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第二節 諸国民への救いの福音 ― ルカ福音書

       ( 本節で書名のない引用箇所はルカ福音書の章節です。)

はじめに

 前節の「ルカ二部作成立の状況と経緯」で、ルカ福音書と使徒言行録というルカが書いた二部作の成立について述べました。それは、ルカ福音書と使徒言行録をその歴史的状況に位置づけて、その内容を正しく理解するためでした。その内容の個々の解説は講解とか注解に委ねなければなりませんが、ここではこの二つの文書が提示している「キリストの福音」がどのような形と内容になっているかを探求して提示することを課題としています。
 本節ではルカ二部作の第一部であるルカ福音書を取り上げます。すでに『ルカ福音書講解』で見てきたように、ルカはマルコ福音書を枠組みとして用い、マタイ福音書と共通の「語録資料Q」と、ルカだけがもっている「ルカの特殊資料L」に基づいて福音書を書いています。それで、マルコ福音書とマタイ福音書に共通する内容と性格になっており、「共観福音書」としてひとまとめで扱われることが多くあります。しかし、ルカの状況やルカの神学(福音理解)から来るルカ独自の書き方が、ルカ福音書の特色を示すことになりますので、ここでは福音提示におけるルカの特色に焦点を合わせて見ていきます。

T 福音書としての基本的性格

ルカ福音書における「福音」

 ルカ福音書は「福音書」です。前節「ルカ二部作成立の状況と経緯」で見たように、ルカの著述にはルカ独特の視点や意図がありますが、基本的には「福音書」であることに変わりはありません。ということは、この著作はあくまでイエス伝承を用いてキリストの福音を世に告知しようとする文書であるということです。その福音書としての基本的性格はマルコ福音書と変わりません。
 前節の「歴史家ルカ」の項で見たように、ルカには歴史家としての一面があります。初版のルカ福音書が「皇帝ティベリウスの治世の第十五年に・・・・」という文で始まっている(三・一)ことは、歴史家としてのルカを象徴しています。たしかに、イエスの働きの現場にいるという臨場感をもって書かれているマルコ福音書と較べると、ルカ福音書はイエスの生涯を過去の出来事として記述する歴史家の筆を感じさせる面があります。そのことはルカ自身が序文(一・一〜四)で、自分よりも前にイエスの「物語」を書いた人たちの文書や伝承を資料として、自分も「わたしたちの間で実現した事柄について、順序正しく書いて」、《ディエーゲーシス》(物語、歴史的説明)を試みる、と言っていることからもうかがわれます。
 ルカ福音書のこの一面は、イエスの生涯をできるだけ事実に近い形で復元しようとする人たちに評価され、そのための重要な資料とされます。一例をあげると、ユダヤ人(ユダヤ教徒)の立場からイエスの生涯とその意義を描こうとしたD・フルッサーはその著『ユダヤ人イエス』において、歴史的なイエスの出来事を伝えるもっとも確かな資料としてルカ福音書を取り上げ、ルカ福音書に基づいてイエスの生涯と働きを記述しています。
 しかし、ルカ福音書はけっしてイエスの伝記やその歴史を記述しようとしているのではありません。歴史的正確さは、あくまで資料の信頼性という断片的なものであって、著作全体の性格とか意図を指すものではありません。ルカの著作はあくまで、イエスの働きやイエスの言葉を伝えるイエス伝承を素材として用いて、世界にキリストの福音を告知するために書かれた「福音書」です。その性格において、ルカ福音書はマルコ福音書やマタイ福音書やヨハネ福音書と変わりません。ただ、成立した状況が異なるために、違った特色をもつ福音書となっているだけです。
 ところで、最初の福音書であるマルコ福音書は、その標題的な位置(一・一)に「イエス・キリストの福音」という表現を用いて、この文書が「福音書」であることを明確に宣言しています。マルコ福音書は、本文中にも(とくにマルコが自分の筆で加える編集句において)この「福音」《エウアンゲリオン》をいう用語をしばしば用いて、これが福音の提示であることを示唆しています。本来、「福音」という用語に縁遠いQ共同体の流れを汲むマタイ福音書も、マルコ福音書を受け入れ、マルコに従ってイエスの「神の国」告知を「神の国の福音」と呼んでいます。
 ところが、奇妙なことにルカは「福音」という用語を用いていません。マルコが一〇回、マタイが四回用いているのに、ルカは〇回です。ヨハネも〇回ですが、これはパウロとは別系統の共同体から出た福音書として当然です。「奇妙な」と言ったのは、ルカこそが他のどの福音書記者よりも「福音」という用語を用いることがもっとも期待される立場の著者だからです。

この用例については、拙著『福音の史的展開T』378頁「共観福音書における『福音』の用例」の項を参照してください。なお、使徒言行録では二回出てきます(一五・七、二〇・二四)。

 もともと「福音」《エウアンゲリオン》という用語は、パウロが自分の働きの中心に据えた表現です。パウロは、神がイエス・キリストにおいて成し遂げてくださった救いの出来事を告知する働きとその告知の内容を「福音」と呼んで、自分はその「福音」のために召されて諸国民への使徒とされたとし(ローマ一・一〜五)、その福音(福音を告知する活動)に生涯と生命を献げました。従ってパウロの書簡には、ローマ書一・一六〜一七を初めその中心的な位置に「福音」という用語が繰り返し現れます。
 ルカはパウロの福音活動の同行者であったか、そうでなくとも少なくともパウロの活動圏で働いたパウロ主義者ですから、パウロが告知したキリストの救いを語るのに、「福音」という用語を中心に据えるのが当然と期待されます。しかもルカは、イエスの出来事を「福音」という標題で提示しているマルコ福音書をモデルにして書いているのです。そのルカが「福音」という用語を一度も使わないのはなぜか、という疑問が生じます。もっとも、ルカはその福音書で「福音」という名詞は使いませんが、「福音する」という(他の福音書記者が使っていない)動詞は一〇回用いています。
 この不自然さは研究者の間で注目され、議論が行われていましたが、この疑問にはまだ十分な解答が出ていないように思います。まったくの推察に過ぎませんが、過激なパウロ主義者のマルキオンが「福音」という用語を旗印にしてユダヤ教聖書の伝統を切り捨てたので、ルカがマルキオンに対抗するために初版ルカ福音書を改訂して正典ルカ福音書とした段階で、「福音」という用語を避けたのではないかという可能性も考えられます。そのさい「福音する」という動詞は、「神の国を福音する」という形で、他の名詞を目的語として用いることができるので残した、とも推察されます。

諸国民への福音書

 四福音書はすべてギリシア語で書かれています。この事実がすでに、福音書は異邦諸民族に語りかけるために書かれたという事実を指し示しています。もともとアラム語のユダヤ人の世界で活動されたイエスの出来事を伝えて、それを福音として世に提示するのに、アラム語ではなくギリシア語を用いたということは、ユダヤ人以外のギリシア語を用いる異邦諸民族にイエスの出来事を神による救済の働きとして告知するために他なりません。
 最初のマルコ福音書もギリシア語で書かれており、ユダヤ人ではない読者のためにヘブライ語の用語はギリシア語で説明をつけています。ヨハネ福音書も同じです。ユダヤ人信者の共同体において生み出され、ユダヤ人読者をおもな対象としているマタイ福音書も、ユダヤ教会堂とは断絶し異邦人世界に乗り出そうとしており、ギリシア語で書かれています。その中でルカ福音書は、たんにギリシア語を使う異邦人読者に語りかけるというだけの意味ではなく、特別な意味で「異邦諸国民への福音書」という性格をもった福音書となっています。
 ルカ福音書が異邦諸国民のための福音書であることは、その成立の状況と経緯を述べた前節(項目U)で書きましたので、ここでは繰り返しませんが、ルカ福音書が「特別な意味で」異邦諸国民への福音書という性格をもった福音書であることの意味をここで見ておきます。そのことはルカがイエスの福音活動の最初に置いたナザレの会堂での出来事を語る記事(四・一六〜三〇)が指し示していますので、その記事から始めます。
 イエスが故郷のナザレでは受け入れられなかったということは、マルコではガリラヤでの働きを物語る第一部(一〜六章)の終わり(マルコ六・一〜六)に簡単に述べられています。ルカはそのナザレでの出来事をガリラヤ伝道の最初に置き、詳しく描いています。それはイエスの福音告知の働きの綱領的宣言となっています。マルコはイエスの福音告知を、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と自分の筆で要約して、イエスの働きの冒頭に置いていますが、それに相当することをルカはこのナザレの会堂記事で行っているのです。
 会堂の礼拝で求められて立ち上がられたイエスは、預言者イザヤの書(六一・一〜二)を引用し、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と宣言されます。この預言の引用とその成就の宣言は、イエスにおける終末的救済の到来の宣言として極めて重要な意義を持っていますが、その内容は後(次項U)でルカの福音理解を扱うところで取り上げることにして、ここではこの宣言の結果として引き起こされた出来事に注目します。
 郷里ナザレのユダヤ人は、この宣言を聞いて大いに驚きます。その驚きの質は、「この人はヨセフの子ではないか」という発言によく示されています。今目の前でこの宣言をしているイエスは、その子供の頃から自分たちの間で暮らしていた人物であり、よくよく知っている仲間です。そのイエスが、神の霊に満たされた者として、神から遣わされた者であり、聖書が預言している終わりの日の救済をもたらす者だと宣言しているのです。とうていイエスをそのような方として受け入れることができない郷里のユダヤ人会衆に向かって、イエスはその拒否の心を見透して、「預言者は自分の故郷では歓迎されないものだ」と言って、聖書のエリヤとエリシャの故事を引いて、救いがイスラエルには向かわず、異邦人の寡婦や将軍に与えられたことを語り出されます。
 これを聞いたユダヤ人会衆の驚きは怒りに変わります。神と契約を結び律法を与えられているイスラエルを差しおいて、こともあろうに律法をもたず神を知らない異邦人に神の救いが行くと宣言するとは何事かと会衆は激高し、イエスを石打にして殺そうとします。「これを聞いた会堂内の人々は皆憤慨し、総立ちになって、イエスを町の外へ追い出し、町が建っている山の崖まで連れて行き、突き落とそうとした」(四・二八〜二九)とあるのは、石打の状況を指しています。石打は、死刑の判決を受けた者を高いところから突き落とし、その上に死ぬまで大きな石を投げつけます。これは神を冒?するなどの重罪を犯した者へのユダヤ教における処刑の形です。神や律法を汚す者をイスラエルから取り除くことは敬虔なユダヤ教徒の宗教的義務とされていました(申命記一三章)。
 ヨハネ福音書(八・五九、一〇・三一〜三三)には、イエスがユダヤで活動しておられた最後の時期にユダヤ人がイエスを石打にしようとしたことが報告されていますが、ガリラヤ伝道の時期にユダヤ人がイエスを石打にしようとした記事は、ここ以外にはどの福音書にもありません。むしろ、民衆には歓迎され、熱烈に受け入れられていたことをうかがわせる記事が多くあります。ルカ自身もそのことを伝えています(四・四二など)。もちろん「ガリラヤの春」というようなのどかな時期ではなく、すでにエルサレムから来た律法学者たちの監視の目がひかり殺意にまでなっていましたが(六・一一)、民衆の支持が熱いので手を下すことはできませんでした。
 そうすると、イエスに対するユダヤ人の石打の試みをイエスの福音告知の働きの冒頭に置いたのは、ルカの意図的な構成によるものとしなければなりません。ルカはこの構成によって何を言おうとしているのでしょうか。それは、福音がユダヤ人から拒否されたので異邦人に向かうことが神の御計画であるというルカの基本的な主張を、イエスご自身が語られたこととするためである、と言えます。イエスがそれを宣言されたのでユダヤ人はイエスを殺そうとし、実際にイエスを殺すことになり、その結果として福音は異邦人に向かっているのであり、それは神の救済史の御計画に基づくものだというルカの神学的主張を表現するためです。
 ルカの場合、福音が異邦人にも与えられているというのではなく、むしろイエスを拒んで殺したユダヤ人は神の救済史の御計画から排除され(エルサレムの滅亡はその象徴)、今は異邦人が救済史の担い手となる「異邦人の時代」(二一・二四)が始まっているとしています。この意味で、他の福音書にはない「特別な意味で」異邦人の福音書となっています。救済史における「異邦人の時代」の意義は、使徒言行録を含むルカ二部作全体で展開されることになり、ルカ二部作の重要な主題となりますが、ここでは福音書冒頭のナザレの会堂での出来事がその綱領的な宣言になっていることを指摘しておきます。

U 罪の赦しの福音

イザヤ書における《アフェシス》

 ところで、ルカがイエスの福音活動の冒頭に置いたナザレの会堂の記事は、ルカの福音理解を指し示しているという意味でも重要です。ルカは聖書の預言を引用して、イエスの出現は聖書の成就であるという宣言をイエス自身がされたこととして描いています(四・二一)。これは、マルコ(一・一五)がイエスの第一声として「時は満ちた」と宣言されたとしていることのルカ版です。イエス・キリストの出来事は聖書の成就であるというのは、ケリュグマ定式(コリントT一五・三〜五)の「聖書に書いてあるとおり」という文言に見られるように、福音の第一項です。
 それだけでなく、聖書預言の引用の仕方を検討すると、ルカの福音理解の特色が見えてきます。ルカはイエスご自身が選ばれた預言としてイザヤ書(六一・一〜二)の預言をあげています。これは、イザヤ書の「主の僕」の預言と並んで、最初期共同体がイエス・キリストを指し示す預言として繰り返し用いていたものでしょう。しかし、これをルカが用いる仕方を子細に検討すると、ルカの特色が見えてきます。ルカはイザヤ書をこのように引用しています。

 「主の霊がわたしの上におられる。
 貧しい人に福音を告げ知らせるために、
 主がわたしに油を注がれたからである。
 主がわたしを遣わされたのは、
 捕らわれている人に解放を、
 目の見えない人に視力の回復を告げ、
 圧迫されている人を自由にし、
 主の恵みの年を告げるためである」。(四・一八〜一九)

 最初の「主の霊がわたしの上におられる」という預言の言葉は、イエスが神の霊、聖霊を受けて、その霊によって語り、働かれたことを強調するルカのイエスの描き方に相応するものです。また、次ぎの「貧しい人に福音を告げ知らせるために」という働きの対象も、とくに「貧しい人々」に関心を寄せるルカの視線にふさわしい預言です。「福音を告げ知らせる」というルカがよく使う動詞(前述)がここに出てくるのも注目されます。しかし、これらの点については後で触れることにして、ここでは「主の霊に満たされた方」が「貧しい人」に告げ知らせる「福音」の内容、すなわち「主がわたしを遣わされたのは・・・・ためである」と言われている告知の内容について検討します。
 ルカはこのイザヤ預言を七十人訳ギリシア語聖書から引用しています。比較のために七十人訳ギリシア語聖書のイザヤ書六一章一〜二節を直訳で日本語にして引用しておきます。

 「主の霊がわたしの上に[います]、
   主はそれでわたしに油注ぎをされたから。
  貧しい人たちに福音を告げ知らせるために
   主はわたしを遣わされた、
  心打ち砕かれた人たちを癒し、
   捕らわれている人たちには解放を、
   目の見えない人たちには視力の回復を告げ、
  主の受け入れの年と報復の日を告げ、
   すべて嘆く者たちを慰め・・・・るために」。

 新共同訳のイザヤ六一・一〜二はヘブライ語聖書からの訳ですから、較べますとルカは七十人訳ギリシア語聖書から引用していることが分かります。「目の見えない人に視力の回復を告げ」という句はヘブライ語聖書にはありません。ところがルカは七十人訳ギリシア語聖書にはない「圧迫されている人を自由にし」という句を加えています。この部分は七十人訳ギリシア語聖書のイザヤ書五八章六節と文字通り一致します。ルカはこの付加によってヘブライ語聖書の「捕らわれている人には自由を、つながれているいる人には解放を(告知させるために)」という対句を回復していることになります。
 ルカがどのようにしてこのヘブライ語聖書の対句を回復するようになったのか、その経緯は分かりません。資料の問題も議論されていますが、確認は困難です。ヒントになるのは、七十人訳ギリシア語聖書でイザヤ六一・一の「捕らわれている人たちには解放を」と、イザヤ五八・六の「圧迫されている人を自由にし」の両方に《アフェシス》という語が用いられていることです。両方で「解放」と「自由」という内容が《アフェシス》というギリシア語で表現されています。そして、イザヤ書全体で《アフェシス》という語が出てくるのはこの二箇所だけです。ルカは、後で詳しく見ることになりますが、福音を《アフェシス》という語で語る著者です(注記の用例を参照)。その《アフェシス》がイザヤ書に出てくる二回の貴重な用例をすべて用いるためにこの付加を行い、その結果としてヘブライ語聖書の対句を回復することになった、とも考えられます。あるいは、ヘブライ語聖書にも親しんでいるユダヤ人キリスト者の間でこのような付加が行われていたのをルカが用いた可能性も考えられます。

《アフェシス》の用例
七十人訳ギリシア語聖書(いわゆる「アポクリファ」を除く)
  出エジプト記2回、レビ記19回、 民数記1回、申命記5回、イザヤ2回、エレミヤ3回、エゼキエル2回、ダニエル2回
新約聖書 ― マタイ1回、マルコ2回(ケリュグマとは無関係に)、ルカ5回、使徒5回、エフェソ1回、コロサイ1回、ヘブライ2回

 イザヤが解放とか自由を《アフェシス》という語で指す背景には、イスラエルにおける「ヨベルの年」の習慣があります。イスラエルでは七年目には種を蒔かず畑を休ませる「安息の年」が律法で定められており、その七倍が経った五十年目を「ヨベルの年」とし(ヨベルは解放とか自由を指すヘブライ語)、すべての負債を帳消しにし、借金で取られた土地を返し、奴隷を解放するように律法で定められています(レビ記二五章)。ここで定められている「解放」が、七十人訳ギリシア語聖書では《アフェシス》という語で語られており、この章(レビ記二五章)に一五回も出て来ます。イザヤ(正確には捕囚期後の第三イザヤ)が《アフェシス》という語を用いるとき、そして「主の恵みの年を告げる」というとき、この解放が行われるヨベルの年の到来を告げる角笛(レビ二五・八〜一〇)を思い描いていたと考えられます。ルカがこのイザヤの預言を引用し、イエスにおいてこの預言が成就したと宣言するとき、ヨベルの年、解放の時が到来したことを宣言していることになります。
 なお、ルカはイザヤ書引用の最後で、「告げる」の目的語となる「恵みの年と報復の日を」の後半「報復の日」以下を省略しています。そうすることで、イエスの告知が「恩恵の告知」であるという福音書の主題を際だたせています。

ルカにおける「罪の赦し《アフェシス》」

 このようにルカは福音書の冒頭で、イエスの働きをイザヤの預言を成就する《アフェシス》の告知として世に紹介します。ところが、ルカの《アフェシス》とその動詞形の用法を見ると、イザヤの「解放」とか「自由」とは少し違った面が出てきています。ルカは福音書の本体部分(三〜二三章)ではこの《アフェシス》という語を(ここに見たイザヤ預言の引用と洗礼者ヨハネに関する三・三以外では)用いていませんが、使徒言行録を書いたときに付加したと見られる二四章の重要な箇所で「罪の赦し《アフェシス》」という形で用いています(二四・四七)。この箇所を「重要」というのは、それがルカが「福音」を要約して記述している箇所だからです。復活されたイエスは弟子たちにこう命じておられます。

 イエスは言われた。「わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する。これこそ、まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである」。そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、言われた。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』。エルサレムから始めて、あなたがたはこれらのことの証人となる」。(二四・四四〜四八)

 ここで復活されたイエスは、キリストの十字架と復活の告知を「罪の赦しを得させる悔い改め」をもたらす使信として、あらゆる国の人々に宣べ伝えるように、弟子たちに命じておられます。まさに「福音」とは「罪の赦し」を得させる使信なのです。この命令に従って弟子たち、すなわち使徒たちは「罪の赦し」の福音を宣べ伝えます。そのことは、使徒言行録で使徒たちの働きを記述するルカの文に、この「罪の赦し」という句が繰り返し用いられていることからも確認できます(使徒二・三八、五・三一、一〇・四三、一三・三八、二六・一八)。これらの箇所はみな、ルカが使徒たちの福音告知を要約する演説の締めくくりの位置に用いられており、ルカがこの「罪の赦し」を福音の内容また目的として理解していることを示しています。このルカの福音理解が、福音書の最後でこのようなイエスの命令として置かれることになります。
 ところで、ルカが福音の中心に据えている「罪の赦し」という表現は、パウロ書簡には出てきません。パウロは福音を語るときに「罪の赦し」という表現は用いていません。《アフェシス》という用語すら一度も用いていません。パウロにおいては救いとは「罪と死の支配力からの解放」です(ローマ八・二)。パウロにおいては「罪」はいつも単数形で現れ、人間を神に背かせる支配力を指しています。それに対してルカの「罪の赦し」の「罪」は複数形で、人間が神の定めに反して行う諸々の行為を指しています。「罪の赦し」は、神がその違反行為の責任を問うことなく赦してくださる恩恵を指しています。ルカはパウロの福音活動を継承するパウロ主義者の一人ですが、そのルカの福音理解がこのようにパウロと違った面を見せるようになったのはどういう事情によるものか、検討する必要があります。
 パウロが形成したエーゲ海地域の共同体は異邦人信者が多く、時と共に異邦人信者が主流を占め、指導者も異邦人から出るようになります。その結果、この地域のパウロ系共同体のキリスト信仰はギリシア化の傾向を示すようになります。そのことは、この地域でパウロ以後の時代に成立したパウロ名書簡(コロサイ書やエフェソ書)に見られます。これらの書簡は、基本的にはパウロの福音を保持しつつも、福音を理解する枠組みや表現においてギリシア的な背景をうかがわせるものになっています。そのコロサイ書やエフェソ書が福音を提示する仕方を見ますと、その時期の福音理解の傾向がよく出ています。ここに両書が福音を要約して提示している箇所を取り上げます。

 「御父はわたしたちを闇の権勢から救い出して、その愛の御子の支配下に移し入れてくださいました。この御子にあってわたしたちは贖い、すなわち罪過の赦しを得ているのです」。(コロサイ一・一三〜一四 私訳)

 「この方にあって、わたしたちはその方の血による贖い、すなわち罪過の赦しを受けています。それは、神の豊かな恩恵によるものです」。(エフェソ一・七 私訳)

 「血による贖い」というユダヤ教祭儀を背景とする表現は、パウロは最初期エルサレム共同体の福音提示を引用するところ(ローマ三・二五)で用いるだけで、ほとんど用いなくなっています。第二世代のパウロ主義者であるコロサイ書やエフェソ書の著者たちになると、ユダヤ教からはさらに遠くになり、異邦人に分かりやすい「罪過(複数形)の赦し《アフェシス》」と言い換えられ、福音提示の中心に置かれることになります。同じ世代のパウロ主義者ルカもこの流れの中にあり、同じ表現で福音を語ることになります。

解放と赦し

 先に、ルカがイエスのガリラヤ伝道の冒頭に置いたナザレの会堂での福音の綱領的宣言において、イザヤの預言がどのような意味で引用されているのかを見ました。そこではイザヤが用いる《アフェシス》は、「ヨベル(解放)の年」のイメージを背景として、「解放」とか「自由」という意味で用いられていました。ところが、ルカは福音書の最終場面でその《アフェシス》を「罪過の赦し」という意味で用い、使徒言行録においても使徒たちの福音告知を要約するさい、福音告知の目的として扱っていることを見ました。
 もともと《アフェシス》という名詞の元である動詞《アフィエーミ》は、「行かせる、去らせる」という意味の動詞で、そこから「許す、(自由に)させる、放置する」とか、「見逃す、放免する、赦す」という意味にも使われます。それで、その名詞形の《アフェシス》は、拘束された状態から行かせるという意味で「解放」とか、その結果である「自由」という意味にも用いられ、また罪の責任を見逃して放免する赦しという意味にもなります。「ヨベルの年」を規定したモーセ律法(レビ記)は「解放」の意味で用い、イザヤもその意味で用いて預言の言葉を語りました。
 ルカは旧約聖書におけるこのような意味を知っているはずですが、使徒たちの福音告知の活動を描くときには、ルカがコロサイ書やエフェソ書の著者たちと共有している時代の福音理解にしたがって、使徒たちは「罪の赦し」の福音を宣べ伝えたと描きます。その理解は、福音書でイエスの活動を描くときにも適用されます。福音書でルカ独自の記事には「罪の赦し」が主題となるものが多くあります。典型的な例は、涙でイエスの足をぬらし髪の毛で拭った「罪の女」の記事です(七・三六〜五〇)。この記事はルカだけにある記事で、ルカの福音理解をよく示しています。この記事のイエスは無条件でこの女に罪の赦しを宣言しておられます。また、ヨハネ福音書(八・一〜一一)に括弧付きで置かれている姦淫の現場で捕らえられた女の記事も、もともとはルカ福音書にあった記事が写本の段階でヨハネ福音書に入れられたと見る研究者が多いのですが、たしかにこの記事は典型的なルカの福音提示の仕方です。
 もっとも、イエスが罪を赦す宣言をされたことは、マルコ(二・一〜一二)の「足の萎えた人のいやし」の記事に見られるように、イエス伝承に深く組み込まれています。また、イエスが罪を赦すことの重要性を説かれたことも、マタイ(一八・二一以下)の語録伝承などに伝えられています。しかし、ルカの特殊記事には、罪を赦されるイエスに対する深い感情が感じられます。十字架上のイエスの姿を伝えるルカだけにある特殊記事も、自分を十字架につけた人々のために、「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」と祈られる感動的な姿を伝えています(二三・三四)。
 ところが、先に見たようにパウロは「罪の赦し」についてはほとんど語ることなく、《アフェシス》という語は一度も用いていません。パウロが福音の中心に置いているのは、罪と死の支配力からの解放です(ローマ八・二)。そして、その解放を語るときに《アフェシス》という語を用いることはなく、当時のローマの奴隷の解放を語る用語の《エレウセロオー》(解放する)とその名詞形《エレウセリア》(解放された状態、自由)を用います。

「解放する」という動詞形は、ガラテヤ五・一、ローマ六・一八と二二、八・二と二一で用いられ、「自由」という名詞形はガラテヤ二・四、五・一、五・一三、コリントT一〇・二九、コリントU三・一七に用いられています。

 このようにパウロは「罪過(複数形)の赦し《アフェシス》」を語ることがなかったのに、パウロの後継者たちがそれを福音の中心に据えるようになった変化とその経緯は、「福音の史的展開」を考察するさいに興味深い主題です。その理由とか経緯の詳しいことは分かりませんが、おそらくパウロがその書簡で告白しているような聖霊による解放とか変容というような深い霊的体験は理解されることが少なく、一般社会の人々に福音を告知するときには神の審判とそのときに与えられる「罪過の赦し」という法廷的な概念が理解されやすかったからではないかと考えられます。この傾向はルカに至ってもっとも明確な形をとり、使徒言行録で使徒たちの福音告知は「罪の赦しの福音」となり、福音書においてもイエスは「罪の赦し」《アフェシス》を与える神からの使者となります。

V ルカ福音書における復活者キリスト

ルカ福音書における《キュリオス》称号

 ルカ福音書は「福音書」です。すなわちイエス伝承を用いて「キリストの福音」を告知する文書です。その結果、地上のイエスの働きや言葉を伝える面に、復活者キリストの姿を重ねて語るという二重性が出てくることは避けられません。歴史家としての面をもつルカの記述には、他の福音書よりも地上のイエスの歴史が正確に伝えられているという面があるとしても、そのイエスの姿に重ねて復活者キリストの福音を告知するという福音書としての性格が基本です。ただその重なり方にルカ独自の特色もあるので、最初にその重なり方を見てみたいと思います。
 異邦人の諸集会では、復活されたイエスを《キュリオス》(主)という称号で指し、《キュリオス・イエスース》(主イエス)とか「イエスは《キュリオス》である」と言い表していました(コリントT一二・三、ローマ一〇・九)。七十人訳ギリシア語聖書では《キュリオス》という称号は本来神を指す称号ですが、異邦人共同体ではその《キュリオス》が復活されたイエスを指す称号として広く用いられるようになっていました。それで、異邦人共同体において福音書を書いているルカの福音書では、復活されたイエスを指すのに《キュリオス》という称号が多く用いられるようになります。すべてをあげることはできませんので、代表的な箇所をあげておきます。
 ルカは福音書の七章(一一〜一七節)で、イエスがナインの寡婦の一人息子を生き返らせた出来事を伝えています。その記事の初めから終わりまで、動作の主語を示す名詞は一三節の《ホ・キュリオス》(定冠詞付きの主)だけで、原文ではイエスという名はいっさい出てきていません。動詞の主語はすべてこの「主」を指す代名詞だけです。たしかにナインの門の前で行動しておられるのはイエスですが、死んだ青年に「わたしはあなたに言う。起きなさい」と言って、死者を生き返らせるのは復活者キリストの働きです。使徒たちは復活された「主イエス」を告げ知らせる働きの中で、死者を生き返らせる奇跡も体験していました。この体験が地上のイエスの働きを伝える記事に重なって、この働きをされる方を《ホ・キュリオス》と呼んだと考えられます。
 もう一つ、一〇章(一〜二四節)にある「七十二人の派遣」の記事においても、七十二人を任命し派遣される行動の主語は《ホ・キュリオス》であり(一節)、その後この箇所には、原文では「イエス」は出てきません。動詞の主語はすべて「彼」という代名詞です。この「七十二人の派遣」の記事は、イエスが地上で実際に十二人の弟子を派遣されたときの状況(九・一〜六)とは違っており、復活されたイエスによって派遣されてガリラヤの各地で活動した弟子たちの体験を反映していることは、『ルカ福音書講解U』の当該箇所で詳しく見たとおりです。
 このように本来復活者イエスの働きである事柄を地上のイエスに重ねて語るとき、その記事の主語が復活者イエスを指す《ホ・キュリオス》になる場合がありますが、その他にも、地上のイエスが語られたたとえの理解が復活者イエスから聖霊によって与えられたものと共同体が確信している場合、その理解の仕方を地上のイエスが語られたとしている場合があります。そのような場合には、たとえの解釈を語る文の主語が《ホ・キュリオス》になることがあります。たとえば「不正な管理人」のたとえ(一六・一〜一三)で、たとえそのものはイエスが語られたのですが、「《ホ・キュリオス》はこの不正な管理人をほめた」(一六・八)の《ホ・キュリオス》は(たとえの中の主人ではなく)このたとえの解釈を与えられる共同体の主、復活者イエスを指しています。その他「やもめと裁判官」のたとえ(一八・一〜八)で、「それから《ホ・キュリオス》は言われた」(一八・六)と前置きして、そのたとえの意義を語るところも、共同体が聖霊によって与えられていると確信している理解を地上のイエスの言葉に重ねているところです。
 ここに実例としてあげた四例はすべて、ルカだけにあるルカの特殊記事です。ルカがマルコに従って書いているところや、マタイと共通のイエスの語録資料Qを用いているところには出てきませんが、ルカだけの特殊記事には、異邦人共同体で復活者イエスを指す称号《ホ・キュリオス》がしばしば出てくることになります。これは福音書の二重性が表れるさいのルカの特色ということになります。
 なお、「主イエス」《ホ・キュリオス・イエスース》という呼び方は、「主イエス・キリスト」という呼び方と並んで、使徒言行録には繰り返し出てきますが(使徒一・二一、七・五九、八・一六以下多数)、福音書ではイエスに対してこの称号は用いられておらず、最後に「空の墓」の記事に「主イエスの遺体」という形で一回だけ出てきます(二四・三)。ここの表現には使徒言行録執筆時の筆が入っていることをうかがわせます。

ルカ福音書における顕現物語 1

 ルカ福音書が「福音書」である以上、イエスを復活者キリストとして告知する面があります。空の墓の記事で終わっているマルコ福音書には、復活されたイエスが弟子たちに現れたことを伝える顕現記事がなく、それを不自然と感じたマルコ以後の福音書記者は、弟子たちが復活されたイエスと出会った体験を伝える伝承を用いて顕現記事を加えています。マタイ(二八・一六〜二〇)はガリラヤの山での顕現を加えています。ルカも、最初期共同体に知られていた「二人の弟子への顕現」(マルコ一六・一二)を用いて「エマオでの顕現」の記事(二四・一三〜三五)を加え、さらに「エルサレムでの顕現」(二四・三六〜四九)と「天に上げられる」(二四・五〇〜五三)の記事を書き加えています。その記事の詳しい内容は『ルカ福音書講解』に委ねなければなりませんが、ここではこれらの記事がこういう形でここに置かれている事実の意義を見ておきます。
 先に(前節「ルカ二部作成立の状況と経緯」で)見たように、初版のルカ福音書はマルコと同じく「空の墓」の記事で終わっていたようですが、マルキオンに対抗するために増補改訂されたときに、一三節以下の顕現物語が書き加えられて、使徒言行録一章につなげられたと見られます。従って、ルカの顕現記事にはマルキオンへの対抗という意図が(それがすべてではないにせよ)入ってきているのが分かります。まず、エマオに向かっていた二人の弟子に復活されたイエスが現れたことを伝える記事から見ましょう。
 各地の資料を集めたルカは、おそらくガリラヤでの顕現を伝える伝承も得ていたでしょうが、ルカはエルサレム中心主義の構想(福音はガリラヤからエルサレムに達し、エルサレムからローマに至るというルカ二部作の構想)から、エルサレムとその近辺での顕現の伝承を選び、十字架以後も弟子たちはエルサレムにとどまり、そこから福音告知の活動を開始したという使徒言行録一章に続く物語を構成します。使徒言行録の執筆と福音書の増補改訂が一二〇年代前半とすると、出来事からすでに一〇〇年近くが経っており、起こった出来事の細部(弟子たちが一度ガリラヤに帰り、ガリラヤで顕現を体験してエルサレムに戻ってきたという経緯)は、遠い異邦人の地でこの福音書を読む読者に必要ないとしたのでしょう。福音書の顕現物語は、イエスの復活を証明しようとするものではなく、復活されたイエスを信じている者たちにイエス復活の意義を説くために構想されています。
 ルカはまずエルサレム近郊で二人の弟子に復活されたイエスが現れたという伝承を用います。この伝承が最初期の共同体に広く知られていたことはマルコへの付加部分(一六・一二)からも知られます。ルカはエマオという地名をあげています。その位置については議論がありますが、ルカは「六〇スタディオン」(約一一キロ)という距離をあげています。三時間足らずの行程です。「ちょうどその日」、すなわち女性たちが墓が空であることを見つけた日、安息日明けの日曜日に、エマオに向かって旅をしている二人の弟子に復活されたイエスが現れて、それがイエスだと分からない二人に語りかけられます。
 この物語は顕現伝承の特徴を示しています。初めは出会っている人物が誰であるかが分からないこと、その人物からの語りかけ(または何らかの働きかけ=ここではパンを裂いて渡す動作)でイエスだと分かること、また分かったときにはすぐ見えなくなることなど、他の顕現物語と共通のパターンが見られます。しかし、この顕現物語でルカが主張していることは、復活されたイエスがご自身の受難について、「キリストはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか」と言って、「モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された」(二四・二六〜二七)という事実です。これは、聖書はイエスの出来事と関係がないとするマルキオンへの反駁であることは明らかです。
 次ぎに置かれているエルサレムでの顕現物語(二四・三六〜四九)でも、さらに荘重な調子で同じことが説かれています。復活されたイエスご自身が、「わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する。これこそ、まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである」と言って、こう言われます。「次のように書いてある。『キリストは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』」(二四・四四〜四七)。

ここに引用した箇所は、新共同訳は他の並行箇所と同じく「メシア」と訳しています。マルコの場合は、ペトロがイエスに向かって言い表した歴史的状況に即して「メシア」が適切ですが、ルカの場合は現在共同体がイエスに向かってなしている告白として「キリスト」と訳すことができますし、その方が適切となります。この点については、拙著『ルカ福音書講解T』416頁の「イエスの叱責の省略」の項を参照してください。

 エマオへ向かう二人の弟子に聖書を解き明かされたとき、弟子たちは「心が燃えた」ことを体験しました。ここでも「イエスは聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて言われた」とあります。これらの記事でルカは、イエスの十字架・復活の出来事は聖書の預言を成就する出来事であることを悟ることこそ、復活されたイエスの働きであること、従ってそれに反対することはキリストであるイエスご自身に反対することであると宣言し、マルキオンを反駁しています。このような顕現物語におけるルカだけにある独自の内容は、ルカの顕現物語がマルキオンに対抗するために構成されて元の福音書に加えられたものであることを強く指し示しています。

ルカ福音書における顕現物語 2

 ルカの顕現物語には、もう一つの重要な特徴があります。それは、復活されたイエスには身体があるという主張です。エマオで復活されたイエスに出会った二人の弟子は急いでエルサレムに戻り、他の弟子たちに報告します。エルサレムでは十一人の弟子(ユダを除く十二弟子)が集まっていて、復活されたイエスがシモン(ペトロ)に現れたことを語り合っていました(二四・三三〜三五)。この記事は「最初にケファ(ペトロ)に現れた」という最初期エルサレム共同体の伝承に合わせるためであると考えられます。
 そのように語り合っているところに、復活されたイエスが現れ、「シャローム」の挨拶を送られます。弟子たちはそれがイエスだと分かりません。亡霊を見ているのだと思って、恐れおののきます。その弟子たちにイエスは手足を見せ、「まさしくわたしだ」と言われます。この言葉には、復活されたイエスが弟子たちに現れたときになされる神的自己宣言(マルコ六・五〇)の《エゴー・エイミ》(わたしである)が響いています。あまりの驚きに戸惑っている弟子たちに、イエスは「触ってよく見なさい。亡霊には肉も骨もないが、あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある」と言われます。それでも不思議がっている弟子たちの目の前でイエスは焼いた魚を食べて、人間の身体をもつ者であることを証明されます(二四・三六〜四三)。

安息日があけた週の最初の日に、なおエルサレムにいる弟子たちの集まりに復活されたイエスが現れたという伝承は、ヨハネ福音書(二〇・一九〜二三)にもあります。この事実は、ヨハネ(二〇・二七)の体に触ってみるようにとの促しが共通であることと共に、ルカとヨハネには共通の伝承が知られていたことを示す一例となります。そこでの出来事を伝える内容はルカとヨハネでは異なりますが、それだけにそれぞれの意図の違いが際だちます。ルカはこのエルサレムでの顕現伝承を用いて、以下に見るようにグノーシス主義を論駁する記事にします。

 復活されたイエスに出会った体験を伝える顕現伝承は、初期のものは死なれたイエスが生きておられるという事実を証言するだけの性質のものでしたが(コリントT一五章の顕現体験のリスト)、後期になるほど現れた方がイエスであることを示すためにその身体性が強調されるようになり、ヨハネ福音書(二〇・一七、二〇、二七)のマグダラのマリアやトマスの場合に見られるように、復活されたイエスは体をお示しになります。マタイ(二八・九)では、空の墓から立ち去る女性たちに現れたイエスに、女性たちはその足を抱いてひれ伏しています。ルカの顕現記事は最後期に位置し、復活されたイエスの身体性がもっとも強く強調されています。前節で見たように、ルカの顕現記事はマルキオンが現れてからの成立と見られ、マルキオンの時代に見られるようになるグノーシス主義的な霊的復活理解を反駁するため、という意図があると考えられます。
 イエスは復活されたという告知から始まった最初期の福音運動は、ごく初期からイエスを信じる者たちの間で復活の理解の仕方において違いがあり、論争があったことが知られています。すでにパウロの時代に「復活などない」と主張する人たちがいて、パウロは反駁の文を書かなければなりませんでした(コリント第一書簡一五章)。彼らがどのような意味で「復活などない」と主張したのかは議論が残りますが、最初期前期の共同体においてすでに復活に関して意見の違いがあったという事実は明白です。
 最初期のエルサレム共同体の福音告知においては、イエスの復活は神が終わりの日に成し遂げると約束しておられた救済の業の「初穂」であり、イエスを信じる民はやがて到来する栄光のキリストの来臨時に、イエスと同じように死者の中から復活させられて栄光の御国に入れられるという、聖書の救済史的終末思想の枠組みで福音は語られていました。それには当時のユダヤ教黙示思想の影響が色濃く投影されていました。パウロ自身も時代のユダヤ教の基盤の上で福音を語っています。そのことはコリント第一書簡一五章の議論にも十分示されています。終わりの日の死者の復活を否定して「死者の復活などない」と言う人たちを、パウロは救済史の立場から激しく反駁しています。
 ところが七〇年以後の後期には、ギリシア化は進み、福音による救済は現在の霊的体験とその現実に焦点を合わせるようになります。これはすでにパウロが、キリストにおける救済を「聖霊による現在のいのちの現実」として語っていたことの延長上にありますが、ユダヤ教黙示思想からの脱却の傾向は一段と進み、コロサイ書やエフェソ書のように復活をすでに体験したこととして過去形で語るようになります。ヨハネ福音書もその線上にあって、永遠の命を現在すでにもっているものと強調しています。
 このように復活を霊的に理解する傾向を推し進めたところに、二世紀にはグノーシス派の霊的復活理解が現れてきます。それは、イエスはわれわれ人間と同じ身体をもって復活され、信じる者はやがて終わりの日に同じようにこの身体をもって復活すると信じる復活信仰を未熟な復活信仰として軽蔑し、霊的知識《グノーシス》を与えられた者は、すでに復活を体験しているのであり、イエスの復活はその象徴であるとしました。二世紀に入って、このような霊的復活理解を説くグノーシス主義文書が輩出するようになりますが、ルカがどの程度グノーシス派の霊的復活論を知っていたか確認するのは困難です。しかし、何らかの形と程度でこのようなグノーシス派の復活理解に接し、それを十二使徒以来の伝統的な復活証言を脅かす危険な教説と感じたルカが、ここに見るような復活者イエスの身体性を強調する顕現物語を構成したと考えられます。
 ルカのこの主張が、二世紀の正統派とグノーシス派の論争で重要な争点となり、正統派はイエスの身体をもった復活を否定する者を異端と断罪し、使徒信条には「(キリストが来られるときの)身体の復活を信じる」という項目が入れられるようになります。この論争は終章で扱う主題となりますが、ここではルカの顕現物語がこの論争の出発点に位置しているという事実と、ルカのこの主張が正統派の重要な論拠となった事実を指摘しておきます。

パウロは死者の復活を否定する者たちを厳しく論駁していますが、現在の身体と同じ身体をもって復活するとは言っていません。むしろ、現在の生まれながらの命が生きている体とは別の「霊の体」に復活するのだと言っています。ルカの復活理解がパウロを正しく継承しているかどうかが問題になりますが、二世紀の「正統派」はルカの復活理解をもってグノーシス派を批判し論争したことになります。このことの当否は終章で議論されることになります。パウロの復活理解については、拙著『パウロによるキリストの福音U』の「第六章 死者の復活」、とくにその第五節「復活の体」を参照してください。

顕現物語としての「ペトロの召命」記事

 以上、空の墓の記事の後にルカが付加した顕現物語の特徴とその意義を見ましたが、ルカ福音書にはもう一つ特異な形の顕現物語があります。それは五章(一〜一一節)に置かれている「ペトロの召命」の記事です。ルカはマルコ福音書(一・一六〜二〇)でペトロの召命記事を読んでいるはずです。そして、この召命記事はガリラヤ湖畔で復活されたイエスがペトロに現れて福音を告知する活動に身を献げるように召された出来事を用いていることも知っていたと推察されます。ルカも同じことをしますが、別の顕現伝承を用います。それはヨハネ福音書(二一・一〜一四)に用いられているガリラヤでの顕現伝承です。ルカとヨハネには共通の伝承が知られていたことが注目されていますが、これは両者が同じエフェソを中心に活動した事実から自然なこととして理解できます。
 ヨハネ福音書二一章の奇跡的大漁の記事は、十字架の後ガリラヤに帰り漁師の仕事に戻っていたペトロたちに復活されたイエスが現れた出来事であることは、記事の内容からも明らかです(とくに一節と一四節)。夜明けに岸に立つ人物が誰か分からなかったが、奇跡的大漁によって不思議な指示を与えた方がイエスだと分かり、裸同然のペトロは湖に飛び込みます。これは典型的な顕現物語の形です。ルカはこの顕現伝承を、イエスがガリラヤで「神の国」告知の活動をお始めになるときにペトロを召された出来事として用います。違った状況で用いるのですから、また伝承経路の違いから、細かい点で記事の内容が違ってくるのは当然です。しかし、一晩漁をして何も獲れなかったのに、イエスの指示で網を降ろした結果網に入りきれないほどの魚が捕れたことと、湖に飛び込んだとかイエスの足もとにひれ伏したというペトロの激しい感情表現があった基本的な事実は同じです。二つの記事は、同じ伝承を用いて形成されています。
 この二つの記事の関係は、ヨハネが地上の出来事を伝える伝承を顕現物語に仕立てたのではなく、ルカが顕現伝承をペトロの召命物語に用いたと見るべきです。前者であれば、ヨハネが偽りの復活証言をしていることになります。後者は、イエス伝承を用いて地上のイエスの出来事を語る中で復活者キリストを告知するという福音書の性格から理解できることです。
 ルカ福音書五章の記事で注目されるのは、ペトロが「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と、罪を悔いる告白をしていることです(五・八)。ルカはその理由として、ペトロや仲間の漁師が奇跡に驚いたからであるとしていますが(五・九)、奇跡が罪の悔い改めをもたらすことは稀で、やや不自然の感を免れません。しかし、これを復活されたイエスがペトロに現れた記事として読むと、直前にペトロはイエスを三度まで否定しているのですから(二二・五四〜六二)、その罪責感から湖に飛び込むとか足もとにひれ伏すという激しい行動も理解できます。
 この悔い崩れたペトロに、ヨハネ福音書(二一・一五〜一九)では復活されたイエスがご自身に属する羊を飼う(=民を導く)ように委ねられた記事が続きます。ルカ福音書(五・一〇)では、「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる」と言って、ペトロを神の民を呼び集める仕事に召されます。この召命の言葉は、マルコ福音書(一・一七)と同じです。またこの記事が、マルコの場合と同じく、復活されたイエスがペトロや仲間の漁師を復活者キリストを告知する働きに召された出来事であることは、ペトロとその仲間が「すべてを捨てて」、すなわち舟や網、家や家業を捨ててエルサレムに移住したことを示唆していることからも分かります。それは本書の序章「復活者イエスの顕現」で述べた通りです。

W ルカ福音書における終末待望

ルカ福音書における「人の子」

 前節「ルカ二部作成立の状況と経緯」で述べたように、ルカの著述の主要な目的の一つは、来臨遅延の問題に対処するためです。最初期前期の共同体は差し迫ったキリストの来臨《パルーシア》を熱烈に待ち望んでいました。ところが、来臨と密接に結びつけられて語られていたエルサレムの陥落が起こった後も、《パルーシア》は起こりませんでした。そのため、七〇年以後の後期の共同体指導者は、来臨を間近に期待できない状況でキリスト信仰を意義づけ確立するために、様々な路線を模索することになります。ルカ二部作も、そのような変化した状況に対処するための一つの試みです。この問題に対するルカの理解と姿勢は二部作全体でみなければなりませんが、ルカ福音書を扱う本節では、福音書における現れ方を見ることになります。

最初期の前期と後期における来臨待望の変遷については、拙著『パウロ以後のキリストの福音』148頁以下の第三章第一節「来臨待望の変遷」を参照してください。

 福音書、とくに共観福音書における終末待望は「人の子」の到来という形で語られています。それは、最初期の共同体、とくにパレスチナ・ユダヤ人の共同体において、差し迫った終末的完成の待望が「人の子」の到来という形で告知されていたことの結果です。たしかにその時代のパレスチナ・ユダヤ人には黙示思想的傾向が強くあったのも事実ですが、彼らが「人の子」待望を発明したのではなく、イエスご自身が「神の国」を告知されるときに、「人の子」という称号を用いられたからです。そのため、イエスの教えの言葉を語り伝える伝承である「語録資料Q」において、「人の子」は中心的な位置を占めるようになります。この語録集は「イエスはすでに地上に現れ、かつ、審判者として再び到来するはずの人の子であるという主導観念によってまとめられている」と言われます(F・ハーン)。

パレスチナ・ユダヤ人のキリスト告知において「人の子」が重要な位置を占めていることについては、拙著『福音の史的展開T』278頁以下の「X パレスチナ・ユダヤ人のキリスト信仰」の項、とくにその中の 279頁の「イエスの語録伝承とQ共同体」、288頁「人の子伝承」の項を参照してください。そしてさらに、400頁の「人の子イエス」の項目も参考になると思います。

 最初に成立したマルコ福音書は、ペトロ系の伝承に基づいて書かれたのですから、ペトロが代表するエルサレム共同体の「人の子」待望を掲げるのは当然であり、「人の子」到来を核心とする「マルコの小黙示録」(マルコ一三章)が含まれることになります。また、マタイ福音書はもともと「語録資料Q」を担ったパレスチナ・ユダヤ人の信仰運動の流れに属する福音書として、「人の子」としてのイエスを告知するのは当然です。それに対して、ルカ福音書の場合は違います。ルカ福音書がイエスを「人の子」として告知するのは、特別な意味を持つことになります。
 ルカはパウロの福音活動の領域で働いた人です。地理的にはパウロの主要活動圏であるエーゲ海地域で活動し、晩年はエフェソを拠点としたと推察されます(ルカの墓はエフェソにあります)。ルカは、地理的にヘレニズム文化圏で異邦人を対象として活動したというだけでなく、信仰の質がユダヤ教内キリスト信仰ではなく、ユダヤ教の外に向かうパウロの福音活動に協力し、パウロ以後もユダヤ教の外でキリストの福音を確立するために労したパウロ主義者の一人です。
 そのパウロは、イエスを「人の子」として語ることはありませんでした。「人の子」という称号は、ユダヤ教黙示思想の用語であって、この時期のユダヤ教徒の一部の人たちしか理解できないものでした。異邦人に福音を告知したパウロは、この特殊な称号を用いることはありませんでした。総じて、パウロは福音を告知するとき、イエス伝承を用いることなく、もっぱら十字架され復活されたイエスを《キュリオス》(主)また《クリストス》として告知し、その主イエス・キリストにあって聖霊の働きによって罪と死の支配から解放されて、神の命を生きるようになるという現実を語りました。そのさい、キリストにあって生きる生き方について教えるとき、イエス伝承を用いて、イエスの言葉の権威に基づいて教えることはありませんでした。従って、「人の子」について語ることもありませんでした。
 このようなパウロ系の共同体にイエス伝承をもたらしたのがルカ福音書です。前節「ルカ二部作成立の状況と経緯」で見たように、ルカは地中海世界を広く旅行し、エーゲ海地域だけでなく、パレスチナ・シリアのエルサレム、アンティオキア、カイサリアなどに滞在してその地に伝承されているイエス伝承と、ペトロを初めとする使徒たちと最初期共同体に関する伝承を広く収集していました。その伝承を用いてイエスの言行録というべき福音書を編纂します。そのさい、すでに成立していたマルコ福音書を基本的な枠組みとして用い、それに手元にもっていた「語録資料Q」とルカだけが入手していた独自の資料を組み入れて、イエスの働きと言葉を伝える福音書を書きあらわします。その経緯については前節で述べた通りです。ここで取り上げるのは、その中でルカが「人の子」というパウロ系共同体には馴染みのない用語をあえて用いている事実とその意義です。
 イエス伝承を用いて福音書を書こうとするかぎり、「人の子」という称号を用いないで済ますことはできません。「人の子」はイエスご自身の発言に根ざし、イエスの語録伝承に深く組み込まれているからです。ルカは使徒たちが伝えたイエス伝承を収集し、(ルカ独自の構成によってですが)その伝承を忠実に記録して、パウロ系の共同体に伝えます。その姿勢はルカ自身が序言(一・一〜四)で述べているとおりです。その中で、「人の子」に関わる伝承も、そのまま伝えます。「マルコの小黙示録」も、一部にルカの編集の跡が見られますが、全体としてはそのまま伝えています。ルカにおいても、「人の子」は天体と地上に大いなる徴が現れる終わりの日に「大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来る」と宣言されています(二一・二五〜二八)。
 このように、一方では使徒たちが伝えるパレスチナ・ユダヤ人の「人の子」待望を忠実に伝えながら、一方でルカは変化した状況に対処しなければなりません。すなわち、七〇年以後の「キリストの来臨《パルーシア》」を間近に期待できなくなった状況において、このような「人の子」待望を解釈し、キリスト信仰の中に位置づけなければなりません。そのための工夫は至るところに見受けられますが、ここでは代表的な箇所を一つだけ取り上げます。
 ルカ福音書一七章(二〇〜三七節)に、「神の国はいつ来るのか」という問いをめぐるイエスとファリサイ派の人たちとの間の問答の記事があります。この記事には「人の子」に関するマルコと「語録資料Q」との共通の伝承も多く用いられていますが、その基本的な主張を示す「神の国は見える形では来ない」と「神の国はあなたがたのただ中にある」という二つの言葉は、マルコとマタイに並行箇所がなく、ルカだけにある言葉です。ルカだけにあるという事実は、それが実際のイエスの言葉ではなくルカの構成による言葉であることを証明するものではありませんが、そう推察することを可能にします。そして、この記事の全体の主張からすると、そう推察するのが適切であると考えられます。
 この二つのルカだけの言葉は何を意味しているのでしょうか。とくに、「神の国はあなたがたのただ中にある」という言葉はどういう現実を指しているのかについては、様々な解釈があり、議論が続いています。これをイエスが発せられた言葉とすると、ファリサイ派の人たちの間にいるイエスご自身に神の国の現実が来ていると理解しなければならないとして、最近は「神の国はあなたがたの間にある」と訳する傾向があります。しかし、原文は単純に「あなたがたの内に」来ているという意味であり、神の国を自分たちの外に追い求めて、「見よ、あそこだ」とか「見よ、ここだ」という姿勢を戒めています。これは、ルカが(マタイに並行箇所があり「語録資料Q」から取られた)「稲妻の言葉」をここに置いて、「神の国」が地上の歴史的な出来事であることを否定するために用いていることからも確認できます。
 「実に、神の国はあなたがたのただ中にある」という言葉は、ルカが彼の時代の共同体に向かって、復活者イエスの宣言として伝えている言葉と理解すべきです。この宣言によって、ルカは神の支配が現に今イエスを信じる者たちの共同体において始まっていることを告知し、キリスト者の共同体が現在歴史の中で神の支配の担い手であることを自覚するように促しています。そうすると、この段落(一七・二〇〜三七)は、「人の子」の到来を語る黙示文書の様式をとりながら、実は神の支配の実現をただ未来に待望するユダヤ教黙示思想に対するアンティテーゼとなります。この宣言は、パウロにおいてすでに始まっている「実現された終末論」のルカ的表現と言うこともできます。

この段落の解釈とこの段落に表現されているルカの終末待望の特殊性については、拙著『ルカ福音書講解U』におけるこの段落の講解と、
338頁以下の「補説 ルカにおける終末待望」の項を参照してください。

「エクレシアの時」、「異邦人の時」

 最初期の福音告知においては、イエス・キリストの十字架・復活の出来事は終わりの日に実現すると約束されていた神の贖いの業であり、それは復活者キリストがすぐにも栄光の中に来臨して世界を裁かれることによって完成すると告知されていました。したがって、キリストの十字架、復活、来臨は一つの全体を形成し、終末的救済の出来事として告知されていました。ところが、そう告知した使徒たちが世を去り、エルサレム神殿が崩壊した後も、キリストの来臨は起こりませんでした。キリストを信じる者たちの共同体は、十字架・復活によって贖いの業を成し遂げ、やがて栄光の中に来臨されるキリストを証言しつつ、歴史の中を歩んで行く覚悟をしなければなりませんでした。そういう状況を自覚し、その覚悟をもっとも明確な形で告知したのがルカです。
 ルカはそれを二部作という形で表現しています。すなわち、キリストであるイエスによって成し遂げられた終末的な救済である十字架・復活の出来事を告知する福音書だけでなく、その後に、その終末的救済を体現し、証言して、世界に告知する《エクレーシア》(キリスト信仰共同体)の働きを描く使徒言行録を置くことによって、十字架・復活という決定的な時と来臨という完成の時の間に、「《エクレーシア》の時」が定められていることを指し示します。
 ユダヤ教黙示思想は(そして古いユダヤ教の救済史定式も)基本的に「二つの世《アイオーン》」の考え方に立っています。すなわち、神と神の民に敵対する悪しき者が支配する「今の(この)世」と、神が悪しき者を滅ぼして直接支配される「来たるべき世」の二つの「世」《アイオーン》の枠組みで神の救済史が語られていました。洗礼者ヨハネの告知もこの枠組みの中で、「来たるべき世」をもたらす審判の時が迫っているという告知でした。洗礼者ヨハネの運動から出発されたイエスの告知にも、このような「来たるべき世」の到来が差し迫っているという面があることは確かです。イエスご自身もそれを「人の子の到来(顕現)」という、その時代のユダヤ教黙示思想の用語で語っておられます。
 しかし、イエスの「神の支配」告知には別の面があります。それは、イエスにおいて終末的な(=終わりの日に実現すると約束されていた)神の恩恵の支配が到来しているという告知です。ルカ福音書のイエスは、「わたしはサタンが稲妻のように天から落ちるのを見ていた」(一〇・一八)と言われ、「わたしが神の指で悪霊を追い出しているのであれば、神の支配はあなたたちのところに来ているのだ」(一一・二〇)と宣言され、それを「より強い人」の比喩(一一・二一〜二二)で語っておられます。イエスにおいて「神の支配」がすでに現実に来ているのです。
 ということは、最終的な「人の子の到来」の前に、イエスによって実現する「神の支配」の時代があることを意味しています。それは、ユダヤ教とユダヤ教黙示思想が想定する「二つの世」の間に、メシア・キリストであるイエスによって地上に実現する恩恵の支配の時代があることを意味します。イエスはこの時代のことを詳しくは語られませんでした。イエスは来たるべきメシアの受難と栄光を予告されましたが、そのメシア・キリストであるイエスによって形成される時代とその担い手である民《エクレーシア》について詳しく語られることはありませんでした。しかし、その民が救済史の新しい時代の担い手として歩むようになるために ご自身と同じように、神から賜る聖霊を送ることを約束しておられます(一一・一三、二四・四九)。
 ルカは、この約束が実現して、キリストの民《エクレーシア》が聖霊によってイエス・キリストにおける神の救済を告知する働きを進めてきた歴史を見ています。救済史の新しい時代の現実を体験しています。ルカはこの民に向かって、「神の支配はあなたたちの中に来ているのだ」という復活者キリストの宣言を語りかけます。そして、この現実を「使徒言行録」に書き留めます。しかし、ルカの新しい救済史理解には、キリストの十字架・復活による救済実現の時と来臨による完成の時との間には「エクレシアの時」があるということだけでなく、その他にもう一つ重要な局面があります。それは、救済史の担い手がイスラエルから異邦人に移るという主張です。ルカにとって「エクレシアの時」は「異邦人の時」なのです。
 預言者たちの終末思想にも、古いユダヤ教の救済史の枠組みにも、そして新しい黙示思想の中にも、異邦人が救済史の担い手となるという思想はありません。たしかに最終的には異邦人、すなわち世界の諸国民もイスラエルの神ヤハウェに帰して救いに入れられるという思想はあります。しかし、救済史の担い手はあくまで契約の民イスラエルであって、異邦諸国民はイスラエルに加わることによって契約にあずかり、神の民となり、救いに入ることができるのです。
 このようなユダヤ教の枠の中での救済史理解に風穴を開けたのはパウロでした。パウロは「律法の外での義」、「ユダヤ教の外でのキリスト信仰」の主張によって、異邦人が異邦人のままでキリストの民となる道を切り開きました。ルカは、パウロの福音活動の同労者として、このパウロの福音を継承しているだけでなく、パウロの福音告知がユダヤ人によって退けられ、その結果異邦人に向かい、異邦人が主体となる共同体がキリストの民の主流となる歴史を見てきました。ルカは、その事実が神の計画によるものと理解し、「異邦人の時」、すなわち異邦人が救済史の担い手となる時が始まっているとします。そして、その歴史的現実を使徒言行録によって世に告知します。
 その歴史的現実は使徒言行録に記録されることになりますが、その理念は福音書の中でイエスご自身の言葉によって予告され宣言されることになります。その最初の宣言は、イエスのガリラヤでの活動の最初に置かれているナザレの会堂の記事(四・一六〜三〇)にあります。先に見たように、ルカ福音書におけるイエスは、「神の国」告知の始めに故郷のナザレの会堂で、自分が恵みの年を告知するために神から遣わされた者であることを宣言されますが、その後その福音が不信仰の同郷人イスラエルにではなく異邦人に向かうと語り出されます。この宣言に激高したユダヤ人はイエスを石打にして殺そうとします。このような記事をイエスの福音活動の最初に置くことで、ルカは福音がユダヤ人から拒否される結果異邦人に向かい、異邦人が救済史の担い手となることを、イエスご自身が預言しておられるとします。
 イエスはその活動の最後にエルサレム神殿で神殿の崩壊と終わりの日のことについて語り出されます(二一章)。その中でエルサレムの陥落を予告された預言(二一・二〇〜二四)の最後に、「異邦人の時代が満ちるまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされる」(私訳)と語っておられます。イエスの預言においては、エルサレムの陥落は「異邦人の時代」の開幕を告げる象徴的な事件となっています。この「異邦人の時代」が何を意味するのかについては議論がありますが、ルカの思想の全体からすると、福音が世界の諸国民に宣べ伝えられる時期(マルコ一三・一〇)というだけでなく、異邦人が救済史の担い手となる時代という意味で用いていると理解すべきでしょう。なお、ここにあげたナザレの会堂の記事も最後のエルサレム陥落の預言もルカだけにある特有の記事であり、マルコにも「語録資料Q」にも並行はありません。ということは、この「異邦人の時代」はルカ独自の救済史理解を示しているといえるでしょう、

現ローマ教皇ベネディクト一六世のJ・ラッツィンガーは、その著 "Jesus of Nazareth, part 2" のイエスの終末講話を扱うところで、ルカの「異邦人の時代」をマルコ一三・一〇、マタイ二四・一四の意味で理解し、教会が委託された使命を果たし、異邦諸国民を福音によって教会に呼び集める時代、すなわち「教会の時代」と理解しています。そして、それは「異邦人の数が満ちるまで」というパウロの救済史理解(ローマ一一・二五〜二六)の延長上にあるとしています。それは正しい理解だと思います。しかし、ルカの「異邦人の時代」には、それだけでなく、救済史の担い手がイスラエルから異邦人に移る時代という意味があることについては触れられていません。ルカの「異邦人の時代」ではこの面が重要であると思います。ただし、「異邦人の時が満ちるまで」という期限があることを忘れてはなりません。イエスを退けたユダヤ人はある期間救済史の担い手から外されますが、パウロが言うように「神の賜物と選びは取り消されない」のです(ローマ一一・二九)。神の選びがイスラエル(ユダヤ人)からキリストの民(教会)に変わってしまったとする Replacemennt Theology (置換神学)は、ローマ九〜一一章のパウロの救済史理解に反します。この神学は教会によるユダヤ人迫害の背景となります。

終末待望についてのルカの勧告

 このように、ルカ福音書の終末待望には二つの面があります。一面では、ルカはパレスチナ・ユダヤ人の「人の子」待望の伝承を忠実に継承して福音書に保存しています。しかし一方では、パウロから始まり、コロサイ書やエフェソ書に見られる「実現された終末論」の理解に立ち、神の支配はすでに聖霊により信じる者たちの共同体の中に来ているという現実を宣言しようとします。そのため、ルカが福音書において終末について共同体に語りかける勧告は複雑な様相を示すことになります。
 ルカはその福音書の構成においてマルコに従っており、ガリラヤでの働きを語る第一部とエルサレムでの受難を描く第三部ではほぼマルコに従っているので、終末待望についても、「人の子」の到来がいつあるか分からないのだから、常に目覚めているようにというマルコと同じ勧告になっています(二一・二〇〜三六)。ところがその中間のエルサレムへの旅について語る第二部では、マルコから離れ、独自の資料を用いて自由にルカ自身の福音理解をもって内容を構成しているので、その構成と内容は複雑になっています。
 ルカが第二部の「旅行記」をどのような原理で構成したかについては様々な説があり理解困難です。詳細は「旅行記」を取り扱った拙著『ルカ福音書講解U』を見ていただかなくてはなりませんが、ここでは終末待望についての傾向の概略について述べておきます。
 わたしは「ルカの旅行記」の講解において、一見無原則に集められている段落にも、一定の主題でまとめられた「区分」(セクション)があると見て、その区分ごとに章を立てて講解しました。終末待望に関係する区分としては、「第一〇章 終わりの日の裁きを前にして」(一二・一〜一三・九)と、「第一一章 来たるべき世の突入」(一三・一〇〜一四・三五)という二つの章にまとめています。
 前者(第一〇章)は、差し迫っている「人の子」の到来に備えるようにという勧告が主題になっています。その日に備えて、今の世でイエスを言い表すことの重要性を説く部分(一二・一〜一二)や、地上の富に心を奪われないようにという勧告(一二・一三〜三四)があり、「婚宴から夜中に帰宅する主人」のたとえ(一二・三五〜四〇)と「忠実な僕と悪い僕」のたとえ(一二・四一〜四八)を組み合わせたたとえ、あるいは「実のならないいちじく」のたとえ(一三・六〜九)など、突然到来するその日に備えることを説くたとえが置かれています。「時を見分ける」ことの重要性が説かれ(一二・五四〜五六)、悔い改め(一三・一〜五)、和解(一二・五七〜五九)、分裂の覚悟(一二・四九〜五三)の必要が説かれます。
 後者(第一一章)では、終わりの日の現実がすでに地上の共同体の中に突入してきているのだから、その現実にふさわしく歩むようにという勧告がなされています。その区分は、イエスが安息日に神の力を現して病人をいやされた二つの記事(一三・一〇〜一七と一四・一〜六)で導入されています。イエスの力ある業は、神の支配が到来していることのしるしです(一一・二〇)。
 前半では、イエスが安息日に一八年も腰の曲がったままの女性をいやされた記事(一三・一〇〜一七)の後に、「からし種」と「パン種」のたとえが置かれています(一三・一八〜一九)。この二つのたとえは一対のたとえであり、神の国の到来の仕方について、同じ真理を指し示しています。すなわち、神の国は今は隠された姿で到来しているが、それはやがて圧倒的な現実として現れてこざるをえないものであることを語っています。次ぎに「狭い戸口」の語録(一三・二二〜二四)が置かれ、到来している神の国に入るための主体的な取り組みが求められます。その問答は、戸が閉められて閉め出される者たちを描くたとえに引き継がれます(一三・二五〜三〇)。このたとえは、イエスを生み出し、イエスの働きかけを受けたイスラエルが退けられ、異邦の諸民族が神の国に入ってくるというルカの主題を語るたとえになっています。イスラエルが退けられることはエルサレムの崩壊によって示されることになりますが、すでにご自身のエルサレムでの死とその結果としてのエルサレムの崩壊の必然性を見ておられるイエスの、エルサレムに対する嘆きの言葉となります(一三・三一〜三五)。
後半では、安息日に招かれたファリサイ派議員の宴席で水腫の人をいやされた記事(一四・一〜六)で始まり、宴会に因んだ二つのたとえで神の国のことが語られます。最初のたとえ(一四・七〜一四)で招かれた者は末席に座るようにという勧めは、社交上のエチケットを教えているのではなく、神の恩恵の招きには自分を無価値無資格として受ける心構えを説いています。また招く者もお返しができない貧しい人たちを招くように勧められていますが、これも無代価で救いを与えてくださる神の恩恵の招きを指し示すたとえであり、両方とも恩恵の招きを指し示すたとえです。第二の「大宴会」のたとえ(一四・一五〜二四)は、もともと神の支配にあずかるように招かれていたイスラエルの民が、律法を口実にしてイエスの招きを拒否したので、神の招きは律法の外にいるイスラエルの貧しい人たちと異邦人に向けられるようになることを語っています。まさにこれはルカの主張そのものです。

一六章一六〜一七節の解釈

 このようにルカの終末論は複雑な様相を示していますが、基本的にはルカは使徒たちパレスチナ・ユダヤ人の聖書的救済史の枠組みを継承しています。そのことによって、パウロ以後ますますギリシア化の傾向を強めるエーゲ海地域のパウロ系共同体において、コロサイ書やエフェソ書に見られるようになる、ギリシア的コスモロジーの枠組みでキリストの福音を理解する傾向に対して、一種のバランス・ウエイト(均衡を取るための重し)の役割を果たしています。ルカの聖書的救済史の理解を示す典型的な箇所(一六・一六〜一七)がありますので、ここでそれを取り上げておきます。この箇所は困難な問題があり、解釈者を悩ます難しい箇所です。一つは、一六章一六節とマタイの並行箇所との関係です。

 「律法と預言者は、ヨハネの時までである。それ以来、神の国の福音が告げ知らされ、だれもが力ずくでそこに入ろうとしている」。(一六・一六)

 洗礼者ヨハネとイエスの救済史上の関係について、マタイの並行箇所にはこうあります。

 「彼(ヨハネ)が活動し始めたときから今に至るまで、天の国は力ずくで襲われており、激しく襲う者がそれを奪い取ろうとしている。すべての預言者と律法が預言したのは、ヨハネの時までである」。(マタイ一一・一二〜一三)

 マタイとルカは共通の語録資料から採っていると見られますが、そこで用いられている《ビアゾー》という動詞を違う意味で用いています。この動詞は「暴力をふるう」という意味の動詞ですが、マタイはこれを受動態で用い、「天の国は力ずくで襲われている」という形で用いています。そして、「暴力をふるう者」がそれ(天の国)を奪取していると書いています。研究者は、これが元の「語録資料Q」の原形であろうと見ています。マタイにおいては、この語録はヨハネの時から「今に至るまで」、すなわちイエスを経てマタイの時に至るまで、天の国の告知が激しい敵対勢力の攻撃に曝されてきたことを指していると考えられます。しかし、これはルカの時代の異邦人読者にはもはや関係のない遠い世界のことであり、理解しがたいことになっています。ルカは、この理解しがたい語録を、現在に至る福音活動の記述に書き換えています。「力ずくで襲われている」は「福音されている」に変えられ、「激しく襲う者がそれを奪い取ろうとしている」は、「力ずくでそこに入ろうとしている」と解釈されています。その後の聖書解釈の歴史においては、マタイの語録もルカの意味で解釈されるようになります(一六・一六の解釈については、拙著『ルカ福音書講解U』273頁の当該箇所の講解を参照してください)。
 ルカの形は、ヨハネの時までで律法と預言者の時代は終わり(=律法は廃棄され)、その後イエスの時から別の新しい啓示の時代が始まったことを明瞭に宣言していると理解できます。これは、イエスの時から律法と預言者(=旧約聖書)とはまったく別の啓示の時代が始まったとするマルキオンには好都合な語録です。マルキオンは彼の福音書にこの語録を入れ、その後にイエスによって始まる啓示の時代こそ永遠なるものであることを示すために、「わたしの言葉が過ぎ去るより、天と地が過ぎ去る方が易い」というイエスの語録を置いています。この語録は「天と地は過ぎ去るであろう。しかし、わたしの言葉は決して過ぎ去ることはない」という形で、すべての共観福音書のイエスの終末預言の最後に用いられています(ルカでは二一・三三)。マルキオンはこの語録をイエスの啓示が永遠であることを示すためにここに用いています。
 ルカはマルキオンに対抗するためでしょうか、この語録の「わたしの言葉」を「律法の文字の一画」に変えて、律法(=旧約聖書)が永遠であることを宣言する文にしています。

 「しかし、律法の文字の一画がなくなるよりは、天地の消えうせる方が易しい」。(一六・一七)

 この言葉が初めから初版のルカ福音書にあり、それをマルキオンが「わたしの言葉」に変えて用いたのか、それとも初版のルカ福音書にはなく、マルキオンが他の箇所の「わたしの言葉」の語録をここに用いたので、マルキオンに対抗するためにルカが増補改訂版で「わたしの言葉」を「律法の文字の一画」に変えて律法の永遠性を強調するために入れたのか、どちらであるかは決定できません。後者の可能性も十分あると考えられます。
 その経緯がどうであれ、現行のルカ福音書におけるこの語録は、ユダヤ教内キリスト信仰の立場で書かれたマタイ福音書が律法の永遠性を宣言している言葉(マタイ五・一八)とほとんど変わりません。異邦人のために書いているルカがこのような宣言をしている意図については議論が絶えません。わたしも前著『ルカ福音書講解U』
(279頁以下)のこの節の講解においてその意図とか理由を解説しましたが、やはりマルキオンに対抗するためという意図がもっとも強かったと推察せざるをえません。

「金持ちとラザロ」のたとえ

 新約聖書の福音はユダヤ教の救済史の枠組みの中で語られており、イエスの「神の支配」告知もその枠組みの中で行われています。救済史は地上での神の民の中に行われる神の救済の働きが主題であって、個人の死後の運命について語ることはあまりありません。イエスの「神の支配」のたとえでも、救済史的な視点から「神の支配」の到来と現実を語るたとえが大部分ですが、その中で珍しく個人の死後の運命を正面から取り上げたたとえが一つあります。それは「金持ちとラザロ」のたとえ(一六・一九〜三一)です。このたとえでは、一人の金持ちと貧乏人ラザロの死後の運命の逆転が正面から取り上げられています。
 聖書的救済史においては、最後の審判において神に義とされて神の国の栄光にあずかるようになることが救いであり、断罪されて永遠に神との断絶を宣告されることが地獄です。イエスの告知も神の国に入ること、あるいは永遠の命を受け継ぐことが主題でしたが、同時に地獄に落ちることも真剣に問題にしておられます(一二・五、マルコ九・四二〜五〇)。ところが、このような救済史の枠組みの中にあるユダヤ教も、ギリシア思想に遭遇したヘレニズム期には、個人の救済と死後の運命について思いを深めることとなり、死後のことが多く語られるようになります。
 もともとのヘブライ思想では、すべての人が死んで行く世界は《シェオール》と呼ばれ、善悪とか喜び苦しみの区別のない影のような世界でした。ところが、これは人類の宗教性の一般的な傾向ですが、死後の世界もこの世で善をなした魂が行く祝福された場所と、悪をなした者が行く苦悩の場所が区別されるようになります。この区別の仕方と二つの場所の呼び方は様々ですが、ヘレニズム期のユダヤ教では神に認められた祝福された魂が行く場所は「アブラハムの懐」とか《パラデイソス》(ギリシア語で楽園)と呼ばれ、悪しき魂が行く場所は《ハデス》(ギリシア語で黄泉)と呼ばれるようになっていました。

ヘレニズム期のユダヤ教の変容については、拙著『パウロによるキリストの福音V』410頁以下の「ヘレニズム・ユダヤ教」の項を参照してください。また、《パラデイソス》と《ハデス》については、拙著『ルカ福音書講解U』285頁以下の「黄泉と地獄」および「パラダイスと神の国」の二つの項を参照してください。このたとえでは《パラデイソス》という用語は出て来ませんが、「アブラハムの懐」という表現で《パラデイソス》が意味されています。ルカは十字架上のイエスがこの《パラデイソス》という語を用いられたとしています(二三・四三)。

 イエスは、当時のユダヤ人たちの死後の世界についての通念を用いて、一つのたとえを語られます。このルカだけにある「金持ちとラザロ」のたとえの神学的な意味合いについては議論が絶えません。とくに、金持ちがただこの世でよいものを受けたから黄泉に落ち、ラザロがただ貧しかったから楽園に迎えられたという主張について、福音との整合性が問われます。そのような問題は次項(X)に委ね、ここではこのたとえが示しているルカの終末観について触れるだけにしておきます。
 《パラデイソス》(楽園)と「神の国」とは違います。また、《ハデス》(黄泉)と「地獄」は違います。「神の国」と「地獄」は終末に実現する神と人との関わりの最終的な姿です。それに対して「楽園」と「黄泉」は、死後の人間存在が終末に至るまでの間に置かれる場であり、中間的な存在の姿となります。イエスは「神の国《バシレイア》」を告知されたのであり、ルカ福音書もあくまでイエスによる「神の国」告知の内容を伝える福音書です。しかし、ルカは当時の人々、とくにギリシア的な死後観に生きている人たちに対して、イエスがこのような死後の世界を指す用語を使って「神の国」を指し示そうとされたことを伝えてくれています。そのクライマックスが、十字架上でイエスが一緒に十字架につけられているユダヤ人と交わされた対話です。二人の中の一人が、「イエスよ、あなたがあなたの御国《バシレイア》にお入りになるとき、わたしを思い出してください」と叫んだとき、イエスは「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園《パラデイソス》にいる」と言われます(二三・四二〜四三)。ここでは《バシレイア》(御国)と《パラデイソス》(楽園)が一つに重なって語られています。

X ルカ福音書おける「恩恵の支配」

ルカにおける「神の国」

 イエスの「神の支配《バシレイア》」の告知は神の終末的な「恩恵の支配」の告知である、とわたしは理解しています。ここで、ルカ福音書においてはこの「恩恵の支配」がどのような形で告知されているかを見ていきたいと思います。
 ルカはイエスの働きを「神の《バシレイア》」を告げ知らせるという表現で描いています。

 イエスは言われた。「ほかの町にも神の国の福音を告げ知らせなければならない。わたしはそのために遣わされたのだ」。(四・四三)

 「神の国の福音を告げ知らせなければならない」と訳されているところは、直訳すると「神の《バシレイア》を福音しなければならない」となります。先に(項目Tで)見たように、ルカは「福音」という名詞を使いません(従ってマタイのような「御国の福音」という表現はありません)。ルカはもっぱら「よい知らせを告げる」という意味の動詞「福音する」《エウアンゲリゾー》を用いて、イエスの働きを描いています。「神の《バシレイア》(国、王としての支配)」をイエスの告知の中心に据えることは、マルコおよびマタイと同じであり、共観福音書の共通の主題設定です。これは、ヨハネ福音書が「神の国、神の支配」という表現をほとんど用いないのと対照的です。ヨハネ福音書は、ヘレニズム世界の人々に福音を告げ知らせるのに、ユダヤ教的な枠の中の用語である「神の国」を用いないで、ギリシア人にも切実な「永遠の命」を主題としているのに対して、共観福音書は、それがイエスの実際の姿であるからですが、パレスチナ・ユダヤ人のイエス伝承をより忠実に伝えていると言えるでしょう。ルカも異邦人に向かって福音書を書いていますが、マルコと共に使徒たち(ペトロを初めイエスの弟子であった人たち)のイエス伝承を尊重してイエスの働きを伝えています。
 ルカはパウロの異邦人伝道の継承者の一人です。そのパウロは異邦人への福音告知において「神の国」をどの程度用いていたかは議論のあるところですが、少なくとも書簡から推察すると、「キリストを宣べ伝える」が圧倒的に多いのに較べると、「神の国を告げ知らせる」は比較的少なかったと言えるでしょう。それは、パウロが自分に啓示された復活者キリストを告知したり教えたりするさい、イエス伝承を用いることが少なかったことからも推察されます。そのようなパウロの継承者であっても、ルカがイエス伝承を用いて福音書を書こうとする限り、「神の国」が主題となるのは当然です。しかし、パウロを含む使徒たちの働きを伝える使徒言行録では、告知の主題は「神の国」よりも「キリスト」が多くなっています。並行して用いられて移行を示す場合もあります(たとえば使徒八・一二)。
 ルカが主要な資料として用いているマルコ福音書と、マタイとの共通の資料である「語録資料Q」に依存しているところでは、それらの資料と同じく「神の支配」が差し迫っているというパレスチナ・ユダヤ人のイエス伝承が支配的になるのは当然です。それは前項(W)で見たとおりです。しかし、ルカだけにある特殊記事や共通資料を編集している仕方を見ますと、ルカが「神の支配」をどのように理解し、告げ知らせようとしているか、ルカの特色が見えてきます。

貧しい人たちへの福音

 その特色の中でまず目立つのは、福音が「貧しい人々」に向けられていることです。イエスが行かれるところには徴税人や罪人たちがついてきたことは、どの共観福音書も伝えるところです。そのような人たちに向かって、イエスは「貧しい人たちは幸いである。神の国はあなたたちのものである」と言われたことは「語録資料Q」が伝えています。マタイ(五・三)もルカ(六・二〇)もこの言葉をイエスの言葉の集成の最初に置いて、イエスの福音告知の第一声として扱っています。
 この「貧しい者」という表現は、旧約聖書の預言者や詩編に多くの用例があり、神の他に何も依り頼むものがない心砕けた敬虔な人たちを指す伝統的な表現です。エッセネ派と見られるクムランの人たちは、自分たちを「貧しい者たち」と呼んでいました。マタイはこの聖書の伝統に従って、イエスが語られた「貧しい人たち」を「霊の貧しい人たち」と解釈して伝えています(マタイ五・三)。それに対してルカは、「貧しい人たち」に対する祝福(六・二〇〜二一)と正確に対比される形で、「富んでいる人たち」に対する禍の言葉(六・二四〜二五)を置き、「貧しい人たち」と「富んでいる人たち」の対照を強調しています。「貧しい人たち」に対する祝福は、マタイと共通しており、「語録資料Q」から採られたと見られますが、「富んでいる人たち」に対する禍の言葉はルカだけにある言葉であり、ルカの福音理解を指し示しています。

この「富んでいる人たち」に対する禍の言葉は、「語録資料Q」になくルカが付加したものか、あるいは「語録資料Q」にあったのをマタイが省略したのかについては議論がありますが、それについては拙著『ルカ福音書講解T』264頁の「富める者の不幸」の項を参照してください。

 ルカは三連からなる祝福の言葉の第二連と第三連に「今」という語を加えて、「今飢えている人々」、「今泣いている人々」とし、そのような人々は「満たされるであろう」、「笑うようになるであろう」という未来形の動詞で、将来の祝福を指し示しています。禍の言葉も同じく、「今満腹している人々」、「今笑っている人々」とし、彼らは「飢えるようになるであろう」、「悲しみ泣くようになるであろう」と未来形の動詞で将来の不幸を描いています。このように正確な対称形を用いて、「貧しい者」と「富んでいる者」の現在と将来が逆転することが語られています。福音における将来とはやがて到来する終末時の審判と完成ですから、この逆転は終末的逆転を指しています。ルカ福音書は「貧しい者」と「富んでいる者」の終末的逆転を告知し待望する福音書という面を示しています。この点では、ルカは今の世と来るべき世における逆転を待望する黙示思想の継承者という面を示しています。
 このような貧しい者たちと富んでいる者たちの対比は、マタイに見られるような宗教的な意味よりも、社会的な階層の対比、すなわち貧しい社会層と富裕な社会層の対比を示唆しています。事実、ルカ福音書には、「金持ちとラザロ」のたとえ(一六・一九〜三一)に見られるように、金持ちはただ金持ちであるがゆえに黄泉の苦悩に落とされ、ラザロはただ貧しい者であるゆえに楽園に入れられると主張しているとも受け取れる箇所があります。この他にも「不正な管理人」のたとえ(一六・一〜八)や「愚かな金持ち」のたとえ(一二・一三〜二一)は、地上の富に対するルカの無関心、軽蔑、反感を感じさせます。ここにあげた三つのたとえはルカだけにあるたとえであり、地上の富に対するルカの姿勢を指し示しています。
 このような終末的逆転の待望や地上の富に対する否定的な姿勢から、ルカのエビオン派的傾向を指摘する研究者もいます。しかし、実際にイエスの言葉にもこのような神の支配に対する富める者の姿勢を警告する言葉やたとえがあったことは事実でしょうし、最初期の福音告知によって共同体に呼び集められた人たちは実際に貧しい階層の人たちが大多数であったという事実(コリントT一・二六〜三一)をルカは見てきています。そのようなルカの書き方が「貧しい者への福音書」となるのは自然です。この貧しい者たちと富める者たちへの姿勢において、パウロ系のルカ福音書と、パウロとは対極の位置にあるヤコブ書が共通しているのは興味深いことです。
 福音が弱者である貧しい者たちに来ていると見るルカの目は、当時の社会的弱者である女性たちへの温かい眼差しとなっています。それは、以下にあげるルカだけにある記事からもうかがうことができます。出てくる順序に従ってあげますと、まず「一人息子を生き返らせてもらった寡婦」(七・一一〜一七)の段落で、当てにすることができるただ一人の息子を失った寡婦に対するイエスの深い憐れみが印象的です(七・一三)。次ぎに「罪深い女を赦す」(七・三六〜五〇)の段落では、町で「罪深い女」すなわち娼婦として知れ渡っていた女性を、イエスは過去をいっさい問うことなく、無条件に神の赦しを宣言して、女性を受け入れておられます。
 さらに、イエスの巡回伝道に従う女性たちの名をあげて(八・一〜三)、イエスの「神の国」福音告知の働きにおいて女性が重要な役割を果たしたことを伝えています。イエスの弟子団に女性が含まれていたことを伝えるのはルカだけです。また、「マルタとマリア」(一〇・三八〜四二)の記事においては、女性弟子に対するイエスの温かい姿勢が伝わってきます。このように弱い立場の女性に対するイエスの深い思いやりは、恩恵の場において「貧しい者」への祝福を宣言されるイエスの福音告知の一つの現れとなります。

ルカにおける「恩恵の支配」

 「神の支配」を告知されたイエスの言葉は、マタイ福音書においては五〜七章の「山上の説教」に集成されていますが、ルカ福音書においては「平地の説教」(六・二〇〜四九)にまとめられています。二つの記事は共に「語録資料Q」からその内容を得ておりほぼ並行していますが、そのまとめ方に両者の立場や視点の違いが出てきています。先に見たように、「幸いの言葉」も、イエスの貧しい者への祝福の言葉を、マタイがユダヤ教の知恵思想の観点から実践的な勧告として構成しているのに対して、ルカはそれを貧者と富者の終末的逆転を告知する黙示思想的な宣言にしています。
 このように、福音書記者の構成にはそれぞれの視点からする解釈が染み込んでいますが、もともとイエスの貧しい者への祝福の言葉は「恩恵の支配」の宣言の一形式でした。すなわち、律法の規定を厳格に順守して自分の義を申し立てるユダヤ教の「義人」に対して、自分には神の前に差し出す善いものが何もない「貧しい人」こそ、神の無条件の恩恵にひれ伏して、神が差し出しておられる救いを受けることができる人たちであるとして、「神の支配はあなたがたのものだ」と祝福しておられるのです。
 貧しい者たちへの祝福の言葉が「恩恵の支配」告知の形式の一つであることは、「幸いの言葉」に続く箇所が示しています。その箇所が恩恵の支配を告知していることについては、マタイよりもルカの方が分かりやすくなっています。ルカでは「幸いの言葉)のすぐ後に「敵を愛しなさい」という段落が続いています(六・二七〜三六)。それに対してマタイでは、「幸いの言葉」の後に、弟子の心構えを説く「地の塩、世の光」の段落や、イエスの教えがモーセ律法の成就完成であることを宣言する段落が置かれて(マタイ五・一三〜二〇)、その後にイエス独自の教えの言葉がモーセ律法を完成成就するものとして、「昔の人は〜と命じられている。しかし、わたしは言う」という対立命題の形で列挙され、愛敵の言葉はその最後の一項目として扱われ、その結論として「だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全でありなさい」という勧告で結ばれています(マタイ五・二一〜四八)。このような構成は、マタイが「幸いの言葉」を倫理的実践的勧告としていることと対応して、イエスの愛敵の教えをモーセ律法を成就完成するものとして提示していることを指し示しています。そのために「敵を愛しなさい」というイエスの言葉が、「恩恵の支配」の表現であることが分かりにくくなっています。
 それに対してルカは、「敵を愛しなさい」というイエス独特の言葉を、貧しい者を祝福された「幸いの言葉」に直結し、両者の密接な結びつきを維持しています。ルカも「富める者の禍」の言葉を入れて拡大していますが、元のQでは、「貧しい者、泣いている者、飢えている者」の幸いを宣言する言葉のすぐ後に、「敵を愛しなさい」の言葉が続いていたとされています。また、この段落の結論としてあげられているイエスの言葉も、ルカ(六・三六)の「あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい」という形の方が、「完全な者」という形を使ったマタイよりも「語録資料Q」の原形に忠実と見られます。
 このルカの構成は、弟子たちが受けたイエスの言葉の圧倒的なインパクトをよく伝えています。「貧しい者、泣いている者、飢えている者」の幸いを宣言する人の意表を突く言葉の後に、「敵を愛しなさい」という、さらに驚くべき言葉が続きます。このような言葉に圧倒された弟子たちは、イエスの教えの言葉の集成の最初にこれを置くことになります。
 いったい、これはどのような世界から出てくる言葉でしょうか。弟子たちが生きているユダヤ教律法の世界から出てくる言葉ではありません。わたしたちが生きている世界の倫理から出てくる言葉ではありません。実はこれらの言葉は、イエスが生きておられる「神の支配」の現実から出てくる言葉であり、「神の支配」の現実を指し示す言葉です。
 「神の支配」は神の無条件絶対の恩恵が支配する場です。イスラエルの神が終わりの日に実現すると約束しておられた「神の支配」は、イエスの活動と言葉にその姿を現し、十字架と復活という出来事において実現しました。イエスが徴税人や娼婦に代表される「罪人たち」と食卓を共にし、彼らの仲間として「神の国はあなたたちのものだ」と祝福されるとき、また貧窮の中で病苦に苦しむ者を聖霊の力で癒し、「あなたの信仰があなたを救った」と宣言されるとき、律法を順守することもできず、神の前に何のよきものも差し出すことができない者たちに、相手の資格を問うことなく、神は無条件に御自身との交わりという最高の良いものを差し出しておられるのです。神のよきものを無条件に、相手の資格に絶して(これが「絶対」です)与えてくださる神の働きを「恩恵」《カリス》と言います。この《カリス》という語を最も多く使ったのはパウロであり、パウロは「恩恵の使徒」と呼ぶことができます。次ぎに多く使ったのはルカであり、ルカがパウロの継承者として、「恩恵の福音書」を書くことになります。
 その「恩恵」が支配する場に生きる者は、自分が無条件で神からよいものを与えられたように、人に対するとき、相手が自分に対してどのような関わり方をする者でも、相手の価値とか資格を問うことなく、すなわち相手が自分によいことをしてくれる者であっても、自分に敵対して悪をする者であっても相手に善をなさないではおれないことになります(ローマ一二・一四〜二一参照)。このことをイエスは具体的に、「敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい」(六・二七〜二八)と言われます。
 無条件絶対の恩恵の場とは、そのような原理の上に成り立っている場です。この原理をイエスはこの段落の結びで次のように語り出しておられます。

 「あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい」。(六・三六)

 この言葉は「あなたがたの父が憐れみ深い方であるのだから、あなたがたも憐れみ深い者でありなさい」と訳すことができます。父の憐れみ深さ(恩恵)は、わたしたちの模範とか目標ではなく、わたしたちが生きる根拠であり、わたしたちをそのように生かす力です。父の憐れみという恩恵の場に生きる者は、憐れみ深く生きないではおれません。もし、わたしたちが相手の善には善をもって報い、相手の悪にたいしては悪をもって報いるという相対的な原理に生きるのであれば、わたしたちは父の恩恵の場にとどまることはできません(六・三二〜三四)。絶対的な慈愛の場に生きるとき、すなわち敵を愛するときはじめて、わたしたちは「いと高き方」の子(=同質の命に生きる者)となるのです(六・三五)。
 イエスの教えの集成に含まれる「あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けなさい」(六・二九)とか、「あなたの持ち物を奪う者から取り返そうとしてはならない」(六・三〇)、「人を裁くな」とか「赦しなさい」(六・三一)というようなイエス独特の言葉は、倫理の延長上にある言葉ではなく恩恵の場に生きる者の姿を指し示す言葉です。ルカの「平地の説教」は、この面を(マタイの「山上の説教」以上に)分かりやすく伝えています。

Y ルカ福音書における受難のキリスト

受難物語の性格

 パウロが言うように、「キリストの福音」とは「十字架された姿の(復活者)キリストを告げ知らせる」ことです(コリントT一・二三、ガラテヤ三・一)。そのキリストの出来事の救済史的意義を告知することです。イエス伝承を用いてイエスの働きと出来事を物語ることによってその「キリストの福音」を告知しようとする福音書において、イエスの生涯のもっとも重要な出来事である十字架の死を物語る「受難物語」が主要な区分を形成することは当然であり、他の福音書と同じくルカ福音書においても「受難物語」は大きな部分を占めています。
 受難物語は、たんにイエスの十字架刑に至る受難の出来事の経緯を報告するものではありません。それは、その出来事の意義を告知するために書かれた物語です。その意義の第一は、イエスの十字架は神がイスラエルの歴史の中で終わりの日に成し遂げると約束してこられたこと、すなわち聖書に預言されていることの実現であるということです。受難物語には聖書を直接引用してその成就であることを語るところもありますが(このような引用はルカでは比較的少ないようです)、それだけでなく受難物語の全体が聖書の内容を背景として語られていることが重要です。裁判にかけられ、十字架上に死なれるイエスこそ、聖書の預言を成就するために神から遣わされた方、この出来事は聖書全体の成就であるという主張がこめられています。ルカもそのことを明言しています(二四・四四〜四六)。
 その意義の第二は、イエスの死、すなわち復活によってキリストとされたイエスが地上では十字架刑という卑しい姿で死なれた出来事は、「わたしたちのため」の死であるということです。この意義は、最後の晩餐の席でイエスご自身が語り出されますが、受難物語全体がその意義で貫かれています。
 ここでは受難物語におけるルカ福音書の特質を見るために、ルカ福音書の受難物語を他の福音書の受難物語と較べることになりますが、ルカはマルコ福音書に依拠して受難物語を構成していると見られるので、マルコ福音書との比較がルカの十字架理解を知る上で有益と考えられます。もっともルカの受難物語を詳細に検討すると、ルカは必ずしもマルコの伝承に依拠することなく、ルカ独自の別系統の伝承を用いているところも多く、「ルカはマルコに依拠している」とは言い切れませんが、それでも全体の構成はマルコと同じであり、少なくともマルコを知っているルカがそれとは違う記述をするところで、ルカの特質が出てくることになります。
 ルカの受難物語はルカ福音書の二二章から二三章に置かれています。ここでは受難物語の三つの山場、すなわち最後の晩餐、逮捕と裁判、十字架上の死という三つの場面に即してルカの受難物語の特質を見ることにします。

最後の晩餐

 イエスが死に渡される前夜、弟子たちとされた最後の食事の席で、イエスはご自身の死について、その意義を語る重大な発言をされます。その言葉はそれを聴いた弟子たちの証言を通して最初期の共同体に語り伝えられることになりますが、その伝承の中で最も古くてイエスの言葉の原形をよくとどめているのは、マルコ(一四・二二〜二五)の形であると考えられます。マタイ(二六・二六〜二九)はほぼマルコに従っています。それに対して、ルカはパウロが伝えた伝承を用いています。パウロが形成したエーゲ海地域の諸集会に伝えた伝承は、コリント第一書簡の一一章二三〜二五節に記録されています。ルカはその伝承をほぼそのまま用いて福音書に取り入れています。

 それから、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい」。食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である」。(二二・一九〜二〇)

 このルカの形は、「わたしの記念としてこのように行いなさい」という指示の言葉が杯の言葉の後にないという点以外は、パウロが伝えた言葉と同じです。ルカはパウロの働きの継承者として、パウロが形成したエーゲ海地域の共同体を活動の基盤とし、その共同体に向かって福音書を書いているのですから、これは当然です。
 マルコの形と違うところは、杯の言葉がマルコでは「これはわたしの血である」という言葉が最初に来て、その後に「契約の」と「多くの人のために流される」という説明がついています(「契約の」を欠く写本もあります)。それに対してルカでは、「これは新しい契約である」という言葉が最初に来て、その後に「わたしの血による、あなたがたのために流されるところの」という説明が付けられている点です。
 イエスの言葉を語り伝えた最初期の共同体(おそらくエルサレム共同体)のユダヤ人にとって、血を飲むことは恐るべきことであり、今飲んでいる杯について「これはわたしの血である」と語られる言葉はあまりも衝撃的です。それに対して「これは(血による)契約である」という方が受け入れやすい表現です。ユダヤ人にとって聖書にしばしば出てくる「血による契約」は親しみ深い表現です。伝承は理解しがたい形から理解しやすい形に変わっていくという原則からすると、伝承の過程でマルコの形がルカの形に変わったと考えられます。この変更はかなり早い時期にエルサレムとかアンティオキアの共同体で起こっていたと推察され、パウロがそれを受けて異邦人共同体に伝えたものと見られます。
 共観福音書は最後の晩餐をユダヤ教の過越の食事として語り伝えました。それに対してヨハネ福音書は最後の食事を「過越の準備の日」になされた普段の食事としています。パウロが受けて伝えた伝承も、この最後の食事がユダヤ教の過越の食事であったことを示唆する内容はなく、パウロ系の共同体は「わたしの記念としてこれを行いなさい」という指示の言葉によって、集会で行われる日常の共同の食事を「主の晩餐」と呼んで、主イエスの十字架の死を記念し、その救済史的意義を世に告知する食事としました。ルカはその伝承をそのまま用いる一方、パレスチナ・シリア地域で収集したイエス伝承(それはすでに最後の晩餐を過越の食事として語り伝えていました)をも用いて福音書を書いているので、ルカの最後の晩餐記事は、それを過越の食事とする伝承(二二・七〜一八)と、過越の食事と関係なく行われていた「主の晩餐」伝承(二二・一九〜二〇)が並置された形になっています。
 その形がどうであれ、ルカ福音書もその最後の晩餐記事によって、イエスの死がわたしたちのための死であることを明確に語り、それによって「十字架された姿の復活者キリストの福音」を世に告知しています。

最後の晩餐の席でのイエスの言葉の伝承について詳しくは、『ルカ福音書講解』の「最後の晩餐」の章の最後にある「補論―最後の晩餐伝承の形成と展開」を参照してください。

逮捕と裁判

 弟子たちとの最後の食事を終えて、イエスとその一行はオリーブ山の「いつもの場所」に行きます(二二・三九〜四〇、ルカは「ゲツセマネ」というヘブライ語の地名を使っていません)。そこでイエスは「汗が血の滴るように地面に落ちた」というほどの苦しい祈りを続けられます(二二・四一〜四四)。ところが、イエスの苦悶を描く四三〜四四節が底本では[ ]に入れられています。これは、この両節が有力な古代写本に欠けていることを示しており、元のルカ福音書にはなかったことが推察されます。おそらくマルコ福音書が普及してイエスの苦悶の意義が重視されるようになったので、後の時代に挿入された可能性があります。イエスの祈りを伝える部分はマルコ(一四・三三〜四一)の記事と較べると、ペトロ、ヤコブ、ヨハネの名があげられていないことや、三回の祈りの繰り返しが一回にまとめられているなど、かなり簡略化されています。総じて、最後の夜のイエスの祈りについては、ルカの記述はその事実を報告するだけの淡々とした書き方になっています(とくに四三〜四四節がないとすると)。
 しかし、その祈りの内容が「父よ、御心ならこの杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください」というものであることは、マルコと同じです。また、イエスの苦悶の祈りの間、弟子たちは眠りこんでいたこと、そして「なぜ眠っているのか。誘惑に陥らぬよう、起きて祈っていなさい」とイエスが戒められたことも同じです(二二・四五〜四六)。マルコの記事がその場面を体験したペトロの証言に基づく具体的で生々しい感じを与えるのと較べると、ルカの記事は事実を伝える冷静な歴史家の印象を与えます。

この時の三人の弟子の眠気については、拙著『ルカ福音書講解T』434頁の「ペトロの啓示体験」の項を参照してください。

 イエスが祈り終えられたとき、この場所をよく知っている弟子の一人ユダが群衆(祭司長、神殿守衛長、長老たちの一群)を率いて現れ、イエスは逮捕されます(二二・四七〜五三)。こうして、弟子の裏切りについてなされたイエスの予告が実現します。この時の状況は、ルカもマルコと同じように詳しく伝えています。彼らは逮捕したイエスを大祭司の屋敷に連れて行きます。その屋敷で、イエスに付いてきていたペトロが「お前もあの男の仲間だ」と問い詰められて、三度まで「わたしはあの人を知らない」と否認したことが語られます(二二・五四〜六二)。こうして、イエスが最後の食事の席で予告されたことが事実となります。

このペトロの否認の情景はマルコ(一四・六六〜七二)とほぼ同じですが、それが起こった状況が違います。マルコでは最高法院で死刑の判決が出た後に置かれていますが、ルカはそれを最高法院での裁判の前に置いています。これは死刑に関わる裁判は夜間に行えない律法規定により、最高法院の正式の裁判は「夜が明けると」行われたとしなければならず(二二・六六)、ペトロが「鶏が鳴く前に=夜明け前に」三度否認するという予告が実現するためには、彼の否認は正式裁判の前でなければならないからです。しかし、ユダヤ教側の裁判については四福音書の記事は錯綜しており、大祭司の屋敷での予審と正式の最高法院での裁判という二段構えであったのかどうかも争われています。この問題は「福音書講解」に譲ります。

 マルコは夜中の大祭司の屋敷での尋問と夜が明けてからの最高法院全体での裁判とを一応区別しているようですが(マルコ一五・一)、ルカはユダヤ教側の裁判を夜が明けてからの最高法院の裁判だけにしており、その様子をかなり簡潔にして伝えています(二二・六六〜七一)。異邦人読者にとってはユダヤ教側の尋問や裁判の手続き上の問題(予審か正式裁判かの区別など)は重要ではないとしたのか、ルカはイエスがユダヤ教の最高法院で死刑の判決を下されたという事実だけに絞っているようです。
 裁判の内容についても、神殿での発言や律法違反の問題についての証人調べなど、マルコ(一四・五五〜六一)にある詳細はすべて省略されて、イエスに死刑判決が下された最後の理由だけに絞られています。すなわち、イエスが自分を「全能の神の右に座る」神の子とされ、自分を神と等しい者とされたという神冒?の罪で死刑が確定したことだけを伝えています。
 死刑の判決を下しても、当時のユダヤ教教団国家には死刑を執行する権限はなかったようです。死刑を執行することができるのは実質上の支配者であるローマ総督です。ユダヤ人たちはイエスを総督ピラトのところに連れて行き総督の死刑判決と執行を求めます。律法(=ユダヤ教)に背く者という宗教上の理由で訴えても異教徒のローマ総督が取り上げることは期待できません。それでローマ総督に訴えるときは、イエスが王であることを自称してローマの支配に反逆した叛徒であるという訴え方をします(二三・一〜五)。ユダヤ人の訴えを「この男はわが民族を惑わし、皇帝に税を納めるのを禁じ、また、自分が王たるメシアだと言っていることが分かりました」と具体的に伝えているのはルカだけです。この訴えを受けてピラトがイエスに、「お前がユダヤ人の王なのか」と尋問すると、イエスが「それはあなたが言っていることです」とお答えになったということはすべての福音書に伝えられています。ピラトの裁判は公開ですから、多くのユダヤ人がこれを聞いたはずです。ピラトは何の抵抗もせず逮捕され、自分の前に縛られて立つガリラヤの預言者がローマへの反逆を企てるような者だとは考えられず、「わたしはこの男に何の罪も見いだせない」と言います。
 ピラトはイエスがガリラヤのユダヤ人であることを知ると、そのときエルサレムに滞在していたガリラヤの領主ヘロデ・アンティパスのもとにイエスを送ります(二三・六〜一二)。領主であるヘロデの手で処理してもらい、この厄介な問題から逃れたかったのでしょう。下手に処理するとユダヤ人との関係を紛糾させ、統治能力を疑われます。アンティパスは洗礼者ヨハネを処刑したガリラヤ領主です。彼は領内のメシア運動に神経質になっていて、イエスにも疑いの目を向け、殺そうとしていました(一三・三一)。しかし、イエスはヘロデの前では沈黙を通されます。ヘロデは洗礼者ヨハネの処刑でユダヤ人の激しい反感を招き、その対策に苦慮したのでしょう、イエスに対しては慎重で、この厄介な問題をピラトに送り返します。

イエスがヘロデのもとに送られことを伝えるのはルカだけです。おそらくルカはヘロデの宮廷にヘロデの家令クザの妻ヨハナ(八・三)などの有力な情報源をもっていたからだと推察されます。

 ピラトはイエスに何の罪(ローマへの反逆の罪)もないとして釈放しようとしますが、集まっていた群衆は「バラバを釈放しろ。その男は十字架につけよ」と叫び続けます。ピラトは二度、三度とイエスを釈放しようとしますが、遂に群衆の声に押し切られて、彼らの要求をいれて、バラバを釈放し、イエスに死刑の判決を下します(二三・一三〜二五)。ルカはピラトがイエスの無罪を確信して何回も宣言したが、ユダヤ人群衆の要求に押し切られて死刑判決を下したことを強調しています。これは、イエスを信じる信仰はローマの支配体制に背くものではないことを印象づけようとするルカの護教的動機から出ていると考えられます。

バラバの釈放については、過越祭の時に総督は民衆が希望する囚人を一人釈放する習慣があり、その習慣に従ってピラトが提案あるいは民衆が要求したことが、マルコをはじめ他の三福音書には伝えられていますが、ルカはその習慣には触れていません。そのような習慣があったかどうかは争われていますが、ルカはなかったと判断したからではなく、そのような細事は異邦人読者に伝える必要を感じなかったのでしょう。なお、ピラトの裁判の場にはバラバの支持者たちが大勢押しかけていたので、このような結果になったという見方がありますが、それは福音書講解で扱うことになります。

十字架上の死

 受難物語におけるルカの特色がもっともよく出ているのは、イエスの十字架上の死を物語る部分(二三・二六〜四九)です。他の福音書と比較して違う細部の特色については福音書講解に委ね、ここではルカの福音理解の根幹にかかわる特質だけを取り上げます。
 イエスが十字架に釘付けされて地から上げられたとき、最初に発せられた言葉は、「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(二三・三四)という、自分を十字架につける者たちの赦しを求める執り成しの祈りです。これはルカだけが伝えている言葉です。先に(項目Uで)見たように、ルカの福音は「罪の赦し《アフェシス》の福音」です。十字架上のイエスは、この《アフェシス》を身をもって表現されます。二人の「犯罪人」が一緒に十字架につけられていましたが、その一人がイエスを嘲ったもう一人をたしなめて、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言ったとき、イエスは「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と断言されます(二三・三九〜四三)。イエスはご自身、十字架刑というこの世では極限の拒否の中にあっても、父には受け入れられていることを知り、父との交わりに生きる「楽園」《パラデイソス》を見ておられ、ご自身と自分を信頼する死刑囚が「今日、一緒に楽園にいる」ことを確言されます。これも、この死刑囚に無条件の赦しが与えられていることの宣言です。
 ルカが十字架上のイエスの言葉として伝えるのは、息を引き取るときに発せられた「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」という叫びを別にすれば、この二つだけです。すなわち、ルカの十字架上のイエスは、《アフェシス》の福音の体現者として描かれていると言えます。
 ところで、ルカはマルコを知っているはずですから、イエスが最後に発せられた「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」という叫び(マルコ一五・三四)をルカがなぜ伝えなかったのか(マタイは伝えています)、その理由ないし意義が問題になります。この叫びは「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味であり、神の子であるイエスが最後に神に見捨てられた苦悶の中で死なれたことをどう理解するかが、信仰上、神学上の大問題として激しい議論を呼ぶことになります。このような、イエスを信じない者たちの格好の批判の材料になる言葉を、最初期の共同体が創作してイエスに叫ばせることはありえませんから、これは実際にイエスが叫ばれた言葉をルカが伝えなかったとしなければなりません。その叫びの意義については福音書講解に譲り、ここではルカがその叫びを伝えなかった理由と意義に絞ります。
 ルカはイエスの死を殉教者の死として描いています。先に見たように、ルカが描く十字架上のイエスは、ご自身が生涯をかけて告知してこられた「罪の赦し《アフェシス》の福音」を体現する方としての死です。十字架刑というこの世では極限の拒否の中にあっても、父には受け入れられていること、父との交わりに生きる「楽園」《パラデイソス》に入ることを確信して苦しみに耐えておられます。これは殉教者の死です。このイエスの描き方は、ルカが使徒言行録で伝える殉教者ステファノの死と同一線上にあります。ステファノも自分を石打にするユダヤ人のために「この罪を彼らに負わせないでください」と祈り、「わたしの霊を受けください」と叫んで眠りにつきます(使徒七・五四〜六〇)。イエスの死の記事とステファノの殉教記事が似ていることは研究者によって注目されてきましたが、これはイエスの受難物語をモデルにしてステファノの殉教が物語られたのではなく、むしろステファノの殉教記がルカのイエスの受難物語にモデルを提供した可能性も考慮に入れなければなりません。いずれにせよイエスの死を殉教者の死として描くルカには、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という、神に見捨てられた苦悩を訴える叫びを入れる場所はありません。

さらに、ルカが描くステファノの殉教は、ずっと後に(ルカにとってはずっと間近に)起こった「主の兄弟ヤコブ」の殉教(62年)の伝承がモデルになっていると見られる節があります。この点については、本書17頁の「主の兄弟ヤコブの殉教」の項を参照してください。

 イエスは生前、この神の裁きによって見捨てられる苦悩を予感して、それを「杯」という言葉で表現しておられました。エルサレムに入る直前に弟子たちに語られた言葉にも、「このわたしが飲む杯を飲むことができるか」という表現があります(マルコ一〇・三八)。この杯は、神の怒り、審判を象徴する杯です(エレミヤ二五・一五〜一六、イザヤ五一・一七〜二二)。神の子としてのイエスにとってこの杯を飲み干すことほど苦しいことはありません。ゲツセマネではその杯を前にして、「イエスは恐れおののき苦悶しはじめ」、その魂が「悲しみのあまり死ぬほどである」と言われます(マルコ一四・三三〜三四 )。それで「この杯をわたしから取りのけてください」と三度も祈られます。しかし、イエスは最後に神の御旨を受け入れて立ち上がられます。十字架の上でイエスはこの杯を最後まで飲み干しておられるのです。世の罪を背負う神の小羊として、神の裁きを一身に受けておられるのです。
 ルカはこの杯の言葉が出てくるエルサレム入り直前の弟子たちの対話を伝えていません。ゲツセマネの祈りでは杯を取り去ってくださいという祈りは一回になり、マルコの切実さはありません。前述したように、ルカにはイエスの苦悶の記述がなかった可能性があります。そして、十字架上でこの杯を飲み干しておられる苦悩を示す「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という叫びもありません。総じてルカの受難物語のイエスは、世の罪を背負う者としての苦悩は希薄で、自分の確信に殉じる殉教者の姿が前面に出て来ています。
 このマルコとの違いはどこから来るのでしょうか。それは、ルカの福音が「罪の赦し《アフェシス》の福音」となっている結果ではないかと考えられます。先に(項目Uで)見たように、ルカが告知する福音は、ルカの時代のエーゲ海地域のパウロ系共同体と同じように、「罪の赦し」を福音の核心とするようになっていました。「罪の赦し」は法廷的な概念です。法を犯したために受けるべき罰の責任を問われないで、法廷で無罪の宣告を受けて放免してもらうことですから、ユダヤ教という宗教的背景のない異邦人社会でも理解しやすい概念です。それで七〇年以後にヘレニズム世界に告知された福音では、コロサイ書やエフェソ書に見られるように、ユダヤ教の血による贖罪よりも法廷的な「罪の赦し」が福音の中心に置かれるようになり、パウロが一度も用いていなかった《アフェシス》が用いられるようになります。
 使徒時代の最後に成立したマルコ福音書は、使徒時代の福音告知をよく反映しています。マルコはペトロの伝えるイエス伝承とパウロの福音理解の両方を継承している証人であり、彼の名を背負うマルコ福音書は、その両方に基づいて成立し、使徒時代の福音証言をよく伝えています。それに対してルカ福音書は一世代後にヘレニズム世界で成立した福音書として、七〇年以後の使徒名書簡の時代のエーゲ海地域の福音告知を反映することになります。それがこの十字架上の言葉の違いとして出てきていると考えられます。

Z 福音の要約としての誕生物語

ルカのキリスト賛歌

 先に前節「ルカ二部作成立の状況と経緯」で見たように、もともとのルカ福音書は(マルコと同じく)三章の洗礼者ヨハネの活動から始まり空の墓で終わっていましたが、マルキオンに対抗するために使徒言行録を著し、それと合わせて二部作としてテオフィロに献呈するとき、福音書も書き改められ(おもに書き足され)現在の形のルカ福音書になったと見られます。そのさいに一〜二章の誕生物語が書き加えられて、初版の福音書の前に置かれたと考えられます。「誕生物語」の成立の経緯やその内容の詳しい解説は「ルカ福音書講解」に委ねて、ここではそれが加えられた意義に絞って見ておきます。
 福音書はイエスの生涯を物語ることによってキリストの福音を告知しようとします。その生涯が偉大であればあるほど、その主人公がいつどこで、どのように生まれたのかは大きな関心事となります。事実、ヘレニズム世界の「偉人伝」には主人公の誕生物語が含まれるのが普通です。ルカも、この偉大な人物の誕生の次第を知りたいというヘレニズム世界の要請に応えて、イエスの誕生物語を加えたという伝記的動機の可能性も否定できません。ルカ(とマタイ)が当時の伝承を集めて誕生物語を書いてくれたおかげで、わたしたちはイエスが「ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった」という最初期の基本的な伝承を確認することができることになります。
 さらに、前節「ルカ二部作成立の状況と経緯」で見たように(本書465頁「増補改訂版ルカ福音書」の「1誕生物語」の項を参照)、イエスの福音をユダヤ教から完全に離れた別のものにしようとするマルキオンに対抗するために、このような誕生物語を書いて、イエスの出現が聖書(旧約聖書)の預言の実現であること、すなわちユダヤ教の中での出来事であることを強調しようとしたという動機もあったことでしょう。誕生物語の特色には、マルキオンとの対決という視点から見るとよく理解できるところが多々あるというのも事実です。
 しかし、動機がどのようなものであれ、出来上がった誕生物語を虚心に読むと、その中からルカが伝えようとする福音全体が響き渡っているのが聞こえます。ルカは福音書全体を書き上げてから後でこの誕生物語を書いています。これを書いているルカの前には、十字架の死を経て復活に至るイエスの生涯の全体が見えています。ルカはイエスの生涯、とくに十字架と復活に至るイエスの生涯において、世界に対する神の救済の働きが実現したことを見ています。イエスの誕生は、復活して神と永遠に共にいます神の子の「降誕」となります。ルカはその大いなる出来事を賛美せずにはおれません。ルカは、この方の誕生の次第を語りながら、この方によって実現した救いの出来事の偉大さを賛美します。ルカはその賛美を、イエスの誕生に関わった周囲の人物の賛歌として置きます。それで、ルカの誕生物語は、イエス・キリストによって世界にもたらされた救いの出来事を賛美する賛美歌集のような趣を呈することになります。
 わたしは、ルカの誕生物語はヨハネ福音書における序詩「ロゴス賛歌」(ヨハネ一・一〜一八)に相当するものと見ています。すでに復活に至るイエスの出来事のすべてを見ているヨハネは、復活されたイエスを永遠の「ロゴス」と呼び、「はじめに言《ロゴス》が在(いま)し、言《ロゴス》は神と共に在(いま)し、言《ロゴス》は神であった」と賛美します(ヨハネ一・一)。そして、その上でイエスの出現を「言《ロゴス》は肉と成って、わたしたちの間に幕屋を張った」出来事であると宣言します(ヨハネ一・一四)。同じことをルカは「誕生物語」として物語り、それによってその出来事の大いなる意義を賛美します。ルカの誕生物語は、まさに永遠に定められていた「救い主」の地上への「降誕」という出来事への賛美です。

誕生物語におけるキリスト

 では、ルカのキリスト賛歌とも言うべきこの「誕生物語」において、キリストはどのような方として告知され賛美されているのでしょうか。
 まず第一は、イエスの誕生は神の定め、神の御計画によって起こった出来事であることの告知です。ここでいう「神の定め」とは、イスラエルの神の定めを指し、イスラエルの歴史の中で預言されていたこと、具体的には聖書(旧約聖書)の中で預言されていたことの実現であるという告知です。そのことは聖霊に満たされて語ったザカリア(洗礼者ヨハネの父親)の次の言葉に典型的に表現されています。

 「ほめたたえよ、イスラエルの神である主を。

 主はその民を訪れて解放し、
 我らのために救いの角を、
 僕ダビデの家から起こされた。
  昔から聖なる預言者たちの口を通して
  語られたとおりに」。(一・六八〜七〇)
 このような直接的な言葉で告知されているだけでなく、誕生物語の構造全体がこのことを指し示しています。一読して明らかなように、誕生物語では洗礼者ヨハネの誕生とイエスの誕生が並行して物語られています。ヨハネの誕生もイエスの誕生も天使によって予告されます。ヨハネもイエスも奇跡によって、すなわち人間的には不可能であり、ただ神の働きによって誕生します(ヨハネは不妊の女から、イエスは処女から)。そして両者とも旧約聖書の内容を背景として物語られます。このような並行構造により、ヨハネの誕生とイエスの誕生が共に同じ神の御計画の成就として起こったことが印象づけられます。これは、イエスをユダヤ教聖書から切り離そうとして、洗礼者ヨハネを無視したマルキオンに対抗する意図から出た構想でしょう。洗礼者ヨハネこそイスラエルの預言者の系列の最後に現れた最大の預言者であり、イエスはこのヨハネを先駆者として現れた方であることを改めて告知しています。ヨハネと一対として語られることによって、イエスの出現は旧約聖書の預言者の系列に強く結びつけられます。このヨハネとイエスの誕生の並行構造は、イエスの出現が聖書の成就であることを力強く宣言しています。
 第二に、イエスはイスラエルの民だけでなく世界の諸民族の「救い主」として来られたキリストであるという告知です。たしかに、イエスはイスラエルの歴史の中で預言された預言の成就としてイスラエルの民の中に現れました。しかし、この方はイスラエルの救いのために来られたメシアであるだけでなく、世界のすべての民に救いをもたらす「救い主」として来られた方です。そのことは、「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである」と言って、イエスの誕生を告知した天使たちが、その告知を「民全体に与えられる大きな喜び」を告げ知らせることとし、「地には平和」と賛美したことによって示唆されています(二・一〇〜一四)。しかし、そのことは幼子イエスを抱いた預言者シメオンが明確に語っています。

 「これは万民のために整えてくださった救いで、

 異邦人を照らす啓示の光、
 あなたの民イスラエルの誉れです」。(二・三一〜三二)
 この預言によってルカの誕生物語は、イエスの出現を救いと啓示が異邦諸国民に及ぶようになる出来事とし、イエスを「万民の救い主」として告知しています。

なお、天使の告知(二・一一)に用いられている「救い主」《ソーテール》という称号は、キリスト教二千年の歴史でずっと用いられてきた重要な称号ですが、実は新約聖書では前期の文書にはほとんど用いられず(例外はフィリピ三・二〇)、もっとも後期(おそらく二世紀初頭)の文書によく用いられるようになります(牧会書簡に一〇回、ペトロUに五回)。ルカはこの称号を誕生物語で二回、使徒言行録で二回用いています。この事実は、ルカの誕生物語と使徒言行録が牧会書簡と同じような時期(二世紀初頭)に成立したことを示唆する一つの指標です。

 第三に、イエスが受難の道を歩むキリストであることも指し示されています。幼子イエスを腕に抱いて、預言者シメオンはこの幼子の生涯の定めを預言して、マリアにこう語ります。

 「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。・・・・あなた自身も剣で心を刺し貫かれます・・・・多くの人の心にある思いがあらわにされるためです」。(二・三四〜三五)

 この幼子の生涯は「反対を受けるしるしとしてイスラエルに置かれる」(直訳)という預言は、イエスの生涯が、神から遣わされた者でありながら神の民であるイスラエルによって「言い逆らい」を受け、ついには殺される定めであることを預言しています。「言い逆らいのしるし」とは、神に対する言い逆らい(=反逆)が具体的な形を取る出来事です。その預言はイエスの十字架の死によって実現します。そのとき母親のマリアの心は張り裂けるような悲しみで満たされたことでしょう。それが「あなた自身も剣で心を刺し貫かれます」という形で、受難の預言の中に挿入されます。復活の主キリストを賛美する賛歌の中に、その方の受難の死の影が差しています。

聖霊による神の子の誕生

 ところで、ルカの誕生物語のキリスト告知の中でもっとも重要でかつ問題の多い告知は、イエスが処女から産まれたという告知です。ヨセフと婚約はしていますが、まだ「男を知らない」処女マリアが、「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む」ので男の子を生むという天使のお告げを受けて懐胎し、月満ちてイエスを出産したという記述です(一・二六〜三八)。この処女であるマリアからイエスが生まれたという告知は、マタイ(一・一八〜二五)にもあります。このような誕生物語の処女懐胎の告知は、福音告知の中でどのような意義と位置をもつのでしょうか。
 ルカの誕生物語の成立は、使徒言行録と同じく二世紀に入ってからだと見られます。それまでは、口頭で語り伝えられる断片的な誕生伝承は一部にはあったのでしょうが、文書としてはなかったのですから、一般の福音告知においてはイエスの誕生の次第は福音の内容としては取り上げられていなかったと見られます。事実、パウロは福音を告げ知らせ、共同体にキリストの意義を教えるとき、イエスの誕生の経緯についてはいっさい触れていません。パウロが引用する「ケリュグマ」(福音告知の定式)にも処女降誕の項目はありません。パウロ書簡のどこにもイエスが処女から生まれたことを語る内容はありません。また、使徒時代の終わり頃に成立したと見られるマルコ福音書も、イエスの誕生については触れず、イエスの生涯を洗礼者ヨハネの出現から始めています。ヨハネ福音書もイエスの誕生の次第についてはいっさい触れていません。このような事実から、使徒時代の福音告知においては、イエスの誕生の次第には触れることなく、洗礼者ヨハネの出現から十字架の死と復活に至るイエスの出来事を福音として告知していたことが十分確認できます。ということは、使徒時代においては、イエス・キリストを信じる者は、イエスの誕生がどのようであったかは何も知ることがなくても、自分のために十字架され、復活して今も生きておられるイエス・キリストを信じることで聖霊を受け、キリストの命に生きるという救いを体験していたということです。すなわち、イエスの処女降誕を知るとか信じることは救いと関係がなかったのです。
 初版のルカ福音書には誕生物語はありませんでした。後になって誕生物語が加えられて現在の形のルカ福音書が成立します。その後、マルキオンに代表されるグノーシス派と対抗するために、ルカ福音書は正統派によって重用され、マタイ福音書の権威と相まって、処女降誕を信じることが正統派信仰の内容として定着し、二世紀の終わり頃に成立したと見られる「使徒信条」では、「処女(おとめ)マリアより生まれ」という項目が正統信仰の信仰告白に入ってきます。それを信じない(=言い表さない)者は異端として退けられるようになります。
 このような事実を考慮に入れると、処女降誕の信仰告白は「相対的なもの」であることが見えてきます。福音書の処女降誕の記事を信じることができる者は幸いです(このことの意味は後述)。しかし、それを信じない(=言い表さない)とキリスト信仰にならないとか救われないということはありません。イエスの誕生は普通の誕生であったと考えていた多くの使徒時代の信者と同じく、十字架・復活のキリストに全存在を投入して言い表す者は、キリストにあって聖霊の命の現実に生きることができます。そう言う意味で、処女降誕の信仰告白は絶対的なものではなく、相対的なものです。
 では、処女であるマリアがイエスを生んだという誕生物語の記事はわたしたちに何を語ろうとしているのでしょうか。それは、「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる」(一・三五)という天使の言葉が指し示しています。復活は神の力の働き、すなわち聖霊の働きです。イエスが聖霊によって死者の中から復活されたとき、それは神の子の誕生でした(使徒一三・三三、ローマ一・四)。この復活信仰がイエスの誕生に投影されて、処女降誕の物語が形成されます(そのさいマリアの特別な体験が果たした役割については福音書講解で扱うことになります)。処女降誕の信仰告白は、復活信仰の一つの表現です。自ら聖霊の働きを受けて、死すべき古い人間の中に新しい命の誕生を体験し、それによって神の子とされたという喜びを知っている者としてこの誕生物語を聞くとき、処女降誕を含む誕生物語のキリスト賛歌を共に賛美することができるようになります。それは信仰者の喜びであり、幸せです。
 以上のような意味で誕生物語は、全体を予告する序言として福音書に組み込まれ、キリスト賛歌として世々に語り伝えられることになります。