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まえがき

 本書『福音の史的展開U』は、上下二巻からなる『福音の史的展開』の下巻になります。上巻の『福音の史的展開T』は一昨年(二〇一〇年)に刊行しましたが、ここに下巻になる本書を刊行して、著作『福音の史的展開』を完結することになります。本書の主旨は、上巻の「まえがき」で述べましたが、この下巻だけを手にされる読者のために、その要旨を繰り返しておきます。

 福音とは、神が主イエス・キリストの出来事、とくに十字架の死と復活の出来事において、わたしたち人間の救いを成し遂げてくださったという告知であり、またその告知を宣べ伝える活動です。神の救いの出来事は、イエスの生涯だけでなく、それを準備するイスラエル二千年の歴史と、その福音告知の活動が始まってから現在に至る二千年のキリスト教の歴史の中で展開されています。従って、「福音の史的展開」とは、広い意味ではその歴史の全体を含むことになります。しかし、そのような膨大な内容を一個人が、一つの著作で扱うことはできませんので、本書では、イエスの復活後に開始された福音告知の活動の最初期だけを扱います。それは、この時期に福音がもっとも純粋にその姿を現しており、範例的な意義を持っているからです。
 ここで「最初期」というのは、イエスの復活後、この福音告知の活動が始まってから、新約聖書に収められている諸文書が成立する期間を指しています。具体的には、新約聖書のもっとも遅い文書の成立がほぼ二世紀初頭であると考えられるので、30年のイエスの十字架と復活からほぼ百年の期間を指します。この時期を「新約聖書時代」と呼ぶことにします。

 この「最初期」は、ユダヤ戦争におけるエルサレムの陥落・神殿の崩壊(70年)を境として、前期と後期に分かれます。前期(三〇年〜七〇年)は、ほぼイエスの弟子である使徒たちが活躍した時期であり、「使徒時代」と呼べるでしょう。後期(七〇年〜一三〇年頃)は、使徒たちの後継者が活動した時期であり、「使徒後時代」、正確には「使徒直後時代」ということになります。上巻では前期を扱いました。下巻の本書では後期を扱うことになります。この時期は、四つの福音書をはじめ、(パウロ七書簡以外の)重要な文書が多く生み出されています。四福音書の成立を考えるだけでも、この時期の重要性が分かります。

 福音はキリストの出来事を告知する言葉ですが、その言葉は(パウロが言うように)「信じる者を救いに至らせる神の力」です。そして、その言葉の告知は、一度なされたら文書に書きとどめられて固定され、以後はそれを読んでその内容を信じればよいという性格の言葉ではありません。その言葉は、人から人へ直接語りかける形で伝えられる性格の言葉です。すなわち、その福音の現実に生きる証人から、救いを必要とする周囲の人々に語りかけるという形で伝えられていくとき、そこに働く聖霊の力によって、「救いに至らせる神の力」としての姿を現します。そうすると、語る人も聴く人もある具体的な歴史的状況に生きる人間ですから、そこで語られる福音にはその歴史的状況の刻印が刻み込まれることになります。周囲のユダヤ教徒のパレスチナ農民に語りかけるイエスの言葉と、ヘレニズム都市の異教徒の市民に語りかけるパウロの言葉は同じではありません。新約聖書には実に様々な異なった歴史的状況においてなされた福音の証言が含まれています。その様々な歴史的状況から生じる表現の違いを貫いて一貫している福音の本質を見極めることができてはじめて、「福音とは何か」という問いに答えたことになります。本書は、この課題に取り組み、「福音とは何か」という問いに答えようとする努力の一つです。

 第五章から第八章までの本論でこの課題に取り組んだ後に、本書は「終章 キリストの福音からキリスト教へ」を置いて、新約聖書時代に地中海世界に広まった福音が、その後の歴史の中で「キリスト教」という宗教になる過程を瞥見し、その「キリスト教」の中で福音が果たすべき課題を考察しています。キリスト教二千年の歴史はあまりにも膨大で、そのすべてを見渡して福音とキリスト教の関係を論じることはできません。新約聖書時代に続く約百年の時代に、キリストの福音がキリスト教という宗教になるさいの原理的な問題がよく出てきていますので、その時期の歴史を素材とし、本論で到達した新約聖書における福音理解の視点から、福音によって現代に生きるキリスト者のキリスト教に対する姿勢を原理的に考察しました。

 「福音とは何か」という問いを追究したこのささやかな努力が、この国の福音の進展のために役立つことを切に願って、本書をお届けします。

二〇一二年 八月
               京都の古い町並みの中から
                    市 川 喜 一