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96 神の慰め

 慰めよ、わたしの民を慰めよと、あなたたちの神は言われる。

(イザヤ書 四〇章一節)


これは、イスラエルの民がバビロンに捕らえ移されて異国で苦役に服した時代に現れた預言者が、イスラエルの民に語りかけた言葉です。神から遣わされた預言者たちが民に向かって、神への背きを悔い改めて、神に聴き従うように警告しましたが、民は悔い改めず、ついに捕囚という苦難に陥りました。しかし、この預言者は、「それ見たことか」と突き放すことなく、その咎は償われ、その罪は赦され、神は自分に背いた民を慰めようとしておられることを告げ知らせ、祖国への帰還という希望をもって励ましました。その希望は、やがて民が故国に帰還するという形で実現します。
 我が国の歴史を振り返りますと、この国の民も戦乱などの歴史的患難と、地震、台風、飢饉などの自然災害に苦しんできました。わたしたちの世代も、先の大戦、原爆、阪神大震災、昨年の東日本大震災による大津波と原発放射能汚染、その他さまざまな災害による多くの犠牲者を出しました。失われた命は帰らず、民の悲しみと苦悩は測り知れません。
 その中で多くの言葉が語られてきました。その中で重要なものは「絆」と「希望」でしょう。その悲しみと苦悩を分かちあって連帯し、ボランティアとして寄り添って助ける人たちの心から出る絆の言葉、そして復興を計画して将来の見通しを指し示して希望を与える言葉、このような言葉に慰められます。それらの言葉は特定の宗教や信仰から出る言葉ではなく、人間性そのものから出るものであり、その中にわたしたちは神の慰めのエコーを感じます。
 しかし、人から出る言葉は移ろい変わります。わたしたちには永遠(とこしえ)に変わることのない言葉が必要です。それは世界を創造し歴史を支配される神の言葉です。そのような神の慰めの言葉です。イスラエルの民は捕囚という苦難の中で、そのような質の神の慰めの言葉を聞きました。その慰めの言葉の中で、神は永遠(とこしえ)にかわることのない地の果ての創造者として、また歴史を支配する方として御自身を示されました。深い悲しみの中にあるこの国の民にも慰めが必要です。移り変わる人の慰めを超える神の慰めが必要です。そして、その神の慰めを受けるためには、神の声を聞こうとする心、神の言葉に聴き従おうとする心が必要です。キリストの福音によって与えられる「慰め主」と呼ばれる聖霊によってこの神を知るとき、わたしたちは永遠なる神の慰めの言葉を、「あなたたちの神は言われる」という形で聞くことになるでしょう。

                              (天旅 二〇一二年1号)