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第六節 『キリストと文化』 ― ニーバーにおける宗教と文化

「文化」の問題

 次節でティリッヒの生涯と思想を要約紹介したあと、ティリッヒの「宗教の神学」をやや詳しく検討する予定ですが、その前に「文化」の問題を直接取り上げたリチャード・ニーバーの『キリストと文化』を簡単に見ておきたいと思います。ティリッヒも文化の問題を主題として取り上げた宗教哲学者の一人です。
 リチャード・ニーバーは兄のラインホールド・ニーバーと共に二〇世紀前半のアメリカのキリスト教会と神学界において指導的な役割を果たした神学者です。二人はドイツから移住してきた牧師の子ですが、アメリカで神学教育を受け、福音をアメリカの現実の社会に根付かせるために、時代のアメリカ社会と文化の問題に真剣に取り組みます。二人はティリッヒをアメリカに招聘したり論文を英訳するなどして、ティリッヒがアメリカで活動するのに大きな貢献をしますが、そのリチャード・ニーバーがキリスト信仰と文化の関係をまとめたのが『キリストと文化』です。わたしは若い時に宣教師が日本の文化に対してきわめて否定的な態度で接するのを見て、信仰と文化の関係を考えようとしてこの書を読んだ記憶があります。ここでティリッヒの文化と宗教の神学を理解するために、また諸宗教をその中に含む文化の問題を神学的に考えるために、ニーバーのこの書を要約しておくのも有益かと思います。
 ニーバーの『キリストと文化』(1949)はその第一章「永続的問題」で、キリスト信仰はその成立当初から時代の文化との間で受容と反発、融合と迫害の歴史を繰り返し、キリスト者にとって大きな問題となってきた事実をあげて、その問題の重大さと永続性を強調しています。そもそもイエスが時代のユダヤ人から拒否されたのも、イエスがユダヤ人存立の総体であるユダヤ文化を否定したからであると正当化するラビの意見を引用して、この問題の重要性を示唆しています。この問題はキリスト教と外の社会との間にあるだけでなく、それ自身一つの歴史的文化的存在としてのキリスト教自身の内部の問題でもあるとして、キリスト者の真剣な取り組みを促しています。なお、ニーバーは序言において、その問題との取り組みと発想がトレルチの『キリスト教会と諸集団の社会的教説』に負うものであることを述べています。問題の性質をあげた上で、「キリストの定義のために」と「文化の定義のために」という二つの小節で、この問題を構成する二つの対立項の内容を定義する努力をしています。「キリスト」についても啓発的な発言が見られますが、ここでは「文化」の定義についてのニーバーの「神学的解釈を抜きにした現象の定義」を紹介しておきます。
 ブルクハルトが言ったように、文化とは「物質生活の向上のために、そして精神的道徳的生活の表現として、自発的に発生するいっさいのもの ― すべての社会関係、技術、芸術、文学、科学 ― の総計である」ということ、要するに人間が人間としてする活動の全過程であり、全結果が文化となるのでしょう。文化の厳密な定義はできないとしたうえで、ニーバーはその主要な特質を四つあげています。1 文化は常に社会的であり、文化は一つの社会が受け継ぎ伝達する社会的遺産である。2 文化は人間の業績である。川は自然であるが、運河は文化である。石英の一片は自然であるが、鏃(やじり)は文化である。3 人間の業績はすべてある目的のために計画されたものであり、それゆえに価値の問題となる。その諸々の価値の中で人間のための善が圧倒的であるが、人間以外のものの価値も追求される。達成された価値は保存されなければならず、この価値の保存のための活動(教育など)が人間の文化のための活動の大きな部分を占める。4 すべての文化は多元的である。一つの文化が達成しようとする諸価値は常に多数である。社会は多数の価値追求を統合する苦労をしなければならない。
 このように文化の特質を記述した上で、ニーバーはキリスト信仰と文化との関係を五つの類型に整理して提示し、それぞれに一章をあてて詳述します。ここではその五つの類型をごく簡単に要約して列挙するにとどめます。

1 文化に対するキリスト (Christ Against Culture)

 ニーバーは第二章でこの「反文化的キリスト」の類型を詳しく論じています。新約聖書の各巻は世界のただ中に新しい民の成立を告知し、その民に主であるキリストへの全面的な愛と従順を要求しています。その要求の裏側として、彼らがそこから救い出された旧い世界に対する拒否が、その世界の文化に対する拒否の要求となっています。それをもっとも明確に語っているのはヨハネの第一の手紙です。著者は「世も世にあるものも、愛してはいけません。世を愛する人がいれば、御父への愛はその人の内にありません」(二・一五)と語ります。古代教父の中でこの反文化のキリスト信仰をもっとも明確にしたのはテリトゥリアヌスです。そして中世の修道院も、時代の文化の維持に貢献する一面を伴いますが、もともとは文化から隔離したところでキリスト信仰を確立しようとする反文化的な運動でした。近代ではプロテスタント分派(メノナイトなど)に反文化的傾向が強く出ています。ニーバーはこの反文化的キリスト信仰の典型としてトルストイをあげ、彼の実例からこの立場が「必然にして不十分な立場」であることを説明しています。それは、この世の文化に反抗してキリストへの忠誠だけを貫こうとする「徹底的キリスト者」も、その実践は文化世界の現実のただ中で行わねばならないからです。実践面だけでなく、この立場は神学的にも罪の性質と普遍性など様々な問題を抱えていることが指摘されます。

2 文化のキリスト (Christ of Culture)

 ここにあげた反文化的なキリスト教に対して真っ向から対立し、キリストと文化を調和させようとするキリスト教の流れが第三章で取り上げられます。彼らは一方ではキリストによって文化を解釈し、キリストと合致する文化の要素を重視し、他面では文化によってキリストを解釈します。この立場は新約聖書の時代ではユダヤ教内のキリスト信仰に見られました。彼らはユダヤ教という彼らの文化伝統の中でキリストを解釈し、そのキリストへの忠誠を保とうとしました。この立場は、古代ではグノーシス主義によって代表されました。彼らは福音を時代の科学や哲学と和解させようとしたのです。中世では両者の和解はアベラルドゥス(1079-1142)によって試みられました。そして近代においては合理主義とか自由主義の名のもとに「文化のキリストの主題による変奏曲」が無数に奏でられることになります。ロックやカントやジェファーソンらもこの流れに数えられます。そしてこの流れはシュライエルマッハーによって神学的に基礎づけられ、ヘーゲル、エマーソン、リッチュルへと進み、文化主義プロテスタンティズムの時代を迎えます。このプロテスタンティズムを代表するリッチュルは、キリストと文化という二つの礎石の上にその神学を形成します。彼は文化と自然の相克を問題としましたが、文化とキリストの間には何の相克も感じることなく、両者の調和と神の国における両者の成就と統合を目指します。今日、この文化主義的キリスト教はバルトらの新正統主義と根本主義の両方から厳しく批判されていますが、ニーバーはキリストの文化への同化は恒久的な運動としてキリストの支配の進展には避けられない意義を有するものとして、「文化主義的信仰の擁護」をしていますが、様々な問題があることも指摘して「神学的反論」も加えています。

3 文化の上にあるキリスト (Christ Above Culture)

 キリスト教の大多数の運動は、文化に対する二つの極端(徹底的反文化と文化順応)の中間の道を歩む「中道の教会」であったとして、中間派の三つのタイプを第四章から第六章で取り上げますが、その前にニーバーはそれらの中間派に共通する特徴ないし確信を四つの神学的定式にまとめています(第四章第一節)。1 すべての文化の基礎となる自然は父なる神の創造によるものであり、善であるという確信。2 人間はその存在の本質上、神への服従に義務づけられているという確信。3 罪の普遍性と徹底性の確信。4 恩恵の卓越性と服従のわざの必然性との確信。以上の四つの確信を共通にしながら、中道の道を行く人たちに三つのタイプがあるとして、ニーバーはその三つを総合主義者(synthesisits)、二元論者(dualists)、回心主義者(conversionists)と名付け、それぞれを以下の三つの章で詳論します。
 最初に第四章(第二節)で、「キリストと文化の総合」を目指す人たちの思想を紹介します。この人たちはキリストと文化を「これか・あれか」ではなく「これも・あれも」の関係で扱うのですが、両者の間の隔絶をしっかり認識した上で、その隔絶を克服して両者を総合しようとする人たちです。ニーバーはその立場の最初の代表者としてアレクサンドリアのクレメンスをあげます。クレメンスは当時の地中海世界で随一の文化都市であったアレクサンドリアで、キリスト教徒の教師として指導に当たります。そのさい、当時のギリシア文化の基準を満たすように、ギリシアの哲学者たちの教えに基づいて、倫理や道徳を教えるだけでなく、思想や哲学も導かれるように教えます。しかし、それだけでなく、クレメンスはその上にイエスの山上の説教に見られるような高度な倫理や、聖書的な見方を加えます。クレメンスは自分たちがその中で生きている文化を認めた上で、その上にキリストを置くことで両者を総合しようとします。この方向は「文化の上にあるキリスト」(Christ Above Culture)と言えるでしょう。クレメンスのキリストは文化に対立するものではなく、人が自分の努力では達成できないものを与えるために、文化の最良のものを用いるキリストです。
 ニーバーは中世の最大の神学者と呼ばれるトマス・アクイナスもこのタイプに入れています。トマスは貧困、独身、服従の誓約に忠実な修道僧として徹底的な反文化的生活を体現すると同時に、時代の文化を包摂し保護する教会の神学者として、超俗的キリスト信仰と文化世界の統一体としての中世キリスト教世界を代表しています。近代においては、教皇レオ一三世や英国国教会の主教バトラーなどを総合主義者としてあげていますが、彼らはトマス主義の継承者であるとしています。総合とか統合は人間がもつ基本的な欲求です。とくに神は唯一であることを信じるキリスト者にとって避けがたい欲求であり目標です。それを成し遂げたクレメンスやトマスやその継承者たちによって、後世の教会と文化は共に計り知れない影響を受けています。しかし、誰も反対することができないようなこの総合にも問題があることを、ニーバーはこの章の第三節「総合の問題点」で指摘します。もともと別次元の神の業であるキリストと人間の営みである文化を一つのシステムに総合しようとする試みは、不可避的に相対的なものを絶対化し、無限なものを有限の形式に引き下げ、ダイナミックなものを物質的なものにすることになります。総合の努力はキリストと福音の制度化を招く傾向をもちます。総合主義者はしばしば自分の文化の保存と回復に没頭し、文化的保守主義の傾向をもち、一種の「文化のキリスト」となります。総合主義者は人間の営みの中に存在する根本悪と真っ向から取り組もうとしないという批判を、「中道の教会」からも、とくに次の二元論者にから受けることになります。

4 矛盾におけるキリストと文化 (Christ and Culture in Paradox)

 この標題でニーバーは第五章で、キリストと文化を相容れない別の原理によって成り立つ二つの領域として、その相矛盾する二つの領域の双方に忠誠と責任を果たそうとして苦闘するタイプを扱います。第一節で、キリストにおける恩恵による和解と、本性的に罪の中にある人間の営みとしての文化を、矛盾する別の原理とする二元論的神学をかなり詳しく検討した上で、第二節でそのタイプの源流としてパウロを取り上げます。パウロの思いはキリストにある恩恵の支配に集中しています。パウロにおいては、キリスト者の倫理は何よりもキリストにあって恩恵によって賜った新しい命の発現としての倫理です。しかしキリスト者もこの文化世界の中で生きていかなければなりません。総じて文化は罪ある人間の営みとして神の裁きの下にありますが、それでも罪を暴露しつつ、罪が破壊的な力を振るうことを防止しています。それゆえキリスト者は国家や法律などの文化的諸制度にも忠実に従う必要があります。パウロはキリストにある者を徹底主義者のように文化世界から切り離して孤立した共同体を作ろうとはせず、また総合主義者のように一つのシステムに統合しようとはせず、終末における統合を望み見て、矛盾の中を生き抜こうとします。このパウロの二つの原理によるキリストと文化の矛盾の思想は、古代教会の最初のパウロ主義者であるマルキオンによってやや歪んだ形で受け継がれます。ニーバーによれば、マルキオンはユダヤ文化の精髄である旧約聖書を、イエスの愛の神とは異なる正義の神を押しつけるものとして拒否し、結婚を含む文化を退けて禁欲主義に向かい、一つのセクトを形成することで1の徹底主義者の方向に行った、とされます。
 第一節でパウロを見た上で、ニーバーはキリスト教史で最も典型的なこのタイプの代表者として、第三節でルターを取り上げます。ニーバーは最初にルターの二つの著作『キリスト者の自由』と『略奪・殺人的農民集団に反対して』を取り上げ、前者におけるキリストにある者の愛から出る自由な奉仕のわざの頌栄と、後者の領主たちへの「だれでも、できる者は刺し、打ち、殺せ」という勧告の間の大きな距離を示し、それを弁護するルター自身の「二つの王国がある。一つは神の国であり、他はこの世の王国である。神の国は恩恵とあわれみの王国である。しかしこの世の王国は怒りと残酷の王国である。・・・・」という言葉を引用して、ルターの二元論的信仰思想を印象深く記述しています。この二つの王国の原理に忠実に生きるために、ルターは一方では総合主義的解決を退けます。矛盾する二つの王国を一つに統合するにはあまりにも深く両者の違いを認識していたからでしょう。両者の混同は両者の崩壊を招くとしています。そして他方では徹底主義者のように文化の領域を排除してキリストだけに閉じこもることにも反対し、文化における生活をキリストに従って歩む場として積極的に評価します。ルターは「罪人にして同時に義人」という恩恵の場で、この矛盾する二つの世界を、動的・弁証法的に同時に生きぬきます。しかし後継のルター派教会は両者を並列させるだけの静的なものになったとします。ルター以後のこのタイプの代表者として、ニーバーはゼーレン・キルケゴールやロジャー・ウィリアムズらをあげています。そして最後の第四節「二元論の功罪」で、二元論者はその動的な実存理解をもって、キリスト者の生の源泉に注意を向け、そのことによって信仰だけでなく文化にも活力をもたらしたという貢献が認められます。しかし他のタイプからの批判もあり、ニーバーはその中の二つを取り上げます。一つは、文化世界のいっさいの人間の営みが相対化されることで一部の人たちに文化的生活の諸法則を放棄させる「無律法主義」に導く危険と、もう一つは、パウロの場合の奴隷制、ルターの場合の社会階層についての発言に見られるように、時代の文化をそのまま認める文化的保守主義への傾向です。

5 文化の改造者キリスト (Christ The Transformer of Culture)

 多くの点で4の二元論者と共通していますが、文化に対してより積極的な態度をとる人たちを、ニーバーは回心主義者(conversionists)と呼び、この人たちの思想を、「第六章 文化の改造者キリスト」で扱います。まず第一節で彼らの神学的確信を三つあげます。第一は創造の善性です。二元論者が創造を彼らの主要主題である贖罪の前置きのように扱うのに対して、回心主義者はキリストが創造にも参与しておられることを重視して、創造と贖罪を共に神の善性において理解します。第二に人間の堕罪がまったく人間の行為であって、いかなる意味においても神の行為ではないという確信です。二元論者の物質界に属する身体がそれ自身で罪であるという思想は共にしません。回心主義者にとって文化は歪曲された善であって、悪ではありません。第三に、歴史は神の力あるわざと人間の応答の物語であり、それは現在に起こっているという確信です。回心主義者は、創造と文化の統合を究極的終末に期待するのではなく、万物を自己自身まで引き上げることによって改造する主の力を認めつつ現在を生きます。
 ニーバーは新約聖書の中でこのような回心主義的モチーフを第四福音書に見て、それを第二節で論じています。まずヨハネは万物は言(ロゴス)によって創造されたと宣言することで、すべて存在するものは善であるという確信を力強く表現しています。しかし同時に、この福音書は神に背き別の原理で成り立っている(悪魔に支配されている)ように見える「世」の罪を暴き、キリストと世は両立し得ないとする二元論的、分離主義的に見える面もあります。しかし、神はこの「世」を愛して御子をお与えになったのです。この福音書では堕罪は創造された善の歪曲であり、神はそれをキリストにおいて包摂されるとされています。この福音書の歴史観は、「神の国」を「永遠の命」という主題に置き換えていることに示されているように、裁きも永遠の命も終末への待望ではなく、現在の神の働きとして理解されています。ニーバーも認めているように、この福音書には二元論的、分離主義的傾向も多分にあり、単純に回心主義の文書とすることはできず、回心主義のモチーフが散見するというものではないかと思います。ニーバーの解説も晦渋の感を免れません。ニーバー自身、「ヨハネは、回心主義的モチーフを、反文化的キリストの思想的立場の分離主義と結合したのである」と言っています。
 ニーバーは第三節で、このタイプを代表する古代教父としてアウグスティヌスを取り上げます。アウグスティヌスは、新プラトン主義の修辞学者がキリスト教の説教者となった彼の経歴が示すように、かれ自身が文化の回心の実例となります。アウグスティヌスは、徹底主義者による文化の拒否や、文化主義者による文化の理想化や、良質の文化にキリストを付け加えるという仕方で進められる総合や、とうてい征服すべくもないほど不道徳な社会にあって福音によって生きることを願う二元論とは違い、人間のすべてのわざにおいて表現されている人間の生命に、キリストは再び方向を与え、これを再び活気づけ、再び生まれさせるという意味で、「文化の改造者としてのキリスト」を指し示します。彼の主著の一つである『神の都』が示しているように、アウグスティヌスはローマ帝国の社会を皇帝中心の共同体から中世キリスト教世界に回心させたあの偉大な歴史的運動の指導者の一人となります。このようにアウグスティヌスを位置づけた後、ニーバーはこのような姿勢を取らせるアウグスティヌスの神学 ― すべての創造を善とし、それを歪曲腐敗させる人間の根本的な罪、キリストによる贖罪の神学 ― をかなり詳しく解説しています。そして最後の第四節で、近代においてこのタイプを代表する神学者として英国のF・D・モリスの思想を紹介して、この回心主義の理念の実例を加えています。

 以上のように、ニーバーはキリストと文化との関係を五つの類型に分類しました。この類型は、わたしたちがキリスト信仰と実際の文化的営みとの関係を考える際の、物差しとその目盛りのような働きをしてくれる便利で有益なものです。しかし、現実は複雑で、けっして一人の人や運動を一つの類型に閉じ込めることはできません。わたしたちは複雑な現実の中で個々の場合に対処して決断し行動しなければなりませんが、その決断や行動はしばしば違った類型のものとなります。ニーバーもこの消息は心得ていて、最後の章「第七章 『結論的・非科学的後書』」で、どの類型も「これが唯一のキリスト教的解答である」と言えないとし、そのような結論がわたしたち人間の「信仰の相対性」(わたしたちの信仰の相対性は、個人の知識の断片性、信仰の脆弱性、置かれている歴史的状況の一時性、価値の相対性などの面から考察されています)によるものであることを述べ、状況に即した実存的決断が求められる「社会的実存主義」の必然を論じています(ここでニーバーはキルケゴールに大きく依存していますが、キルケゴールの実存主義が個人主義的であって文化の問題を切り捨てていることを批判し、決断は歴史的・社会的対話の中でなされる決断であることを強調しています)。そして最後の節「依存における自由」において、われわれは自由の中で決断するのであるが、その自由はすでに多くの条件に依存していることを論じています。しかし最終的には、人間の業績である文化の世界は、イエス・キリストにおいて啓示された神の恩恵の世界の内側にあるという信仰によって決断することになる、という言葉で結ばれます。
 ここに取り上げたニーバーの「キリストと文化」の関係の考察は、宗教(少なくとも諸宗教)が文化の一分野である以上、宗教の神学にとって重要な示唆を与えるものとなります。

付記

ニーバーの『キリストと文化』はニーバーにおける「福音と宗教」ではないかと思います。キリストは福音の実体であり、福音の実質はキリスト信仰であるのですから。そしてニーバーが言う「文化」とは、一つの人間の共同体が営む営為の全体であり、その中に宗教(複数形の宗教)が含まれることになります。ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も仏教も文化です。ラビは主張します。ユダヤ教最高法院がイエスを死刑にして除いたのは、イエスがユダヤ人がそれによって生きているユダヤ教文化の総体を否定したからであると主張して、死刑を正当化しています。しかしイエスはユダヤ教を否定したのではなく、ユダヤ教の絶対化を否定して相対化したのです、宗教を文化のレベルに置いたのです。ユダヤ人は同じことをしたパウロも殺しました。ある宗教を否定することは、その宗教の上に立つ文化全体を否定することになるとしたからです。
福音は各宗教(複数形の宗教の中の一つ)を否定しません。それを相対化します。どの宗教の中でもキリスト信仰は成り立ちます。それは、福音はどの文化の中でも成り立つことを主張しているのです。パウロが「律法とは別の義」を唱えたのはそのことではなかったのでしょうか。パウロの戦いは、ユダヤ教の外で義がありうることを確立するためであった、と言えます。福音は宗教を否定するのではなく、それを相対化して改革します。各宗教の外面的な面(儀礼や信条)を相対化して、その宗教が人間の内面にもたらす宗教性、霊性を深め、その宗教が目指した霊性を、完成に向かって変革します。
  キリスト信仰によって形成された共同体は《エクレーシア》、福音共同体です。そこにおいて文化はどうなるのか。ニーバーはそれを五つのタイプに分けました。ところが欧米ではキリスト信仰がキリスト教信仰となっているため、「キリストと文化」が「キリスト教と文化」になることがしばしばあります。すなわち、キリスト教という宗教と他の諸分野の文化との関係になっています。キリスト教と教育、キリスト教と国家、キリスト教と芸術、キリスト教と科学というような対比です。キリストと文化の対比では、まずキリストと諸宗教との対比、とくにキリスト教という宗教との対比が重要です。各宗教こそ各文化の基礎になって、キリスト教文化、イスラム文化、仏教文化などを形成しているのですから。そうすると、「キリストと文化」の関係は、まずキリスト信仰の表現である福音とキリスト教という宗教およびその他の諸宗教との関係でなければならないと考えます。まさに本書はその関係を主題としているのです。