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72 言葉の力

福音は、救いに至らせる神の力です。

(ローマ書一章一六節前半の私訳)


 「福音」《エウアンゲリオン》とは、キリストの出来事を伝える言葉です。イエス・キリストにおいて神が成し遂げてくださった救いの働きを、人びとに告げ知らせる言葉です。その言葉は、この方、イエス・キリストの誕生から始まり、その方の十字架の死と復活に至る長い物語の形で語られる場合もあります。この物語も《エウアンゲリオン》(福音書)と呼ばれます。しかし本来の福音は、「キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後十二人に現れたことです」というように、キリストの十字架と復活の出来事と、その意義を語る短い言葉です。
 いずれにせよ、福音は言葉です。最近はあまりにも空しい言葉が氾濫しているので、言葉が信用されなくなり、何か手でつかめるような実体だけを追求する傾向があります。しかし、人間は結局言葉です。人間を人間ならしめるものは言葉です。人がどのような言葉を見出し、どのような言葉を内に抱いて生きるかによって、その人の人間としての中身が決まります。言葉は決して空しいものではありません。言葉は人間を決める力です。教育問題が重視されるのは、人に与える言葉が人間を決定することを知っているからです。
 福音は、人間が聴く無限に多い言葉の中の一つです。しかし、この言葉は「救いに至らせる神の力」として特別です。それは、この言葉は神からの言葉だからです。それは人間によって語られていますが、神が遣わされた人によって世に与えられた神からの言葉です。それは、それを聴いて、その言葉を自分の内に抱いて生きる人間(聖書はそれを「信じる者」と言っています)を、造りかえ、変容させ、別種の命に生きるようにする力です。それは神の御霊の働きです。
 標題に掲げた言葉の後には、「ユダヤ人をはじめギリシア人にも、すべて信じる者に」という句が続いてます。福音は、人間を真に神の子の姿に変容させる力として、それを受ける者が誰であっても関係なく働きます。ユダヤ教徒であろうが、ギリシア宗教の徒であろうが、キリスト教徒であろうが、所属する宗教とか文明とは無関係に働きます。今わたしたちに必要なものは、ユダヤ教とかキリスト教という宗教ではなく、神の力としての福音です。真に力のある言葉です。

                              (天旅 二〇〇七年3号)