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23 福音としてのイエスの死

 わたしたちがまだ罪人であったときに、キリストがわたしたちのために死なれたことによって、神はわたしたちに対する御自身の愛を示しておられるのです。

(ローマ書 五章 八節


 新約聖書には「福音書」と呼ばれる四つの文書があって、それぞれナザレのイエスの働きや言葉を伝えています。四つの福音書を比較すると、共通する部分が多いのですが、ある福音書が伝えていることを他の福音書が伝えていないことも多くあります。その中で、イエスが十字架につけられて死なれた事実は、どの福音書も大きな部分を使って詳しく伝えています。福音書は全体として、これが福音だとして、イエスの十字架の死を世界に告知している文書だと言えます。
 世界の歴史を見ますと、実に多くの偉大な人物が現れて、偉大な働きをしました。その中で、その人物の死が世界の救済として告知されるのはイエスだけです。何故でしょうか。それは、イエスの死はキリストの死だからです。十字架につけられて死なれたイエスを神は復活させて、このイエスこそキリスト、すなわち神が世界に遣わされた救済者であるとされました。
 福音書はイエスの十字架の死が聖書の預言に従って起こった出来事であることを強調しています。キリストは神のご計画に従って死なれたのです。キリストの十字架において、神が働き、そのご計画を成し遂げておられるのです。その働きとは背く人間の贖(あがな)いです。神がキリストの十字架において贖いを成し遂げられたのです。
 わたしたち人間は、自分の存在の根源である神に背を向け、神から離れ去り、自分自身で存在しているとし、自分で存在を完成させようとしています。この神への背き、自分を神とする高ぶりが罪です。この罪のために、わたしたち人間は神に敵対する力に支配され、神が与えようとされる栄光と幸せを受けることができなくなっているのです。この罪の支配から解放して、わたしたちを神の栄光と浄福に与らせることが贖(あがな)い、すなわち救いです。
 わたしたちが神を知らず神から背き離れていたときに、神はキリストを遣わし、罪のないキリストがわたしたちのために死ぬことによってわたしたちを赦して和解し、わたしたちが神に立ち帰り、子として父なる神との交わりに生きるようにしてくださいました。これがわたしたちに対する神の愛です。十字架こそ神の愛の現れです。