市川喜一著作集 > 第24巻 > 第29講

第二節 聖霊のバプテスマ ― キリストにおける神の働き

キリストのバプテスマ

キリストからこの世界に遣わされたキリストの証人の仕事は、キリスト教という宗教を布教することではなく、パウロや内村が言うように、キリストを告げ知らせること、キリストの福音を報知することです。福音とはキリストを告げ知らせる報知です。十字架につけられたイエスが死者の中から復活して、すべての人の救済者キリストとされたことを告げ知らせる報知です(ローマ書一・一〜四)。このキリストとしてのイエスの出来事において神がなされた救済の働きを告げ知らせる報知です。福音を信じるとは、この報知が告げ知らせるキリストにおいて神がなされた働きに自分のすべてを委ねることです。そのキリストは十字架につけられて死なれたイエスが復活して今も生きて働いておられるのです。その姿のキリストを、パウロは「十字架されたキリスト」と呼んでいます(コリントT二・二)。キリストとは復活者です。復活して今も生きているのでなければ、その人格はキリストではありません。世界の歴史には、シャカや孔子などの聖人、ソクラテスやプラトンらの賢人、イザヤやムハンマドらの預言者らが出ました。しかしイエスがキリストであるのは、イエスだけが復活したからです。イエスだけがキリスト、復活者キリストであるのです。しかしそのキリストは十字架の死を身に負っているキリスト、「十字架されたままの姿で現れるキリスト、十字架されたキリスト」なのです。福音はこの「十字架されたキリスト」において神が成し遂げてくださった人間の救済の働き ー 聖書はこの神の働きを「贖い」と呼びます ー を告げ知らせるのです。わたしたち人間、神を認めず神に背いている人間は、そのような者にも無条件に与えられている神の恩恵の働きに身を委ねて、その救いの働きをお受けする他ありません。それが福音を信じること、キリストを信じることなのです。
実はこの「福音とは十字架されたキリストの告知である」という理解は、「福音とは何か」という問いに対する答えを求めて、パウロに学びつつ、わたしが全著作を通じて語り続けてきたことに他なりません。しかしここで洗礼を授けることと対比して福音を告げ知らせることをキリストの証人の使命とした機会に、福音がバプテスマについて告げ知らせている重要な対比を取り上げなければなりません。それは「水のバプテスマ」と「聖霊のバプテスマ」の対比です。正確には「水によるバプテスマ」と「聖霊によるバプテスマ」との対比です。「水のバプテスマ」は旧約の預言者ヨハネの仕事です。それに対してキリストもバプテスマを授けます。しかしキリストが授けるバプテスマはもはや「水のバプテスマ」ではなく、「聖霊のバプテスマ」「聖霊によるバプテスマ」です。キリスト教は「水によるバプテスマ」を洗礼と呼んで、資格のある聖職者が授ける水の洗礼儀礼をキリスト教への改宗を示す儀礼、またはキリスト教会への加入儀礼として重視しました。洗礼を受けていない者は正式にキリスト教会の構成員とは認められません。それに対してキリストが授けるバプテスマは「聖霊によるバプテスマ」です。福音を告知するキリストの証人は、このキリストが与える「聖霊のバプテスマ」を告知しなければなりません。
キリストが授けるバプテスマはもはや「水のバプテスマ」ではなく、「聖霊のバプテスマ」であることは、四つの福音書がみな強調しています。地上のイエスは弟子たちに水のバプテスマについては、もはや何も語られなかったことは先に見ました。それに対してキリストが「聖霊によってバプテスマされる」ことは、四つの福音書に繰り返して証言されています。まず共観福音書の中で最初に書かれてマタイとルカの基礎となったとされるマルコ福音書では、その冒頭に洗礼者ヨハネの証言として、「わたしよりも力ある方が、わたしのすぐあとに来られる。かがんで、その方の履き物の紐を解く値打ちすら、わたしにはない。わたしは水でバプテスマしたにすぎないが、その方は聖霊によってバプテスマされるからである」と語られています(マルコ一・七〜八 私訳)。キリストとしてのイエスの働きを宣べ伝えるために「福音書」を書いたマルコ(一・一)は、洗礼者ヨハネとキリストとしてのイエスの対比を、このバプテスマの違いだけに絞って伝えています。イエスは復活してキリストとされる方ですから、いかに優れた預言者であるヨハネよりも、比較を絶して「力ある方」なのです。その差がバプテスマの種類によって強調されています。マタイ(三・一〜一二)とルカ(三・一〜二〇)も洗礼者ヨハネの言葉を伝えていますが、預言者としてのヨハネがその時代のユダヤ人たちに告げた悔い改めの行為について具体的に報告し、神の審判が近づいていることを、「斧はすでに木の根元に置かれている」という表現で伝えています。おそらくヨハネは神の最終審判を「火でバプテスマされる」と表現したのでしょうが、同時にそれをマルコの「聖霊によるバプテスマ」の証言と一致させるために、火を聖霊のシンボルとして用い、「聖霊と火でバプテスマされる」と語ったとしています。
おそらく三〇歳代であったペトロたち十二人の弟子たちよりずっと若い弟子、おそらく一〇歳代半ばの若さであったと推察される弟子のヨハネは、その晩年に『ヨハネによる福音書』を書く(または彼が指導する信仰共同体から生み出す)ことになります。彼は洗礼者ヨハネの運動の中でイエスを知りその弟子となったので、イエスが洗礼者ヨハネのバプテスマ運動の中から出て独自の「神の国」運動を開始された事情に詳しく、その間の消息をヨハネ福音書の一〜二章で詳しく報告しています。それによると洗礼者ヨハネはイエスを指差して、「見よ、世の罪を負う神の小羊」と言い、「その人こそ聖霊によってバプテスマする方である」と証言しています(ヨハネ一・二九〜三四)。この二点、すなわち「十字架されたキリスト」と「聖霊によってバプテスマするキリスト」は、キリストから世に遣わされた証人が告知すべき内容を見事に要約しています。マルコ福音書(およびマタイとルカ)とヨハネ福音書は、揃って冒頭で水でバプテスマしたヨハネのバプテスマとの対比で、ヨハネの後に現れるキリストが聖霊によってバプテスマする方であることを証言し、その後福音書の全体で十字架されて世の罪を負って取り除くキリストを語っています。この二点を伝えることこそ、福音の内容です。キリストはわたしたちの罪を取り除くために十字架につけられ、死んで復活して今も生きて働き、ご自分を信じてその全存在を委ねる者に、聖霊によるバプテスマを与えて、その人を神の支配の中に入れてくださるのです。
ところが、世界をこのイエス・キリストに導く組織として地上に置かれているはずのキリスト教会は、水でバプテスマを施して、水のバプテスマを受けた者を教会員としていますが、教会の主であるキリストが行われるバプテスマ、すなわち聖霊によるバプテスマについては、ほとんど何も語らず、キリストを求める者に聖霊によるバプテスマに至らせようとする努力をしていません。異教の人が水のバプテスマを受けたことで、その人はキリスト教に改宗し、キリスト教会の一員になったとして満足しています。キリスト教会の活動は、キリスト教が唯一真正の宗教であることを教えて、異教徒をキリスト教に改宗させ、水の洗礼儀式を授けて、異教の人をキリスト教会の会員として、その人数を誇っています。しかし、その洗礼が水のバプテスマにとどまっている限り、キリスト教会が授ける洗礼は、洗礼者ヨハネのバプテスマに過ぎないのではないでしょうか。キリスト教会の各派は、自己のキリスト教を絶対化して、その教派の洗礼と聖餐の儀礼にあずかり、その教派の信条を告白し、その教会の規定を順守する者でなければ、神の民として認めない傾向が強くありました。その教会の中で、聖霊の導きを受けて、キリストと合わせられて生きるゆえに、少しでも教会の儀礼の形式化の批判や、その信条の言葉と違う表現を用いる者を「異端」として迫害してきたのではないでしょうか。本書の第四章でキリスト教の歴史を扱い、そのような現実のキリスト教会と、聖霊に導かれてキリストに合わせられて生きようとする人たちとの間の軋轢を見てきました。
内村が「洗礼を受けなくても、すなわちキリスト教会の外にいても、キリストを信じてキリストと共に生きることができる」と主張した時、内村が不要としたのはもちろん水の洗礼です。その洗礼廃止論で内村自身が言っているように、無教会キリスト教の実行のためには、「霊の力のみに頼り」キリスト信仰の実現を期さなければならなかったのです。それをするために、水の洗礼に代えて、新約聖書が明確に主張しているように、「聖霊のバプテスマ」を主張すべきであったのです。内村は自分を聖書の言葉に全存在的に投入することによって、実質的に聖霊の導きにあずかり、「神の霊に導かれている者は、みな神の子である」(ローマ書八・一四)という言葉を実証していました。しかし、その御霊による信仰の現実を与えるのが、キリストの働きとしての「聖霊のバプテスマ」であることを、明確にすることができませんでした。これは時代の制約でしょうか。それを「聖霊のバプテスマ」による復活者キリストの働きとして、福音告知の内容とするには、次の時代を待たなければならなかったようです。

ペンテコステ運動の進展

 ちょうど内村が無教会キリスト教の実現のために日本で活動を進めていたその時期、すなわち一九〇〇年から一九三〇年にかけての二十世紀初頭に、アメリカで別の形の聖霊運動が始まっていました。先に見たように、真のキリスト教の探求のためにアメリカに留学した内村は、アメリカでキリスト教の精髄である十字架信仰への回心に導かれると同時に、キリスト教国アメリカでの拝金主義と人種差別という世俗性に幻滅し、激しいアメリカ批判を繰り広げていました。アメリカはその建国の経緯から、急進的な宗教改革の担い手であるピューリタンの信仰的伝統と、新しい植民地での富の蓄積を追求する世俗性が同居し、両者が時には協力し、時には激しく戦いながら、その歴史を形成して来ました。そのプロテスタンティズムの信仰が資本主義体制を促進した面は、マックス・ウエーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の実現とも見られる節もありますが、両者の対立はアメリカにしばしば起こった「大覚醒運動」、いわゆるリバイバル運動に見られます。富の蓄積に走るアメリカ社会の世俗化の現状に危機感を抱いたキリスト教会から、教会内のピューリタン的信仰やウエスレーの信仰覚醒の伝統を受け継ぐ霊的な教会指導者が出て、大規模の説教活動を展開、市民を本来の信仰に引き戻そうとして活躍します。この両面の対立が激しくなって、キリスト教信仰の原理から奴隷制に反対するリンカーン率いる北部と、資本主義による富の蓄積を求めて奴隷制に固執する南部が戦う南北戦争という内戦になり、禁酒法という挿話ともなります(本書一〇八頁以下の「アメリカにおけるキリスト教」の項を参照)。
このような大覚醒運動の歴史的背景があるアメリカにおいて、第一次世界大戦が起こった二十世紀初頭に、動揺するキリスト教世界に再び大覚醒運動を起こすために、キリストにあって神の働きに身を委ねて福音を証言しようとする人々が、それをするために上よりの力を求めて祈りを深めます。その祈りの根拠になったのが、使徒言行録の一章から二章にかけて報告されているペンテコステの日の出来事です。イエスが十字架につけられて死なれた後、エルサレムにおいて、また戻ったガリラヤにおいて復活されたイエスに出会うという体験をした弟子たちは、この復活されたイエスこそ世を救う救済者キリストであると確信し、それを神の民として選ばれているユダヤ人に告知しようとして、エルサレムに上ります(弟子たちが復活者イエスと出会った体験と、それを証言するためにエルサレムに上ったことについては、拙著『福音の史的展開T』四七頁以下の「序章 復活者イエスの顕現」を参照してください)。
イエスが十字架にかけられた春の過越祭から五〇日目のペンテコステ(五〇の意)の祭を前にして、弟子たちは復活されたイエスから「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは間もなく聖霊によるバプテスマを授けられるからである」と命じられます(使徒一・四〜五)。このイエスのお言葉から、「聖霊によるバプテスマ」はヨハネの「水のバプテスマ」との対比で、生前のイエスが弟子たちに繰り返し「父の約束」として語っておられたことが分かります(ルカ一一・一三)。イエスの命令に従って、エルサレムのある家の広間に集まって祈っていた弟子たちの集団に、聖霊が炎のように降って各人の上に留まり、弟子たちは「聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、ほかの国の言葉で話しだした」という出来事が起こります。アラム語しか知らないユダヤ人が地中海世界の各地から集まって来ている諸国民の言葉で神の大いなる働きを賛美しているという不思議な現象に驚いて集まって来た群衆に向かって、ペトロは立ち上がり、上から受けた聖霊の力によって大胆に、「あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は復活させてキリストとされたのだ。われわれはその証人である」と声をあげます。
このようなペンテコステの日の聖霊体験と証の力を求めて、一九〇一年にカンザス州トピカの聖書学院で祈っていたメソディストやホーリネス教会のグループに、聖霊が降り異言で神を賛美しだします。指導者のバーハムはテキサス州のヒューストンに聖書学院を移して運動を続けます。そこの学生であったシーモアがロスアンジェルスのアズサ街で集会を開きますが、その聴衆に「聖霊のバプテスマ」体験をして、エクスタシーの状態で異言を語る者が続出します。このようなリバイバル運動が三年も続き、それを新聞が報じるなどして広まり、カナダやイギリスなど外国からも参加者が増え、このペンテコステ運動が全米と世界に広がります。一九一四年には「聖霊のバプテスマ」と異言を重視するアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団が生まれたのを皮切りに、以後全米と世界の各地にペンテコステ的信仰体験を掲げる教団が生まれるようになります。ルター教会を国教とする北欧諸国にも、ルター教会から別れたペンテコステ教会が活動を始めるようになります。
このような聖霊体験を重視するペンテコステ運動は、その運動でキリストを信じた人たちを組織して、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団(以下アッセンブリーズ教団と略称)とかユナイテッド・ペンテコステ教会などの新しい教団とか教会が形成されるようになります。しかし、このようなペンテコステ的な聖霊体験は単に新しい教団とか教派教会を生み出しただけでなく、さらに広く伝統的な既成のキリスト教会に波及していきます。ペンテコステ教会は、その聖霊体験をキリストが与える「聖霊のバプテスマ」とし、異言をその「聖霊のバプテスマ」のしるしとして重視しました。しかし異言は、パウロが教えるところでは、聖霊の働きとか現れの一つであり、しかも御霊の様々な賜物《カリスマ》を数え上げるとき、最後に出てくる賜物です(コリントT一二・四〜一一)。それで聖霊の注ぎを重視する聖霊運動は、異言だけでなく預言や病気のいやしや奇跡を行う力などの「カリスマ」(聖霊の能力、賜物)を追求する「カリスマ運動」となって、ペンテコステ教会だけでなく、教派の枠を超えてプロテスタント諸教会から聖公会、WCC加盟のエキュメニカル諸教会、そしてカトリック教会にまで浸透していきます。

ペンテコステ運動の限界

このようなキリスト教会全般に拡がった聖霊運動は、聖霊体験をした教職者や信徒が、その教会の中に留まりながら、内側から形式化した教会を改革する運動となっていきます。考えてみると、キリスト教の歴史は、本書の第四章で見たように、このような聖霊運動による内側からの改革の力と、既成の伝統的・体制的教会制度を維持しようとする力の相克の歴史であったと言えます。たとえば、二世紀には霊感を受けてエクスタシー状態で預言した女性預言者の預言を、モンタノスがキリスト来臨の預言として一派を起こし、当時の大神学者のテリトリアヌスまで引きつけていますが、主教たちの公会議で異端として退けられます。四世紀には公会議で異端とされたネストリウス派は、地の果てまでキリストを証言する霊の力に満たされ、ペルシャから遠く中国にまで福音を宣べ伝えています。中世のカトリック教会にもエックハルトのように、霊性の深みに沈潜して直接神との神秘的合一を追求し、教会から異端の宣告を受けた者もいます。例をあげれば切りがありませんが、本書第四章(六七頁以下)で「改革への胎動」としてあげました運動、たとえば東方キリスト教のパウロ派、ボゴミル派、アトスの静寂主義、西方キリスト教のカタリ派、ワルドー派、フス派などは何らかの形で聖霊による霊感を受けて進められた改革運動です。宗教改革自体も、聖霊によるパウロの「信仰による義」の再発見によるカトリック教会体制の改革に他なりません。また、宗教改革後も、再洗礼派やピューリタン各派、アメリカの大覚醒運動なども聖霊運動の現れであると見られます。
体制的教会は、聖霊による改革の動きを、大抵は異端のレッテルを貼って弾圧しました。確立した制度や教義を打ち破って霊的生命を噴出させようとした聖霊運動やカリスマ運動には、時代の枠を超えた行き過ぎや過ちもあったことでしょうが、コンスタンティヌス体制の枠の中にあった体制的キリスト教はそれらの諸改革を異端として抑圧、その体制を維持してきました。その中で二十世紀のペンテコステ運動は、新しくペンテコステ教会を生み出しました。そして既成の伝統的教会に入ってカリスマ運動、あるいは聖霊運動として教会改革の原動力となってきました。しかし、それらの運動は教会を活性化しましたが、何らかの社会的制約ないし教会的抑圧を受けて体制の枠組みの外には出ることはできませんでした。その中で日本の内村は、洗礼を不要とすることでコンスタンティヌス体制のキリスト教そのものから一歩外へ踏み出したのです。キリスト教の外でキリストの福音を宣べ伝え、異教の中にいる日本人をキリスト信仰に導いたのです。水のバプテスマを不要とし、キリスト教の外に出た無教会キリスト教こそ、キリストが授けるバプテスマ、すなわち聖霊のバプテスマを宣べ伝える場ではなかったでしょうか。しかし内村の時代ではまだペンテコステ運動は始まったばかりで、内村は不要とした「水のバプテスマ」に代わって、「聖霊のバプテスマ」をキリストの福音の本質的な部分であるとして宣べ伝えるには至っていませんでした。
この日本にもペンテコステ運動の波は比較的早く届きました。前述した一九一〇年以前のロスアンジェルスのアズサ・ストリート・リバイバルの近辺には日本人移民も多く、一九一〇年代には早くも聖霊のバプテスマ体験をしたアメリカ人宣教師が来日して、ペンテコステ教会を名乗り活動しています。一九一四年に結成されたアッセンブリーズ教団の宣教師も日本で活動を始めており、後に(一九四九年に)発足する日本アッセンブリーズ教団の総理になる弓山喜代馬もその活動に加わっています。アメリカではすでにキリスト信者である人たちが受けた聖霊体験ですから、「聖霊のバプテスマ」は信仰に入った時の新生体験とは別に、信者に宣教の力を与えるための体験であり、異言がそのしるしであるとして、それを教団の教義の中心に置いています。日本の他のペンテコステ派の教団や教会もほぼ同じような信条を特色としています。
これらのペンテコステ派教会は聖書信仰に立つ保守派のプロテスタンティズム(純福音派とも呼ばれます)に属しますが、その聖書信仰は現代の歴史的・批判的研究を認めず、聖書の逐語霊感説に立って、聖書の文言を字句通りに信じることを求めます。その信条は、たとえば六日間の天地創造、イエスの処女降誕と神性、神癒、水の洗礼と聖餐の順守、キリストの再臨、信者の復活・携挙、再臨後のキリストの千年統治、最後の審判などの文字通りの信仰を求めています。実は本書の著者(市川)も京都大学法学部在学中にペンテコステ派のフィンランド宣教師の伝道集会で始めてキリストの福音に接し、生まれて初めて聖書を読み出した一人です(宣教師たちの福音を伝えるための献身と情熱と苦労については感謝あるのみです)。その後、学部と大学院時代の数年にわたり、その宣教師集会で求道と福音活動に協力しながら、大学では文学部哲学科のキリスト教学科(有賀鐵太郎教授)で聴講生として聖書学と神学の手ほどき的な指導を受けました。聖書を読み始めてからは、日本語で書かれた聖書理解の手引きとして、内村鑑三やその弟子たちの著作を読み漁り、内村の独立伝道の生涯に強く惹かれていました。数年の内的煩悶を経て遂に、大学院時代に受けた聖霊のバプテスマとされる体験の中で、復活のキリストを証言する力を与えられたと確信するに至った時、生涯をこの復活のキリストの証言に捧げる決意を固めました。始めはアメリカのペンテコステ系のミッションボードの援助やフィンランド宣教師団の手伝いなどをしていましたが、それらの働きの中で体験した欧米のキリスト教の体質に、日本の宗教文化への根深い偏見と蔑視を感じて、初期の内村の宣教師との対立を共感せざるをえませんでした。とくにペンテコステ派のキリスト教の逐語霊感説からくる原理主義的な傾向を克服する必要を痛感するに至りました(宗教における原理主義の克服については、拙著『福音の史的展開U』七一七頁を参照してください)。
自分のような小さい器が、内村のように大きな独立伝道の生涯を貫くことは夢のような憧れでしたが、向こう見ずの独立自給の伝道活動に乗り出し、かたわらこの「福音とは何か」という問いに生涯をかけて答えを見出すべく、福音を証言する書として新約聖書を研究し始めました。その成果は、やっと八十数歳にして刊行した『市川喜一著作集』にまとめることになります。とくに新約聖書の各文書の研究をまとめて統合した晩年の著作『福音の史的展開』において「宗教相対主義」の結論に到達、キリストの福音こそ世界の諸宗教を相対化することで、人間がそれを土台として生きるべき唯一の普遍的で絶対的な基礎となるべきであることを明らかにしたのではないかと思います。本書『福音と宗教』はこの結論から、現実の世界の宗教史を見ようとした小さい試みです。

恩恵の賜物としての「聖霊のバプテスマ」

ここで「聖霊のバプテスマは、信じてキリストに合わせられる者すべてに与えられる神の賜物です」と書きましたが、この「神の賜物」については特筆大書しなければなりません。神とはわたしたちを存在させている働きですが、その神が主イエス・キリストにあって成し遂げられた贖いの働きによって、わたしたち背く者を無条件に受け入れて、聖霊を内に与えて神の子としてくださるという出来事、すなわち聖霊によるバプテスマを宣べ伝えるのが福音です。この出来事の全体は、わたしたち背く者をも愛してやまない神の無条件の恩恵の働きです。「賜物」というのは無代価・無条件で与えられる良いものです。わたしたちの働きの代価として、わたしたちが何か価値あるものを提供したから、その対価として与えられるものは、賜物ではなく報酬です。聖霊による人間の実質的な救済の出来事は、わたしたちを存在させている働きそのものが、わたしたち人間の価値ある働きの報酬としてではなく、受ける側の状況とか価値に全然関係なく、無条件に与えてくださるものです。神はこの聖霊のバプテスマ、聖霊の働きによってわたしたちを解放、変容、完成するという救いの働きを、無代価で与えてくださるのです。相手の価値とか状況に絶してすることを「絶対」と言いますと、神は絶対的な働きをなさる方です。イエスはこれを「父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる」方であると言われました(マタイ五・四五)。
それを受けるに値しない相手に無条件によいものを与える行為を「恵み」「恩恵」といいます。新約聖書はこれを《カリス》と呼んでいます。パウロはこの《カリス》を繰り返し用いて、キリストにおける神の働きを述べています。それでパウロは恩恵の使徒と呼ばれます。ローマ書の全体は、このキリストにおける神の恩恵の働きを記述しています。パウロの福音をまとめた弟子の一人は、「あなたがたは、恩恵により、信仰によって救われました」と書いています(エフェソ二・八)。恩恵を恩恵として無条件にお受けするのが信仰です。パウロが「信仰によって」と言っているところは、恩恵を恩恵として無条件に受け取っている人間の姿を指しています。恩恵と信仰は、同じ事態を与える側と受ける側の両面から見た表現です。ヨハネは、この恩恵《カリス》が出てくる源泉として神の愛《アガペー》という語をよく用いています。《アガペー》はそれが発する生命の源泉、《カリス》は愛が行為に現れる現れ方を指しているようです。パウロももちろん《カリス》を語る中で《アガペー》を力強く語っています(ローマ五・五、五・八、八・三一以下)。福音はキリストにおけるこの神の愛と恩恵を告知するので、単なる知らせではなく、「喜びの告知、福音」なのです。
福音とは「恩恵の支配」の告知です。イエスは「神の国」を宣べ伝えられた、と福音書は報告しています。「神の国」という表現は「神の支配」とも訳せます。新約聖書の用語では、神の《バシレイア》(王としての支配)を宣べ伝えたと表現されています(たとえばマタイ四・二三)。洗礼者ヨハネは神の支配の切迫を宣べ伝えましたが、それは神の審判の切迫でした。イエスも「神の支配」という表現を踏襲されましたが、イエスが宣べ伝えた「神の支配」は、実際には「恩恵の支配」でした。「山上の垂訓」と呼ばれている説教(マタイ五〜七章)も、その中身は「恩恵の支配」の告知であり、神の恩恵の中に生きる者の姿の告白であったのです(拙著『マタイによる御国の福音 ー 「山上の説教」講解』を参照)。それは最初の一句、「あなたたち、貧しい者は幸いである。神の国はあなたたちのものだからである」によく示されています。これは、宗教的に、また社会的・道徳的に何の資格もない者たちにこそ、神の国という至高の幸いが与えられているのだという宣言です。イエスは、当時のユダヤ教社会でユダヤ教の宗教規定(律法)を守ることができなくて「罪人」と呼ばれている人たちの仲間になって(マタイ九・一一)、ガリラヤの各地を巡って恩恵の支配の福音を告げ知らされたのです(ルカ四・四三)。
イエスは神を父としてその無条件絶対の恩恵の中に生き、父の恩恵が神と人間の関わりの根底であることを知っておられたので、ユダヤ教の宗教規定をどれだけ守っているかは無視することができたのです。すなわち、ユダヤ教を相対化することができたのです。ユダヤ教の順守にもっとも熱心だったパウロも、十字架・復活のキリストに出会ったあのダマスコ体験によって、神の無条件絶対の恩恵にひれ伏し、恩恵の中に生きる者となって、この恩恵の支配を世界の諸国民に告げ知らせる使徒となったのです。この恩恵体験によって、パウロもユダヤ教を相対化し、割礼なしの福音を宣べ伝えることができたのです。恩恵の支配が宗教を相対化し、人間を「宗教の軛」、救いの条件となって人間を上から拘束している宗教から解放します。そして福音は恩恵の支配の告知ですから、宗教を相対化する力となり得るのです。