市川喜一著作集 > 第22巻 続・聖書百話 > 第9講

9 キリストの賜物

「わたしが与える水を飲む者はいつまでも渇くことなく、わたしが与える水はその人の中で湧き出る水の泉となって、永遠の命に至らせるであろう」。

(ヨハネ福音書 四章一四節)


 これはイエスがサマリア教徒の女性に語られた言葉です。しかし、ヨハネ福音書では復活者キリストが世界に向かって語られる言葉と重なっています。この福音書は復活者キリストがわたしたちに何を与えてくださるのかを告げ知らせます。この福音書はそれを水という象徴で語ります。それを飲む者はいつまでも渇くことなく、飲む者の中で泉となって湧き出るという不思議な水として語られます。この水は何を象徴しているのでしょうか。
 それは神の御霊です。イエスが地上で働いておられたときには、まだ神の霊は誰にも降ることはできませんでした。イエスがサマリア教徒の女性に語られた言葉では、動詞はすべて未来形です。しかしイエスが十字架上で贖いの業を成し遂げて復活し神のもとに帰られたとき、この復活者キリストを通して神の霊が降るようになりました。復活者キリストは御自分のもとに来る者に神の霊、聖霊を与える方となられました。キリストは聖霊を与える方として救済者キリストです。この聖霊を与えて人を生かす働きを、聖書は「聖霊のバプテスマ」と呼び、福音はキリストを聖霊でバプテスマする方と告知します。このキリストの働きはすでに始まっており、福音はこの言葉を現在形で語ります。
 「わたしが与える水」、すなわち復活者キリストが与えてくださる御霊は無代価の賜物です。わたしたちは何か代価を差し出したり、何かの価値ある働きの報酬として神の霊を受けることはできません。まったく受ける資格もなく、それに相当する代価を払うこともなく、神の無条件の恩恵の賜物として受けるのです。そして求める者はだれでも与えられるのです。
 キリストが与えてくださる神の霊はわたしたちの内に働き、今まで生きてきた命とは別の質の命が内に動き出します。今まで生きてきた生まれながらの命は死に定められた命ですが、この死ぬべき体の中にありながら、その死によって滅びることはないと自覚する命、すなわち永遠の命が生き始めます。この命はわたしたちの内にあるのですから、身体とか生活という外の状況がどうであっても、命の充満の喜びとして内側から溢れてきます。それが「その人の中で湧き出る水の泉」という象徴で語られます。