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58 「災」の年

 光を造り、闇を創造し、平和をもたらし、災いを創造する者。わたしが主、これらのことをするものである。

(イザヤ書 四五章七節)


 昨年二〇〇四年は災害の年でした。夏から秋にかけて日本列島に上陸した台風は例年になく多く、暴風と洪水で日本の各地に多大の災害をもたらしました。その上、十一月には中越地震が起こりました。各地の災害の報道は引きも切らず、年末にその年の印象を示す一字の漢字に「災」の字が選ばれることになります。その「災」の年の嘆きにとどめを刺すように、年末十二月二六日にスマトラ島沖の巨大地震によってインド洋大津波が起こり、死者は二〇万人に迫り、家を失った人は五〇〇万人を超えると伝えられています。北欧までを含む世界各地からの観光客も多数犠牲となり、その被害の規模は歴史上例を見ない世界規模の大きさになっています。
 また、イラクでのテロは終息の気配を見せず、イラク人とアメリカ兵の死傷者の数は増えるばかりです。自然災害とテロによる死傷者、またその家族のことを思うと、新年を喪に服して迎える心境です。わたしたち「神の支配」を信じる者は、このような事態をどう受け止めればよいのでしょうか。改めて聖書に向かい、嘆き祈らないではおれません。
 昔イスラエルの民も様々な災害に苦しみ抜いてきました。地震や旱魃、いなごの害や雹などの自然災害も多くありましたが、それ以上に近隣の強国の残忍な支配に服して塗炭の苦しみを味わってきました。その中でも最大の苦難と言えるバビロン捕囚のさなかに、神の霊を受けた預言者が標題の言葉を語ったのです。今自分たちが陥っている闇、体験している災いは、自分たちが唯一の神と信じている主が創造されたものと受け止めています。
 これは、今体験している災禍を主が引き起こしたものとして、主を恨んでいるのではありません。そうではなく、このような災禍を創造された主は、光を造り平和をもたらす方でもあるから、その主が御自分の民のために光を創造して、平和をもたらしてくださることを信じることができると告白しているのです。この災いが現実であるように、祝福の光と平和・平安も現実となることを信じているのです。
 わたしたちは、世界を創造し、世界を支配し導き、世界を裁いて完成される唯一の神を信じています。わたしたちは、災いをその神の御手からのものとして受け取ることによって、その神のみもとにひれ伏し、その神がわたしたちのために光を創造し、平和をもたらしてくださることを信じて、苦悩と嘆きをその神の慈愛の懐に委ねます。わたしたちは、そうすることをキリストにあって学んだ者たちです。

                              (天旅 二〇〇五年1号)