市川喜一著作集 > 第22巻 続・聖書百話 > 第59講

59 平和のイメージ

 主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない。

(イザヤ二章四節・ミカ四章三節)


 このイスラエル預言者の言葉は、国連本部の壁にも掲げられて、世界の人々に平和の理念を指さしています。これは平和を語るときにはいつも引用されるあまりにも有名な言葉です。ここが聖書を読んでいて最も大きな感銘を受ける箇所の一つであることは、今に至るも変わりません。この言葉の背後にはいつも神の息吹を感じます。詩はイメージを創り出す言葉の働きを用いて人の心に訴えます。そして人が心に抱くイメージは、その人の行動に他の何よりも大きな影響を及ぼし、その生涯を決定する力となります。このような意味で、預言者の言葉は教義とか情報の言葉ではなく、詩の言葉です。この預言者の言葉はわたしたち人類の心に平和のイメージを創り出し、平和へと向かわせる力があります。
 わたしたち日本人は、平和のイメージがいかに強く現実を変える力であるかを身をもって体験してきました。先の大戦の敗北ですべてを喪った惨禍の中で、再び戦争はしないと決意して平和憲法を受け入れ、その平和の理念(イメージ)を心に抱いて、悪条件の中で営々と働き、繁栄を築き上げてきました。戦後の時代はまさに、「剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする」というイメージが現実となる稀有の時代でした。戦後の日本にはもはや武器を作る工場はなく、すべてが生産に役立つ産業となりました。何よりも大きな繁栄の要因は、優秀な日本人が「もはや戦うことを学ばない」で、その能力を建設的な活動に集中することができたことです。
 ここに掲げた預言者の言葉は、イスラエルの民が牧歌的な平和の中で暮らしていた時に歌われた詩ではありません。むしろ、「国は国に向かって剣を上げ」、狼が羊を食い荒らすように、強大国がイスラエルなどの弱小の民を武力で征服しようとしていた時代です。そのような時代であるからこそ、預言者たちは「国々の争いを裁き、多くの民を戒められる」唯一の主なる神に信頼して、平和のイメージを持ち続けるように民を励ましたのです。 現在も世界には紛争が絶えず、「国は国に、民は民に向かって剣を上げ」ています。そのような時代を克服するのにもっとも大切なことは、世界の一人ひとりが心に平和のイメージを抱き続けることです。「剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする」というイメージを失わないことです。そのイメージが力となって、人類を平和に向かわせるからです。

                              (天旅 二〇〇五年2号)