市川喜一著作集 > 第24巻 > 第13講

第三節 疑似宗教の拡大と宗教の過激化

疑似宗教の成立と拡大

現代における世界の世俗化は、二つの深刻な宗教問題を引き起こしました。一つは擬似宗教の成立とその巨大な勢力の拡大、もう一つは本来の宗教の原理主義化と過激化の問題です。
擬似宗教とは、宗教の外で、すなわち世俗の領域での価値を究極的な目標として掲げ、その実現を追求する運動が、その目標を「究極的なもの」として、運動の従事者に無制約的な服従と献身を要求する運動です。そこでは神とか聖典礼というような宗教的用語は用いられませんが、「究極的なもの」に対する無制約的な服従と献身が求められるという点で宗教的な実質をもつ運動です。ティリッヒは現代の擬似宗教の典型としてナショナリズム(民族主義)とコミュニズム(共産主義)の二つをあげています。ナショナリズムはある民族の栄光とか使命を究極的な価値として掲げ、その実現のために民族の成員に無条件の服従と献身を求める運動です。このナショナリズムは近代以降に成立した国民国家、民族国家には大なり小なり程度の差はあっても、民族の自己主張として必然的に伴っていましたが、それが過激化した形態がドイツのナチズムやイタリアのファシズムとなり、戦前の日本の国家神道となって、世界に破壊的な惨禍を引き起こすことになります。もう一つのコミュニズムは階級なき社会を目指す社会主義の急進化・過激化した形態です。ロシアのコミュニズムという擬似宗教は、東方キリスト教の牙城であるロシアからロシア正教を追い出して全土を制圧するに至りました。これらの歴史的事実は、諸宗教にとって擬似宗教がいかに重大な問題であるかを示しています。ティリッヒは「キリスト教と世界諸宗教との出会い」という講演の第一講「現在状況の確認」で、今日の状況で諸宗教が直面している緊急の問題は、他の宗教との対決ではなくて、擬似宗教の攻勢にいかに対処するかの問題であることを強調しています。
擬似宗教は世俗化の産物です。世俗化していないところでは、宗教そのものが支配しているのですから擬似宗教は生まれてきません。近代以降世俗化が進行した国々では、それまで支配的であった宗教の思想や習慣が抑圧として感じられ、それらからの脱却が追求されるようになり、だんだんと宗教自体への無関心が広まります。それと共に、それまで支配的な宗教が土台を提供していた社会の秩序とか安定性が揺らいできます。確かな拠り所のない不安定な社会においても、移ろい行く俗なる世界の中で移ろい行かない永遠なるもの、究極的なものを求めないではおれない人間の本性、ホモ・レリギオーススとしての本性は変わりません。その本性に向かって様々なイデオロギーや思想が、呼びかけ働きかけます。これこそが究極的なものであり、これを追い求めることこそ人生の意味であり目的であると呼びかけます。この目的に無制約的に真剣に自分を献げることが人生の意義を全うすることだ宣言します。こうして神とか他の宗教的用語を使わないで宗教的献身を求める運動が勢力を拡大していき、擬似宗教が生まれます。
擬似宗教は神とか天国とか地獄、その他の神話的用語は使いません。また祭りや儀式は行いません。しかしその社会の文化が提供するあらゆる手段を総動員して自己の主義主張を宣伝して多くの人たちを引きつけ説得しようとします。彼らは折に触れてまたは定期的に祭典を催します。彼らの議事は祭司たる指導者たちの権威を承認する儀式となります。ナチズムではスポーツの大会も民族の祭典となります。彼らはかれらの主張の実現を語る神話を声高に叫びます。彼らの思想は終末論的となります。彼らは粛清や公開裁判で反対者は裁かれることを公示し、思想統制が進みます。

疑似宗教に対する諸宗教の対応

 このような擬似宗教の拡大に対して既成の宗教はどのように対処したのでしょうか。このテーマは詳論するにはあまりにも巨大であるので、代表的な事例を瞥見するにとどめます。二〇世紀には、ティリッヒが指摘したように、二つの擬似宗教が世界に衝撃を与え、歴史の流れを大きく変えました。すなわち、社会主義が過激化したコミュニズム(共産主義)と民族主義が過激化したファシズム(ドイツのナチズムや日本の国家神道など)です。
 二〇世紀最初の世界史的大事件となる第一次世界大戦の時に起こったロシア革命によって、ロマノフ王朝の支配は崩壊し、共産党一党独裁のソヴィエト連邦が成立します。この革命に至る過程で、それまでロシアの社会的精神的基盤とされていたロシア正教は、ユダヤ人マルクスがユダヤ教終末論を世俗社会の階級なき社会という理念に置き換えたコミュニズムという擬似宗教が持つ巨大なエネルギーに立ち向かうことはできませんでした。東方キリスト教の主流であるギリシア正教の正統の後継者であることを誇るロシア正教は、独特の深い神秘主義的思想をたたえる宗教でしたが、儀礼的でサクラメンタルな面が強く、静的な体制宗教となっており、社会的改革に向う姿勢も力も持っていませんでした。このような宗教は、コミュニズムという擬似宗教が当時の民衆の苦悩という状況から吸い上げた巨大なエネルギーに立ち向かうことは到底できませんでした。ロシアはコミュニズムが支配する国となり、コミュニズムという擬似宗教がロシアからロシア正教を追い出したのは、昔イスラム教がビザンチン帝国の東部からギリシア正教を追い出した歴史に比べられます。その革命の余波は貧困に苦しむ世界に大きな影響を及ぼし、その革命に対抗する陣営と世界を二分する結果となり、第二次世界大戦後にはいわゆる東西冷戦の時代をもたらします。
社会主義が過激化した形態であるコミュニズム(共産主義)という擬似宗教は、ロシアでは成功しましたが、ローマカトリックのキリスト教とプロテスタントキリスト教が確立しているヨーロッパでは成功しませんでした。第二次世界大戦後の一時期、ロシア共産党がその軍事力によって東ヨーロッパを政治的に支配することに成功しましたが、その宗教的基盤を崩すことはできませんでした。キリスト教のヨーロッパは社会主義の理念は受け入れましたが(両大戦間の時代にはヨーロッパに宗教社会主義の運動が起こりました)、コミュニズムは拒否することになります。ヨーロッパは別の擬似宗教、すなわちナチズムに代表される民族主義の過激化した形態の擬似宗教との戦いを余儀なくされます。
ナチズムはヒトラーのアーリア至上の異様な民族主義理念が過激化して、その巧みな扇動によって権力を得て悪霊化した擬似宗教です。このナチズムという擬似宗教に対してドイツのキリスト教会はどのように対処したのか、この仕方が擬似宗教に対する宗教のあり方の典型的なケースを示しています。ナチズムの台頭によってドイツの教会(正確にはプロテスタント教会)は二分されます。一九三三年にヒトラーが首相の座に就き権力を掌握してから一九四五年にナチス政権が崩壊するまで、ドイツのプロテスタント教会はヒトラーに迎合する「ドイツキリスト者」の運動と、ヒトラーを厳しく批判する「告白教会」に二分されます。首相になったヒトラーは当初は教会に対して宥和的な態度を取りますが、教会を自分の政策に取り込むために、ドイツキリスト者の運動を介して教会の組織に干渉してきます。それまでの領邦教会を一元化して帝国教会を組織化し、意にかなったミュラーを総監督に任命し、教会を意のままにコントロールしようとします。それに対して、ナチズムの危険を見抜いたキリスト者たちは、世界の主はイエス・キリストだけであるとして、ヒトラーに対抗する告白教会の運動を組織します。そして一九三四年にバルメンで第一回の総会を開き、六条からなる信仰告白的な神学宣言、バルメン宣言を発します(正式名は「ドイツ福音主義教会の現状に関する神学的宣言」)。この宣言の主要な起草者はカール・バルトです。ドイツキリスト者運動がヒトラーに迎合することができたのは、ルターの二王国説(神は教会と国家という二つの別の王国にそれぞれ別の支配権を与えたという説)に基づいて、国家権力に従う根拠にしたからであると考えられますが、カルヴァンの流れを汲む改革派の神学者バルトは、徹底的に神の啓示だけに従うべきことを説いてこの宣言を起草します。このヒトラーに対するドイツのプロテスタント教会の闘争は「ドイツ教会闘争」と呼ばれ、二〇世紀の擬似宗教に対するキリスト教からの批判抵抗運動の典型として、キリスト教史の貴重な一幕となります。

ドイツ教会闘争については、本書181頁の第二節のバルトの節と206頁の第三節のボンヘッファーの節を参照してください。とくにそこで挙げた、ナチズムの研究者である政治学者でドイツ神学にも造詣の深い宮田光雄教授の諸著作を参照してください。

自由主義的ヒューマニズムの普遍性と脆弱性

ファシズムの全体主義国家に対抗して戦った欧米諸国の連合国側の理念は自由の擁護でした。共産主義を敵として同盟したファシズム三国(日独伊)に対してソ連も連合国側に加わり、第二次世界大戦を戦いました。一九四五年にこの大戦が終わるまでの二〇世紀前半は、民族主義の過激化した形態であるファシズムという擬似宗教との戦いの時代となりました。その大戦に勝利した連合国側は、全体主義的な東側の共産主義陣営と自由主義的な西側諸国が対立して、二〇世紀後半は東西両陣営の冷戦時代を迎えます。
東側陣営のコミュニズムという擬似宗教化したイデオロギーに対して、西側陣営はどのような理念とかイデオロギーをもってこの冷戦を戦ったのでしょうか。それはもはやキリスト教という宗教ではありませんでした。東側陣営は核兵器という究極兵器さえもつ軍事大国ソ連を盟主とし、その支配下にある東ヨーロッパ諸国の陣営です。その力に対抗するには共通の理念で結合した諸国家の連合でなければなりません。西側陣営は、世界最強の経済力と核兵器を含む軍事力をもつアメリカを盟主とし、共通のイデオロギーないし理念をもつ西ヨーロッパ諸国の連合となります。その共通の理念は自由主義と個人の尊厳の無限価値と平等です。これらの理念は確かにキリスト教によって培われたものですが、啓蒙主義の圧倒的影響力のもとで世俗化し、政教分離が徹底した近代以降の欧米では、世俗的領域での価値についての理念でなければ、多くの世俗国家を結合する理念とはなりえません。その理念が自由主義(個人と経済における自由)および個人人格の平等と尊厳、いわゆるヒューマニズムの理念です。ティリッヒはこの理念を「自由主義的ヒューマニズム」と呼び、このような世俗領域における価値を究極的なものとして無制約の献身を求める一つの擬似宗教として、ファシズムとコミュニズムに並ぶ第三の擬似宗教としています。
この理念で結合した西側陣営が、東西両陣営の冷戦に勝利します。それは東側陣営がコミュニズムによる全体主義的な独裁政治に疲れ果て、経済的疲弊もあって、民衆の承認を得られなくなって、一戦も交えることなく自滅したからです。その結果、東欧の衛星国諸国も離れ去り、最後に東西冷戦の象徴であったベルリンの壁が一九八九年に崩壊します。その数年後に、ヘーゲルの流れをくむアメリカの政治学者フランシス・フクヤマが「歴史の終り」(一九九二年)を出して、アメリカ流の自由主義の民主主義政体が最終的に勝利して、人類のイデオロギーの闘争史としての歴史が終わったことを宣言しました。確かにその後では社会主義諸国も自由主義的な体制を導入して発展し、民主主義の体裁を標榜するようになり、もはや政体の変革というような大きな衝突や革命はあり得ないようにも思われました。しかしフクヤマは宗教問題が解決していないことの重大性を見落としていたようです。彼の「歴史の終り」の数年後に、彼が師事したこともある政治学者のハンチントンが「文明の衝突」(一九九六年)を出して、宗教の違いが今後の世界の大問題になることを警告したことは象徴的です。

フクヤマは日系二世の牧師の子として生まれた日系三世の政治学者です。フクヤマはヘーゲルのコジェーヴ(ロシアに生まれフランスで活躍した哲学者)による解釈を継承して、歴史を様々なイデオロギーの弁証法的闘争史、承認を求める闘争史と見ています。ヘーゲルは歴史の目的を自由の実現としていました。フクヤマは歴史を民主主義が自己の正当性の承認を求めていく過程とし、それがソヴィエト連邦の崩壊で最後の段階を迎えたのであるから、歴史は終わったとすることになります。フクヤマは、多数の核兵器を所有する軍事大国のソ連が、軍事力で負けたのではなく、世界の承認を求めるイデオロギー闘争で負けたから崩壊したとして、民主主義体制だけが世界の承認を得ることができる体制としています。このような思想から、フクヤマはアメリカではネオコンのイデオローグのように見られることもありましたが、ブッシュ政権にも批判的な発言をして、距離を置いているとも言われています。

ところで一つの擬似宗教としての自由主義ヒューマニズムには、他の擬似宗教には見られない脆弱性があります。他の擬似宗教は民族の栄光とか使命、またはある社会体制を究極的な価値として、その実現のために無制約的な服従と献身を要求ないし強制して、民衆からエネルギーを吸収して巨大な勢力になる可能性があります。ところが自由主義ヒューマニズムはもともと個人の自由を究極的な価値とするのですから、全体として巨大な力になることはありません。それが大きな力となるのは、その理念が外からの攻撃で存立の危機に追い込まれたときです。そのような状況では、自由とか個人の尊厳という理念のためにすべての人が献身し巨大な力となります。しかしその危機が去ると、元のばらばらの個人の集合となり、擬似宗教としての動員力を失います。ティリッヒはソ連に対抗していた時代のアメリカにこのような自由主義理念の擬似宗教的な力を見ていますが、同時にこの種の擬似宗教として自由主義的民主主義が存続したのは歴史上稀であり、短時間のものであったことを指摘しています。

宗教の原理主義化と過激化

ここまでに見たように、二〇世紀の宗教問題は擬似宗教の興隆と拡大が引き起こした諸問題に関するものでした。ところが二一世紀に入ると様相が変ってきます。それを象徴する事件が二一世紀の最初の年に起こります。すなわち二〇〇一年の九月一一日にビンラディンが率いるイスラム過激主義集団のアルカイダが、自由主義世界の牙城ともいうべきニューヨークの世界貿易センタービルを、乗っ取った航空機で爆破した同時多発テロ事件です。このテロ事件に対してアメリカのブッシュ政権はアルカイダに対する武力掃討作戦を発動しました。ブッシュ大統領はその武力行使はテロ集団に対するものであってイスラム宗教に対するものではないことをしばしば強調しましたが、過去に十字軍のトラウマ的な記憶をもち、近代の欧米諸国による植民地支配を恨むイスラム世界は、キリスト教的自由主義世界のチャンピオンとしてのアメリカに根深い敵意を持っていましたので、この武力行使はイスラム世界とキリスト教世界の全面的な衝突に至るのではないかと世界を震撼させました。その後もアメリカは、大量破壊兵器の保有を疑ってイラクに軍を進め、フセイン政権を倒し、イラクに混乱を引き起こしました。すでにそれまでに、アメリカはアフガニスタンでイスラム原理主義武装集団のタリバンと戦ってきていました。
このような衝突はたんに宗教の対立から起こるものでないことは言うまでもありません。人種問題、差別問題、貧困問題、経済問題、政治問題など、実に多くの要素が複雑に絡み合って起こるものです。それがこの事件によって宗教的要素が前面に出てくることになります。すでに二〇世紀の終わり頃(一九九六年)にはサミュエル・ハンチントンの「文明の衝突」が出て、世界は宗教の違いから生じる諸文明間の対立と衝突の予感を持っていました。世界は、この事件が文明の衝突、宗教戦争、世界大戦の火付け役になるのではないかと震えあがりました。しかしそのような破滅的な結果になるには、現代の破壊技術があまりにも進みすぎていることがブレーキをかけたのでしょうか、そこまでは行きませんでした。しかし、九・一一事件が前面に引き出した世界紛争の宗教的な要素は、この世紀が進むにつれてますます強く出てくるようになりました。それは最近二〇一〇年代の「イスラム国」の問題に典型的に現れています。イスラム国を名乗るイスラム過激主義武装集団は、イスラム宗教とイスラム法だけが支配する国家の樹立を目指して、その目的に抵抗するいかなる勢力も殲滅するのに手段を選ばず、暴力(軍事力)を振るっています。戦争、虐殺、無差別テロ、誘拐など、その残虐さは世界を震撼させています。このイスラム国の姿は現代における宗教の過激化の行き着いた姿であり、われわれに宗教の原理主義化、過激化の問題を真剣に考えさせます。
現代の世界の混乱の根源はパレスチナ問題である、とよく言われてきました。すなわち、世界に離散して迫害されてきたユダヤ人が、第二次世界大戦後にパレスチナこそわれわれの土地であるとして、先住のアラブ系住民を追い出してユダヤ人の国家「イスラエル」を建国したことから、アラブ系のイスラム諸国がユダヤ人を宿敵として対立し、ユダヤ人の後楯となった欧米キリスト教諸国、とくにアメリカと対立するようになった問題です。実はこれも宗教問題でした。ヨーロッパでポグロムやホロコーストというような民族虐殺の悲運を体験した離散のユダヤ人は、政治的に独立した祖国をもつことが悲願でしたが、それはなにもパレスチナでなくてもよいという思想もあり、離散の状態でもよいという考えさえありました。しかし、ユダヤ人の宗教聖典である聖書にカナンの地(パレスチナ)こそ神がユダヤ人のものだと約束されたのだからとして、パレスチナでの祖国建設を主張する原理主義的なシオニズムが主導的となり「イスラエル」国の建国となりました。そしてイスラエルを支援するアメリカの政権も聖書を文字通りに信じる原理主義的な宗教保守派に支えられている面があって、パレスチナ問題も宗教問題である色彩が強くあります。
このように現代世界の混乱には宗教的な要素が色濃く出てきましたが、逆説的に聞こえますが、これは現代世界の世俗化の産物であると言えます。世俗化の趨勢に対して宗教は防衛の態勢を取ります。この防衛の仕方に二通りの仕方があることを先に見ました(本書三二三頁)。そのうちの一つの信仰復興運動は、それが真に霊的なものであれば、その宗教の改革運動として宗教自体の活力の復興として歓迎すべきものになりますが、宗教はもう一つの方向に向かいがちです。すなわち、宗教の原理や媒体の強調ないしは強制の方向です。宗教がその祭儀や教理信条を絶対化して、その順守を強要する方向です。外からの攻撃に対して防御する側は、体制維持のために強制的になる傾向があります。宗教は世俗化の攻勢に対して、自己の宗教としての原理(祭儀や教理など)を絶対化して、その成員に強制します。これが宗教の原理主義化です。聖典をもつ宗教では、その聖典を字句通りに解釈して従うことを要求します。祭儀中心の宗教ではその祭儀の忠実な執行を求めます。このように原理主義化した宗教は、当然他の宗教に対して不寛容となり、その宗教に反するあらゆるものに対して闘争的となり破壊的となります。
このように原理主義化した宗教が、その宗教原理に熱心なあまり、宗教の限界を超えて手段を選ばなくなり、暴力に訴えたり権力と合体するまでになるとき、宗教の過激化が起こります。この宗教の過激化から起こる悲劇を歴史は繰り返し見てきました。一世紀のユダヤ教の「熱心党」は、ユダヤ教律法だけが支配する体制を求めて異教の支配者ローマと武力をもって戦い、その結果国を滅ぼしました。宗教改革の時代に千年王国主義のキリスト教原理主義集団は過激化して、当時のヨーロッパのキリスト教世界に多くの宗教戦争を引き起こしました。先に見たとおり、二〇世紀の擬似宗教は過激化して世界に悲惨な大戦を引き起こしました。世俗化して経済一辺倒になっていた大戦後の日本でも、オウム真理教という新興宗教が武装してテロに訴えるという事件が起こり、過激化した宗教の恐ろしさを印象づけました。現代ではイスラム世界の一部の原理主義集団が過激化して、アルカイダやイスラム国の運動となって、世界に暴力の恐怖を撒き散らすことになります。 現代の過激化した宗教は世俗世界で極度に発達した諸技術(インターネットなど)を駆使してその過激化した宗教思想と恐怖を撒き散らしています。
このように世俗化が宗教を原理主義化し過激化する面がありますが、同時に原理主義化し過激化した宗教が世俗世界を原理主義化するという一面もあるようです。二〇一五年一月にパリの週刊誌シャルリー・エプド社がイスラム過激派集団に襲撃されるというテロ事件が起こり、フランス社会に衝撃が走り、国の存立の基盤である自由を脅かす事件として、大統領をはじめヨーロッパの多くの指導者が先頭に立って、パリで空前の規模の反テロのデモが行われました。これは象徴的な出来事でした。これは自由の砦をもって自任するフランスが、自由を法律で(=権力で)規制する方向に踏み出すことを示しているからです。これはまさに自由という理念の原理主義化です。最近の時事問題を扱っている雑誌が、このような状況を「西欧とイスラム ー 原理主義の衝突」という表題で取り上げています。
世界の世俗化は、これまで宗教の魔的な拘束から人間を解放し、宗教の枠から脱した場で人間として交流することができる場を提供するとして、積極的に理解されてきました。ティリッヒも「あらゆる現存の宗教に対する世俗主義の攻撃は、もはや純粋に否定的なものではなく、人類を宗教的に一つにしようとする運命がたどる間接的な道として理解されることもできます。人類の大部分の世俗化が、人類の宗教的な変貌に向かう道になりうるという希望さえもちえます」と言っていました。しかしここで見たように、世俗化が擬似宗教を生み出し、宗教を原理主義化し過激化する側面もあるとすれば、世俗化を手放しで喜ぶことはできず、宗教が宗教として健全に機能するように、すなわち宗教の回復を図らなければならないことになります。しかしこれも先に見たように、体制的な宗教、媒体としての宗教を回復しても、それは世俗化から生じる現代の宗教問題を克服する道にはなりえないのです。われわれ現代の人間は、世俗化と宗教の支配との間に別の道を探らなければならないのです。その道として次節で本書の主張として「宗教相対主義」の道を提唱することになります。