市川喜一著作集 > 第24巻 > 第5講

第二節 不信仰としての宗教 ― バルト

『ローマ書』の衝撃 ― 初期バルトの宗教批判

 第一次世界大戦(一九一四年〜一九一八年)はヨーロッパのキリスト教世界に大きな衝撃を与えました。それまでの、一九世紀に絶頂をきわめることになる進歩への信頼に満ちた楽観主義は、キリスト教諸国が互いに戦う大戦によって根底から崩れました。大戦までの西欧世界はキリスト教によって統合された一体の世界であるという基盤の上に安住していましたが、その土台が崩れる崩壊感を味わいます。シュペングラーの『西欧の没落』(一九一八〜一九二二年)が広く読まれたのも、その戦後の虚無感を象徴する出来事でしょう。近代合理主義に立つキリスト教の近代主義神学も、根底を揺さぶられることになります。先に見たようにオットーの『聖なるもの』(一九一七年)が、非合理的で畏るべき絶対他者の存在を指し示して、楽観主義の根底にある近代合理主義を批判したのも、この時代の転換を象徴するものでしょう。
 このような時代の転換期に、神学固有の立場からこれまでの近代主義神学を厳しく批判する神学が現れます。それがカール・バルト(一八八六〜一九六八年)の神学です。二〇世紀のキリスト教神学に巨大な影響を及ぼすことになるバルト神学については、すでに多くの解説がなされ広く知られていることですから、ここでは本章の主題である「宗教の神学」の問題に限って、すなわちこの神学の巨人が人類の普遍的な営みである宗教という事態をその神学の中でどのように位置づけまた意義づけているかという問題に限定して見ることにします。
 バルトは、シュライエルマッハーからトレルチに至る近代主義神学が人間の側の体験とか理解とか文明に大きく依拠して神学していることを激しく批判して、その批判の書『ローマ書』を発表します。バルトはスイス改革派の牧師でしたが、若き日からブルームハルト父子に始まる宗教社会主義の運動に身を投じ、労働組合運動などの時代の社会問題と取り組んでいました。第一次世界大戦にさいして教会の指導的な神学者たちが戦争を肯定するナショナリズムの潮流に押し流されるのを見て、近代自由主義神学が基盤としていた近代のキリスト教世界の存在が幻影であることを知り、それ以外のところに神学の根拠を求めます。すでにキェルケゴールの「神と人間、あるいは永遠と時間の無限の質的差別」の思想に深く共感していたバルトは、パウロの福音の集成であるローマ書のテキストを神からの啓示の言葉として、すなわち神の言葉として、その言葉の解説注解ではなく、その言葉が現代のわれわれに語る事柄自体を聞き取ろうとします。ここに一切の人間的根拠を排除して神の言葉だけに立とうとする神学、「神の言葉の神学」が生まれます。この神学は後に「危機神学」と呼ばれるようになりますが、それは、その神学が第一次世界大戦によるヨーロッパ文明と思想の危機の中から生まれた神学という意味だけではなく、人間にとって絶対他者である神の言葉は、人間に対して厳しい否を突きつけて裁くので、神の言葉は人間にとって危機となるからです。危機を意味する語(crisis)はもともとギリシア語で裁きを意味する《クリシス》から来ています。
 バルトは三〇歳代の若さで『ローマ書』を出して、ヨーロッパのプロテスタンティズムの主流を形成していた近代主義神学を厳しく批判します。一九一九年に出された第一版は大きな波紋を起こし多くの反論がなされたので、バルトはそれに応えて、一九二二年に長い序文をつけた第二版を出します。この第二版への序文が、バルトの立場を弁明するものとして有名です。その後、この書は六版を重ねて刊行され、ヨーロッパ神学界に大きな衝撃を与えます。この書の基調は、人間の在り方を罪として断罪する神の言葉は同時に限りない恩恵によって罪人を義として受け入れる言葉であるというルターやカルヴァンたち宗教改革者の精神であり、それを激しい逆説的言辞で表現している書です。この正反対の二者を同時に成立させる思想として、この神学は「弁証法神学」と呼ばれるようになりますが、それは決して進歩主義的楽観論の代表者ヘーゲルのいう「正・反・合」の弁証法ではなく、あくまでキェルケゴールの「神と人間の無限の質的差異」に固執するものであって、ある神学者(ティリッヒ)が言ったように、バルトの神学は「弁証法的と呼ぶべきではなく、逆説的と呼ぶべきである」のかもしれません。
 バルトの『ローマ書』が時代の神学界と思想界に衝撃を与えたのは、逆説的な表現で激しく表現された「罪人にして義人」という宗教改革的主張ではなく、その啓示の超越性と絶対性からなされた強烈な宗教批判です。この書においてバルトが宗教という語で指しているのは、宗教一般とか他の宗教ではなく、まさにキリスト教そのもの、ヨーロッパ世界が自分たちの基盤としているキリスト教そのものだったから強い衝撃となったのです。バルトはこの書でローマ書の章を追って丁寧に講解していきます。この書は全体が激しい宗教批判ですが、その全体をたどるゆとりはありません。ここではその宗教批判が集中的になされる第七章の講解に絞って見ておきます。
 ローマ書の第七章は律法からの解放を主題とする章です。ところがバルトはこの章を三つの節に分けて講解するにあたって、パウロはそこで一度も宗教という言葉を使っていないにもかかわらず、その三つの節に「宗教の限界」、「宗教の意味」、「宗教の現実」という標題をつけています。ということは、バルトはパウロのいう「律法」を宗教を指す語として扱っていることを意味します。そして七章全体に「自由」という標題を与えています。自由は解放の結果です。ギリシア語では自由と解放は同じ語《エレウセリア》です。パウロのいう律法からの解放を、バルトは宗教からの解放として理解していることが分かります。さらにバルトが宗教というとき何よりもキリスト教という宗教を念頭に置いていることを考えると、この章は啓示の立場からするキリスト教の位置づけ、すなわちそこから人間が解放されるべき軛としてのキリスト教が意味されていることになります。このようなキリスト教理解が、キリスト教という宗教を拠り所としている当時のヨーロッパの神学者を憤慨させることになります。
 パウロが律法を指すのに用いる《ノモス》というギリシア語は《トーラー》というヘブライ語の訳語であり、当時のユダヤ人が《トーラー》というときは個々の神の戒律を指すだけでなく、自分たちの宗教全体を指す場合が多くあります。彼らは自分たちの宗教をユダヤ教と呼ぶことはまれで(パウロの手紙に二例だけあります)、普通は《トーラー》と呼んでいました。パウロもガラテヤ書やローマ書で《ノモス》というときはほとんどの場合、ユダヤ人が《トーラー》という語で指しているユダヤ教という宗教を指しています。パウロはローマ書の最初の部分(一・一八〜三・二〇)で罪の支配下にある人間の現実を異邦人とユダヤ人に分けて描いていますが、そのさい異邦人(ユダヤ教徒以外の異教徒)は「律法を持たない人たち」、ユダヤ人(ユダヤ教徒)は「律法を持つ人たち」と呼んでいます。ユダヤ教という宗教の中にいるかどうかで人類を二分しているわけです。そして、律法をもっていること、すなわちユダヤ教という神から与えられた宗教の中にいることを誇りとしているユダヤ教徒もまた、ユダヤ教の外にいる異邦人と同じく罪の支配の下にあることを明らかにします。ユダヤ人が神の啓示に基づく唯一の正しい宗教だとしているユダヤ教も、人間を罪の支配から解放するのに何の役にも立っていないことを論証し、人間を罪の支配から解放して義とするのは「イエス・キリストの信仰」だけ、すなわイエス・キリストにおいて成し遂げられた神の恩恵の働きだけだと(三章二一節以下で)議論を進めていきます。このローマ書の最初の部分(一・一八〜三・二〇)は普通罪の普遍的支配を論証するためのものと理解されていますが、それだけでなくむしろ人間の救いにとって宗教が無力であることを論証していることを見落としてはなりません。バルトはこの箇所の講解で、人間がもつ様々な可能性の中で宗教的人間がもつ可能性を最高のものとした上で、その宗教が救いにとって絶対的な位置と価値をもつものでないことを、七章で「律法」と呼ばれているユダヤ教を実例として改めて論じます。
 バルトはローマ書七章を講解するにあたって、第一区分(一節〜六節)に「宗教の限界」という標題をつけて講解しています。この区分でパウロは結婚の比喩を用いて、夫が死んだ女性は自分を夫に縛りつけていた結婚の法律から解放されているので他の男性と合わせられることができるように、キリストにある者はキリストの死によって律法から解放されているので、古い主人である罪から離れて新しい主人、すなわち復活者キリストに合わせられて生きることができることを説いています。バルトはそれを「人間としての身体をもって死なれたキリストと共に、すべての人間の可能性と共に宗教的な可能性も神に献げられ、犠牲とされる。・・・・ゴルゴタは律法の終極点であり、宗教の限界である」と表現します。宗教が到達できるのはそこまで、宗教が人間を連れて行けるのはキリストの十字架までということです。そこから先は復活されたキリストに合わせられて生きる道、すなわちそれまでの宗教による道とは別の道が始まります。宗教的な人間の可能性の限界の彼岸に始まる神の可能性に生きる道が始まります。それが「われわれは今や霊の新しい意味において僕であり、文字の古い意味において僕なのではない」と表現されることになります。ここで「文字」はユダヤ人が律法と呼ぶ宗教の諸規定を指し、「霊」は霊なる復活者キリストとの交わりを意味します。
 第二区分(七節〜一三節)は「宗教の意味」と題されています。この箇所でパウロは、律法は人間がその拘束から解放されるべきものであるが、決して罪に属するものではなく神に属するもの、すなわち聖なるものであることを宣言し(七節前半)、その聖なる律法が人間に対してもつ意味を解明していきます。バルトは、パウロが律法についてしているこの議論を、人間に対して宗教がもつ意味の解明として講解します。パウロが「律法によらなければ、わたしは罪を知らなかったのです」(七節後半)というところを、バルトは宗教の意味の第一のものの解明とします。すなわち、「宗教において罪がわれわれの実存の可視的な所与となること、すなわち、神に対する人間の奴隷一揆が宗教において可視的な姿で爆発すること」が宗教の第一の意味であるとします。続いてパウロが「罪が戒めにより機会をとらえ、わたしを欺き、戒めによりわたしを殺したのです」(八〜一一節)というところで、バルトは「戒め」という語を「要求」という語で訳し、宗教が神から人間への要求であるという面を示して、神の要求が罪の働きに「梃子を与え」、かえって人間の内に罪の行為を引き起こす機縁となっていることを、独特の哲学的概念と逆説的表現で講解しています。そして結論として、「宗教はまさにその必然性において、この世の中のこの人間に対して罪が持つ力を実証するものである」ことが宗教の第二の意味だとします。さらにパウロが「善いもの(律法)がわたしにとって死となったのでしょうか。決してそうではありません。実は、罪が善いもの(律法)によってわたしに死をもたらすことで、その正体を現したのです」(一二〜一三節)と言っているところを、「罪が要求によって、自ら全く罪深いものであることを立証する」と表現して、これこそが宗教の意味だとします。すなわち結論として、「宗教の意味は、罪がこの世の中のこの人間を支配する力であることを明らかにすることである。すなわち、宗教的人間もまた罪人である」となります。
 第三区分(一四節〜二五節)は「宗教の現実」と題されています。以上のような宗教に関する考察から、バルトは「宗教の現実は、戦いと躓き、罪と死、悪魔と地獄である」として、次のように述べます。「宗教は、人間に人生の問題の解決をもたらさず、宗教はむしろ人間そのものを全く解きがたい謎とする。宗教は人間の救いでも、救いの発見でもない。むしろ、人間の救われがたさの発見である」。このように断定した上で、パウロのローマ書のテキストの一四節〜一七節を「第一の確認事項」として引用します。この部分の各節を講解した上で結論として、「わたしの内に宿っている罪の彼岸に実際に実存しているわたしについては、宗教の現実は、本当は決して何も語らない。宗教の現実が語るのは、わたしがわたしの望まないことを常に実行し、わたしの実行することを望まないときに伴う分裂だけである。宗教の現実は、人間の生がその知識と一致しないことについてだけ語る。一つの現実についてだけ、すなわち、罪の現実についてだけ語る」と述べています。続いて一八節〜二〇節を「第二の確認事項」として引用し、第一の場合と同じく、欲する善は行わず欲しない悪を行う人間の分裂した在り方から、それを行うのはわたしではなく、わたしの内に宿っている罪であるという結論について、それはわたしの責任免除ではなく、わたしが自分で下した判決であるとし、実行するわたしと、そのわたしが実行することを望まないわたしは同一のわたしであることを確認します。バルトはこう言います。「現実は、宗教の現実もまた、一人の人間を知っているだけであり、そしてそれがわたしであり、他のだれでもない。そしてこのひとりの者が、明らかに望んでいながら実行せず、望まないのに実行しながら、罪の家の四つの壁に取り囲まれて住んでいる。かれの罪とは、まとめて言えば、宗教的体験の現実が告げ知らせる事実のことである」。こうして二つの事項を確認した上で、「結果」として二一節〜二三節を引用します。そこでパウロが「そこでわたしは、善をなそうと欲しているわたしに、悪が住みついているという律法《ノモス》に気づきます」(二一節)と言っているところを、バルトは「そこで、善を行おうと望んでいながら、わたしに悪が入り込んでいるというところに、律法《ノモス》がその現実性を持つのをわたしは見る」と訳しています。ここの《ノモス》を(バルトがここでずっとしてきたように)宗教を指すと理解すれば、この一文こそ「宗教の現実」をまとめる結論となります。バルトは言います、「宗教は、人間全体の、もっとも忠実な友を装った敵、人間が死の此岸で持つもっとも危険な敵である。・・・・宗教は、時間と事物と人間との世界において、『きみはだれか』という問いが、耐えきれない仕方で現れる場所そのものである」。その後、バルトは「宗教は爆発的に現れる二元論である」として、神の律法《ノモス》を喜ぶ内なる人の「理性の律法」と、肢体の内にある別の律法、すなわち「罪の律法」との相克(二二節〜二三節)こそ、「宗教の現実」であるとして、この相克からの解放を求める呻き(二四節)をもってこの章の講解を閉じます。この呻き、すなわち「宗教の現実」からの解放はローマ書八章の主題となります。
 以上、初期の著作『ローマ書』において、とくに七章の講解において、バルトが宗教をどのように扱っているかを見てきました。パウロがローマ書において福音に対立する律法《ノモス》を問題として扱っているところを宗教の問題として捉えた視点、すなわちパウロが律法《ノモス》という用語でユダヤ教という宗教を指して福音との対比を論じた内容を、人類一般の営みとしての宗教、それも近代西欧のキリスト教世界が自明の基盤としてきたキリスト教という宗教を念頭において適用し、激しい宗教批判を展開したことで、バルトの『ローマ書』は当時のキリスト教神学とヨーロッパ思想界に大きな波紋を巻き起こします。すでにプロテスタント神学では「福音と律法」の関係は主要な主題として論じられていましたが、バルトがそれを「福音と宗教」の問題として取り上げたことが、バルトの新しさであり、革命的な視点であったと考えられます。その視点によって、バルトの神学は近代合理主義神学の人間主義的傾向を克服し、福音を神からの啓示の言葉としてその絶対性を確立しようとする神学運動を引き起こすことになります。

「宗教」の積極的意義 ― パウロの場合

 ところで、『ローマ書』におけるバルトの宗教批判を見ていくと、それがあまりにも一面的であるという印象を拭うことができません。パウロの律法観、すなわち宗教観にはもっと様々な面があり、ローマ書に見られるような律法(宗教)を福音に対立する人間の営みと見る面だけではありません。ここでパウロの律法観を詳しく論じることはできませんので、律法が宗教として福音に対して持つ関係に限定して見ますと、たとえばガラテヤ書には違った律法観が語られていることに気づきます。パウロはガラテヤ書の三章で、相続(救いとか神の国を受け継ぐこと)はアブラハムに与えられた約束に基づくのであって律法によるのではないことを論じていますが、それに対して当然モーセ律法(ユダヤ教)の順守こそ相続の資格であるとするユダヤ人から「では律法とはいったい何か」という問いが起こります。パウロはそれに答えて、1律法は違反を明らかにするために(後から約束に)付け加えられたものである、2約束を与えられた子孫(キリスト)が来られる時までのものである、3(神の直接授与ではなく)仲介者の手を経て制定されたものあるから暫定的である、という形で律法の役割、有効期限、制定事情を述べて答えています(一九〜二〇節)。たしかにこの律法理解(とくに1)の延長上にローマ書の否定的な律法論があり、バルトがこれを宗教に埋没しかねない彼の時代の近代主義神学と思潮を批判するために用いたことは理解できます。しかしガラテヤ書三章には、イスラエルが律法の下にあった時期について、「律法はわたしたちをキリストに導く養育係となった」という、律法についての積極的な発言(二三〜二五節)もあることに留意しなければなりません。

 信仰が到来する前には、わたしたちは律法の下で監視され、この信仰が啓示されるようになるまで閉じ込められていました。こうして律法は、わたしたちをキリストのもとへ導く養育係となったのです。わたしたちが信仰によって義とされるためです。しかし、信仰が到来したので、もはや、わたしたちはこのような養育係の下にはいません。
(ガラテヤ書 三・二三〜二五 一部私訳) 

 「養育係」《パイダゴーゴス》というのは、当時のヘレニズム社会の裕福な家庭で子供の教育としつけを担当した家庭教師のことです。これはおもに教養のある奴隷の仕事でした。貴族の跡取り息子でも、成年に達するまでは奴隷である《パイダゴーゴス》によって、読み書きの教育を受けるだけでなく、生活の隅々まで監視され、厳しいしつけを受けたのです。
 パウロは律法の意義と働きを「養育係」にたとえます。養育係はその家の息子をしつけ教育して、跡取りにふさわしい者にしますが、その教育やしつけによって跡取り息子を造るわけではありません。父親から生まれたという事実が男の子を跡取り息子とするのです。養育係はその息子を未成年の期間しつけるだけです。そのように、律法もわたしたち人間が未だ目的に到達していない未成年の間は、わたしたちを取り囲み、監視し、生き方を外から強制したのです。
 ここで、わたしたち人間が成年に達して到達する目標が、「信仰」と呼ばれています。養育係がその役割を終えて、わたしたちが成年に達する時のことが、「信仰が到来する」とか「信仰が啓示される」時と表現されています。この「信仰」は、人間の宗教的な心構えとか態度一般を指すものではないことは明らかです。そのような意味での「信仰」はいつの時代にもありました。ここでパウロがいう「信仰」とは、「律法はわたしたちをキリストへ導く養育係となった」という言葉が示しているように、「キリスト信仰」のことです。すなわち、キリストに結ばれて、キリストと共に生きる現実です。パウロはこのような現実を普通「キリストの信仰」《ピスティス・クリストゥー》と表現していますが、内容を特定する「キリストの」を略して、たんに「信仰」という語でこの現実を指すことがよくあります。ここはその典型的な例です。
 もう一つパウロの宗教観で注目すべき発言があります。この養育係発言のすぐ後に、次のようなよく似た発言があります。
 
 つまり、こういうことです。相続人は、未成年である間は、全財産の所有者であっても奴隷と何ら変わるところがなく、父親が定めた期日までは後見人や管理人の監督の下にいます。同様にわたしたちも、未成年であったときは、世を支配する諸霊に奴隷として仕えていました。 (ガラテヤ書 四・一〜三 一部私訳)

 先の「養育係」の比喩(三・二三〜二五)では、「律法」が養育係にたとえられていました。「律法」というのはモーセ律法を指していますから、その比喩は直接にはモーセ律法の下にあるイスラエルがキリストに達することを語っていたことになります。それに対してここでは、「世を支配する諸霊」が後見人とか管理人にたとえられています。それは、モーセ律法の下にいない異邦人も同じように、キリストに到達するまでは、「世を支配する諸霊」に監視され拘束されて、奴隷と変わるところがないことを語るためです。
 では、「世を支配する諸霊」とは何でしょうか。原語では「コスモスの《ストイケイア》」となっています。《ストイケイア》とは本来物事の基本とか(基本的)要素という意味の語です。それで、宇宙の物質的構成要素(ペトロU三・一〇、一二)とか、宗教の初歩の(基本的な)教え(ヘブル五・一二)という意味にも用いられます。しかし、パウロはここと四章九節で、コスモスを構成する霊的諸力とそれが地上の諸宗教に現れた形を一体として《ストイケイア》と呼んでいると見ることができます。当時のヘレニズム世界では、コスモス(宇宙)は「支配」《アルケー》とか「権威」《エクスーシア》とか「勢力」《デュナミス》などと呼ばれる霊的諸力で構成される霊的空間とイメージされていました。パウロがこのような宇宙観を共有していたことは、パウロの手紙に散見する言葉遣いからも分かります(コリントT一五・二四など)。地上の諸宗教、とくに異教の諸宗教は、このようなコスモスの霊的諸力を神々として拝むものです。おそらくパウロは、このような霊的諸力とその異教的表現を、最高究極の霊的現実であるキリストと対比して、宗教の初歩的段階として《ストイケイア》と呼んだと考えられます。
 ここで注目すべきことは、パウロがモーセ律法を「世を支配する諸霊」《コスモスのストイケイア》と同列に扱っている事実です。先にパウロはイスラエルについて、キリストが到来されるまでは、モーセ律法という「養育係」の監視の下に閉じ込められていたと語りました。今ここでは、異教徒を念頭に置いて、「後見人」または「管理人」である「世を支配する諸霊」の監督の下におかれ、奴隷と変わるところがないと言います。そして、時が満ちて御子が現れたとき、それは「律法の支配下にある者」を贖い出して、神の子とするためであるとされます(ガラテヤ四・五)。すると、ここの「律法の下にある者」の中には、イスラエルだけでなく、異教諸宗教の異邦人も含まれることになります。モーセ律法の下にある者も《ストイケイア》の下にある者もひとしく、奴隷の状況から救い出されなければなりません。キリストの福音の前では、モーセ律法も異教諸宗教もひとしく、人間を奴隷の状態につなぎ止める「養育係」や「後見人」に過ぎないのです。このようなものとして「宗教」は限界があり、人間を神の子とする力はありませんが、しかし、それはキリストへ導く養育係として、人間をキリストに向かわせる意義はあるわけです。現代社会(とくに欧米)において宗教が衰退し宗教的関心がなくなっていく状況を、人類が養育係の必要がなくなって成人に達した兆候として積極的な意義を見る神学(ボンヘッファー)もありますが、キリストに向かうエネルギーの衰退として嘆く声も多く聞かれます(この問題については後述)。
 こうして世界の諸宗教は人類をキリストに導くための養育係または後見人としての積極的な意義とか役割をもっていることになります。パウロ自身ローマ書においてユダヤ教という宗教の積極的意義を語っています。たとえば三章一節以下で、反対者たちの「ではユダヤ人の優れた点は何か。また、割礼の益は何か」、すなわち「ユダヤ教徒である意義は何か」という反論に対して、「それはすべての面で多くある」と答えて、ユダヤ教という宗教の積極的な意義を数え上げています。ここではパウロの議論は中断しているという印象がありますが、九章四〜五節ではユダヤ教徒であることの特権が列挙されています。パウロがここであげている諸々の「益」は救済史的に特別な位置を占めるユダヤ教とユダヤ人に関するものですから、直ちに異教の諸宗教に適用されるものではありません。異教諸宗教には否定的な面があまりにも多いのは事実です。しかし、世界の宗教の中には「キリストに導く養育係」としてきわめて積極的な意義を持つものもあります。一例だけあげると、大乗仏教におけるアミダ仏信仰は、救済者(アミダ)の信実と慈愛(弥陀の本願)に自分を明け渡すという信仰の姿において、キリスト信仰への道を備えるものと言えます。この福音あるいはキリスト信仰と諸宗教の関係は、本書(とくに第一部)の主題であり、以下の諸項で繰り返し取り上げることになりますが、ここではパウロの律法観(宗教観)の積極的な面を見て、バルトの初期の宗教批判の一面性を指摘するに止めます。

『ローマ書』以後のバルト

 一九一八年に初版を出した『ローマ書』は神学界に大きな波紋と議論を呼び起こして版を重ねていきますが、六版が出る一九二八年までの一〇年間にドイツの教会が置かれた状況は変わっていきます。その変化の内容は、すぐ後の一九三三年にヒトラーが政権を奪取するに至って明らかになり、先鋭化します。『ローマ書』によってドイツ語圏の神学界に大きな影響力を持つようになったバルトは、スイスの一牧師であり教授資格がないにもかかわらず、ドイツの大学の神学部に招かれ教授として活動するようになり、ドイツの教会が置かれた厳しい状況に向かって発言するようになっていました。若き日に宗教社会主義の立場で労働運動にも参加していたバルトは、ドイツでファシズムの暗雲が垂れ込め始めた一九三一年にドイツ社会民主党に入党し、政治的立場を鮮明にし、勃興しつつあったナチズムの宣伝に反対し、ヒトラーに対する反対を表明しています。
 一九三三年に政権の座についたヒトラーは、教会をも自分の民族主義の中に取り込み、自分に忠実な帝国教会に改変しようとします。ドイツの教会内にナチの民族主義に迎合した「ドイツ的キリスト者」の運動が起こりますが、それに対抗して聖書の啓示だけに基づきヒトラーの影響と支配を拒否する「告白教会」の運動が起こり、ドイツの教会は激しい「教会闘争」の時代に入ります。告白教会運動の実践面はニーメラーによって担われますが、その神学的根拠づけの面ではバルトが指導的な役割を果たすことになります。バルトは一九三三年に『今日の神学的実存』という小冊子のシリーズを出して、教会はいかなる状況においても神の言葉だけに従うべきことを主張しました。バルトはその数冊をヒトラーに送りつけています。この小冊子シリーズは、「宗教改革の発火点となったルターの九十五箇条テーゼに匹敵する政治的・神学的マニフェスト」(宮田)となります。その影響を怖れたナチ政権によって一年後には発禁押収処分を受けることになります。
 このヒトラーに対する教会闘争の頂点をなすのは、一九三四年にバルメンの告白教会会議において採択された「バルメン宣言」ですが、この宣言の実質的な起草者はバルトです。この宣言において『ローマ書』以来のバルトの基本的な神学的姿勢が貫かれており、バルトは教会闘争において時代に対する神学的な責任と指導性を果たしています。このようなヒトラーに対する明確な批判と抵抗の故に、一九三五年にバルトはナチ政権からドイツでの休職に追い込まれ追放されるに至ります。バルトは故国スイスに戻り、バーゼル大学に迎えられ、そこで時代に対する神学的発言を続けていきます。バルトは『今日の神学的実存』を引き継ぐシリーズとして『神学的研究』という双書を刊行します。一九三八年にはその『神学的研究』シリーズの第一冊となる『義認と法』で、バルトは地上の国家を相対化していますが、その中で用いられているローマ書十三章の《エクスーシア》(権威)という語の解釈は、その後の聖書解釈で問題となり、長く議論を呼ぶことになります。同じ一九三八年の末には『教会と今日の政治問題』を出して、その年に始まった公然たるユダヤ人ポグロムに直面して、公然と反ヒトラー闘争の声を上げます。この時代のバルトの講演や手紙は後に『一つのスイスの声 ― 一九三八年〜一九四五年』としてまとめられて出版されます。
 この時期のバルトの発言の中で、本書の主題に関して注目すべき出来事を一つだけ取り上げておきます。一九四〇年から一九四一年にかけてバーゼルで行われたローマ書の講義が『ローマ書新解』として刊行されていますが、その七章は「人間の解放としての福音」と題されており、基本的には初期の『ローマ書』が掲げていた「自由」と同じです。ところが、初期の『ローマ書』がその内容を「宗教の限界」、「宗教の意味」、「宗教の現実」という標題をつけて、人間と宗教の関係を論じていたのに対して、この「新解」においては七章の講解に「宗教」という語は全然用いられていません。あくまでモーセ律法としての「律法」と福音の関係が議論されていて、伝統的なローマ書注解の路線に戻っているという印象を受けます。これが何を意味するのかはよく分かりませんが、バルトの宗教論は、この時期にはすでに書かれていた『教会教義学』第一巻第二分冊(一九三八年)の中の第一七小節「宗教の揚棄としての神の啓示」にまとめられていますので、バルトの宗教観は次項で見ることにします。
 世界大戦は一九四五年に終結しますが、戦後も東西両陣営の対立という状況に対してバルトは積極的に神学的発言を続けます。ヒトラーとの教会闘争において告白教会側の神学的指導者としてその神学の評価を高めたバルトの発言は重視されて、戦後の和解と再建に貢献しますが、ここではその詳細に触れることはできません。ここでは後期のバルトの最大の神学的業績となった『教会教義学』についてごく簡単に触れるに止めます。

バルトの神学はキリストにおける啓示だけに基づいて、近代合理主義の基盤に立つ文化的プロテスタンティズムに対する激しい批判として出発しましたが、ナチズムの興隆という時代の状況の中で、その神学的発言は強い政治色を帯びざるをえませんでした。バルトの神学がその時代に果たした意義については、政治思想史とくにナチズムについての専門家であり、同時にドイツ神学に造詣が深い著者による左記の優れた文献を参照してください。
 宮田光雄 『カール・バルトとその時代』 (宮田光雄思想史論集4、創文社、2011)、とくにその中の「1 カール・バルト ― 政治的・神学的評伝」を、またニーメーラーについては同書の「終章 神の愉快なパルティザン」 を参照してください。

 バルトの『教会教義学』は四巻から成り、一万ページに及ぶ大著です。その内容は、その書名から連想されるようなキリスト教会の教義についての細部にいたるまでの厳密な議論だけではなく、バルトが生涯取り組んできた「事柄自体」 ― 政治の分野も含めて人間が神との関わりにおいて持つ事態そのもの ― の全体を集大成して論じたものであり、極めて実践的な組織神学の書です。第一巻「神の言の論」の第一分冊は一九三二年に、ということはヒトラーの政権奪取の前年に出ています。それ以後、すでに立てられていたプランに従って、テーマごとにその時代の教会と神学が置かれている状況に向かってなされた講演や説教の原稿を冊子の形で出版し(発表の場として前述の『今日の神学的実存』などが用いられました)、それに対する反応を見て、さらに考え抜かれた内容を大学で講義し、その講義に対する反応を見極めた上で、講義草案に手が加えられ、『教会教義学』の一冊が刊行されるに至ります。このような手順を経て出来上がった『教会教義学』は、啓示の絶対性というバルトの基本的な神学的立場に立ちつつ、時代の状況を敏感に反映する組織神学の書となります。こうして始まった『教会教義学』の刊行は、ドイツの教会闘争の時代から大戦後の東西両陣営の激しいイデオロギー対立の時代を通して続けられ、バルトが一九六八年に没するまで三六年以上にわたって続けられます。初めの構想では「神の言葉についての教説」、「神についての教説」、「創造論」、「和解論」、「救済論」の五巻の予定でしたが、バルト八二歳での病没のため第四巻「和解論」の途中で中断します。この「二〇世紀の神学大全」と称される巨大な神学書の内容を紹介したり検討することは到底できませんので、ここでは本章の主題である「宗教の神学」に関するバルトの議論を見るだけにとどめます。

バルトの『教会教義学』は難しい神学用語や哲学用語を駆使した膨大な神学書であり、専門の神学者以外の通常の社会生活をしている一般のキリスト者には読み通すことは困難です。時代の状況との厳しい対話から生まれたバルトの神学思想の概略を理解するためには、バルトの神学の転機を示す代表的な四つの講演や論文を集めた 「現代キリスト教思想叢書9」(白水社、1974) の「バルト」 が便利かと思います。最初の「社会の中のキリスト者」は、直前に出した『ローマ書』(第一版)の著者として招かれてドイツの宗教社会主義運動の協議会で行った一九二〇年の講演です。第一次世界大戦直後の神学界が混迷する中で、それまでの主流の自由主義プロテスタンティズムの神学が無力であることを痛感したバルトが、神の啓示の言葉だけを根拠として現実の問題に対処すべきことを説いた講演です。この講演で集まった仲間たちとの対論を経て『ローマ書』の第二版が出ることになります。次の「福音と律法」は、「バルメン宣言」が出され、バルトがヒトラーに反対してドイツから追放された一九三五年に出ます。ナチに迎合する「ドイツ的キリスト者」の運動が、神学的に恩恵の秩序に属する福音から律法を自然や政治の秩序に属するものとして切り離したのに対抗して、福音の現実は政治の領域にも及ぶべきことを主張したものです。この論文はもともとバルメンで行われた告白教会の協議会で行われる講演の草稿でしたが、ドイツからの追放で講演ができなくなったので、後に『今日の神学的実存』叢書の一冊として刊行されたものです。三番目の「キリストとアダム」は、第二次世界大戦が終結してからかなり経った一九五二年に発表されています。当時ブルトマンの『新約聖書と神話論』が大きな議論を呼んでいましたが、ブルトマンとの対話からバルトは『教会教義学』第三巻の「創造論」の一章として独自の人間論「人間と人類」を構想し、それを後に一冊の書として刊行します。それが「キリストとアダム」です。四番目の「神の人間性」は、一九五六年、バルト七十歳の時の論文です。その中でバルトは四十年にわたる自分の神学的歩みを回顧し、現在の神学的立場を語っています。初期のバルトは、近代自由主義神学を批判する原理として「神と人間の質的な絶対的差異」を強調していましたが、晩年のバルトは人間や人間の営みとしての文化の面について積極的に扱うようになり、「神の人間性」を語るようになります。この変化は「バルトの転向」などと言われますが、これはむしろバルト神学の成熟というべき変化であり、神が人間と関わる神である以上当然のことでしょう。状況の変化と年月の経過が強調点の違いをもたらした結果でしょう。ただ、われわれの主題であるバルトの「宗教の神学」の検討には、この変化に留意する必要があると思われます。というのは、次項でバルトの宗教の神学の主要典拠として取り上げる『教会教義学』の一節は一九三八年に刊行されたものであり、初期の作品に属します。この宗教論は後にクレーマーやティリッヒから批判されることになりますが(後述)、もしバルトが晩年に宗教論を書いていたら、少し違った形になったかもしれないからです。
 次項の『教会教義学』からの引用は、『カール・バルト教会教義学 神の言葉 U/2 神の啓示 下』(吉永正義訳、新教出版社)からです。なお、この訳書では、Die christliche Religion を「キリスト教宗教」と訳していますので、ここではそれを用います。この訳はキリスト教が諸宗教の中の一つの宗教であることを思い起こさせる点で優れていると思います。この訳者は Christentum を「キリスト教」と訳しています。

「不信仰としての宗教」 ― バルトの『教会教義学』における宗教

 バルトは『教会教義学』第一巻「神の言葉の教説」の第二章「神の啓示」を論じるにあたり、一九三二年の第一分冊でその〈上〉を書いて、啓示における神の様態として父なる神、子なる神、聖霊なる神の「三位一体の神」を論じ、それに続く〈中〉の「言葉の受肉」による啓示(キリスト論)と、〈下〉の「聖霊の注ぎ」による啓示(聖霊論)とは一九三八年の第二分冊で論じています。この〈下〉の聖霊の注ぎによる啓示の議論の中に一七節「宗教の揚棄としての神の啓示」が出てきます。なお、第二分冊には第一巻「神の言葉の教説」の第三章「聖書」と第四章「教会の宣教」が続きます。
 「聖霊の注ぎ」と題されて論じられる第二章「神の啓示」〈下〉は、一六節「神のための人間の自由」、一七節「宗教の揚棄としての神の啓示」、一八節「神の子らの生活」の三節から成っています。最初の一六節は次のような主題提示の言葉で始まっています。「神の啓示は、聖書にしたがえば、神の聖霊がわれわれを、神の言葉を認識するように照らし出すことの中で、出来事として起こる。聖霊の注ぎは神の啓示である。神の子供であり、神をその啓示の中で認識し、愛し、賛美するわれわれの自由は、この[聖霊の注ぎという]出来事の実在から成りたっている」。そして最後の一八節「神の子らの生活」は「神の啓示は、それが聖霊の働きの中で信じられ認識されるところでは、神をイエス・キリストの中で尋ね求めることなしにもはや存在せず、また神が既に彼らを見出されたことを証しすることなしに存在することができない人間をつくり出す」という主題提示に続いて、1 み言葉の行為者としての人間、2 神への愛、3 神への賛美が語られます。その中間に置かれた一七節「宗教の揚棄(Aufhebung)としての神の啓示」で、前章で見た人間の普遍的な宗教的な営みに対して神学的な判断が下されます。それは、「聖霊の注ぎの中で起こる神の啓示は、人間的宗教の世界の中で、神が裁きつつ、しかしまた和解させつつ、現臨し給うことである。換言すれば、人間が自分勝手に考え出し、自らの力できざみ造った偶像の前で、自分を義とし聖化しようとする人間のこころみの領域の中で、神が裁きつつ、しかしまた和解させつつ、現臨し給うことである。教会は、恵みを通し恵みによって生きる限り、まことの宗教の場所である」という主題提示で始まり、以下の三つの項に分けて論じられます。

1 神学の中での宗教の問題

 バルトは神の啓示を、言葉の受肉として起こったイエス・キリストの出来事と、聖霊の働きによる人間の内での出来事であることを確認した上で、啓示が人間の身に及ぶ出来事である限り、人間の状態・経験・活動の形態を持つ出来事であり、諸宗教の中の一つの宗教という形、すなわち「キリスト教」という形をとることになるとします。このように啓示はまた「キリスト教」としても理解されなければならないが、そのさい基本的な問は「われわれが宗教の本質および現象として知っていると考えることが、われわれにとって神の啓示をはかる際の標準および解釈原理として役立つべきなのか、それとも逆にわれわれは宗教、キリスト教宗教とすべてのその他の宗教を、神の啓示がわれわれに向かって語ることから解釈しなければならないのか」であるとします。そして近代主義的プロテスタンティズムが前者の(啓示を宗教から解釈する)道をたどったとして、その歴史を細字で七頁にわたる長大な注で振り返っています。バルトは啓示が啓示である限り、神学は後者の立場に立たなければならない、すなわち宗教を啓示から解釈しなければならないとします。近代プロテスタンティズムが啓示を宗教の概念と取り違えたことが、啓示を失い、それと共に長子の特権を失う大惨事となったと述べます。そして結論として、「神学の中で取り扱われるべき宗教の問題は、神学的な問題提起を一瞬間といえども中断することなしに、啓示から、信仰からみて、宗教として人間的実在の中で姿を現してくるものは何かという問いである」と言います。

2 不信仰としての宗教

 このように神学は啓示から宗教を判断しなければならないことを論じた上で、バルトは宗教に対する自身の神学的判断を下します。その判断は、「宗教は不信仰である。宗教は神を知らない不敬虔な人間のなすべき業、本来的な唯一の業である」という命題で表現されます。ここで重要なことは、この判断はキリスト教以外の諸宗教に向けられたものではなく、キリスト教を含む、むしろキリスト教宗教自体に向けられたものであることです。そして、その「宗教は不信仰である」という判断に含まれる二つの要素があげられます。
 その第一は、啓示は神がご自身を現したもうことです。神がご自身を示されるということは、神を自分自身から認識しようとする人間の企ては普遍的、全面的に無益であることを前提にしている、という事実です。啓示は宗教的人間としてのわれわれ、すなわち、神をわれわれから認識しようと試みるわれわれに出会います。この出会いにおいて宗教は啓示に逆らう抵抗として正体が暴露されます。宗教は、啓示において自らを明示される神的実在の代わりに、人間が我意的に、自分勝手に描き出した神についての像を押し込もうとする人間の企てとしての正体が暴露されます。宗教は啓示に逆らう行為と判断されます。啓示は宗教を除去します。バルトはこの関係を、八頁に及ぶ長大な注で、旧約聖書と新約聖書の多くの実例をあげて論じています。
 第二は、啓示は神がご自身と人間を和解したもう行為であるという事実です。ということは、人間は全体的にも部分的にも自分自身を救うことはできないということが前提となっています。啓示において神は自ら人間のところに来て救いの働きを成し遂げられました。ところが、宗教はこの恵みを恵みとして受け取らないで、人間が自分で自分を救う行為であることが、恵みの啓示によって明るみに出されました。啓示により、宗教は人間の自己義認と自己聖化の試みと判断されます。ここでもバルトは長大な注で聖書の実例をあげて議論しています。
 このように宗教を裁くのは啓示だけですが、宗教自体の中にも宗教を内在的に批判し裁く働きもあるとして、バルトは神秘主義と無神論をあげます。神秘主義者は外面的な宗教の立場から徹底的に退却して内面に沈潜しますが、彼は外面的な宗教体系を、彼がそこから退却する出発点として、また彼が内面化する材料として必要としており、神秘主義はそれが張り合う相手、宗教的な教義学と倫理がなければ生きていけない、とバルトはしています。無神論もまた既成の宗教は取り壊し作業中の建物に過ぎないとしていますが、神秘主義がそれをひた隠しして宗教を養う面があるのに対して、無神論はそのことを大声で世界に向かって叫びちらし、宗教に対しておおっぴらに挑戦します。無神論は神の存在と神的律法の有効妥当性を否定しますが、自然、歴史、文化、人間性の存在を否定せず、むしろそれらを権威および力として素朴に信じて帰依します。無神論は常に世俗主義であり、その背後に匿名の宗教またはあからさまな宗教が姿を現すという危険を抱えています。神秘主義と無神論という宗教批判は、両者は共に宗教に深く依存しているために根本的な批判にはなりえず、宗教の批判はそれを不信仰として裁く神の啓示だけから来ると結論されます。

3 まことの宗教

 このようにキリスト教宗教を含むすべての宗教は、神の啓示によって「宗教は不信仰である」という判決を下されますが、それでも「義とされた罪人」というのと同じ意味で、キリスト教宗教は「まことの宗教」であると言えるし言うべきである、とバルトは議論を進めます。前項の「宗教は不信仰である」という判決は明快でしたが、そう判決された宗教の中でキリスト教宗教は「まことの宗教」であるとする本項の議論は複雑で、彼独特の複雑な文章構造と相まってかなり読みにくい論述ですが、ここでその要旨をまとめてみます。
 人間はだれも神の前に自分の功績とか価値によって「義人」であることはできません。そのように、どの宗教も自分の固有の内容と価値で「まことの宗教」であることを主張することはできません。キリスト教も自分が築き上げたキリスト教世界の立派さやその価値の自己意識をもって他宗教に対して自分が「まことの宗教」であることを誇ることはできません。バルトは、キリスト教がそのような宗教的自己意識からそういう主張をして周囲の宗教世界と関係を難しくした歴史を、(長い注で)コンスタンティヌス以前の古代、コンスタンティヌス以後の中世、ルネッサンス以後の近代の三つの時期に分けて考察しています。「宗教は不信仰である」という判決の下にあり、その宗教のいかなる価値も主張しえないキリスト教が、それでもなお「まことの宗教」でありえることを知るのは、ただ神の啓示が恵みであること、罪人を義とする神の恵みであることを知る信仰だけです。ここでバルトは、ある宗教が首尾一貫して恵みの宗教であるゆえに「まことの宗教」となるのではないことに注意を促し、日本の法然や親鸞のアミダ信仰・浄土信仰を引き合いに出しています。

日本の浄土系宗教についてのバルトの知識はかなり正確ですが、バルトはそれを(前述の)シャントピー・ド・ラ・ソーセイの『宗教史教科書』や、ティーレ=ゼーデルブロムの『宗教史綱要』に依拠しているようです。ここにもオランダ宗教学の成果が生かされています。
 バルトは「キリスト教にもっとも厳格に、包括的に、明瞭に対応する異教的な並行現象、極東における一つの宗教形態、がローマ的あるいはギリシア的カトリック主義としてではなく、ほかならぬキリスト教の宗教改革的な形態と並行しており、それであるからキリスト教をまさに徹頭徹尾恵みの宗教としてのその形態においてその真理性を問う問いの前に立たせている」ことを神の摂理として、法然・親鸞による「日本的プロテスタント主義」を詳しく、しかも正確に記述しています。「正確に」は、たとえばアミダ信仰の起源や内容や意義、法然の浄土教と親鸞の浄土真宗との微妙な差異の記述などに見られます。また、インドの「バクティー」(オットーの項で前出)とも比較して、日本の浄土信仰がはるかにキリスト教プロテスタント主義と比較されるにふさわしいことを述べた上で、キリスト教的プロテスタンティズムと日本的プロテスタンティズムの比較を以下の四点でしています。 1 浄土信仰の運動は庶民にとって可能な、より容易な救いの道への問いから出発したが、ルターやカルヴァンの運動はそのような庶民的な問いではなかった。 2 浄土信仰においてアミダの律法、神聖性、怒りがなく、アミダの慈悲には彫りの深さがなく、人間の救済に現実問題の解決が含まれていない。 3 祭儀的・道徳的な業による義に対する反対命題において、浄土信仰においてはただ人間の魂に対する配慮だけに基づいており、キリスト教宗教改革に見られる神の誉れのために戦うという面がない。 4 浄土信仰は、涅槃に入ること、寂滅による救い、アミダ仏自身も途上にある仏性に達することを目的としており、その目標に対する人間の願いがその力となっている。以上のような比較点があるにもかかわらず、日本の浄土信仰が宗教改革の信仰と、とくにルター派の信仰と、それが恵みの宗教である点できわめてよく似ていることを指摘した上で、バルトはキリスト教的プロテスタンティズムが恵みの宗教である故に「まことの宗教」であるのではなく、それを「まことの宗教」ならしめる根拠を論じます。

 バルトは、宗教改革のキリスト教と酷似した恵みの宗教である浄土信仰が宗教改革以前に日本に存在したことは神の摂理だとします。その事実は、宗教の真偽にとって決定的な点は、それが恵みの宗教である事実ではなくイエス・キリストの名だけであることを明らかにするからです。「まことの宗教」が存在するのは、イエス・キリストにあっての神の恵みの行為の中で起こる出来事であるとします。この神の恵みによって生きる人間が存在し、キリスト教宗教が存在するということがその自己理解である限り、キリスト教宗教が、そしてただそれだけが「まことの宗教」だと言えるし、言われなければならない、とされます。そしてこの「キリスト教はまことの宗教であり、それだけがまことの宗教である」という命題が以下の四つの観点から論じられます。
 1 神の創造の行為の観点。ただひとりイエス・キリストの名だけがキリスト教宗教を創造したし、また現在も創造しているのである。キリスト教宗教は、それがイエス・キリストの名によって創造されたものとしてのみ、その存在と真理性を受け取る。
 2 神の選びの行為の観点。キリスト教がまことの宗教であるのは、人間の側のいかなる根拠とか理由なくしてなされた、イエス・キリストにおける神の自由な選びの結果である。その選びは、われわれが「神の忠実さ、神の忍耐」と呼んでいる継続的な選びの結果である。
 3 神の義認あるいは罪の赦しの行為の観点。キリスト教宗教は、宗教としてはまことの宗教としての固有のふさわしさを何ももっていない。キリスト教宗教は、イエス・キリストにおける罪人を義とする神的義認のおかげで、神的な罪の赦しのおかげで、まことの宗教となる。
 4 神の聖化する行為の観点。神は義とされたキリスト教宗教をまた聖化される。キリスト教宗教は、その言葉が肉となった神がその啓示のしるしを通して絶えず語り給う、聖霊を通して造り出された聖礼典的な場所であり、またその同じ聖霊を通して造り出された人間の現実存在である。

バルトの宗教論への疑問

 以上、バルトの宗教論というべき第一七節「宗教の揚棄としての神の啓示」を通読して、個々の命題や議論に深い神学的洞察と明快な表現を見て共感を覚えると同時に、その宗教論全体にどこか違和感を感じ、疑念を残すことになりました。その疑念の第一は、この宗教論は「啓示と宗教」の関係を論じていますが、その啓示を指すのに「福音」という語が全然出て来ないことです。
 バルトはその『教会教義学』の第一巻「神の言葉の教説」で神の啓示を論じ、その第二章でイエス・キリストの出来事を言葉の受肉による啓示として語り、そして第三章で聖霊の注ぎを神の啓示の働きの出来事として語っています。このイエス・キリストの出来事とその意義を告知する言葉、そしてその言葉を受け入れる場における聖霊の働き、この全体が新約聖書で「福音」、「神の福音」、「キリストの福音」と言われているのではないでしょうか。この福音こそ神の啓示、啓示の中の啓示、最終的な啓示ではないのでしょうか。ところが、福音を唯一の根拠とすることを標榜する福音主義神学の集大成である『教会教義学』において、啓示と宗教の関係を論じるこの箇所で、啓示を指すのに「福音」が全然登場しない事実に奇異の念を禁じ得ませんでした。わたしは、第一七節「宗教の揚棄としての神の啓示」の中でバルトが「啓示」と言っているところを「福音」と読み替えると、そのまま自分の主張と重なるところが多々あることを感じました。たとえば、バルトが「啓示はキリスト教宗教を相対化する」と言っているところを、「福音はキリスト教を相対化する」と読めば、それはそのままわたしが前著『福音の史的展開』の終章で言ってきたことと同じです(もっとも相対化の意味は微妙に違いますが)。
 バルトが「福音」を啓示の位置に置いて用いないのは、啓示の中にキリスト教宗教を含ませてしまっているからではないかと考えられます。バルトは第一項の「神学の中での宗教の問題」で、「啓示はまたキリスト教(Chris- tentum)としても、それであるからまた宗教(Religion)としても、それであるからまた人間的な実在および可能性としても、理解されることができるし、またそう理解されなければならない。・・・・神の啓示はまた諸宗教の中のひとつの宗教として理解されなければならない」と述べています(原著308頁)。バルトは「もまた」を強調して、キリスト教もまた啓示の一部を形成することを主張しています。このようにキリスト教という宗教が啓示に含まれるとなると、啓示とキリスト教宗教の関係は複雑なものになってきます。わたしは前著『福音の史的展開』の終章で述べましたように、福音はもともと教会とかキリスト教とは別のところから来て働き、キリスト教を形成し、裁き、相対化する神の力だと理解しています。キリスト教自身を含む啓示がキリスト教を裁き相対化するには、複雑な論理が必要です。バルトは『教会教義学』の枠の中で神学しているので、教会とは別の所から来る「福音」を主語にすることはできず、あくまで教会教義の中にある「啓示」を主語にして語らなければならず、このような論述の形になるのかとも思います。
 第二項の「宗教は不信仰である」という命題についても疑念が残ります。この疑念は、バルトが単数形の宗教と複数形の宗教を区別しないで議論しているところから来るのではないかと思います。前章の「結び 問題の所在」で見ましたように、一口に宗教と言っても、聖なるものを追い求めないではおれない人間の宗教性一般を指す単数形の宗教と、ひとつの社会的体制となって、この宗教あの宗教と指すことができるようになった諸宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教、仏教・・・・)を指す場合があります。バルトも、キリスト教を「諸宗教の中のひとつの宗教」と呼んで、この区別を前提にしてはいますが、「宗教は不信仰である」という命題の展開においては、この区別は明瞭ではなく、人間の宗教性一般も神に対する反抗として裁かれ、それを前提として議論が進められます。たしかに、諸宗教すなわち体制化した宗教は、自分では神を知ることができない人間が自分の願望によって造り上げた神を拝む偶像礼拝であり、供犠などの行為によって自分の要求を神に出せる立場に立とうとする自己義認であるという面があります。バルトがそういう宗教の一面を暴露し、キリスト教もそのような宗教の一つとして「宗教は不信仰である」という命題の下に置いたのは、大いに共感できます。しかし、宗教という語の二つの意味を明瞭に区別しないで用いているために、バルトは人間の宗教的な営みそのものを断罪しているような印象を受けます。人間が聖なるものを崇め、神を追い求める探求そのものも否定する前提から出発しているように感じられます。これはパウロのアレオパゴス説教の精神ではないと思います。パウロはギリシア人に向かって、彼らの「知られざる神」を求める宗教性から出発して福音を説いています。このような人間の側の全面的な否定は、「神と人間の越えがたい質的断絶」というバルトの基本的な思想から出るのでしょうが、この一面性が後に、バルトの神学に深く共鳴しながらも、実際に長年アジアでの福音活動に携わってきたクレーマーの批判を招くことになります(後述)。「神の人間性」を重視するようになった後期のバルトが宗教論を書いていたら、少し違った形になっていたかもしれません。
 もっとも問題になるのは第三項の「まことの宗教」に関する議論です。バルトは、「宗教は不信仰である」という命題の下にある諸々の宗教の中で、イエス・キリストにおける神の啓示を受け、同時にイエス・キリストにある「罪人を義とする」神の恵みの中にあるキリスト教だけが「まことの宗教」(Die wahre Religion)であるとします。そうすると、イエス・キリストの名を持たない他の宗教はすべて「まことの宗教」ではないということになります。もしイエス・キリストの名だけが宗教の真理性を決める唯一の基準であるならば、トレルチが提起した「キリスト教の絶対性」の問いと格闘する必要は無く、その問いそのものが放棄されることになります。神学では「バルト以後はキリスト教の絶対性は問題にされなくなった」と言われますが、これは問題が解決されたからではなく、神学界におけるバルトの巨大な影響により問題が放棄されただけです。たしかにバルトは、キリスト教宗教は宗教としての優れた内容を誇る自己意識からその優越性ないし絶対性を主張することはできないと繰り返し述べています。また、(私見でも)キリスト教はイエス・キリストの福音から生まれ、福音を告知することを使命とする宗教として、他の宗教にない独一無比の宗教であり、もっとも尊ぶべき宗教です。しかし、キリスト教が諸宗教の中のひとつの宗教である以上、他の諸宗教との関係で自分だけが「まことの宗教」であると主張することはできません。キリスト教は神の啓示そのものであるイエス・キリストの名、イエス・キリストの福音を保持する宗教として世界の諸宗教の中で独一無比です。しかし、キリスト教は諸宗教の中のひとつの宗教として「宗教は不信仰である」という裁きの下にあり、その偶像礼拝、自己義認、自己絶対化の罪の中にあります。そのような諸宗教の中のひとつとして、キリスト教を「まことの宗教」として提示するのではなく、キリスト教も他の諸宗教と並ぶ一つの宗教として「相対化」し、そうすることによって福音の啓示としての絶対性を鮮明にすべきではないかと考えます。この方向は、前著『福音の史的展開』の終章「キリストの福音からキリスト教へ」で論じたところですが、バルトの宗教論を読んで改めて、『教会教義学』の枠(その枠の中ではキリスト教を「まことの宗教」としなければなりません)から離れて福音の意義について、また福音と宗教の関係についての思索を貫かなければならないと感じます。
 バルトの宗教論に対するわたしの疑念はこのくらいにして、神学的にはバルトと同じ立場に立ちながら、宗教の問題ではバルトとはやや違った視点から論じた二人の重要な神学者を、バルトに続く節の中で取り上げておきます。その二人とは、バルトと同じ時代に生き、ヒトラーに対する抵抗運動の中で殉教したドイツ人神学者ボンヘッファーと、イスラム圏のインドネシアで宣教活動の経験もある宣教師で宗教学者でもあるオランダ人神学者クレーマーです。