のない者に与えられる恩恵の賜物です。それは、砕かれた魂に宿る「静かにささやく声」です。しかし、からし種のように小さいその声は、やがて大木のようにすべての目にあらわになるでしょう。わたしたちはいまひたすら存在の根底に響く小さい声に耳を傾けて生きて行くだけです。

                              (一九九六年一号)