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32 キリストによって贖う神

 あなたがたが先祖伝来のむなしい生活から贖われたのは、金や銀のような朽ち果てるものにはよらず、きずや汚れのない小羊のようなキリストの尊い血によるのです。

(ペトロ第一の手紙 一章一八〜一九節)


 キリストを死者の中から復活させた神は、キリストの血によってわたしたちを贖う神です。キリストは、正確にいえば復活によってキリストとされたイエスは、十字架の上に血を流して死なれました。その血によって、すなわちキリストの十字架上の死によって、神はわたしたちを贖われたのです。贖うという動詞の主語は神です。わたしたちは、キリストを死者の中から復活させ、そのキリストの死によってわたしたちを贖ってくださった神を信じています。
 「贖う」というのは、昔は奴隷や捕虜になっている身内の者を身代金を支払って買い戻すことでした。新約聖書は、神が人を救われる働きを、この贖いという行為を比喩として、その用語を用いて語ります。贖いは解放・救出を意味します。神がわたしたちを「先祖伝来のむなしい生活」から救い出して、ご自分の家に連れ戻し、神の子として生きるようにしてくださる「贖い」は、金銀宝石のような地上の朽ち果てるものによってではなく、イエス・キリストの十字架上の死によって成し遂げられたのです。
 ここでキリストの死が「小羊としてのキリストの血」と表現されています。イエスはユダヤ教の大祭である過越祭の時、ユダヤ教の最高法院で死刑の判決を受け、まさに過越の羊が屠られる日に殺されました。ユダヤ教徒が奴隷の家からの贖い(解放)を記念して祝う過越祭の時、「神の小羊」であるイエス・キリストは十字架上に尊い血を流して、神がご自分の民を贖われる働きを成し遂げられました。こうして人間の宗教が殺したイエスを、神は復活させてキリストとされ、そのキリストの死によってわたしたちを贖われたのです。
 わたしたちはみな、全存在の根源であり全生命の源泉である方(この方をわたしたちは神という語で指しています)から背き離れて、罪と死の支配下に陥っていました。先祖伝来の宗教も文化も、神を失った虚無からわたしたちを救い出すことはできませんでした。今、キリストの福音が告知され、キリストの死と復活によってわたしたちを贖ってくださった神の働きが信じられ、感謝され、賛美されています。復活節はこの神を世界が賛美する祝祭です。