市川喜一著作集 > 第22巻 続・聖書百話 > 第81講

81 富に依存する者

 富に依存する者は倒れる。神に従う人は木の葉のように茂る。

( 箴言 一一章 二八節


 今年の秋はアメリカ発の金融危機という暴風雨が世界に荒れ狂い、アメリカだけでなく世界の諸国の経済を直撃し、家計を破綻させ、失業者を溢れさせるなど、民衆の生活を破壊しました。このような事態は、経済の仕組みに暗い庶民にも、人間と社会の在り方が何か根本のところで間違っていることを気づかせます。
 自由な市場経済は社会の発展に多くの寄与をしてきました。しかし、できるだけ規制をはずして市場の原理に委せておけば、自然に調和がとれた発展を遂げるという楽観論は崩壊しました。それは、専門家によると、貨幣による市場経済は本質的に投機的な仕組みであり、放任すれば、お金をもってお金を増やそうとする投機的な(=賭博的な)行動を抑えることができないからです。いくら拝金主義を非難し、モラルを強調しても、資金を自分のものとして自由に用いることができる人間の欲望には限度がないので、資金の自己増殖のモラルなき動きを抑えることはできません。しかし、実際の富の生産に限度がある地球上で、限度のないお金の増殖は、どこかで破綻せざるをえません。
 イエスは、「神と富とに仕えることはできない」と言われました。だれも同時に二人の主人に仕えることはできません。一本の矢で反対側にある二つの的を射ることはできません。神を目的にして生きるか、富を目的にして生きるか、人は選び取らなければなりません。神に仕えるとは、具体的には人に仕えることです。神は御自身の像に人を造り、人を愛して世界の万物を人のために造り与え、神を愛することと人を愛することを一体の戒めとしてお与えになりました。隣人を大切にして仕えることが神に仕えることです。一方、富に仕える者は、富を得るために人間を手段とします。人間は富(マモンという神)の祭壇に捧げられた生け贄となります。それは人間共同体の破壊に導きます。
 アメリカ建国の父祖ピューリタンの信仰はどこに行ったのでしょうか。その信仰によって逆境を克服し、神の祝福として巨大な富を与えられたアメリカは、すっかり富に依存する国になったのでしょうか。今回の危機は警鐘です。アメリカが建国の精神に立ち帰り、そのピュアな信仰で世界に貢献すること、すなわち純粋に神を愛し隣人に仕え、人間の共同体の形成に寄与するように呼びかけています。わたしたちの国も、同じ呼びかけを聞かなければなりません。

                              (天旅 二〇〇八年5号)