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第三節 イエスの教えの集成としての福音書 ― マタイ福音書 

       ( 本節で書名のない引用箇所はマタイ福音書の章節です。)

はじめに

 前節で最初の福音書となったマルコ福音書の内容を、「イエス伝承による福音の告知」という視点から見ました。すなわち、イエス伝承を用いてイエスの働きと生涯を語ることによって、キリストの福音を世に告知しようとする文書としての視点から、マルコ福音書の内容を見ました。その後を承けて本節では、基本的にはマルコ福音書に依拠しながら、別の状況に対応するために、少し後で同じくシリアで成立したと見られるマタイ福音書を取り上げます。
 マタイ福音書の成立については、第一節「パレスチナ・シリアのユダヤ教内キリスト信仰の消長」の40頁以下の項目「Wイエス伝承の集成」と「X福音書の形成」で、やや詳しく述べましたので、重複を避けるために、ここではマタイ福音書の「成立」は省略して、直ちにその内容に入ります。

T マルコからマタイへ

マルコ福音書の流布

 ユダヤ戦争の前後に成立したと見られるマルコ福音書は、その後の時期(最初期後期)にはかなり流布するようになったと考えられます。「流布」と言っても、出版事情は現代とまったく違うのですから、書物としてのマルコ福音書が共同体の各人の手元に置かれて読まれるようになったわけではありません。当時の福音書は手で書き写されて、巻物とか分厚いコーデックス(多くの頁が綴じられた形の書物)として、ごく僅かの部数が主要都市の共同体に伝えられて、その共同体の僅かの指導的な立場の人たちが読むことができた程度だったと推察されます。それでも、その内容は説教を通して共同体の人たちに広く知られるようになっていたのではないかと考えられます。
 マルコ福音書が権威を認められて広く流布したのは、それがペトロから出た伝承を伝えているとされたからであると考えられます。この福音書を書いたのは「ペトロの通訳であったマルコ」、ペトロが「わが子」と呼んでいたマルコ、すなわちペトロとずっと一緒に福音活動に従事し、ペトロが語るイエスの物語をすべて身につけていたマルコであるという言い伝えは、パピアスが証言する以前から広く最初期共同体に行われていたのではないかと思われます。事実、マルコ福音書では、いつも弟子団を代表して行動するのはペトロです。最初にイエスをメシアと言い表したのはペトロです。イエスがもっとも重要な秘義を示されるとき、傍に召された三人の弟子の中で、いつも筆頭にあげられるのはペトロです。イエスから叱責されたり、イエスを否認するということも含めて、イエスをめぐる舞台で弟子の側の主役はペトロです。このように、十二弟子団を代表するペトロから出た伝承を伝えている福音書として、マルコ福音書は尊重され、広く流布したものと考えられます。

シリア、とくに西シリアにおけるペトロの権威の確立については、本書51頁の「ペトロの権威の確立」の項を参照してください。

マタイ共同体の状況

 ところで、マタイ福音書を生み出すことになる共同体(マタイ共同体)は、先に「成立」の項で見たように、ユダヤ人信者の共同体であると考えられますが、その共同体はユダヤ戦争のために激変した状況に迫られて、苦しい信仰の戦いを強いられていました。もともとこの共同体は、ユダヤ戦争以前はパレスチナで、イエス伝承を担ってイエスをメシアと告知する運動を展開していたユダヤ人信者の一団と考えられますが、イエス伝承の中でもとくに語録を重視して、「語録資料Q」を生み出すようになったグループであったと見られます。そのユダヤ人信者の一団が(あるいはその一部が)ユダヤ戦争の惨禍を避けてシリアに移住し、そこで(おそらくアンティオキアで)新しい歩みを始めるようになります。
 ユダヤ戦争のために激変した状況の中で重要なものは、(これも「成立」の項で見たとおり)エルサレム陥落後、沿岸地方のヤムニヤに成立した、ファリサイ派律法学者が構成する「法院」が、最高法院の権限を受け継ぎ各地のユダヤ教会堂を指導するようになり、その法院がイエスを信じるユダヤ教徒を異端者として会堂から追放する決議をしたことです。この決議によって、イエスを信じるユダヤ人はユダヤ教徒ではありえなくなりました。それまでは、イエスを信じるユダヤ人は、迫害されつつもユダヤ教徒として会堂の一員であることができました。しかし、この時からはそれは不可能となり、イエスをメシアと言い表すマタイ共同体は、ユダヤ教会堂とは決定的に断絶し、もはやイエスへの信仰を呼びかける姿勢はなく、偽善者として、地獄の子として激しい非難を投げつけるだけになります。
 このような状況で、信仰に動揺をきたすユダヤ人信者が出てきても不思議ではありません、ユダヤ人にとって会堂から追放される(破門される)ことがどれほど深刻な事態であるかは、現代のわれわれの想像を超えることでした。このような状況に直面して、共同体の指導的な人物が、ユダヤ教会堂に向かって自分たちの信仰を弁証し、かつ共同体内部の人たちの信仰を励まし確立するために、一つの文書を書き著します。それが「マタイ福音書」です。

著者と年代

 この文書には著者名も標題もありません。後の古代教会の伝承がこの文書を「マタイによる福音書」としたので、伝統的にその名で呼ばれるようになりました。教会はこの文書を権威づけるために、十二使徒の中に名があげられているマタイ(一〇・二〜四)の著作としたのですが、そのマタイを著者とすることは困難です。それは、イエスの働きの直接の目撃者である使徒が、使徒ではないマルコの著作に依存して書くことは考えられないからです。
 しかし、この福音書が「マタイによる」と呼ばれるようになったのには理由があったと考えられます。すなわち、この共同体が保持していたイエス伝承、とくに言葉伝承が使徒のマタイから出たものであると語り伝えられていたからであると考えられます。使徒マタイから発する伝承を内容とする福音書という意味で、「マタイによる福音書」と呼ばれるようになり、使徒マタイが著者とされるようになったのでしょう。
 実際の著者は、マタイから一世代後のユダヤ人で、ユダヤ教聖書の素養の深い律法学者的な人物であったと推察されます。この共同体の指導的な人物であった著者は、手元にマルコ福音書を持ち、それを受け入れ、それを用いて自分の福音書を書き著します。本書では、慣例的な呼び方に従い、この福音書も著者も「マタイ」という略称で呼ぶことがあります。
 マタイはこの福音書をギリシア語で書いています。古代教父の一人(パピアス)が、この福音書はヘブライ語で書かれギリシア語に翻訳されたものであると語ったと伝えられていますが、ヘブライ語からの翻訳の痕跡はなく、これは教父の証言の読み違えと考えられます(拙著『マタイによるメシア・イエスの物語』433頁参照)。ギリシア語で書いたという事実は、マタイ共同体がおもにギリシア語系ユダヤ人であることを指し示しています。また、対決するユダヤ教会堂も、アンティオキアなどの大都市ではギリシア語系ユダヤ人の会堂でしたから、シリアで成立したこの福音書がギリシア語で書かれていることは自然です。
 マタイ共同体が、(先に推察したように)ユダヤ戦争の戦禍を逃れてシリアに移住したパレスチナ・ユダヤ人の活動で成立した共同体であるとしても、「語録資料Q」がギリシア語で書かれていることからも推察されるように、パレスチナにおいてすでにギリシア語を使うユダヤ人が主流となっており、ヘレニズム都市アンティオキアでは多くのギリシア語系ユダヤ人が加入するようになり、また「神を敬う」ギリシア人をも受け入れ、ギリシア語を使う人々の共同体となっていたと考えられます。
 マタイ福音書がギリシア語で書かれているという事実は、この共同体がもはやユダヤ教内にとどまることができず、異邦の諸民族の中に福音告知の働きを進めようとする状況(二八・一九)から生まれた姿勢と相まって、以後のヘレニズム世界のキリスト者共同体全体の中で重要な地位を得るようになる要因となります。
 この福音書が書かれたのは、七〇年代と考えられるユダヤ人信者の会堂からの追放決議が、シリアにおいて実際に問題を引き起こすようになった時期、すなわちその決議からある程度の年月が経ったころと考えられるので、八〇年代成立との見方が広く受け入れられています。

福音の告知から教えの集成へ

 マタイ共同体が「語録資料Q」を担ってきたユダヤ人の福音活動によって成立した共同体であることは、この福音書の内容と性格に深い刻印を刻み込んでいます。先に「成立」の項で見たように、「語録資料Q」を生み出したユダヤ人の信仰運動は、メシアとしてのイエスの教えの言葉に従うことによって新しい神の民となることに重点を置いた運動でした。この性格は、パウロに代表される福音活動がもっぱら神がキリストにおいて成し遂げられた救いの働きを告知することでなされたのと対照的です。
 これも以前にエルサレム共同体の成立と活動のところで述べたことですが、使徒たちはイエスの復活とその十字架の死において成し遂げられた神の終末的な救いの働きを告知し、その告知によってイエスを信じた人たちに、イエス伝承を用いて、イエスの言葉に従って神の民として歩むように教えたのでした。この「告知する」《ケーリュッソー》働きと「教える」《ディダスコー》働きは、切り離すことはできませんが、一応は別の働きであり、区別して考察する必要があります。
 パウロはキリストにおいて成し遂げられた神の救いの働きを、ヘレニズム世界の諸国民に告知しました。この働きは「福音する」《エウアンゲリゾマイ》という用語で表現されています。これは、福音《エウアンゲリオン》を告知する《ケーリュッソー》働きです。この告知を信じてイエス・キリストを言い表す人たちを指導するにあたって、パウロは多くの書簡を書きましたが、その中でパウロはイエス伝承を用いていません。イエスの言葉に従うようにという教え方はしていません。
 それに対して、「語録資料Q」には「告知する」とか「福音する」という用語はなく、もっぱらイエスの教えの言葉が集められています。この事実は、「語録資料Q」を担ったユダヤ人の信仰運動(便宜上これを「Q共同体」と呼んでいます)では、福音を告知することではなく、イエスの教えの言葉に従うように教えることが、活動の中心課題であったことを示しています。
 前節で見たように、マルコ福音書はイエス伝承を用いてキリストの福音を告知しようとする性格が色濃く出ていました。著者は、イエスの働きと生涯を伝える文書を、「イエス・キリストの福音」と題して世に提示し、書中に「福音」という用語を繰り返し用いています。それに対してマタイ福音書は、マルコ福音書を基本的な枠組みとすることで福音を告知するという面を残しつつ、全体としてはイエス伝承の教えの面を強調し、教えの言葉を集成するという性格の文書となっています。マルコを用いているところ以外では「福音」という語も少なく、あの「山上の説教」に代表されるイエスの教えが「御国の福音」という表現で呼ばれています。イエスの民に与えられる使命も、すべての民に福音を告知することではなく、「すべての民をわたしの弟子とし、・・・・あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい」(二八・ 一九〜二〇)となります。
 マタイ福音書がこのような性格の文書となったのは、一つにはマタイ共同体の体質、すなわち「語録資料Q」を担ってきたユダヤ人の信仰運動の体質を継承しているからですが、もう一つの理由としては、執筆当時にマタイ共同体が置かれていた状況によると考えられます。先に見たように、会堂からの追放決議以後のユダヤ人信者は厳しい状況に置かれていました。イエスへの信仰を捨ててユダヤ教に戻るか、イエスを言い表してユダヤ教の外で生きる者となるか、厳しい選択を迫られていました。そのようなユダヤ人の共同体の信仰を励ます文書としては、キリストの福音を提示するというだけでは十分ではなく、ご自身ユダヤ教から迫害されて苦しまれたイエスが、ご自身に従う者に与えられた教えの言葉をしっかりと伝えなければなりません。マタイ福音書はイエスの教えの言葉の壮大な集成となります。

マタイ福音書の構成

 著者は、伝承されたイエスの教えの言葉を五つの大きな説話集にまとめています。その中で最初の、そして最大の集成が、弟子の在り方を説く「山上の説教」(五〜七章)です。その後、弟子の派遣にあたってなされた「派遣説話」(一〇章)、天の国についての「たとえ集」(一三章)、共同体の在り方についての「訓戒」(一八章)、終わりの日についての「終末説話」(二四〜二五章)が続きます。
 著者は、ガリラヤにおける開始からエルサレムでの受難に至るまでのイエスの活動を、この五つの説話集を枠として構成しています。すなわち、それぞれの説話集にイエスの実際の働きを描く物語を先行させ、一組の物語と説話で一つのブロックを構成し、こうして構成された五つのブロックで、ガリラヤで始まりエルサレムに至るメシア・イエスの働きを物語ります。マタイが「メシア・イエスの物語」を五つの説話集とそれを包み込む物語で構成したのは、モーセ五書の構成を意識したからかどうかが議論されていますが、聖書(旧約聖書)の救済史物語の最終章を書いていると自覚していたであろうマタイがそう意識していたことは十分あり得ることです。
 マタイがイエスの教えの言葉の集成を構成原理としたことで、マルコに見られたガリラヤ、旅、エルサレムの明瞭な三部構成はやや見えにくくなっています。しかしマタイにおいても、ガリラヤでの「神の国」告知の働き(三〜一三章)、洗礼者ヨハネの処刑を転機として始まった旅(一四〜二〇章)、エルサレムでの受難(二一〜二八章)という三部構成は維持されています。
 福音書の構成でマタイがマルコと大きく違う点は、最初にイエスの誕生物語を置いたことと、最後にガリラヤで復活されたイエスが弟子たちに現れたことを語る部分を加えたことです。最後の復活者イエスの顕現の物語(二八・一六〜二〇)は、空の墓の記事で終わり、復活者イエスの顕現を伝えないマルコ福音書の終わり方は福音書としては不十分だと感じたマタイが、ガリラヤでの顕現を伝える伝承の一つを用いて書いたと見られますが、その内容は福音書全体を締めくくるために、マタイと共同体が復活者イエスから聴いていると確信している信仰を、復活者イエスが語られたとしたものと考えられます。それは復活者イエスとの聖霊による交わりの中でマタイ共同体が聴いた言葉ですから、イエスの言葉に違いないのですが、「教えよ」という言葉が示唆しているように、やはりマタイ共同体の状況の中で聴かれた言葉として歴史的制約があることを考慮に入れておかなければなりません。
 マタイはマルコにはない誕生物語を最初に置いています(一〜二章)。イエスが「ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった」(二・一)という伝承は、最初期の共同体に広く知られていた伝承であると考えられます。しかし、最初期の福音告知においては、イエスの誕生の次第を伝えることは福音の告知において必要とは考えられていませんでした。パウロはイエスの誕生を語ることはなく、むしろ普通の誕生として扱っています(ガラテヤ四・四)。福音書の中でもマルコとヨハネは誕生の次第を伝えていません。その必要を感じたマタイとルカが、その伝承を用いてそれぞれイエスの誕生物語を構成しますが、その内容は、共通点もありますが、かなり違ったものになっています。それは誕生物語を書く意図が違うからです。
 マタイの場合は、イエスをイスラエルの歴史を完成するメシアとして描こうとしていますから、その誕生の次第もそれにふさわしく、神の働きによって起こったこととして語ります。メシアはダビデの子孫から出ると聖書に預言されており、当時広くそう信じられていましたから、イエスがダビデの子孫から生まれたこと(系図)、その出来事の一つ一つが預言の成就として起こったことが強調され、すべてが神のイニシャティブで起こったことが天使のお告げという形で描かれます。そして、物語の全体が、イスラエルの歴史の創始者ともいうべきモーセに対応する、イスラエルの歴史の完成者の誕生として、モーセの誕生物語の語りを下敷きにして描かれます。モーセの誕生の次第は出エジプト記に語られ、それが「モーセ・ハガダー」として敷衍して物語られていましたので、イエスの誕生の次第も、それに準じて詳しく物語られることになります。
 こうして、マタイ福音書はマルコ福音書の枠組みを継承しながら、誕生物語と受難・復活物語の間に、イエスの働きを伝える物語とイエスの教えの言葉の集成を組み合わせたブロック五つを置くという構成となっています。この構成はたしかに、物語と律法規定を組み合わせたモーセ五書を思い起こさせます。多彩で膨大なイエス伝承を、壮大な大建築のように明確な構成を見せる一つの物語にまとめるマタイの構想力は驚くべきものです。

マタイ福音書の構成について詳しくは、拙著『マタイによるメシア・イエスの物語』の「序章 マタイ福音書の成立と構想」を、また誕生物語については同書「第一章 誕生物語の福音」を参照してください。

 以下の各項でマタイ福音書の内容とその特質を要約することになりますが、マタイが基本的な枠組みとして受け入れているマルコ福音書と比較して、その特色を見ることが多くなります。

U 恩恵の告知と律法の完成

律法を完成するイエス

 マタイがもっとも力をこめて主張しようとすることが、次の一文に明確に表現されています。

 「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである」。(五・一七)

 先に見たように、マタイは、イエスを異端者と断罪したユダヤ教会堂勢力に対してイエスをメシアと信じる自分たちの信仰を正しいものと弁証するために、また、イエスへの信仰を捨てるかユダヤ教を捨てるかの決断を迫られているユダヤ人信者の信仰を励ますために、この福音書を書いています。そのために、マタイはイエスがメシアとしてイスラエルの中に現れたことの意義をこの言葉によって宣言するのです。
 ところで、この言葉がイエスご自身の口から出た言葉なのか、それともマタイが自分の主張をこういう形で表現したものであるのかが問題にされています。マタイは「山上の説教」を「語録資料Q」に伝えられている語録を核にして構成していますが、この言葉で始まる一段(五・一七〜二〇)は、一八節を除いて、すべてが「語録資料Q」や他の福音書にはない言葉であり、マタイの筆に成るものであることを推察させます。他の福音書に並行記事がある一八節も、本来の文脈から切り離されてマタイの主張に好都合な文脈に置かれているので、この推察は強められます。

福音書の中のイエスの言葉が、地上のイエスの口から出た言葉でなく、福音書記者あるいは共同体が復活されたイエスから聴いている言葉をイエスの言葉として書いたものであることの意義については、拙著『ルカ福音書講解U』352頁の「補論―福音書における『史的イエス』」の項を参照してください。イエスは地上での活動期間において律法学者たちから律法違反を批判されていたのですから、このような宣言をされたことはあり得ることです。しかし、そうであるならば、このような重要な宣言は当然「語録資料Q」に採り入れられていると考えられるので、これがマタイだけにあり、かつ極めてマタイ的な文体で書かれているこの一段にあることは、これがマタイの筆になるものであることを強く推察させます。

 この一段(五・一七〜二〇)は伝承されたイエスの語録ではなく、マタイがイエス出現の意義をユダヤ人に向かって宣言する言葉であり、この一段は以下に提示するメシアの民の姿を語る本体部分の導入部となっています。その導入部は次の言葉で締めくくられています。

 「言っておくが、あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない」。(五・二〇)

 マタイは、四福音書の中でもっとも「義」を重視する福音書です。義を神との関わりの中心に据えるのは、ユダヤ教徒として当然であり、この福音書がユダヤ人に向かって書かれていることを示す特色です。この一文はマタイが義を重視することを示す典型的な宣言ですが、マタイの義の重視は、他にも「語録資料Q」に伝えられているイエスの語録を義を追求することを語る語録に変えていることなどに見られます。たとえば、「飢えている者は幸いである」というQの語録は、「義に飢え渇く人は幸いである」(五・六)に変えられ、Qの「ただ神の国を求めよ」には「神の義」が加えられて、「まず神の国と神の義を求めよ」(六・三三)になっています。

ギリシア語原語で「義」《ディカイオシュネー》という名詞が出てくるのは、マタイで七回、マルコはなし、ルカも(誕生物語の一回を除くと)なし、ヨハネは二回です。 Robinson et al., "The Critical Edition of Q" もこの二カ所ではルカの形を「語録資料Q」の形とし、「義」はマタイによる付加だとしています。

 マタイの時代のユダヤ教会堂はファリサイ派ユダヤ教になっていましたが、彼らがイエスを律法を破壊する異端者だとするのに対して、イエスは律法を廃止するのではなく完成するのだと反論し、同時にイエスを信じるユダヤ人の共同体で律法を軽視したり無視する傾向に対して、この言葉で厳しく警告し、対立するファリサイ派の人々の義にまさる義の実行を共同体に要求します。
 では、ファリサイ派の人々の義にまさる義とはどのような義でしょうか。マタイはこの義を二つの方面から説きます。一つは、ファリサイ派が説く義を「あなたがたも聞いているとおり、昔の人は・・・と命じられている」という形で提示し、それに対置する形で、「しかし、わたしは言う」と、メシアとしてのイエスの新しい戒め、モーセ律法よりもはるかに高度な戒めを置きます(五・二一〜四八)。このように、ユダヤ人がモーセを通して与えられていた律法に対して、イエスが説かれる誡めは「対立命題(アンティテーゼ)」と呼ばれることもあります。
 もう一つは、「義を行う」ときの行い方について、施し、祈り、断食の三つの宗教的な行為の仕方を説く部分です(六・一〜一八)。新共同訳では「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい」(六・一)と訳されていますが、ここの「善行」はギリシア語原語では《ディカイオシュネー》(義)です。施し、祈り、断食は、ユダヤ教において神に喜ばれる重要な敬虔の業でした。それを行うことは「義を行う」と呼ばれていましたが、マタイはその行い方について、ユダヤ教徒と対比して、イエスを信じるユダヤ教徒としての「より優れた義」の行い方を説きます。

「しかしわたしは言う」

 第一の「しかし、わたしは言う」という箇所(五・二一〜四八)は、「山上の説教」の中心の位置を占める重要なところですが、同時にその解釈をめぐって議論が絶えない困難な箇所でもあります。「メシアの新しい戒め」と言っても、モーセ律法のように祭儀と生活のあらゆる局面を網羅した規定とか法律ではありません。それは殺人、姦淫、離婚、誓い、復讐、隣人愛の六つの局面を扱っていますが、これは生活とか対人関係のすべてではなく、主要な局面で「ファリサイ派の人々の義にまさる義」を例示したものです。ここでその一つひとつを詳しく講解することはできませんので、全体としての意義を探りたいと思います。
 まず気付くことは、イエスはモーセ律法を内面化しておられるのではないかということです。第一の殺人に関する言葉は、モーセ律法では実際に人を殺した者が裁判にかけられるのに対して、イエスは、隣人に対して怒り、嘲り、罵るというような、心の中で生起し、言葉で表現されるだけの行為を、実際の殺人と同じく、神の裁きにあうと教えておられます(五・二一〜二六)。一応これは律法の内面化ということができます。
 第二の姦淫についても、みだらな思いで他人の妻を見る者はすでに心の中で姦淫を犯した者として、実際の姦淫の行為と同列に扱われます。これも律法の内面化と言えるでしょう。しかし、この内面化はすでにユダヤ教においても見られ、ラビたちもみだらな思いで女性を見ることを律法に背く行為として断罪しています。おそらくそれを知っているマタイは、彼らと差をつけるために、みだらな思いを避けるために右の目をえぐり出して捨て、右手を切り捨てよという激しい言葉を続け、内面化された律法の厳格な実行を求めています(五・二七〜三〇)。これは律法の厳格化と言えるでしょう。
 この厳格化は第三の離婚についても見られます。ユダヤ教では離縁状を渡して離縁することが認められていましたが、「みだらな行為の場合は別として」、離縁する行為そのものを妻に姦通の罪を犯させる行為として全面的に禁じています。これは一応律法の厳格化と言えるでしょう。
 第四の誓いについての言葉にも、律法の厳格化が見られます。偽りの誓いだけでなく、誓いそのものが自分の言葉の信実さに差をつける行為として全面的に否定されます。しかし、この面での律法の厳格化はユダヤ教の中でも見られ、エッセネ派のクムラン共同体では誓いが全面的に禁じられていました。
 ところが、第五の「復讐するな」や、第六の「敵を愛しなさい」という誡めになると、モーセ律法の内面化や厳格化では説明できないことになります。律法は、悪にたいしてはそれに相当する悪をもって報いることを当然とし、隣人を愛することを求めますが敵は憎むことを求めています。実は、イエスが弟子に求められる在り方は、モーセ律法を内面的に、また厳格に実行することではなく、律法とはまったく別の原理に基づいて生きることを求めておられるのです。そのことは、この箇所(五・二一〜四八)と並行するルカ(六・二七〜三六)の記事との比較から示唆されます。
 イエスが弟子たちにその生き方を説かれた説話は、マタイでは山に登ってされたとなっているので「山上の説教」と呼ばれ、ルカでは山から下りて平地でされたので「平地の説教」と呼ばれています。マタイの「山上の説教」では、祝福の言葉の後、マタイの筆になると見られる導入部(五・一七〜二〇)を置き、続いてモーセ律法と対比して「しかし、わたしは言う」という形で、イエスが弟子たちに求められる在り方がまとめられています。それに対してルカの「平地の説教」では、祝福の言葉の後すぐに、「敵を愛しなさい」で始まる一段(ルカ六・二七〜三六)が来ます。この「敵を愛せよ」の一段の中に、悪に対して悪をもって報いるのではなく、無条件に善を行うことを求める語録がまとめられ、それを根拠づける「父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい」という言葉で締めくくられます。
 現代のQの研究者は、このルカの形が「語録資料Q」の形であり、マタイの形はユダヤ教の律法学者的な視点から為されたマタイの編集の結果であると見ています。そうすると、「語録資料Q」においては、弟子たちへの語りかけで、祝福の言葉のすぐ後に「敵を愛しなさい」の一段が続いていたことになりますが、このQの順序は弟子たちがイエスから受けた圧倒的なインパクトを反映していると考えられます。すなわち、弟子たちはイエスの教えの言葉を語り伝えるにさいして、他の何よりもこの一つのこと、今までのラビの教えには見られなかったこのイエス独自の教えをまず伝えようとしたことを示しています。
 イエスがこのように敵を愛すること、そしてそれに含まれることですが、悪に対して悪をもって報いるのではなく、相手に絶して善をなすように求められる根拠として、ルカでは父がそのような絶対的な(相手に絶した)善を為される方であることが根拠とされ、それが「いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい」(ルカ六・三六)という言葉で指し示されます。このようにルカでは、イエスが弟子に求められる敵を愛する愛が父の慈愛の場で成り立つこと、すなわち恩恵の場における人間の在り方であることが分かりやすい形でまとめられています。
 このことはマタイも同じく、父の絶対的な善を、「父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる」(五・四五)という印象深いイエスの語録で伝え、人間の相対的な善とか愛と対比しています(五・四六〜四七)。ただ、マタイはQの「憐れみ深い」という用語を「完全な」という表現に変えて、「だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい」と書いています(五・四八)。この変更のために、ルカでは父の無条件絶対の恩恵が敵を愛する愛の根拠とされていたことが比較的分かりやすかったのに対して、マタイではそれが分かり難くなり、イエスの教えの完璧な実行が求められているという理解を招くことになります。

人の前で義を行うな

 マタイが共同体の人たちに求める「ファリサイ派の人々にまさる義」のもう一つの面は、ユダヤ教で「義の行い」とされている施し、祈り、断食の仕方について語られています(六・一〜一八)。この三つの「義の行い」はユダヤ教に特有のものですから、異邦人に向かって書いているルカ福音書には並行記事はありません。ただ、マタイでは祈りに関する教えの中で取り上げられている「主の祈り」は、ルカでは別の文脈で取り上げられることになります。
 この面でのファリサイ派の人々の義との比較は分かりやすいようです。すなわち、ファリサイ派の人々の施し、祈り、断食という「義の行い」は、周囲の人たちに自分の敬虔さを見せつけるためのものであり、人々に認められた義を神の前に言い立てるためのもの、自分の義の主張です。それに対してマタイは、イエスは弟子たちに、そのような「義の行い」を隠れたところで行い、人の前で行わないように求めておられるとします。「そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる」という言葉が、三つの場合のそれぞれに繰り返されます(六・四、六、一八)。
 マタイの時代のユダヤ教はファリサイ派ユダヤ教でした。従って、マタイはここでユダヤ教における義の理解と対比して、イエスの民の義を語っていることになります。マタイの時代には神殿祭儀はなくなっていましたが、神殿祭儀を中心として成立したユダヤ教という宗教体系は「律法」という形で継承されています。ここでマタイが「ファリサイ派の人々の義」というとき、それはユダヤ教という「宗教」における義を指しています。義とは神との関わり方の問題ですから、マタイ福音書のイエスはここで、宗教における義とは別の義の在り方を説いておられることになります。
 もともと宗教は祭儀を土台とする人間共同体のシステムですから、その中で確かな位置を占めるには、その宗教に合致した在り方を共同体の中で認められ、評価されなければなりません。そのためにその宗教が求める行為、ユダヤ教では「律法の行為」を欠けるところなく行い、それがその宗教共同体で認められる必要があります。「ファリサイ派の人々の義」とは、まさにこのような「律法の行為」の誇示であり、自分の義(宗教にかなった在り方)を主張するためのものです。
 それに対して、イエスは弟子たちにそのような宗教の行為を隠れたところでして、人の前で行わないように求められます。すなわち、宗教共同体で認められる義を問題としないで、ただ自分と「隠れたところにいます父」との関わりだけを問題にする姿勢です。そのような姿勢で、断食し(=自分に絶し)、祈り(=父だけに縋り)、施す(=自分も持ち物も投げ出す)魂に向かって、「隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる」とイエスは言われます。すなわち、そのような姿で自分に関わる者に、父はご自身の良きもの(御霊の命)を与えて、ご自分の命によって生きるようにしてくださいます。

マタイにおける恩恵の告知

 このように見てくると、一見マタイのイエスは律法の内面的で厳格な実行を求めておられるように見えますが、実は父の無条件絶対の恩恵の場に生きることを求めておられるのです。そのことを見落とすと、「山上の説教」、とくに「しかしわたしは言う」の言葉は誤解され、内面化され厳格化された律法の要求となり、イエスに従おうとする者に「負いきれない重荷」を負わせる結果になります。いったい誰が心の奥底まで父なる神のように完全になることができるでしょうか。
 「山上の説教」の中にも、五章四五節のような父の無条件絶対の恩恵を指し示す言葉はあります。また、七章の「人を裁くな」の段落(七・一〜六)や「だれでも求める者は得る」という段落(七・七〜一一)のような、「恩恵の座への招き」という標題をつけてもよいような語録を伝える箇所もあります。しかし全体としては、メシア・イエスが弟子に与える新しい誡めという性格が前面に出ていて、そう理解されることが多いのも事実です。

この二つの段落が「恩恵の座への招き」であることについては、拙著『マタイによる御国の福音 ― 「山上の説教」講解』321頁以下の「第七章 恩恵の座への招き」を参照してください。

 しかし、マタイ福音書がやはり「福音書」であって、イエスが告知された父なる神の絶対無条件の恩恵を告知する文書であることは、この福音書全体から見なければなりません。すべてを取り上げることはできませんが、代表的な箇所を見ておきます。
 イエスが告知された「神の国」、「神の支配」とは、「恩恵の支配」です。神の無条件絶対の恩恵が、いかなる人であっても、その恩恵をひれ伏して受け入れる者を、無条件に神の子として受け入れてくださる神の慈愛の働きです。その慈愛が、他の諸々の支配力を圧倒して支配する現実です。イエスは自らその恩恵を体現し、ご自身のもとに来る民、苦しむ人々にお与えになりました。恩恵は実際に働く神の力です。病に苦しむ者には病からの解放、悪霊の支配に呻く者には悪霊の支配からの解放、そして罪人として社会から疎外されている人には、神の子としての確信と喜びをお与えになりました。すべてはイエスを通して働く神の恩恵の力です。
 イエスが多くの病人や障害者をいやされた事実が伝えられていますが、それは終末的な(=終わりの日に起こると約束されていた)罪の赦しのしるしであることが、足の萎えた人のいやしの記事で明言されています(九・一〜八)。預言者たちは、終わりの日には神が民の背きの罪を赦し、無条件に受け入れ、御自身の民として完成してくださることを預言していました(エレミヤ三一・三一〜三四、イザヤ四三・二五、四四・二二など)。今「人の子」として来られたイエスがそれを実現しておられます。イエスはそのことを、神だけがすることができる力ある業(奇跡)をもって指し示しておられるのです。「罪の赦し」は恩恵の支配の一つの表れです。
 イエスは「恩恵の支配」を告知されたということがもっとも具体的に現れている出来事は、イエスが当時のユダヤ教社会で「罪人」と呼ばれている人たちと食卓を共にして交わり(それは仲間であることの表現です)、その人たちに向かって「あなたたち貧しい人たちは幸いだ。神の国はあなたたちのものだ」と祝福されたことです。「貧しい人たち」というのは、ユダヤ教社会で「罪人」と呼ばれていた人たちに対するイエスの呼び方です。ユダヤ教の指導層をなす祭司やファリサイ派の人たちは、自分たちを律法に忠実な「義人」とし、徴税人や遊女を代表格とする律法を守る生活ができない階層の人たちを「罪人」と呼んでいましたが、イエスは彼らこそが「神の国」を受け継ぐ人たちだとして祝福されます。それは、「義人」は神の恩恵を必要とせず、恩恵に頼ることは律法を順守する意義を否定するとして恩恵を拒否しますが、「罪人」は神の恩恵をひれ伏して受け入れるからです。神の前に何も価値あるものがない「貧しい者」は、恩恵に縋るほか生きる場がないのです。
 このことはすでにマルコ(二・一三〜一七)でレビが召されたときの出来事として伝えられていますが、マタイ福音書(九・九〜一三)は同じことを自分たちの共同体の源流となったマタイの名を用いて伝えています。しかし、この出来事の意味は、両方とも「わたしが来たのは、正しい人(義人)を招くためではなく、罪人を招くためである」という同じ言葉で明確に表現されています。これはまさに恩恵の告知そのものです。この言葉は、千年後の日本で親鸞の「悪人正機」の思想となって現れます。
 恩恵の支配を指し示すイエスの語録は他にもありますが、その多くは他の共観福音書にもあるものです。ところが、恩恵の支配と恩恵の場に生きる者の姿を明確に語る印象深いたとえがマタイだけにあります。それは「仲間を赦さない家来」のたとえです(一八・二一〜三五)。そのたとえでは、主君の憐れみによって多額の借金を帳消しにしてもらっていながら、自分から僅かの金額を借りている仲間を憐れまず訴えて牢に入れた家来に向かって、主君は「わたしがお前を憐れんでやったように、お前も自分の仲間を憐れんでやるべきではなかったか」と言って、その家来を牢に投げ入れています。このたとえは、父の恩恵によって救われ生かされている者は、同じ無条件絶対の慈愛によって隣人を受け入れ愛さなければ、すなわち敵を愛する愛に生きなければ、父の恩恵の場に留まることはできないことを語っています。恩恵が支配する場は、人間に根源的な変革を迫る激しい場なのです。
 しかし、マタイ福音書が恩恵の支配を告知する「福音書」であるのは、何よりもこの福音書がマルコ福音書を基本的な枠組みとして受け入れている事実にあります。先に見たように、マルコ福音書は「十字架されたキリスト」における神の贖いの働きを告知する「福音書」でした。マタイは「語録資料Q」を生み出したユダヤ教徒の新しい信仰運動の流れに属する者であると見られますが、そのマタイがおもに「語録資料Q」から構成されたイエスの教えを、十字架の福音を告知するマルコ福音書の枠組みの中に置いたことは、マタイの最大の貢献です。それによって、イエスの言葉はすべて十字架の恩恵の場で聴かれ、理解される言葉となったからです。

その理解の仕方の実例については、拙著『マタイによる御国の福音 ― 山上の説教講解』を参照してください。

マタイとユダヤ教

 マタイは、イエスは「律法と預言者」を完成する方であると宣言します(五・一七)。「律法と預言者」という表現は、当時では聖書の全体を指し、ユダヤ教そのものを指す表現でした。当時のユダヤ人は自分たちの宗教規定の全体を《トーラー》と呼んでいましたが、マタイはイエスを《トーラー》(すなわちユダヤ教)を完成する方としてユダヤ人に告知するのです。
 これは、「キリストは律法の終わりとなった」と宣言するパウロと対照的な立場です。パウロは、イエス・キリストを信じた異邦人に、割礼を受けてユダヤ教徒にならなくても、異邦人のままで救われると主張しました。それに対して、ユダヤ人信者の一部の者が反対し、異邦人信者に割礼を受け、律法を順守することを求めました。しかしマタイは、パウロの律法の外での義に反対して、異邦人信者に割礼と律法順守を要求した「ユダヤ主義者」の陣営に属する者ではありません。マタイはあくまでユダヤ人に、イエスを信じる信仰は律法(ユダヤ教)を廃棄するものではなく、恩恵によって律法を成就することを説いているのです。マタイ共同体は、ユダヤ教共同体から絶縁状を突きつけられ、ユダヤ教社会から退去し、異邦人世界に乗り出そうとしていますが、その異邦人でイエスを信じる者に、マタイは割礼とか食事規定や安息日規定の順守を求めることは一言も言っていません。マタイ福音書のイエスは、「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によってバプテスマを授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい」と命じておられます(二八・一九〜二〇)。すなわち、割礼とユダヤ教律法の順守ではなく、バプテスマとイエスの教えの実行を命じておられるだけです。
 「ユダヤ主義者」がパウロの「無割礼の福音」に反対して活動したのは、最初期前期、すなわちエルサレム神殿が崩壊するまでの時期で、エルサレム共同体に代表される「ユダヤ教内キリスト信仰」が権威をもって存在していた時期だけでした。後期、すなわちエルサレムが陥落し、エルサレム共同体がペラに移動して影響力をなくしてからは、「ユダヤ教内キリスト信仰」は影響力を失い、キリストの福音はユダヤ教の外のヘレニズム世界に進出し、キリスト信仰はユダヤ教の外での信仰が主流となっていきます。
 マタイ福音書はまさに、このユダヤ教内キリスト信仰がユダヤ教の外の異邦人世界に乗り出そうとしている姿勢を体現している福音書です。この福音書には、ユダヤ教内キリスト信仰の遺産が豊かに継承されています。それによってこの福音書は、貴重なイエス伝承と聖書的救済史信仰とユダヤ教の高い倫理性を異邦人共同体に引き継いで行く重要なパイプ役を果たします。この福音書は、異邦人世界に十字架の福音を告知するマルコ福音書を自分の足場とすることで、異邦人世界への福音を伝える器とし、同時にその中にユダヤ教内キリスト信仰の遺産を豊かに盛り込んで伝えることになります。このようなマタイ福音書の役割は、マタイ共同体がギリシア語を使うユダヤ人信者の共同体であり、この福音書がギリシア語で書かれていたことが大きな助けとなっていたと考えられます。

V 「人の子」と「ダビデの子」

「人の子」イエス

 前節「イエス伝承による福音の告知 ― マルコ福音書」で見たように、イエス伝承を用いて福音を語ろうとする限り、イエスが用いられた「人の子」という称号を使用しないで福音を語ることはできませんでした。「人の子」という表現はイエス伝承にしっかりと組み込まれており、それをはずしてイエス伝承を用いることはできません。この「人の子」という称号はユダヤ教黙示思想に出てくる特異な表象であり称号ですので、異邦人には理解できないものです。それで、異邦人に福音を告知したパウロはこの称号を全然用いていません。しかし、異邦人に福音を告知するマルコ福音書も、イエス伝承を用いる限りはこの称号を用いざるをえませんでした。
 マタイ福音書は、これまでに見てきたように、著者自身ユダヤ教律法学者的な体質の人物ですし、おそらく黙示思想文書にも馴染んでいたと推察されます。また彼はユダヤ人に向かって書いていますから、マタイが「人の子」という称号を用いることは当然のこととなります。当然のことながら、マルコ福音書と同じように、パレスチナ・ユダヤ人が伝えたイエス伝承の中の「人の子」伝承を次の三つの基本的なグループで用いています。

1 終わりの日に天から現れて神の支配を地上に実現する黙示思想の「人の子」 (一〇・二三、一三・四一、
  一六・二七、一六・二八、一九・二八、二四・二七、二四・三〇〜三一、二四・三三、二四・三七、
  二四・三九、二四・四四、二五・三一、二六・六四)
2 苦しみを受ける「人の子」 (一二・四〇、一七・九、一七・一二、一七・二二、二〇・一八〜一九、
  二〇・二八、二六・二、二六・二四、二六・四五)
3 地上で神の権威を行使する「人の子」 (九・六、一二・八、一二・三二)

 この三つの場合の用例と意味は、マルコ福音書の場合とほぼ同じで、そこでの解説(100頁「『人の子』イエス」の項)を参照していただくことにして、ここでは「語録資料Q」を主要な資料として用いているマタイの特色を加えるにとどめます。
 著者の共同体(マタイ共同体)は、「語録資料Q」を担ってきたユダヤ人信者の共同体と考えられ、マタイはこの語録資料を核として用い、イエスの教えを五つの説話集にまとめたわけです。その「語録資料Q」は、「イエスは地上にすでに現れ、かつ、審判者として再び到来するはずの人の子であるという主導観念の下に、イエスの言葉が主題的な視点から整理されている」語録集です(F・ハーン)。したがって、「語録資料Q」を用いるマタイ福音書は、以上の三つの場合以外のイエスの様々な発言を「人の子」についての発言として伝える場合が多くなります。
 たとえば、「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない」(八・二〇)という語録は、ルカ(九・五八)にも並行箇所があり、「語録資料Q」から取られていると見られますが、これももともとはイエスがご自分の生涯について洩らされた言葉が、パレスチナ・ユダヤ人の共同体で伝承されていく過程で「人の子」を主語にする語録となっていったものと考えられます。
 また、イエスが洗礼者ヨハネとご自分の関わりを語られたところで、「ヨハネが来て、食べも飲みもしないでいると、『あれは悪霊に取りつかれている』と言い、人の子が来て、飲み食いすると、『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ』と言う」(一一・一八〜一九)と言っておられます。ここもルカ(七・三三〜三四)に並行箇所があり、「語録資料Q」からと見られます。ここもイエスに対する民衆の拒否を「人の子」に対するものとして語り伝えたQ共同体の語り方が反映しています。
 なお、イエスが語られたたとえ話の中に、「人の子」が登場するたとえが一つあります。「毒麦」のたとえ(一三・二四〜三〇)の解説(一三・三六〜四三)で、「良い種を蒔く者は人の子、畑は世界、良い種は御国の子ら、毒麦は悪い者の子らである」と言われています。このたとえはマタイだけにあるたとえであり、他の福音書には並行記事はありません。従って、これは「語録資料Q」からではありません。普通マタイの特殊資料(M)から取られたものとされますが、その解説がきわめて周到に構成された寓喩となっており、しかもたとえの本体がその寓喩に適合するように語られている事実から、これはむしろマタイがこの寓喩を語るために構成したたとえであると見る方が順当です。そこで世界に御国の子らという良い種を蒔く主語が「人の子」とされていることは、復活されたイエスを「人の子」として告知したQ共同体の体質を反映しています。

「毒麦」のたとえについて詳しくは、拙著『マタイによるメシア・イエスの物語』194頁の「毒麦のたとえ」の項を参照してください。

 マタイだけにある記事は、マタイの特殊資料(M)から採られたか、またはマタイによる構成によるものですが、その中ではいつも「人の子」が主役として現れます。たとえば、十二人を派遣されるときの言葉は、「異邦人の道に行ってはならない。また、サマリア人の町に入ってはならない。むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところへ行きなさい。・・・・はっきり言っておく。あなたがたがイスラエルの町を回り終わらないうちに、人の子は来る」(一〇・五、六、二三)となっています。これはユダヤ人に向かってメシア・イエスを告知したQ共同体に典型的な語録ですが、ここでは「人の子」の来臨が完成をもたらします。また、「はっきり言っておく。新しい世界になり、人の子が栄光の座に座るとき、あなたがたも、わたしに従って来たのだから、十二の座に座ってイスラエルの十二部族を治めることになる」(一九・二八)という語録も、マタイだけにある典型的なユダヤ人向けの言葉ですが、ここでも「人の子」が主役です。
 このようなQ共同体の体質の反映は、ここにあげたマタイだけにある記事に見られるだけでなく、他の福音書の並行記事では「わたし」とあるところが、マタイでは「人の子」となっているところにも見られます。たとえば、フィリポ・カイサリアでイエスが弟子たちに「人々はわたしのことを何者だと言っているか」とお訊ねになったところは、マタイだけが「人々は人の子を何者だと言っているか」としています(一六・一三)。また、マルコやルカが「神の国」が来るとしているところをマタイだけが「人の子」が来るとしているところがあります(一六・二八)。
 このようにマタイにおける「人の子」の用例を見てくると、パレスチナ・ユダヤ人がパレスチナとシリアでおもにユダヤ人に向かって進めたメシア・イエスを告知する運動では、イエスが「人の子」として告知されていたことがうかがわれます。「語録資料Q」は、その運動の中で成立した一つの資料であり、その中で「人の子」が主導的な形姿であることは、パレスチナ・ユダヤ人の運動がイエスを「人の子」として告知していたことを指し示しています。マタイは、その運動の集大成として、「人の子」イエスを告知する福音書を書き著すことになります。

パレスチナ・ユダヤ人がイエス伝承から集成した諸資料の一つが「語録資料Q」です。従って、その多くの資料の中の一つの資料をもって運動全体の性格を判断することは誤りです。Q共同体を含めパレスチナ・ユダヤ人の運動には、「語録資料Q」だけでなく、受難物語伝承や奇跡伝承が多く含まれていたことに留意すべきです。

「ダビデの子」イエス

 マタイ福音書が、パレスチナ・ユダヤ人のメシア・イエス運動の集大成であることを指し示すもう一つの標識は、この福音書がイエスを「ダビデの子」であることを強調している事実に見られます。
 一世紀のユダヤ教では、イスラエルは今は異教徒の支配下で呻吟しているが、終わりの日には神から遣わされる救済者が現れ、イスラエルを本来の神の民としての栄光に引き上げ、神の支配を完成してくださるという待望が燃えていました。しかし、その待望の中身は一律ではなく、様々な形を取っていました。その中で有力な流れが、ファリサイ派が主張する「ダビデの子」としてのメシアと、当時盛んになってきていた黙示思想が提示する「人の子」としての終末的救済者です。

イエスの時代のユダヤ教におけるメシア待望については、拙著『マルコ福音書講解U』90頁の「ユダヤ教のメシア待望」を参照してください。

 イエスの時代のユダヤ教では、神殿の祭司階級はサドカイ派が主流をなしていましたが、民衆の間では会堂を舞台とするファリサイ派の活動で、ファリサイ派ユダヤ教が主流となっていました。従って民衆の間では、ファリサイ派のメシア待望である「ダビデの子」としてのメシアに対する待望が熱く燃えていました。ダビデの子孫から出る人物によってダビデの王国が回復され永続するとのナタン預言(サムエル記下七・八〜一六)によって、多くの預言者たちも終わりの日のイスラエルの栄光をダビデ王国の回復のイメージで語っていました。「ダビデの子」は、ダビデ王国の栄光を回復するメシアの称号になっていました。それで、イエスを通して働く神の力に感動した民衆は、イエスこそ神から油を注がれた方(=メシア)、ダビデ王国を回復する救済者にして王であると期待するようになっていました。それは、イエスが最後にエルサレムに入られるとき、迎えた民衆がダビデ王国の到来として歓呼した事実にも表れています(マルコ一一・九〜一〇)。マタイ(二一・九)はそれを「ダビデの子」に対する歓呼にしています。直前のエリコでは、道端に座す物乞いまでが、イエスに向かって「ダビデの子よ」と叫ぶほど、この称号は民衆に行き渡っていました(二〇・三〇)。
 このように「ダビデの子」であるメシアの到来を待ち望んでいるユダヤ人民衆に、イエスこそ待ち望まれていたメシアであることを説得するためには、イエスがダビデの家系の出身であることを示さなければなりません。ユダヤ人に向かって福音書を書いているマタイは、その冒頭にイエスの系図を置き、イエスがダビデの子孫であることを示します。マタイ福音書は、「ダビデの子、アブラハムの子、イエス・キリストの系図」(一・一、原文では「ダビデの子」が先)という言葉で始まります。冒頭からマタイはイエスが「ダビデの子」であることを強調していますが、この強調は以後も繰り返し現れます(一・二〇、九・二七、一二・二三、一五・二二、二〇・三〇〜三一、二一・九、二一・一五)。
 ここにあげた用例は、系図の場合の他はみな民衆からの呼びかけであり、イエスご自身は自分を「ダビデの子」メシアであると主張されたことはありません。むしろ弟子たちにイエスのメシアとしての栄光が示されたときも、それを口外しないように厳しく命じておられます(一七・九)。先にマルコ福音書のところで見たように、この禁止命令は「メシアの秘密」というマルコの執筆動機から出た場合もあるでしょうが、イエスご自身にもそう命じる動機は十分にあります。この「ダビデの子」という称号は、異教徒の支配を打破して地上にダビデ王国の栄光を回復しようとする当時のメシア運動の指導者にふさわしい称号です。イエスは、ご自身の使命をイザヤ書五三章の「主の僕」として自分を民の贖いとして捧げることと自覚しておられたので、このような「ダビデの子」としてのメシアの道を誘惑として厳しく退けようとされたことが、福音書の記事から垣間見られます。
 イエスが「ダビデの子」であることを宣言したのは、イエスの復活後にイエスをメシアと告知した、エルサレム共同体から始まるパレスチナ・ユダヤ人のイエス運動です。マタイ福音書は、そのパレスチナ・ユダヤ人のメシア・イエスの告知を集大成する文書として、イエスが「ダビデの子」であることを強調します。
 パレスチナ・ユダヤ人の福音活動から生まれたと見られるキリスト告知の定型文《ケリュグマ》が、パウロのローマ書に引用されています。

 御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、聖なる御霊によれば死者たちの復活によって大能の座にある神の子と公示された方、すなわち、わたしたちの主(キュリオス)であるイエス・キリストです。(ローマ一・三〜四)

 最後の「すなわち、わたしたちの主《ホ・キュリオス》であるイエス・キリストです」の部分はパウロによる説明である可能性がありますが、「肉によればダビデの子孫から生まれ、聖なる御霊によれば死者たちの復活によって大能の座にある神の子と公示された方」という《ケリュグマ》(福音告知)の表現は、パレスチナの「ユダヤ教内キリスト信仰」の標識を示しています。おそらくこの《ケリュグマ》定型文は、パレスチナとローマの間のユダヤ人の頻繁な交流を通して、パウロ以前にユダヤ人伝道者によって、パレスチナから直接ローマに伝えられたものであると考えられます。ローマ書一六章(七節)に名をあげられているアンドロニコとユニア(おそらく夫妻)も、そのような働きをしたユダヤ人の「使徒」であると考えられます。パウロは、このような福音告知の内容を自分とローマの共同体の共通の基盤として前提することができたので、これを最初に引用したのでしょう。
 パウロは福音の告知にさいして、キリストが「ダビデの子」であることには全然言及していません。しかし、この《ケリュグマ》定型文はパウロ系の異邦人共同体においても保持され、七〇年以後に福音書が流布するにともない、地上のイエスの働きや系譜がよく知られるようになり、イエスがダビデの子孫であることが重視されるようになります。その結果、新約聖書の中でも最も後期に成立した牧会書簡において、「わたし(パウロ)が告知する福音によれば、この方(イエス・キリスト)は死者の中から復活された方であり、ダビデの子孫である方です」という文が伝えられることになります(テモテU二・八)。こうして、マタイの「ダビデの子」イエスの告知は、異邦人共同体にも継承されることになります。
 ところで、マタイ福音書には(マルコやルカと同じく)イエスを「ダビデの子」ではないとする議論が伝えられています(二二・四一〜四六)。マルコは、先行する質問なしで、「イエスは答えて言われた」という句でこの論争を導入していますが、マタイは「ファリサイ派の人々が集まっていたとき、イエスはお尋ねになった」という句で始めます。この書き方にも、ユダヤ教会堂側のメシア理解が間違っていることを突こうとする、マタイの攻撃的な姿勢がうかがえます。
 「あなたたちはメシアのことをどう思うか。だれの子だろうか」というイエスの質問に、ファリサイ派の人たちは「ダビデの子です」と答えます。メシアがダビデの子であること、すなわちダビデの子孫から出て、ダビデの王国を回復する人物であることはファリサイ派の信条であり、当時のユダヤ教で主流をなすメシア観でした。こう答えさせた上で、イエスは詩編一一〇編一節の言葉を引いて、「では、どうしてダビデは、霊を受けて、メシアを主と呼んでいるのだろうか。ダビデがメシアを主と呼んでいるのであれば、どうしてメシアがダビデの子なのか」と反論されます。
 この反論は、実はユダヤ教会堂のメシア観に対するマタイの攻撃です。地上のイエスはご自分を「ダビデの子」と主張されたことはありません。従って、これは地上のイエスがファリサイ派に反論されたものではなく、復活されたイエスを主《ホ・キュリオス》として告知しているマタイの共同体が、復活されたイエスを信じないで、いまだにダビデ王国を回復する「ダビデの子」のメシアを待望しているファリサイ派ユダヤ教を批判しているのです。
 ここに引用されている詩編一一〇編一節は、最初期の共同体がイエスの復活を論証するのに好んで引用した聖句です。最初期共同体は聖書を信じるユダヤ人に向かって、神はイエスを復活させて主《キュリオス》とされた。復活して神の右に上げられたイエスこそ真のメシアであり、ダビデはこの方を「主」と呼ぶのである、と主張します。ところが、ユダヤ教会堂はイエスを復活された主《キュリオス》とは認めません。それでは、ダビデがメシアを主と呼んでいる詩編の聖句は矛盾に陥るではないか、という批判です。イエスの復活を信じて初めてこの詩編の言葉が成就するのだ、と主張しているのです。
 だからと言って、マタイはメシアがダビデの子であることを否定しているのではありません。イエスがダビデの子であることを強く主張しているのはマタイ自身です。「ダビデの子」こそ、イスラエルに与えられた諸々の約束を成就する者です。それで、ユダヤ人にイエスがメシアであることを説得するには、イエスがダビデの家系から出た方であることを示すことが不可欠でした。それで、「メシアは誰の子か」という問いに、マタイは「メシアは、人としてはダビデの子であるが、復活によって神の子、《ホ・キュリオス》とされた方である」と答えます。この答えは、初期の共同体において共通の信仰告白となり、先に引用したように、キリストは「肉によればダビデの子孫から生まれ、聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められた」方として宣べ伝えられるようになります。これは典型的なパレスチナ・ユダヤ人の福音告知の内容となります。

W 《エクレーシア》とペトロの権威

ペトロのメシア・キリスト告白

 ここまでマタイ福音書がユダヤ人に向かって、イエスを「人の子」として、また「ダビデの子」として提示していることを見てきました。イエスはいったい何者か、どのような資格の者として世に現れた方であるのかが福音告知の中心問題ですが、この問いを正面から扱っている箇所があります。その箇所に触れないで、この問題を語ることはできません。それは、マタイ福音書でいえば一六章の一三〜二三節の箇所です。ここでもマタイが依拠しているマルコ福音書(八・二七〜三三)の記事と比較すると、マタイの特色が見えてきます。
 イエスはガリラヤでの福音活動を切り上げて、少数の弟子だけを引き連れて北方の異教の地方を旅されます(一五・二一)。それは受難の地エルサレムに向かう前に、日夜群衆に取り囲まれている状況から逃れて、一人になり、神との祈りの交わりの中で使命を確認し、また弟子たちにご自身の使命について教え、エルサレムで起こる事態に備えるためであったと推察されます。そして、いよいよエルサレムに向かって歩を進めようとされたとき、フィリポ・カイサリアの地でイエスの方から弟子たちにこの問いを出されます。イエスは、人々がイエスについてどう言っているのかを確かめた上で、弟子たちに「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか」と問いかけられます(一六・一三〜一五)。
 このイエスの問いに弟子団を代表してペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えます(一六・一六)。マタイは、マルコ(八・二九)の「あなたはメシアです」というペトロの答えに、「生ける神の子」を加えています。イエスを「神の子」と言い表すのは、先に見たように、復活されたイエスに対する最初期共同体の信仰告白です。ここでマタイは、この時のペトロの告白を、復活されたイエスをキリストとして告知した最初期共同体の告白を代表しているとしているのではないかと推察させます。もしそうであれば、このペトロの告白の原文「あなたは《ホ・クリストス》です」は、「あなたはキリストです」と訳さなければなりません。
 事実、このペトロの答えに対してイエスは、「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ」と言って、ペトロの告白を賞賛し、祝福しておられます(一六・一七)。このような賞賛と祝福を受ける告白は、ペトロのメシア告白がすぐに「サタンよ、退け」と叱責されるユダヤ教のメシア理解であったことが明らかになるマルコの場合とは対照的です。このような叱責の場面から、マルコの記事は実際の歴史的状況を記述しているものとして、「あなたはメシアです」と訳すのが適切でした。しかしマタイの場合は、最初期共同体のキリスト告白が地上のイエスの活動時期に重ねて語られていることになり(このような重なりは福音書にしばしば見られます)、「あなたはキリストです」と訳す方が適切となります。
 このイエスの賞賛と祝福の言葉からすると、ペトロは何らかの神の直接の働きかけにより、イエスが「生ける神の子、キリスト」であることを啓示される体験をしていたことになります。パウロがダマスコ途上でそのような体験をしたことは語り伝えられていますが、ペトロの場合はどのような体験だったのでしょうか。ペトロの場合は、復活されたイエスが「ケファに現れ、その後十二人に現れたこと」が最初期の《ケーリュグマ》に含まれていて(コリントT一五・五)、その伝承が確かであったことが分かりますが、それがどのような出来事であったのかを、パウロのダマスコ体験のように語り伝える記事はありません。しかし、イエスの十字架の後、ガリラヤに逃げ帰って漁師の仕事に戻っていたペトロたちに復活されたイエスが現れて、ペトロたちを復活の証人として召されたことは確かです。その時の体験が、地上のイエスに従った時の出来事に重ねられて福音書に語り伝えられたと考えられます。湖畔での召命(四・一八〜二二)、大漁の奇跡(ルカ五・一〜一一)、湖上を歩くイエスとの遭遇(一四・二二〜三三)などは、十字架以後のガリラヤでの復活者イエスと出会いの体験を、地上のイエスの働きの時期に重ねて物語ったものと理解されます。このような二重性は、地上のイエスの働きを語ることによって復活者キリストの福音を告知しようとする福音書には必然的な二重性です。

ガリラヤにおける復活者イエスの顕現については、拙著『福音の史的展開T』の序章「復活者イエスの顕現」、とくに「第二節 ガリラヤでの復活者イエスの顕現」を参照してください。

 湖上を歩いて来られたイエスに向かって、弟子たちは「本当にあなたは神の子です」と言って、イエスを拝んだと伝えられています(一四・三三)。マタイはこの告白の延長上で、フィリポ・カイサリアでのペトロの告白を扱っています。すなわち、ペトロが復活されたイエスの顕現に接して、「本当にあなたは神の子です」と言い表した告白が、フィリポ・カイサリアでの告白に重ねられており、その体験と告白に対してイエスが賞賛と祝福の言葉をお与えになったことになります。復活されたイエスに出会うという体験は、人間の努力や精進で獲得できることではなく、神が働きかけてくださるときにだけ起こる出来事です。それを受けた者は幸いだと祝福されるほかはない恩恵の出来事です。
 ところが、マタイはこの賞賛の言葉の後に、マルコと同じペトロに対するイエスの叱責の記事を続けています(一六・二一〜二三)。マルコでは、ペトロの「あなたはメシアです」という告白に含まれているファリサイ派的なメシア期待、すなわちイエスが「ダビデの子」としてダビデ王国の栄光を地上に回復するメシアであるとする期待を訂正するかのように、苦しみを受け殺される「人の子」の奥義を語り出されます。それに対して、マルコ(八・三二)は「すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた」とだけ伝えていますが、マタイはその文に加えて、ペトロがイエスに言った「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません」という言葉も伝えています(一六・二二)。おそらく、ペトロから親しくその時の出来事を聞いていたマタイ共同体では、その時にペトロが言った言葉もよく知られていたのでしょう。イエスはこのペトロの発言をサタンの誘惑として厳しく退けられます。なお、(マルコ八・三二〜三三で)ペトロがイエスを「いさめた」と訳されている動詞と、イエスがペトロを「叱った」という動詞は、ギリシア語原語では同じ動詞です。
 ペトロがこのようなファリサイ派的なメシア期待をもって「あなたは《ホ・クリストス》です」と言ったのであれば(歴史的な状況からすれば当然そう理解されます)、この《ホ・クリストス》(油を注がれた者を意味するギリシア語)は「油を注がれた者」、すなわち当時のユダヤ教の「メシア」を指していることになり、「あなたはメシアです」と訳すのが適切となります。当時のユダヤ人が待望したメシアについては、メシアを「神の子」とする理解もあり(二六・六三)、ここを「あなたはメシア、生ける神の子です」と訳すことの妨げにはなりません。

フィリポ・カイサリアにおけるペトロの告白は、原語の《ホ・クリストス》をそのまま「キリスト」にして、「あなたはキリストです」と訳す翻訳が大部分ですが、最近は歴史的状況に即して、「あなたはメシアです」と訳す翻訳が行われるようになっています。ドイツ語では一九八〇年の統一訳、英語では一九八九年のNRSVが「メシア」と訳しています。新共同訳(一九八七年)はこの傾向に従って「メシア」と訳しています。カトリック圏のフランス語訳はみな「キリスト」です。
新約聖書では「キリスト」は復活された方の称号ですから、イエスから叱責されるペトロのメシア理解での告白は、ユダヤ教における称号である「メシア」を用いて、「あなたこそメシアです」と訳すのが適切です。それに対して、イエスから賞賛祝福されるペトロの告白は、最初期共同体の復活者キリスト告白を代弁しているのですから、「あなたこそキリストです」と訳すのが適切です。フィリポ・カイサリアでの告白の段階では、ペトロの告白はまだユダヤ教のメシア理解での告白ですから、「あなたはメシアです」が適切ですが、それに重ねて語られる復活者イエスに対する告白としては、「あなたはキリストです」が適切です。マタイはこの叱責と賞賛の二つの場合を共存させているので、どちらに訳しても不適切な一面が残ることになり、記事が一見矛盾する様相を示すことになります。マルコは叱責の場面だけで、矛盾はありません。ルカは叱責の記事を全面的に除くことによってこの矛盾を回避し、ペトロの告白を「イエスこそ復活者キリストである」という最初期共同体のキリスト告白を代表するものと理解する道を開いています。
ただ、パレスチナ・シリア地域での最初期の福音活動において、アラム語とギリシア語の両方が用いられていた言語状況を考慮に入れると、「メシア」と「キリスト」の訳し分けはあまり必要でないのかもしれません。神から油を注がれた者を指すヘブライ語の日本語表記が「メシア」であり、そのギリシア語の日本語表記が「キリスト」なのですから、「メシア」と「キリスト」は同じ意味内容、同じ資格の方を指す称号です。ペトロたちがユダヤ人に福音を告知したとき、この両方を用いたのではないかと考えられます。ペトロたちはイエスを「メシア・キリスト」として告知したと言えるでしょう。

この岩の上に

 当時のユダヤ教のメシア理解をもって「あなたこそメシアです」と言い表し、そのメシア理解から苦しみを受ける「人の子」の道を歩まれるイエスを諫めたペトロは、イエスから「サタンよ、引き下がれ」と厳しく叱責されます。そのペトロが復活されたイエスの顕現を体験し、「あなたはキリスト、生ける神の子です」と言い表すようになります。そのペトロに向かってイエスは言われます。

 「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる」。(一六・一七〜一九)

 ペトロの本名はシモンでした。ユダヤ人社会では「シモン・バルヨナ」と呼ばれていました。「バルヨナ」というのはヨナの息子、あるいはヨハナン(=ヨハネ)の息子というアラム語です。シモンはヨハネの息子と伝えられていますから(ヨハネ一・四二)、おそらくヨナといのはヨハネが短縮された形であると見られます。ここでペトロという通称ではなく、ユダヤ教社会での正式の名によって人物が特定されていることが重要です。このシモンがイエスに「あなたはメシア、すなわちキリストです」と告白したのに対して、今度はイエスがシモンに向かって、「あなたはペトロである」と言われるのです。イエスがキリスト(救済者)であることと、シモンがペトロ(民の土台)であることが一組になって対応しています。
 原語の《ペトロス》は、岩という意味のギリシャ語《ペトラ》(女性名詞)に男性語尾をつけて男性の名前にした形です。ギリシャ語では、イエスの言葉は「あなたは《ペトロス》である。わたしはこの《ペトラ》の上にわたしの《エクレーシア》を建てる」となります。それで、キリストの民の共同体がその上に建てられる「岩」はペトロという人物《ペトロス》ではなく、《ペトラ》が象徴するキリスト告白を指すという解釈もなされますが、この用語からする解釈は無理です。それは、イエスが語られたと考えられるアラム語では両方とも《ケファ》だからです。シモンはイエスから「ケファ」という呼び名を与えられたのです(ヨハネ一・四二)。
 この「ケファ」の上にキリストの民は成立する、とマタイは書いているのです。しかし内容からすると、サタン的なメシア理解しか持てない人間シモンではなく、父からの直接の啓示によってイエスが復活者キリストであるという奥義を示されて告白している「ケファ」が「岩」とされているのです。その意味で、キリストの民がその上に建てられる「岩」とはこのキリスト告白であると言えます。さらに進んで、この告白の内容であるキリスト自身が岩であるという理解も可能になります。わたしたちの信仰体験としては、この「岩」とは究極的には主イエス・キリストご自身を指すと理解せざるをえません。
 この岩であるペトロと共に「イエスはキリスト、生ける神の子である」と告白する者たちの群れが、ここで《エクレーシア》と呼ばれています(一八節)。《エクレーシア》という語は、イエスの復活後、イエスを復活者キリストと告白する民が自分たちの共同体を指すのに用いた用語ですから、歴史的な場面としてはイエスが《エクレーシア》という語を用いて神の民の成立を語られることはなかったかもしれません。しかし、マタイはペトロの「メシア」告白の場面を「キリスト」告白の場面にしているのですから、この告白をする民を自分たちが用いている《エクレーシア》という語を用いて呼ぶのです。そして、現在の自分たちの《エクレーシア》を地上のイエスと弟子たちの姿に重ねて物語っていきます。その結果、現在の《エクレーシア》に対する訓戒を、イエスが弟子たちに与えられた訓戒として語ることができるのです(一八章、とくに一七節)。

《エクレーシア》という語を用いて自分たちの共同体のことを語ったのは、福音書ではマタイであるとしても、それはイエスが地上に終末的な神の民の成立を予想されてはいなかったことを意味するものではありません。それは別問題です。イエスは別の表現で終末的な神の民の歴史内での形成を語っておられます。それをマタイがここで《エクレーシア》と重ねます。しかし、それはもはや古い神の民であるイスラエルの枠内の民ではなく、それとは別のキリストの民、「わたしの《エクレーシア》」なのです。《エクレーシア》という用語がイエス復活後の共同体で独自の内容で用いられていく過程については、拙著『福音の史的展開T』246頁の「T 神の会衆」の項を参照してください。

 イエスは「わたしは、この岩の上にわたしの《エクレーシア》を建てるであろう」と言われます。「建てるであろう」という動詞は、イエスが神殿で「この神殿を壊してみよ。わたしは三日でそれを建てるであろう」(ヨハネ二・一九)と言われたお言葉を思い起こさせます。マタイとその共同体は、そのお言葉通り、復活されたイエスが現在ご自身に所属する民を呼び集め、終末時の神の民を形成されていることを、建物の比喩を用いて表現しているのです。この新しい神殿の土台は、ペトロと共に、イエスがキリストであるという奥義を父から啓示されて告白する信仰であり、その信仰を成り立たせるイエス・キリストご自身です(エクレーシアを建物の比喩を用いて語ることについてはコリントI三章一〇節以下を参照)。
 イエスはこの《エクレーシア》について、「陰府《ハデス》の門もこれに対抗することはできない」(直訳)と語られます。《ハデス》とは死者のいる場所です。「《ハデス》の門」とは、死者をその領域に閉じ込めている開かずの門です。ひとたび死者の国に入るならば、だれもこの門を破ることはできません(この意味で「陰府の力」と意訳することも可能です)。もし「陰府の門」を陰府の支配力とし、その力が《エクレーシア》を攻撃すると理解すると、「陰府の力はこれに打ち勝つことはできない」と訳すことになります。しかしここは、復活の命に溢れる《エクレーシア》が攻撃するとき、「陰府の門はこれに対抗することができない」で、開門せざるをえないと理解する方が、《エクレーシア》の力強さをいっそう強調することになると思われます。《エクレーシア》は復活の命が支配する場です。この復活者キリストにある場では、今までわたしたちを死に閉じ込めてきた「陰府の門」も打ち破られます。

天の国の鍵

 「建てる」とか、「(土台の)岩」、「門」と建物のイメージを用いて《エクレーシア》のことを語ってきたマタイは、ここに「鍵」の比喩を用いてペトロの地位を語ります。すなわち、イエスをキリストと告白したペトロに、イエスは「天の国の鍵」を授けたというのです。ここで「天の国」は建物のイメージで登場します。「天の国」とは、ここではすでに建物の比喩で語られている《エクレーシア》を指していると見られます。「天の国」すなわち《エクレーシア》という建物に入る門を開いたり閉じたりする鍵を、イエスはペトロに授けたというのです。主が僕エルヤキムに「ダビデの鍵」を与えて、「彼が開けば閉じる者はなく、彼が閉じれば開く者はないであろう」という支配権を委ねられたように(イザヤ二二・二二)、イエスはペトロに鍵を渡し、彼の家《エクレーシア》の管理人に任命したというのです。その鍵を用いて、ペトロが門を開くとき、人はエクレーシアに入ることができ、門を閉じるときは入ることが拒否されるのです。ここでは表現の意味の説明にとどめ、これが実際には何を意味するかは後で取り上げます。

旧約聖書の「鍵」の象徴はヨハネ黙示録の著者がよく用いています。復活者キリストは「ダビデの鍵を持つ方」と呼ばれ、イザヤ書二二章二二節がそのまま引用されています(黙示録三・七)。また、死者の中から復活した方として「死と陰府の鍵をもっている」とされています(黙示録一・一八)。

 
 そしてさらに、「あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる」という「鍵」の権能を説明する言葉が続きます。「つなぐ」とか「解く」という表現は、ユダヤ教律法の教師であるラビたちの用語です。ラビの用語では、「つなぐ」というのは律法順守のためにある内容の義務を課すことであり、「解く」というのはその義務を免除することです。この意味で理解しますと、イエスはペトロにイエスの言葉を解釈して教える権能を与えたことになります。具体的な状況に即して、イエスの言葉に従うためにはこうすべきであると、ペトロが地上で決めたことは、天上でも有効であるという意味になります。その決定と教えに反することは、神の意志に反することになります。
 ところが、この「つなぎ、かつ解く」権能は、ペトロ個人だけでなく、エクレーシア全体に与えられていることを語る箇所があります(一八・一八)。そこでは「あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる」と語られています。そこでも「つなぐ」とか「解く」の内容は説明されていませんが、直前の段落(一八・一五〜一七)の文脈からすると、罪を犯した兄弟を受け入れるか追放するかを決める権能を指しているようです。後に続く「赦さない家臣のたとえ」(一八・二一以下)も、これが兄弟を赦して受け入れる権能であることを指しています。
 また、ヨハネ福音書には「だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る」(ヨハネ二〇・二三)というお言葉が伝えられています。初期の教団は、復活の主からこのような権能を与えられていると理解していました。このような明白な並行語録がある以上、「つなぎ、かつ解く」権能はもともと罪を犯した兄弟を受け入れるか拒否するかの権能であったと理解すべきです。それがユダヤ人の宣教圏で「つなぎ、かつ解く」というラビ的な用語で表現され、さらにマタイによってペトロへの賞賛の中に用いられて、ペトロ個人に与えられた権能とされたと見られます。
 このように理解すると、「つなぎ、かつ解く」権能はペトロに与えられた「鍵」の内容を説明することになり、一九節は一体のものとして自然に続きます。イエスはペトロに「天の国の律法」を解釈して教える権能を与えて、ラビの長に任命されたのではありません。ペトロは、共同体に与えられた赦しを与えるという意味の「つなぎ、かつ解く」権能を代表しているのです。その意味で「天の国の鍵」を与えられているのです。

ペトロの首位性

 初期の共同体には、ペトロを使徒の中で首位におく伝承がありました。それは、復活されたイエスが最初にペトロに現れたという伝承に基づいています。最初に復活の主に出会った者として、イエスの十字架刑の後ガリラヤに逃げていた弟子たちを励まし、エルサレムに再びイエスを信じる者たちの群れを形成し、指導するのに中心的な役割をはたしたのはペトロでした。しかし、ペトロがエルサレムを去ってからは、主の兄弟ヤコブがエルサレム共同体の、したがって全共同体の首位に座すことになります。ペトロはアンティオキアに来て伝道し、パウロと対立しますが、パウロがアンティオキアを去ってからは、イエスの身近な弟子であり復活の第一の証人としてのペトロの権威が、アンティオキアを中心とするシリア地方に確立していきます。この流れの中で成立したマルコ福音書とマタイ福音書では、ペトロはいつも十二使徒のリストの筆頭者として登場します。シリアで成立したと見られるマタイ福音書は、この地方で確立しているペトロの首位性を、ここで見たような語録の編集によって根拠づけるのです。
 しかし、初期の福音活動においては、ペトロ以外の人物を首位とする伝承もありました。たとえば、主の兄弟ヤコブを首位とする伝承は、復活されたイエスは最初にヤコブに現れ、ヤコブに全権を委ねたという内容の福音書(ヘブル人福音書)を成立させていました。また、トマスを最高の啓示を与えられた使徒とする「トマス福音書」もあり、さらにマグダラのマリアを首位におく伝承もありました。
 新約聖書の中でもっとも初期の文書であるパウロ書簡は、ペトロであれ他の誰であれ、一人の人物が首位に座して全エクレーシアを指導監督するという体制には反対しています。マタイ福音書はパウロが活動した時期よりずっと後の成立ですが、パウロ系の諸集会は、マタイがここで書いているようなペトロの首位性は認めなかったと思われます。
 たとえば、ヨハネ福音書は、どの程度パウロの思想を継承しているのかは議論がありますが、ペトロ以外の弟子を優位におく傾向があります。ペトロの使徒としての権威を否定しているのではありませんが、ペトロが首位であることには批判的であるように見えます。
 このように初期の伝承の多様さを瞥見したのは、マタイ福音書で主張されているペトロの首位性は、当時の状況でマタイが描いているエクレーシアの理念であって、当時の福音の多様な展開の中の一つであることを理解するためです。したがって、この箇所の理解は、マタイが彼の状況の中で言おうとしていることを理解するように努めつつ、福音の基本的原理に従って解釈しなければならないと言えます。

このマタイだけが伝えるペトロへのイエスの賞賛と祝福の言葉(一六・一七〜一九)とそれに基づくペトロの首位性は、後代の正典の結集過程でこの福音書が第一に置かれて巨大な影響力を持つようになったために、ローマ・カトリック教会の成立や教義、それに対抗する宗教改革など、その後のキリスト教の歴史に重大で巨大な影響を及ぼし、論争の的となります。

X 福音の展開史におけるマタイ福音書の位置

ユダヤ教内キリスト信仰の継承

 以上、マタイ福音書の特色を、この福音書が告知するメシア・キリストの形姿に焦点を合わせて見てきました。マタイ福音書はマルコ福音書のほぼ全体を受け入れて含んでいますから、この福音書が告知するキリストは、基本的にマルコ福音書が告知するキリストと同じであると言えます。すなわち、十字架の死によって罪の贖いを成し遂げ、復活して今も働き、やがてご自身の民を救い、世界を裁くために栄光の中に来臨するメシア・キリストです。しかし、この福音書がそこにおいて生み出され、それに向かって語りかける共同体(マタイ共同体)が、「語録資料Q」を担ってきたパレスチナ・ユダヤ人のメシア・イエス運動の流れを汲む共同体であるという事実から、そのキリスト告知にも独自の色彩が加わることになります。その「独自の色彩」というのは、「ユダヤ教内キリスト信仰」から来る特質です。
 先にマルコ福音書のところで見たように、著者がマルコのように異邦人伝道に携わってきた人物であり、異邦人に福音を告知するために書かれた文書であっても、イエス伝承を用いて福音を告知する以上は、ユダヤ教の表象を用いざるをえませんでした。たとえば「人の子」というような表象は、異邦人には理解できないユダヤ教独自のものですが、イエスが用いられ、イエス伝承に根づいているものである以上、それを用いてイエスを「人の子」と告知せざるをえませんでした。マタイは、先に見たように、イエスの語録を「人の子」という観点から集成している「語録資料Q」を担ってきた「ユダヤ教内キリスト信仰」の流れに属する者として、マルコ以上に細部に至るまで、イエスを「人の子」として提示しています。さらに、マルコ福音書ではほとんど言及されなかった「ダビデの子」という称号も、マタイ福音書では繰り返し用いられ、イエスが「ダビデの子」であることが強調されています。この点も、マタイ福音書が「ユダヤ教内キリスト信仰」の流れにあることを指し示しています。
 しかし、マタイ福音書がユダヤ教内キリスト信仰を継承していることをもっともよく示すのは、「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである」(五・一七)という宣言です。すでに律法(=ユダヤ教)の外での救いが確立している異邦人の共同体では問題にならないこのユダヤ教律法との関係をこのように中心に据えているのは、マタイ共同体がユダヤ人信者の共同体であり、イエスをメシア・キリストと信じる信仰と自分たちが生きてきた伝統的なモーセ律法との関わり方が緊急の問題であったからです。この問題は典型的なユダヤ教内キリスト信仰における問題です。
 それが差し迫った問題となっていたのは、先に見たように、エルサレム神殿崩壊後のユダヤ教を担ったファリサイ派律法学者が形成するヤムニアの「法院」が、最高法院の権威を引き継いで、イエスを信じるユダヤ教徒を異端者として会堂から追放する決議をしたからです。この決議によって、イエスをメシア・キリストと言い表すユダヤ人はユダヤ教会堂にとどまることができず、ユダヤ教徒としてユダヤ教社会に生きていくことはできなくなりました。外のユダヤ教勢力に対して、イエスは律法を廃止する異端者ではなく、律法を完成する方であると反論すると同時に、内に向かってイエスを信じることは律法を完成することになるとして、モーセ律法を超えるメシアの律法を提示し、「ファリサイ派の人たちに優る義」を求めます。そのような義を行うことによって、たとえ、異端者のレッテルを貼られて会堂から追放されても、真のユダヤ人として律法を完成するのだと励まします。

パウロとマタイ

 この五章一七節の宣言は、先に見たように、イエスを律法を汚す異端者であるとしたユダヤ教側の非難に対抗するものであると同時に、キリストの福音を告知する運動の中に見られるユダヤ教律法を無用とする傾向に反対するという面もありました。マタイが批判し反対している対象は、直接的にはパレスチナ・ユダヤ人の信仰運動でカリスマ的な預言活動をしている巡回伝道者の中で、モーセ律法を軽視したり無視するような言動をする者たちであったと考えられます。マタイは、そのような者たちを「偽預言者」として警戒するように呼びかけています(七・一五〜二三)。
 しかし、もう少し視野を広げて見ますと、最初期の福音活動において、もはやユダヤ教律法は救いに必要はないとした主張との関わりが問題になります。この主張の代表者はパウロですから、この問題はパウロとマタイの関係という問題になります。マタイはパウロの反対者なのでしょうか。
 パウロはキリストの出来事を指して、「しかし今や、律法とは無関係に、しかも律法と預言者によって立証されて、神の義が現されています」と宣言します(ローマ三・二一)。律法《トーラー》というのはユダヤ教の全体ですから、パウロはユダヤ教の外で、ユダヤ教とは関係なく、人を義とする神の働き、すなわち人を救う神の働きが現れたと宣言しています。そのことを、「キリストは律法の終わりとなられた」とも表現します(ローマ一〇・四)。この主張に対しては、パウロの活動時期において、一部のユダヤ人信者から激しい反対運動が起こりました。パウロはユダヤ教徒に向かって割礼や律法順守の無用を唱えたのではなく、異邦人がキリスト信仰によって救われるのに割礼やユダヤ教律法の順守は必要ないと唱えたのです。しかし、ユダヤ教律法の絶対性に固執する一部のユダヤ人信者は、異邦人信者も割礼を受けてユダヤ教律法を順守しなければならないとし、パウロが信仰に導いた異邦人信者に割礼を受けることを求める対抗運動を執拗に続けました。このように異邦人信者に割礼を受けてユダヤ教徒になることを求める者を「ユダヤ主義者」と呼んでいます。
 マタイが異邦人信者に割礼を求める「ユダヤ主義者」でないことは、先に見ました。そもそもマタイの時代とパウロの時代では状況がまったく違います。七〇年のエルサレム陥落と神殿の崩壊を境目として、その前の時期と後の時期では、キリストの民とその福音活動が置かれている状況は大きく変わりました。それ以前(前期、パウロの時代)では、パウロが主張する異邦人には割礼を求めない福音活動(無割礼の福音)がエルサレム会議で承認されていたにもかかわらず、主の兄弟ヤコブに代表される「ユダヤ教内キリスト信仰」のエルサレム共同体の権威を背景に、一部のユダヤ人信者の「ユダヤ主義者」が対抗運動を執拗に続けました。しかしそれ以後(後期、マタイの時代)では、もはやエルサレム共同体の権威はなく、キリストの民は異邦人信徒を主体とするようになり、その民をユダヤ教の枠の中に入れておこうとする「ユダヤ主義」は成り立たなくなっていました。
 異邦人信者には割礼を受けてユダヤ教徒になることを求めないというパウロの「無割礼の福音」が誤解されて、パウロはユダヤ人にも割礼を受けるなとかモーセ律法は順守しなくてもよいと説いているという噂がエルサレムにも伝わり、ユダヤ教徒全体の激しい憎しみを買っていました。そのような誤解があったことは、パウロが最後にエルサレムに行ったときにヤコブが言った言葉に示されています。ヤコブはパウロに、「兄弟よ、ご存じのように、幾万人ものユダヤ人が信者になって皆熱心に律法を守っています。この人たちがあなたについて聞かされているところによると、あなたは異邦人の間にいる全ユダヤ人に対して、『子供に割礼を施すな。慣習に従うな』と言って、モーセから離れるように教えているとのことです」と言っています(使徒二〇・二〇〜二一)。これからエルサレムに向かおうとしているパウロも、エルサレムのユダヤ人の殺意を含む激しい憎しみを予想しています(ローマ一五・三一)。
 パウロがユダヤ人に向かって割礼とモーセ律法の不必要を説いたというのは誤解です。パウロはユダヤ人には割礼を受けている者としてモーセ律法を守る生活、すなわちユダヤ教徒としての生活を続けることを当然のこととしています。しかし、異邦人で主イエス・キリストを信じた者は割礼を受ける必要はないとし、割礼とユダヤ教律法順守を救いの絶対条件としなかったこと、すなわちユダヤ教を相対化したことが、ユダヤ教そのものの否定と誤解されて、ユダヤ教徒から激しい憎しみを受けたのでした。どの宗教でも、その宗教を相対化する者は、その宗教の絶対性に固執する者からは激しい憎しみを受けることになります。
 マタイの共同体は、この「幾万人ものユダヤ人が信者になって皆熱心に律法を守っています」と言われているユダヤ人の流れを汲む共同体です。マタイ共同体の成員は、割礼を受けてモーセ律法に従う生活をしているユダヤ教徒が大部分を占めていると考えられます。マタイはこの共同体に向かって、イエスを信じる信仰は律法を完成するものだと説き、施しや祈りや断食などユダヤ教徒としての宗教生活を当然のこととして、その仕方を説いています。マタイ共同体は「ユダヤ教内キリスト信仰」の共同体であると言えます。
 しかし、マタイ共同体は母体であるユダヤ教会堂とは絶縁し、対立しています。ユダヤ教会堂に向かってイエスを信じるように呼びかける姿勢はなく、「偽善者」とか「地獄の子ら」というような激しい非難だけになっています。その集大成が二三章の「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ」という非難の章です。マタイ福音書のイエスはユダヤ人の中から立ち去るイエスです。マタイ共同体はもはやユダヤ教社会から立ち去り、異邦人世界に出て行こうとしています。その姿勢は、福音書の最後で復活されたイエスが弟子たちに命じられた言葉に示されています。

 「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によってバプテスマを授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」。(二八・一八〜二〇)

 「すべての民」に、すなわち世界の諸国民にイエスの教えを伝え、イエスの民としようとするにさいして、もはや割礼を受けよとか、食事規定や安息日規定に代表されるユダヤ教律法を守れとか、ユダヤ教律法順守に関する要求は、この福音書には一切ありません。この福音書には、キリストの民をユダヤ教の枠の中に止めておこうとする「ユダヤ主義」の主張はありません。ただバプテスマを授けることとイエスの教えを守ること(そのためにこの福音書はイエスの教えの集成として書かれています)だけが言及されています。これは「ユダヤ教の外でのキリスト信仰」に立つパウロ系の共同体でも十分通用する姿勢です。

異邦人共同体における受容

 マタイ福音書のこの二つの性格、すなわち「ユダヤ教内キリスト信仰」の場で成立した福音書であり、その中で伝承されたイエス伝承、とくにイエスの教えを伝える語録伝承を豊かに受け継いでいるという性格と、ユダヤ教から出て異邦人世界に入っていこうとしている姿勢が、この福音書をその後の福音の展開史においてきわめて重要な位置を占めさせることになります。
 この福音書が成立したのが最初期後期の後半であるので、この福音書が広く地中海世界の共同体に知られるようになるのは、さらに後の時期、すなわち二世紀以後のことと考えられます。二世紀以後のキリストの民の共同体は、地中海世界では圧倒的に異邦人が多くなり、パウロの流れを汲む「ユダヤ教の外でのキリスト信仰」に立つ異邦人共同体が主流となります。しかし、そのような異邦人共同体も実際の信仰生活の指針また拠り所として、イエスの教えを必要とするようになります。先に見たように、福音を告知する(《ケリュッソー》する)働きとともに、信者を教える(《ディダスコー》する)働きが必要となり、イエスの教えの言葉が求められます。その求めにもっともよく応える文書としてマタイ福音書が尊重され、受け入れられるようになります。
 マタイ福音書は、イエスの生涯を誕生から復活まで語り伝えるだけでなく、イエスの教えの言葉を壮大な形でまとめている福音書として、尊重され、重視され、正典が形成されるとき第一の位置に置かれることになります。マタイ福音書は「ユダヤ教内キリスト信仰」の流れで成立した福音書ですが、ユダヤ教から出て異邦人世界に向かう姿勢がありますから、異邦人共同体にも受け容れられ、しかも「ユダヤ教内キリスト信仰」の流れで継承されたユダヤ教の伝統とイエス伝承を豊かに伝えていますから、異邦人共同体はこの福音書を通してユダヤ教の伝統に強く結びつけられることになります。これは、マルキオンに代表される二世紀以降の旧約聖書を全面的に排除しようとする動きに対抗する正統派にとって強力な拠り所となります。そのような事情からも、マタイ福音書は正典の中の「第一福音書」としての地位を確立し、キリスト教といえば人々はマタイ福音書を思い起こすようになります。