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14 いのちの御霊の法

 なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の法則は、罪と死の法則からあなたを解放したからです。

( ローマ書 八章二節 協会訳)


 この文は使徒パウロがローマの信者たちに書き送った手紙の一節です。パウロはこの手紙で自分が宣べ伝えているキリストの福音を熱烈に語っています。その中で自分が、ひいては人間が罪の支配の下でいかに苦しんでいるかを切々と述べて、「わたしはなんと惨めな人間なのか」と嘆き、「だれがわたしを救ってくれるでしょうか」とうめいた後、突然「わたしたちの主イエス・キリストによって神に感謝します」と感謝の声をあげます(ローマ七・七〜二五)。そして、その理由として標題の言葉を発するのです。
 救いとは解放です。わたしたち人間を押さえつけ苦しめている力からの解放です。諸々の宗教は病気や貧窮などの人生苦からの解放を約束します。旧約聖書では捕虜や奴隷の状態からあがなう(買い戻す)こと、ひいては民族を抑圧から解放することを神の救いの内容として語っています。そのような救いに対して、パウロは「罪と死の法則」に支配されている惨めな状態からの人間の解放を救いとして、それをイエス・キリストによって与えてくださった神に感謝するのです。
 パウロは人間の悲惨を罪の支配下にある結果だとしています。ここで罪というのは法律や道徳の規定に違反する諸行為の集積ではありません。パウロは罪を単数形で使います。それは人間を神から引き離そうとする霊的な力です。わたしたち人間はこの力の支配下に陥っていて、命の源である神から背き去り、その命に与ることができなくなっているのです。それがここで死と呼ばれています。わたしたちが生まれながらの本性に従って生きている場では、このような罪と死が支配しています。それが「罪と死の法則」です。
 それに対して、「キリストにある」という場では別の法則が働いています。それは「命の御霊の法則」です。わたしたちが、自分の罪(神からの離反)のために死なれた復活者キリストに自分を投げ入れて、このキリストに合わせられて生きるとき、このキリストを通して働く神の御霊の働きによって、罪と死の支配から解放されるのです。わたしたちの側の計らい、功績、資格などは一切関係ありません。わたしたちを罪と死の支配から解放して命(永遠の命)を与えてくださる霊ですから「いのちの御霊」と呼ばれます。この解放の結果は、続いてなお多くを語らなければなりません。