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82 預言としての憲法

 わたしがあなたに与える命令は平和、あなたを支配するものは恵みの業。

(イザヤ書 六〇章一七節の一部)


 これは預言者を通してイスラエルの民に与えられた神の言葉です。預言は、将来を言い当てる占いのような予言ではなく、神から預かって民に伝える神の言葉です。それは、現在の在り方や行動を求め、将来に向かうべき方向を指し示します。ここに掲げた預言は、イスラエルの民がバビロンの捕囚から解放されてエルサレムに戻り、荒廃した故国に神殿を再建するという困難な事業に取り組んでいたときに、預言者を通して民に与えられた神の言葉です。
 捕囚後の荒廃の中で打ちひしがれている民に、預言者は何よりも神に立ち帰るように呼びかけ、その具体的な行動として神殿再建を励ましました。この「第三イザヤ」と呼ばれる神殿再建期の預言の声を聴いているとき、わたしは青年時代に直面した敗戦直後の日本の荒廃を思い起こしました。天皇を神として絶対化し、正義と平和を求める義人の声を圧殺して無謀な戦争に突入し、他国に軍隊を送り込んで自国の理念を押し通そうとした日本は、その戦争に敗れて国土は荒廃に帰し、それまでの価値観は崩壊して民は途方に暮れました。そのような時に、これからの日本の行方を指し示す道しるべとして、現在の憲法が制定されました。
 国民主権、平和主義、基本的人権の尊重を柱とする現在の憲法は、この敗戦という歴史的現実から生み出されました。この憲法は占領軍に押しつけられた憲法であるから改正すべきであるという議論がありますが、それは間違っています。これは歴史を支配される方、歴史の主である神から与えられた憲法です。憲法も法律の一つである限り、状況によっては改正の必要がでてくるでしょう。しかし、この三つの基本理念は、人類が長年の苦闘の歴史から学び取った理念であり、歴史の支配者である神が求められるところです。それを起草した者が誰であれ、日本は敗戦という歴史的現実の結果として、それを受け入れたのです。わたしたちはこの経緯の中に、歴史を支配される方である神がこの国に、平和に徹して歩むように、そして一人一人の人、とくに弱い立場の人を顧みる恵みの業(人権と福祉)に生きるように求めておられる声を聴き取らなければなりません。このように、この憲法の中に歴史の支配者である神の声を聴くとき、憲法は預言となり、それに聴き従うことがこの国の祝福となります。

                              (天旅 二〇〇九年2号)