市川喜一著作集 > 第23巻 福音と宗教T > 第7講

結び 問題の所在 ― 宗教と諸宗教

単数形の宗教と複数形の宗教

 本章(第一章)では、「宗教とは何か」という問いに対して近代の宗教学が提出してきた答えを瞥見してきました。それによると、人間が自分の理解と能力が及ぶ範囲内で行っている日常生活(それは俗なる世界です)とは全然別種の力とか現象に遭遇したとき、それを畏怖して崇めたり遠ざかったり、また利用しようとするなど、さまざまな反応をします。この俗なるものと全然別の力とか現象を、宗教学は「聖なるもの」と名付けて、この「聖なるもの」と「俗なるもの」の対立を宗教の本質とします。「聖なるもの」はつねに「俗なるもの」の中に、または「俗なるもの」を通して自らを現します。この「聖なるもの」の顕現(エリアーデはこれをヒエロファニーと呼びました)に反応する人間の反応の仕方とかその営みが「宗教」と呼ばれることになります。「聖なるもの」の顕現に反応するのは人間の本性であり、この本性が人間を「ホモ・レリギオースス」、すなわち「宗教する人」とします。
 このような人間の本性的な営みとしての宗教は、他と区別してこの宗教とかあの宗教と言えるものではない、人間の宗教性一般というような意味になります。文法的にいいますと、「個数を数えることができない名詞」に分類される名詞であり、抽象名詞の一種として常に単数形で用いられます。そういう意味での宗教は、人間の本性的な活動の一分野として、芸術とか経済とか政治などと並ぶものとなり、総じて文化の一分野を構成することになります。また、こういう意味での宗教は、高度に文化が発達した現代の諸民族や社会よりも原始的な生活をしている部族などに純粋に現れているので、宗教の本質を追い求める宗教学者は好んで未開部族を研究し、そこに宗教の本質とか根源を求めるようになります。未開社会ではすべての生活が宗教だからです。
 この単数形の宗教に対して複数形で指される宗教があります。それは、人間の宗教的営みが特定の地域と時代で一つのシステム(教義や儀礼の体系)として特定の形態を取ったときの宗教です。他と区別してこの宗教あの宗教と呼ばれるときの宗教です。歴史的宗教、制度的宗教、組織的宗教などとも呼ばれます。人類の歴史にはゾロアスター教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、バラモン教、ヒンドゥー教、仏教などなど多数の宗教があり、この意味の宗教を総括的に指すときは「諸宗教」と言わなければなりません。未開社会の部族宗教も、何々族の宗教としてここに含まれます。この形態の宗教は数えられる名詞となり複数形で表示されます。このような歴史的宗教の一つを指すときは「諸宗教の中の一つ」とか「各宗教」ということになります。たとえば、キリスト教は諸宗教の一つである、ということになります。
 本書で宗教という用語は、この単数形の宗教と複数形の宗教の両方を含むことになります。日本語では単数形と複数形の区別がないので、一語で両方を指すことができる便利さはありますが、議論が錯綜する危険があります。両形の区別がある欧米の諸語では、明確に区別して単数形と複数形を用いていますが、この区別が明確でない場合もあるようです。日本語で「宗教」という語を用いる時は、どちらの意味で用いているかを明らかにして用いる必要があります。本書では原則として単数形の宗教を指すときは「宗教」、歴史的制度的宗教を指すときは「諸宗教」を用います。しかし、標題の「福音と宗教」の場合のように両方の意味を含ませて用いる場合もあります。特定の宗教名(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、仏教など)を用いる場合は、すでにその名称が「諸宗教の一つとしての宗教」を指しています。

諸宗教の相対化

 福音はその告知活動の過程で世界の多くの諸宗教に遭遇し、それらの諸宗教と対峙しなければなりませんでした。本書の主題である「福音と宗教」の問題は、具体的・実際的には「福音と諸宗教」の問題です。 キリスト信仰は個人の内面では人間の宗教性そのもの、すなわち単数形の宗教を問題にしなければならない局面もありますが、歴史的に見れば福音はその告知活動開始の当初から現代にいたるまで、様々な諸宗教と遭遇し、諸宗教からの反対や迫害を乗り越えて、各地にその告知を確立してきました。しかし、その確立の仕方は様々です。福音が受け入れられた社会では、キリスト信仰の民が共同体を形成し、それがキリスト教という新しい宗教をもたらし、他の諸宗教を排除するという形、すなわちキリスト教への改宗という形をとるのが大部分でした。最初期の福音活動がローマ帝国社会にキリスト教という新しい宗教をもたらした事実が原型となりました。しかし、別の形もありえるのではないかと考えられます。その別の形を模索することが本書の課題ですが、その課題を果たすためには続く諸章でなお多くの議論をしなければなりません。
 わたしは前著『福音の史的展開』で、新約聖書の証言に基づき、キリストの福音が地中海世界に展開していく過程を歴史的に見たあと、その書の終章「キリストの福音からキリスト教へ」で、福音が諸宗教の一つであるキリスト教になっていった過程とその意義を検証しました。そのさい議論のモデルとなったのは、諸宗教の一つであるユダヤ教に対するイエスとパウロの姿勢とか戦いでした。イエスもパウロもユダヤ人であり、ユダヤ教という宗教(諸宗教の中の一つとしての宗教)の中に生まれ、そこで自己を形成し、その中で活動した人物ですが、そのユダヤ教によって殺されることになりました。イエスはユダヤ教最高法院で死刑の判決を受け、パウロは熱心なユダヤ教徒から訴えられてローマの法廷で裁かれ処刑されました。いったい何故イエスやパウロはユダヤ教と対立して殺されるに至ったのでしょうか。わたしは、それはイエスやパウロがユダヤ教を「相対化」したからだと考えています。この「相対化」という用語はわたしの議論の中心となりますので、先に前著『福音の史的展開』の終章で詳しく論じていますが、ここでその要点を繰り返しておきます。
 イエスやパウロはユダヤ教を否定したのではありません。イエスもパウロもユダヤ教徒にはユダヤ教の中に生きることを勧めたり励ましたりしています。イエスやパウロが否定したのは、ユダヤ教の「絶対化」を否定したのです。絶対化というのは、諸宗教の中のある一つの特定の宗教が、自己を唯一絶対の宗教であるとして、この宗教に所属しこの宗教の中に生きないと救われないと主張することです。特定の宗教に所属することを救いの条件とすることです。イエスとパウロはこのユダヤ教の絶対化を否定したのです。イエスは、ユダヤ教の規定を守れない人たち、ユダヤ教では罪人とされる人たちをまわりに集め、彼らを「貧しい人たち」と呼んで、「あなたたち貧しい人たちは幸いだ。神の国はあなたたちのものだ」と宣言されました。パウロは、ユダヤ教徒でない他宗教の人は割礼を受けてユダヤ教に改宗しなくても、そのままで福音を受け入れる信仰(キリスト信仰)によって救われて神の民となると主張しました。イエスやパウロのこのユダヤ教の絶対化の否定が、ユダヤ教を絶対化するユダヤ教徒を怒らせたのです。彼ら、とくにユダヤ教指導者たちは、ユダヤ教の絶対化を否定する者を、ユダヤ教そのものを否定する者として憎み、迫害し、殺すに至ります。諸宗教には自己を絶対化する体質があります。この体質が諸宗教間の対立、排斥、憎しみ、戦いの原因となっています。
 では、イエスやパウロの中にある何がこのようなユダヤ教の絶対化の誤りを見させ、それを命がけで否定させることになったのでしょうか。それは、ユダヤ教の外に救いの根拠を見出したからです。それは神の絶対恩恵の体験です。イエスは神の霊により神は父としていかなる者も無条件に赦し、子として受け入れてくださっていることを知り、父としての神の無条件絶対の愛を宣べ伝えられました。イエスは預言者の「わたしが喜ぶのは愛であっていけにえではない」という言葉によって、諸宗教が求める供犠などの宗教行為ではなく、神の恩恵が人を救うのであることを語っておられます。パウロは、敵対する自分のために死んで下さった復活者キリストに出会うことによって神の無条件絶対の愛を体験し、ユダヤ教の実行では獲得できなかった神の義(人を救う神の働き)が信仰によって与えられることを知り、「律法(=ノモス、ユダヤ教)の外に神の義が現された」と宣言します。このように、諸宗教が要求する宗教的行為は救われるために必要な絶対条件でないことを示すのが「諸宗教の相対化」です。もしイエスやパウロの神との関わりを宗教と呼ぶならば、それこそ真の宗教であり、人間の宗教性の完成です。このような意味で単数形の宗教を用いるならば、「宗教は諸宗教を相対化する」と言うことができます。
 もし諸宗教を相対化することができるならば、人類は「宗教の束縛」から解放されます。人間を束縛しているのは諸宗教です。歴史的に体制化した儀礼や教義体系としての宗教です。このような宗教は、マルキシズムのような疑似宗教も含め(疑似宗教の問題は後述)、その宗教に所属する人間を外から拘束します。その宗教に従うのでなければ、その宗教が形成する社会への帰属を許しません。世界は今なお宗教の拘束や呪縛の下にあると言えます。絶対化された諸宗教は世界の民の「隔ての中垣」となっています。もし各宗教が自己を相対化することができれば、諸宗教が相対化された場において真の単数形の宗教が姿を現すでしょう。それがどのような姿の宗教になるのかはまだ見えませんが、真の宗教は諸宗教が自己を相対化する場において探求されるべきものです。諸宗教間の対立を克服するための諸宗教間対話も、各宗教が自己を相対化する原理を自覚するところでのみ可能になります。

宗教の多元化と世俗化の問題

 人間は宗教の中に生まれ落ちてきます。この場合の宗教は諸宗教の中の一つとしての宗教、すなわちある社会の体制となっている儀礼や教理のシステムとしての宗教です。生まれてくる子は宗教を選ぶことはできません。キリスト教国に生まれた子はすぐに洗礼を受けてキリスト教徒として育ちます。ユダヤ人の子は幼児から割礼を受けて《トーラー》を叩き込まれてユダヤ教徒として生きます。イスラム圏に生まれた子はムスリムとなり、仏教国に生まれた子は仏教徒になります。これが近代を迎えるまでの人類の普通の体験でした。ところが、近代以降、交通と通信の飛躍的発達にともない、異なる文化圏の間の接触と交流が盛んになり、現代ではどの民族の社会も孤立して存続できない状況になりました。異なる文化圏との接触と交流の結果、違った文化の担い手である違った宗教が入ってきて、一つの社会に複数の宗教が存在するようになりました。これが宗教の多元化です。
 その典型的な場合が現代のアメリカ合衆国です。この国はもともとプロテスタント・キリスト教の国として発足しましたが、カトリックの移民も増えて大統領を出すまでになりました。ユダヤ教徒は人口では5%にも満たないのですが巨大な影響力を持っています。さらに、黒人を含む抑圧された民衆の間にイスラム教が浸透し、若い世代には東洋宗教の求道者が多くなり、仏教(とくに禅やチベット仏教)も活発に活動しています。「今日のアメリカは世界中でもっとも活力のある仏教国の一つである」とまで言われています。アメリカはもともと移民の国であり、ヨーロッパから様々な形のキリスト教が持ち込まれたため、国家の統一を維持するために政治と宗教の分離、信教の自由が憲法で保障され、国教とか国教会は存在しない国となりました。そのため、アメリカでは多くの教派(de-nominations)と教派教会が併存する国となりました。そういう状況で市民は自分の所属する教会を選ぶ立場であり、そういう気風が宗教をも自由に選ぶ傾向を促進していると思われます。
 ヨーロッパにおいては、宗教の多元化はアメリカほどではありませんが、それでも外国人労働者や移民の定住による人口の国際化によって宗教の多元化が進んでいます。ヨーロッパはいわゆる「コンスタンティヌス体制」によって一つのキリスト教世界(クリステンダム)を形成していました。一つの国には一つの教会、すなわち国教会しかなく、社会の全員がキリスト教徒でした。ところが現代では、同じ街にイスラム教のモスクやヒンドゥー寺院があるという状況です。クレーマーは、欧米の現代の宗教の複数性について、現代はコンスタンティヌス時代以前と同じ状況だと言っています。すなわち、キリスト教が多くの諸宗教にかこまれた一つの宗教、しかも少数派の宗教となっているという状況です。
 アジア、アフリカ、中南米など、いわゆる第三世界でのキリスト教の進出にともない、それらの地域のキリスト教徒の数は増加しています。これらの地域は人口の多い地域ですから、キリスト教徒の人口も多く、近い将来欧米のキリスト教徒の総数を超えるようになる勢いです。いや、もうすでに超えているのかもしれません。この地域では土着の宗教と進出してきた世界宗教が混在し、宗教の多元化が進んでいます。日本はこの状況の典型的な実例であり、おそらく第二部のどこかか第三部で扱うことになります。
 このように世界的規模で宗教の多元化は進んでおり、現代のキリスト教神学はこのような宗教的現実を神学の対象として取り上げなければならなくなっています。この問題は第二部において第五章で「宗教の神学」として取り扱います。同時に、この宗教の多元化と関連のある宗教的状況として「世俗化」の問題があります。というのは、一つの社会に複数の宗教が存在し、各人はどれかの宗教を選ぶことができるという状況は、どの宗教も選ばないという選択肢も提供することになり、現に現代人の多くは、どの宗教にも所属せず、非宗教的な日常生活を送っています。現に大多数がキリスト教徒であるヨーロッパで教会に行く人は激減しています。しかし、この非宗教化、あるいは脱宗教化は、儀礼と教義の体系としての宗教、すなわち諸宗教の一つとしての宗教のことであって、人間の本性的な宗教性(単数形の宗教)が消滅したわけではありません。
 「世俗化」は、人類史と同じ長さを持つ宗教史の中で、現代の状況を最も強く特徴付ける重要な標識です。宗教学の視点から見ると、世俗化というのは「聖なるもの」の領域が縮小し、「俗なるもの」の領域が拡大する現象ないし傾向です。「聖なるもの」は人間生活のより一層広い領域を支配しようとします。原初の時代の部族生活ではすべてが宗教でした。「聖なるもの」の顕現に反応する行動が、日常生活でも公共の社会生活でも一切の行動の基準でした。共同体の秩序とか統治も宗教の一部でした。古代社会では祭政一致は当然の現象でした。しかし、人間にはこのような「宗教する人間(ホモ・レリギオ―スス)」という面とともに、「聖なるもの」の支配を限定して、自分が理解し自由に行動することができる領域、すなわと「俗なるもの」の領域を確保し拡大したいという欲求もあるようです。宗教史は、この二つの人間本性の葛藤の歴史であると見ることもできます。ヨーロッパでは近代に起こった啓蒙思想によって宗教の支配は弱まり、人間理性への信頼は強くなり、社会の秩序と統治の問題から宗教は除外され、政教分離の原則が確立していきます。しかし、世界にはまだ宗教の支配が強い国も多くあり、宗教が紛争の種になる場合も多く見られます。科学技術の土台の上に立てられた現代の大都市に生きる人々は、もはや生活の中に宗教を受け入れる余地がないほどに世俗化しています。現代のテクノシティーは、すべてが宗教であった未開社会の部族生活の対極に位置します。われわれはこのような時代に生きるキリスト者として、この世俗化の状況をどう理解すべきか、このような時代に神を信じ、その福音を宣べ伝えるとは何を意味するのか、真剣に取り組まなければならなくなります。こうして世俗化の問題も現代神学の重要な課題となり、第二部に置いた第六章の「現代の宗教問題」で取り扱うことになります。