市川喜一著作集 > 第28巻 復活者キリスト ― コリント書におけるパウロの福音 > 第5講

第四章 エクレシアに現れる復活者キリスト


あなたがたは、自分たちが神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。

(コリントの信徒への第一の手紙 三章一六節 私訳)

T 《エクレーシア》の成立

手紙の宛先

 パウロは自分が福音を宣べ伝え、その福音を受け容れてイエスをキリストと信じたコリントの人たちに宛てた手紙を書いています。その手紙の書き出しは、当時の手紙の慣例に従い、誰それから誰それへという発信人の名と宛先の受取人の名が記され、その後に平安を祈る簡潔な挨拶の言葉が続きます。パウロはコリントの信徒たちに宛てた第一の手紙をこういう書き出しで始めています。
 神の御心によって召されてキリスト・イエスの使徒となったパウロと、兄弟ソステネから、 コリントにある神の《エクレーシア》へ、すなわち、至るところでわたしたちの主イエス・キリストの名を呼び求めているすべての人と共に、キリスト・イエスによって聖なる者とされた人々、召されて聖なる者とされた人々へ。イエス・キリストは、この人たちとわたしたちの主であります。わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。 (T一・一〜三)

 発信人は「神の御心によって召されてキリスト・イエスの使徒となったパウロと、兄弟ソステネから」です。そして宛先は「コリントにある神の《エクレーシア》へ、すなわち、至るところでわたしたちの主イエス・キリストの名を呼び求めているすべての人と共に、キリスト・イエスによって聖なる者とされた人々、召されて聖なる者とされた人々へ」です。そして発信人と受取人が生きている共通の場が「イエス・キリストはこの人たちとわたしたちの主であります」と確認して、「わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように」という挨拶の言葉が述べられます。

 ここで宛先であるコリントの信徒たちの集団が、「神の《エクレーシア》」と呼ばれて、その《エクレーシア》が「すなわち、至るところでわたしたちの主イエス・キリストの名を呼び求めているすべての人と共に、キリスト・イエスによって聖なる者とされた人々、召されて聖なる者とされた人々」と詳しく説明されています。コリントの信仰者も主イエス・キリストの名を呼び求めて、主イエス・キリストにその全存在を委ねて生きている人たちですが、それは孤立した単独の集団ではなく、「至るところでわたしたちの主イエス・キリストの名を呼び求めているすべての人と共に」存在している、世界の《エクレーシア》の人々の一部としての集団であることが意識されています。

 彼らはパウロが福音を宣べ伝えたとき、キリストを信じて《エクレーシア》を形成することになったのですが、それは神が彼らを「聖なる者」、すなわち世から分かたれて神に所属する者とされた神の働きの結果なのです。その共通の場を与えてくださった「わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから」来る恩恵と平安があなたがたにあるように、という挨拶の言葉が送られて、この長い手紙が始まります。

《エクレーシア》という用語について

 パウロはコリントにある《エクレーシア》に宛てて手紙を書いています。《エクレーシア》とはキリストを信じた人たちの集まりを指すギリシア語です。新共同訳ではこのギリシア語は「教会」と訳されていますが、この訳語はあまりにもパウロが指している実体と違ったものになっていますので、本書では原語のギリシア語《エクレーシア》をそのまま用いてパウロの手紙を講解しています。それで本章のはじめに、この《エクレーシア》という用語がどういう実体を指しているのかを説明しておきたいと思います。

 使徒パウロをはじめ最初期のキリスト者は、自分たちの信仰の拠り所として、当時「離散のユダヤ人」の間で広く用いられていた七十人訳ギリシア語聖書を用いていました。ユダヤ教の聖典であるヘブライ語聖書(キリスト教会で旧約聖書と呼ばれている書)では、神との契約関係に生きて来たイスラエルの会衆を指すのに《カーハール》というヘブライ語を用いています。ヘレニズム世界に広く離散して、ギリシア語を日常の言葉として用いているユダヤ人の間で用いられてきたギリシア語訳聖書では、この《カーハール》というヘブライ語はギリシア語で《エクレーシア》または《シュナゴゲー》と訳されてきました。今でもユダヤ教の会堂は「シナゴーグ」と称されています。

 《エクレーシア》という語は本来呼び出されて集まる者たちの集会を指すギリシア語です。当時のユダヤ教黙示文書で、一般のイスラエルの民の中から選び出されて終末時の神の民となった者たちを指す《カハル・エール》(神の会衆)という名称から来たのでしょう。最初期のユダヤ人キリスト教徒たちは、自分たちを一般のイスラエルの民とは別の終末時の神の会衆と自覚して、呼び出された会衆《エクレーシア》と名乗ったのでしょう。パウロが自分を「神の《エクレーシア》の迫害者」というとき(T一五・九)、自分が迫害した原始エルサレム共同体の呼称を用いていると考えられます。

 本章では、こういう理解を前提として、《エクレーシア》という語を用い、日本語では「エクレシア」と表記して、パウロの福音活動と書簡の証言を見ていくことになります。

復活者キリストとの交わり

 手紙としての形式に従って一〜三節で挨拶を終えたパウロは、続く四〜九節で宛先のコリントのエクレシアに、「あなたがた」すなわちコリントのキリスト信仰者の共同体が現に受けている神の恩恵の豊かさを思い起こさせます。コリントの共同体は「キリストにあって」あらゆる言葉、あらゆる知識において、すべての点で豊かにされていることを、神の恩恵として神に感謝を捧げます(四〜五節)。このキリストにあって受ける恩恵の賜物の豊かさによって、コリントの集会がキリストの現実を証言する活動が確かなものとなり、その結果ますます神から受ける恩恵の賜物に「何一つ欠けるところがない」ことになり、そういう者として「わたしたちの主イエス・キリストの来臨《パルーシア》を待ち望んでいる」のです(六〜七節)。

 使徒たちが福音を宣べ伝える活動をしていた福音活動の最初期(七〇年のエルサレム崩壊以前)では、キリスト信仰の共同体は熱心にキリストの来臨《パルーシア》を待ち望んでいました。復活して神の右に引き上げられたキリストは、やがてこの世界に現れて神の支配を実現されるのだという信仰です(現代ではキリストの「再臨」と呼ばれている信仰です)。そのことはこのコリント伝道の少し前になされた福音活動によって形成されていたテサロニケ集会の姿から分かります。その集会にあてたこの時期のパウロの手紙(テサロニケ第一書簡)は、「キリストの《パルーシア》」を主題にしています。この頃のキリストの民はこのキリストの来臨《パルーシア》を熱烈に待ち望んでいたのです。コリントの集会もその一つであったのです。

 なおこの一段(四〜九節)では「キリスト・イエス」と「主イエス・キリスト」という呼び方が用いられており、「イエス・キリスト」が用いられていないことが注目されます。すでにこのころには「イエス・キリスト」が一人の人物の名前のようになっていたので、「キリスト」が人名ではなく、救済者という地位を示す称号であることを示すために「キリストであるイエス」という意味で、ここでは「キリスト・イエス」という形で用いられています。または「イエス・キリスト」に「主《キュリオス》」という称号をつけて「主イエス・キリスト」という呼び方をします。《キュリオス》という称号は、万物を支配する「主人」という語から来た称号です。この《キュリオス・イエス・キリスト》という呼び方が、以後の正式な呼び方になっていきます。

 そして最後に、主の来臨を待ち望むあなたがたに対して、「主もまた」こうしてくださるのだと、主がしてくださることが続きます。「主もまたあなたがたを、最後までしっかり支えてくださる」のです。そして、その根拠として「神は《ピストス》である」という表現で、神の信実が語られます。《ピストス》という語は、普通信仰とか真実と訳される《ピスティス》の形容詞形です。わたしたちの信仰の根拠は、わたしたちの側にあるのではなく、「神の信実」にあることについては、わたしも繰り返し語ってきました。それをパウロはこの「神は《ピストス》である」という一言で語ります。そして「この信実な神によって」、あなたがた信仰者はキリストとの交わりに招き入れられたのですから、あなたがたの信仰の根拠はあなたがたの中にあるのではなく、神の信実にあるのです。この信実なる神によって、あなたがた、キリストにある者は「神の子、わたしたちの主イエス・キリストとの交わり」に福音によって招き入れられたのです。

わたしはこの最後の「わたしたちの主イエス・キリストとの交わり」を「復活者キリストとの交わり」と読んでいます。パウロが言う「キリストとの交わり」とは、実質的には復活者キリストとの交わりのことです。パウロが宣べ伝えたキリスト、書簡で語っているキリストは復活者キリストです。現代のキリスト教では「主イエス・キリスト」は信条とか信仰告白文で、信仰の対象となっているキリストです。それに対してパウロが言う「キリスト」は信仰告白や信条の対象ではなく、復活して今も働いておられる現実の復活者キリストであり、わたしたちが現実にその方との交わりをもつことができるキリストです。

 パウロが福音として宣べ伝え、書簡で繰り返し「キリスト」と語る方は復活者キリストであることは、本書の「序章 復活者キリスト」で詳しく見ました。そしてこれまでの各章で、その復活者キリストの姿とかその内実がどのようなものかを、それぞれ「十字架の形の復活者キリスト」とか「初穂としての復活者キリスト」とか「聖霊によってバプテスマする復活者キリスト」とか一点に絞って見てきました。本章では、その復活者キリストとの交わりがさらにどのような一面を見せているか、そしてその交わりの結果がキリスト者の側の現実にどのように現れているか、コリント書簡の全体にわたって探ってみたいと思います。

U 神の宮としてのエクレシア

聖霊の宮としてのエクレシア

パウロはコリントの集会の人たちに、「あなたがたは、自分たちが神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのか」と問いかけています(T三・一六 私訳)。新共同訳では「自分が」と訳していますが、これでは自分一人を指すとも理解できます。ここの原文の動詞は複数主語の形であり、パウロはコリントのキリスト者たちに「自分たちが神の宮であることを知らないのか」と問いかけているのです。ここではキリスト者一人ひとりのことではなく、コリント集会の全体が一つの宮であることを知らないのかと問いかけているのです。キリストの民の集会は、それぞれが一つの宮であるのです。世界のキリストの民の全体が神の霊がその中に住む一つの宮であるのですが、ここではコリントの集会が一つの宮として問題になっています。

 パウロはコリント第一書簡の三章(一〇〜一七節)で、コリントの集会を神殿という建造物にたとえて、自分とアポロがコリントのエクレシアを形成するために働いた仕事の質を理解するように求めています。パウロは「わたしは、神からいただいた恵みによって、熟練した建築家のように土台を据えました」と言って、「イエス・キリストという既に据えられている土台を無視して、だれもほかの土台を据えることはできません」と続けています。その土台の上に他の人が様々の材料を用いて家を建てるのですが、それは試練や審判の火にも耐えうるものでなければなりません。確かにパウロやアポロは懸命に働いて、キリストという土台の上にコリントのキリスト者共同体という建造物を建てましたが、それはその中に神の霊、聖霊が宿るための建物であるのです。エクレシアはまさにその中に聖霊が宿り働く共同体なのです。

 ですから、いくら外観が立派でも、その中に神の霊が宿らず、聖霊が働いていない共同体はエクレシアではないのです。キリスト教の歴史を見ますと、様々な主張を掲げる福音運動が多種多様の共同体を形成し、それぞれが自己の教義やその形態を絶対化して争ってきました。その争いは人間の共同体が抱える様々な制約を克服して、新約聖書のエクレシアを回復しようとする努力であったと見ることもできます。わたしたちは現代でもその努力を続けなければなりません。日本人は神々の加護や祝福を求めて神社に参拝します。しかし天地の万物を創造し、人間を罪と死の縄目から解き放ってくださる神はそこにいません。エクレシアこそそこに来て、その中にこの神を見いだす場です。わたしたちはこの神の神殿、聖霊がその中に住みたもう神殿を、復活者キリストという確かな土台の上に立て上げなければなりません。

聖霊が宿る神殿としての体

 聖霊がその中に宿る神殿という思想は、エクレシアという共同体だけでなく、個々のキリスト者の体についても語られます。パウロは個々のキリスト信仰者に問いかけます、「知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです」(T六・一九)。この言葉はパウロがコリント集会の中に異教徒の中にも見られないような「みだらな行為《ポルネイア》」があることを知って、それを戒める文脈の中に出てくる言葉です。コリントは急速に繁栄した新興の商業都市として、性道徳がかなり乱れていたと伝えられています。それは、熱烈なユダヤ教徒であったパウロからすれば、耐えられない問題だったことでしょう。

 コリントでは、かっての日本がそうであったように、娼館に出入りすることは普通の慣行として認められていました。そのコリントの人たちにパウロは、娼婦《ポルネー》と交わることはその女と一つの体となることであり、キリストの体の肢体である自分の体を娼婦の体の肢体としてはならないと厳しく戒めます。「あなたがたは、自分の体がキリストの体の肢体だとは知らないのか。キリストの体の肢体を娼婦の体の肢体としてもよいのか。決してそうではない。娼婦と交わる者はその女と一つの体となる、ということを知らないのですか。『二人は一体となる』と言われています」(T六・一五〜一六)。新共同訳で「一部」と訳されている語は、本来身体の一部である「肢体」を指す語です。このような身体観と倫理観からキリスト教が廃娼運動に熱心になるのは当然です。廃娼運動は、男性にみだらな行い《ポルネイア》を避け、自分の体で神の栄光を現すように求め、女性を娼婦《ポルネー》としての境遇から解放しようとする運動です。

 このみだらな行いを避けるようにという勧告(T六・一二〜二〇)のはじめに、「体はみだらな行いのためではなく、主のためにあり、主は体のためにおられるのです」と言った後、パウロは「神は、主を復活させ、また、その力によってわたしたちをも復活させてくださいます」と言っています(T六・一四)。みだらな行い《ポルネイア》を避けよという勧告が復活信仰に基づいて語られているところに、この勧告が福音信仰の中の勧告であるという特色がよく出ています。

 この体が内に住みたもう聖霊と一つになって「わたし」の全体をなすという見方が、キリストにある者の自己理解であり、人間理解の基本です。「わたし」とは体なしの霊でもなく、また、神の霊なしの体でもありません。「わたし」は内なる神の霊によって生きている体をもった存在です。その「わたし」が救われて完成するのは、終末における神の霊の働きによって、現在の朽ちるべき卑しい体が、朽ちることのない栄光の体に変えられて復活するときです(一五章)。ここにキリスト信仰の「具体性」(体を具(そな)えた在り方)があります。

 三章では、コリントの集会全体が神の霊の住む一つの神殿であることが語られましたが、ここ六章ではキリストにある者ひとりひとりの体が神の霊の宿る神殿であることが語られています。パウロの福音においては、集会の本来の在り方も、個々のキリスト者の倫理も、すべて内なる聖霊の働きが源泉であり根拠になっていることが、ここでも改めて明らかに示されます。

V 終末の現臨としてのキリスト

救済史における終末《エスカトン》

聖書は救済史の書です。天地の万物を創造し、そのなかに人間を御自身の形に創造して置かれた神が、御自身から背き去った人間を救済するために、歴史の中に働かれた働きの記録です。その聖書は旧約聖書と新約聖書に分かれていますが、旧約聖書はアブラハムの子孫であるイスラエルの民に神が働いて救済の業を為してこられた歴史の物語です。パレスチナに定住したイスラエルの民が飢饉のために移住したエジプトで、権力者ファラオの支配の下で奴隷状態であったとき、神から遣わされたモーセによってその「奴隷の家」から救い出された物語りです。その記録とその間に神との間に結ばれた契約の書は「モーセ五書」と呼ばれます。その後イスラエルに現れて神の言葉を民に語った預言者たちの言葉を記録した「預言書」と、イスラエルの宗教文書である「諸書」を合わせた旧約聖書が、イスラエルの民の聖典とされてきた文書集です。

 新約聖書は、その旧約聖書で「終わりの日には」とか「かの日々は」と呼ばれている時に、神が旧約聖書で預言し、また予型として指し示してこられた最終的な救済の働きが為されたことを証言する文書の集合です。その「最終的な救済の働き」は十字架につけられたナザレのイエスを、神は復活させてキリスト、世界の救済者とされたという出来事です。この神の最終的な救済の働きを告げ知らせる報知が「福音」と呼ばれますので、新約聖書はこの福音を証言する文書であると言うことができます。

 このように新約聖書は、神が終わりの日に成し遂げられる救済の働きの証言ですから、その内容は「終わりの日」《エスカトン》の神の救済の働きについて証言する書となり、その性格は終末の現実を語る終末論《エスカトロジー》となります。本書はその新約聖書の中の一書であるパウロの「コリントの信徒への手紙」を取り上げて語っていますが、その内容は新約聖書が語る「終末における救済の現実」の記述となる、すなわち終末論的《エスカトロジカル》な現実の記述になるわけです。先の項目TとUで述べたことも終末論的現実であり、これから述べることもキリストにあってパウロが体現し、そのキリストの福音を信じたコリントの集会に到来している終末的現実《エスカトン》を論じることになります。

結婚生活について

 この世での普通の生活は、男女が結婚して子供をもうけて家族を形成し、その家族が集まって様々な社会を形成します。その社会は村とか町、さらにその社会を統治する国などの共同体を形成して生きていきます。その人間社会の最も土台となる家族について、その男女の関わりについてパウロは、「そちらから書いてよこしたことについて言えば、男は女に触れない方がよい」という言葉で始めています。多分、コリントからの使者はコリント集会からの質問事項を書いた手紙を持ってきていたのでしょう。パウロはそれに答えて、その「男は女に触れない方がよい」という主張を一応認めて、「しかし、みだらな行い《ポルネイア》を避けるために、男はめいめい自分の妻を持ち、また、女はめいめい自分の夫を持ちなさい」と勧告します。そして「夫は妻に、その務めを果たし、同様に妻も夫にその務めを果たしなさい」と夫婦間の当然の原則を語った上で、「互いに相手を拒んではいけません」とキリストにある者としての在り方を提示します(T七・一〜七)。

 この「互いに相手を拒まない」(T七・五)という在り方は、キリストにある者として基本的な事柄です。よく結婚式で年長の経験者から辛抱とか忍耐の重要性が語られますが、それは自然なことでしょう。何しろ生まれつきの性向も育った環境も全然違った二人が、これからは同じ屋根の下で一緒に暮らすのですから、互いに受け入れられない違いがあるでしょう。その違いを埋めるために話し合い努力しなければならないことも多いでしょう。しかしそういう相違にもかかわらず、相手の存在そのものは全面的に受け入れて愛していくことが重要です。わたしたちも神から見れば相反する本性の存在ですが、神はその相手を無条件に赦して受け入れてくださっているのです。夫婦も互いに拒むことなく、その存在を全面的に受け入れて、主に仕える生涯を全うすべきです。

 次に結婚していない独身者と、すでに配偶者を亡くした人たちへの勧めがきます。パウロはその人たちが自分のように独身に留まることを希望しますが、つねに欲求と誘惑に苦しむくらいなら、結婚して平静な信仰生活を送るように勧めます(T七・八〜九)。そして次に既婚者に、離縁することを禁じ、それをパウロの勧告ではなく主の命令であるとします(T七・一〇〜一一)。これはパウロがイエスの言葉伝承(マルコ一〇・五〜一二)を知っていたことを示しているのかもしれません。さらに一方が信者である場合、信仰者の方から離縁を求めてはならないが、他方が去るか留まるかは他方の意志に任せるように勧めています。一方が信仰者であれば、他方が信仰のない者であっても、信者である方の信仰によって二人とも(そしてその子供たちも)が「聖なる者」、すなわち世から選び出されて神に属する者になっているというのです(T七・一二〜一六)。

社会的身分について

 人間社会には様々な種類の差別があって、その差別によって形成された階層が「身分」とされて、人がどの身分に属する者かが人の社会における位置とか立場を決定します。パウロが活躍したローマ社会は家父長制の社会であって、夫であり父親である男性がその家族を支配し、妻や子供はその男性に従わなくてはなりませんでした。そして、その家父長である男性が都市や国の指導層となって統治しました。男性と女性という自然の区別が、ある特定の社会では身分を構成して、社会での立場を決定します。男と女が形成する家族という共同体はキリストにあってどういう形になるのかを論じたパウロは、さらに広く社会の身分の差違について、キリストにあって神を信じる者の心構えを諭します(T七・一七〜二四)。

 新共同訳はこの「身分」という語を用いて、割礼を受けているユダヤ人と無割礼の異邦人との差別や奴隷と自由人の階層の違いを語っています(T七・一七、二〇、二四)。しかしギリシア語原典には「身分」という語はなく、聖書協会共同訳(二〇一八年)は「分」とか「状態」という語を用いて訳しています。訳語は違っても、パウロが言おうとしていることは同じで、わたしたちは社会的階層の区分にかかわらず、召された場で神の前にとどまり、神がわたしたちに求めておられることを追求すべきです。

 最初に割礼の有無による差別が取り上げられてこう言われます、「割礼を受けている者が召されたのなら、割礼の跡を無くそうとしてはいけません。割礼を受けていない者が召されたのなら、割礼を受けようとしてはいけません。割礼の有無は問題ではなく、大切なのは神の掟を守ることです。おのおの召されたときの身分にとどまっていなさい」(T七・一七〜一九)。割礼を受けているユダヤ人は、この時代のローマ世界では一つの社会階層を形成していました。ユダヤ教の神を信じて、異邦人で割礼を受ける者もいました。逆にユダヤ教徒である故にローマ社会で差別されるので、割礼の跡を消そうとする者もいました。パウロはそのような社会階層によって神の扱い方が変わる訳ではないのだから、身分を変わろうとするのではなく、その身分の中で神が求められるところを行うように励みなさいと諭します。

 次にパウロは「おのおの召されたときの身分にとどまっていなさい」という原則で、奴隷の身分のキリスト者に語りかけます、「召されたときに奴隷であった人も、そのことを気にしてはいけません。自由の身になることができるとしても、むしろそのままでいなさい。というのは、主によって召された奴隷は、主によって自由の身にされた者だからです。同様に自由な身分の者は、キリストの奴隷なのです」(T七・二〇〜二四)。こうして自由人の身分と奴隷の身分という社会的区分は乗り越えられて、キリストにあっては共にキリストの奴隷として、神の恩恵の場にとどまり、召された時の身分のまま、共に主であるキリストに仕える者となるのです。このようにして、奴隷制という社会的差別の構造は、終末の現臨として聖霊が働いておられる場では、内から克服されていくことになります。現代の資本主義社会における階級問題についても考えさせられます。

時は迫っている

 パウロ自身はもちろん、最初期のキリスト者はキリストの来臨《パルーシア》の切迫の中に生きていました。パウロはコリントのキリスト者たちにこう言います、「兄弟たち、わたしはこう言いたい。定められた時は迫っています。今からは、妻のある人はない人のように、泣く人は泣かない人のように、喜ぶ人は喜ばない人のように、物を買う人は持たない人のように、世の事にかかわっている人は、かかわりのない人のようにすべきです。この世の有様は過ぎ去るからです」(T七・二九〜三一)。

 定められた時は迫っています。「定められた時」というのは《パルーシア》の時です。最初期のキリスト者は、復活して天に挙げられたキリストがやがて天から現れて地上の御自身の民を天に引き上げてくださると堅く信じていました。最初にエルサレムに成立したユダヤ教徒の信者から成るエルサレム共同体も、天から現れる栄光のキリストは神の都であるエルサレムに来臨されると信じてエルサレムに集まって、その日の到来を熱心に祈り待ち望んでいたのでした。最初期のエルサレム共同体は、キリストの《パルーシア》を待ち望むキリスト信仰の共同体であったのです。その最初期の《パルーシア》待望の熱気は、このコリント書簡の少し前に書かれたパウロの「テサロニケの信徒への第一の手紙」によく描かれています。それよりも以前の最初期エルサレム共同体の《パルーシア》待望の熱気がそれよりも低いはずはありません。

 ところがルカが描く最初期のエルサレム共同体は別の姿をしています。ルカが使徒言行録を執筆したのはエルサレム神殿が崩壊して半世紀ほども後のことであり、神殿崩壊後は《パルーシア》待望の熱気は後退して、ルカは神の救済史をまったく別の構想で書かなければならなかったからです。それに伴ってエルサレム共同体の姿も、ルカの構想によるエクレシアの活動の出発点として、聖霊の力による復活者キリストの証言の開始として描かれることになります。ルカの使徒言行録の成立の経緯とその内容については別著『福音の史的展開U』の「第八章 ルカ二部作におけるキリストの福音」に譲って、ここではコリントの集会も、少し前に書かれた「テサロニケの信徒への第一の手紙」の《パルーシア》待望と同じ熱気に生きていたという状況で、パウロの手紙のこの箇所を理解しなければなりません。

 キリストの来臨によって、キリストに属する者はこの世から取り去られて別の世界に移るのですから、この世での状況や行動はその時には何の意味もないことになります。そこでパウロはこう言うことができるのです、「今からは、妻のある人はない人のように、泣く人は泣かない人のように、喜ぶ人は喜ばない人のように、物を買う人は持たない人のように、世の事にかかわっている人は、かかわりのない人のようにすべきです。この世の有様は過ぎ去るからです」。そして、この世における男と女の関わり方について、当時の具体的な局面に応じて、勧告をすることになります(T七・二五〜四〇)。その「具体的な局面」は現代のそれとは違ったものですから、わたしたちはそこでのパウロの勧告は文字どおりに従うべき規定ではありません。しかし、《パルーシア》待望にみられる「来たるべき世」に対する待望はわたしたちにおいても、パウロが言い表しているのと同じです。「わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださるのです」(フィリピ三・二〇〜二一)。

W 復活者キリストとの交わりの実際

偶像との交わりを避けてキリストとの交わりを

 パウロはコリントからの使者が持ってきた次の質問に移ります。その質問とは、「偶像に供えた肉を食べてもよいか」という問題です。当時のコリントでは市販されている肉はほとんどみな、何らかの形で「偶像に供えられた肉」だったからです。一部の人たちは「我々は皆、知識《グノーシス》を持っている」のだから、「わたしにはすべてのことが許されている」として、偶像に供えた肉を食べることも自由であるとしました。他の人たちは、肉を食べて偶像と関わることで自分が汚されると考えて、肉を食べることを避けました。こうした対立に対して、パウロはまず知識《グノーシス》で対するのではなく、愛《アガペー》で対処するように諭します(T八・一〜三)。  そしてパウロが異邦人に福音を宣べ伝えるときの基本的な前提を再確認します、「世の中に偶像の神などはなく、また、唯一の神以外にいかなる神もいないことを、わたしたちは知っています。 現に多くの神々、多くの主がいると思われているように、たとえ天や地に神々と呼ばれるものがいても、わたしたちにとっては、唯一の神、父である神がおられ、万物はこの神から出、わたしたちはこの神へ帰って行くのです。また、唯一の主、イエス・キリストがおられ、万物はこの主によって存在し、わたしたちもこの主によって存在しているのです」(T八・四〜六)。

 しかし、この知識がだれにでもあるわけではないのですから、知識がある者が知識のあることを誇って肉を食べることで、肉を食べない弱い人を躓かせるようなことをしないように求めます(T八・七〜一三)。ところで、このような偶像に対する姿勢についてパウロが語っているところを、現代の状況において実行するとすればどのような形をとることになるのでしょうか。たとえば一例として神社参拝を取り上げます。あるキリスト教徒は「偶像の宮に詣でてはならない」という教会の教えを文字通りに順守して、神社へ行くことさえ避けています。それに対して、日本の宗教史に通暁して、神社が日本古来の神々への信仰の表現であり、その歴史的形態であることを知っている知識のあるキリスト教徒は、神社に行ってその由緒を調べたり、神官と対話したりしても、自分のキリストにある神信仰に何ら抵触するものでないことをよく知っています。しかし、そのように「知識がある人」は、教会の規定を順守することが信仰だと心得ているキリスト者を軽蔑するのではなく、愛をもって包摂して信仰の交わりを進めるべきです。そこにキリストが働くエクレシアが現生するのです。

主の晩餐におけるキリストとの交わり

 復活者キリストとの交わりがもっとも具体的なかたちで現れて体験されるのは、最初期のキリスト者の間で行われていた「主の晩餐」です。パウロはコリントに福音を伝えてキリストを信じる者たちの集会を形成したとき、主から受けた集会の慣行として「主の晩餐」と呼ばれる共同の会食の慣習を伝えました。そのことをこの手紙で次のように書いています。これはイエスが最後の夜に弟子たちとなされた晩餐の最初の文書記録となります。

 「わたしがあなたがたに伝えたことは、わたし自身、主から受けたものです。すなわち、主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげてそれを裂き、『これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい』と言われました。また、食事の後で、杯も同じようにして、『この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい』と言われました。だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです」(T一一・二三〜二六)。

 この伝承についてパウロは「わたし自身、主から受けたものです」と言っていますが、このことの意味については議論があります。多分パウロはこの伝承を最初期のエルサレム共同体から受けているのでしょうが、その言い伝えはイエス御自身にさかのぼるものだというでしょう。最後の食事の席で、パンを裂いて「これはわたしの体である」と言い、杯を回して「これはわたしの血である」と言われたイエスの衝撃的な言葉は、最も重要な伝承として、イエスがキリストであるという福音が宣べ伝えられる所では必ず伝えられたことが、このコリント書簡からも確認できます。

 ただこのコリント書簡では、イエスの十字架の死を「記念するため」の会食がその本来の目的から外れてしまっていることを注意を喚起するために取り上げられていることが注目されます。これが儀式ではなく集会員の会食であったことは、この記事の前後に置いているパウロの記述(T一一章の一七〜二二と二七〜三四節)から十分にうかがえます。本来、イエスの名によって集まり共に食事をすることは、弟子たちがイエスの生前いつも食事を共にして、イエスとの交わりを持っていたことの継承です。ペトロも福音を伝えるときに、復活されたイエスが現れたのは「イエスと一緒に食事をしたわたしたち」であることを強調しています(使徒一〇・四一)。

 そのイエスとの交わりの場であった食事は、イエスが復活してキリストとされた後では、復活者キリストとの交わりの場となるべきでした。ところがコリントの集会ではその食事の場が違ったものになってしまっていたのです。この復活者キリストとの交わりを証しするはずの「主の晩餐」を自分たちの会食の場として、しかも仲間争いの場としてしまっていたのです。パウロはその状況を憂い、その改革についての方策は「わたしがそちらに行ったときに決めましょう」と言って「主の晩餐」に関する内容を締め括っています(T一一・三四)。

 その後その改革がどのように行われたのかは、文書の記録もなく分かりませんが、その方向は主の死の記念としてのパンと杯が集会員の会食と分離されて、共同体が執り行う儀式となり、会食の方は「愛餐」と呼ばれるようになる、という分離の方向をとります。このパンと杯の儀式が後代の教会の聖餐式となって、その形式と意味が激しく争われるようになります。そのことについては、拙著『教会の外のキリスト』一二五頁の「8 わたしの記念として」をご覧いただくことにして、ここでは復活者キリストとの交わりの重要な場となるべき「主の晩餐」が、コリントでは全く変質して、人間の願いの発散場所となっていたことを教訓とし、またその結果形成された教会の聖餐式が教義上の争いとなって、キリストの民《エクレーシア》の分裂を引き起こしてきた歴史から学び、わたしたちはあくまで復活者キリストとの交わりの現実を聖霊の働きに求め、聖霊による復活者キリストとの交わりの現実を証言し、またエクレシアの一致を追求しなければならないと思います。

X 人類待望の実現としてのキリスト

神の「然り」としてのキリスト

 パウロがコリントの人たちに書き送った手紙の中に次のような一節があります。

 わたしたち、つまり、わたしとシルワノとテモテが、あなたがたの間で宣べ伝えた神の子イエス・キリストは、「然り」と同時に「否」となったような方ではありません。この方においては「然り」だけが実現したのです。神の約束は、ことごとくこの方において「然り」となったからです。それで、わたしたちは神をたたえるため、この方を通して「アーメン」と唱えます。(U一・一九〜二〇)

 この「神の約束は、ことごとくこの方において『然り』となったのです」という短い一句がわたしの人生の大きな転機となったのです。ここでわたしの個人的な証言を入れさせていただいて、パウロの書簡の一句が持つ大きな力の傍証とさせていただきたいと思います。

 わたしは若い頃、否定の壁に取り込められて苦しい時期を過ごしていました。家族や友人にも恵まれ、大学で学ぶことを許され、特に深刻な悩みもありませんでしたが、心は空虚で、自分の存在の無意味さに苦しんでいました。何をしてもこんな努力に何の意味があるのか、最後には死がすべてを否定するのではないか、それが何であるか分からないが何か最も大事なものを失っているのではないか、得体の知れない虚しさと寂しさ、不安に取り囲まれていました。

 その頃友人と一緒に宣教師の集会に出て福音のメッセージを聞き、生まれて初めて聖書を手にして懸命に読み始めました。求道の道に紆余曲折はありましたが、わたしはついにキリストを見いだすことができました。いやむしろキリストに見いだされて、その呼びかけを聞くことができたのです。最初その呼びかけは「おまえはどこにいるのか」という問いかけでした。これは創世記の最初に出てくるアダムの記事に出てくる一句です。その時にこの問いかけを聴いて、「わたしはどこにいるのか」と自分に問いかけ、「おまえはどこにいるのか」と問いかける方に向かって、「あなたはどなたですか」と問いかけるようになりました。

 その時から、この問いへの答えを求める探求の旅が始まりました。熱心に集会に通い、聖書を貪り読みましたが、なかなか答えが来ません。しかし、イエスが「求めよ、そうすれば与えられる。探せ、そうすれば見つかる。門を叩け、そうすれば開かれる」と言われたように、ついに門が開かれ、答えが与えられる日が来ました。「おまえはどこにいるのか」と問いかける方は、背を向けて遠くに離れ去っているわたしに、「わたしはおまえを赦している。わたしに帰って来なさい」と呼びかける方だったのです。わたしはその呼びかけを、わたしのために死に、三日目に復活されたイエス・キリストを告知する福音において聴いたのです。

 このキリストの福音は、否定の壁に取り囲まれて苦悩していたわたしには、何よりも「然り」と肯定する力として来ました。神はわたしに約束しておられたのです。しかしわたしにはその約束が何であるか分からず、空をつかんで悶えていたのです。しかしキリストを知ったとき、その呼びかけは神の無条件の恩恵の呼びかけであったのです。わたしの現状がどのようなものであっても、信仰すら動揺してふらついているような者であっても、その呼びかける方は「わたしはおまえを赦している。わたしに帰って来なさい」と呼びかけ、無条件にわたしを受け入れてくださっているのです。わたしはキリストにおいて無条件に受け入れてくださっている恩恵の世界を見い出したのです。

 無条件の恩恵の世界は、無条件に肯定する世界です。神の約束は、ことごとくこの方、キリストにおいて「然り」となったのです。神が何を約束しておられるのか、そのすべてを知ることはできません。しかし神がしようとしておられることは「ことごとく」キリストにおいて実現します。わたしはキリストにおいて、すべてを肯定して受け入れることができるようになりました。世界の光景が一変しました。世界は苦悩しています。歴史は悲惨です。わたしは歴史の書を開くとき、いつも「誰がこの悲惨に耐えることができるであろう」という感を深くします。それでも神はその約束を果たしてくださることを知っています。わたしはこの神に、「アーメン、そうです、すべてはその通りです」と唱えて、神を賛美するのです。

生への「然り」としてのキリスト

 人間の生への否定は様々な形をとりますが、最後の敵は死です。いかに富める人にも、いかなる権力の座にある人にも、死は必ず訪れます。人間の体の機能が停止するこの死という生物学的な現象は一つの自然現象に過ぎませんが、通常生きている人間はこの死という事実に得体の知れない不安を感じ、怖れを抱きます。それは死の彼方の自分の存在の在り方が分からないからです。パウロはこれを「死の刺」と言っています。

 しかし、神はキリストにおいてこの「死の刺」を取り去ってくださったのです。神はキリストにおいて、生に対して「然り」を言ってくださったのです。それがキリストの復活です。そう言うと、キリストは特別な方、神の聖なる方であって、キリストに起こったことは特別なこと、キリストに起こったことがすべての人間に起こるとは言えないではないか、という反論が聞こえてきます。確かにキリストは特別な方です。しかしキリストはすべての「人」《アントローポス》を代表する特別な「人」なのです。聖書のアダムが「人」という意味の普通名詞であって、すべての「人」を代表しているのと同じく、キリストは「終わりのアダム、終わりの日にすべての人」を代表する「人《アントローポス》」なのです。

 わたしたちはキリストに自分のすべてを投げ入れて、キリストに属する者となるとき、キリストはわたしたちを代表する方となり、わたしたちに起こることをその身に体現して示してくださるのです。これが本書の第二章「初穂としての復活者キリスト」でわたしが言おうとしたことです。死がアダム、人によって来たように、復活も「終わりの人」キリストによってくるのです。時間の中にある人間には、死は現実です。そして復活は死のかなたにあるもので、それは約束です。しかし天地の万物を創造して存在させた神、存在しないものを存在へと呼び出される神が、キリストを初穂として復活させ、それによってキリストに属する者を復活させると約束しておられるのです。神の約束はこの方キリストにおいてことごとく「然り」となります。キリストに属する者の復活も、この神の信実と力により現実となるです。

 わたしたちは復活するために死ぬのです。わたしはマーラーの交響曲第二番「復活」において、「わたしたちは生きるために死ぬのだ」という合唱を聴いて、大変感動しました。この句はドイツのキリスト教会の賛歌からの引用ということですが、死を克服する生を歌い上げることができるのは、キリストの民の特権です。復活というのは、命のないところに命を与える神の働き、創造者の働きです。わたしたちキリストにある者は、この神、創造者の信実に身を委ね、「生きるために、復活の命に達するために死にます」。

 人間は死を怖れ、死の怖れとか不安を克服するためにあらゆる努力をしてきました。死の事実に囲まれながら、生を肯定する道を探ってきました。神はこの人間の切なる願いに応えて、キリストを世界に送り、キリストの十字架によって神から離れ去っている人間の離反の罪を赦し、あるがままの人間を無条件で受け入れた上で、キリストの復活によって御自身の民を復活させるという約束をお与えになりました。そして神の約束はことごとくこの方、神の子イエス・キリストによって「然り」となるのです。死ぬべき体の中に生きながら、キリストにあってわたしたちは生を肯定し、この命を与えてくださった神を賛美するのです。