市川喜一著作集 > 第22巻 続・聖書百話 > 第13講

13 永遠の命への道

 「わたしが復活であり、いのちである。わたしを信じる者は、死んでも生きる。また、生きていてわたしを信じる者は誰でも、いつまでも死ぬことはない」。

(ヨハネ福音書 一一章二五〜二六節)


 ヨハネ福音書は特異な福音書です。ヨハネ福音書のイエスは復活のキリストと重なっています。この福音書でイエスが「わたしが命のパンである」と言われるとき、それは復活者キリストが世界に向かってそう言っておられるのです。それを地上のイエスの言葉として聴いたユダヤ人はつまづきました。ヨハネ福音書の「わたしは〜である」という宣言は復活者キリストを告知する福音告知であり、それに続く「わたしを信じる者は〜するであろう」という宣言は、イエスを復活者キリストと信じる者が受ける救いの現実を述べているのです。その救いの内容は様々な象徴を用いて語られていますが本体は永遠の命です。イエスを復活者キリストと信じるヨハネ共同体は、このような形でイエスを信じる者は永遠の命を得ると世界に告知します。
 ヨハネ福音書は永遠の命を告知するだけではなく、永遠の命に至る道をも指し示します。最初に第三章のニコデモとの対話において、「上から生まれる」、すなわち、十字架につけられて死なれたイエスの死はわたしたちの背神の罪のためであったことを信じて神に立ち帰る者は、神の霊の働きを受けて、生まれながらに生きているこの死ぬべき命とは別の種類の命を与えられることが示されます。これが永遠の命に至る道の出発点です。
 続いて第六章のパンについての対話で、パンを求める群衆にイエスは「わたしが命のパンである。わたしを食べる者はわたしによって生きる」と宣言されます。ここでは信じる者は現にこの命をもっていることが強調されます。わたしたちはパンを食べて命を維持するように、復活者キリストに合わせられて生きる者は、内から溢れるキリストを復活させた命によって力を受け、地上の困難な旅路を生きることができるのです。
 最後に第一一章でラザロを生き返らせるという「しるし」をもって、イエスはこの永遠の命の道の到達点を示されます。それは死者の復活にあずかることです。わたしたちの生まれながらの命はかならず死にます。しかし、信じる者の内にはすでに復活に至る質の命が始まっています。この命による希望が、「死んでも生きる」と叫ばせるのです。宗教が指し示し約束する永遠の命は、復活者キリストの信仰によって成就します。