市川喜一著作集 > 第22巻 続・聖書百話 > 第66講

66 初穂キリスト

 しかし今や、キリストは眠りについた人たちの初穂として、死者の中から復活されたのです。

(コリントT 一五章二〇節 私訳)


 使徒パウロが「最も大切なこと」として伝えた福音の要点は、「キリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり、三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後十二人に現れたことです」(コリントT一五・三〜五)。ここでキリストの十字架上の死が「わたしたちの罪のために死んだ」出来事、すなわち、わたしたちの贖罪のための死であることが明確に述べられているのに対して、復活については「三日目に復活し、ケファに現れ、その後十二人に現れた」という事実が述べられているだけで、その出来事がわたしたちとどのように関わるのかは述べられていません。
 しかし、後に続くこの章全体をよく読みますと、使徒は「キリストはわたしたちの初穂として復活された」ことを、力をこめて主張していることが分かります。標題の節は、この章全体の要約です。わたしたちはみな死にます。「眠りについた人たち」になります。キリストはそのわたしたち「眠りについた者たち」の初穂として復活されたのです。
 「初穂」は全収穫を代表します。キリストが「初穂」であるというのは、キリストはわたしたちが復活することの保証として、わたしたちの復活を先取りして、または代表して復活されたということです。ですから、わたしたちが復活しないのであれば、キリストの復活は意味がないことになります。そのことをパウロは、「わたしたち死者が復活しないのであれば、キリストも復活されなかったはずだ」と言って、わたしたち自身の復活を否定することは、キリストの復活を否定し、信仰を空虚なものにすること、福音を福音でなくしてしまうことだとします。
 このように、キリストはわたしたちの初穂として復活されたのだという本章の主張を考慮に入れると、伝えられた福音の「最も大切なこと」は、こう言えることになります。

 「キリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの初穂として三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後十二人に現れたことです」。

                              (天旅 二〇〇六年3号)