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93 大震災に直面して  (2011年3月15日 記)


 三月一一日午後二時四六分に、東北地方太平洋沖にマグニチュード九・〇の巨大地震が発生、この地震による大津波が東北地方の沿岸諸地方を襲い、高く築かれた防潮堤を乗り越え、家や車を押し流し、一瞬にして町や村全体を壊滅させました。津波が去った後は鉄筋ビルの残骸が僅かに残るだけで、一面瓦礫廃材の原になっていました。大型の船が街の中に横倒しになり、車が積み重なって倒壊した家屋と共に流れ、町全体が根こそぎ押し流されていくもの凄い光景がテレビ画面に流れ続けました。その中で福島原子力発電所の原子炉の建屋が爆発で吹き飛び、燃料棒が露出して、周囲に放射能汚染が始まりました。地は震い動き、海は溢れて陸地を呑み込み、空は汚染されました。地震発生から数日はテレビ報道に釘付けになり、津波の破壊力の巨大さと被害の凄惨さに息を呑む日が続きました。
 この津波に呑み込まれて死亡した人と安否不明の人が二万人に及び、家を失って避難所で暮らす人が五〇万人を超すと伝えられています(朝日)。亡くなられた方については、ただ頭を垂れて冥福を祈るのみです。避難所で暮らす人の多くは家族や親しい人を失い、悲痛な思いで寒さとひもじさの極限の日々を送っています。ご遺族の心痛を思いますと言葉もありません。この巨大地震は千年に一度の大地震ともいわれています。この大災害の現場に居合わせた方々の苦しみは筆舌に尽くせないものでしょう。
 この国は六六年前に、主要な都市がほとんど焼け野原になるという惨禍を経験しました。中でも原爆や大空襲による惨状は忘れることができません。あの時は歴史の大津波がこの国の民衆を呑み込みました。その大津波は、この国の指導者の誤った認識とそれに踊った国民の無知無力が引き起こした歴史上の津波でしたが、今回は自然現象として不可避の地震が引き起こした津波であり、性格は違います。しかし、国民からすれば抵抗できない外からの力に押し流されて起こる惨状である点では同じです。わたしは生涯の初めにあの惨禍を体験しましたが、生涯の終わりにそれに匹敵する災禍を見ることになったと感じています。
 あの時も今回も、この国が受けた激しい試練の鞭は、国民の一部の人が苦悩を引き受けることになりました。もし今回の大災害がこの国に対する試練であり警告であるとするならば、それは全国民が受けるべき試練であり警告です。被災者は国民全体が受けるべき鞭を引き受けた人たちです。自分は安全であったことを感謝して、被災した人たちに支援を送るだけでは済まない問題です。このような災害が起こるとき、福音書に伝えられているイエスの言葉を思い起こします。
 ちょうどそのとき、何人かの人が来て、ピラトがガリラヤ人の血を彼らのいけにえに混ぜたことをイエスに告げた。イエスはお答えになった。「そのガリラヤ人たちがそのような災難に遭ったのは、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い者だったからだと思うのか。決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。また、シロアムの塔が倒れて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいたほかのどの人々よりも、罪深い者だったと思うのか。決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる」。(ルカ一三・一〜五)
 規模は違いますが、当時のユダヤ人にとって大きな出来事であった総督ピラトによるガリラヤ人の虐殺が報告されたとき、イエスがお答えになった言葉です。ここでイエスはローマ軍による虐殺という歴史的な事件と(おそらく地震による)塔の崩壊という自然災害を取り上げて、その災禍に遭わなかった人たちに、自分を災禍に遭った人と同じ場に置いて悔い改めなければ、すなわちその災禍による警告を自分に向けられたものとして聞かなければ、国民すべてが滅びることになると警告しておられます。事実、イエスの警告を無視したユダヤ神殿国家は四〇年後に滅びました。
 わたしたちは六六年前に筆舌で表されない惨禍の中で厳しい警告を聞き、地に伏して方向転換をし、平和憲法を定め、新しい歩みを始めました。その歩みが祝福されて繁栄したとき、再び驕り高ぶって、富だけを追い求める軽薄な民になってしまったのではないかと恐れます。あの時から今回の大警告にいたる間にも、阪神大震災をはじめ大小の警告が繰り返しありました。今回の大地震は、その上に住む民の道徳的姿勢に関係のない自然現象でしょうが、それが起こったときその惨禍をどう受け取るかは、その国民の道徳的・文化的・宗教的問題です。国の品格の問題です。今この国は再び地に伏して方向転換をするように迫られています。
 六六年前のあの焼け野原から立ち直ったこの国は、今回はあの時と較べるとはるかに多くの力を残しています。すべての国民がこの試練を自分の問題として受け取り、世界を支配される大いなる方の前にひれ伏して悔い改め、自分を無とする場で試練に勇敢に立ち向かい力を合わせるならば、この惨禍はこの国の歴史に幸いな転換点として記されることになるでしょう。被災地の痛みを自分の痛みとして、国民全体が力を合わせて立派に復興することによって、この時流された多くの涙が拭われることを祈ってやみません。

                              (天旅 二〇一一年2号)