市川喜一著作集 > 第28巻 復活者キリスト ― コリント書におけるパウロの福音 > 第4講

第三章 聖霊によってバプテスマする復活者キリスト


 わたしたちは、ユダヤ人であろうとギリシア人であろうと、奴隷であろうと自由な身分のものであろうと、みな一つの御霊によって一つの体へとバプテスマされ、みな一つの御霊を飲んだのです。

(コリントの信徒への第一の手紙 一二章一三節 私訳)

  

T 「聖霊によるバプテスマ」に至る過程 

「バプテスマ」という用語について

本章では「バプテスマ」という語をよく用いることになりますので、はじめに「バプテスマ」という用語の意味とその用例について説明しておきます。

 ギリシア語の《バプティゾー》という動詞は、もともと(水などに)浸すとか沈めるという意味の動詞です。ですからその名詞形の「バプテスマ」は、水などに浸すとか沈める行為を指すことになります。水の中に《バプティゾー》することは、様々な民族で一つの宗教行為として広く行われていて、日本の「みそぎ」などもその一例でしょう。水の中に身を浸し沈めこんで汚れを清めたのです。「バプテスマ」を「全身水没式」という訳語で説明をしているギリシア語辞典もあります。

 イスラエルの宗教史においては、イエスの直前に現れたヨハネが、神の裁きが迫っているのであるから、罪を悔い改める決意の表明として、この全身水没式であるバプテスマを受けよ、と迫ったのが有名です。これは新約聖書では「ヨハネのバプテスマ」と呼ばれています。それは「悔い改めの(表現としての)バプテスマ」であり、それを受けることで罪の赦しを受ける「罪の赦しをえさせるための悔い改めのバプテスマ」でした(マルコ一・四)。

 この《バプティゾー》や《バプテスマ》は、比喩的表現としてもよく用いられます。イエスはご自分が受けようとされている苦難について、弟子たちも同じく苦難を受けることになることを、「わたしが《バプティゾー》される《バプティスマ》であなたがたも《バプティゾー》されるであろう」と言っておられます(マルコ一〇・三九)。イエスはご自分が受ける苦難を「わたしが受けるバプテスマ」と呼び、弟子たちが同じ苦難を受けることを苦難に「浸されるであろう」と《バプティゾー》の受動態未来形の動詞で語っておられます。

 マルコ福音書(一・八)では、バプテスマのヨハネは「わたしは水であなたたちを《バプティゾー》したが、その方は聖霊によってあなたがたを《バプティゾー》するであろう」と言ったとあります。ところが新共同訳などでは、「わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる」と訳され、その「洗礼」に「バプテスマ」という振り仮名がつけられています。文語訳では「バプテスマを施す」になっています。いずれにしろ、「洗礼を授ける」とか「洗礼を受ける」という表現は、普通バプテスマと呼ばれる洗礼という儀式があって、その儀式を授けるとか受けるという意味合いが出てきます。《バプティゾー》という動詞が、洗礼という儀礼を前提として訳されていることになります。

 マルコ福音書に基づいて書かれたとされるマタイ福音書(三・一一)とルカ福音書(三・一六)でも、洗礼者ヨハネは同じように言ったと伝えられています。別系統のヨハネ福音書(一・三二〜三三)でも、洗礼者ヨハネは「御霊が降って、ある人に留まるのを見たら、その人が聖霊によってバプテスマを授ける人である」と言ったと伝えられています。しかし聖霊でバプテスマされたのは復活者キリストであって、地上のイエスはバプテスマすることはされていないのですから(ヨハネ七・三九)、洗礼者が言った「わたしの後に来る方」というのは復活者キリストを指していることが分かります。

 このように四福音書はみな復活者キリストが聖霊によってバプテスマされることを予告していますが、四福音書はみなユダヤ戦争以後の新約聖書時代の後期に成立したものです。それに対してパウロの福音活動はユダヤ戦争前の前期に属しています。そのパウロの書簡には「聖霊のバプテスマ」という言葉は出てきません。本章では、福音書が成立するより一世代前のパウロにおいて、「聖霊によって《バプティゾー》される」という表現がどういう事態を指しているのか、また聖霊の働きそのものがどう記述されているのかを、コリント書簡によって探ってみたいと思います。

水のバプテスマから聖霊のバプテスマへ

イエスの「神の国」を告げ知らせる福音運動が洗礼者ヨハネのバプテスマ運動から始まることは、どの福音書も揃って語っているところです。マタイとルカはその前に誕生物語を置いていますが、福音書は洗礼者ヨハネのことから始まるのが本来の姿です。イエス自身もガリラヤから出てきて、ヨルダン川でヨハネからバプテスマを受けておられます。その運動の中でイエスは聖霊をお受けになり、将来弟子となるアンデレやペトロらと知り合っておられます。また、イエス御自身もしばらくの間、ヨハネの運動に加わり水のバプテスマを授けておられます。

 ところが洗礼者ヨハネの投獄後しばらくの沈黙の期間を経た後、ガリラヤに現れて「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて、福音を信じなさい」と宣べ伝えられた時期には、バプテスマを施すことはなく、バプテスマについて教えたり語られることもありません。イエスは神の力によって病人をいやし、神の霊に満ちて神の言葉を民衆に教えられました。弟子たちは傍にいてイエスの働きを見て、その教えの言葉を聞きました。そしてイエスからガリラヤの各地に派遣されて、イエスと同じく神の国が迫っていることを伝え、病人を癒やしていきました。イエスの「神の国」運動はこのように進展しましたが、そのさいイエスはバプテスマを授けず、弟子たちにも信じた者にバプテスマを施すように求めておられません。

 ただイエスの言説が当時のユダヤ教の規定に反するという疑いで、ユダヤ教の指導層から危険視され、逮捕されてユダヤ教の最高法院の裁判にかけられ、神を汚す者として死刑の判決を受けます。そして当時ユダヤを支配していたローマ総督に引き渡されて十字架刑に処せられます。ところが、師を失って失意の中にある弟子たちに現れて、ご自分が生きておられることをお示しになります。ペトロをはじめ弟子たちは大胆に、神はイエスを復活させてキリストとされたとエルサレムの住人に語り出します。それを聞いた多くのユダヤ人が復活したイエスをキリストと信じます。

 その際、ペトロはイエスを信じた人たちにバプテスマを受けるように求めたとされています(使徒二・三八)。イエスのもとでもはやバプテスマをしてこなかったペトロが、ここで急に信じる者にバプテスマを受けることを求めたのは不自然であるとして、この要求の史実性が問題になります。ユダヤ人の信仰者はすでにヨハネのバプテスマを受けているのですから、イエスを信じたときに改めてバプテスマを受ける必要はなかったと考えられます。しかし後年イエスを信じる者たちの共同体(エクレシア)が、新たに信仰に入った者に水のバプテスマを求めたのは事実です。キリスト信仰の共同体は、新たにイエスを信じるようになった者に信仰告白のしるしとして、バプテスマを受けることを求めるようになります。

 しかし水のバプテスマだけでは、当時洗礼者ヨハネをメシアと信じる教団も存続していたのですから、形の上ではそれとの区別がつきません。キリスト信仰共同体としての独自のバプテスマが求められるようになって、自分たちがキリストにあって賜っている聖霊の賜物こそが復活者キリストが与えてくださるバプテスマだとして、「聖霊のバプテスマ」という呼び方が生まれてきたのではないかと推察されます。この過程が進むにはかなりの時間がかかり、エルサレムに最初のキリスト信仰共同体が生まれてから四〇年近く後に成立した最初の福音書であるマルコ福音書になって初めて、「ヨハネは水でバプテスマしたが、その後に来る方(復活者キリスト)は聖霊によってバプテスマされる」ということが、福音の重要内容として福音書で宣言されるようになったのではないかと考えられます。 

 

パウロの場合

ところでパウロの場合はどうでしょうか。パウロはヨハネのバプテスマは受けていなかったと推察されます。ヨハネが悔い改めのバプテスマを宣べ伝えたとき、ユダヤの民衆は続々とヨハネの元に来てバプテスマを受けましたが、ファリサイ派のパウロはヨハネのバプテスマは受けなかったと考えられます(ルカ七・三〇)。ファリサイ派の人たちは律法を守ることに熱心で、律法の規定以外の罪の赦しの必要を感じていなかったのでしょう。しかしダマスコ体験によってイエスをキリストと信じるようになったときに、イエスへの信仰を告白する水のバプテスマを受けたとルカは報告しています(使徒九・一八)。

 アンティオキアの共同体で教師の一人として集会員に教えていた時代には、新しく信仰に入って共同体に加入する者にイエスへの信仰の告白としてのバプテスマのことを教え、バプテスマを施していたと推察されます。アンティオキア共同体から派遣されてバルナバと一緒にキプロスからガラテヤ州南部の諸都市に福音を宣べ伝えた時にも、ルカの記録には出てきませんが、イエスを信じた人たちにはバプテスマを施したと考えられます。そしてアンティオキアの共同体から離れて独立で福音をエーゲ海地域に宣べ伝える活動を進めた時もバプテスマをしたことは、ルカの記録にも伝えられています。たとえばフィリピで最初に信仰に入った女性とその家族に(使徒一六・一一〜一五)、またフィリピで投獄された時の看守とその家族に(使徒一六・三一〜三三)バプテスマをしています。そして本書の舞台であるコリントでは、「会堂長のクリスポや、コリントの多くの人々も、パウロの言葉を聞いて信じ、バプテスマを受けた」と報告されています(使徒一八・八)。

 またパウロ自身がその時期に書いた書簡からも分かります。たとえば、ガラテヤ書(三・二七)でパウロはこう言っています、「バプテスマを受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです」。コリント書(T一・一〇〜一七)ではパウロ自身がバプテスマをしたことを語っています。

では、聖霊のバプテスマについては、パウロはどう語っているのでしょうか。それをコリント書簡から見ることにします。

U コリント書簡における聖霊のバプテスマ

パウロが受けた聖霊のバプテスマ

パウロはコリント書簡で「聖霊のバプテスマ」とか「聖霊によるバプテスマ」、あるいは「聖霊によってバプテスマされる」というような表現は用いていません。しかしパウロ自身は聖霊のバプテスマを受けているのです。それもパウロがイエスに敵対していた時に受けているのです。それはパウロのダマスコ体験です(使徒九・一〜一九)。イエスを信じる者を逮捕しようとダマスコに急いでいるパウロに、復活者キリストが現れます。パウロはまだ復活者キリストを知らないのですから、強烈な光として現れてパウロを地に倒した方は、イエスと名乗ってパウロに語りかけます。強烈な光に打たれて目が見えなくなり、三日三晩暗闇に伏し飲食もできなかったパウロに、復活者キリストは弟子のアナニアを遣わして、パウロが聖霊に満たされて諸国民に福音を告げ知らせる役目に任じられます。このときにパウロは聖霊に満たされたのです。これは強烈な聖霊体験です。この聖霊体験こそ、復活者キリストから与えられた聖霊のバプテスマに他なりません。

 この体験以後、パウロは神殿での祈りなどで繰り返し聖霊に満たされ、時には第三の天にまで引き上げられるというような体験をしています。その伝道活動においても、直接聖霊の働きや導きを体験しています。しかしパウロの時代には、さきに見たように、まだ「聖霊のバプテスマ」という表現は熟していませんでした。それで、パウロは自分が宣べ伝えた復活者キリストを信じた人々に、聖霊の働きに身を委ねて、「キリストにあって」生きるように切々と勧めますが、そのことを勧めるパウロの手紙には「聖霊のバプテスマ」という表現は出てきません。しかし聖霊の働きに関する説明は多く語られることになります。今われわれが扱うコリント書簡もその好例です。パウロはその第一書簡で、一二章から一四章までの三章を使って、聖霊の現れとかその働きについて書き、詳しく解説しています。それは聖霊によってバプテスマされた共同体での在り方、歩み方についての使徒の懇切な指導です。

コリント書における聖霊のバプテスマ

 この聖霊の働きを解説してコリントの共同体に聖霊に従って歩むように勧める言葉の中に、この章の始めに掲げた言葉が出てきます。パウロはこう言っています、「わたしたちは、ユダヤ人であろうとギリシア人であろうと、奴隷であろうと自由な身分のものであろうと、みな一つの御霊によって一つの体へとバプテスマされ、みな一つの御霊を飲んだのです」(T一二・一三 私訳)。キリスト信仰に生きる者たちの集団、パウロが《エクレーシア》と呼んでいるキリスト者の集団は「キリストの体」であることの意義は、本書の最後の章で詳しく述べることになりま すが、ここではその集団の成立の根拠が語られます。

 ここでは《バプティゾー》という動詞が本来の意味である「浸す」とか「沈める」という意味で使われています。あなたがたがキリスト者の共同体に加えられたのは、聖霊によってこのエクレシアと呼ばれるキリストの体に「浸し入れられた」出来事だというのです。この《バプティゾー》という動詞の受動態の後に「一つの体の中へ(into one body)」という前置詞句が続いています。同じ一つの御霊によってキリストの体であるエクレシアに「浸し入れられた」のです。パウロが《バプティゾー》という動詞を用いて比喩的に語っていることを説明的に表現すると、地上における生命的有機体であるエクレシアに「組み入れられた」ということでしょうか。わたしたちがエクレシアの一員となるのは洗礼という儀式によるのではなく、聖霊によってキリストの体という有機体に組み込まれるからです。

 キリスト者の共同体を構成するのは、福音を信じる者が聖霊によってキリストの体であるエクレシアに組み込まれる結果であるのですから、信じる人の社会的身分とは何の関係もありません。宗教的伝統が異なるどの民族の者であろうと、当時の社会的差別の最たるものであった奴隷身分の者と自由人の身分の者であろうと区別はありません。ガラテヤ書(三・二八)にはあった男と女の区別がコリント書にはないことについては議論がありますが、当時ではユダヤ教徒と異教徒という宗教的区別や奴隷身分と自由人身分という社会的差別が一層深刻であって、男女の性別はあまりにも当然とされていたからでしょうか。新約聖書には福音のために活躍する女性の名前が多く出てきます。

 パウロが《バプティゾー》という動詞をこのように使っていることが、次の世代の福音書の時代に「聖霊のバプテスマ」という表現が福音の主要な内容になっていく一つのステップとなったのではないかと考えられます。

 

復活者キリストの具体相

 パウロはまだ「聖霊のバプテスマ」という表現は用いてはいませんが、コリントでパウロが宣べ伝えた復活者キリストの福音を信じた人たちは、その復活者キリストから豊かな聖霊の賜物を受け、様々な聖霊の働きを体験して、その共同体には様々な霊的現象が生じます。それは今までに経験したことのない現象であって、コリント集会の人たちはそれにどう対応してよいのか、戸惑うことも多かったようです。その現状を伝え、対応の仕方を訊ねたコリント集会にパウロは答えます。「兄弟たち、御霊の賜物については、次のことはぜひ知っていてほしい」と言って、第一書簡の一二章から一四章の三章にわたって詳しく書き送ります。

 本書はコリント書簡の講解をすることが目的ではありませんので、その賜物のそれぞれについて詳しく説明することはせず、その全体が指し示す復活者キリストの姿を追求したいと思います。その際もっとも中心的な思想は、エクレシアと呼ばれるキリスト者の共同体は「キリストのからだ」であるという思想です。キリスト信仰の人々がこの歴史の中で形成する集団、エクレシアと呼ばれる共同体こそ、復活者キリストがこの人類の歴史の中にその姿を現す具体的な形、霊なる復活者キリストがからだを具(そな)えた形で現れた現実であるのです。復活者キリストに自分を投げ入れた者は、聖霊によってキリストという一つの体の中へと浸し入れられ、その体に組み込まれ、その体の一つの肢体となったのです。パウロはこの思想で、聖霊のバプテスマによって歴史の中に姿を現す復活者キリストの姿を語ります。

V 集会への聖霊のバプテスマ

コリント集会への聖霊のバプテスマ

 聖霊の賜物について、パウロはコリント第一の手紙の一二章から一四章に至る三章で詳しく指導していますが、それを見ると集会の「一人一人に御霊の働きが現れている」と言える状況であったことが分かります。パウロはこう書いています。

 「賜物にはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ霊です。務めにはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ主です。働きにはいろいろありますが、すべての場合にすべてのことをなさるのは同じ神です。一人一人に御霊の働きが現れるのは、全体の益となるためです。ある人には御霊によって知恵の言葉、ある人には同じ御霊によって知識の言葉が与えられ、ある人にはその同じ御霊によって信仰、ある人にはこの唯一の御霊によって病気をいやす力、ある人には奇跡を行う力、ある人には預言する力、ある人には霊を見分ける力、ある人には種々の異言を語る力、ある人には異言を解釈する力が与えられています。これらすべてのことは、同じ唯一の御霊の働きであって、御霊は望むままに、それを一人一人に分け与えてくださるのです」(T一二・四〜一一)。

 ここに見られるように、コリント集会は復活者キリストによって聖霊によるバプテスマを受けたのですが、その結果各員に現れた聖霊の表れは病気の癒やしや預言や異言など様々であって、異言などどれか一つの現れに限定することはできません。聖霊のバプテスマの結果、各人に現れている特別な霊の働きが「賜物《カリスマ》」と呼ばれて、それが「務め」、「働き」、「霊の現れ」というような様々な用語で記述されています。その中でもコリントの集会では「預言」と「異言」の賜物《カリスマ》が著しく、パウロはこの二つの御霊の賜物について一四章で詳しくその意義を説き、その賜物の用い方に注意を与えています。

 預言と異言は、キリスト者がキリストにあって神に祈るとき、御霊が祈る人の言語能力を超えて言葉を与えて祈らせる現象で、それが本人や回りの人たちが理解できる言語(普通は母語)である場合は「預言」であり、本人やそれを聞く回りの人が理解できない言葉である場合が「異言」です。異言では祈る本人は理解できないが、それを聞く人は自分の母語として理解できる場合などがあります。祈りの場で預言や異言の現れに接するとき、居合わせた者は霊なる神の臨在を実感します。

 このコリント集会での御霊の働きや現れを見ますと、これは福音書が言う「聖霊のバプテスマ」がコリント集会に起こっていると言うことができると思います。すなわち復活者キリストがコリントの集会に聖霊を注いで、その集会を聖霊で《バプティゾー》しておられるのです。その結果が集会全体に聖霊の《カリスマ》として現れているのです。パウロがコリントで宣べ伝えた復活者キリストは、聖霊によってバプテスマする方です。

ペンテコステの日の出来事

このような理解でルカの使徒言行録を見直して見ましょう。ルカはマルコ福音書を枠組みとして福音書を書いたのですから、マルコが用いた「聖霊によってバプテスマする」という表現を知っており、それを用いて「その方は聖霊と火であなたたちをバプテスマする」と書いています(ルカ三・一六)。そして復活者キリストは、ご復活のすぐ後、弟子たちと食事を共にしているときに、「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。ヨハネは水であなたがたを《バプティゾー》したが、あなたがたは間もなく聖霊によって《バプティゾー》されるであろう」と言っておられます(使徒一・五)。

 そのお言葉は五旬祭(ペンテコステ)の日に実現しました。エルサレムで師イエスの十字架の死と復活の出来事に直面した弟子たちは、イエスの言葉に従い、エルサレムを離れず、一つの部屋で「心を合わせて熱心に祈っていた」のです。すると「突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした」のです(使徒二・一〜四)。

 強い風が吹いてくるような激しいもの音と大勢の人が声高く祈る大声に驚いた人々が大勢集まってきます。ところが「だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されるのを聞いて。あっけにとられます」。集まっていた人々はエルサレムの住民だけではなく、周辺の言語が異なる諸地域からの人たちでしたから驚いたのです。弟子たちは「異言」で祈っていたのです(使徒二・五〜一一)。この日、聖霊に満たされたペトロが立ち上がって集まってきた人々に、「あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は復活させて主とし、またメシア・キリストとされたのです」と力強く語り出します。

弟子たちへの復活者イエスの顕現

 これが使徒言行録の二章でルカが伝えるペンテコステの日に起こった出来事です。これは弟子たちの集団に起こった「聖霊のバプテスマ」の出来事です。これは「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受けて、地の果てまでわたしの証人となる」という復活者キリストの言葉の実現の始まりです。しかし、他の福音書が伝えるところは少し違うようです。マルコ福音書は空の墓の記事で唐突に終わっていますが、これは弟子たちへの復活者キリストの顕現をガリラヤでの出来事として描くためであると考えられます(マルコ一四・二八、一六・七参照)。マタイでもガリラヤへ行くようにという復活者イエスの指示により、弟子たちはガリラヤの山で復活者イエスにお会いしています(マタイ二八・七、一〇、一六)。このように復活者イエスはガリラヤで四人の弟子に湖畔で、十一人の弟子に山で現れておられますが、復活者との出会いは聖霊の働きによって起こる実体験であり、その出来事は小規模でありますが、聖霊のバプテスマの出来事です。

 ガリラヤで復活者キリストにお会いした弟子たちは、その復活者キリストをまずユダヤ人同胞に証言すべく、多くのユダヤ人が祭りのためにエルサレムに来る日を目指してエルサレムに集まり、ペンテコステの日にルカが伝えるような証言活動を開始したと見ることができます。こうしてエルサレムにガリラヤからの弟子団を中核として、イエスをメシア・キリストと告白するユダヤ人キリスト者の小規模の共同体が呱々の声をあげることになります。その共同体は、復活者キリストからの聖霊のバプテスマを受け、祈り続け、常に聖霊に満たされていたようで、ルカは「祈り終わると、一同の集まっていた場所が揺れ動き、みな聖霊に満たされて、大胆に神の言葉を語りだした」と記述しています(使徒四・三一)。

サマリアでの聖霊のバプテスマ

 ルカは使徒言行録で、復活者キリストがその後ご自身の民に聖霊のバプテスマを与えられた事実を数例報告しています。たとえばフィリポがサマリアでキリストを宣べ伝え、病人をいやすなど力ある働きをしたので多くの人が信仰を言い表し、水のバプテスマを受けます。しかしペトロとヨハネが行ったとき、イエスの名によって(水の)バプテスマを受けた信仰者にまだ聖霊が降っていないことを見ます。それでペトロとヨハネが彼らの上に手を置いて祈ると、彼らは聖霊を受けます。それを見たシモンという霊能者が、手を置けば聖霊が与えられるという力をあたえてくださいと言ってお金を差し出します。もちろんペトロは彼を厳しく非難して退けますが、シモンがサマリアの人たちが聖霊を受けるのを見たのでそういう行為に出たのですから、サマリアの人たちが異言など目に見えるしるしを伴う聖霊の満たしを体験していたことが分かります。彼らも聖霊のバプテスマを受けたのです(使徒八・四〜二五)。

 これは一例ですが、その後、ペトロが地中海沿岸のリダとかヤッファなどの都市にキリストを宣べ伝えた時にも、ペトロは復活者キリストが聖霊によってバプテスマされるのを見たことでしょう。そしてペトロが神からの不思議な導きによって、その地方の主要都市であるカイサリアに行った時、ペンテコステの日の出来事に勝るとも劣ることのない重要な出来事が起こります。異邦人のローマ軍百人隊長とその家に集まった大勢の人に、復活者キリストが聖霊でバプテスマされるという出来事です。

 

異邦人への聖霊のバプテスマ

この出来事の重要性は、ペトロがローマ軍百人隊長のコルネリウスの家に導かれるのに、同じ不思議な幻を三回も繰り返して与えられるという前置きからも分かります。神から選ばれた民のしるしとして割礼を受けているユダヤ教徒は、無割礼の異邦人(すなわち異教徒)は神とは無縁な者、神の祝福と約束にあずかれない者、汚れた者として、交わりは禁じられていました。その異教徒に神の霊が与えられるということは夢にも思い浮かばないことです。その差別の壁を打ち破るために、神は三回繰り返された幻で、ユダヤ教徒が汚れた物として絶対食べなかった獣などを食べるように命じられます。それは「神が清めた物を清くないなどと、あなたは言ってはならない」ということを示すためでした(使徒一〇・九〜一七)。

コルネリウスも幻でヤッファのシモンの家にいるペトロを招くように示されていて、ペトロが異教徒の家に入り、福音を説くという当時のユダヤ教徒には想像もできないことが起こります。ペトロがイエスの出来事と復活者キリストによって与えられる救いについて語り続けているとき、「御言葉を聞いている一同の上に聖霊が降った。 割礼を受けている信者で、ペトロと一緒に来た人は皆、聖霊の賜物が異邦人の上にも注がれるのを見て、大いに驚いた。異邦人が異言を話し、また神を賛美しているのを、聞いたからである」(使徒一〇・四四〜四六)ということが起こります。復活者キリストは異教徒のコルネリウスとその仲間たちに聖霊のバプテスマをなされたのです。 熱心なパレスチナのユダヤ教徒で構成されるエルサレム共同体は、ペトロの行為を理解できず、ペトロが割礼を受けていない異教徒の家に入り食事を共にしたことを非難します。その非難に対してペトロはことの成り行きを詳しく語って、それが神から出たことであることを説明します。その釈明の中でペトロは、コルネリウスとその仲間に聖霊が降ったことを、「そのとき、わたしは、『ヨハネは水で《バプティゾー》したが、あなたがたは聖霊によって《バプティゾー》されるであろう』と言っておられた主の言葉を思い出しました」と言っています(使徒一一・一六)。

 この出来事がもつさらに重要な意義は、使徒言行録一五章に記録されている、いわゆる「使徒会議」におけるペトロの発言です。この会議は当時の福音活動の指導的な人たちが、信仰に入った異教徒に割礼を施してユダヤ教に改宗させるべきか、異教徒キリスト信仰者には割礼は不要かの問題をめぐって議論した、最初期の福音活動にとって極めて重要な会議です。エルサレム共同体からの人たち、とくにファリサイ派から信者になった人たちは、「異邦人にも割礼を受けさせて、モーセの律法を守るように命じるべきだ」と主張し、アンティオキア共同体を代表し参加しているパウロとバルナバは、異邦人信者には割礼は必要ないと主張して激論が続きます。そのときペトロが立って、コルネリウスの家での出来事を語り、「人の心をお見通しになる神は、わたしたちに与えてくださったように異邦人にも聖霊を与えて、彼らをも受け入れられたことを証明なさったのです」と言って、異邦人信者に割礼を施し、ユダヤ教の軛を負わせることに反対します。この発言によって会議の論争は決着し、パウロが主張してきた割礼なしの異邦人伝道が初期の福音活動の主流となります。

 この会議の後、アンティオキア共同体から離れて独立でアナトリアとエーゲ海地域で福音活動を進めたパウロは、イエスをキリストと信じた異邦人に、その信仰を言い表すしるしとして水のバプテスマを施しますが、復活者キリストは聖霊によってバプテスマする方として、力強く福音を宣べ伝えていきます。コリントでも一年半と長期にわたって活動し、先に「コリント集会への聖霊のバプテスマ」の項で見たように、コリント集会は聖霊によってバプテスマされた結果、豊かな聖霊の賜物《カリスマ》に恵まれた集会を形成することになります。コリント書簡に見られる聖霊の働きの多様性は、聖霊によるバプテスマの結果なのです。ここでそのすべてを見ることはできませんので、数例を取り上げて聖霊のバプテスマが示す多様な姿を見ることにします。

W 聖霊のバプテスマの諸相 

エクレシアを形成する聖霊の働き

コリントの信徒への第一の手紙の一二章で取り上げられている様々な聖霊の現れとか働きは、一四章でパウロ自身が繰り返し語っているように、すべて「エクレシアを建て上げる」ためのものです。この一四章でエクレシアを「造り上げる」と訳されている《オイコドモー》という動詞は、家を建てるという意味の動詞ですから、「教会を建てる」と訳すと、教会堂を建築すると誤解されかねないので、新共同訳では「教会を造り上げる」と訳されています。しかしパウロにおいては、「エクレシア」は教会ではなくキリスト者の交わりですから、キリスト者の交わり《コイノーニア》を形成するという意味で「エクレシアを建て上げる」と表現しても誤解のおそれはないでしょう。

 パウロはこの一四章で、異言は自分を建て上げるが、預言はエクレシアを建て上げると言っています(四節)。それは「異言を語る者は、人に向かってではなく、神に向かって語っています。それはだれにも分かりません。彼は霊によって奥義を語っているのです。しかし、預言する者は、人に向かって語っているので、人を建て上げ、励まし、慰めます」からです(二〜三節)。パウロは集会で預言や異言などの聖霊の賜物《カリスマ》の性質を説明した後(六〜一一節)、「エクレシアを建て上げるために、それ(=賜物《カリスマ》)をますます豊かに受けるように求めなさい」と励ましています(一二節)。

 パウロは御霊の賜物《カリスマ》の性質や働きを説明する一四章の中で「理性」という言葉を頻繁に使っています(一三〜二五節)。「わたしの霊が祈る」ことと、「理性で祈る」ことが対比されています(一四〜一五節)。また、預言を「吟味する」(二九節)のも、秩序正しくカリスマを用いるように「判断する」(二〇節)のも理性の仕事です。預言者の霊は預言者(の理性的判断)に服するのです(三二節)。この章は、信仰における霊《プニューマ》と理性《ヌース》の関係を考えさせます。

 人間存在における霊と理性は、単純に無意識の領域と意識の領域の対立と同一視することはできませんが、霊は無意識の領域を働きの場とし、理性は意識の領域で働くとは言えるでしょう。無意識の領域の科学的探求は現代心理学の大きな貢献ですが、人間は古来、意識の奥に理性では理解したりコントロールすることができない領域があることを知り、その領域での出来事やその現象を「霊」という言葉で表現してきました。それを言葉で物語るのが神話であり、その領域を人間の幸福のためにコントロールしようとする営みが宗教であるとも言えます。

 これまで繰り返し強調してきたことですが、キリストの福音は霊の次元の出来事です。復活者キリストは霊であり、霊なるキリストが信じる者の中に働いて引き起こしてくださる霊の次元での変化が救いであり、新しいいのちであるのです。現代のキリスト教が無力であるのは、この霊の次元を理解することができず、理性の働きだけで理解しようとして、キリスト教を教理と道徳の問題にしてしまっているからだと考えられます。

 しかし他方、その霊の次元における出来事や変化は、意識の領域に実を結び、それを通して、身体を含む人間の全存在を変えていくのでなければ、具体的な人間全体を変えていくことはできません。霊の働きやその現れだけに終始して、それを意識の領域で理性をもって認識し、他の領域と正しく関連づけて保持しなければ、霊の力は軌道のない機関車かハンドルのない自動車のように、どこに向かってわたしたちを引っ張っていくのか、コントロールできない危険に陥ります。理性も人間を人間とするために神から与えられた能力であって、この理性によってわたしたちは霊の現実を人間存在の全領域に結びつけるのです。霊の現実は理性を通して人間の全体に実を結ぶのです。

 自分たちこそ「霊の人」であると誇るコリントの人たちに、パウロはこの一四章で理性に実を結ぶことの重要性を説きました。これによって、パウロはその後のキリスト教二千年の歴史に方向づけを与えたのです。キリストの霊の現実から発して、理性によって、それが人間の生活、道徳、思想、芸術、あるいは政治にいたるまで、文化の全領域に発現して形成される全体が「キリスト教」なのです。キリスト教二千年の歴史は、自分たちの中にあるキリストの霊の現実を理性によって文化と歴史の中に実現しようとしたキリスト教徒の苦闘の歴史なのです。

キリストの姿に造りかえる聖霊の働き

 パウロはコリント書簡の中でこう言っています、「しかし、主の方に向き直れば、覆いは取り去られます。 ここでいう主とは、御霊のことですが、主の霊のおられるところに自由があります。わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。これは主の霊の働きによることです」(U三・一六〜一八)。ここで「覆い」がかけられているので神との関わりがあるべき姿でなくなっているから、覆いが取り去られなければならないと言われているのはイスラエルの民のことです。アブラハムの子孫であるイスラエルは、モーセによって奴隷の家エジプトから救い出されて以来、神との契約関係にあって数々の御言葉を与えられてきました。しかし彼らイスラエルの民の心には覆いがかかっており、彼らは神との正しい関わりの中で神の御心を行い、神の栄光を現していくことができませんでした。

 パウロは「しかし、主の方に向き直れば覆いは取り去られます」と言って、「ここでいう主とは御霊のことですが、主の霊のおられるところに自由があります」と言います。イスラエルの民だけではなく、どの民族であれ、またどの宗教の民であっても、御霊である主の方に向き直れば、すなわち霊なる復活者キリストの方に向き直り、その霊なる復活者キリストとの交わりの中に入れば、わたしたちは皆、心の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていくのです。

わたしたちにかかっている覆いとは何でしょうか。それは神の無条件の恩恵を見えなくしているわたしたち人間の自我主張の本性である、とわたしは思います。わたしたちは神との関わりにおいても何らかの自分の価値とか功績を申し立てて、自分がこれだけのことをしたから、それに相応する神からの賜物と神の働きを期待します。人間の宗教はこの原理に基づく神との取引です。これだけの求められた儀礼を行い、これだけの価値ある行いをしたのであるから、それに相当する神からの恵みとか働きを期待するという取引です。

 その人間の側の自己主張が十字架の言葉によって取り除かれ、自分が無とされて神の恩恵に飛び込むとき、自我主張の覆いは取り除かれ、覆いが除かれた鏡のように、「主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていく」のです。この「主と同じ姿に造りかえられていく」というのは、「これは主の御霊の働きによることです」。わたしたちは自分の力で「主と同じ姿に造りかえられていく」ことはできません。誰が復活者キリストと同じ姿になることができましょうか。それは上から賜る聖霊の働きに待つほかありません。

パウロはここで《メタモルフォー》という動詞を受動態で使っています。この動詞は《モルフェー》(形、姿)を変えるという意味ですが、単に外形を変えるという意味だけでなく、姿・性質・生き方などを変えるなど内実も含んで変えるという意味ですから、わたしはこれを「変容」という語を用いて訳しています。従ってここは「(覆いを取り除かれた鏡のように)主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変容されていく」のです。この《メタモルフォー》という動詞はパウロの福音的生活の勧告で重要な意義をもつ動詞ですが、パウロ書簡ではこことローマ書一二章二節の二箇所で用いられているだけです。なおこの動詞は福音書でイエスが高い山で祈られたとき、「イエスの姿が変わり」と語られているところに用いられています(マルコ九・二)。イエスはこの高い山で一瞬、本来の神の子としての姿《モルフェー》に変わられたのです。この記事は「イエスの《メタモルフォーシス》(変容)」の記事と称されることになります。

ローマ書での用例(補注)

 ローマ書での用例の理解は、ここでの用例との関連で重要ですから、少し解説を加えておきます。ローマ書では、パウロは十一章で福音の提示を終えて十二章からキリストにある者の実際の歩み(倫理)の提示に入ります。その勧告の最初にこの《メタモルフォー》という動詞を用いています(ローマ一二・二)。ローマ書では十二章の実際の生き方についての勧告の最初に「あなたがたは、この世と同じかたちになることなく、かたちを変えられなさい」という勧告が来ます。

 この「かたちを変えられなさい」という受動態の命令法は現在形で、「かたちを変えられ続けよ」という意味合いを含んでいます。この《メタモルフォー》という動詞は、パウロ書簡ではこことコリントU三・一八の二箇所だけに出てくる動詞ですが、パウロの福音理解を示す重要な語です。キリストに属する者は、(黙示思想のように)ただ未来の救済を待ち望むのではなく、現在すでに聖霊によって、キリストの栄光に向かってかたちを造り変えられつつあるのです(コリントU三・一八)。それは現在の事実です。パウロはここで、その事実に身を委ね続けよと勧告します。この命令法の内容を敷衍すると、「あなたがたのかたちを変える聖霊の働きに身を委ね続けよ」となります。ローマ書一二・二の勧告は、「肉に従うのではなく、御霊に従って歩みなさい」(ガラテヤ五・一六)と内容は同じことを言っています。

 ところで、この「かたちを変えられよ」という命令法の動詞の直後に、「意識の新しさに」という与格(三格)の名詞が続いています。大多数の現代語訳は、この与格を手段の与格と理解して、「意識を新しくすることによって」と訳しています。しかし、パウロの福音理解においては、「かたちを変えられる」のは意識を新しくするというような人間の側の改革によるのではなく、聖霊の働きによるのですから、この与格を手段の与格と理解することは困難です。ローマ書八章二四節の「希望へと救われた」または「希望において救われた」の与格の場合と同じく、ここも「意識の新しさへと」と理解し(様態を示す三格)、「かたちを変えられた」ことの結果として生じた事態とすべきです。そうするとこの勧告は、「かたちを変えられ、(その結果)意識を新たにされて、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい」と続きます。

信仰と愛と希望

 キリストにあって恩恵として賜る聖霊は、わたしたちの生涯に働いて、わたしたちを造り変え、わたしたちの内に本来の生まれながらの命とは別の命に生きるわたしを創りだしてくださいます。パウロはこの生まれながらの命に生きるわたしを「外なる人」と呼び、キリストにあって恩恵として賜った新しい命に生きるわたしを「内なる人」と呼んで、「たとえわたしたちの外なる人は衰えていくとしても、内なる人は日々新たにされていきます」と言っています。それは「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぐ」からです。見えるもの、この世で体験し理解できるものは過ぎ去りますが、神の言葉によって生み出される「見えないものは永遠に存続するからです」(U四・一六〜一八)。

 このように聖霊のバプテスマによって作り出された「内なる人」は、その聖霊の働きによって「信仰と愛と希望」に生きるようになります。これは人間存在の三つの次元において、というか、その存在の三つの軸に沿って聖霊が造り出してくださる新しい人間の在り方です。

 ここで「信仰」というのは、わたしたちを神の子とする御霊の働きによって、わたしたちが自分の存在の根底である神に向かって、「アバ、父よ」と叫んで、自分の生涯の全体を神に委ねて生きていく姿を指しています(ローマ八・一四〜一六)。これは神との関係という垂直軸における聖霊の働きです。

 さらに人間は単独では人間として生きていけないのですから、その隣人との関係という水平軸で、聖霊はわたしたちに神の愛を注ぎ込み、わたしたちがその神の愛をもって隣人を愛し、神が無条件にわたしたちを受け入れて愛してくださったように、隣人をその神の愛をもって無条件に受け入れて愛することができるようにしてくださいます。それはわたしたちが今まで知らなかった種類の愛です。イエスが「神が慈愛深いように、あなたがたも慈愛深くあれ」(ルカ六・三六)と言われた愛の交わりが実現します。

 そして「希望」というのは、復活の希望です。人間は時の流れの中に生きています。人間には過去があり、その過去によって現在の自分が決められています。しかし同時にわたしたちには将来、すなわち将(まさ)に来たるべき時があります。その来たるべき時に起こることの中で、最も確実な出来事は死です。わたしたちは現在死に規定された生を生きています。しかしキリストにあるならば、死は最終的な将来ではありません。第二章で述べたように、わたしたちの初穂として復活されたキリストに結ばれて生きるとき、キリストの復活はわたしたちの復活の保証です。また、キリストが与えてくださる御霊はわたしたちの内にある復活の保証です(U一・二二)。 この二つの保証に支えられて、わたしたちキリストにある者は、死に定められたこの生の中で、復活に至る命を生きています。このわたしたちの現在の生き方が「希望」です。希望とは、キリストにあって賜る御霊の命が、時間軸に沿って現れるときの姿です。

X 聖霊の愛による共同体

聖霊の実としての愛

 パウロはコリントの集会に与えられている豊かな聖霊の賜物《カリスマ》を数え上げる中で、「そこでわたしはあなたがたに最高の道を教えましょう」と言って、愛《アガペー》による共同体の形成を訴えます。この愛がなければ、異言や預言、あらゆる奥義に通じる知識、山を動かすほどの完全な信仰があっても、「愛がなければ、無に等しい」と断じます。さらに全財産を慈善に投じ、あるいは宗教や思想に殉じた人として名声を得るために「わが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない」とまで言います(T一三・一〜三)。では、それがなければわたしたちが「高貴なもの」と呼んでいるすべてのものの栄光が無意味になるという「愛《アガペー》」とは何でしょうか。その問いには答えないで(愛は生命ですから言葉で定義することはできません)、パウロはその愛が働く時の姿を列挙して、聖霊による愛《アガペー》の姿を描きます(T一三・四〜七)。

 最初に「愛は忍耐強い。愛は情け深い」と、愛の積極的な面を取り上げます。そして、それ以後(六節まで)は「愛は〜しない」と、すべて人間が通常行う行動や自然の性向を否定する形でその姿が描かれます。自然の人間の本性は、ねたむ、自慢する、高ぶる、礼を失する、自分の利益を求める、いらだつ、恨みを抱く、不義を喜ぶ、真実を喜ばず回避しようとします。使徒はなんと深く人間の自然の心情とか性向を理解していることかと驚きます。しかし、聖霊によって上から与えられる新しい命に生きるとき、人間の生まれながらの性向や行動が克服されていくのです。パウロは人間の生まれながらの本性を「肉」と呼び、「肉の望むところは霊に反し、霊の望むところは肉に反する」のだと理解しています(ガラテヤ五・一七)。人間の肉の思いと行為を克服するのは、神からの霊、すなわち聖霊が人の内に働く他はないのです。パウロは内に働く霊の姿とその結果を「御霊の実」と称して、こう言っています。「霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です」(ガラテヤ五・二二)。

 そして最後にこの聖霊による愛《アガペー》の姿を要約して言います、「愛はすべてを包み、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを担う」(T一三・七 私訳)。この句で用いられている「すべて」は、全部とか全体という意味ではありません。関わる個々の相手とか状況について、いかなる相手をも、いかなる状況においても、包み、信じ、望み、担うという意味です。相手の価値や立場がどのようなものであっても、敵であっても、また、状況がどのように不利で絶望的であっても、相手を包み込み、信じ抜き、共に喜ぶ将来を望み、苦難・苦悩を自分の側で担うのです。それは人間から出るものではなく、神の霊だけが可能にする愛です。そうすることによって、破れ果てた人間の愛を癒やし、壊れた関わりを建て上げてゆくのです。

 わたしは、パウロが「すべてを」と言っているところを、次のような比喩を加えて表現して愛唱しています。 「愛は、海のように包み、太陽のように信じ、星空のように望み、大地のように担う」。

 海はどのようなものでも大きな懐に包み込んでいます。そのような形のものは包み込めないと拒否しません。太陽は、よい実が生じることを信じて万物に命の光を注いでいます。星は闇夜に輝いて、すべての人に行くべき方向を指し示しています。大地は万物をその上に担い、どのようなものを載せても重くて嫌だと苦情は言いません。そのように、破れ果てた人間世界で、《アガペー》は包み、信じ、望み、担うのです。

愛は滅びない

 愛《アガペー》は聖霊の賜物《カリスマ》の一つです。しかし、《アガペー》というカリスマは、預言や異言、知識《グノーシス》や力ある業などの他の賜物とは違いがあります。その違いが八節以下で語られます。すなわち、預言や異言や知識などの賜物は「部分的なもの」、「一時的なもの」であるのに対して、愛《アガペー》は「完全なもの」、「永続するもの」である点が決定的な違いです。

 預言や異言や知識が「部分的」と言われるのは、その賜物がすべての人ではなく、特定の役割を担う一部の人だけに与えられる賜物であるという意味もありますが、ここでは、その内容が真理の全体ではなく、一部にしか参与していないという意味で「部分的」と言われています。それに対して愛は、御霊によって生きるすべての神の子に与えられる賜物であるだけでなく、それは人を真理の全体にあずからせるという意味で「完全なもの」と言われています。愛《アガペー》は神のいのちの質そのものであるからです。そして、「完全なもの(愛)が来たときには、部分的なものは廃れる」ことが、幼子と成人のたとえを用いて語られます。部分的な賜物で満足し誇っている者は幼子にたとえられ、愛という完全な賜物に生きる者が、人生の全体を理解している成人にたとえられます。大人となった今は、幼児の生き方は卒業したのです。

 次に鏡のたとえが来ます。当時の鏡は金属の表面を磨いたもので、今の鏡のようにはっきりと写して見ることができませんでした。鏡のたとえでは、「今は」と「その時には」が対照されています。今は鏡を通して「おぼろに」(原意は「謎において」)見ている(現在形)が、その時にはもはや鏡を通してではなく、顔と顔を合わせて見るようになる(未来形)というのです。そのことをパウロは一人称単数形を用いて、自分の確信として述べます。今わたしは部分的に知っている(現在形)だけであるが、その時には、神がわたしを知っておられるようにはっきりとわたしは神を知るようになる(未来形)というのです。ここで用いられている「はっきりと知る」という動詞の名詞形が《エピグノーシス》です。地上の《グノーシス》(知識)は部分的で不完全です。しかし、完全なものが来る「その時には」、《エピグノーシス》(完全な霊知)が実現するのです。先の幼子のたとえでは、愛の賜物が他の賜物を完成するという地上の体験が語られていましたが、この鏡のたとえでは、完全なものが来るのは終末のこととされ、現在体験されている預言や異言や知識などのカリスマは、部分的であり一時的なもの(過ぎ去っていくもの)に過ぎないことが強調されるのです。その上で、愛の賜物は「その時にも」存続する永続的な賜物であることが指し示されているのです。

 預言や異言や知識というようなカリスマ(御霊による能力)が、《エクレーシア》形成のために、必要に応じて、一部の人に一時的に与えられる性質のものであるのに対して、同じ御霊が生み出してくださるものでも、「信仰と希望と愛、この三つ」はすべて主に属する者たちに与えられ、完全なものが来る「その時には」廃れるものではなく、「いつまでも残る」もの、その時にも存続するものなのです。その中でも愛は、直接神のいのちの質を表現するものとして、「最も大いなるもの」と呼ばれます。