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まえがき

 イエス・キリストの救いを宣べ伝えるために書かれた文書集である新約聖書には、四つの「福音書」と呼ばれる文書があることは広く知られています。すなわち、マタイ福音書、マルコ福音書、ルカ福音書、ヨハネ福音書の四つです。しかし、実は新約聖書には「もう一つの福音書」があるのです。それは、パウロというキリストの弟子の一人が、当時のローマ帝国の首都であったローマの信仰者に書き送った長い手紙、キリスト教会で普通「ローマ書」と呼ばれている手紙です。この文書は確かに手紙ですが、新約聖書の中ではかなり長い文書で、マルコ福音書と同じ十六章もある堂々たる著作です。しかもその内容は、新約聖書が世界に告げ知らせているキリストの福音をもっとも体系的に、そしてもっとも包括的に提示している貴重な文書です。
キリスト教というと、新約聖書の冒頭に置かれているマタイ福音書を思い浮かべ、とくにその中の「山上の垂訓」と呼ばれるイエスの教えをキリスト教の要約だと考えている人が多いようです。しかし、キリストの福音を伝えているのは、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネによって書かれた四つの「福音書」だけではありません。「もう一つの福音書」があるのです。それが、これからご一緒に読もうという「ローマ書」です。実は、このローマ書は他の四つの「福音書」よりも先に書かれているのです。もし福音書という言葉を、福音を提示している文書という広い意味で用いるならば、このローマ書こそ福音書です。しかも最初に書かれた「第一福音書」であり、他の福音書を読んで解釈するときの基礎となるべき「基礎福音書」です。
 著者は若き日に主からの召命を感じ、キリストの福音をこの国に告げ知らせるための独立自給の活動を進めて参りました。その間つねに心を占めていた問いは、「福音とは何か」という基本的な問いでした。福音を証言している新約聖書の諸文書の中で、パウロが最後の時期に書いた「ローマの人たちへの手紙」、普通「ローマ書」と呼ばれている文書がキリストの福音をもっとも包括的・体系的に提示している文書であることを知って、わたしの伝道生涯の各時期に、三十歳代、四十歳代、五十歳代、六十歳代の四回にわたって、集会で聖書講話の主題としてローマ書を取り上げてきました。最後の六十歳代のローマ書講解の時は、原典のギリシア語聖書の字句に解説の注をつけ、それに基づく私訳をつけて講解しました。それで自分のローマ書講解もほぼ最終的なものになると感じて、その講解を『パウロによる福音書―ローマ書講解』と題して二〇〇五年に、ちょうど伝道活動の五〇周年記念会の前の年に、上下二冊から成る著作として出版しました。
 それから十年あまり、その間新約聖書の他の諸文書の講解も一通り済ませ、それらの研究をまとめて、二〇一二年には『福音の史的展開』上下二冊の出版に漕ぎ着けました。この書で新約聖書の諸文書が書かれた福音の最初期のまとめをして、「福音とは何か」という問いに、わたしなりの一応の答えを出した後、その成果を基に、現在人間の宗教的な営みに広く思いを馳せ、『福音と宗教』と題する著作の執筆に励んでいます。実はその第一部の原稿を研究会の仲間の方に読んでいただいたところ、その中のローマ書の内容を要約した拙文が、この長大で難解なローマ書の内容を簡潔によくまとめているので、新約聖書の福音を追求している日本の読者に有益であり、出版するように勧められました。
 わたしはこのローマ書の要約の仕方が適切であるかどうか判断できませんが、欧米と日本のローマ書の文献に広く目を通しておられる方からのお勧めに従う決意を固め、出版することにしました。出版するにあたっては、要約文だけを出版することはできませんので、それを書いた使徒パウロとはどういう人物かを紹介するために、その生涯を簡単にまとめた文を第一章に置き、次にこのローマ書という文書の性格の解説と、先に触れましたその本文の私訳を載せて第二章とし、その後にローマ書の使信を要約する拙文を第三章としました。従ってこの第三章のローマ書使信の要約は、次に出版予定の著作『福音と宗教』の一部として登場することになります。先に出したローマ書講解の二巻本がかなり大部になりますので、この重要なローマ書をこの国に紹介するために、もっと簡略な著作を出したいと著者も願っていましたので、本書がその希望をかなえることになれば嬉しいことです。
 この小さい著作が、福音を追求する日本の皆様に少しでも役立つことを祈って、お手元にお届けする次第です。

二〇一六年 三月
               京都の古い町並みの中から
                    市 川 喜 一