市川喜一著作集 > 第22巻 続・聖書百話 > 第97講

97 他の囲いの羊

 「わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる」。

(ヨハネ福音書 一〇章一六節)


 主イエスはご自身の使命を羊飼いの比喩を用いて語り、「わたしが良い羊飼いである」と宣言されました(ヨハネ福音書一〇章)。その中にこのお言葉があります。羊飼いは、昼は群れを草や水のあるところに導いて養い、夜になると村に連れ戻して囲いに入れます。一つの村の羊は共同の囲いに入れられることが多く、朝になると門番は顔見知りの羊飼いには門を開き、羊飼いは自分の羊だけをその名を呼んで導き出します。羊も自分の飼い主の声を聞き分けてついて行きます。
 イエスがここで「この囲い」と言っておられるのはユダヤ教という「囲い」です。イエスは、《トーラー》(モーセ律法)という囲いの中にいるユダヤ人(ユダヤ教徒)の中に来て呼びかけ、命を与えようとされました。しかし、ユダヤ教徒の中でイエスの声を聞き分けた者は少数でした。この福音書が書かれた時には、イエスを信じる者たちの群れの中には、ユダヤ教の外にいる異邦人(異教徒)も含まれるようになっていました。このユダヤ教の外でイエスの声を聞くことを、最初に唱えてその原理を確立したのはパウロでした。イエスはご自分の群れの中にユダヤ教以外の宗教の「囲い」の中にいる者たちを導くようになることを視野に入れて、この言葉を語り出されます。
 ユダヤ教以外の宗教に属する民の中から、真の羊飼いであるイエスの声を聞き分けて従っていく者が出てきます。たとえばガンジーは最後までヒンドゥー教徒でしたが、イエスの声を聞き分けて、その道に従ったのでした。イエスは「羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる」といっておられるのであって、「一つの囲いになる」とは言っておられません(そう訳している聖書もありますが、それは誤りです)。
 世界には多くの宗教があります。宗教はその祭儀や教義や規律などの制度の中に民を囲い込み、教え導き、支配しています。多くの民族の「囲い」である宗教を一つにすることはできませんし、その必要はありません。それぞれの宗教の中にいる者が、その中で真の牧者であるイエス・キリストの声を聞き分けて従えばよいのです。そのとき「宗教」の囲いを超えて、一人の大牧者に導かれる「一つの群れ」、人類の霊的共同体が現出します。「宗教」は相対的なものです。福音という永遠の神の言葉に従うところに、最終的な人間のコイノニア(共同体)が生まれます。

                              (天旅 二〇一二年2号)