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16 無条件の愛

 「敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい」。

(ルカ福音書 六章二七〜二八節)


 これはイエスが自分に従ってくる弟子たちに語りかけられたお言葉です。このお言葉はイエスの言葉の中で最も有名な言葉であると同時に、最も問題とされた言葉でもあります。それは、敵を愛するというようなことは人間の本性に反し、不可能なことだからです。イエスは弟子に不可能なことを求めておられるのでしょうか。そうでないことは、この言葉から始まり、「あなたがたの父が慈愛深いように、あなたがたも慈愛深い者となりなさい」(同章三六節)という言葉で終わる一段を聞けば分かります。
 イエスは、人には見えず世界から隠されている神を、その働きによって「慈愛深い父」として示されました。当時のユダヤ教社会で宗教の定めを守ることができず、罪人と烙印されて仲間はずれにされている人たちを招き、彼らの病気をいやし、彼らを「貧しい者たちは幸いだ。神の国はあなたがたのものだ」と祝福されました。イエスは人がどれだけ宗教的道徳的に、また社会的に立派であるかを全く問題にしないで、神の救いの力を注がれました。受ける者の資格を問題にしないで、無条件に神からの良きものをお与えになりました。この無条件の愛の働きが「恩恵」です。神はわたしたちが神に背く敵であったときに、わたしたちを愛し、御子イエス・キリストの死によってわたしたちを赦し受け入れてくださいました。これが父の慈愛です。
 人間の本性的な愛は相対的です。自分によくしてくれる相手だけを愛します。自分にとって価値ある対象だけを慕い愛します。それに対して父なる神は価値や資格のない者を無条件に愛し、恩恵をもって救いを与えてくださいます。父は恩を知る者にも悪人にも情け深く、正しい人にも悪人にも太陽を昇らせ雨を降らせる方です。このように相手の価値に絶した愛は絶対愛です。この父なる神の恩恵、無条件の絶対愛によって救われて、その恩恵の場、慈愛の下に生きるようになった新しい命は、相手が自分に対して好意をもつ親切な友人であろうが、自分を憎み悪口を言い、自分を侮辱する敵であろうが、相手の価値や資格に絶して、無条件に愛しないではおれない質の命なのです。もし恩恵の場に生きる者が相対的な愛に戻るならば、父の絶対的な慈愛と恩恵の場に留まることができません。