市川喜一著作集 > 第24巻 福音と宗教U > 第12講

第二節 世俗化の問題

はじめに

 近代の宗教学は、宗教とは聖と俗との対立の場で、人間が俗なる世界でそれを超える異常なものである「聖なるもの」を経験して、その「聖なるもの」の経験を表現し、維持し、体制化する営みであることを明らかにしました。この「聖なるもの」は、オットーが明らかにしたように、人間を「畏怖させるが同時に惹きつけてやまない神秘」として人間を圧倒してきました。聖と俗はたんなる相違とか区別ではなく、対立でもあります。すなわち、互いに反発しあう異質な力であり、人間はこの二つの相反する方向に働く力の間で、その歴史を形成してきました。人間が人間としての歴史を歩み始めた最初期、すなわち原始の時代では、「聖なるもの」の力が圧倒的で、人間のすべての生活が宗教でした。それが古代、中世、近代と時代が下がるに従って、「聖なるもの」が支配する領域は狭められ、「俗なるもの」が支配する領域が広げられていきます。それでも近代においてもなお、「人類の歴史は宗教の歴史である」(ゼーデルブロム)と言うこともできました。ところが現代に至ると、世界は急速に「聖なるもの」を見失い、「俗なるもの」の原理と力が支配するように、すなわち世俗化されたように見えるに至りました。これが人類の歴史の基本的な潮流、不可避の運命であるという見方もできます。人類の歴史は世俗化の歴史であるとも言えるかもしれません。しかし、このような世俗化こそが人間にとって問題であると意識するところに、ホモ・レリギオーススとしての人間、宗教しないではおれない人間の姿があるのだとも言えます。この「第二節 世俗化の問題」では、世俗化の事実こそが現代の宗教問題であるということの意義を掘り下げてみたいと思いますが、その前に近代以後の世俗化の歴史についてその概略を見ておきたいと思います。

現代の「世俗化」にいたる歴史

 先に世俗化は「聖なるもの」と「俗なるもの」の対立の中で形成されてきた人類の歴史の不可避の運命であるかのように見えると言いましたが、その歴史の全体を振り返ることはこの小論では到底できません。それは「世界宗教史」というような書に委ねて、ここでは現代の重大な宗教問題となっている世界的な世俗化の問題を考察する上で必要な限りでの、そこに至る直接の歴史を瞥見しておきたいと思います。
 世俗化が重要な宗教問題として自覚され、世俗化への道が自覚的に動き出したのは近代に入った西欧キリスト教文化圏でのことでした。この文化圏以外の地域では、程度の差はありますが全体としては、今に至るもなお宗教の支配が圧倒的です。世界の宗教史を見渡したとき、現代の世俗化の道を切り開き先導したのは、西欧キリスト教世界の人たちでした。その西欧キリスト教世界も、中世までは「コルプス・クリスティアーヌム」(キリスト教共同体)として圧倒的にキリスト教の宗教的な支配下にありました。この中世のキリスト教共同体は宗教改革と文芸復興(ルネサンス)によって近世に入りますが、ここで注意すべきは宗教改革が中世のキリスト教的宗教共同体を解体して世俗化の道を切り開いたのではないという事実です。宗教改革はたしかにローマ教会の支配を打破しました。しかし、キリスト教の支配を否定したのではありません。改革された諸教会のキリスト教が共同体の統一原理として支配することが当然とされていました。君主の宗教がその支配下の領邦の宗教となること(領邦教会制)が当然とされていました。そして文芸復興も直接にキリスト教の共同体支配を否定したのではありません。西欧キリスト教圏が世俗化の道を歩み始めるのは、そこにやや遅れて起こった敬虔主義運動や啓蒙主義運動と、その運動の帰結としての教会と国家の分離、いわゆる政教分離の結果です。
 宗教(狭義の宗教)は人間がこの世界で「聖なるもの」、「究極的なもの」に関わるときに必要な媒体です。人間は直接に「聖なるもの」に関わることはできず、それ自体は「俗なるもの」である何らかの媒体によって、端的に言えば何らかの装置によって関わらなければなりません。このような媒体とか装置なしで直接に関わることができるのは、人間が時間と空間の枠を超えた世界、聖と俗の区別がなくなる終末的な事態が到来したときでしょう。この歴史の中にある限り、人間は宗教という媒体あるいは装置を必要とします。そのような媒体なしで直接「聖なるもの」に到達しようとする直接性の追求(神秘主義)もありましたが、それは常に例外的な個人に限られ、社会全体としてはいつもそのような媒体とか装置に頼らざるをえませんでした。その装置の中心が祭儀であり、その祭儀を根拠づける言葉(神話や教義)やその執行者としての祭司階級というシステムが宗教を形成します。人間の共同体はそのような意味での宗教によって形成され支配されてきました。それゆえ共同体の統治(政治)は当然宗教的な行事と重なっていました。共同体の統治者(王)は大祭司でもありました。祭政一致(宗教と政治の一致)は原初の時代から人間社会の通例でした。ところが近代になって西欧キリスト教社会に、この一致に反対して、この一致を乗り越えよう、あるいはなくそうという動きが出てきたのです。中世までの西欧キリスト教共同体は教会と国家の両方をローマカトリックのキリスト教が支配する祭政一致の共同体でした。わたしはこの体制を「コンスタンティヌス体制」と呼んできました。宗教改革は(先に述べたように)ローマカトリックの支配を打ち破りましたが、キリスト教という宗教の支配は変わりませんでした。コンスタンティヌス体制は続いていました。ところがその宗教改革の中から宗教と国家の一致を打ち破ろうとする動きが出てきます。
 宗教改革によって形成されたプロテスタント・キリスト教(以下プロテスタンティズムとも呼ぶ)は、カトリック教会という強固な体制を打ち破る運動でしたから、そこから様々な形で体制化した宗教支配、教会支配を打破しようとする運動が出てきます。ドイツでは領邦教会として政治と一体化していた改革教会(ルター派教会)の中に、その教会内にとどまりながらも、自分たちの内面の信仰に忠実な自発的な共同体を形成しようとする動きが出てきます。シュペーナー、フランケらは領邦教会のプロテスタント正統主義に反発して、体験と生活を重視し、教職よりも信徒の自発的な交わりを重視する共同体を形成します。このような運動は「敬虔主義」と呼ばれ、ツィツェンドルフの兄弟団の運動になったりして、ヨーロッパ各地に広がります。カトリックが支配的なフランスでもジャンセニスムのような形で行われ、パスカルのような宗教思想家を生み出します。英国での宗教改革は国王を首長とする英国国教会の形をとりますが、その中の敬虔主義的な信仰の人たちが、国教会から出て別の分派教会を形成するにいたります。彼らは「ピューリタン」と呼ばれ、後にアメリカで宗教の自由を国是とする共和国を形成するようになるのは、世界史の顕著な事実です。また、その宗教的な改革が、国教会の首長である国王を処刑するにいたる「ピューリタン革命」を引き起こしたことも重要な歴史的事実です。このような敬虔主義的な運動が宗教(教会)と国家との分離、国家の世俗化を促す一つの原動力あるいは萌芽となって、西欧キリスト教世界の世俗化を促すことになります。
 敬虔主義的運動はなお宗教の内にとどまる運動でしたが、宗教とは別の原理に立って宗教を批判攻撃して世俗化をもたらした力として、一七世紀末から一八世紀にかけて西欧キリスト教世界に起こった啓蒙主義運動があります。啓蒙にあたるヨーロッパ諸語はいずれも光によって明るくするという意味の語(英語では enlightenment)であり、日本語では蒙(無知の暗闇)を啓(ひら)くという意味の語が当てられたのでしょう。この運動における光とは、自然の光として人間に生まれながら備わっている理性を指し、各人が理性に対する全面的な信頼に立って自立し(理性による自律)、理性に基づく立法と教育を通じて人間生活の進歩・改善、幸福の増進を行うことが可能であると信じ、宗教・政治・社会・教育・経済・法律の各方面にわたって教会支配の古い伝統的な支配を改め、新しい秩序を建設しようとします。オランダ・イギリスに興り、フランス・ドイツに及び、フランス革命を思想的に準備する役割を果たします。代表者にイギリスのロックやヒューム、フランスのモンテスキューやヴォルテールおよび百科全書派、ドイツのウォルフ、レッシング、カントなどがいます。そのおもな担い手は当時ヨーロッパに興ってきた新興の市民階級であり、彼らの合理性の原理はまず教会の教義の非合理性に対する批判となって現れます。教会は、それがいかに理性に反することであっても、啓示に基づくものとして教会の教義を絶対化し、理性に基づく批判を許しません(啓示の出来事そのものは本来理性に反するものではありませんが)。そのような宗教の支配に対して啓蒙思想は対抗します。ガリレオ裁判は典型的な例です。この啓蒙主義運動は近代西欧キリスト教社会における教会支配、宗教支配の領域を縮小する、すなわち世俗化するのにもっとも大きな要因となります。その中でも自然科学の発展は著しく、自然科学の方法が他のすべての学問の方法でなければならないという「方法の帝国主義」的傾向を生むことになります。そして、自然科学の発達にともなう技術の飛躍的進歩が大都市化を促進し、現代の世俗化を生み出す実際的な要因になっていることは、先にコックスの『世俗都市』の分析で見たとおりです。
 このような要因に促されて西欧キリスト教世界は世俗化していき、その西欧の文化が世界の文化をリードすることで世界が世俗化した世界となり、「現代の世俗化の問題」を生み出すことになります。この現代の世俗化の問題を取り上げる前に、このような世俗化の流れに対してキリスト教がどのように関わり、対処してきたかを見ておきたいと思います。

世俗化とキリスト教

 キリスト教が一つの宗教である以上、キリスト教は世俗化に対抗して戦わないではおれません。世俗化は宗教の権威を否定して、その支配領域を狭めよう、あるいはなくそうという運動ですから、これは当然です。キリスト教が世俗化していく世界においてその支配を維持しようとする努力には様々な形があって複雑な様相を呈しますが、大別すると敬虔主義的な傾向から出る信仰復興運動によるものと、教義とか祭儀など古くからの教会の伝統の再確認とか強調・強制によるものという二つのタイプがあるようです。前者について見ると、教義や儀式より体験や生活を重視する敬虔主義は、初期には権力と結びついた教会の権威に対抗して個人の内面的な経験を土台とすることで国家の世俗化を促して啓蒙主義への道備えをしましたが、啓蒙主義が成立して合理性だけが尊重されるようになると、今度は世俗化して空虚になった魂の飢えを満たすために熱烈な伝道活動を行い、大衆を再び宗教信仰の領域に連れ戻そうとする運動に向かいます。この信仰復興の流れは、一八世紀に興った英国のメソジスト運動によって力強く表現され、やや遅れてドイツでも信仰覚醒運動が起こります。とくに一九世紀の産業革命によってさらに進んだ世俗化の先頭をゆくアメリカにおいては、メディアの近代化と相まって、カリスマ的な伝道者による大衆伝道と信仰復興運動が今日まで続いています。
 世俗化に対抗するキリスト教のもう一つの方向は、伝統的な教会教義の強調ないし強制による方法です。信仰復興的運動が大衆に向かう運動であるのに対して、上層の宗教的権威からの運動という様相を見せています。フランス革命後のカトリック教会は、マリア無原罪懐胎教義のドグマ化、法王無謬説、謬説表の決定など、啓蒙思想に対抗する防御的姿勢を強めます。英国国教会における初期のオックスフォード運動もこのような世俗化に対抗する上からの運動です。プロテスタント側でも同じような傾向が見られますが、解りやすい例として一つだけあげると、アメリカにおける進化論裁判をあげることができます。それは、啓蒙思想の申し子のような進化論に対して、伝統的教義に忠実であろうとするアメリカの保守的プロテスタント教会が、聖書に基づくキリスト教教義に反するとして、それを公教育で教えることを法律で禁止しようとした裁判です。このような裁判が行われるところに、アメリカという信仰の自由を標榜する民主主義社会において信仰復興運動によって大きな社会的勢力となった教会と、聖書的な伝統的教義の強制という、二つの傾向の合流が見られるように思います。
 キリスト教が宗教の一つとしてその支配を維持するために世俗化に対抗するのは当然ですが、キリスト教には世俗化を促進する面があることを見落としてはなりません。これは先にコックスの『世俗都市』のところでも見たことですが、コックスはその書の第一章で「世俗化の聖書的根源」を論じています(その議論は先にその書の紹介のところで要約しておきました)。キリスト教に世俗化を促進する面があることは、キリスト教がイスラエル預言者の伝統を受け入れ(キリスト教は旧約聖書を正典としています)、とくに体制的宗教となっていたカトリック教会を批判して成立したプロテスタント・キリスト教が預言者の精神を強く受け継いでいることによると考えられます。本書の「序章 福音と諸宗教の遭遇」でも述べましたように、イスラエルの預言者たちは当時のイスラエルの民の宗教祭儀を激しく批判攻撃しました(T一五頁以下)。預言者たちは、神の民であることの規準を正義とか公正という祭儀以外のところに求め、祭儀遵守に依り頼んでいる宗教の倒錯を暴露しました。これは一種の世俗化の側面をもっています。プロテスタント・キリスト教は、この預言者的精神を受け継ぎ、世俗の生活の中で神の民として生きることに重点を置くことになります。ティリッヒは日本でした「世界諸宗教の出会い」という講演の結びの箇所でこう言っています。「プロテスタンティズムが、キリスト教に関して発言できるとおもう第一のことは、キリスト教を一つの宗教と考えてはならない、ということであります。このことは、もっとも大切なことであるとおもいます。キリスト教の本質は、キリスト教の現実と同一視し難く、一つのメッセージであり、すべての宗教を審き、特にキリスト教を審くものと考えられるべきであります」。ティリッヒは体制化したキリスト教という宗教を軛として捉え、「宗教の軛」からの解放を説いていますが、もしその宗教の目標とか要求を内側から満たす(実現する)力を欠くならば、宗教からの解放は世俗化をもたらすだけの結果に終わります。預言者の祭儀批判(宗教批判)は、神の力、神の働きによるものであるゆえに、世俗化をもたらすものではなかったのです。では、現在の世俗化、宗教の喪失を建設的に批判して、宗教が目標としているところを実現する力はどこにあるのでしょうか。この問題を次項以下で取り上げます。

「成人した世界」か?

 このプロテスタント・キリスト教の中から、世俗化の意義を積極的にとらえて、世俗化した世界をもはや宗教という養育係を必要としない「成人した世界」と理解する神学が現れました。先に本書第五章の第三節で紹介したボンヘッファーの神学です。ボンヘッファーは天才的な神学者として若いときから注目されていましたが、第二次大戦中ヒトラーに抵抗して処刑されるに至ります。その獄中書簡の中にこの「成人した世界」の思想が語られるようになります。獄中書簡のため、この思想の提示は断片的なものに終わっていますが、この思想は戦後の神学界に大きな衝撃を与え、この方向でキリスト教神学を見直す動きが盛んになります。先に紹介したコックスの『世俗都市』もその一例です。他にもボンヘッファーが提出した「キリスト教の非宗教的解釈」の路線を行く神学が様々な形で現れます。A・T・ロビンソンの『神への誠実』、G・グティエレスの『解放の神学』、J・モルトマンの『希望の神学』、W・ハミルトンやT・アルタイザーらの「神の死の神学」などは、このボンヘッファーの流れを汲む神学です。ブルトマンの実存主義神学も、宗教的教理や伝統にではなく人間の実存的状況の解釈に基づく神学として、この流れに属する神学と見る人もいます。これらの神学の一つ一つを検討するゆとりも能力も筆者にはありませんが、共通していることは、キリスト教の伝統的な教義の枠にとらわれずに、世俗の世界での実践と思想に究極的な価値を求める神学です。これらの神学では、キリスト教において最高の位置を占める神という用語も、しばしばその神学から放逐されています。
 ところで、ボンヘッファーの流れを汲むといわれるこれら現代神学の「成人した世界における聖書的諸概念の非宗教的解釈」は、はたしてパウロのガラテヤ書(三・二三〜二五)における「しかし今や、信仰が現れたので、もはやわたしたちはこのような養育係の下にはいません」という成人性の信仰を正しく実現しているのでしょうか、それとも、たんに世俗化した現代世界を神学的に追認しているだけの理論でしょうか、検討しなければならない課題であることは、先に提起しておきました(二一〇頁)。ボンヘッファーは「神の前で、神と共に、神なしにわれわれは生きる」と言っています。この「神なしに」の神はキリスト教や諸宗教の神であり、もはや宗教の神がいないところで、すなわち世俗のただ中で、イエスのように自分の生の根源である方と共に生きることが目的であると宣言しているのです。彼は「僕のテーマは、成人した世界をイエス・キリストによって要求することだ」述べています。はたして、これらの成人した世界における神学を標榜する神学が、聖霊の現実としてのキリスト信仰の結果として実現したものか、それとも聖霊の現実としてのキリスト信仰がないところで、現代世界の世俗性を正当化するための人間の思想にすぎないのでしょうか。はたしてこれらの「キリスト教の非宗教的解釈」による諸神学は、パウロの成人した世界における神学といえるでしょうか。
 パウロは「しかし今や、信仰が現れたので、もはやわたしたちはこのような養育係の下にはいません」と言っています。「このような養育係」というのは、すぐ後で「後見人」と呼ばれている異教を含め、ユダヤ教をはじめとする世界の諸宗教を指しています(拙著『パウロによるキリストの福音T』二〇四頁の「第三節 神の子」を参照)。パウロは「今や信仰が現れたので」、未成年者を外からの命令や訓練で躾(しつけ)る養育係としての宗教(ユダヤ教をはじめ異教の諸宗教)の支配監督の下にはいない、と言っているのです。「信仰が現れた」ことが人間を成人とするのです。現代世界は「信仰が現れたので」、もはや養育係とか後見人としての宗教を必要としない「成人した世界」になったのでしょうか。啓蒙主義の後に来た現代世界に現れたのは「信仰」ではなく、「理性」あるいは「理性の光」ではなかったでしょうか。世界はもはや宗教という養育係がなくても、自分に備わった理性の光によって、自分の力と判断で自立的にその存在の目的を実現できるほどに成熟したのでしょうか。もしそう考えているのであれば、その考えの当否はともかく、少なくともそれはパウロの主張ではありません。パウロは「信仰が現れたので」成人に達したと言っているのです。何か人間の能力がある程度に達したので、と言っているのではありません。
では「信仰が現れる」とはどういうことでしょうか。パウロがここで「信仰」と言っているのは、ガラテヤ書三章の文脈では「キリスト信仰」のことです。そのことはすぐ後で同じことを言うのに「キリスト・イエスにある信仰」という詳しい表現を使っていることからも明らかです(三・二六)。パウロがいう信仰とは、キリストを対象とする信仰(自分がキリストを信じる信仰)ではなく、キリストにある(エン・クリストー)絶対恩恵の場で義とされて、聖霊によってキリストに合わせられている事態の全体です。パウロはそのような信仰を《ピスティス・クリストウ》(キリストの信仰)と言っています。わたしはそれを「キリスト信仰」と呼んでいます。この「キリスト信仰」を指すのにパウロはしばしば当然のこととして「キリストの」を省略し、「信仰」《ピスティス》という語だけで指しています。ここもその場合です。ですから、ここの「信仰が現れた今は」という句は、キリストが現れ、キリストにおいて神の救いの働きが成し遂げられ、あなたたちがキリストに結ばれて生きるようになった今は、という意味で使われています。このような信仰によって生きる者はもはや律法(ユダヤ教)という養育係の下にいるのでなく成人したのだ、とパウロは言っているのです。そのことは直前の二三〜二四節で明言されています。それゆえに、聖霊によってこのようなキリスト信仰が実現していないところで、「成人した世界」とは言えません。ボンヘッファー自身はどのような内容をこめて「成人した世界」と言ったのかは、その思想があまりも断片的にしか伝えられていないので、正確なことは分かりません。しかし、戦後ボンヘッファーの思想の流れから出たとされる「神なき神学」は、パウロの成人論に基づいているとは到底いえません。聖霊によるキリスト信仰が実現しているところでのみ、パウロの成人論が成り立ちます。
さらにパウロの成人論は、相続人としての子について語っているという文脈を見落としてはなりません。成人に達したのだから、親から離れて自分の好きなようにしてもよい、と言っているのではありません。父親の資産を受け継ぐ資格に実質的に値する者になったと言っているのです。たとえ生まれによって父親の資産を受け継ぐ資格のある相続人であっても、未成年の間は養育係とか後見人の監督と訓練の下にいなければならないように、人間は神の国という資産を受け継ぐ嫡子であっても、未成年の間は養育係の監督と訓練の下に置かれて、父親の資産を管理運営する実力はありませんでした。成人してはじめて父親はその子にいつでも資産を継がせることができるようになります。神は人間を自分の栄光の相続人としてお造りになりました。その相続人である人間が未成年の間は諸宗教という養育係の下に置かれていたのです。養育係としての諸宗教は相続人である子がその資格を失わないように、父親にふさわしい者になるように、監視し訓練をしてきました。しかし今や、子は成人しました。父親が子にその栄光を受け継がせることができる時が来ました。パウロはキリストの到来をこのような養育係の比喩で語っているのです。聖霊の現実の到来は、「神の国」という象徴で指し示されている終末的な事態の到来を意味していますが、それがすでに到来しているという面と、それを将来に待ち望んでいるという両面があることは、新約聖書の講解で繰り返し見てきたとおりです。この聖霊による「神の国」の到来と待望という現実の両面を見るのでなければ、この現代世界をパウロのいう意味での「成人した世界」とはとても言えません。この問題は、本章の結論部となる第四節で改めて取り上げることになります。

「宗教の回復」か?

 一方、このような世俗化の進展とそれを積極的に評価して「非宗教的解釈」を進める神学を批判して、宗教の回復を唱える神学もあります。この方向の一例として、先に佐藤敏夫『宗教の喪失と回復 ― 運命としての世俗化とキリスト教』(1978)の名をあげておきました。この書は、世俗化した現代世界において宗教の領域の弱体化と喪失を嘆き、祭儀とそれに関わる聖職者と諸制度という媒体を通して神と間接的に関わる宗教の必要性を論じ、宗教の領域の回復を求めています。この書は、日本の神学の中で珍しく世俗化の問題を正面から取り上げて、その神学的意義を論じています。この書は世界の世俗化の現実の分析と、世俗化を扱う神学の歴史の両面において優れており、学ぶべき多くのことがあります。しかし、この書の基本的な主張には問題も感じられます。ここでこの書をとりあげて、この書の基本的な主張である「宗教の回復」の意義を考えてみたいと思います。
 この書ではまず第一章で「宗教とは何か」という問いに答えるという形で著者の宗教観が述べられます。宗教学では、宗教は聖なるものとの出会いと、それに対する人間の応答的行為ということになりますが、著者はパウロの「わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる」(コリントT一三・一二)を引用して、「宗教は、神の国が到来するまでの、暫定的な形態における、神との(宗教学的には、聖なるものとの)交わりである」とします。「その時には、顔と顔とを合わせて見るであろう」と言われているように、神の国が到来する時には、人は神を直接知ることになりますが、その時が来るまでは、「鏡に映して見るように」、すなわち鏡という「媒体」を通して「おぼろげに(間接的に)見ている」ことになります。この媒体を通しての聖なるものとの出会いが宗教になるのですが、著者はその媒体となる様々な事物の中心に祭儀という行為を見ています。祭儀がすべての宗教的事物を関係づけ、その中心にあります。著者はさらに宗教という媒体の間接性を宗教の象徴性で説明し、人間の感性に訴える面や、その間接性の中でなお直接的な体験を求める神秘主義などの営みに触れています。そして最後に、その直接的な霊的体験から祭儀を痛烈に批判した預言者の伝統を受け継ぐキリスト教が、その原始の時代には制度的な面よりもカリスマ的な面が優勢であり、その後サクラメンタルな宗教に変質した中世カトリシズムを改革した宗教改革の歴史を上げて、著者はキリスト教における間接性の中での直接性への志向を指摘しています。これらの記述から、本書がその喪失とか衰退を嘆き、その回復を求めている宗教とは、歴史的社会的に形成された組織的体制的宗教、諸宗教の一つとしての宗教をさしていること、とくに著者の念頭にはキリスト教という宗教があることは明らかです。
 このように第一章で宗教を定義した後、著者は「第二章 宗教は終わりか」で、宗教の不可欠性(人間にとって宗教は欠くことができないものであること)を論じます。そのさい「宗教の終わり」と「宗教の支配の終わり」とは別のことであり、厳密に区別しなければならないとして、現代の世界の世俗化は宗教の支配の終わりと、それに伴って起こった宗教的無関心の現実であり、これは否定できない事実であっても、それは必ずしも宗教そのものの終焉を意味するものではないことを論じています。世俗化は避けがたい現実ですが、宗教は終わりつつあるとか終わらせるべきであるというイデオロギーである「世俗主義」とは区別しなければならないこと、世俗主義は断固拒否すべきことを強調しています。
 続いて「第三章 世俗化の展開」で、現代の世俗化がどのように起こったのか、その歴史を振り返っています。現代世界の世俗化は、近代の西欧社会における一八世紀の政教分離(国家と教会の分離)と啓蒙思想(啓示に対する人間理性の独立)の結果であることが詳しく記述されますが、これは本書の啓蒙主義の記述と重なりますので、それを見ていただくことにして、ここでは第四章で扱われている「世俗化の帰結」について見ておくことにします。この書では世俗化の帰結として、「権威の相対化」の問題を取り上げ、ホルクハイマー、ティリッヒ、ウエーバーというような思想家の説を紹介していますが、それらはあまりにも専門的な神学思想の議論になりますので省略して、ここでは世俗化が世界にもたらした実際的な帰結に絞って、二、三の点を考察するにとどめます。まず現代の世俗化の出発点となった政教分離、すなわち、政治(権力による共同体の統治)と宗教の支配との分離が、人間の歴史においていかに重大な出来事であったかを思い起こしておく必要があります。人類の歴史は太古の昔からつい最近まで、たかだか三百年ほど前までは、祭政一致が当たり前でした。ある共同体に生まれ育った人はその共同体の宗教に所属する信徒であることが当然でした。ところが政教の分離によって信教の自由が追求されるようになり、ある共同体の成員は、どの宗教も信じないことも含めて、どの宗教を信じるか自由に選ぶことができるようになりました。こうして政教分離から始まった世界の世俗化は、ある意味で宗教の支配を終わらせ、人間を宗教の軛から解放する一面をもつことになります。もう一つは、ティリッヒが指摘するように、世俗化によって究極的な拠り所を見失い空虚になった魂に、様々な人間的なイデオロギーが宗教的な姿をとって(究極的なものであると自称して)忍び込み、宗教的献身(無制約的な献身)を要求する疑似宗教が生まれることになったことです。ティリッヒはこのような疑似宗教として、マルキシズムとナチズムのように悪霊化したナショナリズムをあげていました。
 続く第五章と第六章の二つの章で、著者は世俗化に対するキリスト教の関わりについて、相反するように見える二つの相について語ります。まず「第五章 世俗化に対するキリスト教の態度」では、一つの宗教としてのキリスト教は当然、宗教的領域の縮小と希薄化を意味する世俗化には反対して「巻き返し」を図りますが、その巻き返しの努力の様々な様子が歴史的に詳しく描かれます。そして「第六章 世俗化の推進力としてのキリスト教」で、もう一つの面、すなわちキリスト教自体に世俗化を促進する面があることが示されます。この面については先に取り上げたコックスの『世俗都市』第一章の「世俗化の聖書的根拠」の主張と並行しており、本書(二二〇頁)でも「世俗化とキリスト教」という項でまとめておきました。総じてこの佐藤氏のこの書の三章から六章までの世俗化の展開と帰結、キリスト教との関係についての内容は、多くを教えられ共感をもって要約紹介しておりますので、それを見ていただくことにして、ここでは最後の結論部分へ急ぎます。
このような意味(第一章での宗教の定義を参照)での「宗教の回復」を求める著者が、ボンヘッファーの「非宗教的解釈」とその立場に立つ諸神学を批判するのは当然です。著者は「第七章 『キリスト教の非宗教化』批判」においてこの批判を行っています。それらの諸神学は、ボンヘッファーが提起した「成人した世界」を、もはや宗教という養育係を必要としない世界であり、諸宗教の神、人間の苦悩を救うために天から下る機械仕掛けの神を必要としない世界、人間が自立した世界であると理解し、世俗の世界で(たとえば政治の世界で)キリスト教が目指した諸価値を実現することを成人性の証しとしました。このような理解は、ボンヘッファーの真意はともかく、少なくともパウロが意味する成人性とは違うことを本書でも指摘しておきました(前項の「成人した世界か?」)。ボンヘッファー自身も教会が存在しない世界を考えることはできず、「成人した世界」における教会の存在(従ってキリスト教という宗教の存在)を「前衛」として意義づけています。
この書の結論部というべき「第八章 宗教の回復」で著者は、媒体を通しての暫定的で間接的な神との関わりである宗教が回復されなければならないことを主張しますが、まずそれを日本のプロテスタンティズムの実情から始めます。それは日本のプロテスタンティズムにはもともと非宗教化の傾向があり、それを克服していく必要があるからです。日本のプロテスタンティズムはアメリカのキリスト教宣教師によってもたらされたものが主流ですが、そのアメリカのキリスト教はピューリタンの流れを汲むものです。宗教改革のキリスト教が預言者的な祭儀批判と祭司的な祭儀中心の宗教性の両面を維持していたのに較べて、ピューリタンのキリスト教は祭司面を著しく後退させたキリスト教でした。そのピューリタン的キリスト教の信仰復興的活動の一環として成立した日本のプロテスタンティズムにはもともと非宗教化の傾向が強くあり、これが日本の知識階級にキリスト教を馴染みやすく、庶民には馴染みにくいものにしたようです。著者は「宗教を回復するということは、宗教を構成する諸要素のうちとくに宗教的媒体を回復することである」とし、その媒体として礼拝、教職、教会の三つをあげています。そして日本のプロテスタント教会での礼拝がほとんど牧師の説教を聞くだけの講演会になっていて、宗教本来のサクラメンタルな面(媒体としての祭儀の重視)が希薄になっていることを、「サクラメンタリズムと講演会の間」と名付ける節で憂慮しています。たしかにサクラメンタルな面を強く保持しているカトリック教会に較べるとプロテスタント教会は講演会化していると言えます。とくにもはや聖礼典を行わない無教会主義の集会はすっかり講演会になっているということになります。
では、日本の諸教会や諸集会がカトリック教会のようにサクラメンタルな要素を強くしていけば現代世界の世俗化に対抗し、世俗化を克服していけるのでしょうか。そうとは考えられません。というのは、いくらサクラメンタルな面を強調して祭儀を行っても、聖霊によってその祭儀が象徴する現実に参与( participate)しなければ、祭儀はただの外面の形式にとどまるのであり、牧師の説教の言葉もそこに聖霊の働きがなければ、それは人間の思想の伝達となり、礼拝は講演会となるからです。両方(サクラメントと説教)とも聖霊の働きによって宗教的媒体としての役割を果たすことができるのです。わたしは媒体としての宗教の回復を主張するこの書の主張に賛成します。この世俗化の時代には媒体としての宗教の力が回復する必要があり、それは有益なことです。宗教がなければ世界は永遠なるもの、究極的なものに対する追求の手がかりを失います。この書の主張に問題を感じるのは、この書が媒体としての宗教の回復を唱えることではなく、その媒体としての宗教の意義を実現する聖霊の働きこそが世俗化を克服する力であることを明確に主張していないことです。聖霊の働きがなければ、媒体としての宗教の回復はできもしないし、またできたとしても世俗化(宗教の喪失)の流れを阻止することはできません。聖霊については最後の章になる次章に言及がありますので、その章を検討しましょう。
「第九章 世界の聖化」で著者は、先に批判したボンヘッファーの「成人した世界」の思想に含まれる真理契機に着目して、世俗の領域で宗教的次元を見出すことの可能性について論じています。著者はティリッヒの「宗教は文化の実体であり、文化は宗教の形式である」という定式を引用して、世俗領域で行われる文化的活動に宗教的次元があることを認めますが、それは直接その世俗の領域に神の国を求めるのではなく、間接的に追求する、すなわち神の国のアナロギアを追求するものであるとします。著者はこの世における神の国のアナロギアの追求を「世界の聖化」と呼び、それは聖霊の働きによってなされることが語られます。著者はベルコフの聖霊論を引用して、聖霊は非キリスト者においても働かれるのであり、多くの非宗教的運動の中に神の国のアナロギア追求を見ることができるとし、これを「聖霊による世界の聖化」としています。さらに著者はウエーバーのいう世俗内禁欲(これはカトリックの修道院的禁欲と対比されるプロテスタンティズムの特質です)を、世俗的領域における神の国のアナロギア追求の実例として指摘します。最後に「歴史の意味」と題する節で、この世俗内での神の国のアナロギアの追求と救済史との関係が議論されます。こうして第九章を通読すると、著者の言う聖霊の働きは歴史観に関する神学思想的舞台でのことで、われわれが当面している世俗化を克服する力として問題にされているのではないことが分かります。ここでわれわれが現代の宗教問題として直面している世俗化に対抗する実際的な聖霊の働きについては別の視点から見なければなりません。それは次項「世俗化した世界と福音」で取り上げられることになります。

世俗化した世界と福音

 では世俗化した現代世界は福音にとって(正確には福音を告知する活動とか運動にとって)何を意味しているのでしょうか。この項でこの問題を考察します。
結論から言うと、福音を告知する運動の立場からすると、世界の世俗化は嘆くべきことではなく、むしろ歓迎すべきこととして、積極的に捉えるべきであると考えます。世俗化というのは、諸宗教(狭い意味の宗教、キリスト教などの社会的体制的制度としての宗教)の支配が弱まり、その支配領域が狭まることですが、それは宗教の枠を超えた神の霊の働きとしての福音運動に、宗教の枠に限定されたり拘束されたりしない、より一層自由な場を提供するからです。これまでの歴史が示しているように、体制的な諸宗教は福音告知の活動を妨げたり反対して抵抗してきました。この体制的宗教の支配が弱くなったり終わっているところでは、福音は宗教の枠の外でより一層自由に直接人々に語りかけることができます。世俗化によって媒体としての諸宗教の力が弱まっても、ホモ・レリギオーススとしての人間の宗教的欲求は変わりません。諸宗教の力が弱まり、その本来的な宗教的欲求をもって行く場所がなくなった人間、飢え渇く魂に、福音は直接神の霊の働きとして食べ物や飲み物をもたらすことができるようになります(実はこの世俗化の結果、擬似宗教の支配や宗教の絶対化と過激化という問題が起こるのですが、この問題は次の第三節で扱うことになります)。
世俗化を積極的に理解するという点ではボンヘッファーと同じですが、世俗化した世界を「成人した世界」とするボンヘッファーの理解とは少し違うことは、先の「成人した世界か?」の項で述べました。パウロがガラテヤ書で語っている成人とは、あくまで聖霊によって実現したキリスト信仰の結果として、宗教という養育係の訓練とか監督を脱して神の国の相続人として自由になったことでした。それに対して、現代の世俗化は人間理性による宗教的ドグマからの解放による人間の自立です。パウロのいう成人性とは違います。福音の立場では、現代の世俗化した世界を「成人した世界」とはとうてい言えません。ボンヘッファーが「神なしで、神と共に生きる」と言ったときの「神なしで」は宗教の神なし、すなわち宗教の外でという意味でした。戦後ボンヘッファーの路線を継ぎ、世俗の世界で宗教的価値を実現しようとする神学が続出しますが、それらは聖霊の働きによるキリスト信仰によらない限り、新約聖書の証言に立つ福音に沿うものではありません。
前章の第七節で宗教についてのティリッヒの思想を紹介しました。ここで世俗化についてのティリッヒの見方を見ておきましょう。宗教(狭義の宗教)は聖なるものが顕現するときに用いる媒体(祭儀、教理、聖職者などのシステム)ですが、人間の宗教的営みはしばしばその媒体を絶対化して全面的な服従を求める要求の体系とします。ティリッヒは宗教がそのような強圧的な要求となることを「宗教の悪霊化」と呼んでいます。このように悪霊化した宗教に対するプロテストは三つの形態で現れます。一つはイスラエルの預言者たちに見られる直接的な祭儀批判、二つ目はどの宗教(とくに東洋の宗教)にも見られる神秘主義、すなわちそのような祭儀などの媒体を軽視ないしは無視して直接聖なるものに参与しようとする道、三つめはそのような宗教の支配を拒否して世俗の場だけにとどまろうとする世俗化の道です。はじめの二つの道(預言者的と神秘主義的な道)は断片的で、宗教の支配を克服するには至りません。ティリッヒは宗教におけるサクラメンタルな要素の必要性も十分承知しています。預言者たちや神秘家の活動の成果は祭司(聖職者)たちによって宗教の中に取り込まれることによって宗教を活性化する力となります。この二つは宗教の内部で宗教の悪霊化に対抗する力です。ティリッヒは人類の宗教史を二つの力、すなわち宗教の悪霊化の方向に働く力とそれにプロテストする力の拮抗の歴史として力動的に見ています。
第三の世俗化の道は、宗教以外の力によって宗教の支配からの脱却をもたらすものですが、宗教の悪霊化に対抗する道としての面があることを、ティリッヒは積極的に評価していることになります。ティリッヒは「諸世界宗教との出会いと対話」という講演で、キリスト教は他の諸宗教と対話しなければならないことを強調した後、対話は改宗の試みではあってはならないとして、次のような主旨の発言をしています。「対話においてキリスト教が他の諸宗教や疑似宗教を批判するとき、その批判はキリスト教自身を批判していることを忘れてはなりません。この姿勢は世俗主義に新しい意味を与えることになります。そのときにはあらゆる現存の宗教に対する世俗主義の攻撃は、もはや純粋に否定的なものではなく、人類を宗教的に一つにしようとする運命がたどる間接的な道として理解されることもできます。人類の大部分の世俗化が、人類の宗教的な変貌に向かう道になりうるという希望さえもちえます。われわれの目標となるのは、諸宗教の融合とか、特定の一宗教の支配とか、宗教時代の終焉とかではなく(宗教が生の意味への問いである限りこれはありえません)、それぞれの宗教が自己自身を超越することによって生の究極的な意味への問いに答える力を保持することです。個々の生きた宗教の深みには、宗教がそれ自体として自己の重要性を失う一点があります。その一点で個々の宗教が指し示しているものが、あらゆる形態の生と文化の中に現存する神的なもののヴィジョンを創造することになります」(諸世界宗教との出会いと対話 第四講)。
先に見たように、ティリッヒには「宗教の軛」と題する、宗教からの脱却を説く説教があります。その結論の部分でこういっています。「イエスは宗教の創始者ではなく、宗教への勝利者である。イエスは新しい律法の作者ではなく、律法への勝利者である。キリスト教の教師や牧師は人をキリスト教に招くのではなく、新しき存在に招くのである。キリスト教は自らとこの新しき存在を混同せず、ただこの新しき存在の証人だけになるべきである。あなたがイエスの招きを聞くとき、すべてのキリスト教教理を忘れなさい。あなた自身の確信も疑いも忘れなさい。すべてのキリスト教道徳、あなたの成功と失敗のすべてを忘れなさい。あなたからは何も求められていないのですから。………われわれはイエスをキリストと呼ぶ。それはイエスが新しい宗教をもたらしたからではなく、彼が宗教の終焉であり、宗教と非宗教、キリスト教と非キリスト教を超えた上にあるものだからである」。これはパウロの告知を現代に響かせています。この説教はティリッヒの宗教論の一面を的確に表現しています。
福音に生きるキリスト者は、福音の証人として、大胆にかつ積極的に世俗化した世界に福音を告知すべきです。そして、その証言と告知は、パウロが言うように(テサロニケT一・五〜六、コリントT二・四〜五、ローマ一五・一八〜一九)、 聖霊の働きにより、聖霊の働きの中でなされなければなりません。それは聖霊によるコイノニア、霊の共同体が形成されるためです。それがなければキリスト教は世俗化の波に対抗することはできないでしょう。わたしは先に佐藤が唱える媒体としての宗教の回復に、それ自体としては反対するものではないとして賛意を表しました。しかし、媒体としての宗教には世俗化を乗り越える力はありません。聖霊の現実的な働きがあるところでのみキリスト教という宗教は世俗化に対抗する力となりうるでしょう。
キリスト教という宗教的媒体は有益であり、ティリッヒも認めているように宗教にはサクラメンタルな面と祭司的な働きが必要です。とくにキリスト教は福音が告知するキリストを直接指し示す媒体として必要かつ有益です。しかし、キリスト教という宗教自体には世俗化を克服する力はありません。むしろキリスト教思想には世俗化を促進する面があることは先に見た通りです。とくにプロテスタントキリスト教にその面が強くありました。このように宗教の必要性と有益性を認めつつ、宗教には根本的で最終的な解決の力はないことを認めるところに宗教相対主義が成り立ちます。この宗教相対主義は本書の基本的立場ですので、節を改めて第四節で扱うことになります。
この高度に技術化し大都市化した現代文明の世俗化は、佐藤が言うように「運命としての世俗化」として、すなわち、もはや避けられない流れとして受け入れる他ありません。宗教相対主義は世俗化した世界を積極的に受け入れますが、決して世俗化を手放しで評価しているわけではありません。世俗化は現代世界に深刻な宗教問題を引き起こしています。宗教相対主義の問題に入る前に、世俗化の結果、現代世界に起こった深刻な宗教問題の二つを取り上げておきます。その二つとは、擬似宗教の問題と宗教の過激化の問題です。