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第七節 「宗教の将来」 ― ティリッヒ

ティリッヒの生涯と思想

 宗教の問題が深刻になってきている現代において、「宗教の神学」の確立の必要と重要性を説いた好著、古屋安雄『宗教の神学 ― その形成と課題』は、第四章「キリスト教の絶対性と諸宗教」においてクレーマーを扱ったところで次のように述べ、「宗教の神学」の形成におけるティリッヒの歴史的位置と意義を明らかにしています(145〜146頁)。その上で、第六章「宗教の神学の諸問題」の第五節「パウル・ティリッヒ」で、かなり詳しくティリッヒの宗教論を紹介しています。 

 「キリスト教と諸宗教の問題を神学的にとりあつかう場合に、クレーマーのような神学者であって同時にすぐれた宗教学者である人物の見解に注目することは特に必要であろう。かえりみればこれまでにみてきた代表的な神学者たち、ハルナック、トレルチ、バルト、ボンヘッファーはいずれもキリスト教以外の諸宗教については直接の知識と出会いの体験をもたなかった人たちである。そしてそういう神学者の宗教論が長らく神学界の指導的見解であった。しかしながら実はその間、神学と宗教学の両方を深く結びつつ、キリスト教と諸宗教の問題に地味に取り組んできた人々がいたのである。クレーマーはその人々の系譜につらなる一人で、彼の発言の背後には多くの先達と同僚の労作と視点があることを見逃してはならない。この系譜につらなる最初の一人は、トレルチの絶対性の問題提起に刺激されて、神学者でありながらインドの宗教の研究をはじめ、すぐれた宗教学者でもあったルドルフ・オットーである。バルトの『ローマ書講解』とほぼ同じ時期に著した『聖なるもの』によって、当時かなりの注目を集めたものの、その後バルト神学の支配的影響下に長らく無視された宗教現象学の先駆者である。しかし幸いなことにオットーが開いた方向は、その後、神学者でありかつすぐれた宗教学者であった人々、あるいは神学部で宗教学を教えた人々によって継承されてきた。ゼーデルブロム、ファン・デル・レーウ、ハイラー、ワッハ、エリアーデたちである。しかしこれらのすぐれた宗教学者たちの研究やその宗教論を真正面からうけとめる神学者、しかも組織神学者があらわれたのはつい最近のことである。パウル・ティリッヒがその人である」。

 パウル・ティリッヒ(1886〜1965)は、ドイツのルター派教会のビショップというべき地位の牧師の子として、一八八六年にドイツ東部の小都市で生まれ育ち、一九〇〇年の父の転勤であこがれの大都会ベルリンに移ります。彼はドイツの諸都市の人文ギムナジウムと諸大学での哲学と神学を中心に高度の訓練を経て、ルター派教会の牧師資格と大学からの学位を取得します。しかし一九一四年に始まった第一次世界大戦には従軍牧師として働きます。この体験は彼の思想に深く影響したことが、彼が後に語った自伝的回想にも触れられています。

ティリッヒの自伝的著作が『ティリッヒ著作集 第十巻』)(武藤一雄・片柳栄一訳)の「T 自伝的回想」に二つ収められています。一つは『自伝的考察』(1952)で、幼少時代、大戦前の時期、大戦後の時期、アメリカ時代、と時期を追って自分の生涯と思索の跡を振り返っています。もう一つは『境界に立って』(1962)で、これはティリッヒ自身が晩年に自分の思想形成の特質を語ったもので、彼の神学思想や彼の諸著作が書かれた状況の理解にとって貴重な資料となっています。

 『自伝的考察』によると、幼少時代に父が牧する教会の宗教的雰囲気の中で体験した「聖なるもの」、あるいは神的なものの現臨体験が、後にルドルフ・オットーの『聖なるもの』の理念を肌で理解することになった、と述懐しています。この体験がオットーとともにシュライエルマッハーに親近感を抱き、東西の神秘主義に目を向けることにもつながります。なお『境界に立って』の中で幼少期については、東部ドイツ人の父親の憂鬱で思索的な素質、過敏な義務と罪責意識、強烈な権威感などと、西部ドイツ人の母親の感性的直感、生の歓びへの感覚、合理性など、相反する気質の拮抗が、境界に立っているという意識の端緒になっていることを回想しています。さらに城壁に囲まれた都会と開放された自然豊かな田園との境界、自分が属する上層階層と周囲の子供たちとの社会階層の境界に立っているという意識、それに伴い育まれた社会的罪責意識、このような境界意識が後に宗教社会主義に向かわせることになる一つの要因となります。
 大戦前の時期については、『自伝的考察』で、一九〇〇年にベルリンに移ってから大戦までの期間の学生生活と大学での研究生活について簡単に記述しています。大学では神学部で学び、大戦後は神学者として教会および大学で教えることになりますが、この時期では哲学的な志向が強く、ギリシア哲学からドイツ古典哲学にいたる幅広い哲学思想を理解修得することを努めています。その中でキルケゴールに出会い、後の実存主義の端緒をつくったシェリングに深く傾倒し、シェリングの宗教哲学を扱った論文を博士論文および神学得業士論文としています。この神学と哲学の二つの領域に関わっているという問題は、『境界に立って』の「7 神学と哲学の境界に立って」においてその意義が詳しく述べられています。ティリッヒは最後までキリストの啓示に立つ神学者であることを自認しています。とくにケーラーによって目を開かれたパウロ的・ルター的義認論を基盤としてその神学を形成していきます。しかし、ギムナジウム時代以来燃えていた哲学への志向は生涯続き、原理が異なる二つの領域の境界に立って、思想的な苦闘を続けます。その成果は多くの論文にも表現されていますが、最終的には彼の主著となる『組織神学』に結実することになります。ティリッヒは「哲学が問い、神学が答える」という「相関の方法」でその『組織神学』を構成するにいたります。
 大戦時の従軍体験と敗戦によるドイツ帝国の崩壊は、壮年期のティリッヒに深刻な影響を与え、大きな変化をもたらします。ティリッヒはその回想で、この体験がはじめてわたしをドイツ的権威主義から解放したと述懐しています。上からの権威の規定によって律せられる「他律」と自分の内面の創造的思惟から出る「自律」との葛藤は、『境界に立って』の「6 他律と自律の境界に立って」に詳しく論じられています。彼は近代精神の標語である自律が様々な問題を抱えていることを認識しており、自律と他律の矛盾を統合するものとして、宗教的に成就された自律を「神律」と呼び、その「神律」を彼の神学思想の中心に置きます。大戦後の時期においては、ティリッヒの社会的政治的関心が強まり、大戦後のマルキシズムに対抗する宗教社会主義の運動に積極的に参加し、その運動の理論的指導者として活躍します(その詳細は『ティリッヒ著作集第一巻』の解説を参照)。この宗教社会主義の立場は生涯変わらず、彼の神学的思考において伏流として貫いています。そのことはティリッヒ自身が『境界に立って』の「8 教会と社会との境界に立って」、「10 ルター主義と社会主義との境界に立って」、「11 観念論とマルキシズムとの境界に立って」において詳しく語っています。
 大戦直後にバルトは『ローマ書』を出して、歴史と文化に基礎を求めるようになった近代の自由主義プロテスタント神学を厳しく批判します。ティリッヒはバルトのキリストにおける啓示を絶対とするバルトの神学に共感しつつ、人間の営みをいっさい無視する姿勢には批判的で、人間の営みとしての文化に深い関心を示し、文化を神学の主題として取り上げ、バルトが『ローマ書』第一版を出したのと同じ年に『文化の神学の理念について』(一九一九年)を発表しています。そして宗教哲学者として、無制約的存在に無制約にかかわる宗教と、芸術や国家を含む社会制度などの文化との関係を神学の主題として追求し、文化の神学を形成すべく努めています。文化において人間の実存状況が問題となり、それを超える無制約的なものが志向されているところでは文化は宗教的であり、宗教はまたその現象形態においては文化となるとして、文化と宗教の境界に立つ者として思索しています。両者の関係を要約して、ティリッヒは「宗教は文化の意味内容であり、文化は宗教の表現形式である」と言っています。両者の境界に立つ状況については、『境界に立って』の「9 宗教と文化との境界に立って」に簡潔に述べられています。
 大戦後のティリッヒはドイツの諸大学で神学および哲学の教授として活躍します。マールブルグ大学にいたとき、そこの哲学教授であったハイデッガーと接し、その実存哲学的思考方法から強い影響を受けます。ここで彼の主著となる『組織神学』が書き始められます。この大戦後の時期、ティリッヒはあらゆる文化領域を宗教的中心へと関わらせようとして幅広く活躍します。マルキシズムやニーチェなど時代の思潮に対しても、一方的に否をいうのではなく、然りの面を維持する弁証法的な姿勢で臨みます。しかし、大戦後のドイツに生まれた民主的なワイマール体制は短命に終わり、国家社会主義(ナチス)の台頭を許し、ティリッヒはヒトラーを批判したために教授職を追われることになります。その年(一九三三年)ちょうどドイツに来ていたラインホールド・ニーバーからアメリカのユニオン神学校に来るようにという要請を受けてニューヨークに渡ります。ティリッヒ四七歳のことで、この時から彼のアメリカ時代が始まります。
 アメリカ時代のティリッヒは、ユニオン神学校の教授として活動を始めます。英語力も十分でない客人ティリッヒをユニオンの同僚たちが温かく迎えて助けてくれたことを、彼は感謝をもって回顧しています。ユニオン神学校は世界の各地からの神学者を迎え(日本の有賀教授もその一人でした)、エキュメニカルな交流の中心地でした。またブロードウエイを隔てたコロンビア大学との対話や交流も、この時期のティリッヒの活動の養分となったようです。ユニオン神学校を定年退職後はハーヴァード大学に「ユニバーシティ・プロフェッサー」(学部を超えて講義する名誉ある教授職)として招かれ(五四年〜六二年)、論文や講演でアメリカの神学界と思想界に大きな足跡を残します。その間に知的交流委員会の招きで来日し(六〇年)、日本の各地で講演し、仏教や神道の代表者と対話をしています。この来日とその後のシカゴ大学でのエリアーデとの共同セミナーの活動と意義については、この節の後半で詳しく述べることになります。ティリッヒ自身はこの日本との出会いを、アメリカとの出会いと並べて、自身の生涯における二つの大いなる異文化体験と呼んでいます。ティリッヒは六三年に念願の主著『組織神学』第三巻を書きあげて完成しています。そしてその二年後の六五年に、七九歳で亡くなります。ティリッヒは、故郷であるドイツを去って異境の地で人生の後半を生きなければならなかった境遇について、『境界に立って』の「12 故郷と異郷との境界に立って」でその意義を語っています。

ティリッヒの『文化と宗教』

 組織神学者ティリッヒが宗教をどのように位置づけまた意義づけているかは、彼の主著である『組織神学』全三巻を見なければなりません。しかしこの著作は、バルトの『教会教義学』ほど大部ではありませんが、それでも三巻からなる大著で、それを読み通して理解するのは、哲学と神学の素養のない一般読者にはかなり困難です。しかし幸いティリッヒには、日本の宗教的関心のある聴衆に語りかけた講演を集めた『文化と宗教』と題する講演集があります。ティリッヒは晩年(一九六〇年)に短期間ではありますが日本に滞在して各地で講演し、仏教や神道の代表者たちとの対話を重ねています。その時の講演を集めたこの著作は、ティリッヒ自身が自分の神学的立場を分かりやすく解説し、主題である文化と宗教に対する彼の理解を要約しています。それで本稿では、おもにこの著作に基づいてティリッヒの宗教論を見ていくことにします。

『ティリッヒ博士講演集 文化と宗教』は、高木八尺編訳で一九六二年に岩波書店から出版されています。本書には、ティリッヒの日本文化という異文化と遭遇した体験を語る「日本講演旅行についての非公式なレポート」や、ティリッヒと仏教徒たちとの対話を記録編集した「ティリッヒと日本との出会い」という一文も含まれおり、興味深い内容になっています。

 この書の最初の講演で、ティリッヒは「私の神学の哲学的背景」を語っています。ティリッヒは若いときから哲学への関心が強く、大学では哲学の講義も担当しています。そもそも哲学は、人間の知的営みである諸学を統合する学であり、すべてを体系的に根源的に知ろうとする人間の欲求から出るものですから、人間の営みとしての文化の中核に位置します。ある文化がどのような質の文化であるかは、その文化が生み出す哲学に現れています。哲学を志向したティリッヒの神学が、文化を神学的に理解し位置づけようとしたことは当然です。ティリッヒは若き日にバルトの神学に共鳴して同じ方向に向かいますが、一方バルトが『ローマ書』を出して、文化宗教となった近代プロテスタンティズムを批判し、神学と文化を厳しく分離したのと同じ時期に、ティリッヒは「文化の神学の理念について」という論文を発表して、キリスト者はいかにして真正な文化を建設できるかという問題、すなわちキリストと文化との関係に取り組んでいます。
 ティリッヒはこの最初の講演で、ギリシアのパルメニデス、プラトン、アリストテレス、ストア派、プロティノス、古代や中世のアウグスティヌス、ニコラウス・クザヌス、近代ではカントやシェリングらの名をあげて、彼らの思想からいかに多くを教えられたかを語っています。ティリッヒは哲学思想には二つの流れがあるとします。すなわち、本質論的な思想の流れと実存論的な思想の流れです。前者は経験や直感における存在の本質を示し、後者は人間の状況の有限性、愚劣さ、両義性を示すものであるとし、自分の神学は両者を結びつけようとする企てだとしています。この二つの哲学思想、とくに実存論については、ティリッヒはその後の「神学に対する実存主義の意義 ― 神学と哲学」という講演でやや詳しく述べています。本質とは多くの個に共通な質であり、多くの個々体の根本をなす理念、普遍性を指し、プラトンがイデアと呼んだものです。この本質論は長らく西洋哲学思想の本流を形成してきました。実存主義は、このような本質論的な思考にプロテストするものとして起こってきました。本質主義は、実在の形而上学的考察や科学的な発展をもたらす上で大きな貢献をしてきました。しかし反面において、本質は実存の中ではじめて現実となりうるものであるということ、実存による本質の現出は、一面では事物の本質の表現であるが、同時に本質を隠し、歪曲するという一面があることを見落としていたのです。ティリッヒはヨーロッパの近代思想史において、最初に実存主義的思考を示したのはパスカルであるとし、人間の認識の有限性を証明したカントもこの系列にいれています。ヘーゲルに反対したキルケゴールの実存主義は有名であり、それに続くニーチェの哲学や、サルトルやカフカの文学などが現代を実存主義の色彩で染めています。

「実存」という用語と概念についてティリッヒは、キリスト論を扱う『組織神学』第二巻で、本論の「U キリストの現実」を叙述する前に、「T 実存と、キリストへの問い」を置いて詳しく解説しています。日本語で「実存」と訳されている欧米諸語は、ラテン語の《existere》(外に立つ)から来ています。実存とは、人間が本質としているものから脱落して、その「外に立っている」状況だと解説しています。その本質からの疎外です。聖書が「堕落」という象徴で指している事態です。その現実がキリストへの問いを必然ならしめます。ティリッヒはここで人間の実存的状況を詳しく記述し、キリストへの問いとの関連を描いています。

 ティリッヒは、この「神学に対する実存主義の意義 ― 神学と哲学」という講演の前半で実存主義の意義を説明した後、後半で実存主義と本質主義の両方の神学との関係を取り上げます。実存主義は、人間の時間的空間的存在としての苦難、人間の有限性と不安、肉体的精神的疾患、罪と失望、過誤と愚昧などから来る窮境、人間だけが自覚することができる窮境を分析し、それをいかに克服すべきかを問います。人類はすでに太古の昔から、この自覚と問いと答えを神話という形で表してきました。今は実存主義的分析から出る問いに神学的伝統から来る答えが対応します。ティリッヒの『組織神学』を構成する原理を一言で表現すると、「哲学が問い、神学が答える」ということになりますが、そのさい答えも問いに影響を及ぼし、問いの方向を規定し、問いに深さを与えます。問いと答えは相関的に結合しています。本質主義は、言語や理性をもつ人間の自然における位置や意義を問い、人間の本質を運命の中に身を置きながら自由である、すなわち有限なる自由であるとしました。これを受けて近代の神学は、人間を自己の本性を完成する能力がある存在と考え、道徳主義的となり、恩寵の福音から離れていきました。実存主義はこの傾向に反発して、人間は善と悪の混合物であること、意志することを行うことができるという信念の誤りを明らかにし、時間空間の世界では道徳的に完成された社会は実現できないことを示しました。それは積極面では、神がわれわれの実存状況を改変する力をもった神として、イエス・キリストがわれわれの古き存在を克服する新しい存在の顕現として把握される道を開きました。実存主義は、近世のプロテスタンティズムが見失っていた恩寵の福音 ― 受け容れがたい人間存在の受け容れ ― を再発見させ、伝統的聖礼典の象徴(象徴については後述)に新しい意味を与えました。さらに実存主義は聖書、とくに新約聖書の古い象徴や神話を新しい時代にふさわしい解釈をすることを教えました。最後にティリッヒは、「現代の神学は実存主義から、人間存在の実存状況の再発見、恩寵の意義の再発見、聖書の新しい解釈の展開、という三つの賜物を受けている」という言葉でこの講演を締めくくっています。

ティリッヒの『組織神学』は、「哲学が問い、神学が答える」という原理で構成されています。この書は五部からなっていて、第一部は「理性と啓示」、第二部は「存在と神」、第三部は「実存とキリスト」、第四部は「生と霊」、第五部は「歴史と神の国」と題されています。それぞれの題名で「と」で結ばれている二項は、前の項が哲学が発する問い、後の項がそれに対する神学の答えを構成しています。人間が抱えている問題を総体的に、また根源的に問う哲学に、神の啓示に基づく神学が答えるという形をとっています。もっとも、先に述べたように、問いから答えへの一方通行ではなく、答えが問いを規定するという相関の方法が取られています。この『組織神学』で宗教の問題がどこで扱われているかが注目されます。普通神学では宗教の問題は啓示に関する序論的な最初の部門で扱われますが、ティリッヒの『組織神学』では第四部の「生と霊」という聖霊の働きを議論する聖霊論の中で論じられています。これは、ティリッヒが宗教を人間の多義的な(善と悪を判然と区別できない多面的な相をもっている)生の現実の中に位置づけて理解しようとしていることの表れであり、宗教を人間の多義的な営みである文化との関連で考察していることを示しています。それで「文化と宗教」の関係が重要となり在日中の講演でもこの主題で二回の講演をしています。

 ティリッヒは「宗教と文化」と題する二回の講演の最初の講演で、まず宗教と文化の衝突を、宗教と科学、教会と国家の衝突を実例としてとりあげ、それは両者が(またはどちらかが)自分の限界を超えるから起こるのであって、両者は共に人間精神の機能であり、人間の生命の基本的な発現である限り、結合することができるはずであり、その再結合こそ自分の生涯の課題であると述べています。この主題に入る前に、横道にはなるがと断りながら、現代では不人気な「道徳性」という言葉のもつ内容の重要性を説きます。すべての生命は中心に向かって自己を統合しようとする「自己統合への衝動」を持ちますが、人間精神の領域における中心ある自己(人格とも呼ばれる)の確立および自己統合こそ道徳性であり、これは人間精神の最初の機能であり、文化と宗教の両方の基盤です。その上でまず文化の概念を取り上げ、文化は精神の次元における生命の自己実現、生命の自己創造だとします。人間の精神が遭遇した外の世界に向かってする最初の基礎的な行為は言語の創造であり、人間は言語によって意志の伝達だけでなく、実在を指し示し、実在の本質を把握しようとします。言語という基盤のうえに人間の認識機能と美的機能が生じます。一方、生命には自己を超えてより崇高なるものに向かって突き進む衝動があります。精神にも究極的に崇高なるもの、究極的に豊かなもの、絶対的な力 ― それが「聖なるもの」と呼ばれます ― に向かって突き進もうとする自己超越、自己昇華の動きがあります。ティリッヒは、人間がこの「究極的であると解されるものに究極的にかかわっている状態」を宗教と呼びます。「宗教とは、なにかあるものが無条件的に真剣な事柄としてわれわれに迫ってくるものがある心の状態」と言えるとします。これがティリッヒの究極的関心事としての宗教の基本的概念となります。
 この宗教の概念は、宗教の通常の概念、すなわち祭司、僧侶、寺院や教会、礼拝行為、神話、教義、祭典などを伴う歴史的宗教の観察から出た通常の概念とは異なります。ティリッヒはこのような歴史的形態をとった宗教を狭義の宗教と呼び、ここであげた究極的関心事としての宗教を広義の宗教と呼んで、両者を厳しく区別すべきことを説いています。この区別は、本書第一章の「結び」で述べた「単数形の宗教と複数形の宗教」(T一〇三頁以下)の区別、人間の本性的な営みとしての宗教性そのものと歴史的社会的な形態をとった諸宗教との区別とほぼ同じです。日本語では単数形と複数形の区別がないため、「宗教」という言葉を用いた議論はしばしば混乱します。この狭義の宗教(歴史的諸宗教)は文化の一部であり、宗教と文化が衝突するのは、狭義の宗教が文化以上のものであることを主張する場合、または特定の文化が絶対性を要求してその限界を超えるときに起こります。広義の宗教、すなわち無条件的な関心事としての宗教は、あらゆる宗教の心髄であり、現実の諸宗教に対して、「この宗教ははたして究極的なものへの人間の究極的な関係を、かかる究極的関わりが本来あるべきような仕方で、真に表現しているであろうか」という審問的な問いを発します。究極的なものに関する歪曲、有限なものを究極的なものとするのが偶像崇拝です。狭義の宗教、歴史的諸宗教は、宗教の本質をなす究極的関心事としての宗教によって批判され審判されますが、それをなくすことはできません。歴史的諸宗教は究極的関心という宝物の保管者であり、それをなくすことは究極的関心が培われる場所を断ち切ることになります。究極的関心はこれらの歴史的諸宗教のなかで育成されます。それがなければ、究極的関心は枯渇し、崇高なものは低俗なものに置き換えられ、普遍的な世俗化が起こります。

ティリッヒの宗教論

 ティリッヒは前項で取り上げた「宗教と文化」という講演をした後、引き続いて同じ大学(京都大学)で「宗教哲学の諸原理」という通し標題で四回の講演を行っています。これは宗教を哲学的な見地から検討したもので、ティリッヒの宗教論を要約して提示しています。この四回の講演をまとめることで、ティリッヒの宗教観を見ておきたいと思います。

 第一講は「宗教哲学の方法と聖なるものの観念」と題されています。この講演でティリッヒは前半で宗教という対象を扱う方法について述べます。方法は扱う対象の性質に依存する面があることに注意を喚起した上で、いつの時代にも見られる「方法の帝国主義」に対する警告を発します。これは、ある分野の方法が他の分野の方法にも適用されることを求める傾向です。現代では自然を対象とする自然科学の方法がほかの分野の学問の方法として支配的になる傾向があります。自然科学はあらゆる現象をより小さい原因、最後には原子の運動にまで還元して説明しましたが、宗教を対象とする学問にもこの還元法が用いられ、宗教を心理学的に説明する学派と社会的に説明する学派という二つの学派が現れます。ティリッヒはこの二つの学派についてそれぞれ三つの実例をあげてその方法が宗教を理解するのには不適切であることを論証していきます。
 第一の心理学的説明によれば宗教とは、1 自然や社会に対する恐怖を超人間的な力の助けをかりて克服する方法である。2 人生と幸福に対する人間の無限の欲望を来世において満たされることの保証である。3 もっとも新しいフロイトの説で、抑圧された心理的コンプレックス(父や母の像など)の投射である。ティリッヒはこの三つの心理学的説明に対して、「これらの人間の恐怖や欲望やコンプレックスは何に投射されるのか」と問えば、これらの心理学的説明の誤りは明らかであるとして退けます。それらの人間の心理が投射される投射幕は、宗教の原理そのもの、聖なるもの、わたしたちに究極的に関わるものです。これらの心理学的説明は具体的な象徴、特定の神々、特定の儀式や教理などは説明できるが、投射幕である宗教の原理そのものを説明することはできないとして退けます。
 第二の社会的な説明も三つの実例をあげていますが、これも先の心理学的説明を退けたのと同じ理由(投射幕である宗教の原理そのものを説明できない)で退けられます。その三つとは、1 神々は王とか英雄とか社会的に重要な人物が神化されたものである(エゥヘメロスの理論)。この理論は神化と言ったときにすでに投射幕を説明なしで前提としている。2 マルクスによる阿片説。支配階級は被支配階級の地上での生活向上を与えたくないので天上での充足に向けようとした、という説。ここでも宗教の原理が前提となっているという誤りがある。3 現代の人類学者や民俗学者による、宗教はある特定の文化の一機能であるであるという説。この説は、「宗教が文化の一機能にすぎないのであれば、どうしてそれが同時に生の諸形態をすべて決定する基礎となりうるのか」と、「宗教と、この宗教を内に展開させる文化との間に、なぜ絶えず衝突が起こるのか」という二つの問いに答えられないとして退けられます。
 このように還元法による説明がすべて退けられるのであれば、まず神の存在を論証して、その存在者に関係する人間の諸活動として宗教を説明する形而上学的方法が問題になります。神という観念はこの連続講演の主題として、ここでは保留して、ティリッヒは存在という範疇は時間と空間のうちの存在について用いられるもので、神的なものの本性に適合しないとして、この形而上学的方法も退けます。こうして宗教という対象に対して用いられる唯一の方法として、ティリッヒは「体験分析の方法」をあげます。これは諸体験を、直接に体験された性格において観察し、記述する。そして、それと他の体験された諸現実との関係を示し、それが人間の生において占める場所を示し、その体験そのものの構造から内的な批判を行うというものです。現実は諸現象に自らを示しますが、それを記述する前に、それらの現象についての理論を立てません。ティリッヒは、この方法はフッサールの現象学を(ハイデッガーを経て)継承し発展させたものとしています。この方法の一つの実例として、後半で聖なるものの観念を論じます。
 ティリッヒは、宗教哲学は神の観念から出発すべきでなく、聖なるものの体験から出発すべきことを主張します。後者は直接与えられるものだからです。それは記述され分析されうるものです。この聖なるものの記述と分析は、ルドルフ・オットーの『聖なるもの』という著作で見事になされました。聖なるものは神秘として現れ、われわれを魅了し、同時に畏怖させます。この「魅了し畏怖させる神秘」という聖なるものの性質に、ティリッヒは「それはどういう種類の神秘か」と問い、「それはあらゆる神秘を超えた神秘、いつかはその神秘性を失うような特定の神秘ではなく、唯一の神秘である」と答え、オットーの聖なるものの性質に究極的なもの、無制約的なものという要素を加えます。このように聖なるものの分析は、対象と主体とを超えた究極的なものへの関わりという宗教の基本的概念を与えてくれます。宗教とは、究極的なものに関わっていること、したがって究極的に関わっている関心をいだくことである、ということになります。この関わりはわたしたちの全存在の事柄であり、中心をもった自己(人格)の問題です。このような中心をもった無制約的な関わりがあらゆる宗教のもっとも内奥の中心であるが、この中心が普通の意味の宗教とどう関わるのかを問い、この問いへの答えの中でティリッヒは「悪霊的なもの」という概念を導入します。究極的な関わりの対象である聖なるものは常に具体的な形で現れますが、その聖なるものが現れる有限な具体的事物が聖なるものそのものと混同されることが、狭義の宗教の中でしばしば起こります。聖なるものを指し示す有限な担い手が自分の神聖を主張するとき、それは悪となり破壊的となります。ティリッヒはこの聖なるものと破壊の結びつきを「悪霊的なもの」と呼び、宗教史の偉大さはこの悪霊化との絶えざる戦いが続いたという事実にあり、他方この悪霊化が絶えず起こることは宗教の恥辱であると言います。宗教は人類の最高の栄誉であり、最も深い恥辱である、ということになります。

 第二講は「聖なるものの力学と宗教の象徴」と題されていますが、講演の内容はほぼ「聖なるものの力学」に費やされ、「宗教の象徴」は次の講演に回されています。前講の終わりで論じられていたように、聖なるものは何らかの具体的なものの中に現れ、その聖なるものとの関わり方が人類の宗教史となるのですが、そのさい聖なるものが現れる具体的なものが聖なるものそのものと取り違えられて絶対性を要求し、それが悪霊的な力となって破壊的な方向に働くようになります。一方それを克服しようとする力も働きます。この究極的なものと具体的なものとの間の緊張関係が、宗教における力動的な力となります。この緊張から絶えず闘争が起こり、種々の異なった解決が展開します。この闘争と諸解決が宗教と宗教史の運命を決します。ティリッヒはこれを「聖なるものの力学が宗教の運命である」という表現でまとめています。

ティリッヒは聖なるものの力学において悪霊的な力を重視して、別の講演をこの主題にあてて詳しく論じています。ここでの講演より後に別の場所(東京神学大学)で行われた「宗教の力学と悪魔的なものの構造」と題する講演で、同じ主旨のことがよりいっそう詳しく語られていますので、それも参照して、ここで両方の講演をまとめて要約しておきます。後の講演では「悪魔的なもの」と訳されていますが、本講演の「悪霊的なもの」と同じです(原語は the demonic) ― 訳者が違います。「魔的なもの」という訳語も参考になります。

 聖なるものが具体的現実のうちに現れるとき、すなわち人物や書物や事件などに現れるとき、聖なるものは自己を現しているその事物を聖化する。それ故に石の建物が神殿となり、パンが秘蹟となり、一人の人物が神の顕現となり、一冊の書物が啓示の記録となります。そうなると、具体的事物は、それが指し示しているものと混同される危険に絶えずさらされることになり、次の段階では、究極的なもの自体ではなく、聖なる事物に究極性が要求されるようになります。この要求をティリッヒは「宗教の悪霊化(悪魔化)」と呼びます。これが起こると、悪霊化した宗教は他のすべての有限なものを自己の統制下に服従させようとし、それができないときは破壊しようとします。
 悪霊化した宗教は個人を狂信者にします。狂信者とは自分の疑惑を抑圧している者です。もし人が聖書を歴史的に理解する方法を多少とも知っていながら、伝統的解釈の故に歴史的研究の成果を認めないならば、自分の疑惑を抑圧する狂信的根本主義者となります。伝統的道徳の細部に頑固にこだわる狂信的道徳主義者もいます(彼らは不適切な呼び方ですがパリサイとかピューリタンと呼ばれています)。社会面では、われわれはヒトラーやスターリンにおいて悪霊化した疑似宗教の脅威を十分体験してきました。中世末期の宗教裁判やドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』に出てくる大審問官は、ここで「悪霊的なもの」と言っているものの最高の表現であり、その構造をよく示しています。しかし、悪霊的なものは聖なる場所、すなわり宗教の領域に住むのをもっとも好みます。諸宗教おいて悪霊的なものが聖なる場所を占めている形態のいくつかをあげると、第一に多神教があげられます。これは神の数の問題ではなく、「究極的なものが究極的であることを主張しつつ、さまざまの有限的形態に現れ得るか」という問題であり、もし現れ得るのであれば、さまざまな形態の究極的なものがそれぞれ自らの究極性を主張し、これがわれわれに意識を分裂させ、どの主張も真剣に受け取られないという結果を招きます。もう一つは偶像礼拝です。聖なるものの芸術的再現、つまり神の像や聖なる人物の像が究極的なもの自体に取って代わり、礼拝されるようになる場合があります。もし一つの宗教組織が聖なるもの自体と同一視されるならば、自分に対立する諸宗教を抑圧し除去しようとします。もしその目的のために政治権力を利用するようになれば、悪霊的なものは最も恐るべき段階に達します。
 ティリッヒは、宗教が悪霊的なものに対抗する二つの方向として、自己を超えて究極的に崇高なるものに向かう方向と、聖なるものを全面的に否定し、低俗の状態に向かう世俗化の方向があるとします。そして、前者の場合には、宗教の悪霊化に対する戦いは、預言者的批判によるか神秘主義的高揚によるとされます。預言者的批判による戦いは、旧約聖書の預言者たちに典型的に示されています。イスラエルの預言者たちは政治的指導者(王)や宗教的指導者(祭司)たちの聖なるものへの越境を厳しく批判しました。この預言者的批判から西洋のあらゆる宗教の反悪霊抗争の諸形態が生まれます。その中で最大のものは宗教改革ですが、それはただ一度起こった事件を指すのではなく、プロテスタンティズムとは宗教における悪霊化に対抗する原理そのものの名称であり、プロテスタンティズム自身の中にある教理とか道徳などの絶対化(その中にキリストでないイエスの絶対化をあげているのは示唆的な指摘です)と戦うことを求める原理です。宗教の悪霊化と戦うもう一つの道は神秘的高揚によるものですが、これは西洋にもありますが、インドを発祥地とする諸宗教において有力であり、仏教もその一つです。この道が預言者的な道と異なる点は、神秘的高揚が具体的宗教の根本的批判を生み出さない点です。神秘的高揚には段階があり、最高の段階に達したごく少数の個々人の状態と最低の段階にいる民衆との差は大きく、前者は通常の宗教のいかなる形態をも超えていますが、彼らは後者に残る悪霊化された宗教の形態を容認しているので、一般の宗教に改革が起こらず、沈滞する傾向があります。
 宗教の悪霊化と戦うこの二つの道は共に限界があり断片的とならざるをえません。それで世界はもう一つの方向、世俗化の方向をとることになります。世俗化とは人間の精神生活の全活動範囲から聖なるものが徐々に消滅していく過程です。この人間の活動をティリッヒは水平方向と垂直方向とに分け、何か新しいものを生産する文化的創造活動は水平方向に向かい、歴史的時間の中で行われ、その完成形態は人間の歴史となる重要なものです。ところが、その中で垂直方向の次元が失われ、過去と未来を超越し、しかも現在であり、永遠から出て永遠に向かうもの、水平的軌道では近づくことができないものの次元を見失っています。この事実がもっともよく表れているのは技術の世界です。さらによいものの生産に向けて技術上を走り続けるアメリカと日本ではこの垂直方向の次元の喪失は深刻です。人間は道具を造ることができる唯一の生物であり、この能力によって走り続ける技術的世界はだれも否定できません。これを敵とすることはロマンティックな愚行です。しかし、この技術世界の進行は垂直的軌道の喪失を招き、二つの結果を生むことになりました。一つは、人間自身がこの生産過程の一部となり、道具生産における道具の一つに過ぎなくなったことです。これがマルクス主義革命が起こり、人間の非人間化に対する戦いが起った原因です。もう一つは、人間は手段を作り出すが、この手段に目的を示し得ないということです。このような事態をティリッヒは「文化の世俗化」と呼んでいます。世俗化は一種の解放でした。近代の啓蒙主義が宗教裁判に象徴される悪霊化した宗教から文化を解放しました。しかし、完全に世俗化された世界の空虚を満たすべく悪霊が裏口から、すなわち宗教ではなく政治組織から入り込みました。世俗的なものに逃避することは、空虚な低俗という結果を招き、その空虚にふたたび悪霊的な力が入り込みます。
 このように分析した上で、ティリッヒはこの講演の結びとして次のように述べています。「われわれの宗教的現状は二者択一に立たされている。一方においては、聖なるものに向かいつつ生じる悪霊化から、他方においては、世俗化の結果である低俗化から、したがって新しい悪霊化から、逃れ得ないというにある。われわれの取るべき道はどこにあろうか」。この問いに対してキリスト教が答えうるものであることを、以下の三つの原理をあげて根拠づけています。1 キリスト教は、神のみが存在するのであって、人間的なものは何も存在しない、という根本的な反悪霊的な原理を持っている。神的なものも表現されると、その表現は人間的領域のものとなり、神の審判の下に立ちます。何ものも、究極的であるとの主張はできないという原理です。2 キリスト教は宗教ではない、ということ。キリスト教が一つの宗教であるならば、他の諸宗教と同じ平面で際限のない論争に巻き込まれることになります。しかし、キリスト教が、争う余地のない最後のものはただ一つしかない、すなわちキリストの姿において完全な形態で実現された「新しい存在」であることを明らかにするならば、キリスト教はもはや一つの宗教ではなく、自己自身を含むあらゆる宗教に対して審判となります。その結果 宗教としてのキリスト教(christian religion)ではなく、キリスト教(Christianity)が諸宗教の上に高められます。3 キリスト教が一つの宗教ではなく、それ自身で反悪霊的な原理であるならば、キリスト教は世俗的なものを喜んで受け容れます。神は日常的世俗的生活の中に現存する故に、そこでは宗教も寺院もいらないのです。ティリッヒは、もしキリスト教がここにあげた三つの原理を真剣に取り上げるならば、自己および宗教の世界全体の内部における、悪霊的なものと低俗的なものとの戦いを、これまで以上に効果的に遂行しうるであろう、と述べてこの講演を締めくくります。 ― この結びの部分の論述は重要ですが、これは次章の「現代の宗教問題」でやや詳しく論評する予定です。

 第三講「宗教の象徴」で、ティリッヒは象徴一般と特殊な宗教的象徴について論じます。宗教とは究極的なものに究極的に関わっていることであるならば、宗教に対するわれわれの関係を表現する道は一つしかない、すなわち象徴と神話による道です。有限な事物や言葉で無限のものを表現できないのですから、有限なものが何か自己を超えた何かを指示するという仕方で用いる以外に方法はないわけです。これが象徴です。ティリッヒは最初に象徴の性質について、とくに記号と対比してその特質を説明します。自己以外の何かを指示するという働きにおいては象徴と記号の区別はありません。記号と象徴の違いは、自己を超えて指示する対象との内的な関係の有無です。記号はその内的関係がありません。信号の青色と車の進行には内的関係はなく、車の進行指示は他の記号でも示すことができます。それに対して象徴はそれが指示する対象に参与しています。象徴される対象はある仕方で象徴の中に現存しており、象徴は対象に参与しています。この相互参与の状況はあらゆる宗教的象徴の偉大さであるとともに危険でもあります。さらに記号との違いは、象徴はそれ以外の仕方で実在に近づく方法がないという仕方で実在を開示する点です。ティリッヒはその関係を芸術的象徴(作品)で説明しています。このような違いから、記号が便宜の観点から案出されるのに対して、象徴は人または集団の創造的深みに生まれるのであり、人がその象徴の力を体験する間は生きているが、その力がなくなると象徴はその機能を失い死滅します。宗教史は死んだ象徴の墓場であり、新しい象徴の沃野である、ということになります。ティリッヒは、象徴が用いられる分野として言語、芸術、歴史、宗教をあげていますが、とくに宗教的象徴はわれわれ人間に関係づけられたもの、われわれの全実存に関係づけられたものであり、宗教的象徴をそれ以外の場で用いることの危険を警告しています。そして、この宗教的象徴の意義と用い方について、典型的な象徴三つをあげ実例をもって解説します。その三つとは、創造、キリスト、神の国というキリスト教神学の主要な主題です。
 1 創造は実存的な象徴、われわれの全実存に関係づけられた象徴です。それは何億年か前の物理的出来事の記述ではありません。創造はあらゆる有限なものと、それが出てきた根底、それが帰っていく根底との関係の象徴です。この根底を人格的な象徴を用いて創造者と言い、超人格的象徴では創造的根底と称します。この創造という象徴は次の四つのことを意味します。@われわれは造られたものであること、自分の力で存在するものではないこと、われわれの存在の根底を指し示しています。それ故、まさにその根底がわれわれの究極の関わりでなければならないことを指し示しています。Aこの依存関係は、実体的な同一性、神と世界の同一性という思想を排除します。Bわれわれは無から来て無に赴くのではなく、永遠から来て永遠に赴くのであることを指し示しています。C「無からの創造」という思想は、世界が神的根底に根ざしている以上、世界は善であるということを含んでいます。
 2 「キリスト」という象徴。イエスは象徴ではなく、歴史上に実在した人物です。「キリスト」は「新しい世、歴史の新しい時期、変容された実在、新しい存在をもたらすという任務を果たすために聖なる油を受けた者」を指す称号、象徴です。これが歴史上のイエスという人物に適用されて「イエス・キリスト」、正確には「キリストであるイエス」と称されるとき、この象徴は、新しい存在がすでに彼において始まったことを指し示しています。新約聖書はイエスがキリストであることを、人の子、主、救い主、ロゴスなどの伝統的な称号を用いて指し示しています。一つの出来事が象徴を用いて物語られるとき神話という形態をとります。このような物語を文字通りに理解すると根本主義(ファンダメンタリズム)の誤りに陥ります。宗教的真理を語るには神話は欠かせないのです。それで、聖書は「非神話化」するのではなく、「非字義化」する必要があると言うべきだ、とティリッヒは提言しています。
 キリスト教神学はイエスという歴史的人物とキリストという象徴を結びつけることによって困難な問題に直面してきました。「史的イエス」の問題は、歴史研究が蓋然性の限界内にとどまるので、結論や解決はなく、確実性に達することはできないのです。確実性は「参与」によって初めて可能になります。キリストとしてのイエスの像は、それに参与した者たちを圧倒して、キリストとしてのイエスの真理を世界に確立してきました。ここでティリッヒは、プロテスタンティズムが歴史学の方法をもって自らの聖典に立ち向かい、他の世俗的文書と同じように、徹底的に歴史の問題を問いただすことができた唯一の宗教であることを、誇りをもって述べています。「イエス・キリスト」という呼び方に含まれている非象徴的なものと象徴的なものの合一は、キリストとしてのイエスの理解にとって決定的に重要です。もしイスラム世界で、ムハンマドの歴史的事実を公に問題にするならば、その人は翌朝には生きていないであろうと言われるのと対照的です。反対に仏教の世界では、ゴータマに関する歴史上の事実がどうであれ、悟りに達するのに決定的に重要ではないとされて、彼の歴史的研究はほとんどされませんでした。
 3 「神の国」は象徴としての特徴をすべてもっており、明らかに一つの象徴であるだけでなく、東洋と西洋との相違、特に仏教とキリスト教の相違をもっともはっきりと示している象徴です。それは、この象徴が備えている四つの特徴で明らかです。ティリッヒは四つの特徴を記述する前に、「神の国」という象徴を非象徴的に用いる二つの用い方に警告をしています。一つは、「神の国」を一定の年月の後のある時期に到達される歴史の段階、歴史のうちでの歴史の成就と考える場合です。これは象徴としての性格と歴史的実存の現実に矛盾します。もう一つは、「神の国」を、ある人たちが入ることを許され、それ以後はずっと幸福でありうる静的な天の場所とする誤りです。両方とも「神の国」という大いなる象徴の、象徴としての意義を誤解しています。その結果、現代人が受け入れることを拒むという結果を招いています。このように「神の国」の象徴としての性格を明らかにした上で、その四つの特徴をあげていきます。@それは社会的・政治的なあるものを指し示している。それは正義と愛とによる個人の集団の重要性を強調しています。それは正義であるから、その愛はたんなる慈悲以上のものであり、慈悲を必要とする現実を変えようとします。A救いは歴史を超えるが、歴史の内部で生起します。それだけでなく、歴史において決定的なことが起こり、歴史それ自身が啓示の場所となります。B神の国は、歴史の中で絶えず悪霊的なものと闘争するという動的な事態を指し示しています。その勝ち負けは両義的です。悪霊的なものは、その支配は砕かれているが除去されてはおらず、利用され奉仕させられています。悪霊的なものも聖なるものの一種であり、このことはインドの宗教に見られます。C神の国は終末論的な象徴です。時間は何か新しいものに向かって進んでいきます。われわれは存在のそれぞれの瞬間に創造される過程におり、終わりに直面しています。現在において永遠の過去と永遠の未来が与えられています。この永遠の理解がすべての宗教の究極の課題です
 ティリッヒの象徴論は、それが創造とかキリストとか神の国というキリスト教の主要主題が象徴として扱われていることからも分かるように、神学にとって重大です。これらの主題が象徴とされていることは衝撃的ですが、それは「参与」(perticipation)によって信仰の現実となることを見落としてはならないと思います。参与とは、聖霊の働きによってそれらの象徴が指し示している現実に入っていくことを指すティリッヒの概念です。この象徴論の重要性は次の第四講演によってますます明らかになります。

 第四講は「実在また象徴としての神」と題されています。これまでの三回の講演でティリッヒは、究極的なものに究極的に関わっている状態という宗教概念の中身について語ってきましたが、最後に宗教の中心的な象徴である「神」について語ります。神という用語を拒否する宗教(仏教)や疑似宗教(共産主義)においても、何かが究極的なもの、聖なるものとして扱われる限り、神の観念についての議論が妥当します。
 最初にティリッヒは、宗教の力学(究極的なものと具体的なものとの力関係)によって神の観念の歴史的発展を概観します。最初の前神話的段階では、シャーマニズムやマナ信仰やアニミズムに見られるような、聖なるものの全体が現実のほとんどあらゆる顕著なものの中に現前していて接しうるという、聖なるものと具体的なものとが鋭く分離されず無差別に体験されている段階です。究極的なものと具体的なものが分離されるのは、偉大な神話(ギリシアやインドの神話)の時代に現れます。聖なるものは支配する神々に集中し、神々の勢力は悪霊たちの勢力と戦って勝利をえます。しかし、神々はそれぞれの特殊な性格において有限でありながら、神々として要求する絶対性のゆえに互いに闘争し、悪霊的となります。この段階の神々は有限なものを神として拝む偶像にとどまります。次に神的なものから悪霊的なものを除去しようとする徹底的な試みとして、ゾロアスター教やマニ教のような宗教的二元論が興ります。究極的な力として善と悪の二つの力があると答えることは、悪の存在という難問を解くもっとも容易な方法ですが、これは究極的なものの究極性を否定することになり、悪霊的なものを除去しないだけでなく、自身が悪霊的なことを行うことになります。神話に見られるように、多神教は多くの神々を統合する家父長的・君主的一神教の形をとり、そこから真の一神教の二類型が発展します。その一つ、一元的一神教は具体的対象の全体を超越します。神は世界の上にあるが、外にあるのではなく、万物の内にあって万物を越えて支える力動的な基体です。この基礎の上に絶対の存在や非存在の哲学が発達し、独立し、神秘的体験へと帰入します。もう一つ類型の排他的一神教の方は、ユダヤの預言者たちの啓示体験によって創られ、キリスト教とイスラム教によって世界的な影響力をもつにいたります。イスラエルの神はあらゆる具体性において他の神々と戦い征服します。それは、それに反するならば自分の民でも裁くという正義という普遍的原理で、特定の神の絶対性の主張に打ち勝ちます。
 この二類型の一神教において究極性の要素が勝利を占め徹底的になっていった結果、それに対する反動が起こり、究極的一者と世界の間に様々な形態の中間的存在が入ってくるようになります。東洋の神秘主義的宗教に覚者と呼ばれる具体的人物が登場し、大乗仏教には大勢の有限な神に似た存在者が入ってきます。西洋では中間者は排他的一神教への脅威ですから、一神教はそれと戦い外面的には勝利したように見えますが、実際にはユダヤ教にもキリスト教にも様々な名称でこのような中間的な存在者が入ってきています。ローマカトリック教会では諸聖人、とりわけ処女マリアが典型的です。神の観念における絶対と具体との緊張という宗教の力学の問題を解決する方法として、ティリッヒは三位一体の象徴をもっとも適切な解決としてあげています。
 講演の前半で神の観念の典型的な発展を歴史的に振り返ったティリッヒは、後半で実在また象徴としての神の観念に含まれる問題を直接に構成的に述べます。第一は神と存在の関係です。「神があるとはどういう意味か」という問いについては、多くの存在するものの中に神と呼ばれる一つのものがあるということではありえません。神は何よりも一つの存在者ではなく、「存在するすべてのものの内にある存在の力」、「存在そのもの、存在の根底」です。次の問いは、「神は生きているとはどういう意味か。そもそも生命があるとはどういう意味か」という問いです。生命において存在は現実的です。すべての生命過程には三重の性質があります。生命は生命自身と同一である(自己同一)、生命は生命自身を越えて変わる(自己変化)、生命は自分自身に帰る(自己還帰)の性質です。この普遍的な過程は、存在の根底に根ざしています。神的なものにおいても同じ過程が起こっています。この神的根底で起こっていることはわれわれの思いを越えていますが、神が永遠において行われること、神が自らとの自己同一を越え、そして自らとの統一を再建するということは、有限な生命過程においても反復して起こることです。神は永遠において肯定し、否定を否定する。この弁証法は、真実なものであるかぎり、すべての生命過程の記述となります。その過程の中に自己よりの超出と自己への還帰があり、それは自己統合、自己生産、自己純化の相をもちます。この生成、生命の創造性は、すべての存在の根底に根ざしています。しかし、すべての生命過程は悪の可能性を含んでいます。それは神的根底においては可能性にとどまりますが、被造者においては現実 ― 崩壊と破壊と非聖化の現実 ― になります。さらに、すべての生命の根底としての神の生命という象徴と、自己変化と生成に関する命題とは、神的根底における否定の要素を前提としているとして、ティリッヒは否定に三つの概念があるとして、単に否定する否定、生命(未存在から現勢的な存在への移行)を生み出す否定、ある特定のものではない存在、しかも絶対的に豊富である存在という三つをあげています。この第三の否定の概念が、仏教において無が究極的なものになる可能性に触れ、キリスト教における「生ける神」という最高概念と対比しています。ここの生命と否定に関するティリッヒの議論は、複雑な哲学的議論を極度に圧縮しているために、かえって理解困難な面があるようです。
 このように存在と生命の根底としての神を語った後、ティリッヒは「神は霊である」という命題を取り上げます。霊は中心をもつ人格について語るものですから、われわれは人格の概念を象徴的に神に適用することになる、とします。この語を神に適用する前に、ティリッヒは近代の西洋において人格の概念が思考の中心になるまで、古典的神学では神が人格であると称せられたことはなかったという事実に注意を喚起しています。神がペルソナと称されたのは、そのギリシア語《プロソーポン》(役者の面、役割)という語意から、神の役割という意味で用いられたのであり、三一神に適用されたときは根底としての神(父)、形としての神(子)、行為としての神(聖霊)という役割の意味であったことを思い起こすべきであると言っています。神の人格性が問題になるのは、実存的状況において、すなわち祈りの状況において問題になります。祈りにおいては、「私 ― あなた」の関係が前提されます。その関係において、神は私に対する方として人格的です。しかし、神には人格的なものを越える面もあるのですから、すべての祈りには黙想的・瞑想的な面もあるべきです。「私 ― あなた」という関係は、「私 ― それ」の関係にではなく、「私 ― 私以上の私」の関係に変えられるべきです。霊としての神は、非人格的な生命には非人格的に現前し、人格的な生命には人格的に現前し、すべての生命にとっては超人格的に現前します。
 ティリッヒはさらに二つの神の象徴を語ります。一つは全知、全能、偏在、永遠という力の象徴です。これらの力が文字通りに理解されるのは馬鹿げています。その時、神は玉座に座して思いのままに振る舞う天の暴君となり、こころある人々に拒否されるだけです。このような神の観念は、神への冒?となり攻撃となります。さらに、これらの象徴に含まれている実存的な関係を人間から奪い去ります。そのような力は、私を実存的な状況から救う力であることをやめ、たんなる客観的記述になってしまいます。もう一つは愛の象徴です。ティリッヒは、キリスト教の愛の概念から情緒的で感傷的な面の優勢を除かねばならないことを主張し、愛には正義の堅い構造があること、離脱した者を無条件永遠に肯定する質のものであることを理解しなければならないことを強調します。愛が感情的な面で理解されると、なぜ慈悲深い神がこの世界の悲惨を許しているのかという難問が解けず、神の愛は子供の反抗を大目に見る弱い親の愛のレベルに引き下げられます。ルターが経験したように、抵抗する者に対する愛は悪霊的な特性を持ちます。神は自らを愛として確立するために、悪霊的なもの、破壊的に聖なるものを用います。すなわち悪霊的なものを愛のために奉仕させるように用います。このことは、すべてにおいてすべてである神という宇宙の完成という象徴に導きます。ティリッヒはこの講演の最後に、「この『すべてにおいてすべてである神』は、仏教的定式において愛の永遠性のための余地をもつであろうか。それとも、それは永遠の成就において愛の可能性をさえも克服する(除去する)であろうか」と問い、「わたしはこの問いに答えることはできない。わたしはこの問いをあなた方に残し、私はこの問いをたずさえて帰る」という意味深い言葉で締めくくります。

この第四講と同じ題名でほぼ同じ内容のいっそう簡潔な講演が、日本滞在中の最後の講演として行われ、講演集『文化と宗教』の最後に収められています。宗教の中心問題である「神」の概念について、ティリッヒの思想をよくまとめていますので一読をお勧めします。

世界諸宗教の出会いと対話

 ティリッヒは現代における宗教の多元化にも強い関心をもっており、在日中の講演でも「世界諸宗教の出会い」と題する講演をしています。その要約は前項で扱った『文化と宗教』という講演集にも収められています。しかしその講演は、問題の大きさに較べてわずか一回の講演でまとめていますので簡潔に過ぎ、問題の所在を示唆するにとどまるという印象を受けます。ティリッヒは日本での活動を終えてアメリカに帰国したあと、この問題にさらに本格的に取り組み、シカゴ大学でエリアーデと共同のセミナーをもって宗教問題に取り組みます。ティリッヒにとって日本での仏教や神道との出会いは、ドイツからアメリカに渡ったときに受けた衝撃と並ぶ、生涯の転換点となった、と自身で述懐しています。この時期のティリッヒの思想は、日本訪問二年後の一九六二年に出版された『キリスト教と世界諸宗教との出会い』によく示されていますので、この書によって現代の宗教問題に対するティリッヒの見方をまとめておきたいと思います。

『キリスト教と世界諸宗教との出会い』は、日本から帰国した後、コロンビア大学のバンプトン講座で行われた講演を出版したもので、原題はChisitianity and the Encounter of the World Religions (Columbia University Press, 1963)です。ドイツ語版は Paul Tillich, Gesammelte Werke, Band 5 に収められています。この講演集はすでに一九六七年に丁野政之助の訳で『キリスト教徒仏教徒・対話』(桜楓社)という題名で邦訳が出ています。ドイツ語版からの邦訳は、白水社版の『ティリッヒ著作集』第四巻に野呂芳男訳で「キリスト教と諸世界宗教との出会い」という題名で収められています。本項は両訳を参照して進めます。

 第一講は「現在状況の確認 ― 諸宗教、疑似宗教ならびにそれらとの出会い」と題されています。
 1 ティリッヒは最初に、この世界諸宗教の出会いという主題をキリスト教の立場から取り扱うことの正当性を述べています。宗教の外に立って客観的に観察することを標榜する者も、自身は宗教の基礎をなす問いに対する答えを持っていて、内的に関与しているのであり意識的に特定の宗教的立場から出発する神学者も同じであるとします。
 2 宗教を「究極的な関心事によって捉えられている状態」と定義するティリッヒは、究極的なものに対するもっとも普通の名称である「神」を使わないで、世俗的な別の何かを究極的なものとして宗教的な(無制約的な)献身を要求する運動を「疑似宗教」と呼び、典型的な疑似宗教としてファッシズムとコミュニズムの二つをあげています。ファッシズムは民族を、コミュニズムは特定の社会体制(共産社会)を究極的なものとして、人々に忠誠と献身を要求する運動であり、狭義の宗教の形をとっていない宗教として疑似宗教と呼ばれます。民族主義の急進化・過激化がファッシズムであり、社会主義の急進化・過激化がコミュニズムです。それに対して多数の西欧諸国において優勢な自由主義的ヒューマニズムはそれに対抗しうる一つの疑似宗教であるのか、とティリッヒは問い、それは脆いものであり、その民主主義的形態は歴史上では稀にしか存在しなかったと述べています。それは他の宗教や疑似宗教から挑戦されると、自己の原理に反する絶対主義に駆り立てられるからです。ここでティリッヒは自由主義的ヒューマニズムとプロテスタンティズムの親近性に触れています。プロテスタンティズムは、初代キリスト教がそうであったように、律法から自由な「霊の宗教」です。両者は対立する勢力から挑戦を受けたとき、自己の霊性を放棄して、律法主義と権威主義を受け容れることになりました。ここに真の危険があり、われわれはこの危機的時期にいると警告します。

ティリッヒはここで "religion of the Spirit" という表現を用いています。野呂訳はこれを「精神の宗教」と訳していますが(ドイツ語版ではおそらく Geist の宗教)、丁野訳は「聖霊の宗教」と訳しています。ここでは「霊の宗教」が適切ではないかと考えます。

 3 現代の諸世界宗教の出会いは疑似宗教からの攻撃によって劇的なものになっていますが、その攻撃の武器は近代的技術であり、それは一連の産業革命をもたらし、文化的宗教的伝統の世俗化と破壊をもたらしています。技術の侵入は世俗化と宗教的無関心をもたらしましたが、自分自身の存在の意味に対する問いへの無関心は一時的な状態にすぎず、短時間だけ持続するだけです。伝統的な宗教が力を失うやいなや、技術的な創造物にも世俗的な思考の深みにもある宗教的要素(科学的な誠実さ、権威からの解放、正義と真のヒューマニティーへの熱望、よい社会秩序に向かう希望など)が現れてきます。古い伝統にさかのぼるこれらの諸要素から新しい疑似宗教の諸体系が発生し、人生の意味について新しい答えを与えるのです。技術文明の形をとった世俗主義は、疑似宗教に道を開きました。疑似宗教は古い伝統的宗教に帰ることでもなく、全くの無関心主義に至るのでもない別の道を提供しました。
 4 疑似宗教に向かうものとして、ティリッヒは最初に民族主義(ナショナリズム)を取り上げます。すべての社会集団は、生物の通例として当然の自己主張をもっています。世俗化前の時代においては社会的共同体と宗教的共同体は重なっていました。世俗的な批判によってこの重なりが解体して宗教が傍らに押しやられ、その空白が無制約性にまで高められた民族の理念によって満たされた時に、近代的な形態の民族主義、ナショナリズムが興りました。一つの民族は二つの要素、すなわち成長する生きた権力構造としての自然の自己主張と、無制約的な価値の原理を擁護し実現するために召されている意識の二つの要素によって規定されています。民族主義がもっている疑似宗教的な性格は、この両方の要素の統一に基づいています。その実例としてティリッヒはギリシア人から現代に至る諸民族の使命意識の実例を列挙しています。民族がかかえる最重要の問題は、この権力と使命意識とのあいだの緊張です。この疑似宗教的な民族主義が、ただ民族的な権力に奉仕するだけになると、民族主義は悪霊化し、自己破壊的になります。民族主義は理念によっては帝国主義にもなり、ヒューマニズム化されることもありえます。また、自分とは別の究極的な価値に召されていると感じるときは人類統一の代表者となることもありえます。使命意識が権力構造と均衡を保つ国もあります。しかし、その国も優勢な権力意志をもつ他の国に脅かされる時には、その均衡を破って自分の権力意志に屈服する場合があります。ティリッヒは今日(この講演の時期)のロシアに対するアメリカの関係を実例としてあげます。
 5 ロシア共産党のイデオロギーが侵略とでもいうべき仕方でロシア全土を制圧したのは、疑似宗教が本来の宗教と戦う場合の力学を示しています。それは東方キリスト教に対するイスラム教の侵略と比較されます。イスラムの宗教と共産主義という疑似宗教のあいだには構造上の類似があります。両方とも旧約の預言者たちの主張とユダヤ教の律法主義にその根をもっています。それまでロシアを支配していた静的・聖礼典的組織は、内に含む将来のヴィジョンによって法外な勢力をもつ信仰の攻勢に抵抗できなかったのです。もっともロシア共産主義の東欧衛星諸国に対する侵略の場合は違います。この場合、共産主義は強度に中央集権的なローマカトリック教会や深い宗教的伝統をもつ諸国を、外的には支配できたが、精神的勝利を得ることはできなかったのです。ロシアへの攻撃と制圧に見られたイスラム教と共産主義の類似は、イスラム世界が共産主義に抵抗する力を説明します。イスラム教の社会的・法的組織と日常生活の組織は、個人に安全さの感情を与えるので、共産主義が入り込めないのです。アフリカの原始的な諸宗教に対しては、独立を達成して高揚している民族主義のために、共産主義は入り込めないでいます。むしろ人種差別をしないイスラム教が強い影響力を示しています。インドと東南アジアではヒンドゥー教と仏教がもっとも重要な宗教的伝統を形成しているが、この二つの宗教は社会改革を実現する力をもっていないので、共産主義的疑似宗教に地盤を用意することになっています。共産主義と西欧文化との出会いについては、文化的精神的な出会いとしては、イスラエルの預言者的伝統を汲む宗教が様々な革命運動の源泉となってきたので、西欧文化は共産主義に対して比較的に免疫性をもっていることになります。最後にティリッヒは、脆弱なものとされてきた宗教の二つの形態、すなわち霊的プロテスタント宗教と自由主義的ヒューマニズムの疑似宗教が共産主義に対して強い抵抗力をもち、民族主義に対しても不完全ながらある程度の抵抗力を持つことを、最近訪れて体験した日本の実例をあげて述べています。技術文明と宗教的無関心という世俗化が日本ほど進んでいる国はアジアでは他にありません。その日本で伝統的な宗教的伝統である神道と仏教は、民主主義のための象徴や理念を持っていないのです。そこに悪霊的に過激化された軍国主義的ファッシズムが入り込んできました。この日本は戦後に戦勝者の手から民主主義を受け取りましたが、その民主主義の精神的基礎は、統計には表れていませんが日本に根付いている自由主義的ヒューマニズムとキリスト教プロテスタンティズムの理念です。

 第二講は「非キリスト教的宗教を批判するさいのキリスト教的諸原理」と題されています。第一講で疑似宗教と本来の意味における諸宗教との出会いに集中して現代の宗教的状況を概観したティリッヒは、第二講でそのような状況におけるキリスト教の位置について議論を進めます。
 1 まず、キリスト教はその歴史において他の諸宗教についてどう考えてきたのかを振り返ります。その前にティリッヒは、いかなる懐疑主義者も自分の懐疑主義に反対する者に対して自分の懐疑主義の妥当性を主張する権利をもつように、キリスト者個人とキリスト教諸集団が自分の信仰に異なる者とか反対する者に自分の信仰の妥当性を主張するのは当然であるとして、ただその反対の仕方が問題となると言って、問題の所在を明らかにします。反対の仕方について、第一に、敵対する者の主張を何でも全面的に拒否する姿勢です。相手に対する拒否は完璧で、状況によってはその拒否は破壊的です。第二は、相手の主張の一部分は正しいとするが、他の部分は間違っているとする姿勢で、これは寛容な態度になりますが、この方法では宗教という複雑な現実を理解することができなくなります。第三の可能性として、受容と拒否の弁証法的統一の可能性です。この方法には緊張や不確かさや動揺が伴いますが、キリスト教の歴史全体はこの姿勢によって貫かれています。しかし、現実の歴史では他の宗教、とくに疑似宗教に対するキリスト教の対応には統一がなく曖昧であったとして、この実情を歴史的に概観します。
 他宗教に対するユダヤ・キリスト教的宗教の態度が不統一であることは旧約聖書から始まるとして、ティリッヒはイスラエルの預言者たちの態度から始めます。預言者たちは他の民の神々はイスラエルの神ヤハウェより力が劣るとしましたが、劣る故にヤハウェの前に無であるとされるに至ります。彼らは排他的な一神論者となりました。しかしアモス以後の預言者たちは、ヤハウェは正義を行わないならば自分の民をも滅ぼす神であると告知して、正義があらゆる宗教を超える原理であることを示しました。この「制約をもった排他性」が以後のキリスト教においても指導原理となるべきであるとし、イエスの場合の最後の審判の比喩(マタイ二五章)や善いサマリア人のたとえ話を指し示しています。パウロはユダヤ教徒も異教徒も同じく罪の支配下にあり、宗教を超える神の救済の出来事(キリストの出来事)によって救われることを主張しました。初期キリスト教においては、ロゴス思想が他宗教に対する姿勢を規定しています。ロゴス、すなわち神の自己開示の普遍的原理があらゆる文化と宗教の中に種子として存在していることを教父たちは主張し、異教の諸宗教で問われている問いをキリスト教の使信が答えていることを指し示しました。そのさい彼らはギリシア的な生活感情や概念を用いることをためらいませんでした。これらの事実は、初期キリスト教が徹底的に排他的な宗教ではなく、すべてを包括する一宗教であったことを示しています。ティリッヒは、イエスの「父のように完全であれ」というお言葉は、「父のようにすべてを包括する者であれ」と解釈する可能性もあることを指摘しています。初期キリスト教は、ストア哲学の道徳原理、密儀宗教の礼拝構造、ローマの法制度、ゲルマンの封建的諸秩序などを取り入れて自己形成を進めます。
 2 このような驚くべき普遍主義は、常に一つの究極的な基準によって制限されてきました。その基準とはキリストとしてのイエス像です。普遍性と具体性とのこの両極を携えてキリスト教は中世初期に歩み入ります。中世初期にはキリスト教は自分と戦う他宗教とは出会うことなく、地中海世界でもヨーロッパ世界でも包括的な唯一の宗教と包括的な唯一の文化が支配します。ところが七世紀になってキリスト教はイスラム教という熱狂的で攻撃的な新しい宗教と出会うことになります。攻撃側のイスラム教は圧倒的に勝利し、東方キリスト教地域を支配し、全キリスト教世界を弱体化して脅かします。この事態はキリスト教側に、自己を防衛しなければならないという認識を呼び起こし、キリスト教は(防衛側の通例として)次第に排他的となり、十字軍運動を引き起こすまでになります。この事態はユダヤ教をも一つの他宗教と感じさせることになり、それまで比較的寛容であったユダヤ人に対する態度を変えさせ、反ユダヤ主義が狂信的になります。この宗教的反ユダヤ主義が後に人種的反ユダヤ主義に発展し、アンティ・セミティズムという急進的な民族主義的疑似宗教が生まれます。
 3 新しい世界宗教との出会いは、キリスト教を狂信的排他性へ駆り立てたという一面がありましたが、他方寛容なヒューマニズムへと導く一面もあったとして、ティリッヒは中世における二つの著しい実例をあげています。一つは一三世紀初めのシシリー島のフリードリヒ二世の宮廷でキリスト教やイスラム教やユダヤ教の源泉によって養われた一つの寛容なヒューマニズムが発達したことです。もう一つは、一五世紀にローマ教会の偉大な枢機卿ニコラウス・クザーヌスが『諸信仰の平和について』を著し、偉大な諸宗教の代表者たちが天上でする神聖な対話を描き、そこで「ロゴス(理性)の天に諸宗教間の和合がつくり出された」と述べている事実です。ティリッヒはこのクザーヌスの理念が宗教改革以後、近代に入って多くの代表者たちによって発展した事実をあげています。彼らは初期キリスト教の普遍主義をさらに発展させます。エラスムスやツウィングリなどはキリスト教会の外にも神の霊の働きを認めていましたし、ロック、ヒューム、カントらの啓蒙主義の先駆者たちはキリスト教を含むすべての宗教を理性の判断基準に隷属させました。一方啓示をキリスト教だけに保留し、宗教概念を他宗教だけに適用する伝統に固執する人々もあり、この二つの流れの中でキリスト教の位置を問う「キリスト教の絶対性」の問題が浮かび上がってきます。この問題に正面から取り組んだトレルチ(ティリッヒの師)は、キリスト教を宗教概念に含まれるもろもろの可能性の最も妥当な現実化であるとしましたが、その宗教概念そのものが時代のキリスト教的・ヒューマニズム的伝統に基づいているので堂々巡りになります。トレルチ自身もこれに気づいており、後にはあくまで西欧文化の範囲内でと言う制限をつけて語るようになります。こうしてキリスト教の絶対性が揺らぎ、キリスト教が普遍性の王座から降りたとき、キリスト教の排他性に固執する多数派は、諸世界宗教に対するキリスト教の相対主義的姿勢はどれもキリスト教の絶対的真理を否定すると見なして批判します。この批判を担う排他的な神学の代表例がバルトの神学です。この神学は宗教概念をキリスト教に適用することを断固拒否します。キリスト教はイエスにおける唯一の啓示に基づくものであり、宗教は人間の側からの無益な試みであり不信仰であるのだから、諸宗教との出会いは歴史的には興味ある問題であるとしても神学の問題とならないとします。この排他的な姿勢から、この学派では初期キリスト教の普遍主義の表現であったロゴスの教理も放棄されています。こうして現在では、諸世界宗教に対するキリスト教の姿勢は、歴史上の姿勢と同様、明かではないことになります。
 4 もう一つ、世俗主義から生じた諸疑似宗教に対するキリスト教の原則的関係が扱われます。宗教と対立し宗教を閉め出す世俗主義に対しては、すべての宗教は否定の姿勢を取らざるをえません。しかし、世俗的領域は包括的な宗教体制の内部での要素になりえます。キリスト教は世俗的領域の文化を、それがどのようなものであれ、キリスト教自身の世界を構築するために用いてきました。この世俗的領域に対するキリスト教の姿勢では、プロテスタンティズムがもっとも積極的な姿勢を示してきました。プロテスタンティズムにおいては教会的領域と世俗的領域とは両方が無制約的なものに対して同等であり、共に神的なものに無限に遠く、無限に近いからです。その結果、プロテスタンティズムは疑似宗教に対してカトリックよりも開放的で、そのためたやすくその餌食になる傾向があります。カトリックは三つの型(民族主義的、社会主義的、自由主義的ヒューマニズム的な型)の疑似宗教のどれに対しても堅く反対します。それに対してプロテスタンティズムのそれらの疑似宗教に対する関係は弁証法的で(肯定と否定の両方を含む)、しばしば曖昧なものになります。ときにはそれに屈服することもありました。ティリッヒはこの曖昧な理由と実態を分析しています。そして結論として、キリスト教は自分に出会う諸宗教を簡単に否定することはできず、弁証法的な姿勢を取ってきたが、これはキリスト教の弱さではなく偉大さであるとし、とくにキリスト教の自己批判的な形態であるプロテスタンティズムについてこう言えるとします。

 第三講は「キリスト教と仏教との対話」と題されています。第一講では現在の諸宗教と疑似宗教の間の出会いの光景を描き、疑似宗教の力動性と特別な役割が描かれました。第二講ではキリスト教が諸宗教を判断する場合の諸原理が取り上げられ、キリスト教本来の普遍主義と、キリスト教の基礎をなしている啓示の出来事(キリストの出来事)こそが判断の基準であり、この基準が諸宗教を判断し変革する力であることが語られました。そしてこの第三講で、諸世界宗教の中で最大であり、それ自体伝道的な宗教である仏教との出会いが取り上げられます。
 1 最初に、人間の宗教的実存全体の内部でキリスト教と仏教がどのような位置に立っているかを理解するために、その方法としての類型論が検討されます。宗教史では宗教の諸類型や、それらに共通の一般特徴、相互の間の位置など発見しようとして類型論がよく用いられます。類型論は比較の方法として確かに便利です。しかし、諸類型は論理的な理想型であり、実際には個々の現象に諸類型の混合物を見るだけです、類型論は空間的な思考の基礎の上に立ち、静的で、内部の力動性を見逃しています。どの類型にも種々の緊張が存在し、その緊張が類型を駆り立ててそれ自体の限界を踏み越えさせます。一つの構造の内部にある緊張を対立する両極間の緊張として叙述する弁証法が必要です。このような弁証法を含む類型論こそが宗教の理解と比較に最適の方法であるとして、ティリッヒはこれを「動的類型論」と呼びます。ここでの弁証法は、一つの方向だけに進み、乗り越えてきたものを過去に放逐するヘーゲル学派の弁証論と違います。ヘーゲル学派の弁証法は、仏教を宗教的発展の中で歴史がすでに克服してしまった早い段階とみなし、世界精神はもはや仏教の中では創造的に働いてはいないとします。それに対して動的類型論は、仏教を一つの生きた宗教として、すなわちその中では一定の対極的な要素が優勢であり、そのために別の要素が優勢である他の宗教と現に対極的な緊張関係に立つ宗教として理解します。生きている宗教間の対話には、歴史的な偶然の形態ではなく、それらの宗教を出現させた内的な要素、内部の緊張の中で優勢な要素、その類型を決定している聖なるものの要素だけが重要です。ここではキリスト教と仏教という両極が取り上げられます。両方の宗教はサクラメンタルな基礎(今ここで、この事物、この人物、この出来事に現臨しているものとして聖なるものを体験すること)から生じているが、この段階を超えて成長し、同時にこの段階を内に保持しています。このサクタメンタルな根底は、神秘主義的な方向か倫理的な方向で、砕かれ超越されることができます。インドに由来する宗教には前者の、そしてイスラエルに由来する宗教には後者の方向が優勢であり、それぞれの宗教内での諸要素間の対話が、歴史的諸宗教間の出会いを規定します。
 2 仏教とキリスト教の出会いはこれまでにもあったが、それはごく僅かであったとされます。仏教は西欧キリスト教世界に仏典の翻訳やオットーの著作などで紹介されるようになりましたが、その影響はごく限られたものでした。キリスト教は伝道という直接の道、文化を通しての間接的な道、個人的な対話の道という三つの道で仏教が支配的なアジア世界に入りましたが、これもごく限られた結果に終わっています。この両宗教の相互影響は、疑似諸宗教が両宗教に及ぼした法外な影響に較べると、まことに僅かだったということになります。それで、両宗教間の対話が、共同の問題である人類全体の世俗化、そしてそこから発する疑似宗教による本来の宗教への脅かしに対処するために続けられなければならないとされます。そして、その対話のための前提条件として、対話者が相手の宗教の価値を否認しないこと、自分の宗教的立場を確信をもって代表しうること、一つの共通の土台が存在すること、互いに批判に耳を傾けること、の四つをあげます。両宗教だけでなくすべての本来的な宗教の代表者の間で行われるすべての対話においては、疑似宗教とその土台になっている世俗主義にどう対処するかという問題が特に重要です。この姿勢が些細な教義上の違いを乗り越えて、世界の問題を共同で解明する場とならしめます。
 3 諸宗教間の対話は、神や人間や歴史や救済の理解の仕方を比較することからではなく、あらゆる存在に内在している目的(ギリシア語では《テロス》)に関する問いから始めるべきである、とティリッヒは主張します。キリスト教のテロスは、「神の国」であらゆる人間とあらゆる事物が成就することであり、仏教のテロスは、「涅槃」においてすべての人と事物とが一つになることです。「神の国」と「涅槃」という両概念は象徴であり、神の国は一つの社会的・政治的・個人的な象徴であり、その材料は正義と平和の国を築く一人の支配者の形姿から出ています。涅槃は一つの存在論的な象徴であり、その材料は有限性と誤謬との彼岸、存在それ自体の根底におけるあらゆる存在の至福の一致という表象から取られています。この二つの象徴の間にある深い対立にもかかわらず、対話は可能です。それは両者とも同一の否定的な存在の評価に基礎を持っているからです。神の国はこの世の国、すなわち歴史や個人の生活の中で支配しているデモーニッシュな権力構造に対立して立っており、涅槃は外見の世界と対立する真の世界、個々の事物がそこから出てそこに帰る真の世界にあります。この共通の基礎の上で、種々の対照が際立ってきます。キリスト教では無制約的なものは人格的な諸範疇によって象徴されますが、仏教においては絶対無というような超人格的な諸範疇によって象徴されます。キリスト教において人間は堕落の咎による罪人として判決されていますが、仏教では人間は有限の産物として、元から我執、盲目、苦悩という円環に縛られています。
 ? このような大きな違いの故に対話をやめるのではなく進めるべきであるとして、両者の中にある共通のものをあげます。たとえばキリスト教における「存在そのもの」(esse ipsum)は超人格的な範疇であり、仏教の「絶対無」の意味を理解することを容易にしています。この概念は究極的に価値あるものの無制約性と無限性を指し示しています。逆に仏教にも、大乗仏教の法身仏(Buddha-Geist)のように様々な人格的特質をもった仏が現れています。両者の対話は、神の国と涅槃という両象徴が互いに排斥しあうものかどうかという問いに導きます。しかし、あらゆる宗教的類型は「聖なるもの」の体験を構成する諸要素から派生していることを考えると、排斥しあうことはありえません。両象徴の歴史は、両者が合致していく傾向を示しているとして、パウロが神の国を神が万物の中にある状態と同一視していることや、ヨハネにおいて永遠の命という象徴に取り替えられている事例をあげています。対話は倫理的な問題に向かい、神の国と涅槃という二つの象徴の基礎になっている異なった二つの存在論的な原理として、「参与」の原理と「同一性」の原理が取り上げられます。まず自然に対する関係において、西欧世界で見られるように、自然に対する参与の意味が見失われ、自然を技術的に支配して利用しようとする意志だけが残る場合があります。仏教諸国の芸術に見られるように、同一性の原理のもとでは情感あふれる自然との同一性が到達されています。ヒンドゥー教では様々な動物の中に自分の化身を見る信仰が残っています。ティリッヒは仏教における同一性原理の卓越した実例として石庭をあげています。そしてキリスト教においても、自然神秘主義では参与の原理がほとんど同一性の原理と同じになっている場合をあげています。自然に対する姿勢において仏教的な思惟と対立するのはキリスト教そのものではなく、カルヴァン主義のプロテスタンティズムであるとします。
 次に人と人との関係において両原理がもつ意味を比較して、参与は《アガペー》に導き、同一性は慈悲(あるいは共苦)に導くとして、両者を比較しています。《アガペー》は受け入れがたきものを受け入れ、相手を神の国が象徴するものに向かって変革しようとします。慈悲(Mit-Leiden)は他者の苦しみを他者と一つとなって苦しみます。しかし、慈悲には他者が自分自身を超えるように高めようとする意志が欠けているとします。この変革への意志という点で歴史が問題になってきます。神の国という象徴が重視されているところでは、歴史は個人の運命が決定される舞台ではなく、歴史は一つの運動として見られており、その運動の中で新しいものが作り出され、絶対的に新しいもの、「新しい天と地」に向かって急ぎます。この運動の中で神の国というヴィジョンは革命的な性格、社会の変革に向かう意志を持ちます。仏教には変革の意志はなく、仏教の目標は現実の変革ではなく、現実からの救済です。水平方向において前方へと駆り立てる革命的な力動性にもかかわらず、キリスト教には垂直方向に神に向かう神秘主義的な体験があり、歴史に対する無関心となっている場合があります。こうして、キリスト教は歴史との関係においては仏教よりも多くの対極的な緊張を含むことになります。しかし、歴史そのものが仏教に歴史を本気で相手にするように迫ってきました。日本は戦勝者からデモクラシーを受け取りましたが、そのデモクラシーの前提となる一人一人の人間に対するキリスト教的な評価が仏教にも神道にもないことに気づき、それを探し求めています。ティリッヒは、両宗教の対話は「さしあたりここで終わる」としていますが、この対話はなお世界史的な課題として残ります。

 第四講は「諸世界宗教との出会いの光に照らされたキリスト教の自己自身についての判断」と題されています。はじめにティリッヒはこれまでの三回の講演を要約しています。第一講では本来的な意味での宗教と疑似宗教を区別して、現在では疑似宗教と諸宗教との出会いが今日的な状況となっていること、したがってあらゆる宗教が世俗主義とそこから出る疑似宗教にどう対処するかという問いに直面していることを結論としました。第二講では預言者とイエスに始まったキリスト教の長い普遍主義の歴史を振り返り、それがイスラム教の台頭とキリスト教の反ユダヤ主義によって中断されたが、ルネサンスと啓蒙主義によって再興したこと、その後も排他的な単独主義によって曖昧にされていることが論じられました。第三講では正しい類型論が提示され、それに基づいて一つの典型としてキリスト教と仏教との対話が試みられました。両者の対極性は神の国と涅槃という象徴によって総括され、西欧で発達した民主主義が、それを発達させた宗教的基盤なしで根付くことができるかという問いで終わりました。この問いが第四講の主題に導くということを述べて前置きとしています。
 1 キリスト教が自己自身を判断する基準は、キリスト教を基礎づけているただ一つの現実、すなわちキリストの出来事と、この出来事の永続的な霊的力に参与することであるとして、この参与の意味内容を語ります。このような過去の出来事に参与することは歴史的な知識によってはできないのであり、人はこの出来事の霊的な力に捉えられ、捉えられることによって今も働くその霊的な力で証言や伝承を理解することによってはじめて可能になります。キリスト教は他の諸宗教に対し、また疑似宗教に対し緊張関係にありますが、この緊張はキリスト教の基礎になっているあの一つの出来事から生じていますが、その出来事の意味は一つの新しい個別宗教を成立させることではありません。この出来事は一つの人格的な生であり、その像は神との一致において亀裂がなく、自分の特殊性を絶対化する要求のない生であったのです。この出来事が、そこから出る一切の帰結を裁きます。
 2 キリスト教はこの土台に立って、旧約聖書の伝統を受け継ぎ、接触した諸宗教から様々な要素を受け取りながら一つの特殊な宗教に発展します。キリスト教史の力動性は、諸宗教や諸文化に対する審判的な判断と、それらの宗教や文化の諸要素を受容する自由さの間の緊張から生まれています。この自由さはキリスト教固有の内的な原理から生まれたものであり、その開放性と受容能力がキリスト教の偉大さの証拠でした。こうしてキリスト教は他者からの批判を受け入れる備えをもっていますが、この備えは聖職階級と論争によって次第に制限されるようになります。聖職者の公会議の決定は撤回や変更は困難になります。教会の教義上の決定は歴史上に生じた問題の解決ですが、一度決定されると他の可能性を切り捨てます。それは拒否の準備態勢を固め、他者からの批判を受容する備えを減少させます。キリスト教はキリストの十字架の裁きを自分自身に向けることを怠った程度に応じて、自分を一つの特殊宗教として発展させていきます。ここでティリッヒは、キリスト教が他の宗教を判定した方法と、他の宗教からなされる判定を受け入れてきた仕方を、二・三の実例をあげて説明します。
 初期のキリスト教は、ユダヤ教の伝統に従って、多神教を偶像礼拝あるいはデモーニッシュな力の崇拝として断罪しました。しかし、多神教を象徴的に解釈した教養ある多神教徒から無神論の批判を浴びます。それはキリスト者が自然と歴史のさまざまな領域に神的なものが臨在することを否定したからです。その批判はキリスト者に世界のなかにある神的なものの様々な形での開示を見つけるようにさせます。キリスト者は自然と歴史の中に天使的な諸力とデモーニッシュな諸力の痕跡があることを認識します。また、神と人との間の神的な仲保者を崇拝し、そのような仲保者たちとも言える一群の聖人や殉教者を崇拝するようになります。これはキリスト教が多神教的な要素を受け入れたことを意味しています。この実例は、キリスト教がその徹底的な拒否にもかかわらず、批判した要素を受け入れることを妨げなかったことを示しています。次にキリスト教は旧約聖書の上に建てられていながらユダヤ教を退けているというユダヤ教との関係について、恐怖と狂信が築いた中世の抑圧が取り外され、自由主義的ヒューマニズムを経過してからは、キリスト教は間接的にユダヤ教からの批判を受け入れ、旧約聖書の預言の精神が呼び覚まされています。イスラム教については、最初の出会いからは戦争と相互の拒否しか起こらなかったし、キリスト教の自己批判に役立つのは人種問題の解決と原始的民族に接するさいの賢明さの二つぐらいであるとして、ごく簡単な記述に終わっています。
 他宗教を部分的に受容しながら根本的には拒否している実例として、ティリッヒはキリスト教とペルシャの二元論的宗教との出会いをあげています。この宗教はグノーシス主義の形でキリスト教の中に入ってきましたが、キリスト教は創造は善であるという確信で、悪の存在を悪神に帰するこの二元論を克服しました。しかし、悪の現実はキリスト教の中にも二元論的諸要素を含ませることになりました。インドの神秘主義的傾向の宗教に対して、キリスト教会がその非人格的、非社会的、非歴史的な姿勢を指摘してきたことは正しかったが、一方通俗的キリスト教の人格主義は原初的で、その深化のためには超人格的な範疇を必要とするという神秘主義からの批判も受け入れ、多くのキリスト教神学者は神観の表現に神秘主義的な超人格的要素を使用してきました。この少数の実例だけでも、キリスト教は他宗教を根本的に批判する場合でも、他宗教からの反批判を受け入れてきたことを十分示しています。
 3 キリスト教が一つの宗教以上のものであろうと望むのであれば、キリスト教は自分の中にあって自分を一宗教ならしめているあらゆるものに抵抗して戦わなければなりません。ティリッヒは狭い意味での宗教の特性をなしているものとして神話と祭儀の二つをあげています。キリスト教が宗教としての自分を克服しようとするならば、この二つに抵抗して戦わなければなりません。キリスト教はそれをしてきました。聖書はそれをしています。聖書は宗教的な書物であるだけでなく、反宗教的な書物です。聖書は神に味方し、宗教に抗して戦っています。旧約聖書では預言者たちがその戦いの担い手でした。彼らは民衆的な宗教がもっている祭儀全体と民族の神に絶対性を帰す神話を退けました。彼らの批判によってイスラエルの神は非神話化されて普遍的な神に高められたのです。新約聖書においては、イエスが愛を行うために儀礼上の律法を破ることをされたと伝える記事があります。パウロにおいては、儀礼上の律法全体がキリストの出現によって廃棄されています。ヨハネにおいては、非儀礼化に非神話化が加わります。永遠の命は今ここにあります。
 初期の教会は神観念とキリストの意味をプラトン的ストア的伝統から取りだした観念で非神話化しようとしました。教父たちは神的なものは有限なる象徴を超えていることを示そうと努めました。「神の上にある神」(ティリッヒ自身の表現)という観念はすでに教父たちにも暗に存在していました。彼らは、人格的な神が特殊なグループのためにだけ働くという「単神教的」神話に沈み込むことに敏感に抵抗しました。昔の神学者たちは、神的な根源に直接参与するという神秘主義によって、あらゆる神的なものの象徴、すべての聖礼典(サクラメント)を超越し、祭儀と神話は神的深淵の中に沈み込むことを説きました。このような神秘主義も、預言者的また神学的批判と並んで、宗教のためになされる宗教への攻撃となります。宗教改革は宗教に対する神の戦いにおける一つの決定的な勝利でした。ルターは修道院の宗教生活を攻撃、神は世俗の生活の中に臨在されることを説きました。儀礼的な要素は宗教改革の運動においてその意義を失いました。啓蒙主義は神話と祭儀の価値を完全に下落させました。宗教から残ったものは、断言命法の保証としての神という哲学的概念でした。カントは教会を道徳的諸目的の達成に仕える団体と定義しました。
 このような運動において、宗教に抵抗する戦いが表現されています。しかし、宗教としてのキリスト教を維持しようとする力の方が勝り、結局それが勝利しました。反撃にあたって決定的な役割を果たしたのは、祭儀と神話の喪失は宗教の基礎をなしている啓示体験の喪失を意味する、という説得でした。啓示によって与えられたものは自己を維持するためには自己を明示しなければならず、そのためには祭儀と神話による表現を必要とする、という説得です。その必要は、宗教を否定する疑似宗教においても同じです。疑似宗教は日常の諸概念や人物や出来事を神話に造り変え、日常的な行事を祭典や儀式に造り変えて、その世俗的な神話と世俗的な祭儀で自己を表現してきました。非神話化と非祭儀化の努力にかかわらず、神話と祭儀は繰り返し浮かび上がってきます。宗教と戦う者は自分自身が宗教的にならねばならないという逆説的状況に置かれています。今日のキリスト教はこの状況を知っており、ボンヘッファーが言うようにキリスト教は世俗的になり、世俗の中に永遠の意味を見いだすことになります。
 キリスト教が自分自身に対してもっているこの判断は、他の諸宗教に対するキリスト教の姿勢に何をもたらすでしょうか。この判断は改宗させる試みを許しません。歴史上でこの改宗の試みは失敗してきました。キリスト教はこれからもユダヤ教、イスラム教、仏教、ヒンドゥー教と対話を続けなければなりません。そのさい重要なのは、それが改宗の試みではなく対話だということです。対話においてキリスト教が他の諸宗教や疑似宗教を批判するとき、その批判はキリスト教も自分自身を批判していることを忘れてはなりません。この姿勢は世俗主義に新しい意味を与えることになります。そのときにはあらゆる現存の宗教に対する世俗主義の攻撃は、もはや純粋に否定的なものではなく、人類を宗教的に一つにしようとする運命がたどる間接的な道として理解されることもできます。人類の大部分の世俗化が、人類の宗教的な変貌に向かう道になりうるという希望さえもちえます。われわれの目標となるのは、諸宗教の融合とか、特定の一宗教の支配とか、宗教時代の終焉とかではなく(宗教が生の意味への問いである限りこれはありえません)、それぞれの宗教が自己自身を超越することによって生の究極的な意味への問いに答える力を保持することです。個々の生きた宗教の深みには、宗教がそれ自体として自己の重要性を失う一点があります。その一点で個々の宗教が指し示しているものが、あらゆる形態の生と文化の中に現存する神的なもののヴィジョンを創造することになる、とティリッヒは結論します。

先の注記で言及した二つの邦訳のうち、丁野訳は内容の理解と日本語の訳文で優れた点がありますが、題名を「キリスト教徒・仏教徒 対話」としているのは、本書全体の内容からするとやや適切でないと考えられます。たしかにわたしたち日本人にとってはキリスト教と仏教の対話は重大事であり、それを主要な話題として印象づけたいという願いは理解できます。しかし本項で要約紹介したように、本書の主要関心事は、キリスト教が世界の諸宗教と出会うという事実の意義を問い、その出会いの姿と方向を指し示すことです。そのさいティリッヒはとくに疑似宗教との出会いを重視しています。仏教との対話は重要なものですが、これらの出会いの一例に過ぎません。全体の内容からすると、この書の題名はやはり「キリスト教と諸世界宗教との出会い」が適切でしょう。なお、ここ(第四講の最後)で用いた紹介で、野呂訳が「回心」と訳しているところは、丁野訳は「改宗」とか「回宗」と訳しています。ここは個人の内面的な転換ではなく、他の宗教に変わることを話題にしているので「改宗」が適切と思います。

宗教の将来

 本節のこれまでの諸項で、組織神学者であり宗教哲学者でもあるティリッヒの宗教論を、おもに『文化と宗教』と『キリスト教と諸世界宗教との出会い』という二つの講演集に依拠して見てきました。ティリッヒは、はじめに宗教のことを語るのに用いる「宗教」という語に二つの意味があり、その二つを厳密に区別すべきことに注意を促していました。ティリッヒはその二つを「広い意味における宗教」と「狭い意味における宗教」と呼びましたが、それは本書の第一章の「結び 問題の所在」(T一〇三頁)で指摘した「単数形の宗教と複数形の宗教」の区別に対応します。「広い意味における宗教」とは、ティリッヒが宗教を「究極的なものに無制約的にかかわること」と定義する時の宗教です。それは人間の宗教性そのものであり、いつも単数形で指されます。それは人間が人間であるかぎり問わなければならない存在とか生きることの意味を求める営みであり、人間をやめない限りなくなるものではありません。それに対して「狭い意味における宗教」とは、「聖なるもの」の体験が何らかの形で社会的に制度化された産物であり、祭儀と教義と聖職制度を持つ歴史的な形態を取った宗教、わたしたちが普通宗教と呼んでいるものです。それには原始的な部族生活を営んでいる人たちの部族宗教から高度に発達した文明社会の高等宗教にいたるまでの多くの段階と形態があります。これにはゾロアスアー教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教、仏教、道教など多くの実例があるので、この意味における宗教一般を指すときには複数形が用いられます。キリスト教もそのような諸宗教のなかの一つです。宗教という語を用いて語るときは、どちらの意味で使っているのかが、明示的にか暗黙にか、区別される必要があります。

 ここで著作集第四巻(白水社版)に収められている宗教関連の諸論稿を少し見ておきましょう。ティリッヒは「宗教の未来に関する問い」の冒頭で、「宗教の未来について語るとき、わたしは強い不快感に満たされる」と言っています。おそらくこの話題について語ることを求めた人たちは、この世俗化の時代に諸宗教はどうなるのかについて意見を求めたのでしょうが、広い意味での宗教は人間が人間であるかぎりなくならないとするティリッヒは、狭い意味の宗教だけを見る風潮に不満を覚えたのでしょう。人は宗教のない人間には未来がないことを理解して、宗教の未来を問わなければならないし、宗教自体がこの問いを提起しなければならないとして、永遠的なものと時間的なものとの関係を、垂直線と水平線という空間的隠喩で語ります。垂直線すなわち宗教的方向のなかで、人間は永遠的なものを有限性の不安と罪責の絶望とを克服する精神的能力のなかで経験します。それに対して世界との関わりという水平線の方向では、永遠的なものがもつ力によってこの世界の現実を捉え変革していく体験となります。宗教史はこの両方向の緊張でなりたってきました。宗教の未来はこの両方向の結びつきを求めている、という結論で締めくくられます。
 次の論稿「人間精神の一機能としての宗教か」で、最初に二つの方向から宗教を人間精神の機能であることを否定する批判を記述してそれに答えます。一つは神学的批判です。宗教は神からの啓示だけに基づくのであって人間精神の機能ではないという批判です。もう一つは諸科学からくる批判です。科学は宗教の諸理念や実践が多様であり諸概念が神話的であることを指摘して、宗教は人間の発展の神話的段階を示し、現代の科学的時代にはいかなる場所もないとします。しかし両方とも宗教を神と人間の関係としていることは共通しています。その神は存在と非存在を人間が争うことができる神であり、諸存在と並んである一つの存在であって、そのような存在との関わりから宗教を批判することは筋違いであるとします。宗教が人間精神の機能であるというのは、人間の精神生活の深みのなかを見うる視点からみた機能です。宗教は精神生活の特別の機能でありません。宗教は人間の精神的な諸機能の中に自分の住まいを見つけようとして遍歴し、倫理的機能、認識的機能、芸術的機能、ついには感情まで経巡りますが自分の故郷とか住まいを見いだすことはできません。だが宗教は自分の宿り場所を見つける必要はなく、あらゆる機能の深みとしてあるのです。宗教はわれわれに無制約的に関わるものとしてすべての精神的機能の深みにあり、人間の精神生活の実質・根底をなしています。さらに続く論稿「失われた次元」で、現代の世界において、人々の関心が見えるものに向かい、精神生活の深みの次元が見失われている実態を分析し警告しています。
 ところで狭い意味での宗教については、ティリッヒはそれを「軛」と呼んで、それからの解放を説いている説教があります。『地の基ふるいうごく』と題された最初の説教集(1948)に「宗教の軛」という説教が収められています。ティリッヒは一五歳の堅信礼の時に会衆の前で引用した聖句、「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる」(マタイ一一・二八〜二九)について、ここでイエスが「重荷」とか「軛」と言っておられるのは生活上の重荷や苦労ではなく、「宗教である律法、律法である宗教」のことであるとして、イエスはこの「宗教の軛」から人間を解放する方であることを説いています。宗教は教義として信じられないことを信じることを要求し、われわれはその要求の重荷の下で苦労し、それに反発しても懐疑主義の空虚の中で生きられない人間は何か他の教義とか信条を見いだして、その新しい軛の下で労することになります。また、宗教は儀礼や宗教的催し、伝統や祈祷の尊重を要求し、われわれの能力以上の献身、自己否定、自己完成を要求します。それに反発し冷笑する者も、冷笑主義の空虚さに耐えられずにより狂信的となり、別の軛につながれます。このような重荷や軛を負う者に、イエスは「わたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」と呼びかけられます。イエスが「わたしの軛」と言われるとき、それはもはや要求ではなく、上からの力に捉えられている姿を指し、それが軽いのは宗教の重荷と比べて量的に小さいというのではなく、もやは自分が何をしなくても上から捉えている力がすべてをするからです。イエス自身が「新しい存在」であり、この新しい存在を世界にもたらされた方です。ティリッヒは結びの部分でこう言います。「イエスは宗教の創始者ではなく、宗教への勝利者である。イエスは新しい律法の作者ではなく、律法への勝利者である。キリスト教の教師や牧師は人をキリスト教に招くのではなく、新しき存在に招くのである。キリスト教は自らとこの新しき存在を混同せず、ただこの新しき存在の証人だけになるべきである。あなたがイエスの招きを聞くとき、すべてのキリスト教教理を忘れなさい。あなた自身の確信も疑いも忘れなさい。すべてのキリスト教道徳、あなたの成功と失敗のすべてを忘れなさい。あなたからは何も求められていないのですから」。わたしはこのティリッヒの言葉に深く共感します。ティリッヒはさらにこう言って説教を結びます。「われわれはイエスをキリストと呼ぶ。それはイエスが新しい宗教をもたらしたからではなく、彼が宗教の終焉であり、宗教と非宗教、キリスト教と非キリスト教を超えた上にあるものだからである」。これはまさにパウロの告知を現代に響かせています。この説教はティリッヒの宗教論の一面を的確に表現しています。
 ティリッヒを扱った本節の最後に、ティリッヒの没年直後に出版された最晩年の講演集『宗教の未来』(1966, 邦訳は大木英夫・相沢一訳、聖学院大学出版会)を取り上げ、ティリッヒの宗教論をまとめておきたいと思います。この書には追悼礼拝でなされたシカゴ大学の同僚教授たち(エリアーデを含む)のティリッヒへの追悼講演が三つ収められており、米国の神学界と思想界に及ぼしたティリッヒの大きなインパクトがうかがえます。ティリッヒの講演は、「宇宙探検が人間の条件と様態に対して与えた影響」というようなきわめて現代的な主題を扱った興味深い講演や、「未知の世界」、「進歩の理念の衰退と妥当性」というような歴史哲学的な問題を扱った重要な講演もありますが、ここでは宗教の神学にとって直接に関係する講演を選んで要約して紹介しておきます。

 「組織神学者にとっての宗教史の意義」と題された講演(一九六五年)は、ティリッヒが亡くなる一〇日前に行われた講演で、文字通り彼の最終講義となったものです。ティリッヒは一九六〇年の来日時に神道や仏教の人たちと対話を重ねますが、その東洋の非キリスト教宗教との出会いの体験はティリッヒに強烈な衝撃を与え、帰国後にエリアーデと共同のセミナーを立ち上げて、新しい宗教史の神学を構想し、自身の組織神学の刷新を図ります。それは未完に終わりますが、その「新しい洞察の光に照らして書き直される」新しい組織神学がどのようなものになるのかを垣間見させるのがこの最終講義です。それはティリッヒの神学の最終到達点であると同時に、これからの新しい段階への出発点となります。

 ティリッヒはこの講義の最初に、神学と宗教史の関わりを主題として考察しようとする者は、すでに二つの基礎的な決断をしているのであるとして、その二つの決断を明らかにします。一つは自分の宗教以外のあらゆる宗教を排除してしまうような神学、もう一つは非宗教の宗教とか神なき神学、世俗の神学というような神学を拒否するという決断です。
 前者は長い歴史をもち、二〇世紀にはカール・バルトによって復活させられた神学で、自分の宗教だけを本物の宗教(vera religio)とし、他の宗教をすべて偽りの宗教(religiones falsae)とする、換言すれば、自分の宗教だけが啓示であり、他の宗教はすべて神に達しようとする人間の無意味な努力であるとする神学です。このような正統主義的態度を排除するためには次のような組織神学的諸前提を受け入れる必要があるとして、五つの前提をあげます。1 啓示の経験は普遍的に人間的なものであり、人はどこででも救いの力が含まれている特殊な経験である啓示を与えられるのである。2 啓示は人間の有限的状況、疎外されている人間の性質の下に受け入れられるので、常に歪曲された形で受容される。3 これらの啓示受容の限界や歪曲に対して批判する啓示の過程(そのような批判は神秘主義的、預言者的、世俗的という形態をとる)もあることを信じること。4 おそらく宗教史の中にはこのような批判の諸成果を総合する一つの中心的な出来事、普遍的な意義を持つ具体的な神学の成立を可能にする中心的な出来事があるであろうということ。5 宗教史はその本性において文化史と並んで存在するものではなく、聖なるものは世俗的なものの傍らにあるのではなく、その深みであり、その創造的な基盤、同時に批判的な審判である。
 二つの決断のうち後者は、「神という言葉を用いない神学」と世俗的なものの排他的な強調とを排除する決断です。宗教(諸象徴・儀式・組織などで成り立っている一領域という意味での宗教)は、最も世俗化された文化や最も非神話化された神学にとってさえも失われることのない必要性をもっています。この必要性は、精神は現実化し実効力のあるものとなるためには具体化する必要があるという事実から来ます。こうして神学者は、正統的・排他的なものと世俗的・拒絶的なものという二つの障壁を突破して、宗教史への自由な接近を可能にします。この二つの抵抗は、互いに正反対の方向から来るにもかかわらず同盟を形成していることで強力なものになっています。どちらの立場も還元主義的であり、ナザレのイエスの像以外のあらゆるものをキリスト教から排除する傾向があります。新正統主義はイエスだけを啓示の言葉が聞かれる場とすることによって、そして世俗主義はイエスを神学的に妥当な世俗性を代表する人物とすることで、同じことをしています。意義ある宗教史の理解を持つためにはこの正反対の両極が形成しているイエス中心主義同盟(正統主義と世俗主義)を突破しなければなりません。

 このような前置きをした上で、ティリッヒは本題の「宗教史の神学」に入ります。伝統的な宗教史は旧新約聖書に語られている歴史だけに限定されていて、他の諸宗教は一括して原啓示に基づいてはいるが曲解されたものであり、キリスト教神学にとって何らかの価値のあるものではなく、救済の経験はないものとされてきました。それらは異教であって、民族宗教ではあるが啓示と救済の担い手ではないとされてきました。しかし、この原則は貫かれないで、ときには他宗教がキリスト教を窒息させるほどの宗教的影響を及ぼしました。そこでわれわれに必要なのは、普遍啓示の積極的な評価が批判的な評価と均衡を保っているような宗教史の神学なのです。ティリッヒはここで、自分が宗教史学派の諸研究によって聖書の伝統にアジアの少数民族や地中海文化がいかに貢献したかについて目を開かれたことを感謝をもって振り返っています。
 この観点からすると、宗教史の総体が救済者像の諸象徴を生み出したのであり、それらはイエスと彼の活動に関する新約聖書的理解の枠組みを提供したのです。それらは隕石のように天から降ってきたのではなく、《カイロス》すなわち時宜にかなった時、成就された時にキリストとしてのイエスの出現を最終的に可能にした長い予備啓示の歴史があったことを示しています。イスラエルおよびキリスト教の歴史における第一の問いは救済史の問題ですが、救済史とは歴史の中にあるものです。それは偉大な象徴的瞬間に現れます。たとえばキリスト教史における諸改革のような《カイロイ》(カイロスの複数形)に現れます。このように見ると、宗教史と救済史を同一視することはなく、その代わり象徴的瞬間が探し求められることになります。ここでティリッヒはカント、ヘーゲル、トインビー、シャルダンらの名をあげて彼らの宗教思想に共感と批判を簡潔に述べた上で、自身のアプローチ、動的類型論を要約的に展開します。
 聖なるものの経験にはいくつかの要素があるとして、とりあえずの青写真として以下の三つをあげます。それらの要素のどれが支配的であるかによって、その宗教の類型が作り出されるのです。1 宗教の普遍的な基盤は有限なものの中における聖なるものの経験であり、聖なるものはその神秘的性格にかかわらず、見て聞いて触れることができる有限で個別的なものの中に特別の仕方で現れます。これがすべての宗教の「サクラメンタルな基盤」です。それなくしては宗教集団は道徳クラブになります。2 サクラメンタルなもののデーモン化(サクラメンタルなものを利用可能な一対象にしようとすること)に対する批判の運動の一つとしての神秘主義の要素。人は究極的なものすなわち聖なるものの具体的表現にはけっして満足せず、それらの多様性を超えて一つのものへ向かい、個別的なものは究極的な一者のために否定されます。3 「かくあるべし」という倫理的・預言者的要素。これはイスラエルの預言者たちがデーモン化した宗教儀式に対してなした戦いであり、あらゆる宗教儀式の廃棄にまで貫徹される場合もあります。しかし、宗教がまったくサクラメンタルな要素や神秘的要素を欠くならば、道徳主義的になり最後には世俗的になります。
 これらの三つの要素が総合されている宗教を、ティリッヒはとりあえず「具体的霊の宗教」と呼び、それこそが宗教史の内的《テロス》(目的とか終わりという意味のギリシア語)であるとします。種子の《テロス》が木になることであるように、宗教史はこの「具体的霊の宗教」に達するための運動であると言えます。ティリッヒはパウロの聖霊論以上にこの三つの要素を総合しているものはないとして、パウロにおいて二つの根本的要素、アガペーの意味における愛として表れる脱自的(エクスタティツク)要素と、神に関する知という意味のグノーシスとして表れる理性的(ラシヨナル)要素の結合を見ています。これらの諸要素や諸動機の積極的・消極的関わり合いが、内的《テロス》である「具体的霊の宗教」に向かう宗教史に動的な性格をあたえます。「具体的霊の宗教」は将来に期待されるだけのものではなく、サクラメンタルな基礎の批判がデーモン的あるいは世俗的歪曲に陥ることに対する闘争の中に、どこにでも現れます。宗教史にはこの偉大な総合が断片的にではありますが現実となる瞬間があります。宗教史全体はこの「具体的霊の宗教」のための闘い、「宗教の内部における宗教に対する神の闘い」と見ることができます。ティリッヒはここで「宗教の内部における宗教に対する神の闘い」という衝撃的な表現を、混沌とした宗教史を理解するための鍵としてあえて用いています。わたしたちキリスト者にとっては、キリストとしてのイエスの出来事の中にこの闘争における決定的な勝利を見ることができます。

 ここでティリッヒは(エリアーデとの)共同演習の中心的な問い、こうした宗教史の動態は宗教的なものと世俗的なものの関係とどう関連づけられるか、という問いを提出します。聖なるものはデーモン化に対して、またそれに対する神の闘いに開かれていると同時に、聖なるものの世俗化に対しても開かれています。世俗化が(神秘主義的批判と預言者的批判と並ぶ)第三の、そして最も根本的な非デーモン化の形態であるかぎり、デーモン化と世俗化は深く関係します。「世俗的」を指す形容詞のprofaneは聖域の扉の外、secularは世界に属しているという意味です。どちらも、人は普通の合理的構造をもつ世界のために聖なるもののエクスタティックで神秘的な畏れを離れることを指しています。それに抗して戦い、人々を聖域にとどめておくことは、もし世俗的なものがそれ自身批判的な宗教的機能が与えられていなかったならば容易であったでしょう。その機能があることが、この問題を深刻なものにしています。世俗的なものは合理的であり、合理的なものは聖なるものの非合理性を、そのデーモン化を裁かねばなりません。このような文脈で起こる世俗化は自由解放であり、このような意味で預言者と神秘主義者は世俗化の先駆者となります。世俗化の過程で聖なるものは徐々に道徳的な善に、あるいは哲学的な真理に、後には科学的な真実に、あるいは美的な表現へと変わっていきます。しかしその時には深遠なる弁証法が露わになり、世俗的なものはそれ自体単独では存在し得ないことが明らかになります。聖なるものの支配に対する闘いおいては正しいものである世俗的なものは、空虚になり疑似宗教の餌食になります。疑似宗教は宗教のデーモン的要素と同じような圧政的な力をもち、この時代にみられるように、よりいっそう悪いものとなります。
 ここでもう一つの《テロス》すなわち宗教史の内的な目標が現れるとして、ティリッヒはそれを「神律」と呼びます。自己が他者によって決定される他律(自分以外のものがノモスとなる在り方)と、近代の標語である自律(自分が自分のノモスとなる在り方)の両方を統合するものとしての神律(神が自分を含むすべてのもののノモスとなる在り方)が、宗教史の《テロス》となりますが、それが歴史の中で現れるのは断片的であり、その成就は終末において、その達成は時間を超えた永遠において期待されるとします。

 ティリッヒは最後の考察として、宗教的諸現象の光の下での神学的伝統の解釈の問題を取り上げます。ティリッヒは二年にわたる共同演習が、キリスト教のあらゆる個々の教理的表現や儀式的表現に新しい意義深さを見させてくれたことについてエリアーデに感謝の意を表し、このような組織神学的研究と宗教史的研究の解釈をめぐるさらに長期にわたる集中的な研究期間が必要であろうが、宗教思想の構造が神律あるいは具体的霊の宗教の断片的な顕現との関連で発展することに期待を表明しています。そのためには宗教史が組織神学者に与えてくれる個別的なものの強調の実例を見るべきであるとして、それは超自然神学の否定と自然神学の否定という二つの否定の中に見られるとします。超自然神学的方法は、霊感を受けているが歴史の中で準備されたものではない啓示文書(キリスト教の聖書的文書やイスラム教のコーランなど)によって形成され、通常は教理的闘争との関わりの中で信条や公的な教理条項の中で系統的に述べられ、哲学の助けを借りて神学的に説明されたものです。自然神学的方法は、総体として出会われる実在、とりわけ人間精神の構造の分析から宗教概念を哲学的に導き出す方法です。この二つの代表的な伝統的方法に対して宗教史の方法は次のような段階を踏んで行くとされます。1 実存的に経験されているものとしての伝統の、対象から距離を置いた姿勢での観察。2 宗教史の研究は、宗教的な問いがこの世界の中での人間的経験(有限性の経験、存在の意味への関心の経験、「聖なるもの」の経験など)の中に位置づけられるために、自然主義的方法から精神と現実の分析を引き継ぎます。3 宗教の現象学の提供。諸現象、とりわけ宗教史において自らを提示する諸現象(象徴や儀式、理念や活動など)を提示すること。4 それらの諸現象(それらの間の親近性、相違、矛盾など)の、伝統的な概念に対する関係や、そこから生じる諸問題に対する関係を指し示す作業。5 再解釈された諸概念を、宗教的および世俗的な歴史の動態の枠組み、とくに現在の宗教的文化的状況の枠組みの中に位置づける努力。この五つの段階は先行する方法の一部を含んでいますが、それらは先行する方法がなしたものを人類史の文脈および宗教史の偉大なる諸象徴の中に表現されている人間的経験の中へ引き入れます。
 この最後の段階は、一つのきわめて重要な到達点へわれわれを導きます。それは宗教的象徴を、それらがその中で育ち、今日われわれはその中へ再び導き入れる必要があるところの社会的全体図との関係において理解する可能性を提供します。宗教的象徴は天から降ってきた隕石ではなく、地域的環境も含んだあらゆる人間的経験の総体の中に、政治的・経済的両分野の中にその根を持っているのです。この可能性は、象徴を使用し再導入しようとするわれわれの方法にとってきわめて重要です。この(宗教史的)方法によるもう一つの積極的な帰結は、われわれが宗教的象徴主義を人間論の言語として、すなわち人間学の言語として用いることができることです。宗教の諸象徴は人間がその本性においてなしてきた自己理解の方法について何事かを語っています。たとえばキリスト教は罪を強調するがイスラム教にはそのような強調は欠けているという議論は、この二つの偉大な宗教および文化における自己理解、すなわち人間としての人間の理解の間に根本的な相違があることを示しています。これは、どのような個別的で専門的な心理学よりも包括的に人間本性の理解を拡大するのです。
 ここでティリッヒは「わたしの最後の言葉を述べよう」と言って、この最後の講義をしめくくります。その最後の言葉をそのまま引用しておきます。「こうしたことは、自分自身がその宗教の神学者であるところの宗教に対する我々の関わり方に対して何を意味するのか。彼の神学はその経験的基盤に根ざし続ける。それなしにはどのような神学も不可能である。しかし、それは普遍妥当的であるような基礎的な経験を普遍妥当的な言葉で表現しようとする。宗教的表現の普遍妥当性は全体包括的な抽象の中にあるのではない。それは宗教としての宗教を破壊してしまうであろう。それはあらゆる具体的な宗教の深淵にある。とりわけそれは自分の基盤からの、また自分の基盤への霊的自由へと開かれていることの中にあるのである」。

結 び

 以上、本節では二〇世紀神学の巨峰の一つであるパウル・ティリッヒの神学における宗教論を、おもに宗教に関する講演や論説によってまとめてみましたが、そこで感じるのは宗教問題に対するティリッヒの真剣な姿勢です。ティリッヒは宗教を「究極的なものに無制約的に関わること」と定義しましたが、無制約的に関わるとは、自分の存在の全体をかけて真剣に関わることです。人類は聖なるものに真剣に関わって宗教史を形成してきました。ティリッヒはキリストの啓示に立つ神学者として、この人類の宗教史に真剣に関わることで、現代の宗教問題に対する深い洞察を見せ、重要な発言をしてきました。ティリッヒは「人間は考えなくてはならない。そして、考える以上は徹底的に考えなくてはならない」と言っていますが、彼自身哲学者として人間とその歴史を徹底的に考え抜くことで、現代の宗教の問題に深く切り込んでいます。ティリッヒから学ぶこと、啓発されることは多く、本章のまとめとなる次章の「現在の宗教問題」も、ティリッヒの宗教論に負うところが多くなると思います。宗教の言語としての象徴についての論説は啓発的です。とくに宗教という場に働くデモーニシュな力を明らかにし、聖なるものの経験における対極的な力の相克を弁証法的に把握して、宗教学を力学として理解していることに深く共感します。わたしも神学は力学であることを唱えてきました。ティリッヒがこの力学的な視点から宗教を動態的に観察して、宗教の動的類型論を提唱していることにも共感を覚えます。また、狭い意味での宗教、すなわち祭儀と教理と聖職階級からなる社会体制となった歴史的諸宗教を批判する視点も明確で、そのような意味での宗教からの脱却の必要が随所で唱えられていますが、同時にその脱宗教がもたらした世俗化の問題点と、世俗化した世界に生じた疑似宗教の分析も、ティリッヒの宗教論の重要な貢献であり、今後の宗教学の方向を考える上で重要な要素です。ティリッヒがエリアーデとの共同演習で始めた組織神学と宗教学のコラボレーションが短期間で終わったことが惜しまれますが、この方向はこれからの指針として、神学においても重視されなければならないと思われます<